【日曜日の初耳学】キングコング 西野亮廣さん「ブロードウェイで成功した秘訣と走り抜けた20代」(2025年4月27日放送)

中島健人「西野さん、今ブロードウェイでめちゃくちゃご活躍中ですよね?」

西野「いや、その活躍してるかどうか分からないですけども。あのー活動はしてます」

田村淳「あら。めずらしく謙遜してますね」(笑)

西野
「ちょっとこれ約束していただきたい、今日は。
あの、お仕事の話を聞いてくださるっていう約束なんです、今日は。
その淳さんがちょっと邪魔ですね」(笑)

田村淳「林先生は西野はどういう風に?」

林修「ビジネスで成功される方ってやっぱり才能があって、現状をよく見て、勉強もされてますよね」

西野「あ、嬉しい!嬉しいなんか。林先生とだけ喋りたい」

 

 

ブロードウェイの舞台の共同プロデューサーに

マーケティング&かなりのお金を出資

現在ブロードウェイで公開中の舞台「オセロ」
デンゼル・ワシントン、ジェイク・ギレンホールなどそうそうたるハリウッドスターが出演するこの舞台で、西野は共同プロデューサーを担当
3週連続で興行収入1位を獲得し、1週間で282万ドルを記録した。

 

林修
「そもそもブロードウェイの共同プロデューサーというのは、どういうことをやるんですか?」

西野「これは、マーケティングとか。あとお金をリアルに出資してるっていうのはありますね」

ハライチ澤部「え、西野さんはどのぐらいしてるんですか?出資は」

西野「いや。具体的な額はちょっと言えないんですけれども。かなりです。かなり」

中島健人「どんぐらいですか?」

西野「だから~アホなん?」

林修「完全にペイした(=元がとれた)んでしょ?」

西野「そうなんですよ」

田村淳「そんな西野にケンティーから聞きたいことは何でしょうか?」

 

中島健人
「これです。『なぜ世界もブロードウェイで成功できたのか?』です。
日本人がブロードウェイで活躍するのって、枠って少ないし、めちゃくちゃ難しいと思うんですよね。
で、しかも出演者じゃなくて、裏方として注目されるって、僕聞いたことなくて」

西野
「えーっと…行ってみてすごく分かったのは、海外で活動する方法を僕たちはどこでも習ってないっていうことなんですね。
学校でも習ってないし。そして、業界でもこれが体系化されていないので。
結構あてずっぽうになってるなっていう。
でも、ちゃんとそこには方法があるかなっていうのは。
今日は、それを皆様にお話しさせていただきます」

 

ブロードウェイで成功するために意識すべきこと

100年以上歴史のあるブロードウェイで活躍した日本人は演出家・宮本亜門、俳優・米倉涼子、渡辺謙などごくわずか。
しかも出資や裏方として日本人が関わることすら難しい世界。
では、なぜ西野はブロードウェイで人気作品に出資し、プロデュースに携わることができたのか?

 

ブロードウェイは村社会…まずは村人(仲間)になることが大事

西野
「行ってみてやっぱり分かったのが、そのー出資誰でもできるか?って言うとですね、それはできなくてですね。
っていうのは、日本って結構村社会、村社会って言うじゃないですか?
ブロードウェイとか行ったら、もっと村社会で。もっと村なんです。
で、村人が勝つようになってるっていう。
で、外の人が勝つようにはなってない

林修「じゃあ、どうやって村人になったんですか?」

西野
「先生いい質問です、それ。(笑)
今日僕ここを特に強調したいんです。
やっぱ村なんですね。それはハリウッドですら村だし。ブロードウェイは村なんですよ。

で、これまで日本人がそういうとこ(ブロードウェイ)に進出しようとしたこといっぱいあるんすけど、たぶん僕たちはその村の入り方をどうやらちょっと間違っていて

まず作品を持って行っちゃうんですよ。評価してくださいっていう

ですが、村って言うのは基本的には、村のその面倒くさいルールとかってその外敵の力を無効化するためにあるんで。
強いやつが来ても、「はい。素晴らしいですね」で終わってしまうと。

まず最初にやらなきゃいけないのは、自分のチームん中に、まず村人を雇う

イメージしやすい所で言うと、じゃあ日本で地方でなんかお店を出すってなった時に、田舎に行けばいくほど、ちょっと嫌がらせされたりすることもあるはずなんですよ。
で、その地域のすごく力持ってる人とかに、まずは頭下げに行くとか。
で、ちょっと一緒に飲んで、お酒飲んで、仲間になるみたいな、この作業が、結局ブロードウェイでも大事で」

 

村社会ならではの外から来た人間を排除するルール。
それは理不尽とも思えるが、反発するのではなく、理不尽の中にあえて入って中から戦う方法を西野は選んだ。
なぜなら、ブロードウェイでの最終目標は…自身の作品「えんとつ町のパペル」をブロードウェイで舞台化する事
そのために、理不尽の中へ飛び込み、まずはブロードウェイの文化を知る事から始めた。

 

ブロードウェイの関係者(投資家等)は、作品ではなく人を見ている

西野
「ニューヨークでパーティーを開こうっていう会があったんですよ。
それは、西野をブロードウェイのコミュニティーの人に紹介するためのパーティーであると。
で、もうその色んなプロデューサーとか劇場のオーナーさんとか投資家さんとかが一堂に会すわけですけど。

そん時に、やっぱり、日本でこんな活動してまっせっていうのもあるから。
なんかちょっと作品とか並べてた方がいいんじゃないっすか?」とか言ったんですよ。
例えば映画の映像を後ろでちょっと流すとか。

(現地のスタッフに)「それは絶対やるな」って言われて。
それは、「ブロードウェイの人が見たいのはそっちではなくて、まずあなたを好きになるかどうかが全てだから」」

 

海外では素人扱いからスタート…成功までに時間がかかるのは当たり前

中島健人
「西野さん、ちょっといいっすか?すぐに評価され、満たされる場所って日本のエンタメじゃないですか。
で、外国でのこうエンタメでの活躍っていうくらしても、なかなかこう評価されなかったり、満たされなかったり、満たされるまでの時間がかかったりするじゃないですか。
そこにストレスを感じたりとか日本での影響力とか活躍をもう一度取り戻したいとか、そういう気持ちになったりしませんか?」

西野
「なんなら、ほとんどの人がそれで折れちゃうんですね。
日本のタレントさんとかが海外に行った時に、折れる理由、だいたい多分それで。
素人扱いからスタートなんで。

で、一方で、じゃあ真田(広之)さんがその「SHOGUN 将軍」で今みたいな結果出されるまでに、いったい何年彼が現地で色んな所に頭下げてやったかっていうその時間を聞くと、もうこれは必要な儀式なんだなぁと思って」

※「SHOGUN 将軍」…真田広之がプロデューサーを務め、2025年ゴールデングローブ賞を受賞

 

今年、アメリカのゴールデングローブ賞を受賞した「SHOGUN 将軍」
プロデューサーである真田広之は、日本で数々のヒット作に出演していた45歳の時、拠点をアメリカに移し、ハリウッド映画への挑戦を始めたのだが。
現地では名も知らぬ日本人俳優としての扱いを受け、新人たちに混ざり、オーディションの日々が続いた
そこから長い月日をかけ、徐々にアメリカで信頼を築き、「SHOGUN 将軍」ヒットまでには実に20年もの年月がかかっている。

 

投資家が出資する基準

そして、西野も同じくブロードウェイに来たことで、日本人が世界でビジネスを成功させるために必要不可欠な事を学んだという。

 

①作品に対する情熱

西野
「日本と向こう(海外)では、そもそも作り方が大きく違うのがですね。
投資家さんにお金を出してもらえないと、スタートすら出来ないんですね。
「えんとつ町のプペル」にも出資してくださってる投資家さんとお話させていただいた時に、その「出資の基準は何なんですか?」。

2つだと。彼女いうのは、2つだと。

で、「1つはまずパッション(情熱)である」と。
まあいわゆる作り手が、その作品に狂ってるかを。あるいは私がその作品をもう狂うほど好きかっていう。
まあ、これは何となくわかるじゃないですか。

「ただ。パッションだけでは絶対に出資しない」と。
で、これちょっと注意受けたんですけど。
日本人は大体ここで終わってる」と。

 

②ファイナンス(資金調達・お金)…お金の知識があること

で、それだけではなくて、2つ目がめちゃくちゃ大事で、2つ目が何かって言うと、「ファイナンス(資金調達)だ」って言うんです。要するに、お金ですね。

お金の知識がちゃんとないと、やっぱりこっちもお金出す側だから、安心して預けられないと。
なので、例えば10億円で作れる作品を15億円かけてしまうような人には絶対出資できない。
だから、お金の勉強は絶対しとかなきゃいけないが、ここ(作品性とお金)をセットで勉強しているクリエイターがあんまいないなっていう。日本だと」

 

人気絶頂の25歳からの変化

西野は「はねるのトびら」や「笑っていいとも!」など多くの人気番組に出演していた25歳の時、突如芸人としての活動をセーブし、違う道を模索し始めた。
その理由が…

西野(VTR映像)「僕は、シンプルですよ。あのーエンタメで世界獲るっていう」

この言葉を実現させるため、2009年に絵本作家として活動を開始
2016年に発売した「えんとつ町のプペル」はすぐに映画化され、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞
来年(2026年)春には、その続編も公開が決定している。
更に昨年(2024年)、西野が制作総指揮・脚本を務めたこまどり映画「ボトルジョージ」は、ハリウッド短編映画祭で、最優秀アニメーション短編映画賞を受賞。
25歳の公言通り、世界をとらえ始めた西野だが…

 

ウォルトディズニーに嫉妬…ディズニーよりデカいエンタメを作る!

安斉星来「でも、そのなんでお笑いじゃない分野に行こうと思ったんですか?」

西野
「それこそ「はねとび」っていう番組が、ゴールデンにあがったんですよ。
で、視聴率もすごい良かったんですね。
で、まあ言ってしまったら、願ったり叶ったりの状況になったはずなんだが。
なんか突き抜けてないなと思って。
で、このまま30代、40代いくか?みたいな感じにちょっと疑い始めて。

同時に、もうすっごいしょうもない理由なんですけど。
好きな子連れて、ディズニーランド行ったんすよ。
メッチャ喜んでくれて。で、メッチャ嬉しいなと思ったんですけど。
ふと…いや、この子今楽しませてんの、僕じゃなくてウォルトだなと思って。
悔しくなって。自分が好きな子…一番好きな子を僕が一番喜ばせたいのに。ウォルト・ディズニーさんにやられてしまってるなと思った時に。
この猛烈な嫉妬を無くそうと思ったら、これよりデカいエンタメ作んないとと思って

田村淳「それで言ったんだ。「ウォルト・ディズニーを倒す」って」

西野
「言うんじゃなかったですね、でもあれは。淳さん。(笑)
いやいや、それは言ったら言ったでね、やっぱね。
ディズニーファンには「お前殺すぞ」って言われましたし。(笑)
全然応援してくんない」

 

20代で走り切った方がいい

批判が来るのも覚悟の上で西野が高すぎる目標を宣言したのは、失敗を可視化するため
例えば「会社の売上100万円」とだけ聞かされても、目標額を公言していなければ、それが成功なのか失敗なのかも分からない。
西野は、自分がいる位置を明確にするため、あえて「ディズニー越え」と高すぎる目標を宣言したのだ。

そして、その大きな決断をした25歳。
この25歳という年齢が、非常に大事な時期だと西野は考えている。

 

田村淳
「西野は25歳頃からね、そういうマインドでしたけど。安斉さん、今自分の年齢と照らし合わせると」

安斉星来「今はもう21になりましたから。まだ遅くないですよね?転換するってなっても」

西野
「確かに確かに。25っていうのは、あくまで目安だなって思ってるんですけど。
ただ、ここ絶対抑えておいた方がいいなって、その先輩方いる前でちょっと恐縮ですけれども。

例えばですけど、お互い1000円持ってたとして。
で、ジャンケンで買った方がお互いの半分貰えるっていうゲームねって言って「ジャンケンポイ」ってやるとするじゃないですか。

じゃあ、僕が勝ちました。えーと、まあ500円をいただいて。
で、僕が1500円、そちらが500円ってなるじゃないですか。
で、じゃあもう1回勝負しようつって、持ち分の半分だけ賭けれることねって。
じゃあ持ち分500円の方は250円賭けます。で、こっちは250円賭けます。
せーのでジャンケンポンやったら、えーそっちが次勝ったとして、750円。
僕は1250円です。

つまり、勝率は1勝1敗なのにも関わらず、もう僕の方が持ち金が大きくなってると。
で、これずーっと続けていけば、もうどんどんどんどんどんどんこの差は大きくなっていく。
で、これ結論何が言いたいかっていうと、「最初に1勝した奴が勝ちだ」っていう」

林修
「それは勝負事としてほんと正しいんですよ。
それだけじゃなく、「敗者から始まるというデメリット」もあるんです。
「取り戻さなきゃ」って思うのは、これね既に敗者の発想なんで。
そっから勝てる人は、やっぱホント少ないですよ。
やっぱ最初1勝あげるためにとことん努力するっていうのは、これはそういう考えとあわない方もいらっしゃる方もいるかもしれませんけれども、僕はこれは耳を傾ける価値のある言葉だと思いますよ」

西野
「ありがとうございます。とにかく思うのは、20代で走り切った方がいいに決まってるんですよ。
で、なんか20代でついちゃった差って、基本的にはなかなか埋められないなっていう。
やっぱ勝った奴同士で組むんで。

人生でやる努力が100あったとしたら、20代で10、30代で10、40代で10とかやらずに、もう20代で(努力の)80ぐらいぶち込んでしまって、20代勝ち切った方が、最終的にデカくなるなと思います」

 

自分より努力してる人間はいないと思えた

安斉星来
「なんかメッチャ嫌な質問ですけど。西野さんは25歳の時に、勝ったなって思ったっていうことがあったってことですか?」

西野
「いや。勝ったなとは思っていないですけど。
ただ、自分より努力してる人間はいないなと思いました。
まあ、努力っていうのは、うーんとまあ人それぞれですけど。
単純に掛けてる時間は、自分より掛けてる人はいないなっていう。

田村淳
「あんまり西野さんの事褒めたくないんですけど。
あのー芸能界の中でも、結構リスク取ってるタイプだと思いますね。
しかも、若いうちに」

人気芸人としての安定を捨て、朝起きてから夜気絶して眠るまで、1日20時間以上絵を描き続けた20代。
先に1勝するため、夢中で駆け抜けた20代があるからこそ、アメリカブロードウェイでの成功を勝ち取ることができたのだ。

 

仕事をする上で大切にしていること

田舎町の8歳の男の子が面白がれるものだけをやる!

林修
「じゃあ、西野さんが仕事をする上で大切にしていることっていったら、どういうことになるんですかね?」

西野
「この人を楽しませるぞっていうのは決めていて。
やっぱ小学校2年生のときに、僕がエンタメに憧れたんですけれども。
やっぱその兵庫県川西市っていう田舎町の8歳の男の子が面白がれるものしかやらない
それ以外のものはもう手出さないっていう。
もう明らか…だからみんなに届けるっていうか、その子が面白がれるかどうかが大事で。
それは、自分たちのチームのみんなにも言っていて。
それ以外の事はもうやんないですね」

幅広く活動しているように見える西野だが(絵本作家、アニメ映画、舞台、芸人)、その軸はたった一つ。
8歳の時の自分が、面白いと思える作品を作ること。
西野はこれからも様々な「世界」に挑み続ける。

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