【A-Studio+】俳優 ディーン・フジオカさん  高校卒業後、大冒険の人生!(2024年8月23日放送)

4か国語を操る俳優

プロフィール

本名 藤岡竜雄(ふじおかたつお)
1980年(昭和55年)8月19日生まれ(放送日現在44歳)
福島県須賀川市生まれ

千葉県立船橋高等学校卒業
アメリカシアトルのコミュニティ・カレッジでITを専攻・卒業

父親は中国生まれだが、両親も祖父母も日本人。
実妹は元チェッキッ娘の藤岡麻美さん。

2012年 中国系インドネシア人と結婚
2014年 男女双子が誕生

高校卒業後、アメリカへ留学し、その後バックパッカーとしてアジア各国を放浪。

2004年、香港でスカウトされ、24歳でモデル活動を開始。
翌年(2005年)には香港映画(『八月の物語』)の主演に抜擢され、俳優デビュー。
その後、拠点を台湾に移し、数多くのドラマ・映画に出演。
現地で一躍スターに。

そして、2015年NHK連続テレビ小説「あさが来た」で五代友厚役を演じ、日本でも大きな話題に。

活動は、俳優だけにとどまらず、ミュージシャンとして昨年自身初の日本武道館でライブを公演(2023年)

(以上Wikipediaより)

 

高校時代のバンド仲間を取材

ヤマケン、ゴロウちゃん、ゲンちゃん

鶴瓶「ゴロウちゃんはボーカルでしょ?」

ディーン「そうです。バンドのボーカルをやってましたね」

藤ヶ谷大輔「ヘビメタですよね?」

ディーン「メタリカっていうアメリカのバンドのカバーバンドをやってたんですよね」

鶴瓶「めっちゃ難しいらしいですね」

ディーン
「そうですね。僕はギターを弾いてて。
高校生の時にその軽音楽部っていうんですかね。あ、フォークソング部か。
全然フォークソング部じゃなかったですね。やってることがね。」

(高校生の時の写真を見て)

ディーン「はっはっはっ(笑)よう出てきたな。なつかしい」

鶴瓶「でもこの時に普通の髪してるけども、ちょんまげ結うてたときもあるんでしょ?」

ディーン「あー、そうですね。ドレッドとかそういう時ですかね、はい。」

藤ヶ谷太輔「その制服にサスペンダーつけて」

ディーン「はっはっはっ(笑)」

鶴瓶
「その頃から言うたら、だいぶ変わってる人やったで。話聞いたら。
でも、優秀な学校ですよ。で、勉強もようできた言うてたもん。」

ディーン
「いや、そんなことないですよ。…はあーっ(笑)こんな写真出していいの?これ」

藤ヶ谷太輔「しかも、ゴロウちゃんは部長ですよね?」

ディーン「確かそうですね、はい」

藤ヶ谷太輔「部長じゃないですか、ゴロウちゃん。部長をくびにしましたよね?ディーンさん」

ディーン「あ、そうなんですか?」

鶴瓶「いやいや、練習してけえへんし、ちょっとそんなにうまく歌わなかったから、あのクビやと」

藤ヶ谷太輔
「ボーカルをクビになったんですよね?
たぶん、ディーンさんはギターもできるし、ピアノも何でもできるから、もともとレベルがすごい高かったし」

鶴瓶「思い出してください」

藤ヶ谷太輔「相当やったんじゃないですか?家で」

ディーン
「あ、そうですね。それこそ、よく言うじゃないですか。ギターを抱いて寝るじゃないですけど。
ギター弾いてて眠くなっちゃって、たまたま一緒に寝てるですよ。
あの、一緒に寝たくて寝るじゃなくて。そこは違うんですけど(笑)」

鶴瓶「名前つけてたでしょ?」

ディーン「名前つけてたかな?ヤバい奴ですよね。なんとかちゃんみたいな。」

鶴瓶「ヤマケンさんね、今ソニーにいてんねんけど、そっちのインスタになんか出してきたらしいね」

ディーン「そうですね。だいぶ久しぶりに会ったら、まあ同じ業界で音楽のSONYでお仕事されてて」

藤ヶ谷太輔
「あと、ヤマケンさん教えてくれましたけど。
ディーンさんはね、結構ラインスタンプの(けろけろ)けろっぴよく使うって言って」

ディーン「確かに。今日も使った」(笑)

藤ヶ谷太輔「けろけろけろっぴお好きなんですか?」

ディーン「好きです」

 

高校卒業後アメリカへ

ITを勉強して起業したい

鶴瓶「(バンド仲間は)皆でも優秀な人たちでしょ?」

ディーン
「そうですね。みんなちゃんと大学行ってて、僕だけ日本の大学行かなかったっていう」

藤ヶ谷太輔「この時(高校3年生位)は、芸能とかに興味はあったんですか?もう」

ディーン「なくはなかったけど、それよりももっとやりたいことがあったっていう感じですかね」

藤ヶ谷太輔「それってどういうことなんですか?やりたいことっていうのは?」

ディーン
ITっていうかフロンティアっていうんですかね?
あのー未開の地みたいなところで、こっからすごい可能性があるだろうなって自分が思ってたのがそのITの世界だったんで。

自分の父親がたまたまその自宅で当時あのー電話回線で、モデムで回線でつないでたんですね、インターネットに。

で、変な音なるじゃないですか。あのーザーザー鳴って、ピューピューなって。

何してんのかな?って思って。

(父に)「宇宙と更新してるんだ」という説明を受け、なんだったら証拠にNASAのWEBサイトとか見せられて。

でもなんかそこにすごい惹かれたんですよね。

で、もちろん同時にそのー母親がピアノの先生をやってたんで。
家でずーっと音楽が流れてるっていうそんな環境だったから。

音楽とITっていうのが。
もう興味の対象っていうのがそこを柱になってったって感じですね」

藤ヶ谷太輔「それでアメリカに最初に行った?」

ディーン「そうです。アメリカで…」

鶴瓶「それで、お父さんに反対されたんでしょ?でも。アメリカ行くのに」

ディーン
「そうなんですよ。で、まあITの勉強をして起業したいなって思って。
ざっくりとですけどね。はい。当時は」

 

妹は元チェキッ娘 台湾で活躍

鶴瓶
「いや、藤岡家は俺ようしっとんのよね。
妹がめっちゃええ奴なんですよ。昔から俺知ってて。

でもう純粋やし、今もそうやけど、兄に物凄く守ってもらったって言うてたよ。

今も変わってない。この麻美はね。
今知ってますか?チェキッ娘やったんですけどね。」

ディーン
「そう。日本に帰ってきたんですよ。ずいぶん長いこと(台湾にいて)」

鶴瓶
台湾ではCMもぎょうさん出てるしね。
だから小さい時のことも言うてたわ。

兄は家のことずーっとやってて、お皿もバーッと洗ってて、台が小さかったから、なんかこんな感じ(ひざを曲げて背中を丸める感じ)で洗うてた言うて。ヒョウ柄のパンツ履いてって」

ディーン
「いやーその写真出てきたら嫌だなあ。
まさか(妹が)こんな長く台湾に住んで。
出産も仕事も子育てもずーっと向こうでやってたから」

鶴瓶「お兄さんの方が台湾早かったの?」

ディーン
「そうですね。自分が香港から台湾引っ越したのが、2006年とかだったんで。入れ違いみたいな感じになっちゃいましたね」

 

ひどい花粉症からアメリカへ。そこから大冒険の始まり

鶴瓶
「でも麻美言うてたんやけど、信じられん位の花粉症やったって。
鼻血がずーっと止まらへんねんて。
それでアメリカ行くっていうこともあったわけ?」

ディーン
「そうですね。だからそれ言ってもなかなか信じてもらえなくて。
例えばこういうメディアで「なんでアメリカ行ったんですか?」って。
「いや、花粉症しんどくて、もう日本住めないなと思って。で、アメリカ行きました」って言うと、結構なんかふざけてるんですか?みたいな。
バカにしてるのかみたいな。」

鶴瓶「でも実際に鼻血止まらへんかった言うてたから」

ディーン「中学生くらいからですかね。花粉症になって。で、当時薬とかあんま良くなかったですよね?
だからもう物理的にこう花粉飛んでないとこ行った方がいいなと思って。
で、アメリカ行って。
その一応体として、まともな理由がないとさすがに。
親までさすがに花粉症だからっていうのは心配しちゃうと思うから。

「いやーITに興味があって、しかも実際に可能性を感じている」っていうことで、勉強しに行って。そっからもうずーっと大冒険の始まりですね。」

 

中国語・英語・インドネシア語が話せる

鶴瓶
「こんなん聞いてもあれやけど、中国語・英語・日本語ですね?他に?」

ディーン
「えーと、仕事で使ったのはバハサとかですかね。
インドネシア語ってやつですね。

なんか環境変わると新しい人生のチャプターが始まるみたいな。
自分の場合はそれは国が変わって、言語が変わって、職業が変わったりとか。
結構破壊的な」

 

岩田剛典さん「やりたいことは全部やった方がいい」

藤ヶ谷太輔
「岩ちゃん(岩田剛典)と同じ現場とかでも、常にみんなで楽しいことをしようっていうスタンスだから。
ディーンさんの車にチェストか筋トレ道具とかカードゲームとかなんか色々はいってるらしいんですよ。
空き時間があるってなると、じゃあ、みんなでチェスしようとか。
結構入ってるんですか?車の中にこう」

ディーン
「そうですね。職質されたら危ないかもしれないですね。(笑)
お邪魔になんない範囲で気が休まるならというか。
なんか楽しく過ごせるんだったらいいなあくらいのテンションですけどね」

藤ヶ谷太輔
「撮影の時に岩ちゃんもこれからどうしていこうか、どうなっていこうかっていうのを考えてた時期だったみたいで。

その歌う事、踊ること、お芝居をすること…なんかどれを優先的にとかいろいろ考えてた時期だったらしいんですけど、ディーンさんが「いや、それ全部やった方がいいじゃん」って。
遠慮してる場合じゃないよ」っていう言葉で、なんか今のスタイルに繋がっているんじゃないかって」

鶴瓶「世界いってるからね。いろんな人おるからね」

 

亡き親友との約束「東京ドームでライブをしたい」

藤ヶ谷太輔
説得力があるし、話を聞いてても面白いと。
でも、岩ちゃんと色んな話をしながら、もうディーンさんはやりたいことを沢山やってるから、もう今やりつくしている状態ですか?って。
まだまだありますか?やりたいこと」

ディーン
「うーん、そうですね。
僕はあのこれ公言してるんですけど、東京ドームでライブやりたいなと思ってて。」

鶴瓶「でも、もう武道館はやってるからね(2023年)」

ディーン
「そうですね。でも全然違う規模感ですし、言わなきゃ前に進めないなっていう風になってしまって。

まあ、実はちょっと私事ながらというか、あのー仕事とは全然関係なくもないですけど、去年、その自分の長らくずっと行動を共にしていた親友が死んでしまって

うん。で、武道館はギリギリ見せることができたんですけど。

まあその後僕東南アジアの方でちょっと海外の作品で1カ月半か2か月くらいちょっと行ってて。で、帰ってきたときにもう危篤になっちゃって。
直行してもうほんと最後ひと言交わして。そっから昏睡状態になって。
1週間後くらいですかね。」

鶴瓶「だから帰ってくるの待っとったんやね、それちょっと」

ディーン「もうだからそれで、なんだかよく分かんなくなっちゃって」

鶴瓶「約束したの?その彼に。ドームやるよって」

ディーン
「そうですね。いや、こういう感じになっちゃうんだよ。この話すると、やっぱ。(涙ぐむディーン)

そうですね。やっぱり自分がインドネシアで本当にDIYですよね。
レーベルとかもなかったし、マネージメントもついてなくて。
自分の身銭きって、原版製作して、音楽活動始めて。
で、当時ずっと一緒に行動を共にして

あのー自分のその制作の過程とか。
いろんなところを旅する中で写真とか動画をずーっと撮りためててくれた、まあ、仲間だったんで。

で、オーストラリアかな。
オーストラリアのパースでとある自分のファーストアルバムに入ってる曲のミュージックビデオを一緒に撮ってたときに。

まあ、この曲いつかライブでやる時に、日本で、どこの国でやろうかみたいなことを話したわけですよ。

そんなこと言いながら、武道館とかでやりたいねなんて。

で、彼はジョンって言うんですけど、ジョン・アイコフっていう僕の親友だったんですけど。ジョンが、「いやもっとでっかくいかなきゃだめだよ」って言って。

やるなら東京ドームでしょ」って。間に合わなかったっすね。

だから全くもう日本で仕事をする前ですね。
全く仕事をしてない状態。台湾とインドネシアを行き来してた頃で」

鶴瓶「え?ようそこで、そばにそういう人がおったよね。ずーっといてくれてた人が」

ディーン
「そうですね。彼は信じてくれてましたね、僕のことを。
ほんと僕のビジョンとか。何もその根拠も何もなかったのに
やっぱり何でしょうね、その。
人生に、命には限りがあるっていうことを心から知ると…」

鶴瓶
「いや、絶対生きとかなあかんって。生きてるからできる。
生きてなできないから。
夢とかなんとかいうけど、生きてることが凄く大事で」

ディーン「そう。生きてればできる」

 

萬田久子さんはディーンさんが大好き

藤ヶ谷太輔
「でも、東京ドームライブやるって言ったらこの方も絶対来たいって言う。

(萬田久子さんの写真)

いや、何て言うんですかね。ディーンさんのことを好きを超えてますね。愛してる。
むしろ最後に預かった質問が「私のこと愛してますか?」っていう」

ディーン「おお(笑)ハハハ。どっちが愛してるか勝負みたいな。」

藤ヶ谷太輔
「最初朝ドラで(NHK「あさが来た」)。
共演はなかったけど、本読みがあるんですよね。
その時に横にいらっしゃって、もうそこで胸を撃ち抜かれたって言ってました」(笑)

鶴瓶「何を言うてんねん、この人」

藤ヶ谷太輔
「それこそ、色々こう話してく中で、乗馬がやりたいんだって言って、一緒に乗馬に行ったりとか。お茶を一緒にやったりとか」

ディーン
「そうなんですよ。僕あの茶道大好きで。
やっぱその空間の作り方って言うんですかね。

日本の美意識みたいなものとか、何を大切にするかっていう価値観が、すごく洗練された形で凝縮されてるなと思ってて。

若い時は、どっちかっていうと、日本からどれだけ遠くに行けるかっていうその1点で生きてたんで。

日本に戻ってくるって決めてからは、逆にそのブランクみたいなものを埋めるために、日本っていうことを知りたいってすごく強く思うようになったんですよね」

鶴瓶「これ(茶道)どっちが行きたい言うたの?僕が行きたい?」

ディーン
「ああ、そうですね。あのー茶道…何度か仕事でお稽古させてもらって。
そのきっかけで。
たまたま萬田さんが行かれてるところにちょっと見に来る?みたいな感じでお誘いいただいて」

鶴瓶「嬉しかったやろうな、萬田さんも」

藤ヶ谷太輔
「いや、すごい喜んでましたし。でも、いつも誘うのはもう私からっておっしゃってましたね」

ディーン「いや、そんなことないですよ」

鶴瓶「もう萬田久子は勘違いやんか。自分が好きでたまらんからやねん」

藤ヶ谷
「ずーっと俺に、あの方は顔が黄金比なのよって。
で、あの柿の種も黄金比って言ってて。(笑)
もうだから一目惚れですよね、萬田さんの。

で、ディーンさんの出てるNetfrixの作品を私大好きだから、5日間位でバーッと全部見て。
その感想の連絡をして。

で、まあ「ここじゃ伝えられないし、食事しながら、ね?あのぜひ感想を伝えたいわ」って送ったら、ディーンさんから「ご視聴ありがとうございます」だけ来たらしいんですよ。(笑)

で、萬田さん「いや、それって男としてどう?」って。「なんか一言あってもよくない?」って」(笑)「すごい残念だった」って言って。

だって、画面に出てくるような文章じゃないですか。
「ご視聴ありがとうございます」って。」

鶴瓶「それは可愛そうやわ」

ディーン
「いや、それは、色々返したかったんですけど。
結構今色んなことが目まぐるしく動いているタイミングだったりして」

 

真面目な人柄 今があるのは偶然ではない!

鶴瓶
「いや、考えたら、ごめんなさい話の途中で。
麻美もそうなんですけど、真面目な一族やね。
麻美もこれですからね。
人に対してちゃんとしよう
真面目やわ。真面目って決め付けたらあれやけど。やっぱり兄弟やから。

1つのことに対してものすごい考えてるもん。
ええことよ、それは」

ディーン「(笑顔で鶴瓶さんを見る)いや、そうっすね。それを前に進む力に変えられたらいいなと思いますね。うん」

鶴瓶
「あの高校のゴロウちゃんとかヤマケンとかが言ったんですけど、今あるのは偶然やないと。
全部やってきたことが生きて、形になってるって。

ヤマケンは武道館を見て、あんだけのライブをやれて、まだまだ上を目指したいって言ってたって。

誰も助けてくれない所から始まってるから、悔しさが英語を覚え、悔しさが中国語を喋れるようになりと。

次はその悔しさの原動力はどこへ行くかっていう…」

 

 

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