山崎育三郎「サングラス越しから見える目が優し~い。優しい方っていうのが」
ATSUSHI「いや全然。ありがとうございます」
山崎育三郎「2年前に体調不良で休養されてたって伺ったんですけど」
ATSUSHI
「1年半ぐらい前に、インドに行く機会がありまして。
自分が思ってた常識とか当たり前とか、1回こう見つめてみたというか。
すごく僕はこう自分で自分の首を絞めてたとこもあったんだなっていうことに気づいて。
まあホントにまあ大袈裟ですけど。ちょっと生まれ変わったような感覚というか。
まあそん時に買った洋服であったりとか。はいそういうものを(身に)付けてきました今日は」
サングラスをかけるようになったキッカケ
カメラを見てアピールが苦手…サングラスをかけたら歌に集中できた
ATSUSHI
「あんまりこうカメラを見てアピールするみたいなのが結構苦手で。
なんか歌ってるうちに、どう見られてるかが気になって。歌に集中できなかったなって思う回数が増えたんですよね。
どうすればこれ解消できる?でも歌うことは続けたいし、好きだしっていうので。
タモリさんとか井上陽水さんとかサングラスかけてらっしゃるじゃないですか。まーちん(鈴木雅之)さんとかもそうですけど。
あ、なんか僕も(サングラス)かけてみようかなって思って、かけて歌った時に、少し歌に集中できたんですよね。はい」
井桁弘恵「色んな周りからの影響っていうのをこう感じやすいタイプ?」
ATSUSHI「そうですね。感じやすいタイプだったかもしれないです」
幼少期
おちゃめから内気に…身長が急激に伸び、目立つように
山崎育三郎
「恥ずかしがり屋っていうのは、どっからきたんですか?もう子どもの頃からなのか。どんなお子さんだったんですか?幼少期は」
ATSUSHI
「3歳か4歳までは結構こうおちゃめな感じだったと思うんですよね。
やっぱ割と明るい感じだったんですけど。
そこから結構こう小学校5年生ぐらいまで、すっごい内気な子になっちゃったんですよね。
で、その後に、小学校4年生から5年生、5年生から6年生の2年間で、身長が25㎝伸びてしまって。
なので、小学校6年生の時、僕170㎝あったんです。はい。
で、今175㎝しかないんで。
もうほぼこの(今の状態の)小学生だったんすよ。
これだったんですよ小6で」
山崎育三郎「それで何か変化ありました?気持ちとしては」
ATSUSHI
「それで結構あの~…まあ、目立つようになってしまって。
結構控えめだったんですけど。まあ、スポーツも苦手な方じゃなかったんで。
まあ、走ると表彰台に上がらなきゃいけなかったりとか。学級委員長やらされたりとか。
やらされたりっていうか、まあ…先生から「やったらどうだ?」とか勧められたりとかして、少しずつこう前に出るように…こうリハビリが始まるみたいな感じで」
井桁弘恵「そんな人生を見てきたお母様にもお話を伺っています」
歌手の道へ
母からの手紙「好きなことが見つかって本当に良かった…ずっと歌い続けてほしい」
『息子へ
幼稚園の時はとても恥ずかしがり屋で、ピアノの発表会の時を思い出します。
小学校では運動会の時の事です。
ちょうどテレビで世界陸上が放送されていて、カールルイスのフォームをまねしてリレーを走っていました。
そんな中、中学校の同級生がバンドをしていて、ボーカルを探してたようですね。
高三の時、音楽の専門学校に行きたいと言われ、好きなことがあって本当に良かったと思っています。
クリスマスイベントで1年目は久保田利伸さん。2年目は平井堅さんの曲でした。
どちらも私には素晴らしかったです。
そして、あっという間に25年が過ぎてしまいました。
50才になっても、60才になっても、70才になっても歌ってほしいです。
ライブの時、息子が頑張ってるのだから、私も明日から負けない様に頑張って生きようと思い、勇気をもらっています。
母より』
山崎育三郎「いかがですか?お母様のお手紙」
ATSUSHI
「いや、感動しますし。まあ最初の方は僕への手紙というよりは、僕の人生のガイドをしてくださって…」(笑)
高校生でバンドのボーカルに…初めてスタジオで歌った時「これたぶん一生やる」
山崎育三郎「初めてその「歌をやりたい」って言った時は、どういう」
ATSUSHI
「高校生ぐらいの時にバンドに誘われて、ボーカルをまず始めたんですけど。
初めてスタジオ入って歌った時に。
カラオケと全然違うし、上手に歌えない。でもこれたぶん一生やるって思いましたね、その時」
山崎育三郎「え~!それはなんでなんですか?」
ATSUSHI
「理由なき説明できないなんか楽しさっていうか情熱みたいなのブワーッと湧いてきたんですよね、なんか。
こう恥ずかしがり屋だった自分が…あ、もしかしたらそれかもしれないですね。
ウワーッっと声を出したときに、その…内側から湧き上がってくるものがなんかすごい。
あ、これなんだ!っていう風に思ったのかもしれないですね。」
友人にインタビュー
スポーツ万能、勉強できる、真面目、リーダー的存在
井桁弘恵「ここでですね。学生の頃からATSUSHIさんを知るご友人たちにお話を聞いてきました」
中学の後輩で、現在も共に音楽活動を行うボーカル・KIKURIさんと作曲・MORISHINさん。
地元は埼玉県北越谷
MORISHINさん
「先輩が中3の時中1で。サッカー部の部長が先輩でした。
スポーツ万能。勉強もできる。スーパースターでした。」
スタッフ「ご本人的には昔から恥ずかしがり屋」
KIKURIさん「恥ずかしがり屋か?どこ行ってもこうリーダー的存在にはなるんですよ。」
MORISHINさん「まとめてくれる感じですね。」
KIKURIさん「一部では仕切り屋って言われてましたね(笑)」
MORISHINさん「真面目な。真面目です。僕らにはないものを持ってると思います」
(スタジオで)
ATSUSHI
「KIKURIはCOLORという僕がもう一つやってるグループのメンバーなんですけども。
MORISHINっていう友達もあの作曲家として、結構あのSMAPさんとか、Snow Manさんの楽曲作ってたりするんで。
すごいなんかこう、また音楽でこう引き合わされて出会ったって感じですかね、はい」
プライベートのATSUSHIさん…業界人っぽくない、全然派手じゃない
スタッフ「業界人っぽいところとかあります?」
KIKURI「あ~…」
MORISHIN「ないな~」
スタッフ「交友関係が派手だったりとかそういうのは?」
KIKURI「ああ、全然。」
MORISHIN「もう全然ないっす。だって俺らといるんだもん。週1。週1で俺らといるんだから」
KIKURI「週1でいますから」
MORISHIN「全然派手じゃない」
KIKURI「一緒に旅行したり」
MORISHIN「朝方、果物とかのジュース作ってくれるよね(笑)」
KIKURI「そうそう」
MORISHIN「(ATSUSHIが)「飲む~?」。おばちゃんみたいな」、
KIKURI「(ATSUSHIが)「ドンキでこのジューサー買ってきたんだよ。安くない~?つって」
MORISHIN「おじいちゃん家行った感じになってるかな」(笑)
(スタジオで)
山崎育三郎「後輩2人がおじいちゃんつってましたけど」
ATSUSHI「そうですね。当たり前のようにやってたんですけど、そう思われてたんだなと思いました。今知りました」
山崎育三郎「でも、交友関係があんま広くないみたいなことおっしゃってましたけど」
ATSUSHI「はい。テレビに出させていただくことって、歌番組とかしかないので、ほとんど。
あの黒スーツが大勢でいるわけじゃないですか。誰も話しかけてこないし」(笑)
素のATSUSHIさんを知るLDHの後輩にインタビュー
シャイで飲まないと話さないイメージ
GENERATIONS 中務裕太さん
BALLISTIK BOYZ 奥田力也さん
子どもの頃からATSUSHIさんのバックで踊っていた2人。
中務裕太「やっぱサングラス外したときの目がかわいいです。基本サングラスなんですけど。(お酒)飲んでる時は後半から外して、素顔のATSUSHIさんになるんですけど。
クリクリ。クリクリのおめめがメチャクチャかわいいです」
奥田力也「キッズの頃に夜ご飯みんなで食べてる時に、たまたまATSUSHIさんが(お店に)来られて。
え!?って思って、すごくビックリしたんですけど。
普通にバーって入ってきて、僕の食べてた焼き鳥をサッと取ってパクって食べられて。
あれ?ATSUSHIさん。僕のやつ食べる方なんやと思って」
プライベートではこんな一面も
中務裕太「普段のATSUSHIさんってEXILE ATSUSHIじゃないんすよね。
佐藤篤志さんなんすよね。(ATSUSHI「そうそうそうそう」)
シャイというか。飲まないと話さない方なイメージはあるんで。
ツッコむ時に関西弁になります、ATSUSHIさん。なるよね?
「いや、なんでやねん!」みたいになります、ATSUSHIさん。
関東出身のはずなんですけど。
1人でこう話して。「いやなんでやねん!」みたいになる時ない?」(笑)
奥田力也「確かにこうお酒も入ってきたときに」
中務裕太「そう。1人で完結してる時あります。あっ1人で終わった…ってなるときあります(笑)」
(スタジオで)
ATSUSHI「丸裸にされてる感じで恥ずかしいです」
山崎育三郎「後輩たちがここまで言えるっていうのは、ホントに優しい先輩なんだと思いますし」
専門学校1年生の時テレビのオーディション番組に出演
専門学校の発表会で、何の賞もとれず…ステージで涙が溢れ
ATSUSHI
「専門学校1年生の時に、大きなオーディション番組があって。
当時の『ASAYAN』っていう番組だったんですけど。
CHEMISTRYがデビューして。悔しい思いでそれを見ていて。
あとまあ、年に1回専門学校の大きな発表会みたいなのがあったんですよ。
2年目の時は、もう学校中が僕を見に来るわけですよね。あの…」
山崎育三郎「『ASAYAN』後ってことですよね?」
ATSUSHI「そうなんですよ」
山崎育三郎「いやすごいだろ」
ATSUSHI
「で、歌ったんですけど。特別賞2人と最優秀賞1人を全部1年生に総なめされたんですよね。
僕何の賞もとれなくて。
で、その出番もトリですごい期待の中で歌ったんですけど。
でもなんかこう、ステージにもう立っていられなくて、その時に。
もう恥をかいてるっていうか。で、すごい涙が溢れてきて、もう。
で、母親がこう楽屋の方に来てくれて。
まあ、「私にとってはあっくんの歌が一番だったよ」っていうのを言ってくれて。
またそれで涙止まんなくなって。
ああ、でも、そういう風に言ってくれたことで救われて。
腐りかけたんですけど。両親の支えとか友人の支えで、まあ無事にこうHIROさんに拾われるまでこう耐えることができたっていうか。うん」
HIROの誘いでEXILEに…母に背中を押され
オーディションで落選するも、番組を見ていたHIROの誘いでEXILEに。
ATSUSHI「グループに誘われた時に、すっごいかっこいいダンスを踊ってらっしゃって。
自分に出来るかなとか。色々な不安があったんですけど。
母親がそれを見て、「あの、私こういうグループいいと思うな」って。「あの、勉強になると思うし」っていうことを母親に言われて。
「そうだ。勉強させてもらうつもりで、あの受けさせてもらおう」という気持ちで受けたと。はい。きっかけでした」
最初の相方が辞め…責任感が重くなり、歌う楽しさが消え、苦しくなっていった
ATSUSHI「それがまあ、最初の相方・清木場俊介くんが辞めるってなった時に、一旦その階段が崩れるんですよね。うん。
で、TAKAHIROとAKIRAが加入して。
それがですね、さらに倍の人数14人に増えたんですよ。
そこからなんかこう…EXILEのATSUSHIをやり続けるという責任感にいつの間にか変わってたんですよね、頭の中が。はい。
やっぱり責任感で歌っていると、こう、楽しんでない本質の部分が出てきてしまうっていうか。
それでなんかこう、段々苦しくなっていってたんですよね。少しずつ少しずつ」
山崎育三郎「なんかきっかけあったっていうよりは、徐々に?」
ATSUSHI
「徐々にですね。どんどん日に日にそれが大きくなっていって。
で、HIROさんが辞めていって。
自分に課せられてる責任が大きくなってるように勝手に感じていたというか。
そして、それがいつの日かまあパンクするというか」
1年半の活動休止
二酸化炭素中毒の事故…インドへ行き10日間瞑想
2年前の事故をきっかけに体調を崩し、1年半もの間活動を休止。
復帰に至るまでの間、ATSUSHIさんに何があったのか?
ATSUSHI
「二酸化炭素中毒の事故があって、すごく体調を崩している時に。
“ぜひこのインドへ瞑想に行って、あのちょっと自分の気持ちとか自分の内側とか整理してくるといいんじゃない?”っていうアドバイスをいただいて。
で、それで行ったのがきっかけでした。」
(その時インドに行った時の映像が流れる。
インドの子どもたちと遊ぶATSUSHIさん)
ATSUSHI
「これは瞑想に行った寺院の近くにある小さい村なんですけども。
そこの寺院がドネーションしていて。こう建物とかインフラを寄付したりしてるんですね。
そこにちょっと連れて行っていただいて。はい。
僕らの常識とは全く違うんですよ。もう手をみんなつないできて。なんなら大人のおじさんも手をつないでくるみたいな。はい。
恥ずかしいとか思ってる自分が、なんかもうどうでもいいっていうか。
向こうがだってもう何も気にしてないし、僕が何者かもわかってないわけじゃないですか。
知らないで来てくれて」
山崎育三郎「どのくらい期間行かれてたんですか?」
ATSUSHI
「僕は10日間ぐらい。もうずっと瞑想してました。はい。
ある一晩の夜は、もうあまりにも自分の考え方が自分勝手すぎたなということで反省して。
30分土下座泣きしましたよ。はい。
自分が人をどう見てるかってジャッジメントがあったから、自分がステージに立ったときに、どう見られてるかっていうのが気になるわけですよ。
それは自分の中で当たり前になってるから。
こっちの思い込みで、「ああ、あの人はきっとああいう人だから、話すの止めておこう」とかっていうことを思いこめば思い込むほど、その思い込みがステージに立ったときに、「あ、どういう人に見られてるかな」って逆も起こりますよね。
で、すっごいそれが苦しくてサングラスかけたりもしてたんだと思うんですよ。
それがなくなって。なんかみんながかわいく見えるっていうか(笑)。愛しく見えるようになったんですよ」
山崎育三郎「そのお客様だったり?」
ATSUSHI「お客様が、はい。こっちが“きっとこういう人だ”なんて考えることなんて必要ないことじゃないですか。
それができることになったのが、一番大きな変化だったかもしれないですね。」
不仲だった父の最期
晩年8年間不仲だった
さらに、プライベートでも大きな変化が…
ATSUSHI「僕、父親とあんまりちょっと…晩年っていうんですかね。最後8年間ぐらいちょっと不仲だったんですよ。
で、それがそのまあインドに行ったのがきっかけで、8年ぶりに会うことができて。
まあ、最期はちょっと看取ることができたので。
それは、かなり大きな出来事でした、自分の中で」
ATSUSHIパパになり、やってほしくないことをする…分かり合えないところまでいってしまった
山崎育三郎「どんなきっかけがあったんですか?8年間会わなかったっていうのは」
ATSUSHI「芸能界にあるあるかもしれないんですけど…。
ATSUSHIパパになっちゃうんですよね。
で、その、やって欲しくないことをするんですよ。
僕のサインを書けたりとか」
井桁弘恵「え⁉代筆!?」
ATSUSHI
「地元に行って、よくいくお店とかにこう帰って行くと、僕のサインが飾ってあるんですけど。
よく見ると、どうやら僕の筆跡ではないんですよね。
分かるじゃないですか、自分の筆跡って。
親戚のおじさんのお葬式で、喪服姿の僕を勝手にカシャって撮るとか。
あの~、いい加減にしてくれる?みたいなちょっと」
山崎育三郎「もう好きすぎちゃってお父さん。愛情からだとは思うんですけど」
ATSUSHI
「そうなんです。だから人に相談すると、「いや、息子がかわいいんじゃん」って言われるんですけど。
やっぱ親子関係としては、「もういい加減にしてくれる?」っていう。
8年前ぐらいに結構大きな親子喧嘩があって。
「あ、じゃあもう諦める」と僕は。
で、正直僕はもう「お葬式も行かない」っていう…妹と母親には伝えてたぐらい。
もう向き合って向き合って向き合って。もう分かり合えないって所までいってしまったので。
あの~そうだったんですけど。最後に会うことができましたね、はい」
山崎育三郎「最後再会した時は、どういう思いだったんですか?」
ATSUSHI
「自分の怒っていた父親が、もうそこにいなかったですね。
あの~、まあちょっとがんのこともあったりして、やせ細ってたりとか。
あと白髪が増えてたりとかして。まあ、おじいちゃんになってて。
僕がこう揉めてた時の、怒りをぶつけてた親父がそこにいないんですよね。」
友人二人が見た親子の最後の交流…最後に家族で飲みに行き父から感謝の言葉
井桁弘恵「まあ先ほど地元の後輩のお2人にATSUSHIさんとお父さんのことも伺いました」
KIKURIさん「若い頃、本当に普通の親子って感じ」
MORISHINさん「普通の親子だね」
KIKURIさん「うん。なんかこう、おしゃれな親子というか」
MORISHINさん「かっこよかったよね」
KIKURIさん「なんかそう、お父さんはピアノもすごい弾けるし、英語も喋れるし。
で、そのままそれを息子に引き継いだ感じ。
歌だったりとか音楽的な才能っていうのは。
よくここで(昔お父さんのお店だった場所)お父さんがピアノ弾いたりとかして。ATSUSHIくんが歌ったりとかしてたんですけど。
羨ましいなっていう。おしゃれだね」
MORISHINさん「なんかおしゃれな親子だなってね」
小さな衝突が積み重なり、疎遠となった父。
しかし去年、8年ぶりに再会を果たした
MORISHINさん「お父さんの方が照れてたよね」
KIKURIさん「そう。お父さんの方が照れてた。」
MORISHINさん「ATSUSHI先輩はどこかもう冷静な感じはちょっとはありましたね」
KIKURIさん「最初はその(ATSUSHI)先輩も、あまりそういう感情じゃないというか。
悲しい気持ちで会う感じじゃなかったんだけど。
実際こうお父さんの病室入って。こうオイルマッサージとか結構してあげてたんですよ。
やっぱそういうのを繰り返していくと、実際こう実感が湧いてきたというか。
見てるこっちもグッとくる感じでしたね」
MORISHINさん
「「飲み行くか」ってお父さんが、いけるはずないのに言ってみたり。
お父さんとして頑張りたい。ちゃんとは言えてないけど、そういう気持ちがすごかったよね。うん」
KIKURIさん「そうそうそうそう。最終的に、まあその後日」
MORISHINさん「「「連れてってあげたいから、手伝ってくれる?」って言われて。お店に許可とって、連れてったんだよね。」
KIKURIさん「(お父さん)一杯やってましたね」
MORISHINさん
「一杯できたのがうれしかったね。涙もしてたし、笑顔もあったしみたいな。
家族も来てたね。ATSUSHIファミリーがね。
家族の写真撮る時に、あのお父さんがお母さんにこの感謝みたいな。
一言だけっすけど、不器用ながら、言いながら泣いた…涙をしたときに、もう先輩も泣いて。」
KIKURIさん「ホントそういう(感謝を)言うような人じゃなかったんで。(MORISHINさん「ホント想像つかないもんね」)そう。「ありがとう」みたいな。」
友人「昔のATSUSHIに戻った」
スタッフ「今回の休養でインド行かれて、まあ瞑想してみたいなして、生まれ変わったと本人おっしゃってるんですけど」
MORISHINさん「生まれ変わったっていうよりは、元に戻ったっていうか(笑)」
KIKURIさん「まあ、そうかもね」
MORISHINさん
「昔、楽しくやっぱ歌ってたんで。まあ、3人で、もうストレスなくというか歌ってたから。
まあ、あんだけ大きくなって。苦しみがいっぱいあったと思うんすけど。
多分張りつめてたんだなっていう。ずーっとEXILE ATSUSHIしてたんだなっていう感じが。
今はもう昔の先輩が」
KIKURIさん「帰ってきた(笑)」
MORISHINさん「帰ってきた(笑)」
(スタジオで)
ATSUSHI「ありがとうございます」
(眼鏡をはずし、ハンカチで涙をぬぐうATSUSHIさん)
父への思い「最高に憎たらしかったが、最大の愛をくれた人」
山崎育三郎
「最後家族で集まってね、お父さんがお母さんに感謝を伝えてたっていうお話もありましたけど。どんなお気持ちで見てたんですか?」
ATSUSHI
「いや、たぶんもう最期を覚悟をしてたと思いますし。
まあ、僕と揉めてた時も謝らないし。
そんな父親が最後にそのみんなでそこに連れてった時に、母親に「ホントに感謝 感謝」って言って、涙流したんですよね。
あれはたぶん僕がこう(涙声になるATSUSHIさん)…何て言うんですかね。
…(インドで)気づかなければ起こらなかった出来事かなと思いますね。(涙ぐむATSUSHIさん)
山崎育三郎「でも家族と最後数時間持ててお父さん幸せだったと思いますし」
ATSUSHI「そうですね」
(ハンカチを出し、涙を拭くATSUSHIさん)
山崎育三郎「ATSUSHIさんが繋げた家族の時間だと思うんですけどね」
ATSUSHI「はい はい」(涙を拭くATSUSHIさん)
山崎育三郎「お父さんっていうのは、ATSUSHIさんにとって、どんな存在ですか?今改めて」
ATSUSHI「そうっすね~。最高に憎たらしかったんですけど。最大の愛をくれた人だなぁと思いましたね。うん」
今の想い
やめてもいいと思っていた…今は楽しさと幸せしかない
山崎育三郎「(後輩)2人からも「元に戻った」って言葉ありましたけど。ATSUSHIさん今どんな気持ちで歌を歌うんですか?」
ATSUSHI
「そうっすね。今はでも…何て言うんですかね。(涙声で)楽しさと幸せしかないですね。
ありがたいというか。
(一筋の涙が流れる)こういう運命を辿らせてもらってることというんですかね(鼻をすするATSUSHIさん)。
もう…(涙声で)たぶんいつ終わってもおかしくなかったんで。
やめてもいいなと思ってたんで。
なんですけど…うん、奇跡的に体調も戻って、父親とも会えて。
(涙が流れる)
あ、自分が全部作り出せるんだっていうことに気づいて。
(涙声で)逆に苦しさを自分で作り出してたんだっていうことが分かったので(一筋の涙が流れる)。
あ、この後の人生楽しく生きれそうだなって思いますね」
山崎育三郎「今日色んなお話をして、なんか改めて気づいたみたいなことありますか?」
ATSUSHI「自分がこう苦しい生き方をしてきたので。苦しんでいる人たちのために歌っていきたいなと思いましたね、やっぱり」
