窪塚愛流(くぼづかあいる) 21歳。
ドラマ「御上先生」では天才プログラマーを演じた。
父は俳優窪塚洋介さん。
ディレクター「似てますね」
窪塚愛流「ホントですか?僕の方が身長高いんですよ」
窪塚洋介「お、うるせぇわ」(笑)
ディレクター「どういうお父さんですか?」
窪塚愛流
「父親…すっごい怖い父親ではあるんですけど。
すっごい仲の良い友達のようなっていう風にしてくれました、父親が。ね?
友達の延長線みたいなね(笑)」
窪塚洋介「そう…そうらしいんでね」
今だから笑って話せるが、その道のりは苦悩に満ちていた。
偉大な父親がいる苦悩。
11歳…父の撮影についていった小笠原諸島
世界自然遺産に登録されている東京・小笠原諸島。
気候は亜熱帯。独自の生態系が育まれてきた。
窪塚愛流
「10年前、小学5年生(11歳)の夏休みに行った記憶があります。
(訪れたきっかけは)ドキュメンタリー映画に父親が呼ばれていて。
家族旅行でついて行ったことがあるんですよ、僕は。はい。
社会見学と家族旅行みたいな」
10年前ドキュメンタリー映画に出演する父と共に小笠原諸島へ(2020年公開「PLANETIST」)。
生涯忘れ得ぬ思い出を手に入れた。
小笠原諸島・父島に到着。
まずは当時1週間宿泊したホテル「ホライズン・小笠原」へ。
窪塚愛流
「うわーこの匂い、この香り(笑)。覚えてます。
駆け回ってましたね、確か。覚えてます。
まずそこの目の前の海で泳いで。山の中を探索するっていうか」
10年前、当時ホテルに泊まった時に窪塚洋介さんが書いたサイン色紙。
その父のサインの横に「愛流」と当時11歳で名前を書いた。(2015年8月27日)
(父島を歩く愛流さん。境浦海岸へ。そこには沈船 濱江丸が)
愛流「見えました、沈没船が。当時泳いで。沈没船まで泳いで行ったのはすごい覚えてて」
小笠原諸島は先の大戦末期に激戦地となった場所。
今なお不発弾が多く眠る硫黄島など、小笠原諸島には先の大戦の爪痕がそこかしこに残されている。
監督に「俳優に興味ないか?」と聞かれ「俳優になりたい」と即答…憧れだった父
愛流
「当時沈没船に乗って、立って、父親が何を感じるかみたいなのを撮ってたような気がするんですよね」
質問 父親の仕事風景を見て…
愛流
「あ、でも、芝居ではなかったんで。自然体だったので。
父親がこうすごい仕事をしてるかっていう境目が、正直あんまり僕は感じてなかったんですよ。
でも、それを撮るために豊田監督だったりカメラマンさんが一つに向かって全力で父を撮ってる姿は結構、おお~ってなりましたね」
半ば旅行気分で足を踏み入れた撮影現場。
優しく寄り添ってくれたのが豊田利晃監督だった。
愛流
「僕も僕で小っちゃい時シャイだったんで。
常にずっとずっと話しかけてくださってて。すごい嬉しかったっすね」
そんな豊田監督にかけられた一言で人生が激変した。
愛流
「まずここで、豊田監督にその「俳優興味ないのか?」っていうのを聞いてもらい。
自分で「俳優さんになりたい」って言い。
ずっと頭の中ではあって。
「いつかそういう表現者になりたい」っていうのはあったんですけど。
口に出して言ったのは初めてですし。
やっぱりちょっと、その当時は夢を口にするのが恥ずかしかったので」
俳優にならないかと問われた時、すぐに「なりたい」と答えた。
恥ずかしいと思う間も、躊躇する間もなかった。
自分でもびっくりするほど、即答だった。
愛流
「やっぱ。憧れの人がいたからですかね。父親が。
まあ今でもかっこいいですし、憧れますよね。
あの人にはなれないなって思います。
でも、僕にしかなれないものがきっとあるので、僕はそれを目指します」
父・窪塚洋介さんへの質問。
息子から「俳優になりたい」と言われた時は?
窪塚洋介
「ああまあ、「きたか」というか。
まああの、見せてきた面もあったんで。現場に連れて行ったりとか。
まあ、そういうのの影響もね、多々あったんだろうなっていうことで。
若干なんでしょうね。確信犯的なところもあったのかも分かんないですね」
愛流
「父親は多分、仕事で苦しいこととか葛藤するものがあったと思うんですけど。
僕はその姿を見たことがないので。ものすごい楽しい職業なんだなっては思ってました」
色んなものになりたかった…でも、俳優が一番かっこいい
(スタジオで)
今田耕司「自分の心の中では、俳優さんになりたいなっていうのはあったの?」
窪塚愛流「ありました。でも、絵を描くことも好きだし。で、おじがレゲエアーティストで」
今田耕司「あ、おじさんはレゲエアーティストなんだ」
窪塚愛流
「はい。なので、歌も。歌手、レゲエもいいなと思ったし。
母がダンスしてたんで、ダンスもいいなって。
でもやっぱり、俳優が一番かっこいいなとは思ってました」
今田耕司
「役者興味ないのか、ならないのかって言った時に、興味あるって即答した時に、「はっ!」ってなったの?」
窪塚愛流
「「はっ!」ってなったんですよ。要は自分は絵描きさんにもなりたいもあるし。
陸上選手になりたいっていうのもあったし」
今田耕司「ちょっと待って。陸上選手聞いてないけど!?」
窪塚愛流「あ、ホントですか?」
今田耕司「絵描くとレゲエとは聞いたけど、陸上は初よ。走るのも好きやったん?」
窪塚愛流「好きです 好きです。」
山本舞香「色んなことに興味があったんですね」
窪塚愛流「興味。今も興味津々ですね」
俳優としての自分はまだこれから
20代は人生の第2章…自分はまだ形が定まっていない粘土のような俳優
翌朝、訪れたかった小笠原諸島「南島」へ。
ここは、南北約1.5㎞、父島東西沖に浮かぶ約400Mの無人島。
南島の「扇池」はサンゴ礁の隆起と沈隆により生まれた白砂のビーチ。
窪塚愛流
「なんか10代って第1回目の自分の基盤を作るじゃないですか。
で、20代はそれをベースにまた新たな基盤を作って。
僕は新たな第2ステージというか、第2章みたいな感じがするので。
そういう時にこういう自然を身体で感じられることって、この先大きな意味があるような」
南島からの帰路、イルカに遭遇。
小笠原諸島周辺の海には、野生のイルカが生息する。
型にとらわれず、独自のポジションを築き上げた父。
いざなわれるかのように同じ道を歩み始めた息子。
窪塚愛流
「そうですね。まだ分からないことだらけですね。
なので、自分がどういう俳優かって聞かれると、自分じゃ答えられないですし。
粘土のような。まだ形が定まってない。
元々の土台の粘土をこねつつ、日々過ごす中で色んな色の粘土を足して、またこねてみたいな。
たまにはちぎれては、またくっつけて」
父・窪塚洋介さんへ質問
ディレクター「息子が同じ職業をしてるって…」
窪塚洋介
「うん、まあ心配もありますけど。まあ、しててもしょうがないんで。
もう信じてというか、うん。まあ期待して、あのいるという感じですよね」
舞台に挑戦
自信がつくまでやりたくなかった…間違いが許されない舞台という場所
昨年(2024年)、初めて舞台にも挑んだ。(舞台「ボクの穴、彼の穴。W」)
それは、分厚い壁を乗り越えた瞬間でもあった。
窪塚愛流
「元々、舞台をやりたくないと思ってたんですよ。
やっぱ生なので。正直、間違いが許されないというか。
で、ある程度自信がついてから、その臨みたかったんですけど」
何度も何度も口説かれ、ようやく重い腰を上げた。
窪塚愛流
「ここまで自分のことを見て、信じてくださってる方々がいるのに。
そんなできない理由を探してばっかりの俳優、大人って格好悪いなと思って」
劇場で足がすくみ、立てなくなった
自信なんてなかった。恐怖に押しつぶされそうになった。逃げ出したかった。
窪塚愛流
「それで言うと、小屋入り。
本番がある2日、3日前ぐらいに台の上で感じを掴むみたいな。
小屋入りして劇場に着いた時に、あの…足がすくんじゃって。その廊下で。
もう立てなくなっちゃって。四つん這いになっちゃって。歩けないですって。
プレッシャーとついに(公演の)日が迫ってくるっていうものをこう身体で実感して」
※小屋入り=公演直前に劇場に入り、稽古や本番の準備を行う事。
質問 初舞台を終えて、どんな変化が?
窪塚愛流
「やってみて、ものすごい自信はつきましたし。
やっぱり挑戦してみて良かったなと思いますし。
人って僕、その自分がビビるぐらいの事をしないと、自分の中で変化しないものがある。
僕の中で俳優として今こうして立たせていただいてる中で、自信がなかったことが一番すごい悔しかったことだったので」
父への想いと自分の人生
父は憧れだが、父とは違う自分の道を歩みたい
恵まれている。否定はしないが、人一倍重い宿命も背負った。
窪塚愛流
「自分は、父親の背中を見て憧れて。夢をもらったので、父親に。
息子って。二世。それは僕も重々承知だし、嬉しいのもあるんですよ。
でもやっぱり、僕を通して父親を見てる人がすごく多かったんですよね、昔から。
どこ行っても…僕の話はしないんですよね、みんな。
っていうのが、嬉しかった反面、悲しかったし悔しかったから。
自分のまあ…生きてる意味を探してるし。
それを今作ってる途中っすね。こねてる。
別に父親に憧れたからと言って、父親になろうと思ってないし。
僕は僕の道を僕なりに僕のペースで歩み続けたいなって」
当初は父を頼り、芝居の相談もした。が、はたと気づいた。
窪塚愛流
「段々「あ、だめだ」って思ったんですよ。
父親に聞くのは、最後の最後の切り札にしようって思ったんですよ。
要は、似てるし、似てるって言われるし。
その人に芝居を教えてもらってしまうと、もう父親になるんじゃないかと。
僕はなりたくないんで。
自分はまだ自分の色がないし、それを探してる道中で。
そこで父親のね、今までの経験値を聞くと、もちろん攻略本ではあるんですけれど…。
近道をするのは違うなって思って」
どれだけ遠回りになろうと、己の道を切り拓く。
愛流らしさを、替えのきかない個性を手に入れる。
窪塚愛流
「憧れて近づけば近づくほど一緒になるのが嫌なんで。
憧れつつも全然違う道に。
父にはできなかったことだったりとか、しなかったことだったりとか。
僕にしか辿れないものを辿る。
要は、同じ山を登ろうとしてない。
僕にしか登れない山を登ろうと思ってる」
世界に出たい
俳優として自信が芽生え、野心に火がついた。
実は密かな野望がある。
窪塚愛流
「世界に出たいですね。その前に英語勉強しないといけないんですけど(笑)」
ひるまず挑めば、新たな世界が開けると分かった。
まだまだ殻の中。
一枚ずつ破っていけば、いつか父も見たことのない景色に辿り着ける。
父・窪塚洋介さんから息子・愛流さんへメッセージ
父の期待を超えたい
窪塚洋介
「そのまま真っ直ぐ進んでよかったねって言われるように、今真っ直ぐ進んでください。楽しみにしてるぜ」(スタジオの愛流さん「はい」)
(スタジオで)
今田耕司「お父さんからね、エールがありましたけど。どうですか?」
窪塚愛流「ね?ちょっと泣きそうになりましたね」
今田耕司「「楽しみにしてるぜ」ってあんな、なかなか面と向かっては言ってくれないでしょ?」
窪塚愛流「そうですね。期待を超えたいと思います」
今田耕司「その期待を超えたい?」
(うなずく愛流さん)
窪塚愛流
「信じて良かったなってみんなが思ってもらえるように僕も思われたいし、本気でこれからも走り続けます」
島に別れを告げる日。(週に1度の父島から東京への出港の日)
(船の上から港で見送る人に向かって叫ぶ愛流さん)
窪塚愛流「いってきまーす!」
見送る人々「いってらっしゃーい!」
窪塚愛流「いってきまーす!」
小笠原では、別れ際「さようなら」ではなく「行ってきます」「いってらっしゃい」で送り出す。再会を誓って。
まだ21歳。伸びしろは無限。
形を自在に変えながら、様々な色に染まって、いつかまた帰って来る。
胸を張って「ただいま」と。
窪塚愛流
「また帰ってこれますよう…に!(花の輪っかを海に投げる愛流さん)
もっともっとビッグになります!(緑の小さな葉っぱの輪っかを投げる愛流さん)
ありがとうございました!!」
