【人生最高レストラン】俳優・國村隼(じゅん)さん 海外監督との出会いと秘話!「エンジニア志望から俳優の道へ」(2025年2月15日放送)

深みのある渋い芝居で、映画やドラマに欠かせない存在

加藤浩次「日本だけにとどまらず、世界の作品もやっぱ出られてますもんね」

國村隼「映画に関してはそうかもしれないですね」

國村隼さん主な海外出演作品
・1989年アメリカ「ブラック・レイン」(ヤクザの子分役) リドリー・スコット監督
・1992年香港「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」(殺し屋役)ジョン・ウー監督
・2003年アメリカ「キル・ビル Vol.1」(ヤクザの親分役)クエンティン・タランティーノ監督
・2023年韓国「犯罪都市 NO WAY OUT」(ヤクザの親分役)イ・サンヨン監督

國村隼「(ブラック・レインは)松田優作さんの子分ですね」

島崎和歌子「ヤクザ、殺し屋、ヤクザ、ヤクザ」(笑)

 

映画「キル・ビル」出演秘話

タランティーノ監督に呼ばれ、その場で台本読み

加藤浩次「え、俺あれ聞きたいんだけど。「キル・ビル」。タランティーノ(監督)どうだったんですか?」

國村隼「いやあの、クエンティンとのあれは…」

加藤浩次「クエンティンって呼んでんですか?」

國村隼「いや彼は、「クエンティンでいいよ!」って言って」

加藤浩次「あ、もう気さくなんですね」

國村隼「そうなんですよ」

加藤浩次「あれ日本で撮りましたよね?」

國村隼
「そうだよ。あのー「キル・ビル」の準備の時に、日本で色々…彼は時間が空くとすぐに、こう映画のDVDを観るらしく。
その観たうちの1本に僕の出番があったんですよ。

それで急に(タランティーノ監督が)「この役者に会いたい!」って言いだして。
で、その時に彼の部屋に行って。
ちょっとこれ読んでくれ」って言われて。
「はあ?」って言ったら、ペラッとした1枚にその状況が書いてあって。
僕が相手役やるから、ちょっとやってみてくれ」って言って」

加藤浩次「え、じゃあ、クエンティン相手に(芝居を)やったってことですか?」

國村隼「そうです そうです。ほとんどオーディションみたいなことになっちゃう」

加藤浩次「え、すげぇ!で、その場でOKだよって感じだったんですか?」

國村隼
「いや「スケジュール空いてるか?」って言うから、「さあ…?」って言って
「この役どう思う?」って言うから、「う~ん…ものすごくステレオタイプなヤクザだね」って言って」

加藤浩次「うん。はっきり言ったんですね?そしたら何て言いました?クエンティンは」

國村隼「「ああ…」って」(笑)

 

エンジニア志望だった

車を設計し、造るのが夢だった

加藤浩次「役者には興味なかったんですか?」

國村隼
「いや~僕はもともとエンジニア志望で。
工学系の勉強をしてたのでございます。
車が大好きなんですよ。今も好きですけど」

加藤浩次
「もう車雑誌で何回も(國村隼さんを)見てますよ。
國村さんが出てきてるんです。ね?國村さんね。
(雑誌)『ENGINE』に出たりとかしてますよね?
うわ、好きなんだな~と思って見てますよ」

國村隼「あらまぁ。お好きですね?じゃあ」

加藤浩次「僕結構好きなんですよ」

國村隼「何乗ってるんですか?」

加藤浩次「今はポルシェの古いやつ。(ポルシェ)964乗ってる…」

國村隼「964?(僕は)ナロー(ポルシェ)」

加藤浩次「ナロー持ってんの?めっちゃ自慢されたわ」(笑)

國村隼「ちょっと勝ったかも(笑)」

加藤浩次「ナロー…ナローはもう初期型のやつです。でもあれ、夏場乗れないでしょ?]

※ナロー(ポルシェ901)…1963年~73年ごろまでに製造されたポルシェ911の初代モデル

國村隼「ううん」

加藤浩次「クーラーついてないでしょ?」

國村隼「もちろん。汗だくで乗ってます(笑)」

加藤浩次
「ナロー(ポルシェ901)(1963~73年)があって。(ポルシェ)930(1974~89年)、(ポルシェ)964(1989~93)っていう順なんですよ。
僕は964で、クーラーも効いて、全然乗れる」

國村隼「930はいいですよね」

加藤浩次「930いいですね~。え⁉そんなに好きだったんですか?車が」

國村隼
「もう好きで。ウチの父親がね、外車の販売のディーラーに勤めてたんですよ。
で、たま~にオペルとかっていう、今はもうない…乗って帰ったりしてて。
で、それを見て子供ながらに「へぇ~かっこいいなぁ」と思って。
で、それから車好きになって」

※オペル…ドイツの自動車メーカー。2006年に日本市場から撤退

加藤浩次「ってことは、車をいじる方に?」

國村隼
「いや、車を造りたかったの。設計をして造りたい
だから、ちょうど本田宗一郎さんがまだバリバリやってらっしゃった頃で。
ああ、将来的にホンダに入って、設計したいなぁと思ってた」

 

高専に行くも、数学が向いてないと分かり中退

加藤浩次「え、じゃあもう決まってるわけじゃないですか、進路は」

國村隼
「それで、高専という所に行ったんですよ。
で、そこの機械工学科入ったんですけども。
入ってみて分かったのが、自分には数学というものが向いてないなと」

加藤浩次「え?向いてる向いてないあるんですか?」

國村隼「ありますね」

島崎和歌子「でも、好きだったらできるじゃないですか、そこに向かって」

國村隼「うーん、ねぇ?でも…(笑)」

加藤浩次「数学出来ないとやっぱり。空力(=空気力学)みたいなのもありますし」

國村隼
「そうですよ。大変ですよ。でも頑張ったんですよ、私なりに。
で、なんかもう訳の分からん理論物理学がどうのこうのとか。
車造るのには関係のない…」

加藤浩次「いや、関係あるでしょ?」

國村隼「いや、関係ないっすよ」(笑)

加藤浩次「関係あるから勉強すんじゃないですか(笑)」

國村隼「だって原子の動きがどうのこうのとか。なんだこりゃ?っていう」

加藤浩次「思って。で、嫌になっちゃったんですか?」

國村隼「思ってるうちに…。で、まあそれで、その学校を5年間やらなきゃいけないのを…」

加藤浩次「高専は5年ですもんね」

國村隼「うんうん。4年でドロップアウトしたんです」

 

友達に誘われ、NHKの劇団研究生募集に応募し合格…ものを作っていく過程が楽しかった

加藤浩次「あら。あと1年なのに?どこ行っちゃったんですか?」

國村隼
「あ、うん。ずっと暇にしてたんですよ。
で、暇にしてて、やることもなく、アルバイトしかしてなかったときに。
小学校からの友達が1人いるんですけど、そいつが電話かけてきて

で、たまたまやけど、僕小学校の時っていうのはそいつと一緒に演劇部ってのがあったんで、入ってたんですよ。
で、そいつが、「NHKの(劇団)研究生募集してるぞ」って言って。
「どうせお前暇やろ?」。
「もう暇でしょうがない」と。
「そんなら、受けてみろ」って(笑)
受けたら、通っちゃったという。

それで、レッスン期間が1年半ぐらいあって。
その時に初めてお芝居というものに触れるわけですよ」

島崎和歌子「その時に~!?」

加藤浩次「楽しくなったんですか?それで」

國村隼
「うん、それがね。やっぱりものを作っていく過程が好きなのかもしれないです。
例えば車を1台造るのとお芝居を1本作るのとって、たぶん工程は一緒なんですよ」

加藤浩次「ほ~。設計図がまずあって、台本があってみたいな」

國村隼「そう。そのものは違うけど。必要なファクターは全部共通やなって思うよ」

加藤浩次「え?役者さんは何にあたりますか?

國村隼「役者はだから車でいうたら、外身のデザインとか。見てくれの方」

加藤浩次「が、役者さん?エンジンは?」

國村隼「作家さんかな」

加藤浩次「あ~脚本家さん」

國村隼「ほんでその色んな全体をまとめあげるのがディレクター、演出家」

加藤浩次「照明さんは?」

國村隼「ヘッドライト」(笑)

加藤浩次「音声さんは?」

國村隼「クラクションでしょ(笑)」

 

30歳くらいまでバイト

映画「ブラック・レイン」のオーディションに合格

加藤浩次「そこから順風満帆にいったんですか?」

國村隼「いや、全然」

加藤浩次「食ってけないですよね?」

國村隼「もう、全然」

加藤浩次「バイトしながら?」

國村隼「バイトしながらね」

加藤浩次「それ何年ぐらい続きました?」

國村隼
30(歳)手前まではやってたような気がしますね。
で、そういうちょうどもうそろそろこの先…でも、これいつまでこんなことやってられんねやろっていう時に、(ハリウッド映画)「ブラック・レイン」が日本のしかも大阪で撮るっていう、そういうちっちゃな記事が。

それで、「ブラック・レイン」のオーディションに行けた

で、それでもしリドリー(・スコット監督)が「君じゃない」って言われたら、もう必要とされてない者は役者とは言えないかなと思って。
だから、リドリー(・スコット監督)に下駄預けようと(笑)」

加藤浩次「え⁉もしかして「ブラック・レイン」のオーディションに落ちてたら…」

國村隼「うん。やめてたでしょうね、たぶん」

加藤・島崎「え~!!」

國村さんは当時33歳。オーディションを勝ち抜き、松田優作さん出演のクライム・アクション「ブラック・レイン」(1989年)に出演。

 

出演した2本の映画の予算の格差(1000万と60億)…でも、どちらも面白かった

國村隼
「僕ね。変なキャリアでね。
最初『ガキ帝国』っていう映画、井筒さんのね。
あれが初めての映画で。
2本目が「ブラック・レイン」なんですよ。」

※映画「ガキ帝国」…井筒和幸監督。1981年。大阪の不良少年を描いた青春映画

加藤浩次「すげぇ!」

國村隼
「ガキ帝国」1000万(円)の予算「ブラック・レイン」60億(円)の予算
2つしか経験してないのに、全く違うものを経験することができたんですよ。
でも、どっちも面白いんですよ、映画として。ね?
だから、お金でもないんだって、映画って
なんておもしろいメディアだろうって思って」

加藤浩次「そっか。その2つ経験できたのは大きかったですね」

國村隼「映画というものに対する感じ方も見方も違ったかもしれないですね」

 

韓国映画「コクソン」で韓国最高峰の映画賞を受賞

何度も撮り直し、なかなか終わらない撮影の思い出

加藤浩次「色々海外もやられてるじゃないですか。印象に残ってる作品ってあったりしますか?」

國村隼
「やっぱりあの、「コクソン」っていう。あのー10年前くらいに韓国映画をやったんですけれども」

韓国で大ヒットしたサスペンススリラー映画「コクソン」。
この作品で國村さんは外国人初となる韓国最高峰の映画賞を受賞(青龍映画賞 男優助演賞)

國村隼「なによりその監督のナ・ホンジンというのは、普段はあのすごく紳士なんですよ。優しいし。現場入ったら、鬼になるんですよ」

加藤浩次「え?どういうことですか?」

國村隼「終わってくれない

加藤浩次「ワンシーンをずーっと撮るということですか?」

國村隼
「そう。彼は現場にもあの編集のエディターを1人連れて行ってて。
もう現場でも撮ってすぐ(映像を)繋いで編集して。
で、見て、じゃあもういっぺん、これはこうして、ここを変えて撮ってみようと。
延々やるんですよ」

加藤浩次「じゃあ、お芝居という部分じゃないところでダメなこともいっぱいあるっていうことですね?」

國村隼「そう…ですね」

加藤浩次「ね?腹立って来ませんでした?」

國村隼
「(うなずく)。あの~一番困ったというか…ムカッとしたのは、死体になってる状況やって。ハイウエイで。土砂降りの状況なんですよね。
で、そこで倒れといてくれと。
それで、ほぼほぼ引きですよ」

加藤浩次「だからもうなんか、人がいるな~ぐらいにしか見えない?」

國村隼
「そう。人が横になってるのが、雰囲気としてあればいいわけで。
ほとんど人形でええやろと。(笑)
寄りはワンカットぐらいあったかな。うん。
で、あと死体になった時に、ほったらかされてたんですよ。
…と感じたのね。
ほったらかしてはないのかもしれないけど。
これはどう考えてもおかしいぞと。
あん時はさすがに「もうこの1テイクでやめてくれ」って言いました」

加藤浩次「あ、それ言うんですね?やっぱり」

國村隼「うん。少なくともあの現場では言いましたね。「もうあと2回でやめてね」とか」

加藤浩次「え?そんな優しくないでしょ?」

國村隼「え?いやいや、そうですよ。それはお願いやから」

島崎和歌子「もうちょっとドスきかせてね?」

國村隼「いや、1回でも、「ナ・ホンジン!!」って怒鳴ったことあったかもしんない」(笑)

 

 

この仕事が大好き

難しいから面白い

加藤浩次「どうですか?今後國村さんはどのようにしていきたいとかありますか?」

國村隼
「今自分がこれやってる仕事が僕は大好きなので。
いつまでたってもこれは難しいから、その分面白いし。
自分が登りたいなと思ってた若い時の山と今の山ってたぶん随分変わってると思うんやけど。
前までは明確に山やったんですけど。
今は山かどうかもちょっと分からん。
目指すものが山の頂きだったものが、それが別のものなのかもしれないなと思い出してるんですよ。
山の頂のイメージじゃなくなってきたかな」

加藤浩次「登るものでもないってことですか?」

國村隼「うん。ひょっとしたらね。だから、なんなんだろうっていまちょうどそんなことをボヤ~っと考えてる時で」

加藤浩次
「何かだから人間が上達してってるとかスキルアップしてく時には、山をイメージして、登ってくイメージってみんな持ってると思うんですよ。
どんな仕事やられてる方でも。それが違うかもしれない?」

國村隼「うん。かもしれないなって最近思ってて。」

加藤浩次「それは何かは分からない?」

國村隼
「分からない。だからこれからそれが自分の中のイメージが明確になってきて欲しいかなっていうのがこれから(笑)」

 

國村隼さんの最高の一品

1品目 大阪天神橋筋商店がい お好み焼き「千草」

キャベツを食べたい。今の自分の好みに合ってるお好み焼き

2品目 たこやき 「うまい屋」 銅板で焼いている 二重焼きしている

いつも大量買いする お好み焼き千草から徒歩5分
小さい頃からたこ焼きを食べてきた國村隼さんがずっと食べたいと思うたこ焼き
今は東京なので、ここに行ったら、160個くらい買う。買って冷凍しておく。

3品目 大阪「大御所」 どて焼き

NHKの劇団時代に食べた。稽古場の近くにあったお店。
「自分が何者でもない時に、お店の大将が色んなあったかいものをくれた(お世話してくれた)。
お金ないの知ってるから、「これ食べ~」とくれたり、「(演劇の)チケット持っておいで」と言ってくれたり」

 

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