全世界配信のドラマ「イクサガミ」
主演+アクションプランナー+プロデューサー
岡田准一が目指す世界はクレイジーだ。
大規模な予算を投じ、全世界に配信するドラマシリーズ「イクサガミ」。
タッグを組むのは2回目となる藤井道人監督。今最も注目される監督の1人。
幕末が終わった明治時代の話。
主演を務めるだけでなく、アクションプランナーとプロデューサーも兼ねている。
岡田准一
「連日体力勝負っす。
俳優とかってキラキラしてる感じありますよね。ドロドロっすよ(笑)」
スタッフ
「あの、先日真田広之さんが「SHOGUN 将軍」でまあ国際的な評価受けたじゃないですか。
やっぱりちょっと意識するものなんですか」
岡田准一
「そうっすね。やっぱすごいっすよね。
あのー世界に認められるっていうものをステップを果たした真田さんのチームというのもリスペクトっていうか、すごいなって本当に思うし。
じゃあ、その次僕らがやれる事というか。
日本のキャストでスタッフ全員で撮ってるので。なんか世界を驚かせるっていう。
あいつらクレイジーだぜ!って(笑)あの言わせたいっていうのが目標」
様々な武術・格闘技を習得
これまで20年近くかけ、さまざまな武術や格闘技を修得してきた
USA修斗(総合格闘技)、ジークンドー(始祖ブルースリー)、カリ(東南アジア発祥の武術)、剣術、ブラジリアン柔術
殺陣の指導には、岡田の呼びかけで日本のトップクラスが集結していた。
中には映画「キルビル」を担当した殺陣師島口哲朗さんの姿も。
島口さん(殺陣師)
「今回初めてご一緒してますけど、やっぱり世界基準なんじゃないかなっていう。
特に今日やっているこのシーンとかはごまかしがある意味利かないというか。
すごくリアリティーもあるし、エンターテインメント性も高いし、そこへの挑戦があるような気がします」
岡田准一
「僕が大事にしてるのは、動きが単なる動きでカッコいいじゃなくて。
キャラクターがどう見えてくるかっていう。
セリフだけじゃなくて、アクションでもそれが見えるっていうのが、自分の振付のテーマとしてある」
何度も撮影する階段落ちのシーン。
納得がするまで夜中遅くまで何度も繰り返す。
撮影は深夜、そしてまた翌日撮影をすることに。
世界に「他にない」と言われるクレイジーな作品に
岡田は、映画「イクサガミ」を編集する若いスタッフを訪れた。
岡田准一
「世界の人たちがみたときに、こいつら攻めてるなっていうか。
あの、編集ナウいなって思わせる。
こいつらマジイケてんなっていう所にいけたらいいよねっていう願いがあった。
世界に持って行って、日本のこいつら若いクリエイターめっちゃオモロイよなってなるには、もう1個クレイジーっていうか。世界にないよね他にって言ってもらえる。
この組にしか出せない新たな「イクサガミ」っていうその時代劇っていう撮り方とか編集の仕方を見つけれたら勝てるっていう、世界に。
狂っていこうぜ!(笑)」
とことんやったものにしかたどり着けない場所がある。
岡田准一さんの人生
10年ごとに変えてきた生き方のスタイル
撮影の合間に声をかけると、ふと自らの人生を語り始めた…
岡田准一
「変わらないと終わるってことは分かってたので、自分が。
10年ごとにそのスタイルを変えてきたっていうか。
14(歳)で(芸能活動を)始めたんですけど。
14~24(歳)まではアイドル期だし。
24~34(歳)までは俳優になろう期
34~44(歳)は俳優期
44~54(歳)まではもっと深くプロデューサーとか表出てやっていくっていうのが、これが44のと歳。(44~54(歳)は俳優兼プロデューサー期)
24(歳)くらいが一番僕キレイだと思います(笑)アイドル期のトップ」
デビュー前:小2で両親が離婚…「生きること、男ってなんだろう?」
1980年 大阪・枚方市生まれ。
小学2年生の時に両親が離婚。
その頃から不思議な感情が芽生え始めたという。
岡田准一
「片親になった時にすごい思ったんです。
生きる事とか、男ってなんだろうとか。
僕最初に持ったメールアドレス…フランス語で「答え」っていうアドレス。
相当病んでましたね。(笑)
真理とか答えとか」
14歳~23歳:アイドル期 「芸能界デビュー…V6メンバーに」「お金がなくもがく日々」「ドラマ木更津キャッツアイに出演」
強く育って欲しいと願った母は、14歳の息子を1人で東京に送り出し、やがてアイドルグループV6のメンバーとなった。
当初はお金もなく、目指すべき場所を探してもがく日々が続いた。
岡田准一
「色んなことを。じゃあ、どうやって生きていくんだとか。
これやり切れるのかとか。
高校でそばばっか食べてましたとか冗談で言ってるんですけど。
まあ単純にお金がなかったっていうか。
自分のことなんか才能なんて感じれないし、もたないと思ってるんで。
もしかしたらやめるかもしれないってなってた時に、(ドラマ)「木更津キャッツアイ」で主演が20(歳)ぐらいの時に19かな?ぐらいの時にオファーが来たんですよ」
24歳~33歳:俳優になろう期「日本アカデミー賞受賞」
それをきっかけに、24歳からの10年、俳優になろう期を突き進んだ岡田。
33歳の時に公開された2つの映画で、史上初となる第38回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞(「永遠の0」)と最優秀助演男優賞(「 ノ記」)のダブル受賞を果たした。
34歳~42歳:俳優期「先輩の励まし」
そして34歳からの俳優期。
支えとなったのは、先輩たちからの励ましだった。
岡田准一
「渡哲也さんとか緒形拳さんとか田村正和さんとか、原田芳雄さんとか。
「岡田頑張ってね」みたいなのを先輩たちにすごい言われてきて。
俺たちが時代を変えていくみたいな。
ずっと夢なんで。日本産のものを作って世界に売る」
43歳:独立
2023年11月 43歳で独立。アイドル活動に区切りをつけた。
岡田准一
「当時アイドルとして応援してくれていた人には可哀想なことしたかもしれないですけど。
どんどんゴツゴツになっていくとか、変わっていくことは僕は止めてないので。
それでダメだったら、もうしょうがないですよね。」
ふとした立ち話が、気づけば1時間以上。
自分は商品
アイドルとして格闘してきた男には、貫いてきた思いがある。
岡田准一
「14(歳)から商品として(自分を)とらえてるんで。売りもんですからね。
なんかすごい嫌な言い方ですけど。
面白いもんを作れるんだっていう希望にすがりたいのはありますけどね。
なんかそこだけが自分の30年間やってきてすがれる場所っていうか。
って言うのはありますけどね」
尊敬する厳しかった母
「自分で生きれる人になって欲しい」「やってはいけないことは厳しく叱る」
自らをとことん追い込む岡田が尊敬してやまない人。
それが、母だ。
1980年、大阪・枚方市に生まれた。
小学2年生の時に両親が離婚。ピアノ教師をしていた母に、厳しく育てられた。
14歳で上京。アイドルの道を歩み始めたのも、息子の自立を願う母が、勝手にオーディションに応募したからだった。
岡田准一
「自分で生きれる人になって欲しいっていうのをすごく僕に思ったらしくて。
で、僕もそのー「お母さん お母さん」みたいなことが、小学校の時あったから。
それで結構突き放したらしいんですよね。あえて。
だから、あなたの面倒はみませんと。
自分で考えて自分で行動して、あなたは自分で家族を作っていく人だから、ちゃんとしてください。
だからすごく怒られたことがあるのは、女の人にこうビー玉を投げてしまって、女の子の顔に当たった時に、僕2階からぶら下げられたんですよ。
女の子にそういうことするのだけは、一番いけないって言って、反対につるされて。
分かってんのかっていう。
母親すごいんですよ、うちの。強いっす。
全然連絡取ったりなんかしないけど、自分の核となった、それこそ自分がこの人の子どもだった。
自分の子どもとうちの繋がりっていうのは、なんかすごい感じる年齢にはなりましたね。
感謝してますよね。尊敬してるっす。格好いいなって思います」
ピアノの先生だった母…新たな映画のため、ピアノのレッスンに
岡田はピアノのレッスンに通っていた。
このレッスンは、新たな映画のため。上を向いて歩こうの作曲家中村八大の半生を描く。
スタッフ「もともと(ピアノ)多少やってたんですか?」
岡田准一「小学校の時に、母親がピアノの先生なので。小学校の時にやってて」
スタッフ「好きなことは好きなんですか?」
岡田准一
「いやだから、あのー母に教わっていたのを思い出すので、楽しいです、今は。
当時はやっぱなんかそんなに。ちゃんとやらなかった小学生だったですけど。
今はなんか…母は喜ぶなっていうのは。
ああ、こんな面白かったんだっていうのは。今の方が面白いですね。
母が喜びます」
俳優という仕事のために…
週6日 ブラジリアン柔術の稽古を一般の道場生と一緒に
全ては面白いものを作るために。
岡田の日常には欠かせない時間がある。
ブラジリアン柔術の稽古。一般の道場生と共に汗をながす
スタッフ「週どれぐらい練習されてるんですか?」
岡田准一
「基本週6ですかね。
休み方がよく分からない状態で仕事してきてたから。
まあ、アイドルってそういう職業なので。
休み方がよく分かんないっていうのは正直あるんですけどね。
本能、欲につながることをまあアクションで表現できるようになりたいと思っていて。
ライオンが捕まえて、シマウマが諦める瞬間とか。
一瞬にしてグワって入って捕まえて、うわ逃げられないというのが、説明じゃなく見ている人に感じさせることができたら、これは一個なんか芸術になると思っていて」
いろんな人生を演じるから、「普通」でいたい
岡田准一
「俳優さんって暮らしが出るんで。なかなかやっぱりアイドルやってると、普通に生きれないので。
普通でいたいって願い続ける生き方をしてきたんですけど。
やっぱ迷惑かけるんで。あ~ってなったりしたら。やっぱ帽子かぶったこの世界だけになっちゃうし。
なんか人気があるってことは、何かの代償があるので。
だから、人気者の螺旋には乗らずに、どうなんか日々の暮らしを大事にしていくかっていう。
いろんな人生演じるんで。普通に…普通に生きたいっていうか。
それがやっぱり、こういう練習を毎日。
暮らしの中にこういう練習が毎日あるって感じですね」
まだ未完成…全盛期はこれから
まだ伸びしろがある「54歳からが本当の岡田…64歳が全盛期」
取材の最終日に問うた。岡田准一はどこへ向かうのか?
岡田准一
「自分に飽きたくないということをすごく願っていますよね。
54(歳)からが僕の本当の岡田だと思って、20代前半から過ごしてるんで。
まだ未完成なんですよ。(笑)
まだ伸びしろある(笑)」
スタッフ「10年後ってこと?」
岡田准一
「はい。子どもの頃に決めたのでは、54(歳)である程度完成して、64までが全盛期っていう。
僕の全盛期まだ来てないんで。僕ん中ではね(笑)
まだ伸びしろあるっす、たぶん。
…と信じて、未来に諦めてない。
だからまだ続けられる」
24歳~俳優になろう期
34歳~俳優期
44歳~俳優兼プロデューサー期
54歳~64歳全盛期