【ぽかぽか】仲良しコンビ!田中要次さん(61)&津田寛治さん(59)「2人の芸能界入りまでの道筋が面白い!」(2025年1月31日放送)

  1. お2人の紹介
    1. 田中要次さん(61)
    2. 津田寛治さん(59)
  2. MC3人と田中要次さんの共演歴
  3. ゲスト田中要次さんと津田寛治さんの関係
    1. 出会った時は、スタッフだった田中要次さん
    2. あだ名のBOBAは最初にやった役名…その時の監督は竹中直人さん
  4. 仮面ライダーに出演…カレー屋のおやじさん役
    1. 子どもが生まれ、「出たい」と噂を流してもらい
  5. 下積み時代
    1. 食べられるようになるまで17年。しかし、苦労とは思っていなかった…
  6. 田中要次さんが芸能界に入るまで
    1. 国鉄(現在のJR)に就職
    2. 母「アンタだけはまともだと思ったのに!」
    3. 通った映画館で映画監督と知り合い…バンドメンバー役で映画に出演
    4. 仕事をやめて上京し、竹中直人さん監督作品の裏方として働く…カメラテストで代役がきっかけで出演するように
  7. 津田寛治さん「北野武監督との出会いで開いた俳優人生」
    1. 18歳で役者になりたくて上京し、色々な監督に直談判
    2. アルバイト先に来た北野武監督の温かい対応
      1. 1対1になれるトイレでプロフィールを渡し…
      2. 1年間何もなく…アルバイト先の奥さんの一言で急に出演することに
    3. テレビ番組の大道具としてもアルバイト「徹子部屋やミュージックステーションのセットを作る」
  8. 大人気ドラマ『HERO』…「あるよ」のセリフで人気者に!(田中要次さん)
    1. 色々な「あるよ」を試行錯誤
    2. 現場での木村拓哉さん
  9. 田中要次さんは永遠の下級生!?

お2人の紹介

田中要次さん(61)

田中さんと言えば、木村拓哉さん主演のドラマ『HERO』で、バーのマスター役を演じ、「あるよ」のたった3文字のセリフで大ブレイク!社会現象を巻き起こした。

その後、NHK朝ドラ虎に翼や大河ドラマなど数々の映画やドラマに出演。

名バイプレイヤーとして大活躍中

 

津田寛治さん(59)

北野武映画『ソナチネ』で映画デビューすると(当時20歳)、そこから北野映画の常連として数々の作品で活躍。
さらに、2002年度には第45回ブリーリボン賞助演男優賞を受賞
他にも大河ドラマ「青天を衝け」や朝ドラ「ひよっこ」など、出演作品はなんと530以上!
名バイプレイヤーとして欠かせない存在に

 

MC3人と田中要次さんの共演歴

神田愛花
「私はあの前泊と後泊含めて全部で5泊6日ご一緒させていただいた仲です。はい、テレビ東京さんの(バス旅)」

田中要次「もっとじゃない?」

神田愛花「一応3泊4日の番組で…」

田中要次「それともう1回行ってるよね?」

神田愛花「あ、一緒に旅行ってます。テレビ東京さんのバス旅Zという番組で」

田中要次「トータル10日位一緒にいたんで(笑)」

神田愛花「本当にたくさんお話させていただきました」

ハライチ澤部「私もホントかなり前なんていうんですかね。ドラマというか」

田中要次「え?ドラマもあったっけ?あのー赤坂の神社とか」

ハライチ澤部「あーそう。のやつもね。その前もご一緒して…」

田中要次「(驚いた顔の田中さん)え!?(笑)」

ハライチ澤部「で、LINE交換させてもらって…」

田中要次「・・・・・」

ハライチ澤部「1ミリも覚えてねぇじゃねえか!」(爆笑)

田中要次「ごめんね(笑)」

ハライチ澤部「そうそう。そうそうっす。いえいえ、全然全然」

ハライチ岩井「(僕は一緒に)ただただ猫とたわむれるロケをね?行きましたよね?猫好きなんで」

田中要次「一緒に秩父の「にこにゃんこ王国」というね、100匹の保護猫を飼育してらっしゃる施設で…」

(田中要次さんの飼い猫グリちゃんの写真が映る)

田中要次「あの時の猫が!今!」

ハライチ澤部「え、それ一緒にロケした時の?」

田中要次「そう。一緒にロケしたにこにゃんこ王国でいただいた」

ハライチ岩井
「え?引き受けたんですか?そうなの?
え、なんかねー100匹保護猫がいる施設があって、そこに一緒に行った時に?
え、あん時にそんなこと言ってましたっけ?」

田中要次
「最後にほら、3匹の子猫。生まれたばっかりなんですって。
それで僕は腰抜けて。もう家に「3匹飼えないかな?」って(電話して)」(スタジオ え~)

田中要次「そのうちの一匹だけいただいて」

ハライチ岩井「え~引き取ってたとはなぁ」

 

ゲスト田中要次さんと津田寛治さんの関係

出会った時は、スタッフだった田中要次さん

ハライチ澤部「で、お2人は、もう長いですね?お付き合いは」

津田寛治「長いっすね。30年ぐらいになるよね」

田中要次「超えてるね」

津田寛治「超えてるね。32~33年ぐらいかな~」

ハライチ澤部「共演がきっかけですか?まあ」

津田寛治「そう…っすかね」

田中要次「いや。僕はスタッフだった最初は

津田寛治「最初…そう。なんかスタッフと演者…」

田中要次
「だからその時の寛ちゃんは、僕の事はスタッフとしてしか見てないかもしれないから。まだ認知してなかったかもしれないね」

津田寛治「まあ、そう。現場では認知してなくて」

田中要次「だから、共演して初めて知り合った感じですけど」

津田寛治
「そうなんですよ。そん時はあのなんか機材車にガムテープでBOBAって書いてあって。
これ業界用語かなんかかな?と思って、BOBAってなんですか?って監督に聞いたら、「いや、これ人の名前だよ」つって。

「え、じゃあ、BOBAって人がいるんですか?」って聞いて。

「で、誰ですか?」って聞いたら、「あそこにいる人」つったら、まだ若かりし頃のBOBAさんが照明機材持ちながら一生懸命働いてて

 

あだ名のBOBAは最初にやった役名…その時の監督は竹中直人さん

ハライチ岩井「なんでBOBAさんっていうの?」

田中要次
最初にやった役名がその名前でやっぱ広がってたんですよ。
そん時、初めての現場ではキャストだったんですけど。
その後、スタッフで暫くやってたんで」

津田寛治
「でもそん時の監督が竹中直人さんで。
それで、「じゃあスタッフさんなんですね」って言ったら、「いや違うんだよ。アイツは俺んとこ電話してきて、「いや今回は俺、竹中さん出してください!って泣きながら言うからさ。役者としても出るんだよ」って言って。
で、「元々俳優志望なんだよ」って言って。「ああ、俳優志望なんだ」って」

ハライチ澤部「それ最初はスタッフさんとして?」

田中要次「そう」

 

仮面ライダーに出演…カレー屋のおやじさん役

質問 津田寛治さんへ「仮面ライダーにまた出たいと思ってるっぽい」

津田さん→〇の札を上げる

 

子どもが生まれ、「出たい」と噂を流してもらい

津田寛治
「いや~仮面ライダーね。僕ホントにまあやっぱりあるあるなんですけど。
子どもが生まれて、ちょっとおっきくなった頃に、やっぱどうしても出たいなと思って
東映さんにそういう噂を流してもらってたんですね。(笑)
戦隊モノやってた後輩の俳優に、「それとなく言っといて。俺がやりたいらしいよって」(笑)。
で言っといてもらったら、来たんですよ。

ただ、変身する方じゃなくて。
その変身するヤツをいつも遠くから優しく見てる、あの言ったらカレー屋のおやっさん

ハライチ岩井「噂を流すところから始めればいいんですね」

ハライチ澤部「役者界ではよくある手口なんですか?」

津田寛治「よくありますね」

田中要次「言った方がいいかな?俺も、俺も…仮面ライダー。まだ出てないんです!」(笑)

ハライチ澤部「出たい?出たいっすか?」

田中要次「出たい出たい出たい」

津田寛治「変身する方?」

田中要次「変身したい変身したい」

ハライチ岩井「ライダーで?怪人役?」

田中要次「(笑)もう悪人でもいいよ!」

津田寛治「じゃあライダーシニア。仮面ライダーシニア」

田中要次「シニアいいね。いいね(笑)」

 

下積み時代

食べられるようになるまで17年。しかし、苦労とは思っていなかった…

現在も第一線で活躍するお2人ですが、表舞台に出るまでの下積み時代にはかなり苦労したそう

質問 売れるまでかなり苦労したっぽい

津田寛治→△ 田中要次→△

ハライチ澤部「ああ、そうっすか」

津田寛治
「はい。まあ、俺らの世代はそうだよね?
いやだから、苦労なんて思ってなかったんで。
やっぱゆとりじゃないから、その苦労って文字が辞書にないんですよ」(笑)

神田愛花「俳優さん目指して何年目ぐらいから、ああ、仕事が多くなってきたなって実感されるんですか?」

津田寛治「やっぱり、10年…20年ぐらいかかりましたよ」

ハライチ澤部「え⁉10年、20年?(笑)」

津田寛治
「15年…10年、15年ぐらいかな。
18(歳)から始めて。食えるようになったのが35なんですよ」

アンジャッシュ児嶋一哉「それはね、苦労なんです。苦労してますよ」(笑)

ハライチ澤部「って思っちゃいますけどね、我々は」

田中要次「「かなり」ではないのかもしれない」

ハライチ澤部「あーもっと周りにもいらっしゃるし」

津田寛治「俺ら趣味だったもんね?芝居が」

田中要次「(笑)あーそれもあるね」

ハライチ澤部「楽しいからやってるっていう」

津田寛治「そうそう。その楽しみやるために、ずっとバイトやってたっていう」

ハライチ澤部
「だから、ほんと苦労と思ってないんか~」

 

田中要次さんが芸能界に入るまで

国鉄(現在のJR)に就職

ハライチ澤部
「田中さんさっきもね、お話ありましたけど。色々やってるんすか?
その最初はスタッフさん、裏方さんの仕事もしてたし」

田中要次「上京前は、僕鉄道で働いてたんで。国鉄。国鉄って知ってますか(笑)?」

ハライチ澤部「若い子は…」

ハライチ岩井「JRね」

ハライチ澤部「JR前のね」

田中要次
JRの昔は国鉄だったんですけど(笑)。
国鉄最後の採用で。就職して。
5年間働いた後、民営化になって。えー4年近くJR東海にいました」

 

母「アンタだけはまともだと思ったのに!」

神田愛花
「そうそう。辞められるってね、結構安定した収入があったと思うんですけど、それを辞められてっていう」

田中要次「だから決心するまでに、1年はかかりましたね。
あのーやっぱり、サラリーからフリーになるって、やっぱ怖かったですよ」

ハライチ岩井「親とかは反対しなかったんですか?」

田中要次
「いや、もうあのー、とりあえず母に報告しなきゃと思って、あの退職届出す前に実家帰って、伝えて。
まあ、一緒に夕飯食べて、お袋が洗い物してる時に、突然キレだして。
アンタだけはまともだと思ったのに!!」って食器を投げて」(笑)

ハライチ澤部「アンタだけはっていうのもすごい…」

田中要次「アンタだけはも引っかかっちゃいますね。また、その話は…。すいません(笑)」

津田寛治「兄弟がね」

 

通った映画館で映画監督と知り合い…バンドメンバー役で映画に出演

ハライチ澤部「へ~。もともとやりたいという思いがあって、国鉄で働かれてるんですか?」

田中要次
「え~いや~芸能界とつながれるとは思ってなかったですよ。
ただその、民営化で愛知県出て。で、名古屋の映画館通ってたんですよ。

そうすると、あのー舞台あいさつでいらっしゃる監督さんとかが…そういう方たちと知り合ってるうちに、まあ山川直人という監督が「音楽系のショートムービーを撮るんだけど、君楽器やってたんだよね?」って知っててくれて。
あの、アマチュアバンドやってたんで」

ハライチ澤部「それを知っててくれたんですね?」

田中要次「それで、「あのメンバー役で出てみない?」っていうのが最初だったんですね」

アンジャッシュ児嶋「アマチュアバンドは、プロ目指してやってたんですか?」

田中要次
「まあ…(首を振る)一応、あのオーディションも受けたりはしましたけど。
絶対食っていくことは無理とは思ってました」

津田寛治「え、え、ボーカル?」

田中要次「ボーカル(笑)」(スタジオ え~)

津田寛治「マジで!?」

ハライチ澤部「もうなんか表に出ることはしてたんですか」

田中要次「ステージの上には立ってたんですね」

 

仕事をやめて上京し、竹中直人さん監督作品の裏方として働く…カメラテストで代役がきっかけで出演するように

ハライチ澤部「それでもお仕事辞めて、上京するんですね?で、その後はどういう流れなんですか?」

田中要次
「そして、その時の初めて出演した作品のスタッフさん頼って、えーまず照明部に入ったんですよ。
その現場の監督が、竹中直人さんだったの」

(当時29歳の照明部で働いている時の田中要次さんの写真が映る)

津田寛治「かっこいいよね、BOBAさんね。あの照明機材」

田中要次「ひげ生やしてましたね(笑)」

ハライチ澤部
「雰囲気ありすぎるよね(笑)役者を食う照明さん(笑)
え、それ竹中(直人)さんの作品で、まだ裏方さんですよね?その時は」

田中要次「最初は、あの照明スタッフの一番ね、あのね?あの…何て言うんだっけ?
新人として扱ってもらって」

神田愛花「え、それスカウトされるとかですか?その現場で」

田中要次
「あ、それでね。あのーカメラテストっていうのがあったんですよ。フィルムテストか。
そん時に、まだ竹中(直人)さんいらっしゃらなくて。
で、撮影技師の方から、「あのー君、竹中と額似てるから、ちょっとモデルやって」」(笑)

ハライチ澤部「確かに似てますね」

田中要次
「あのーィルムテストのモデルで映ったら、それを見た竹中さんが「おっ、こいつ面白い顔してるな」つって
ちょっとどこかで出てもらおうって話になって」

ハライチ澤部「え~面白い人生っすね」

神田愛花「なんかパワーとか感じられたんでしょうね、画面から」

田中要次「まあね。上京したばっかりで、思いつめてたんでしょうね(笑)」

ハライチ澤部「顔になんか出てたんですね、悲壮感が(笑)」

田中要次「エゴンシーレの自画像に似てるって言われたんですよ、当時は。痩せてたんで」

津田寛治「エゴンシーレって画家がいるんですけど」

ハライチ澤部
「津田さん以外(エゴンシーレを知らなくて)誰もちょっと反応できませんでした(笑)失礼しました」

ハライチ岩井「分からないとも言えず」(笑)」

 

津田寛治さん「北野武監督との出会いで開いた俳優人生」

18歳で役者になりたくて上京し、色々な監督に直談判

ハライチ澤部「一方津田さんはどういう流れで」

津田寛治
「そうっすね。最初はだから、役者になりたくて18(歳)の頃に上京してきて。
で、まあアルバイト色々やりながら
あのー何て言うんですかね。フリーでやってた時期があったので。

色んな日本映画をたくさん見る中で、この監督好きだなって監督にまあ直談判よくしてたんですよ。そうなんですよ。
まあもちろん、監督の事務所に行って、プロフィールをお渡ししたりとか。
あのー留守だったらポストに入れたりもしてたけれども。

その当時やってたアルバイトが、アオイスタジオっていう老舗の録音スタジオの1階にある喫茶店でウエイターをやってたんですね。

だからその録音スタジオには色んな監督がやっぱり来てたんで。
やっぱここでも渡さなきゃそりゃ損だよなと思って。

だからそん時の経営者の方が、まあ奥さんっていう…経営者の奥さんだったんですけど、がすごく良い方で。
寛ちゃんもうどんどんプロフィール渡しなさい」と。優しいんすよ。そう。
「で、もしね決まったらね、バイトなんかもう休んでいいんだから。もう行っていいんだから。とにかくどんどんここで渡して、あなた売れなさいよ!」って言ってくれる奥さんだったんですよ。」

 

アルバイト先に来た北野武監督の温かい対応

1対1になれるトイレでプロフィールを渡し…

津田寛治
「それで、そこで色んな監督が来てたんですけど、中でもびっくりしたのが北野武監督が来たんだ。

で、僕あのやっぱ『その男、凶暴につき』とか『3―4X10月』とか観て。
「やっぱすげぇ監督だな。この人コメディアンなのになんでこんなすごいの撮るんだ」とか思ってたから。
これは渡すしかないと思って、いつものように渡そうと思ったんだけど。

やっぱ色んな方が周りにいらっしゃるんですよね。色んなスタッフさんから…そう。

しかも気抜くとね、その喫茶店の隅っこでこう思いつめたような青年までも、北野監督のとこ行て、ブワーッて滑り込み土下座をして、「殿!弟子にして下さい」

コメディアンとしての弟子志願。

で、周りのスタッフの人に「ちょっとこっちでお話聞くんでね~」って(連れてかれて)。

それがウェイターまでがそんなこと言ったら、何だこの店はって。来ねぇぞみたいになっちゃうから。

どうしようと思って見てたら、やっぱトイレだけはお1人で入るんですね(笑)。あのお付きの方いかない。

あ、じゃあこれトイレで渡せばね。1対1で渡せるかなと思って。
それで、スッと入った瞬間にプロフィール持ってバーッて。
プロフィールと手紙持って」

ハライチ澤部「隣行って?」

津田寛治
「そう、隣。「あの…北野武さんですよね?」って言ったら「うわっ、びっくりした」って」

ハライチ澤部「そうでしょう そうでしょう」

津田寛治
「で、あの僕、実はあの監督の映画大好きなんで。
その、何て言うかあの…俳優みたいなの目指してまして。

あの…なんていうか…あの、あの…うまく言いたいことできないんで、手紙書いてるんで、あの…あとプロフィールもあの…」って、それこそ不審者ですよ。

で、「お願いします」って言ったら、やっぱり普通だったら、「ごめん。ちょっと表にスタッフさんいるから、スタッフさんに渡して」ってなるかと思いきや…。

ずーっとその、気がついてみたら、ずっと僕の話を「はい。はい」つって聞いてるわけですよ。

「はい」。なんか上司の話を聞いてるような感じで。「はい はい。わかりました」ってこう(両手で紙を受け取って胸ポケットに入れて)言ってくれて」

アンジャッシュ児嶋
「いや、たけしさんも怖かったんじゃないですか?(笑)
相当怖いと思いますよ。うん、そうそう。
でも受け取ってくれたんですよね」

 

1年間何もなく…アルバイト先の奥さんの一言で急に出演することに

津田寛治
「そうですよ。いやもう、これだけでいいやと思ってね。喜んでたんですけど。
それから、まああの頃北野監督は、1年に1本ぐらいのペースで撮られてたんで。
で、その丸々1年なかったんですね」

ハライチ澤部「ああそうか。作品もなかったし、お話も来ず」

津田寛治
「で、僕はその関係のプロデューサーの方にプロフィール渡したりとかして。

で、あの監督には一応OKもらってるんで、なんとか出さしてくださいとかいろいろ言ってたんですけれども。

そしたらある日、あの北野監督がフラリときたんですよ。
ほいで「あんちゃん元気?俳優まだ目指してる?

(スタジオ「え~ 覚えてるんだ」)

津田寛治
「そうなんですよ。「あ、ああ。ありがとうございます。あの、まだやってます」。

うん、頑張ってね」とか言って。

あ、よっしゃ。これで一つ繋がったと思ってたら、俺をこうガーッと押しのけるように。
さっきのあの人思いの人情溢れる奥さんが、ガーッと押しのけて

監督ひどいじゃないですか。うちの子一年待ってたんですよ。いろんな人にプロフィールとか渡したりして。
聞いたら明日クランクインってどういうことですか、それ。おかしいじゃないですか!
なんでオーディションすら呼んでくれないんですか!
私ちょっと見損ないましたよ、監督」って俺の方見て。
「寛ちゃん、出なくていいから」って」(スタジオ爆笑)

ハライチ岩井「すごっ!」

ハライチ澤部「こんな作品でなくていいって?(笑)」

津田寛治
「終わった~」と思ってね。
(北野監督が)「そうだけど、ごめんね ごめんね」って言いながら、そのスタッフさんがワーッといる打ち合わせの席について。

で、ホントにもう階段をね、20~30段を転げ落ちたような気分で皿洗ってたら、監督が「あんちゃん、出番だよ。ちょっとおいで」つって僕のこと呼んで。

で、こう集まってるスタッフに僕を指さしながら、

「あの、このあんちゃんがさ、あの俺がいつも通ってる喫茶店でウエイターやってんだよ。
でもウエイターだけど、こんな(とんがった)頭して、派手派手の服着てウエイターやってるから。
俺があんちゃんみたいの「ウエイターだったら、ウエイターらしい格好して働け、この野郎」って言うから。
そしたら、このあんちゃんが、えっとこのぐらいのサイズで、「すいません」って。
これ1つ増やすから」つって(笑)」

ハライチ澤部「え~すげ~しびれる~」

アンジャッシュ児嶋「なにそれ~」

ハライチ岩井「え~!」

津田寛治
「それで俺の方見て、「あんちゃん今回「すいません」だけでごめんな」って。(澤部「うわ~かっこよ」)

俺ね。いや、今思うと俺、もし逆の立場だったら、そんなさ、覚えてただけでもさ、あのーあれなのに。

その店の奥さんにさ、見損なっただのなんだのボロクソ言われて。
え、何で俺このおばさんにここまで言われなきゃいけないんだって」

ハライチ澤部「怒りますよね、ふつうね」

津田寛治
「「ああ、わかりました わかりました」って普通だったらもうそれで終わりじゃないですか。

なのにあの時の監督は、「これ申し訳ないことした」って思ってくれたんですよ。
どこの馬の骨か分かんないヤツにプロフィール渡されて。

それが今考えると、ほんっとにすごい人だなぁと思って」

ハライチ澤部「喫茶店のママが誰よりも北野作品の登場人物見たいですよね。すごい話ですね」

 

テレビ番組の大道具としてもアルバイト「徹子部屋やミュージックステーションのセットを作る」

津田さんが経験したアルバイト(一部)

居酒屋の店員、バーテンダー、配送業者、引っ越し業者、ホテルの宴会係、モデルのスカウト、アンケート調査員、テレビ番組の大道具、電話でのアポ取り、カフェのウエーター

 

ハライチ澤部「モデルのスカウト」

津田寛治「あの、渋谷のスクランブル交差点のところ」

ハライチ澤部「テレビ番組の大道具さんもやられてるんですね」

津田寛治「やりましたね~。なんか結構、『徹子の部屋』さんのセット作ったりとか」

ハライチ澤部「え⁉部屋作ったんすか?」

津田寛治
「作った!あれね、ルーティーンなんで簡単なんですけど。(笑)そうそうそう。
組み立てが。パネル出して引っ付けるだけみたいな。

あと、「ミュージックステーション」とか。

あれは大変でしたね。毎回違うセット作らなきゃいけなくて。
ただあの頃って、もうバブルだから人が足んないから。
俺なんか入って1週間ぐらいなのに、もう親方ぐらいのポジションについて。(爆笑)そう、すぐ。

で、1曲ずつ毎回新しいセットだから。
誰もその組み立て分かんないから、青図を見て組み立てなきゃいけないので。

俺入って1週間で、青図見ながらこうなんかパネルとか、あの樽木をこうやってコンコンやってたら、全然違うものがやっぱできた」(スタジオ爆笑)

ハライチ澤部「なんだこれ!って」

津田寛治
「そう。だから総括の人がそのセットをバーンって足で蹴って。
「お前、何作ってんだ、この野郎!誰だこんな素人呼んできたの!!」って(笑)」

ハライチ岩井「そりゃあ、素人だからね」

津田寛治「そう。素人だから」

ハライチ澤部「色んなバイトを経験されてっていうね。下積み時代と」

神田愛花「でも全然苦労って感じでらっしゃらないですもんね。それがすごいですよね」

ハライチ澤部「楽しかったんですね。もうずーっと」

津田寛治
「でも怒られるのはつらかったですね、やっぱ。バイトでね。
ただ、もうね、週1回あのレッスンみたいのがあって。
もう、それ行くのが楽しみで生きてたみたいな」

ハライチ澤部「それはお芝居の…なんなんですか?劇団のとかなんですか?」

津田寛治
「まあ、劇団だったり。あと、インチキくさーいプロダクションのなんか…(笑)
まあ、よく分かんないから、片っ端からプロダクションとか声かけて。
「ああ、いいよ いいよ。君すごいなんか才能ありそうだからウチ入んな」って言って、ものすごい高いレッスン代取られたり」(笑)

ハライチ澤部「危ないっすよね、今も。あるからね」

津田寛治「そういうのいっぱいあって」

 

大人気ドラマ『HERO』…「あるよ」のセリフで人気者に!(田中要次さん)

色々な「あるよ」を試行錯誤

ぽい③田中要次さんへ 今でも「~ありますか?」って聞かれて、「あるよ」待ちされること多いっぽい

(ドラマHEROのセリフ「あるよ」で大ブレイク)

田中要次
「いや、もうね。あれから24年経ってるんですよ。
いまだに「あるよ」「あるよの人だよね?」とか。
あの、「あるよって言って」つって。(笑)」

神田愛花「え、お嫌ではないですか?」

田中要次
「嫌ではなくなりました(笑)。ちょっと恥ずかしい時はあったんですけど。
もうこれがね、僕のバロメーターかなみたいな」

神田愛花
「なんかバス旅の時は、バスあるかないかみたいになるじゃないですか。で、聞けばもう。
「え、要次さん、バスありましたか?」」

田中要次「あるよ」(笑)

神田愛花「これです。はい、そうなんです」

 

アナウンサー「ちなみに、この「あるよ」のセリフ。初めは「あるよ」ではなかったそうなんです」

田中要次さん演じるバーのマスターが最初に登場したHERO第1話での最初のセリフは…

(ドラマ「HERO」第1話の映像が流れる。バーデのシーン)

田中要次「ビール」

(ドラマ「HERO」第2話の映像が流れる。バーデのシーン)

松たか子「たまご酒ってできます?」

田中要次「作るよ たまご酒」

 

初めて「あるよ」を言ったのは第4話

(ドラマ「HERO」第4話バーでのシーンの映像が流れる)

木村拓哉「(朝食)あるんですね」

田中要次「あるよ」

木村拓哉「あのー…納豆とか…」

田中要次「あるよ」

これが名セリフ「あるよ」の元祖

 

ハライチ澤部「最初ビール…あれはなぜ4話で、「あるよ」に変わったんすかね?」

田中要次
「なんですかね~。でも今の流れで見ると、あのーまあ最初ね、本当に「ビール」としか台本に書いてなかったんで。

まあ、普通お店の人として、「ビール」って出すの不自然だなと思ったから。
「はい、ビール」って出したんすよ。
そしたら、監督から、「田中さん。「はい」はいりません」。

「はい」いらない。「はい」を言わない。
「はい」とも言わないバーテンダーってどんなキャラ?みたいな(笑)」

ハライチ澤部
「監督はもう一言でやりたかったはやりたかったんですね?最初っから」

田中要次
「なんか、普通は嫌だったんでしょうね。普通の人はね。
だって、衣装合わせもなかったんですよ、あれ。
衣装合わせなく、あの衣装でしたから」

津田寛治「あのピチピチの?」

田中要次
「そう。それで、衣装合わせもないのに、すごいキャラづくりされてるなと思って。
それで第1話のラストカットの時に、あの毎回モノクロでストップモーションになるんですけど。
その時に、木村拓哉くんと松たか子ちゃんの真ん中に僕立ってストップモーションになったから。

いやいやいや、待って。あの、ある意味レギュラーエキストラかもしれない俺をなぜ真ん中に立たすんだよ。(笑)

このストップモーションはなんだと思っていたら、なんかだんだんこう色々なんか…なんですかね?
決め台詞に変わってったんですかね。一発でなにか…」

ハライチ澤部「4話の時の「あるよ」は書いてあるんですか?あれはもう台本に」

田中要次
「書いてあったんですけどね。でもその前にね、なんかあの…「作るよ たまご酒を」。作るよも3文字じゃないですか。
たまご酒言わしたら、コイツ滑舌悪いからダメだなって(笑)」

ハライチ澤部「ちょっと長かったなって(笑)?」

田中要次「毎回「あるよ」でいいんじゃないか、みたいな(笑)」

ハライチ澤部「そしたら、その「あるよ」の言い方もなんか…」

神田愛花
「ねえ?全然違うじゃないですか、毎回。あれは、ご自身で色々計算されたんですか?」

田中要次
「いや、計算というか…まあ、質問されたことっていうかその返す言葉の気持ちをまず考えなきゃいけないというのはあったし。
あのーなんでしょうね。
えーっと、いわゆるもう試合に出て、1球しか球を投げられない立場なわけですよ」

津田寛治「NGは出せないみたいな?」

田中要次「ほぼ、ほぼ1回しか撮ってませんから」

ハライチ澤部「えっ!基本、基本あれ全部1回ですか?」

田中要次
「はい はい。僕のために何回もは…(やらない)。
「あ、違う。今の「あるよ」違うな」とは言わない」(笑)

ハライチ澤部「でもなんかありそうっすけどね」

田中要次
「僕の中でも試行錯誤してるけど。あのーたぶんもう時間もないから、そのままね、それが出されていくわけだから。
だから僕ん中では、いつもこう投げては、「いやー今のボールだった気がするな」とかね。
「あ、今日はうまく投げられたかな」みたいな。
もうそれをブレを…ブレがいつもあった感じ」

アンジャッシュ児嶋
「それやり直しはなかったんですか?「ちょっと、今の「あるよ」違うから」とか」

田中要次「違うとは…そこまで言われなかったですけど。」

神田愛花「でも、間もすごいじゃないですか。毎回間も」

田中要次「あ~。でも間もね、編集でどうにでもなりますから(笑)」

 

現場での木村拓哉さん

神田愛花「ちなみに木村(拓哉)さんはその「HERO」の現場ではどんな感じだったんですか?」

田中要次
「まあホントに、初めてお会いした時が一番記憶がね…何て言うんでしょう。衝撃的だったんですけどもね。

あのーまず、セットの外にある前室ってあるじゃないですか。みなさんが集まる所。
常に彼はいたような気がしますね」

ハライチ澤部「は~コミュニケーションをというか」

津田寛治「控室には戻らなかった?」

田中要次「あんまり見なかったですね。だから、彼はいつ台本を見てるんだろうと思ってたんですよ」

ハライチ澤部「そこで見てないんですね、木村さんは」

田中要次
僕ですら「あるよ」を見てるのに。(笑)
ここで「あるよ」だなみたいな(笑)」

ハライチ岩井「さすがに覚えてきてくださいよ」

ハライチ澤部
「もらわなくてもいい、台本を(笑)だいたい「あるよ」ですから」

田中要次
「いや~とにかくセリフもすごいナチュラルだったんで。
あのー俺はアドリブでやってんのかな?とも思ってたんですよ。
で、その台本見ながら、「いやーちゃんとやってるわ」と(笑)」

ハライチ澤部「あんまり崩したりもしてないんですね。ちゃんと」

田中要次「そうそう。だから、すごいなと思いました」

ハライチ澤部「みんなであの、HEROメンバーでご飯とかはあったんですか?当時」

田中要次
「1度だけですけど。あのーそのバーのシーンで、昼食の時間が入って。
当時あのー渋スタって分かります?NHKの近くに、スタジオ。
あそこで、あのーシーズン1のHEROを撮ってたんですけど。
で、外に食べに行こうってことになって。誘ってくれて。

松たか子ちゃんと木村(拓哉)くんと僕と監督と。
4人ぐらいで、外出たんですよ。
「へ~外に食べに行くんだ」と思って。
ついてったら、もうすれ違った人がみんなUターンして戻ってくるんですよ。

「えー!今の…今のあの人じゃない!?あの人じゃない!?」。

で、近くのカレー屋さんだったかなぁ。
入ったら、もう窓ガラスが全部…まあ、ああいう感じですかね(スタジオの外の窓ガラスからスタジオの中を見てる人達)」

ハライチ澤部「ああ、もう観覧客」

田中要次
「歩道にお客さんたちが…通行人の方たちが溜まっちゃって。
ああ、これがスターってもんかと思いましたけどね」

 

田中要次さんは永遠の下級生!?

質問 犬飼がボバっちってよんだらブチギレるっぽい

田中要次→△

田中要次
「僕ね、あのサラリーマン時代、あのずっと僕の後の新規採用がなかったんですよ。
鉄道にだから9年近くいて。
だから、後輩を持ったことがなかったんで。

で、上京してからあのーある時友達に、「あのーボバって永遠の下級生だよね」って言われたんですよ(笑)

俺をボバっていう人も年下だったんですけど(笑)

結構、結構年下の人たちと付き合ってたんですけど、みんな僕の事「ボバ」って。「さん」はついてなかったですね。
ある意味慣れてるんですね。ていうか、僕も気がつかない(笑)」

ハライチ澤部「そういうキャラっていうかね。可愛がられるタイプなんだな~」

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