【日曜日の初耳学】所ジョージさん(70)×林修 「カミさんには毎日笑っててほしい」(2025年3月30日放送)

所ジョージ「もうすごいですね、このスタジオが。花がいっぱい。生きてる花でしょ?全部」

林修
「これはもう毎回ゲストの方のイメージに合わせて花人の赤井勝さんっていう方が工夫を凝らして。
今回のお花のテーマなんですけれども。遊び心いっぱいで多趣味で多方面に活躍されている所さんを70種類の花やグリーンで挿花し、楽しい空間を作りましたと。
この間古希(70歳)を迎えられたということで、70」

所ジョージ
「先生やめてくださいよ、そのー。70って、みんなに誕生日で祝ってもらったりとかね。パーティーやってもらったりするじゃないですか。
俺70だよって確認しろって言われてるみたいで。

国の方からも(運転の)高齢者講習。この間行きましたよ。
で、そういうおじいちゃんおばあちゃんと…まあ私もそうですけど、並んで講習受けるじゃないですか。
で、そしたら教習所みたいなところが、来ることわかってるんですよ、私の事、本名で。

来ることわかってるからウェルカムで、「写真一緒に撮りましょう」とか「サインお願いします」とか言ってね。それ私を特別な目で見てるわけじゃないですか。
だったら、特別扱いしろって話。(笑)

普通だったらね、「あ~、こっちで全部やっときますから、内緒でね」なんつって。
これでいいじゃないね?」

 

ミュージシャンとしての顔

現在抱えるMC番組は8本!
そのどれもが長く愛され、35年続く番組も。
(「所さんの目がテン!」35年、「世界まる見え!テレビ特捜部」34年、「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」28年など)
正に日本一の司会者だが、あくまでもその本業はミュージシャン。

 

新浜レオンさんに提供した楽曲が日本レコード大賞作曲賞を受賞

昨年新浜レオンに楽曲提供した「全てあげよう」(作詞作曲 所ジョージ)がオリコン週間ランキングで1位を記録。
日本レコード大賞作曲賞を受賞。
さらに、芸能生活48年目にして初の紅白歌合戦出場まで果たした。
これまでに制作した楽曲は2000曲以上。
他にも研ナオコ、八代亜紀、とんねるず、コブクロなどにも楽曲提供している。

 

林修
「去年はこの新浜レオンさんに提供した楽曲「全てあげよう」がまあ大ヒットしただけではなくて、日本レコード大賞作曲賞を受賞と」

所ジョージ
「あれ面白いですよね。ああいうのって毎年やってるじゃないですか。
で、他人がとってる時は「そんなの取ったってしょうがねぇよな」って思ってるのに、自分がもらうと超嬉しいんだけど。(笑)

当事者になると感情が変わるんですね。
(自分は)そういう人なんだなと思って。

そうすると、奥田民生あたりにも「お前とってないだろ?」みたいな話を。
「俺とってるからね?」みたいな」

林修「やっぱり自分が歌う曲と他人に提供する曲はどういう所が違うんですか?」

所ジョージ
「いや、全然違いますよ。あのー提供する歌は、皆さん見てる方たちもこう同調できるような分かりやすい歌

例えば「季節が変わる」とか「寄せては返す波」だとか「君の事を守り続ける」とか。
そんなのを並べてけば、大体皆さんは納得するわけですよ。(笑)
大体納得するんですよ。大体納得する。

で、私の歌はそうじゃなくて。
日常の皆さんが忘れているようなところに、こんなにいいことがあるのにとか、こんなに感情が動くのにとか

だから例えばかみさんがなんかこう山でこう鎌だしてなにか取ってると。
で、キレイな花だなぐらいだけど。
そのキレイな花にポイントを置くんじゃなくて、そこからもう1回引いたその山にいるカミさんが花に見えたみたいな話を歌にしたいんです、僕は」

林修「それすごくいいじゃないですか。それだったら別に他の人にこう…」

所ジョージ
「いやこれね、なかなか伝わらない。
やっぱね、世間様っていうか、皆さん見てる方にはまあキャッチーであったり、ちょっとリズム感が途中変わったりとかっていうのにしないと、やっぱ皆さんそれに慣れちゃってるから、みんなが。ええ。

だから、僕のあの何て言うんでしょうかね。ステージなんかは面白いですよ。
皆さんと一丸となりたくないんだから」(笑)

林修「なりたくない!?」

所ジョージ「うん。手拍子はやめてくれと。お前のリズムで歌いたくないっていう」

 

超有名なあのCM曲も実は所さんが作った曲「ジャンボ宝くじ」「スーパーカップ」

毎日ギターをかきならし、曲が完成したらスタジオに入り、レコーディング。
多い時は年間100曲以上もの曲を作るという。
中には誰でも一度は聞いたことがあるこんな曲も…。

「ジャンボ宝くじ」CMソング(1996年~2006年)
『あ、それ!ジャジャジャンボでごまんと当たる 3億1億ごまんと当たる ドリームジャンボ3億円♪』

「明治エッセルスーパーカップ」CMソング(1996年~1999年)
『一緒に食べよう 明治エッセルスーパーカップ♪』

 

勝手に名探偵コナンのテーマを作る

そして今年。国民的アニメのテーマソングを勝手に制作していた。

林修「特に依頼があったわけではないのに、名探偵コナンのテーマを作られたんですか?」

所ジョージ
「アハハハハ(笑)!よく知ってますね。
これはね。コナンもいろんなテーマが流れるけど。

いやこれは、「そうじゃないコナンは」と。
「こうなんだ」っていうのを作っといて。
作って、それを(アニメ放送に)被せてコナンを観ると」

林修「実際にどういう曲なのかを教えていただくことは可能ですか?」

頼まれてもいないコナンのテーマ曲 作詞作曲所ジョージ
『♪解けかけた謎が震えだしたら
あなたの運命 逃げても無駄
真実はいつもいつもひとつひとつだけなのさ』

(中島健人「めっちゃいい」 ハライチ澤部「めっちゃコナンじゃん」)

林修「もういかにもコナンって感じで、出来上がってるじゃないですか」

所ジョージ
「これはね。あの僕は(木梨)憲(武)ちゃんのドラマもそうだけど(ドラマ「春になったら」)。
(主題歌を)福山さんが歌ってたんですけど。

あれん時も、あのテーマ(曲)から挿入歌から(勝手に)3つぐらい作ってますよ。

あの福山氏の歌でそのエンディング入るんじゃなくて、自分の歌でそのドラマを観たい
先行型なんですよ僕は。あの先行型作曲家だから。(笑)

林修「依頼があってから作ってるんじゃ遅いと」

所ジョージ
「うん。あの依頼があってもすぐできます。次の日にはできますけど

だから(新浜)レオンくんが書いてくださいって言った時は、もう次の日には3曲ぐらい書いてましたから。
で、今あとレオンは15,16曲持ってます」

林修
「ああ、そうなんですね。だから、レオンさんご自身も「何であんなにすぐできるんだ」ってことを不思議に思ってらっしゃるようですよ」

所ジョージ「ああ、できますよ」

林修「だってお忙しいじゃないですか」

所ジョージ
「だってその今「できるんですか?」って言ってたじゃないですか。
「たたたんたたた」ってもうメロがあるじゃないですか。「らららんららら」って。
「らららんららら~」っていうメロがあるじゃないですか。
ああ、できますよ。ちょっとギター出しましょう。
じゃあ「♪できるんですか」っていう」

(ギターを弾きながら歌う所さん)

林修
「なんかやっぱり普段から指先を動かして、頭を動かしてるから、だからいつまでもお若いんですね」

所ジョージ「褒めてくれますね、ずいぶん」

 

流行った言葉は実は所さんが発祥

死ぬほど、うざい、メリクリ、あけおめ

音楽センスと軽妙なトークを併せ持つ所ジョージは、1976年21歳でダウン・タウン・ブギウギ・バンドで人気絶頂だった宇崎竜童の付き人のような形で、芸能活動をスタート

実は所ジョージという芸名を付けたのも宇崎竜童
※所ジョージさんの本名は角田隆之(かくた たかゆき)

そして、22歳にして楽曲「ギャンブル狂騒曲」でメジャーデビューを果たすのだが…

「ギャンブル狂騒曲」
♪パチンコの発音は人それぞれによって違う
パチーウンコという人もいれば パーチンコ

歌詞がとがり過ぎていたからか、全く売れなかった。
しかし、この曲をきっかけに唯一無二のワードセンスが注目され、深夜ラジオ黄金期のオールナイトニッポンでメインパーソナリティーに大抜擢

※この時のオールナイトニッポンの曜日担当は、
月曜日 中島みゆき、
火曜日 所ジョージ、
水曜日 タモリ、
木曜日 ビートたけし、
金曜日 吉田拓郎、
土曜日 笑福亭鶴光

林修
「先ほど「今でしょ」の話が出ましたけど。あの僕実はあれで2013年にあのー流行語大賞頂いたんですが。第1回の大衆賞は所さん」

※1984年「す・ご・い・で・す・ネッ」で第1回新語・流行語大賞の大衆賞を受賞

林修「調べて驚いたんですけれども、「死ぬほど」っていう言葉流行らせたのは所さん?」

所ジョージ
「そうですね。あのーもう何年も前ですけどね。何十年も前ですけど。
例えばこうラーメン食べて「死ぬほど美味い」とか。「死ぬほど美味いわ~」って大袈裟な表現で言うじゃないですか。
もう当時は「やっぱ芸能人だから凄いですね表現が」とか言われたんですよ。
この辺がちょっとくすぐったいとか歯ごたえが悪い言葉が好きなんですよ」

林修「あとうざい」とか「メリクリ」とか「あけおめとかも」

所ジョージ
「「うざい」なんていうのは、もうウチの僕が中学生の時に、近所のおばあちゃんが使ってた言葉ですから。
友達ん家に集まると「お前らうざってえな」「うざいな」つっていうのでずーっと。
例えばオールナイトニッポンなんかで「うざい うざい」って使ってたのが学生に広まってみたいな」

 

俳優活動

赤塚不二夫さんの「映画やりたいな」で台本も無いまま始まった撮影

今や誰もが当たり前に使う言葉を流行らせたずば抜けたワードセンス。
その原点には、おそ松くんや天才バカボンの赤塚不二夫やイグアナの形態模写で一世を風靡していたタモリなど新進気鋭の才能と過ごした20代の日々があった。

林修「え、1979年に「下落合焼とりムービー」で俳優デビューされたと」

所ジョージ
「俳優デビューっていうよりあの頃赤塚(不二夫)さんとかタモさんとかとみんなで遊んでたんですよ。
で、そん中であのー赤塚さんが「映画やりたいな」なんて言い出したんですよ。
それで、大人たちが面白がって、台本も無いまんま始めるじゃないですか、映画を」

林修「普通じゃ考えられないですよね」

所ジョージ
「だから、ストーリーがデタラメなんですよ。(笑)
どういう気持ちでやりゃいいのよ、これっていう。ね?
で、芸能界がそんなによく分からないから、大人の言うこと聞くじゃないですか。
今となったら「ちゃんとやれよ」って言いに戻りたいですよね、ホントにね」

林修「所さんにも芸能界がよく分からない時期があったんですね」

所ジョージ
「そうですよ。その頃は赤塚さんの所に遊びに行ってて。
土曜日は必ずその新宿で飲み会なんですよ。
で、僕は車だからウーロン茶飲んで。

で、そのお寿司屋なのにキャベツしか出てこないんですよ。
生のキャベツを塩で食べるみたいな。
それが洒落てるみたいなことを思ってるんですよ、赤塚さんたちがみんな。

寿司屋なのに寿司は1回も食べたことないんですよ。
キャベツ食べながら、みんなウーロン茶割り飲んでんですよ。
で、皆さん酔って。「所乗っけてけよ」なんて言われて。皆さんのお家に車で」

林修「運転手がわりで」

所ジョージ「そうそうそう。みんな送って。でもそれも楽しかったですからね」

 

黒澤明監督 映画「まあだだよ」への出演オファー…日本アカデミー賞助演男優賞受賞

時代をリードする才能と時間を共にする中で、所ジョージのセンスも磨かれ、当時の若者を熱狂させるカリスマへと上りつめていく。
そんな彼にほれ込んでいたのが日本が世界に誇る映画界の巨匠・黒澤明監督。
遺作となった映画「まあだだよ」への出演を自ら所ジョージに依頼した。

林修「1993年には、黒澤明監督からオファーがあって。直接なんか黒沢監督から…」

所ジョージ「ああもう全部教えてもらいましたよ」

林修
「黒澤さんから「もうリハーサルに出なくていい」と言われたというお話を伺ったんですけど」

所ジョージ
「ああ、ですよ。あのリハーサルとかみんなやってて。叱られたりなんかしてんですよ。ね?
だから、申し訳なくなっちゃって。
で、「僕も…黒澤監督。僕も立ち稽古から全部参加しますから」って手挙げたんだけど。

(黒澤監督に)「あんたはいいよ」とか言われて。
あんたはいいんだよ。やったって変わんないんだからな」つって。(笑)
「まあ確かにそう言われりゃそう…」」

林修「そういう理由で(笑)」

所ジョージ「そうそうそう。でもホントにね、監督とは良い経験しました、僕は」

この作品「まあだだよ」(1993年)で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞
所ジョージのマルチな才能はさらに加速していく。

 

映画「トイ・ストーリー」の声優…僕は起きたらもう所ジョージ

その一つがディズニーとピクサーが誇るCGアニメの金字塔。
映画「トイ・ストーリー」でおもちゃの人形バズライトイヤーの声優に大抜擢。

林修
「そして1996年にはディズニー映画の「トイ・ストーリー」であのバズ・ライトイヤーで…」

所ジョージ
「ああ。「私がバズ・ライトイヤーだ」みたいな。「宇宙の彼方にさぁ行くぞ」って。
これ子どもから電話があった時ね、色んな人の家の子ども。みんな喜びますよ。
「私がバズ・ライトイヤーだ」っていうと」

林修「ああ、そういうサービスもなさるんですね」

所ジョージ
「ていうか、僕は起きたらもう所ジョージなんで。もう全然。
で、プライベートとか仕事なんて、全然。そんなん全然関係ないですよ。
もうこういう仕事なんだから。もうずーっと

だから自分で車運転して、ウロチョロしながら職場に行って帰ってくるっていう。

あとわがままな…申し訳ないって思いますよ、いつも。
皆と一緒に(アフレコ)やるのダメなんですよ」

林修「なんかみんなでワイワイやってる…」

所ジョージ
「それはないですね。必ずモニターがあって、テーブルがあって、こうやって1人で。
で、こう時間見ながら、自分でやりますね。

で、ディレクターが「もう1回お願いします」って言うと、わざと下手な方にいきますね。(笑)
「言ったからこうなったんだ」みたいな。(笑)

どういうことなんでしょうね?この性格が。
なんかね、今やった事を良しとしてくれみたいなのどっかにあんですよ。

ライブだから、今みたいなことなんです。やり直しが嫌なんですよ。
やり直すと、自分の持ってるポテンシャルが低かったってことになるんで。
出た言葉が最善だと思ってるんですよ」

林修「そうなんですか」

所ジョージ
「うん。…あっ!ヤバい!語ってる!ああ~、苦しくなってきた、今!
ああ…俺おだてられて語ってる~。
話術!話術がいいですね。もう~やめてよ~。
あ、わかる!この番組に来たゲストがみんな語っちゃうの!」

 

起きた瞬間から所ジョージ。
人生にリハーサルは無いというその覚悟で生きているからこそ、多くの人が所ジョージの今に魅了されるのかもしれない。

 

家族

夕飯が1日のピーク…皆で食べることがすごく美味しい食事

林修
「所さんといえばもうとにかく家族を大事にされてる
そして、お家で夕食を召し上がるっていうのを基本にしてるっていう」

所ジョージ
「そうですよ。だからもう毎日。夕飯を1日のピークに持ってって。ええ。
だから、どうしても夕方以降のね、撮り(撮影)の時にはね、行けない日もありますよ。

笑ってコラえて!」ね。

あれ夜も遅くまで(収録)やるんですよ。あの日だけ夕飯食えないんですよ。
何とかなんねぇかなと思って。(笑)」

林修「ちょっと僕の力では何とも…。あの「ポツンと一軒家」ね、だいたいもう…」

所ジョージ
「ああ!最高!「ポツンと一軒家」はスタジオが家の近所で。
しかも5時半ぐらいにちょうど終わんですよ。最高ですよ。最高」(笑)

 

結婚生活44年目の今も1日のピークは妻と手料理を食べる瞬間だと考えている。

そのため…

(奥さんへ電話をかける所さん)

所ジョージ
「もしもし。えー本日天王洲で6時10分終わりなんで、(帰宅時間は)7時過ぎです。はーい。7時過ぎです。はいー」

仕事の後は打ち上げなどに参加せず、真っ直ぐ帰宅。
この生活を30年以上続けている。

 

所ジョージ
「夕飯はなんか下のお姉ちゃん(次女)と私とカミさんで食べるじゃないですか。
で、たまに孫がランダムみんな来て食べるじゃないですか。
あのーそのひと時がもう何ものにも(代え難い)っていう感じ

林修
「でも、30年40年てその間ずーっと続くと、やっぱ人間ってなかなかこの時間が貴重だと思えないじゃないですか」

所ジョージ
「ああだって、美味しいものは分かりますよ。いろんなもので。これが美味しいっていうのは。
だけど、それを超えられないんですよ、状況が。
つまり、お水いくら美味しいって言ったって、溺れてる時に出されたってマズイでしょ。
状況は溺れてる時は、水なんか求めてない。
だけど砂漠だったら、状況が砂漠だったら水はすごく美味しい。

だから、状況が意外と味覚の半分以上いくんじゃないかと僕は思ってるんですよ。

そのみんなでワイワイガヤガヤ1皿から、家族とはいえ、逆さ箸で(取る)みたいな。
見てない時は自分(の箸)で食べちゃうけど。(みんなが)見てる時は逆さ箸でみたいな。
半分何かぐずぐずしたルールだけど。
やってるのが、なんかすごく美味しい食事って感じしてる。うん。
だからそういうのがなんか豊かだなって思っちゃう。どうしても」

 

家族との夕食が所ジョージの最高の贅沢。

新浜レオン
「あのーレコーディングしていて、必ず6時になると家に帰るんですよ。
で、食べ終わったらまた戻ってくる。(スタジオゲスト「え~」)
そうなんです。もう必ずまずは帰るという」

 

夫としての姿…妻には毎日笑っててもらいたい

所ジョージが結婚したのは1981年26歳の時。
今年で結婚生活44年目。

林修「まあでもとにかく、日本一の愛妻家といっても過言…」

所ジョージ
「いや、愛妻家じゃないですよ
毎日ね、「あの人は役に立つな」って思われたいだけ
役に立ちたいんじゃなくて、思われたいだけなんですよ」

林修「でも、スマホの裏に奥様の写真が貼ってあるとか」

所ジョージ
「だってほら、バカな写真なんだもん、だって。
たまたま子供が撮ったんだね、写真。
それ(カメラ)に向かって「ばぁ~」とか言って油揚げ切ってるんですよ。
その写真もらって。これ待ち受けだなと思って。そりゃそうですよ」

林修「ここ(本)にも書かれてますけど、奥様の笑顔を見られるように頑張ってるっていう」

所ジョージ「そう。毎日笑っててもらいたいですね、これは」

林修「奥様はどんな方なんですか?」

所ジョージ
「うちのカミさん?先生会ったことないから分かんないんでしょうけど、ウチのカミさんはね素晴らしいんですよ
あのね。骨組みがすごい

女子はお化粧するじゃないですか。
で、お化粧をとると、まあ素顔になるじゃないですか。
その皮膚を取って肉を削いで全部とってくと、たぶん骨組みがめっちゃキレイだと思います」

林修「もう所さんには骨組みが見えるんですね」

所ジョージ
「見える。あとね、うちのカミさんがかっこいいのがね。
うちの八王子の別荘の所に、外の蛇口があったんですよ。
で、そこのところにホースがあって抜けやすかったんですよ。
そん時カミさんが「ヒモで縛っておいて」って言われた時に、俺はヒモを探したんですよ。
その山の中腹みたいなところで。
「ねぇよな、こんなとこに…」つったら、カミさんがどっかからなんか木探してきて。
あれビーってむしって(木の)皮を。
それでクルクルって結んでピシッと締めた時、「かっこいい」と思って。
なんでカッコいいな、おいって。」

 

父としての姿…何かを与えるより経験や思い出を残す

あの所ジョージがカッコイイと憧れる妻。そして2人の娘にも恵まれた。
そんな家庭で父親としてどんな姿を見せているのか?

林修
「あの娘さんがお2人いらっしゃるということで。
父親としての所ジョージはどういうそんざいなんですか?」

所ジョージ
「いや全然。カミさん任せになっちゃってたんで。ええ。
あ、でも、毎週のようにあいつら小っちゃい時はキャンプ行ってましたね」

林修「あの川遊びに行って、そこがすごく混んでた。近くの所で池掘ったって…」

所ジョージ
「よく(私の本)読み込んでますね、これ。ねえ?(※所ジョージ著「幸せのひきがね」)

あの皆とこう並んで同じ所行って、ここが泳げるとこです、遊泳できるとこですよっていう所が混んでる。

混んでないとこ探そう。で、やっぱ混んでない所は大していい所じゃない。
で、子どもたちが遊べるように「じゃあ俺が池を作り出す」と。ね?

で、もう池だってなかなかできないじゃないですか。
石どかして、水引いてみたいな。
と、なんか泥のような汚い濁った池みたいのができるじゃないですか。
で、そこで「できたよ」って言ってもみなさん「えぇ…」なんて言いながらやってんじゃないですか。

でも、思い出としては、お父さんが頑張った土木の思い出が残るじゃないですか。

一番ウケたのはなんかね。コロナ禍でみんながどっか出かけちゃいけないって時に。
で、しょうがないから「俺プール作ってやるわ」つって、薪をこう並べて。
で、そこにビニールシート敷いて、青い。
で、そのビニールシートの上にもう1個薪を置いて。
そこに水をこうやって溜めだして。

こんな浅いんですよ。こんな浅いんだけど、これはみんなにウケたね。
カミさんがまずそこで平泳ぎ始めましたからね、こうやって」

何かを買い与えるより、汗をかいて自分で作る。
その出来不出来よりも頑張る父親の姿こそ、家族の記憶に色濃く残る
そんな家族との向き合い方一つも所ジョージは楽しんでいる。

 

妻は他人だからこそ、大事に…僕がいる人生になってしまった責任がある

林修「ご結婚されて44年。ちょっと夫婦円満の秘訣を1つ教えていただけないかと」

所ジョージ
円満の秘訣なんかないっすよ、別に全然。
そもそもだって、カミさんと僕は他人なんで
で、娘は血が繋がってるじゃないですか、両方とも。
だから、娘には厳しいこと言ったっていいんですよ。血が繋がってる
嫌われようが何しようが半分血が僕なんですから。
カミさんとは何にも繋がってないんで、大事にしないとなっていう気持ちはありますよ。
ええ。ああ、ヤバい!語ってる。ついつい!林先生やめてくださいよ、それ」

 

本人は照れて語りたがらないが、過去には妻についてこう語っている。

(雑誌 「ザテレビジョン」より)

僕と結婚しなければ、彼女には違う人生があった。
ところが結婚したことで「僕がいる人生」になってしまった。その責任がある。
だから1日最低1回はあの人に笑っていただかないと困るわけ。

 

北野武さんとの仲

毎年正月に沖縄旅行…予約・手配・セキュリティー役は所さん

そんな所夫妻が理想の夫婦だとビートたけしも公言している。

林修
「あのー北野武さんが「目指すは所夫妻」って。
あのぐらい幸せになりたいっていうのをこうマスコミにも出ましたよね」

所ジョージ
「いまだに電話かかってきますよ。
たけちゃんが、肉が食いたくなると、自分絵描くじゃないですか。

顔に青ざめたメイクして、ここに「肉が食いたい」って訴状みたいなの(紙に)書いて(手に持って)。(写真撮って)メール送ってくるんですよ。

そうするとウチのカミさんが「ああ、分かりました。じゃあ肉ですね」なんつって、届けたり、とりに来てもらったりするの。

おもしろいやりとりしてんですよ」

 

芸能界の大先輩ビートたけしとは30年来の家族ぐるみの関係で、一緒に旅行に行ったことも。

林修「前仰ってましたけど、旅行行く時は全部所さんが手配して」

所ジョージ
「ああ!たけちゃんとでしょ?
一時期ね、毎年沖縄に行ってたんですよ、正月に。

そりゃあ、たけちゃんはいいですよ。
「え、所沖縄行かないの?」つって。「ああ、わかりました」つって。なるじゃないですか。
そうすっと、チケット手配から。もう3か月前からの予約から

ほいで、あの羽田(空港)とかに着くじゃないですか。
そしたら、まあ一応私がセキュリティーじゃないですか。
そいで、部屋まで行って「ここでちょっと待っててください」つって、1回バーッと入り口のとこ行って。
「何分からここ入れる?」とか言って聞いて。
で「何分です」って言って。バーッと戻ったりなんかして。

で、そろそろってことで、たけちゃんをいざなってこう行くじゃないですか。
「あ、ちょっとしょんべんしてから行く」とか言って。「いや、今行きたい~」。

ほんとにね。

で、ゴルフ場もとっとけって言うから。
沖縄ってゴルフ正月混んでんですよ。
それでそれ無理してとってもらって4日間押さえるじゃないですか。
1回もしないの。全部キャンセル
ゴルフバッグも全部届けてるのに、1回もやんないの。

しょうがないから、キャンセル キャンセル キャンセルっていっちゃうと申し訳ないんで。
「じゃあカミさん悪いから、俺たち2人で行く?」なんて言って。で、カミさんとゴルフやって。
で、少しはゴルフ場の顔もたてたりなんかして。1回は来ましたよみたいな。

それはそれでね、楽しいですけどね。ええ」

毎年正月の3か月前になると、ビートたけしに伺いをたてつつ、旅行の手配に奔走していた所ジョージ。
さすがに今年は行きたくないな…と思う事もあったらしいが…

所ジョージ
「これね、一時期たけちゃんにわざとこうその話題に触れないように触れないようにして11月ぐらいになってたけちゃんが「沖縄行かないの?」つったら、「な!ああ!忘れてた。チケットもう予約取れない!」って言ったんですよ。

(たけちゃんが)「プライベートジェットを用意しよう」って言って。(笑)
で、プライベートジェットで行ったことあるんですよ、2人で。
いい経験になりましたけどね」

 

そんな所ジョージといえば、今ではなかなか手に入らない貴重な旧車やアメ車をはじめ、数えきれないほどの数のオートバイに、プラモデルやモデルガンが300丁。
さらにはヴィンテージものの洋服など。
その趣味の幅広さに、木梨憲武やヒロミなど多くの芸能人も憧れる存在。

 

人生哲学

手間がたくさんかかることが愛情

所ジョージが2006年に作った世田谷ベース
ここは、仕事場であり遊び場
壊れたものがあれば自分で直すことも、所ジョージにとって楽しい時間となっている。

林修
「ホントにもうたくさんのモノが。すごい所さんが作られるし、集められて。
もう記念館みたいになってますよね」

所ジョージ「おもしろいのは、世田谷ベースにペットボトルがないっていうのと。紙コップがないってことです」

林修「なんかペットボトルについては(本で)ずいぶん厳しいこと書かれてますよね」

所ジョージ「厳しいですね、僕はね。だって、ペットボトルほどバカな物ないじゃないですか。」

林修「いや、そんなこともないですけど…(笑)」

所ジョージ
「いや山とか公園に持ってくにはいいですよ。
山行って、最後潰して、軽くなって持って帰る。これはいいですよ。
けど、茶の間で器がある中でペットボトル持ってんのはバカしかいないんじゃないかと思って。
これ器があって急須があるのに、なんでペットボトルなんだよ!って思うの」

世田谷ベースではペットボトル禁止。
お客さんに出すお茶は、必ず器に入れて出しているのだが、そこにも所ジョージの美学が。

林修
「所さんはやっぱりペットボトルのお茶は世田谷ベースでは飲まないで。
自分でちゃんと入れて飲まれる。そこの手間は惜しまない?」

所ジョージ
「そうですね。あと、お客さんにだすのにも、ペットボトルでは出さないですね。
例えばペットボトルにしかないような飲み物でも、器に入れて見えないようにそれを出しますね」

林修「ああ。そこはひと手間惜しまない

所ジョージ
「だって、手間がたくさんかかることが“愛情”だから。ええ。
だから、喉が潤うことが愛情じゃないからね」

効率を追い求めるだけの人生では味気ない。
手間をかけてこそ人生を深く味わえる。
それが所ジョージ流、人生を豊かにする秘訣。

 

未来は分からない。今を一番にしてれば次のステップになる

新浜レオンさんからの質問
「世の中のすべての喜びを知っている所さん。これ以上の目標や展望があるのかお聞きしたいです」

所ジョージ
「あ、目標、展望?
僕はずーっとここまで、なんかこう自分なりに満足した時に「これが目標だった」ってその時に思う
だからまあ、何か失敗して変な物ができちゃっても、「これが目標だった」って言いきって、正解にして次にいくという」

林修「じゃあ、未来を見据えての目標じゃないんですね?」

所ジョージ
「うん。未来がなんかすごく遠くとか近くに感じたりとかみなさんするじゃないですか。
いや、今が“未来のどんつき”なんだからっていう。

この先の事なんかは、そうなってみなきゃ分かんないわけで。想像したところでしょうがない
だから、今を一番にしてれば、次のステップになるけど。
「今をあんまりよくないよ」って未来の事考えようじゃ、何にも前に進まないと思う。
だから今が未来のどんつきだと思ってるんで」

林修「すごく哲学的なお話で」

所ジョージ「あ!やばい!また語ってる」(笑)

 

テレビ

テレビは面白い。出る人がつまらない

半世紀近く芸能界のトップを走り続ける所ジョージ70歳。
仕事をする上で大事にしていることとは…

林修「ずっとトップを走ってらっしゃる所さんから見て今のテレビ界にはどう思われてます?」

所ジョージ
「ああ、今の?よくあの「テレビはつまんない」って言ってるその…テレビは面白いですよ。出る人がつまんないんですよ

僕らはあのーもうテレビの初期の頃じゃないですか。
そうすっと、画面に向かって正対であれみたいなことを訓練されてるわけですよ。

そこを守らないで、ドキュメンタリー風に…やっぱドキュメンタリー撮ってもらうほどのお前か!ってな話ですよ。

だからなんか正対で何か茶の間に向かって笑顔であるっていうことが大事でって僕は思うんですよね。

だから、そういうなんか、何て言うの経験がないからみんなこうガヤガヤガヤガヤしちゃっててって。だから、つまんなくなってっちゃう。

なにがなんでもこうやってやっぱお行儀よくね。観てる側に正対でいてよっていうような。

だから、昔は肩をこうやられた(向きを直された)もんですよ。「こっちだろ」みたいに。

だからいまだに僕はたけちゃんには、「あっちです」ってやってますけどね。(笑)
「あっちです」っていうね」

 

テレビでは嘘をつきたくない

テレビの前の視聴者に真っすぐ向き合いたい。そんな思いから、テレビで嘘をつきたくない所ジョージは、例えば味の感想を求められたときにも…

(ある番組のVTR映像が流れる)

目の前のおかずを一口食べ…

所ジョージ(VTR)「ん?セロリの方がいいね、普通の」

忖度なく、感じたことをそのまま発言する。

 

(スタジオで)

チャンカワイ
「本当の気持ちの食リポしはるから。もうあかん時はあかんって言いはるんですよ。
「うん。これ揚げてるんじゃなくて、煮つけの方がいいな」とか。
作ってる人(生産者)いはるのに平気で言わはるんですよ」

田村淳「でも所さんが言うと、なんか嫌な感じしないんだよね」

チャンカワイ
「そうなんですよ。所さんが「美味しい」って言ったらバズるんですよ。
お店のサーバーがダウンしちゃうくらい」

視聴者に対して誠実に向き合う姿勢こそが、正対であり、そこから生まれる信頼関係を大切にしている。

 

引退はテレビが呼なくなったら

日本一の司会者所ジョージが考える引き際とは?

林修「いや、もうずっと活躍されてますけど、引き際なんか考えることはおありなんですか?」

所ジョージ
「まあ、テレビが呼ばなくなったらやんないですよ。
それは気がつくじゃないですか、自分でも。そしたらもうやんないですね。
ああ~でも呼んじゃうだろうな。面白いもん」(笑)

(スタジオで…)

林修
「テレビ界について最後おっしゃった「視聴者に正対する」。
正面から向き合って、行儀よくっていうことは、ちょっとハッとしましたね。
今我々がそこはもう1回自分の事確認しなきゃいけないポイントをおしえてもらった気がしました」

 

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