林修「でも、こういうところ(バラエティー)に出ていらっしゃるイメージがないので、ちょっとこう」
渡辺謙「いや、時たま出てるんですけど。あんまり印象に残らないのかもしれません(笑)」
雑談:野球・あいみょん・孫の話
林修
「でも僕、テレビで一番印象に残ってるのが、あのー甲子園のバックネット裏で。
ストライクだとこうやって(手を叩いて)。
あれはもう何度も拝見したんですけど」
そう。渡辺謙は阪神タイガースの熱狂的ファン。
ハリウッド出演の傍ら、暇を見つけては、試合会場へ。
試合中には、誰よりも早く拍手。
さらに、満塁のピンチを乗り切った時には、雄たけびを上げて万歳。
渡辺謙
「基本野球を観る時は、ビールも飲まないし。野球を楽しんでるっていう感じなんですよ。
なので、1球1球に「かぁ~」ってなっちゃうんですよ。」(笑)
林修「で、今は長野県にお住まいなんですか?」
渡辺謙
「まあ、どこ住んでもいいんですよ。
どこ住んでもいいんですけど、結局オフの時。仕事を1回離れる時は、俳優とかそういうのを全部脱ぎ棄てる時間がどうしてもいるので。」
林修
「普段はそうやって長野にいらっしゃるんですけど。先日は有明まであいみょんのライブに行かれたっていう話を聞いたんですが」
渡辺謙「はい」
渡辺謙さんはあいみょんさんのライブにも通う大ファン。
(あいみょんと渡辺謙さんが2人で写る写真が出る)
渡辺謙
「はい。終演後にちょっとご挨拶をさしていただいて。
こうあいみょんのファンって、結構50代、60代のおじさんも多いんですよね。
だからすごく居ても自分違和感なかったです」
林修「ちなみに、どの曲が1番好きお好きですか?」
渡辺謙
「僕は割と初期の頃の歌は好きですね。
でも、1番最近の歌では、『猫にジェラシー』ですかね」
杏さんの語る渡辺謙さん
ハリウッドスターの父をどう評価しているのか?
杏
「そうですね。なんでしょうね…私よりもその家事能力とか段取りみたいなのはすごいなって。
まだ子ども達が赤ちゃんの頃にも東京の私の家に来たことあったんですけど。
まあちょっと、例えば(夜)8時くらいになると、1回子供たちを寝かせに行って、私が部屋にこもらなきゃいけないのが、大体1時間ぐらいあるんですけど。
その間にもう全て。台所もキレイになり。
で、残りのものでなんかちょっと簡単なツマミまで作り。
で、あと犬の散歩までし…みたいな。
なんて便利なんだという」(スタジオ爆笑)
そんな渡辺謙が溺愛しているのが、3人の孫たち。
杏
「たまに自分が自分の洋服を買いに行った時に、じゃあ孫の分も買おうかなときっと思うと思うんですけど。割とサイズが違うことが多かったり…。
3Year(3歳)って、Yみたいなのと。(3)M…Month(3か月)間違えて。
3か月の赤ちゃん用の帽子とかを買ってくることとか」
(渡辺謙「洋服のサイズはね。分かんない。難しくて」)
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ハリウッドでも主演を務める世界的俳優。
その共演者のスケールも桁違い。
トム・クルーズ、レオナルド・ディカプリオ、モーガン・フリーマン、クリント・イーストウッド、キリアン・マーフィー、ゲイリー・オールドマンなど世界的スターばかり。
さらに、今年『SHOGUN 将軍』でエミー賞を獲得した真田広之さん。
ハリウッドスターの仲間入りのきっかけ…映画『ラスト サムライ』(44歳/2003年)
渡辺謙の名を一躍世界にとどろかせた作品が…
興行収入140億円を記録したメガヒット映画『ラスト サムライ』(2003年)。
この作品で、米アカデミー賞の助演男優賞ににノミネートされ、一躍ハリウッドスターの仲間入りを果たした。
オーディションを受け出演…なんとなく始まった映画撮影
実は、当時44歳だった渡辺謙が出演の切符を掴んだのは、なんとオーディション。
林修「(オーディションの)手ごたえはおありでした?」
渡辺謙
「うーん…あんまりないんですよね。
「はい。あの、無事合格しました。じゃあ、よろしくお願いします。いつからいつまで撮影なんで…」とか一切話がないんですよ」
林修
「あ、そういうの無しですか?向こうの仕事って、すごい厳密な契約書を交わしたからやるっていう印象があるんですけど。そうじゃないんですか?」
渡辺謙
「ないです。未だにないですね。
あれね。何だろう…面倒臭い人だとやるんですよ。
これをやらないとダメとか。これをやって欲しいんだよねとか。
そういうの(=色々な条件)がものすごいこう積まれる人もいるんですけど。
ほとんど僕はないですね。
もうだから、ほぼ仕事が終わる時に、「これこうだよね」つって、「OK OK」つってサインをするみたいな」
ギャラは全然高くなく…日本の方が稼げる額
林修
「あ、じゃあ、それちょっとやらしい話ですけど、ギャラがいくらっていうのもその段階で分かったんですか?」
渡辺謙「えーと、それはもうちょっと前には分かってますけど」
林修「当然納得できる額で?」
(首を横に振る渡辺謙さん)
林修「えっ!?納得されてない…?」
渡辺謙「日本で仕事してる方が全然稼げるよねみたいな」
林修「えー!?だって、あれだけ大きな予算の映画ですよ?」
(うなずく渡辺謙さん)
林修「勝手にすごいもらったという風に思ってますよ」
渡辺謙「いや、結局新人扱いなんですよ」
林修「あーそこ、オーディションを受けての」
渡辺謙
「うん。え⁉おっかしいじゃん。
これ俺日本で8か月仕事したら、もうちょっとお金にはなるよねぐらい。
下手すると半分?みたいな」
林修「そうなんですか?でも、結果的にはやっぱ出られて良かったって?」
渡辺謙
「いやもうだから、ものすごい大きなあのー言ってみれば、強い名刺を作ってもらったって感じですから」
共演した俳優・真田広之さんと毎年2人だけで忘年会
この『ラスト サムライ』をきっかけに、もう一人ハリウッド進出を決意した日本人がいる。
それが、俳優・真田広之。
今年アメリカのテレビ界で最高峰に君臨する「エミー賞」で史上最多の18部門を受賞した時代劇ドラマ『SHOGUN 将軍』。
その主演からプロデュースまでを務めている。
林修「真田(広之)さんとはご交流がおありなんですか?」
渡辺謙「ありますね。「ラスト サムライ」以降は、毎年2人だけで忘年会してましたね」
林修「そうなんですか?どこでですか?ご自宅…」
渡辺謙
「僕のアパートに来て。
「今年どうだった?」「もうそろそろ体使うのやめた方がいいんじゃない?」とかね。
なんかちょっとボヤキ倒しながら。ずっと飲み倒して。
「じゃあね。また来年」みたいな」
林修「今回の(真田広之さんの)受賞に関してはどうお考えですか?」
渡辺謙
「あのーもちろん真田君がプロデューサーとして入ったっていうのは、相当色んなことに「こうしたい。ああしたい。これは違うよね」っていうことを言える環境を彼は作った。
だからホントに彼の苦労というか。
あの、日本から優秀なスタッフを連れて行ったりとか。
まあ、日本から俳優を連れて行ったりとかしてたので。
相当な色んなこう配慮をしながら。
まあ彼は、もともとプロデュースの力があるので。
そういう意味ではホントにあのハマったんじゃないかなと思いますね」
ハリウッドで上手く行くコツは…自分を曲げない信念とそれをひっくり返せるしなやかさをバランスよく使う事
林修
「でも、今日本の若手俳優の方もハリウッドにこう進出なさる方多いと思うんですけれども。
何か上手くいくためのコツっていうか何かそういうのはないんですかね?やっぱ…」
渡辺謙
「うーん、まあー…僕のすごい私的な感覚で言うとですよ。
やっぱり自分のやってきたことを曲げない。信念みたいなスタイルというか。
それと、全部それをひっくり返してもいいぐらいの鷹揚(おうよう)さ、鈍感力みたいな。
その両方をうまくバランスよく使える人が向こうでは成功するんじゃないかなと思うんですよね」
林修「なるほど。それ謙さんご自身は、何を貫き、どこをひっくり返されたんですか?」
渡辺謙
「やっぱり。例えば日本を題材にした作品だとするじゃないですか。
そうすると、できるだけ、日本語でそのセリフを喋るのと同じ感覚で僕はやりたいと思ったので。
どうしてもやっぱり、英語だとこうオーバーアクションになったり、表情が大きくなりすぎたりするんですけど。
いや、侍はそんなことしないと。
っていうので、できるだけ、普通に僕が日本語で日本の侍を演じる時と同じレベルで英語を喋りたいっていうのは、トレーニングしましたよね」
自分自身を信じ切る「芯の強さ」とそれを曲げても折れることのない「しなやかさ」。
一見矛盾するこの2つを武器に、44歳で海を渡り、20年以上もの間、世界の第一線で活躍し続けてきた。
レオナルド・ディカプリオとの共演秘話(映画『インセプション』で共演)
その人柄と仕事への真摯な姿勢でハリウッドスターたちを魅了する渡辺謙。
中でも彼を尊敬しているのが、レオナルド・ディカプリオ。
2人の間には、世に知られていない数々の伝説があった。
伝説①極寒の冬山で渡辺謙がディカプリオの命を救う
※レオナルド・ディカプリオとは映画『インセプション』で共演
渡辺謙
「ディカプリオはね。レオはね。
僕いっつも緊急避難用におにぎりは、絶対現場持って行くんですよ。
いや、やっぱりその撮影の都合で、ランチが2時とか3時になることは平気なんですよ。
で、カナダのカルガリーの山の奥の方で撮影をしてて。
もうすんごい寒かったんですよ。
で、「これはもうダメだ…お腹空いてこれほんと凍えるかもしんない」と思って。
あのデイバッグこう探ったら、まだおにぎりが2個残ってたんですよ。
で、(ディカプリオに)「食うか?」つったら、「うー…食べる」って言うんで。
でももう、結構おにぎりが冷たーくなってたんですけど。
でも2人で凍えながら。冷たーいおにぎりをかじってましたね」
林修「それも謙さん手作りのおにぎりを2人で?」
渡辺謙「はい」
伝説②沈みゆくディカプリオを救う
渡辺謙
「まあでも、『インセプション』って、1回バン(車)が水の中に落ちて、そっからみんなが緊急脱出をする。まあ、夢の中の話ですから。
で、それを…そうだなー10回ぐらい撮ってたんですよ。
で、もうホントに頭に酸素が回らなくなってて。
そん時はね、かりんとうを持ってたんですよ、僕。
甘納豆とかりんとう持ってたんです。
で、(レオナルドディカプリオに)「これ甘納豆食べる?」って言ったら、「これなんだ?」って言うから、「うーんとね。鳥のフンをちょっと加工したやつなんだよね」って言ったら、「いらない いらない」つって。
で、かりんとうだ。「これは何?」って言うから、「うん。犬のフンを加工したやつだ」って。
ひどいよね。
で、僕がもうポリポリポリポリ食べてるから。
うまそうだな~って言って(レオが)食べたら、みんなすごい美味しそうだって言ってましたね」
林修「そんな脳に酸素がいってなくても、なんでそこ1ボケ入れられるんですか?」
渡辺謙「はい…それはそこ」
アメリカではアカデミー賞にトニー賞にノミネート。
さらに、日本アカデミー賞でも2度の最優秀主演男優賞を受賞。
俳優・渡辺謙の原点
俳優人生のスタート(19歳)…演劇集団「円」の研究生に
1959年 新潟県の山間部に生まれる。
19歳の時、役者を目指して上京。
演劇集団 円(えん)の研究生として、俳優人生がスタートする。
研究生1年目に、蜷川幸雄さん・唐十郎さんのオーディションに合格し、準主役に
渡辺謙
「研究生の1年目の後半に、(演出家)蜷川(幸雄)さんと(劇作家)唐(十郎)さんが西武劇場ってところでやるオーディションを受けたら受かっちゃったんですよ」
林修「演劇界のトップと申し上げていいですよね?ああ、その方がもういきなり?」
渡辺謙「ええ、あの。まあ準主役みたいな形で」
林修「え⁉もういきなり準主役ですか?」
渡辺謙「はい」
林修「それが世に出るきっかけですか?」
渡辺謙「そうですね」
親に米とそうめんだけ送ってもらい生活
林修「でも、生活は大変だったんじゃないんですか?」
渡辺謙
「まああのー親には、米とそうめんだけ送ってもらって。
それで、おにぎりを握って。だからもう、その頃からおにぎり」(笑)
林修「おにぎりだったんですね。なんか人生の大事なポイントでおにぎりが出てくるんですね」
渡辺謙
「はい。もうこっからこっち(体の半分)はもう全部おにぎりでできてるみたいなもんですよね」
林修「ああ、いやいや…」 (スタジオ「失礼すぎるって!」)
一気に花開く俳優人生
デビュー1年目で蜷川幸雄に見出されたことで、渡辺謙の俳優人生は一気に花開いていく。
実は、この舞台を観ていたNHKプロデューサーが渡辺謙に目を付け、映像作品に度々起用し、26歳の時には、朝ドラ「はね駒」(1986年 斉藤由貴主演)ではヒロインの夫役に大抜擢。
しかもそこで…
NHK朝ドラ出演(26歳)→翌年、大河ドラマの主役に
渡辺謙
「朝ドラをやってる時に(スタッフから)、「来年ちょっと大きい時代劇があるかもしれないから、馬と殺陣だけはやっといてね」って言われたんですよ。
で、まあずっと1年ぐらいかけて、朝ドラやりながらこう準備をして。
発表の前日ぐらいに、「えーっと、明日記者発表があるから行ってね」って言われて。
「え?何の記者発表ですか?」って言ったら、「いや、大河ドラマだよ」って。
「はあ。で、何をやればいいんですか?」って言ったら、「いや、主役だよ」って言われて。
スーツも持ってなかったんで。慌てて買いに行きましたよ」
NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』の主演に(28歳) 平均視聴率39.7%
28歳で掴んだ初主演のドラマ。それが…
驚異の平均視聴率39.7%を記録したNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(1987年)。
これは61年の歴史を誇る大河ドラマの中で、堂々の第1位という国民的大ヒットドラマであり、渡辺謙の出世作となった。
俳優・勝新太郎さんとは撮影本番まで顔を合わせないように…「小田原で会おう」
実はこの作品には、昭和の大スター俳優・勝新太郎との大河史に残る初対面エピソードが。
2人が作中で初めて顔を合わせるのは、小田原参陣と呼ばれる歴史的場面。
勝新太郎は天下統一を目前にした豊臣秀吉、渡辺謙は遅れて合流した伊達政宗を演じるのだが、その撮影を前に…
渡辺謙
「勝さんがメイクテストをしているときに、いや一応ご挨拶をしとかなきゃいけないよねつって。行って。
で、鏡越しですよ。鏡越しで、僕は勝さんの背中から「あ、あの、政宗をやらせていただきます、渡辺です。よろしくお願いします」つって。
僕を鏡越しにこうずーっと見てて。
「ああ。小田原で会おう」って言ったんですよ」
林修
「多分歴史上もホントに初めてあそこでっていうことでしたから。
じゃあそれホントリアルに再現されて」
渡辺謙
「もうドッキリみたいなもんですよね。
絶対顔を合わせないように。支度部屋でも。
で、あのそれぞれで。段取りだけ別々にやって。で、「よーい どん」ですよ」
豊臣秀吉と伊達政宗の関係性を勝新太郎と渡辺謙に重ね。
お互いの命と命を突き合わせた緊迫感を撮影で再現。
リハーサルなしの一発本番。
およそ1分間、一言も言葉を発しないこの場面は大河史に残る名場面となった。
勝新太郎さんは何が起きるか分からない人…だからこそ、リアルな演技ができる
渡辺謙
「ホントに、何が起きるか分からない方なんですよ。
で、まああのー、(伊達政宗は)独眼(どくがん)竜(りゅう)…隻眼(せきがん)なので。
通常はこっちのその目を接着剤があるんですけど、それをまつ毛に塗って1つをつぶしてたんですよ。
こう眼帯をしてる時は、ちょっと透ける眼帯なので、そのままにして普通はやってたんですけど。
(勝新太郎さんが)「それはなんだ」って言って、もしかしたら(眼帯を)外されるかもしれないんで。(眼帯している時も)全部潰して。何が来てもいいように保険をかけて」
林修「それ当然そんなの台本にないわけですよね?」
渡辺謙「ないです」
林修「でも、なさる可能性があると?」
渡辺謙「もうなんでも。まあホントにだから、政宗と同じ心境ですよね」
何が起きるか分からない。
だからこそ、リアルな演技ができることを勝新太郎から学び。
それは30年の時を経た今も渡辺謙から後輩たちへと引き継がれている。
勝新太郎さんの心意気を後輩へ繋いでいく
2018年の大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』では、渡辺謙が薩摩藩の藩主を。
鈴木亮平は藩主に仕える西郷隆盛を演じたのだが‥‥。
2人の初対面シーンは…
渡辺謙
「初めて面と向かってやったのが、相撲だったんですよ。
藩主と相撲をとるっていうシーンが初のお目見えだったんですよね。
「もうとにかく手は考えずに、ガチンコでやろう」つって。
林修「いやでもそれ、亮平さんも相当プレッシャーあったんじゃないですか?」
渡辺謙
「いやだから。「俺は勝つよ」って。
ホントは僕負けなきゃいけないんですよ。
負けて、彼は藩主を投げ飛ばしたんで牢に入れられるっていうお話だったんですけど。
「もう俺勝つよ」って。ホントにちょっと卑怯な手で立ち合いましたけどね」
林修「なるほど。そういう形での継承が」
渡辺謙
「もしかすると、自分の未来のことを全部わかっててお芝居すると、爆発できないかもねって。
先にこうなるって思っててやるのと。
え⁉この先どうなっていくんだ俺はって思っているのとでは、顔も変わってくると思うんですよね。
まあ、同じことをね、継承はできないんですけど。
そのー心意気というか。そういうものは、やっぱりこう繋げていきたいよなとは思ってますよね」
大病をきっかけにがらりと変わった人生観
急性骨髄性白血病を発症(29歳) 胃がんが判明(56歳)
初主演の大河ドラマも大ヒットし、トップ俳優への道が約束されたと思われたのだが…。
2年後の29歳の時。『急性骨髄性白血病』を発症。
さらにハリウッドで超大作への出演が続いた56歳の時には、胃がんが判明。
その俳優人生は、まさに絶望との闘いだった。
脇役を演じることが増える(40歳~)…「病気の後はおまけの人生」
実は渡辺謙。40歳を境に、脇役を演じることが増えていく
(40代前半 2000年~2005年 23本中16本が脇役)
林修「主演じゃない役どころも結構増えたなという印象があるんですが」
渡辺謙「いや、増えたというか、あえてそうした(=脇役を選んだ)んですよ」
林修「え、それはどうしてですか?」
渡辺謙
「あの、30代の後半ぐらいで、まあ「もう(白血病の)治療はしなくていいです」と。「まあ、色んなことに挑戦するのは大丈夫だと思います」っていう中で。
僕はすごい恵まれてたと思うんですけど。
テレビのシリーズものを(主演で)3本やらしてもらってたんですよ。時代劇と現代劇の。
で、「ずっとやり続けていい」ってプロデューサーの方も局もおっしゃっていただいてたんですけど。
なんかね。ちょっと自分の中の燃えカスみたいなものが、ちょっとそこには引火しなかったんですよね、もう。
これは1回ちょっと整理しないとダメかもしれないと思って。
もうそれは、「本当に申し訳ありません」つって。
3本ともこれでシリーズ終わりにしますってやめたんですよ。
で、40(歳)を機に、「もうちょっと主役じゃないのをやります」と事務所にも言って」
その時に抱いた心境を後にこう語っている
「病気の後は“おまけの人生”」
おまけの人生だからこそ、主演という安定より、脇役として挑戦できる道を選ぶ。
自らの心に再び火を点けるための決意だった。
今までと全く違ったイメージの役柄に挑戦(ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』/2002年)
そして出会った作品が、2002年 伝説的ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』。
この作品で、渡辺謙はこれまでのシリアスなイメージを覆す、コミカルな警察署長を演じ、アドリブで変顔のアイーンまで披露。
若い脚本家(宮藤官九郎・三谷幸喜)の何だこりゃ!?という脚本
林修「まああれを書かれた(脚本家の)宮藤官九郎さんって、謙さんから見るとホント若い脚本家ですよね?」
渡辺謙「若い。ホントすごい若かった。
もう脚本を見ると、「なんじゃこりゃ!」「はぇ?」みたいな。
なんかね。よく分かんないんだけど。
三谷(幸喜)くんもそうなんですよね。
三谷くんがまだ20代ぐらいで。
彼が初めて書いた2時間ドラマを僕やってるんですけど。
やっぱり、脚本読んでひっくり返ったっていうのは、その2人ですね。
ホントにソファからこうずり落ちるかって思うぐらい。
なんだこりゃみたいな脚本でしたから」
林修「でもやはり、そういうものの方が興味をかきたてる?」
渡辺謙「やっぱり、ちょっとワクワクしましたよね」
林修「じゃあ、そういう流れの中で、このアイーンも」
渡辺謙
「あの、(アントニオ)猪木さんの真似も好きだったんで。
(猪木さんの真似で)「なんだこの野郎」つって」
林修「今やってくださったんですね…」(スタジオ澤部佑「リアクションとしてはおかしいですよ」)
渡辺謙
「主役じゃないもの。いろんなこう方面っていうか、キャラクターに挑戦しようっていうのが、やっぱり少しずつ身になってきたのが「ラストサムライ」だと僕は思ってるんですよ」
ブロードウェイミュージカルの主演に(『王様と私』/55歳)
病気がきっかけで、脇役にも挑戦したことが、結果的にハリウッド『ラストサムライ』に繋がることに。しかし、ハリウッド挑戦の裏には地道な努力があった。
ラストサムライの前は英語が話せなかった渡辺謙だが、毎日4時間から6時間の猛勉強を半年続け。
40代にして英会話をマスター。
その英語力を生かし、55歳で新たに挑んだのが‥‥
全て英語…音楽監督が厳しすぎてノイローゼになるぐらい
初のブロードウェイミュージカル『王様と私』の主演。
もちろん、セリフも歌も全て英語なのだが…
渡辺謙
「早口言葉みたいな歌なんですよ。で、すっごい古臭い英語で韻を踏んで。
しかも速い歌なんですよ。
で、なおかつ音楽監督がメッチャ厳しい人で。
もうね。いじめかな?パワハラかな?って思うぐらい。
もうワンフレーズ…「♪タッタラッタララ」「No!」。「♪タッタラタッタララ」「No!」。
もうね。先進まないんですよ。
僕もうそん時は体のこともあったんで、トレーナーも連れてってたんですよ。
で、そいつがずーっと稽古を見てて。
で、「なあ、頼む。俺に歌の稽古の時は尖ったもの持たせんなよ。俺ホントにあの人刺しちゃうかもしんない」って」(笑)
林修「そのくらい厳しい?」
渡辺謙
「いやもうこう…こうですよ(頭がおかしくなる仕草)。ちょっとね。それだけでノイローゼになるぐらい」
公演期間中に胃がんが発覚…1か月後に公演に戻れる範囲で手術を頼み…
林修「なるほどね。で、しかも『王様と私』の公演期間中に今度は胃がんが分かったと」
渡辺謙「はい」
渡辺謙が主演を務めたブロードウェイミュージカル『王様と私』。
およそ3時間の舞台を週に8回。
そんな過酷な公演の合間に発覚した胃がん。
次の公演までおよそ1か月。
ここで降板し、療養する選択肢もあったのだが…
渡辺謙
「そのまあ、ドクターとすごくこう細かい話をさして頂いた時に。
「もし、できるんであれば、その1か月後に僕はニューヨークに戻りたいんです」と。
っていうお話をさせていただいて。
「その中でできる手術を考えてくれませんか?」」
精神的負担と肉体的負担。
2つの試練に向き合いながらも、渡辺謙は見事ブロードウェイの舞台に戻り、公演を大成功させた。
父の公演を観た娘・杏さんの思い「初めてすごいと思った」
その姿を見た娘でもあり、同業者でもある杏は…
杏
「『王様と私』のアメリカで公演を観たときに、なんか初めてすごいなって思ったんですよね。
あのまあ、もっと先に思ってろよっていう感じなんですけれども。
心の底から「うわー、すごいな」って感じられたのが、それは自分がその時に演じるという仕事を始めてたということもありますし。
だからこそ、この海外の地で、英語で歌を歌って、踊って、演技をするっていうことがどれだけ難しいことかっていうのも、想像でしかないけれども、分かるようになった時に、「ああ、すごいことをしてるんだな」っていう風にその時思いました」
この作品で再び世界的な評価を得た渡辺謙は、演劇界最高峰であるトニー賞にノミネート。
演劇でも世界のKEN WATANABEになった瞬間だった。
60歳…ディズニー映画初出演
そして、60代となった今も渡辺謙の挑戦は続く…
林修「ディズニー映画初出演なんですか?」
渡辺謙「声がかからなかっただけでね。あのー今までは。ずっとやりたかったんですけど」
2024年12月公開のディズニー映画『ライオン・キング:ムファサ』で、渡辺謙は主人公を脅かす悪役キロスの日本語吹き替えに挑戦。
吹き替えにあった3つの壁
林修「映画では歌にも挑戦されたんですか?」
渡辺謙「もうね。やたらややこしい歌だったんですよ」
林修「それはご経験がおありですよね?」
渡辺謙
「いやでも、結局さ、3つ壁があるわけですよ。
動物の口に合わせなきゃいけない。人間の口じゃないんで。
あと、英語で作られたリップに合わせなきゃいけない。
で、またそれがね。アフリカンサウンドだから、♪コッコッコッコ ココッココ…ってこういう歌で。割と念を込めるみたいな。
「お前はもうおさらばだ バイバイ」みたいなそういう歌なんですよ。
だから、そのもう(その3つに)かじがらめになりながら歌うみたいな」
林修「でもその3重苦をクリアされて」
渡辺謙「まあ、楽しめましたけどね。その3重苦」
林修
「家族のきずなも1つテーマになっていて。
どうですか?改めて、ご自身の家族の絆っていうのはおありですかね?」
渡辺謙
「それこそ胃がんを見つけられたのは、
「知り合いに良い検査…ドッグをしてくるところがあるから行ってみりゃいいじゃん」みたいな言ってくれたのはまあ彼女(=娘・杏さん)なんで。
カミさんもロンドン公演からすっごい僕がやることを全面的に応援してくれているので。
やっぱり仕事ができてるのは、家族のおかげだろうなと思いますね」
仕事をする上で大切にしている事
大きな病(白血病・胃がん)を前にしても、残りの人生はおまけ」と決して歩みを止めず、常に挑戦を続けてきた渡辺謙65歳。
そんな彼が大切にしている人生の指針とは
林修「最後に、仕事をする上で大切になさっていることをおしえていただけますか」
渡辺謙
「うーん…まあ少なくともこっから、30年40年仕事ができるわけではないので。
やっぱり「いつでも需要が来る」そういうスタンスをとれるような。
まあ、体もマインドも含めてですけど。でいたいですし。
色んなやっぱりまあ“興味の丈”みたいなものはたくさん自分の中でとっておきたいなと思ってますけどね」
人生をおもしろがり、それを新たな挑戦の火種にとする。