沖縄県うるま市出身。
20歳の時、NHK朝ドラ『どんど晴れ』でヒロインに。
ドラマ『コード・ブルー』(2008-2018)ではクールなナース。
山崎育三郎「芸能生活が20周年。おめでとうございます。どうですか?トーク番組っていうのは」
比嘉愛未「滅多にないので。結構緊張してます。こわい(笑)」
山崎育三郎「なんか俺、友人に尾上松也。「カチャーシー(沖縄の踊り)を振ればすぐ踊ってくれる」
比嘉愛未「あ、じゃあ。ハッハイヤササ、ハッハイヤササ・・・・」
(踊り始める比嘉愛未さん。踊り終わり、スタジオが拍手)
比嘉愛未「ありがとうございました。沖縄のカチャーシーですね。割と陽キャな方です、はい」
幼少期
活発でやんちゃ…帰り道に自分にミッションを下す
山崎育三郎「今この瞬間どういうことを思い浮かべますか?その今すごく女優さんとして話してるけど」
比嘉愛未
「今ちょっと俯瞰の自分は、「えー何大人ぶって色々言ってるの。おもしろ~い」って自分にちょっとツッコんでる。変な部分出しなさいよって言ってる部分はある」
山崎育三郎「子供時代、どんな子だったんですか?」
比嘉愛未
「とにかくジッとしてなくって。刺激を求めてました。
例えば登下校とか普通に家に帰るだけでも、普通に帰るとつまらないから、自分の中でミッションを下すんですよ。
あの~この木に登って、帰らないといけないとか。
「ちょっと待って!」って言って。「登って来るね」って登って、達成して満足して降りてきて、「じゃ、行こっか」って帰る。
あとは、制服を着たまま近所の海に入って、ちょっと泳いでお家に帰るとか」
井桁弘恵「最高!」
山崎育三郎
「最高だけど、やっぱイメージがないよね。
そういういことを「やめとこうよ」って言いそうな」
比嘉愛未「言いそうですよね。真逆です。活発でやんちゃな自分がすごく本来の私です」
芸能界の親しい人が語る素顔
松田美由紀さん「真面目、陽気、ヤンチャ」
井桁弘恵「今回はそんな比嘉愛未さんを知る人たちに、ヤンチャな一面をお聞きしてきました」
共演をきっかけに、母のように慕う松田美由紀さん
松田美由紀
「真面目なんですよ、基本的には。すっごく真面目。
だけど、普段はもう本当に陽気で。
でも、これ言っちゃいけないかもしれないけど。
もうお酒を飲むときにやっぱり沖縄の人なんで、はっちゃけるんですよね。
もう、イエー!みたいな感じで。
泣きだしたり、ゲラゲラ笑ったり。歌ったりはするし。もうとにかくヤンチャですよね。
(自宅に)小雪さんと比嘉愛未ちゃんと遊びに来て、8時間ぐらいずっと女子トークを。
(話題になるのは)お金の問題とか。もう本当にリアルですよね。
貯蓄はちゃんとしとかなきゃダメだとか。
(愛未ちゃんは)「ふむふむ。ちょっとメモしてときます」みたいな感じで。
あとまあ、彼氏問題ですよね。
優しい人を探してくださいっていう風には言ってるんですけど。
だからもうやんややんや言うでしょ。ね?私たちおばさん(笑)…おばさんつって、小雪さんんことおばさんつったら怒られちゃうけど。(笑)
弱音をたぶん吐いてこなかった人だと思うんですよ。
だから、私がそこをくすぐってるわけですよ。弱音吐け吐けって。
もっとあの、力抜いていいんだよ、みたいな。あの、いつでもカモ~ンって感じ」(笑)
理想のタイプは父親…寡黙で真面目でとても愛情深い
比嘉愛未「最高。ありがとうございます。嬉しい。もう泣きそうかも」
山崎育三郎「その、恋愛相談もされるんですか?お2人に」
比嘉愛未
「そうですね。私そういう恋愛話もうベタなんですよ。
だから、私の相談っていうよりもお2人のこの色々今までの経験とかを聞いて「ふむふむ」って勉強してる感じ」
井桁弘恵「どういう方がタイプなんですか?」
比嘉愛未「なんだろう。まあ、究極言うと本当に、自分の父親が理想なんですけど」
山崎・井桁「え~」
比嘉愛未
「ホントに。寡黙で真面目なんですけど、とっても愛情深い人なので。
愛のある人がいいな。そういう人だったら、もうって感じ…恥ずかしい(笑)」
山崎育三郎「お父さんがもう理想」
比嘉愛未
「恥ずかしいね。なんか久しぶりにタイプとか聞かれたから、恥ずかしくて。こんないっぱい人が見てる前で、そんな(笑)美由紀さん、やめてよ」
桐谷健太さん「ギャップが面白い魅力的な人、明るく周りを元気にさせる」
山崎育三郎「さらにですね、良く知る方にアンケートいただいております。桐谷健太さん」
※桐谷健太さんのことをドラマで共演して以来、兄と慕っている
比嘉愛未「あ!ああ!お兄ちゃん!お兄ちゃん!」
桐谷健太さんからのアンケート
質問:ヤンチャな一面は?
『初めてお会いするまでは、勝手に物静かでクールな女性だと思っていましたが、喋ると声も大きいし、笑い声も大きいし、ギャップがとてもオモロい魅力的な人。
愛未は明るく悩む人。メッチャ色々俺に宣言してくる。
「あれはもうしない!」「これをいつまでにやる!」と。
でも時間が経ってそのことについて聞くと、忘れている。笑
とにかく明るく周りを元気にさせるメッチャいい子。
か弱いところもあるけれど、ヤンチャな芯の強さでガンガンいってほしい!』
比嘉愛未「ありがとうございます。ありがとう、お兄ちゃん!」
山崎育三郎「何か宣言されるんですか?」
比嘉愛未「え、ごめんなさい。それすらもちょっと、何を宣言したか忘れてしまいましたけど」
アーティストの清川あさみさん「野生児、メッチャ踊る」
公私にわたって親交がある清川あさみさんがVTRで登場
清川あさみ
「戸田恵梨香ちゃんと私と愛未ちゃん、プライベートは本当に結構会ってて。
あともう1人、大島優子ちゃん。
だいたい仲良いメンバーがみんなあのー男気ある人しかいない(笑)
私がプロデュースさせていただいた愛未ちゃんの写真集で絵島っていう日本遺産みたいなところで撮影したんですね。
で、すごい危なくって、ちょっと間違ったら海に落ちちゃうみたいなところなんですけど。
もうヒョイヒョイって行っちゃうんですよ。野生ですね、野生。野生児かも(笑)
(写真撮影に)泊まりでロケに行ったんですけど。
あのー結構まあいつもなんですけど。
なんか楽しくなっちゃうと、踊り出しちゃったりとか。どこでも踊る(笑)
なんですかね。メッチャ踊るんですよね。
あとまあ、そこにベッドルームがあったりすると、ベッドにダイブしちゃったりとか。
すっごいかわいいの!本当に。
どっからどこみてもキレイなんですけど。
なんか色気だけは、本人自信がないのか、「私の色気ってどこに置いてきたんだろう」って言ってメッチャ笑ってました」
学生時代
学生時代1回も部活に入らず…〝自分部”を作る
山崎育三郎
「野生児なんですね、今も。
さっきのね、木登りからやっぱつながってるんですね。
あんなところ、女優さんはちょっと怖がると思うんですよ」
比嘉愛未「ホントですか?むしろもう、ワクワクしながら登ってました」
山崎育三郎「全然怖くないですか?」
比嘉愛未「全然怖くない」
井桁弘恵「え、じゃあ、運動神経もいいんですか?」
比嘉愛未
「運動神経、割といいですよ。
あの、なんですけど、私学生時代1回も部活に入ってなくて。
それも、縛られたくなかったんですよ。だから、自分部っていうのを自分で作って」
山崎育三郎「自分部!?帰宅部じゃなくて、自分部?」
比嘉愛未
「帰宅部は、帰宅するから帰宅部じゃないですか。
私は帰宅しない自分部をつくって…」
山崎育三郎「帰宅しないんですか!?」
比嘉愛未
「そう、作って。その日の気分ってある…ありますよね?
「今日はちょっとバスケじゃないんだよな~。じゃあ今日は陸上かな」とかで、陸上のとこ行って、一緒にマラソン走ったりとか」
山崎育三郎「え⁉その部活に行くんですか?それ。自分の気分で?それ…それOKなんですか?」
比嘉愛未「割とゆるかったですね~沖縄…」
井桁弘恵「メッチャ自分勝手じゃないですか、周りからしたら。「え?今日来た!」(笑)」
比嘉愛未「ちょっとなんかいる感じでしたね」
山崎育三郎「初めて聞いた」
井桁弘恵「ずっと体験入部みたいなことしてるんですか?」
比嘉愛未「あ、そんな感じです。「あ、一生入らないな、アイツ」っていう(笑)」
山崎育三郎「それどの部活の先生も「いいよ」って感じではあるんですか?」
比嘉愛未
「受け入れて下さってて。
で、その中でも一番自分の中で熱かったのは、マラソンが好きで。
陸上部を抜いて、私いつも5位以内には入ってました」
山崎育三郎「えー!」
井桁弘恵「熱心な自分部」
比嘉愛未
「そうなんです。3か月前ぐらいから1人で走り込むっていうのもやってましたし。自分部、オススメですよ」
井桁弘恵「え、でも試合…」
山崎育三郎「いや、試合ももうきたメンバーでやろうよ」(笑)
井桁弘恵「来なかったらどうするんですか」
比嘉愛未
「来なかったらもうなんくるないさ~でいいんですよ。(笑)
それぐらいなんか、まあ沖縄の自然の中とそういうマイペースな学生時代のベースがあるので、いまだにこうやって芸能界の中で戦っていけるのかなって思います。(笑)」
両親にアンケート
質問①「小さい頃はどんなお子さんでしたか?」
周りにいる人をいつも笑わせようと動物のモノマネがとても上手
両親の回答
『周りにいる人をいつも笑わせようと動物のモノマネがとても上手でした。
形態模写の芸などをして、いつもみんなを楽しませてくれていました。』
山崎育三郎「何ですか?動物のモノマネ」
比嘉愛未
「あのー特にハマってたのは、ゴリラのモノマネとか(笑)
もうなんか動き回って、ウホウホ言いながら、あの親戚の周りをもうバーッて暴れてました。1人で(笑)」
山崎育三郎「でもね。たいしたゴリラじゃないかもしれない。可愛いんだと思う。ウホウホやって「かわいい」って」
比嘉愛未「いや、ちがうんです。ちゃんとしっかり」
仲の良い祖母…2時間ぐらい女子会
井桁弘恵「おばあちゃんとも仲良しなんですよね?」
比嘉愛未「ああ、そうです そうです、はい」
(祖母の写真が映る)
比嘉愛未
「おばあちゃ~ん!私の比嘉のおばあは、えっと今年で98歳。
メチャクチャ元気で。
で、毎朝畑仕事をして。自給自足でほぼ生きて生活しています」
井桁弘恵「会えていますか?」
比嘉愛未
「はい。年に3~4回は沖縄に帰るんですけども。
会わないと…私のもうエネルギー源です、おばあは。
帰るたんびにいつも「元気か?ちゃんと食べてるか?仕事はどうだ?いい人いたか?」とか全部、ずーっと2時間くらい女子会をしますね(笑)
お茶しながらとか、おばあが作ってくれたご飯を食べながらとか」
山崎育三郎「え、おばあちゃんの好きな料理って何ですか?」
比嘉愛未「ゴーヤチャンプルーが大好き。なんてことない時間がすごく満たされるんですよ」
両親への質問② 芸能界入りを聞いた時の心境は?
芸能界入りに両親は大反対…土下座をして条件付きで許してもらい
沖縄で生まれ育ち、親戚はみんな地元にいる中、19歳で1人上京。
両親の回答
『親としては、ちゃんとやっていけるのか、苦労するのではないだろうかという思いでした。
芸能の世界は厳しいので、すぐに帰って来ると思って、とりあえず承認した感じです。』
山崎育三郎「え、そういう思いって聞いてました?当時から」
比嘉愛未
「まず上京して、えっと芸能界入りを目指したいって言ったことに対して、すごく大反対を受けまして。
本当にその寡黙で優しい父なんですけども、普段は。
初めてこうそんな父が譲ってくれなかったんですよね。
今までは割と好きなことをさせていただいてて。ビックリしたんですけど。
でも、私自身も折れないといいますか。もう覚悟は決まっていたので。
その場で土下座をして、「東京に出させてください」と。
だから、「じゃあその代わり、1年間だけ猶予を与えるから、やってもダメだったら帰ってこい」っていう条件付きで許していただけましたね、両親に(笑)」
山崎育三郎「え、今まで何でも応援してくれてたお父さんが、「ダメだ」って言った時って、どんな気持ちでした?」
比嘉愛未
「うん。でも、あの時に大反対してくれたから、覚悟がより決まったというか。
不安でしかなかったんですけど。ホント、貯金20万ぐらいしかない中握りしめて。
「これだけ思ってるんだから、きっと役者になれる。その道は開けるはずだ」って信じて疑わなかったんですよ(笑)」
両親への質問③「朝ドラのヒロイン合格を聞いた時の心境は?」
そして、1年の猶予ギリギリ。最後に受けたNHK朝ドラのオーディションに見事合格し、ヒロインに。
両親の回答
『私たちは挫折して帰って来ることしか考えていなかったので、その時の愛未に謝りたいと思いました。
正直なところ、ここまで頑張って道を切り開いてきた姿に驚いていますし、なにより誇らしく思っています。』(涙ぐむ比嘉さん)
比嘉愛未「いいこと言うじゃん。ちょっと泣きそうになっちゃうね。あ~嬉しい」
井桁弘恵「え、(朝ドラ)決まって報告はどういう風にしたんですか?」
比嘉愛未
「まず母に電話をして伝えたら、えっと…電話越しで泣いてくれたんですよ、母が。それを聞いて私も…。
新しい願ってた道が切り開くんだなっていう瞬間は忘れられないですね」
井桁弘恵「お父様の反応は?」
比嘉愛未
「父は…うん。応援してくれてるんですけど、いまだになんかそういう改めて言葉をくれたわけじゃなく。寡黙にずっと見守ってくれてるので。
ただ私が出た作品は必ず見てくれてるのも知ってますし。
まあ、この長い20年間の中で、挫折というか、辛いことも沢山あるじゃないですか。
そんな中でも両親に電話する時とか、(悩みを)父に聞いてもらうんですけど。
常にこうまっすぐに寄り添ってくれたので。
だからその瞬間に「あ、ちゃんと応援してくれて、今認めてくれてるんだな」っていうのは…愛情はしっかりと感じてましたね。嬉しい」
山崎育三郎
「東京での生活の方が、長いと思うんですけれども。
沖縄の家族のことっていうのは、どんなタイミングで思い出しますか?」
比嘉愛未
「うん。常に思い出すというよりも自分のもう心身の一部というか。
常に沖縄も家族も自分の中にあるから、今頑張れる気持ちですね。うん。なくてはならないですね」
ご両親への質問⑤離れて暮らす娘をいつどんな時に考えますか?
両親の回答
『夜、一息ついた時「今頃どうしているかな」と思うことがあります。
離れていても、娘のことを思わない日はありません。』
比嘉愛未
「ありがとう。嬉しいね。はい。アハハ(目頭をちょっと押さえる比嘉さん)。
恥ずかしい。
本当に幸せですよ。うん。そんな2人がここまで育ててくれたから、ね。(涙がこぼれる比嘉さん)
こうやって厳しい芸能界の中でもずっと感謝をもって仕事に、人にも向き合える精神を育ててくれたのは、両親なので。
2人がいないと私はなかったなって思うし。うん。そう思うと、幸せだなって思いますね」
お父様からのお手紙
山崎育三郎「さあそして、今回ですね、お父様からお手紙を…」
比嘉愛未「えー!嘘でしょ!?やだーなに、どうしよう!」
私は子ども電話相談室
一番の味方である父からの初めての手紙
『親愛なる娘へ。芸能生活20周年おめでとう。
当初は心配から上京する事を反対したが、毎朝その姿を家族で見ることが楽しみになっていき、見守って行きたいと思うようになっていった。
今や誰もが知る比嘉愛未という女優に成長していることに、父や家族みんなが誇りに思っている。さすが、我が娘だ。(首を振り目を潤ませる比嘉さん)
愛未は人への気使いを示し、常にその場を楽しくすることを率先して行動することが多いが、時折、それが大きなストレスになり、落ち込んでしまうことがあるよね。
そのストレスがたまりに溜まると、私に電話がかかり、3~4時間、そのストレスや今後のことを話し続けることが時折あるが…。
沖縄と東京。そばで気遣うことはできないが、いつでもストレスのはけ口になる電話をしたらいい。子ども電話相談室だから。
2025年、新たなスタートの年になり、色々なことに挑戦し、新たな愛未の姿を見られることを期待しています。父より』
父の手紙を聞いた感想
(涙を流す比嘉さん)
比嘉愛未「ありがとうございます。いや~こんな泣いちゃって(笑)」
山崎育三郎
「初めて反対したっていうね。その時のお父さんの気持ちもすごく理解できるし。でも今これだけ思って、見守って、寄り添って応援してくれてるっていう。
お父さんのメッセージ聞いていかがですか?」
比嘉愛未
「うん…私はそう。自分の好きなことをがむしゃらに突っ走って生きてきた人生だったから。
親からしたら、自分の子どもがそういう状態だったら心配でたまらないと思うんですよ。
それでも、愛を持って見守る。で、ずーっと沖縄で。
待って受け入れるってすごい愛じゃないですか。
で1回その本気で「役者向いてないかも。もう休みたい」って思った時に、それを父に伝えたら、「沖縄と私たち家族、この場所は、ずっとここにあるから。いつでもあるんだから、もうちょっと頑張れるでしょ」って。
「帰る場所はあるんだから、もうちょっと頑張ってみなさい」って言ってくれた言葉は、すごく背中を押してくれて。
だからいまだにこうして頑張れてるし。
ビックリしちゃった。初めてです。父から手紙をもらったのは」
山崎育三郎「今日テレビ観てるご両親にね」
比嘉愛未
「いやだ~!ホントに?
あの…メッセージね、伝えると恥ずかしいですけど…。
『あなたたちのたっぷりの愛情は常に感じてますし。
そのお陰で私は今とっても幸せです。
これからも沢山の人に元気を与えていけたらと思っているので。
まだまだ長生きして、えっと見守っていてください。
もうそれだけです。また会いに行くね。ありがとうございます。』
はずかしい~」
未来永劫愛し愛される人に…名前に込められた思いを胸に
山崎育三郎「きょうはなんか色んな子どもの時からのお話も伺って。ご自身で何か気づきみたいのありました?今日」
比嘉愛未
「自分の両親からもらった名前に愛と未来の未で愛未で。
意味としては、未来永劫まで愛し愛される人に育ってほしいっていう由来だったんですけども。
改めて、たくさんの人に愛していただけてるんだなって。まあ、両親を含めですけれども。
自分を見つめ直せますね。とても素敵な機会だったので、うん。
もっともっとこの愛情をお返ししたいなと思います」
