【しゃべくり007】キングカズ(三浦知良)を知り尽くすSP(2025年1月20日放送)

上田晋也「今年で現役40年!40年やってても、やっぱりまだまだサッカー好きだなって感じですか?」

三浦知良
「そうっすね。もうあのーデビューした頃と全く変わんないっすね。気持ちが。
でも、本当にうまくなりたいと思ってやってますから」

上田晋也「カラオケ歴は41年(笑)?」

三浦知良「1年長くなってますんで」

 

三浦知良さん
静岡県出身57歳
今から32年前(1993年)。
天皇皇后両陛下のご成婚やレインボーブリッジが開通した1993年に誕生したのがJリーグ
その人気はすさまじく、サッカーを知らない女子高生からおばさまたちまで巻き込み、社会現象に。
三浦知良さんはカズの愛称で親しまれ、カズダンスは子供たちがこぞって真似をした。
Jリーグ初代MVPに。

その翌年、アジア人初のセリエA選手となった。世界への道を切り拓いたパイオニアでもある。
そして、2022年55歳の時には、JFLの最年長ゴール記録を更新
サッカー界のレジェンド中のレジェンド。

(キングカズの思い出アルバム)

 

  1. 少年期
    1. ①「頭が良くなると思い、進学校の水を飲む」
    2. ②担任の先生に恋して、成績UP!
  2. 小中高の同級生が語るカズ
    1. ①あしたのジョーの矢吹丈になりきって小学校へ登校
    2. ②タンクさんに憧れて、それからずっと背番号11
  3. 中学・高校生時代
    1. ①ペレに憧れて単身ブラジルへ
    2. ②ブラジル時代(15歳)
      1. 日本人への偏見を乗り越え、19歳でサントスFCとプロ契約
  4. 奥様との出会いと結婚
      1. ポスターを見て一目惚れ
      2. ブラジルで一緒にいた留学生のツテで出会い…
      3. 文通→フラれる→長い友達付き合いを経て…
      4. 福岡での試合翌日プライベートジェットで結婚式へ…真田広之さんやサザン桑田さんも出席
  5. Jリーグ開幕!&日本代表初選出(23歳)
    1. 日本代表時代の戦友が登場!(武田修宏、都並敏史、岡野雅行、前園真聖)
    2. ①アルマーニはカズしか着ちゃいけない
    3. ②カズさんの座る席は決まっている
    4. ③キャプテンマークはエルメス製
    5. ④Jリーグ開幕・初代MVPに
      1. MVPの授賞式に赤のスーツ
    6. ⑤カズダンスが火付け役!ゴールパフォーマンスやりすぎ時代到来
  6. ドーハの悲劇…ロスタイムで天国から地獄へW杯初出場を逃したあの日
    1. 悔しくて悲しくて
    2. 試合後のそれぞれの想い
      1. 森保(一)監督「失点した瞬間から放心状態で、あまり覚えてない」
      2. 都並敏史「試合後、飲みに行ったが、15分ですぐに解散…」
      3. カズ「試合後やどうやって帰ったかあまり覚えてない」
      4. 武田修宏「ラモスさんの「お前は4年間よくやったよ」に涙」
  7. W杯初出場を決めたジョホールバルの歓喜
    1. ①衝撃!カズが本選で代表から外れる
    2. ②外れるとは思っていなかったが…これがサッカー。カズの達観した考え方
    3. ③代表から外された理由は…「使う場面がない」
    4. ④カズが代表を外れた時のそれぞれの想い
      1. 森保監督「すごく残念な気持ち」
      2. 都並敏史「悔しい…ドーハの悔しさを背負って戦ってくれる人」
      3. 武田修宏「カズさんは悪口言わずに、逆境を強さに変える人」
      4. 前園真聖「代表の象徴だった」
    5. ⑤岡野雅行「W杯を決めたゴール…試合に出るのが怖かった」
    6. ⑥サッカーを取り上げられる訳ではない…帰国後すぐ練習へ
    7. ⑦気持ちの切り替え方がすごいカズ
  8. 日本代表 森保一監督について
    1. カズから見た監督「信念は絶対に曲げない強い人」
    2. 都並敏史さんから見た監督「信念があり、頑固」
    3. 武田修宏さんから見た監督「気遣いの人」
    4. 前園真聖さんから見た監督「選手をまとめるマネージメント力が素晴らしい」
    5. 森保監督「自分が一番!な選手たち。だけど目的はみんな一緒!」
  9. 日本代表監督をやってみたい?
    1. 岡野雅行「監督になっても「走れ!」しか言えない」
    2. 武田修宏「ブーイング&歓声が好き。だから、イチかバチかやってみたい」
    3. カズ「監督はやりたくない・全く興味ない」
  10. サッカーが大盛り上がり!
    1. ①サポーターの激しすぎる!?応援
      1. レッズサポーターは熱かった!
      2. フランスのW杯予選で大暴動!
    2. ②Jリーグが始まり年棒が大幅UP!
    3. ③駅にファン殺到!ホームから新幹線に乗れず、線路から
    4. ④遊びは、六本木・西麻布・ディスコ
      1. カズ派・ラモス派に分かれてカラオケに…最後には女の子30人がついてきた
      2. カズはブラジルでもトシちゃんの曲を歌いまくりの踊りまくり!(18歳~20歳)

少年期

①「頭が良くなると思い、進学校の水を飲む」

三浦知良
勉強はもう大嫌いで。で、静岡高校ってところが、静岡県で一番の進学校で、頭がいいんですね。
で、静岡高校→東大っていうのが、そこが一番いいライン。
で僕は一番成績が悪いにもかかわらず、「僕は静(岡)高(校)行って、東大行くんだ」ってずーっと言ってたんですよ。

で、(家の)隣がちょうど静岡高校だったんです。
だから、あそこの校庭の水を飲めば頭が良くなると(笑)」

堀内健「それは何情報ですか?自分の考え?」

三浦知良「自分の考えです」

上田晋也「だいぶバカですね~(笑)」

三浦知良
「で、近所の仲間連れて、「お前ら行くぞ!あそこの水飲んだら頭良くなっから」って連れてって」

上田晋也「その子達はあんまり成績良くない?」

三浦知良「全員ダメですね」(笑)

上田晋也「で、成績の方がいかがでしたか?」

三浦知良「成績はですね、あのーやっぱビリでしたね」(笑)

 

②担任の先生に恋して、成績UP!

三浦知良
「3年生のワタナベ先生っていう女性の先生で。ちょっときれいだったんですよ。
これ一生懸命やんなきゃなと思って。好かれたいと思って。

夏休みとかでも、勉強しに学校に行くようになっちゃって(笑)。
先生に会いたいから

で、先生とマンツーマンで見てもらえるのが嬉しくて
ちょっとこの辺(胸の辺り)気にしながら(笑)」

原田泰三「あ、先生の?」

三浦知良「先生の(笑)」

有田哲平「思春期ですから、やっぱりね」

上田晋也「いやいや。まだ小学校低学年だよ?早くねぇか?」

有田哲平「静岡だからね」

上田晋也「いや、静岡関係ねぇよ!(笑)それ見たさに夏休みも通って?」

三浦知良
夏休みも冬休みも行きましたね。本当に成績が上がって。
今までホントにもう50点以上取ったことないのが、もう90点以上とか、80点以上になったんですよね」

有田哲平「やっぱ恋愛は大切よね。そのスケベパワーみたいのが結局動かしたわけよ」

 

小中高の同級生が語るカズ

小中高の同級生や後輩がスタジオの客席に。

・天野さん…中高の同級生
・(旧姓)小川さん(現在 植田さん)…小中の同級生
・松永さん(てっちゃん)…2学年下の幼なじみ
・田形さん…小中高の同級生

三浦知良「田形も相当頭悪かったね。水仲間はてっちゃんだね」

堀内健「水飲みました?」

松永さん「飲みました」

堀内健「ホントに信じてました?」

松永さん「信じてましたけど、良くなりませんでした」(笑)

 

①あしたのジョーの矢吹丈になりきって小学校へ登校

松永さん
「まあ、カズさんは、あしたのジョーの矢吹丈に憧れてて。大好きで
でもう、学校行くときに、矢吹丈のモノマネというか。あの帽子被って、ズタ袋を持って。
もう完全に矢吹丈になりきって学校に通ってました

上田晋也「やっぱ浮いてるわけでしょ?」

松永さん「ああ、もちろん」(笑)

上田晋也「ですよね?」

三浦知良「なんでもそうですけど、形から入っちゃうんですよね。」

上田晋也「田形さんとかそのこと覚えてらっしゃいますか?」

田形さん
「ああ、覚えてますよ。あとは、ルパン三世が好きで。
で、あのー鬼ごっこをいつもデパートとかで
ルパン三世の格好をして、自分(田形さん)が銭形で(カズがルパンで)」

上田晋也「天野さん何かほかに小学校時代のことで覚えてらっしゃることございますか?」

天野さん
「僕は中学の時から一緒だったんで、はい。いいんですか?このタイミングで?
あのー中学の1年の…」

上田晋也「あの、ごめんなさい。カズさんの教頭先生じゃないですよね?(笑)

スタジオ「同級生 同級生」

上田晋也「すごい貫禄がおありだから」

三浦知良
「でも、(天野)正剛(せいごう)って言うんですけど。
正剛はもう中学の時、僕らの時代、非行すごいでしょ?
メチャクチャ悪かったですから」

スタジオ「え~」

上田晋也「すごい温厚そうな」

有田哲平「担当弁護士みたいな顔してる」(笑)

三浦知良「あの、あの一番悪でした」

有田哲平「何に憧れたんですか?その時は」

天野さん
「ちょうど横浜銀蝿っていう。で、カッコいいなとおもって。
先輩から貰ったあのドカンはいて、中ラン着て行ったら、前からボンタンで短ランのヤツが来て。「あれっ?」と思ったら、知良で」

上田晋也「同じような格好で?」

三浦知良
「僕らその、ケンカとかはしなかったよね。でも正剛はもうホント皆からリンチされて」(笑)

有田哲平「そんな、ちゃんと法律で裁いてくださいよ」

上田晋也「弁護士じゃないんだよ、天野さん。たぶんだけど」(笑)

原田泰三「なんでリンチにあったんですか?」

天野さん「いやもう覚えてないですけど。まあ、中学1年からそんな格好してるんで」

三浦知良
「正剛は悪ですけど、非行でこうケンカをやるとか、そういうタイプではなくて。
そのホントいわゆる当時××××(ピー音)」(笑)

上田晋也「より悪いじゃないですか」(笑)

福田充徳「余計あかんやつや」

原田泰三
「(天野さんに向かって)ダメですよ、本当!反省してください!よく出てきたな、アンタ!」(笑)

有田哲平「その反省も含めて法律家になったんですよね?」(笑)

上田晋也「違う。なってない。別に弁護士になってない」

福田充徳「え、ちなみに天野さん今何されてるんですか?仕事は何されてるんですか?」

天野さん「今、市会議員やってます」

出演者・スタジオ「え~!!!!(笑)」「アカンアカン。アカンって」「ダメだって」「いやいやいや」

上田晋也「マジで!?」

三浦知良
「だって、それで当時だから中学の時にあの悪さしてる時、お父さんは静岡市長(正しくは、県議会議員?)ですから」

スタジオ「え~!!!(笑)」

三浦知良「政治家の息子ですから」

堀内健「え?今の公約は何ですか?その選挙に出る時の公約は?」

天野さん「今は、人の集まる街づくりです」(スタジオ爆笑)

福田充徳「誰が言うてんねん!誰が言うてんねん!(笑)」

三浦知良
「それで、正剛のお父さんも苦労しましたよ、やっぱ。
選挙の時も言ってると、やっぱあの市民から「お前、自分の息子も面倒見れねーのに。どうやって市民を面倒見んだ!」って」(笑)

原田泰三「それでも通ったんですか?」

三浦知良「それでも通ったよね?」

天野さん「あ、通ったよ」

有田哲平「あ~いい政治家だったんだ」

原田泰三「いい街だな、そこは(笑)」」

有田哲平「これは絶対カットさせないようにしようよ。更生したというね。見事いい、いい例ですから」

三浦知良「そうです。ホントに」

 

②タンクさんに憧れて、それからずっと背番号11

三浦知良
「タンクさんは僕のその小中学校でプレーした城内FC(フットボールクラブ)っていうとこがあるんですけど、そこのもう1期生の人で。その人が、僕の憧れで。
僕が小学校の3~4年の時に、あのタンクさんは静岡学園で、選手権に出てたんですよ」

 

今から48年前、カズが小学4年生の時。
地元静岡学園サッカー部でキャプテンを務めていたのが、タンクさんこと渋川尚史さん
実はこの方、身長は151㎝。さらに、ベンチ要員だった。
しかし、あるずば抜けた特技がを持っていた。
それが…リフティング

中学2年生の時に、世界大会で2位に輝き、最高記録は1万7513回

(三浦知良「これも、ここでやめろって言われたんです。もっともっとできたらしいです」)

そんなタンクさんの背番号こそが11番
カズ少年はタンクさんに憧れ、背番号11を背負うようになった

 

上田晋也「1万7500回以上

有田哲平「それをさらにいったんでしょ?ほんとは」

三浦知良「それもう止められたんです」

上田晋也「もういいと?」

(タンクさんがスタジオに登場し、リフティングを披露するも、何度やっても3回しかできず、スタジオ爆笑の結果に…)

 

中学・高校生時代

①ペレに憧れて単身ブラジルへ

中学生になると、カズはワールドカップで活躍するブラジル代表・(サッカーの王様)ペレのプレーを見て、プロになることを志す

その後、高校に進学するも、8か月で中退し、単身ブラジルへ向かった。

 

上田晋也「そん時は、田形さんがブラジル行きを強く止められたと?」

田形さん「あのー同じ高校で。で、正剛(=天野さん)が3か月で辞めちゃったので」

三浦知良「辞めたんじゃなくて、クビですね」(笑)」

原田泰三「正剛さん!正剛さん!えっ、クビ?」

堀内健「何やってんすか!」

上田晋也「あの、すみません。3か月でお辞めになったんですか?」

田形さん「辞めちゃって。「あと、ビリになっちゃうな…」って。知良がビリで。ギリギリだったので」

上田晋也「あ、成績が?」

田形さん「成績が」

上田晋也「あ、ごめんなさい。ビリは誰だったんですか?」

田形さん「正剛」(笑)

上田晋也「で、ビリから2位が?」

田形さん「カズで」

上田晋也「で、ビリから3位が田形さんだったんですか?」

田形さん「まあ、そんな感じですね」

上田晋也「えー、だからカズさんが辞めちゃうと、田形さんがビリになっちゃうから?」

田形さん「「カズ本当に行くの?」って」(笑)

原田泰三「こっちは友情の話聞きたいんですよ」

堀内健「なんかさ、寂しいからとか、友達としてじゃなくて?」

有田哲平「天野さん、その最後の退学の理由はなんですか?」

天野さん「…ちょっと揉め事があって、はい」

有田哲平「なんですか?なんですか?」

原田泰三「いや、今さら俺たちも驚かないですよ。おしえてください」(笑)

有田哲平「なんですか?揉め事って」

天野さん「ケンカっすね、はい」

上田晋也「ケンカで、まあちょっと退学になって?本当に更生なさいましたよね」

三浦知良
「あの、正剛は、受験も一緒だったんですよね。同じ部屋だったんですよ。
たぶん…あいつは、たぶんお父さん市長でしょ?
もう、入れたんですよ、たぶん。ね?」(笑)

有田哲平「ちょっと!ホントですか?それ(笑)」

三浦知良
「ちがう。絶対入れないんですよ。入れないんですよ。もうナメてるから。
で、一緒のクラスでしょ?僕はアイツより前だったんですよ。
そしたら、受験の時ですよ。先生とか見てるでしょ、みんな。
そしたら、後ろからピコピコ ピコピコ音するんですよ。
テレビゲームやり始めてるんですよ、アイツ。

それで、(合否が)発表されるでしょ?当時、名前が全部出るじゃない?
ないんですよ、アイツの名前。落ちたんですよ。さすがに。
でも、入学式にいるんですよ」(スタジオ「え~」)

有田哲平「何があったんだ!」 原田泰三「天野さん!」 有田哲平「ちょっと!なにがあった!」(スタジオ爆笑)

天野さん
「すみません。いいですか?喋っていいですか?
あの、その後二次募集っていうのがあって。
で、「来なさい」って言われて行ったら、「作文書きなさい」って言って。
で、出したら、「じゃあ、いいよ」ってことで、はい」(笑)

堀内健「二次募集でね」

上田晋也「それはホントなんですね」

三浦知良「3か月ですよ?」

上田晋也
「今度3か月で(辞めて)。そこまでして入ったのに」

 

②ブラジル時代(15歳)

上田晋也
「それでね、高校を中退して、念願のブラジルに行かれたわけですが、ブラジルに渡ったカズさんがどうなったのかご覧ください」

 

日本人への偏見を乗り越え、19歳でサントスFCとプロ契約

今から42年前、プロサッカー選手を目指し、15歳でブラジルに渡ったカズ。
しかし、厳しい現実が待ち受けていた。
当時のブラジルでは、サッカーが下手な人は、「ジャポネーズ(日本人)」と呼ばれるほど、日本人への偏見があった。
そのため、試合に出場してもパスが回ってこず、観客からは罵声が。
しかし、カズは悔しい気持ちを力に変え、ひたむきに努力を重ねた。
すると、19歳で名門サントスFCとプロ契約

 

奥様との出会いと結婚

ポスターを見て一目惚れ

三浦知良「グラビア写真って、カミさんのことですよね?」

上田晋也「あ、奥様?」

※三浦知良さんの奥様は三浦りさ子さん

三浦知良
「僕もプロになってたんで、日本から取材クルーが来たんですよね。
飛行機の中に、当時って雑誌とか積んであったじゃないですか?日本の。

それのグラビアで、その当時JALのキャンペーンガールの特集が組んであって、それがカミさんだったんですよ。
で、それを見て、僕は一目ぼれして。
ポスターを手に入れて貼ってたんですよ、部屋に」

 

ブラジルで一緒にいた留学生のツテで出会い…

その後2人は出会い、7年後、めでたく結婚した。

上田晋也
「週刊誌のそのポスター貼るわけですよね?そっから奥様とはどういうふうにつながったんですか?」

三浦知良
りさ子はあの玉川大学だったんですよ。この当時ね。
で、僕のブラジルに一緒にいた留学生が、同級生が玉川(大学)で、お姉さんがりさ子と同じ玉川(大学)のクラスだったんですよ。
そこのつながりを…お願いしたんですよ。

で、「写真を撮って、ブラジルに持って帰りたい」つって。
「もう1時間でいいんで」つって。
来てくれたんですよ。
それが一番最初です。
これが本当の一目惚れなんだろうなと思いますよ」

 

文通→フラれる→長い友達付き合いを経て…

有田哲平「へ~!いつOKが出たんですか?」

三浦知良
「1回でだから文通でそのレベルであのーあれしてたんですけど。
1年半ぐらいで振られたんですね。僕がブラジルいる時に。
ショックでしたね。
で、日本に帰ってきて、ずっとその友達付き合いみたいのしてたんですよ」

原田泰三「あ、友達の期間あったんですね?」

三浦知良「ありましたよ。結構長いですよ、はい。僕も色々ありましたから」(笑)

有田哲平「別に言わなくていいんですよ。そこは言わなくていい」

三浦知良「そこ言いたいんです」(笑)

有田哲平「(笑)プライドが出てきましたよ。俺だって色々あったぞ!みたいな」

原田泰三「こっちは聞きたくないっすよ、それ(笑)」

 

福岡での試合翌日プライベートジェットで結婚式へ…真田広之さんやサザン桑田さんも出席

三浦知良
「ナイターで、博多で試合だったんですけど。7月31日だったんですね。
で、僕結婚式が8月1日で。万が一遅れちゃいけないってことで。
読売新聞の渡辺恒雄さんが、プライベートジェットを会社で出すから、それで乗って帰れって言われたんです」

都並「仲人なべつねさんですから」

上田晋也「あ、ナベツネさんが仲人だったんですか?」

三浦知良「はい」

上田晋也「それじゃあ、武田さんも披露宴は参加なさったんでしょ?」

武田修宏
「参加しましたね。
結婚式はすごかったですよ。真田広之さんとかも来たし。
あと覚えてるのが、サザン(オールスターズ)の桑田(佳祐)さんが来て。
で、「僕はずっとりさ子さんのファンだったんだけど。うらやましいって、カズさんが」っていう。桑田さんがコメントしたのを「うわ、すげぇな」と思って。」

 

 

Jリーグ開幕!&日本代表初選出(23歳)

日本代表時代の戦友が登場!(武田修宏、都並敏史、岡野雅行、前園真聖)

日本代表の戦友…Jリーグ黄金期を駆け抜けた平成サッカー界のレジェンドたちが登場
武田修宏さん、都並敏史さん、岡野雅行さん、前園真聖さんが登場

都並敏史さん(63歳)
小学6年生から読売サッカークラブに入り、ヴェルディ黄金期の不動の左サイドバックとして活躍

武田修宏さん(57歳)
1986年(当時23歳) 読売クラブ入団1年目で、MVP・新人王に輝き、Jリーグ通算94ゴールを決めたストライカー。
甘いマスクで女性人気がすさまじく。
ふぁんで、人の壁ができるため、武田が来ると風がやむとまで言われたモテ男。

前園真聖さん(51歳)
1992年(当時21歳) 横浜フリューゲルス入団。切れ味の鋭いドリブルを武器に、若くして日本代表にも選出。
1996年 アトランタ五輪では主将としてチームを引っ張り、2001年にヴェルディに移籍。

岡野雅行さん(52歳)
1994年(当時23歳)浦和レッズ入団。
爆発的なスピードとロン毛の風貌から、ついたあだ名は野人。
日大サッカー部の寮にいた番犬に追いかけられたが逃げ切り、犬より足が速いという伝説を持つ

 

①アルマーニはカズしか着ちゃいけない

武田修宏
「やっぱ当時はみんなこだわりがあって。
カズさんはだいたいジョルジオアルマーニを着るんですよ。
だから僕はカズさんが絶対にかぶらないようにエンポリオアルマーニという。
違うブランドの。

今日もカズさんが事前にどんな服で来るのかな?っていう風にかぶらないように、スーツの色をちょっと聞いて、あらかじめ。
今日はボルドーだなって聞いてたんで、赤いジャケットを今日作ってきたんですけど、白に変えました」

有田哲平「そもそも赤で来ようとしてたんですか?」(笑)

都並敏史「自分が目立ってどおすんだ、おめぇ」

有田哲平「ねえ?」

徳井義実「武田さん、サッカーのこと1ミリも言わないっすね」

武田修宏「いや、サッカーはカズさんとあのJリーグ3年間で、2人で119点とってますよね。そこは言っておきますね」

 

②カズさんの座る席は決まっている

前園真聖「バスの位置とか。乗るとこ。カズさんのシートが決まってるんですよ」

都並敏史「そこはみんな座らないです」

前園真聖「左の後ろっていうのが。必ず」

上田晋也「都並さんとかもそこには座らないようにするんですか?」

都並敏史
「だから、サッカーにおいては、序列は完全にカズが上ですから。いや、ホントに。気ぃ遣うんですよ。
ちなみに、僕監督やってる時に(カズが)選手の時があったんですけど。
僕が一生懸命ミーティングしてたら、カズがこうにらみながら俺を見てたんで。

終わった後にカズ呼び出して、「俺なんか変なこと言ってた?」って(笑)
「いやいや、都並さんの守備の話とか初めて聞くんで、一生懸命聞こうとしたんだけど、分かんなくて…」みたいな。
それぐらい気い使ってました」(笑)

上田晋也「いや、そこは監督なんだからガツンと言っていいでしょ」

都並敏史
「いやでも、レジェンドカズがこの顔だとなぁ。俺が間違ってんじゃねぇかなと思ったりして」(笑)

 

③キャプテンマークはエルメス製

三浦知良
「最初Jリーグ元年最初の頃は、エルメスのスカーフをキャプテンマークにして巻いてた

上田晋也「そんなおしゃれな高級なやつを?」

三浦知良「違いを見せたいなと思って(笑)」

 

④Jリーグ開幕・初代MVPに

1993年Jリーグ開幕戦「ヴェルディvs横浜マリノス」
都内では号外が配られるほどの盛り上がり
会場にはファンやマスコミが殺到(武田・カズ 当時26歳)
花火やら巨大バルーンやら、超バブリーなオープニングセレモニーは総額なんと1億円越え。

MVPの授賞式に赤のスーツ

そしてこの年(1993年)のMVPがカズ
カズは赤のスーツを着て登場。ド派手な受賞式に日本中が熱狂した。

都並敏史
MVPで登場する時にはドレスコードがあって、黒のタキシードって言われてるんですよ。
無視して赤ですから。
どんどんどんどん怒られながらでも仕掛けていって。
選手の価値がどんどん上がっていったと思う。
引っ張ってってくれるから、それは僕らもリスペクトしますよね」

三浦知良
「黒とはでも書いてないんですね。フォーマルでってなってる。
だから、(一般的に)フォーマルは黒ですからね。
で、僕は黒とは書いてないから、赤でいいかなって」(笑)

上田晋也「それ別に誰かに嫌味言われたりはしなかったんですか?」

三浦知良「まあ、面と向かっては言われなかったですけどね」

都並敏史
「カズならOKでしょみたいな。やっぱやってそれが盛り上がるから。
それを正解にさせちゃう力があった

 

⑤カズダンスが火付け役!ゴールパフォーマンスやりすぎ時代到来

上田晋也「前園さんとかどういうパフォーマンスやってたんですか?」

前園
「いや、なかったので。やっぱりカズさんのカズダンス憧れましたし。
我々後輩みんなやっぱりやりたがったんですよ。

で、僕も当然カズさんのダンスをちょっと真似るような感じでやってみたんですけど。
まあ上手くたぶんできてなかったと思うんですよ。21歳ですよ。
で、後日会った時に、「やるならちゃんとやりなさい」って言われました。真剣にちゃんと、はい」

上田晋也「岡野さんどういうパフォーマンスでしたっけ?」

岡野
「結構皆さん色んなことやるじゃないですか。で、なんとなく思いついたのをやったら。あの、Jリーグ史上一番ダサいやつになった」

上田晋也「正拳突き的な」

岡野「そう。で、これをずっとやり続けなきゃいけなくなっちゃったんで」

 

ドーハの悲劇…ロスタイムで天国から地獄へW杯初出場を逃したあの日

上田晋也「皆さんにとっては苦い思い出かと思うんですけれども、今日はその辺のこともお伺いしても大丈夫ですか?」

三浦知良「もちろん。はい」

 

ゲスト 森保一監督が登場

森保一さん
主にサンフレッチェ広島で活躍し、1992年(当時24歳、カズ25歳)には日本代表に初招集。
カズと共に4年間戦い、ドーハの悲劇も経験。
監督としては2022年かタールW杯の功績がたたえられ、アジア年関最優秀監督賞を受賞。

 

上田晋也「カズさんとはそもそも現役時代から仲良くしてらしたんですか?」

森保一
「はい。すごく気にかけてもらって。よくしていただきました。かわいがっていただきました。アハハハハ(笑)」

徳井義実
「(今日ゲストに来てる皆さんと)一緒にやってらっしゃったのに、なんで監督とこうも雰囲気が違う?」(笑)

都並敏史「現役時代から住む世界は違ってましたから。やっぱり遊びも違うし。真面目ですから、とにかく。」

有田哲平
「武田さんもそのとき真面目にやってたら、今日本代表の監督になってるかもしんないですもんね?」

武田修宏
「そう…ですね。(笑)
でも、ここのピッチ立つのもなかなか大変ですよね。
でも、森保もう代表監督ですから。全然ね」

森保一「もう全然。ポイチって呼んでください。ポイチです」

三浦知良
「どうしてもね。一緒にやってた頃の呼び名で読んでしまうんでね。

普段連絡なんかもとりあうような仲じゃないんですけど、会うとまた昔戦った頃の仲間って感じでね。昔に戻れるというかね。
関係性がもうずっと変わらない感じでいつも一緒に話をするんですけど」

 

悔しくて悲しくて

上田晋也
「ちなみにね、ちょっとドーハの悲劇の話伺おうと思うんですけど、あの時の映像とかって、改めてご覧になったりするんですか?」

森保一「いや、僕自身は見たことはないです」

上田晋也「悔しくて?」

森保一
「そうっすね。悔しいって言うのもありますし、もう悲しいっていうみたいな。はい。
そういう思いになるって言うのがあって」

 

1993年 日本初のW杯出場をかけてカタールのドーハで行われたイラク戦。
カズ、中山、森保、ラモスと最強の布陣で臨んだ運命の一戦。
その条件は、引き分けすら許されない勝利のみ!(※自力突破には)
その後、イラクに追いつかれるも、中山が後半勝ち越しゴールを決め2-1に。
念願のW杯初出場まであとわずか。誰もが勝利を確信していた。

しかし…わずかなロスタイムにイラクに同点ゴールを決められ、初出場の夢はかなわなかった。

 

試合後のそれぞれの想い

森保(一)監督「失点した瞬間から放心状態で、あまり覚えてない」

上田晋也「あのゴールが決まった時とか、その試合後とかっていうのは覚えてらっしゃいますか?」

森保一
「いや、どうですか?あんまり覚えてないんですよね、なんか。
こう失点した瞬間から、なんか放心状態になって。
あんまりなんかね、状況覚えてないですね」

上田晋也「その後、例えば宿舎に帰ってからのこととかも覚えてらっしゃらないですか?」

森保一「まあ、宿舎に帰ってからは、なんかずーっとぼーっとあの空を眺めてました(笑)」

上田晋也「茫然自失みたいな?」

森保一「そうですね、はい」

堀内健「お互い喋れなかったみたいな?」

森保一「そうっすね、はい。で、ホテルの部屋がその当時、2人部屋だったので。
僕はあの柱谷(哲二)さんと同じ部屋で。
で、もうボーっとしてて。
ベランダにこうちょっと空気をこう吸いに行こうかなみたいな感じになった時に、「お前自殺するのはやめとけ」みたいな感じで(引き止められて)」

 

都並敏史「試合後、飲みに行ったが、15分ですぐに解散…」

森保一
「あとは、都並さんたちは僕もちょっと行きましたけど、反省会というか・。
これまでみんな頑張ったなって飲み会が始まって、それでもう皆さんもう飲みまくってた(笑)のは覚えてます」

上田晋也「これはもう酒飲まずにやってられないぞっていうような感じだったんですか?」

都並敏史
「そうっすね。特別ちょっとそういう会を作ってくれて
だだでも始まって、もう15分も経たないうちに、ゴールキーパーの松永(成立)って奴が、お~お~お~お~って泣きだしたんすよ。
それで、解散だったっす。

もうそれで、なんかみんなそれぞれそれでもう別れたんです。
で、また違うところで飲みましたけど。
一緒に会ってんのは、もう15分か20分で終わったのは覚えてます」

 

カズ「試合後やどうやって帰ったかあまり覚えてない」

上田晋也「あ、そうですか。カズさん覚えてらっしゃいます?こん時のこと」

三浦知良
「僕は一緒にはいなかったですね。

まあ、森保監督が言ったように、合後のことだったり、どうやってバスで帰ったのかなっていうのがちょっとあやふやですね。

割と僕ははっきりと覚えている方なんですけれど。

あんまり、誰かと会話したことだったりとか…うん、まあ現実を受け入れられないようなとこがちょっとありましたね、やっぱり」

上田晋也
「うん。でも頑張ったのは頑張ったから、お酒でもちょっと飲むか!みたいな感じにはならなかったんですか?」

三浦知良「僕は飲まなかったと思いますね、たぶん。はい。六本木行ってから飲みたいなと思って」(笑)

上田晋也「なに美味しさを取っとこうみたいな(笑)」

 

武田修宏「ラモスさんの「お前は4年間よくやったよ」に涙」

上田晋也「え、武田さんはどう過ごしたか覚えてらっしゃいます?」

武田修宏
「僕も終わった後、どうやってバスで帰ったかとかあんま記憶がないんですけど。
僕はイビキがうるさいんで、いつも1人部屋なんですよ、代表だと。

で、1人部屋で1人で部屋に帰って、森高千里の雨を聴きながら。1人でこうひたってたら、ラモスさんが夜12時頃入ってきて。
お前は4年間よくやったよ」つって。

僕いつもオフトJAPANだとBチームの右サイドバックで、ずっとなかなか試合に出れなかったんですよ。
たまたま最終予選で高木(琢也)くんがレッドカードで繰り上げ当選みたいな形で、最後出たんですよ。

で、僕の中では、あのW杯いけなかったんですけど、その4年間頑張ったのをラモスさんが見てたみたいで部屋に来て「お前4年間よくやってくれたよ」つって、涙を流した思い出はありますね。

だから、森高千里の曲を聴くと、ドーハを思い出します

上田晋也「ああ、今でも?」

武田修宏「はい:

上田晋也「いやいや、みなさんにとってはね、今でも悔しい、苦い思い出かと思うんですけれども‥‥」

 

W杯初出場を決めたジョホールバルの歓喜

①衝撃!カズが本選で代表から外れる

上田晋也
「カズさんにとってはね、こっちもちょっと苦い思い出かと思うんですが。
まあ日本中がホントにちょっとね、衝撃に包まれた」

 

ドーハの悲劇から4年後(当時カズ30歳)、マレーシアのジョホールバルで行われたフランスW杯最終予選のイラン戦

しかし…W杯最終メンバー発表会見で…

当時の日本代表 岡田武史監督
「えー外れるのは、市川、カズ…三浦カズ、それから北澤、3選手です
チームのために残すのは、得策じゃないと判断して、カズと北澤に関しては、僕の判断で帰しました」

カズはW杯最終メンバーには選ばれず。日本中に衝撃を与えた。

 

②外れるとは思っていなかったが…これがサッカー。カズの達観した考え方

上田晋也
「うーん、というね。非常にショッキングなあれ出来事でしたけれども。
カズさん、あれは(岡田)監督にはどんな感じで伝えられたんですか?事前には」

三浦知良
「あの発表当日、あのー外れた3人呼ばれて。
カズ外れるから」って普通に言われました。監督の部屋で。
まあ、正直言って、あのー外れるとは自分は思ってなかったですね。
年齢的にも一番上だったんで、僕が。

まあ、何かこう(試合の判断を)相談されるのかなと思いましたね、ちょっと。判断をね。

まあでも、ホントにあのーまあもちろん悔しいしね、W杯っていうのは自分も目指してたものなんでね。出場っていうのは。

でもまあ、サッカーっていうのは、こういうこともあるっていうのは、もう自分やっててずーっとそういうのは経験してきてますんでね。

やっぱその、選手って言うのは、外されたり使われたりっていうのがあるのが、これがもうサッカーでね、毎回毎回のことですから。

これはもう、ブラジルの時からずっと経験してることですし。
まあ、こういうこともあるんだって。
これは冷静に受け止められましたけどね。

もちろん悔しさって言うのは、今でも消えない部分はありますし。自分がもっと努力してたらっていうことは、ホント正直思いますよ、やっぱね。

でも、監督が判断したことって言うのが、全てですしね。うん。それはもう、さっかー選手でいる以上、こういうことはあるっていう風に思いますね。はい」

 

③代表から外された理由は…「使う場面がない」

上田晋也「なんか理由っていうのは言われたんですか?岡田監督から「ちょっとこういう理由で外れてくれ:みたいな」

三浦知良
「まあ、岡田さんがね、どういう意味で、その本心かどうかは、これはねホント監督ってよく分かんないじゃないですかね。
やっぱ2人(森保監督&都並さん)とも監督やってるからよく分かると思いますけど。

でも僕が言われたのは、そん時、「3試合を想定した時に、使う場面がない」って言われましたね。ポジション的にね。それは覚えてます、はい」

 

④カズが代表を外れた時のそれぞれの想い

森保監督「すごく残念な気持ち」

上田晋也
「なるほど。まあ、森保監督はね、その選手選考もやってらっしゃいますけど。
監督のお気持ちもお分かりになると思うんですけれども、こん時はどんな感じで思ってらっしゃいました?」

森保一
「いや、この時はそれまで一緒に戦ってきた仲間として、日本のサッカーを引っ張ってきてくださったあのカズさんがW杯に行けなかったっていうのは、すごく残念な気持ちになりましたね。

ただホントに、監督としての立場で言うと、もうやはりチームを一番近くで見てるので、最前の判断をされたのかなとも思います。

で、岡田さんがすごいなと思ったのは、あのー僕も気を付けてますけど、できるだけストレートに言おうと思って。

今、「3試合使う場面がなんか想像できないっていうか想定できない」っていうところを伝えられたっていうのは、すごく勇気のある伝え方をされたなと思いますね」

上田晋也「森保監督も今選考から外れてもらう時はやっぱりなるべくストレートに丁寧にご説明なさるんですか?」

森保監督「そうですね、はい。できる限りストレートに話をして、選手には伝えたいと思ってますね、はい」

 

都並敏史「悔しい…ドーハの悔しさを背負って戦ってくれる人」

上田晋也「都並さんはこのカズさんが代表から外れるってニュース聞かれた時はどういうお気持ちでしたか?」

都並敏史
「今監督をやったりもしてるんで、ちょっと監督の気持ちもわかりますけど。
当時は選手終わって解説者かな?
選手会の仕事で柱谷哲二と六本木で飲んでたんですよ。
で、2次会に移動する六本木の交差点でその第一報を知ったんですよ。

で、柱谷哲二は六本木の交差点で、「岡田がなんぼのもんじゃーい!!」って叫びましたから。
デッケェ声で。やめろ やめろつって。止めて
その後2次会が大騒ぎになっちゃったくらい。悪酔いしましたね。

我々のドーハの悔しさをカズが背負って、向こうに行ってくれる人間だと思ってたし。
そういう人間がチームにいることが、絶対プラスになるとしか考えてないんです。監督やってないと。そういう風に信じてたから。もう悔しいわ 悔しいわ」

上田晋也「これは納得いかねぇなと?」

都並「いや、暴れまくりましたね、その後は」

上田晋也「あ、そうですか」

 

武田修宏「カズさんは悪口言わずに、逆境を強さに変える人」

上田晋也「武田さんどんなお気持ちでしたか?」

武田修宏
「そうですね、都並さん言ったように、やっぱカズさんは同じ日本代表で一緒にやってきましたし、やっぱ外れるのはすごいショックですけど。
カズさんって絶対人の悪口も言わないですし、そういう逆境とか壁になった時に、それをこうああだったのになとかそういう事絶対に言わなくて
ポジティブに切り替えて、そっからまたその逆境はその2倍3倍の強さにしてるのが三浦知良選手だと思うんで。
それでまたこういったことがあっても、よりハングリーに、三浦知良…カズさんのスタイルでやっていくのかなって言う風に思って。
逆になんか、もっと応援しなきゃいけないかなって思いましたけど、はい」

有田哲平「カズさんは人の悪口言わないですけど、武田さんは言いますもんね」(笑)

武田修宏「いや人は結構悪口とかそういうのやっぱ言うことはあるんですよ。カズさんは言ったことないっすよ」

 

前園真聖「代表の象徴だった」

上田晋也「前園さんは、このカズさんが外れた時っていうのは、どんなお気持ちでしたか?」

前園
「はい。僕、代表その時入ってなかったですけど、みててやっぱほんとショックでしたね。
そのまあ、代表でカズさんが象徴でしたし。

まあでもその後、さきほども話されたように、成田についてからすぐボールをけりに練習したっていうのも知ってましたし。

やっぱりずっとその、カズさん今も現役ですけれども、あのー現役である以上、ずっと代表目指す!W杯目指す!ってずっとおっしゃってると思うんですけれど。

やっぱこの時のその自分の経験っていうものがどっかにずっとあるから、たぶんこの年齢でもずっとやれてるんじゃないかなと僕はそういう風に思ってます」

 

⑤岡野雅行「W杯を決めたゴール…試合に出るのが怖かった」

上田晋也
「うん。岡野さんでもあの素晴らしいゴールでW杯決まったわけですもんね(岡野さん当時25歳)
あん時はどんなお気持ちでした?」

岡野
「あの時はですね、僕は実はあの試合しか出てなくて
出たくなかったんですよ。もう、怖くてです。
あのドーハの悲劇をやっぱ見てきてますし。

で、あの予選のほんと苦しかったんで。
で、最後のあの場面に(岡田監督から)「出ろ」って言われた時は、「何言ってんだこの人」と思いました。(笑)
プレッシャーで。

だって延長でVゴールつって、初めてのルールというか、入れたら終わりみたいな感じで。
で、僕あそこしか出てないんで、余計なことしちゃいけないなっていう」

上田晋也「野人すげぇデリケートじゃないっすか」

岡野
「それまでは それまでは「だせ!」と思ってたんですけど。
あそこの延長入った瞬間、「もう出たくない」ってなりました。
で、しかも出てって(シュート)3回外すという。」

上田晋也「もうこれ日本に帰れねぇぞって気持ちありました?」

岡野「ずーっと思ってましたね。はい。」

有田哲平「最初走りまくって外してたんですよね。」

岡野「もう人生終わったと思ってました。」

上田晋也「やっぱそれくらいのプレッシャーだったわけですね」

三浦知良
「確かに、あの試合のあのタイミングで入るのは、ホント大変だと思います。
はい。交代の人はホント大変です。

今ね、岡ちゃんいったように、点取りたいけど、やっぱ負けてもいけないんで。
そのバランスをとんのはね、やっぱね。
中の流れって見てて分かってるつもりでも、全然違うんですよね。
スピード感とかそういうのもそうですし。

それはもう交代であの時間でああいう局面で入るのはホント大変だったと思います。
怖いっていう気持ち分かりますよ。」

上田晋也「へ~決めたときどんなお気持ちでした?」

岡野
「ああ、もう真っ白になってて。もうホントにもう何してるか分かんないんですよ。
先ほど皆さん言ってましたけど。
で、もうバーッて喜んで走ってるんですけど、イランベンチに走っちゃって」(笑)

原田泰三「マジで?」

有田哲平「絶対ダメです 絶対ダメです」

上田晋也「挑発してんのかって言われるよ」

岡野
「途中で気づいてもう方向転換したら、カズさんがバーッて(来てくれて)、はい、抱き着いたんですけど。」

 

⑥サッカーを取り上げられる訳ではない…帰国後すぐ練習へ

上田晋也「カズさんだって確かね、選考はずれて、成田について、すぐ練習場とかにいかれたんじゃなかったでしたっけ?あの後、ね?」

三浦知良
「まあ、選手ですからね。
あの、サッカーを取り上げられるわけでもなかったですし。
自分にはそのヴェルディという闘う場所がありましたし。すぐにね、シーズンっていうのは続いていくんでね。試合がありましたし。うん。

そいう意味では、まあサッカーをやることが好きなんでね、やっぱりね。
そこはもう、自分でサッカーで闘うことにもう切り替えていくしかないんでね、ホント

ただ、岡田さんがその「自分の判断で帰した」って言ったのが残ってるでしょ?
あれは違います。
あれは、僕と北澤が「帰る」って言ったんです。

あれはもうもともとあのーあの時は(選出選手)22(人)だったと思う、確か。
で、25人いたと思うんですよ。
市川と外れた3人入れて。

で、この25人はもう最後まで全員で行くっていう、一応みんな思ってたわけです。

外れるけど、もちろん試合には出れないけど。
あのーチームとしてはパスも全部貰ってる。
ベンチに入れないけど、控室にも入れるっていう風な流れがあったんですよ。

で、僕と北澤っていうのは当然ベテランだったんですね、当時。

で、自分たちは、そこであのタイミングではもう外されることないって思ってたんですね。
だからその25人で行くっていうのは、その(外れる)3人のいい経験になるなっていう考え方で、反対じゃなかったんですよ。

でも、いざ自分になった時は、やっぱり若い人だったらいいけど、僕の考えは、僕はプロだから。
もう働く場所がなかったら帰るべきだと思ったんですね、僕は、あの時。
だから僕は「もう帰る」って言ったんですよ。

当時はもう協会としては、岡田さんとしても、みんな一緒に来て欲しいっていうのはあったと思います。うん。

北澤も「カズさんどうするんですか?」。
「いや帰るよ当然」って。「ここでもう試合に出れないんだったら、意味がない」って僕はその時はそういう考えがあったんで、もうはっきり決めて「帰ります」つって。

で、僕らの考えを尊重してくれて、帰らせてくれたんですね」

 

⑦気持ちの切り替え方がすごいカズ

上田晋也
「カズさんはちなみにその、代表落選ってなってからは、次の日とかはやっぱりちょっともう部屋でジッととかそういうかんじだったんですか?」

三浦知良「いやもう、ディスコで踊りまくってましたね」(笑)

上田晋也「なんでですか?え、マジで?」

三浦知良「マジで(笑)」

上田晋也「え、それもう次の日から?」

三浦知良「もうクラブかなんか行って、踊りまくってましたね。
もちろん練習もやりましたよ。めいいっぱい
休みの前日は、「もうディスコで踊りまくっちゃえ」っていってね」

上田晋也「なんかすんげぇ気遣って損したきがする」(笑)

福田充徳「でも、切り替えがすごいよね」

三浦知良「僕はもうメリハリはホントに。もうどんどん変わっていきますから」

原田泰三「それはもう人の目を気にしてるとかじゃなくて、ホントに踊りたくて踊ってたんですね」

三浦知良「そう。遊びに行きたくて、もう」

有田哲平「そのW杯はご覧になられたんすか?」

三浦知良「見ましたよ、もちろん」

有田哲平「それはもう変な意味じゃなくて、普通に応援…」

三浦知良「それはそれですね」

上田晋也「へえ~、気持ちの切り替え早いっすね」

三浦知良「早いです。ホント早いです。早いって言われてますもん」

上田晋也
「だって子供の頃からの夢だったW杯!ね?出場決まって、よっしゃ行ける!ってなった時に、ダメってなったわけじゃないですか?
次の日ディスコ行けます?
どうですか?武田さんからご覧になっててもカズさんは切り替え速いなってございます?

武田修宏
「そうですね。やっぱその辺はメリハリね?カズさん。
練習やる時は全力でやって。終わったらみんなでカズさんね?わっといって

またその切り替える時、練習の時は一切集中して、規則正しい生活して
そのメリハリは現役からすごいって思いますよ」

上田晋也「監督もご存知だったりしますか?その切り替えの早さ」

森保監督
オンとオフのほんとにあの違いは素晴らしいと思ってますね。
やるときはやる。リラックスする時はリラックスするっていうのは、ほんとにそこは教えていただきます。」

三浦知良「でも1回行ったよね?」

森保監督「はい行きました。カズナイト

上田晋也「カズナイト行くタイプじゃないでしょ、監督」

森保監督「あの、食事会と思って行きました(笑)」

上田晋也「食事会と思って行ったら、あ、ガンガン歌うんだみたいな」

森保監督「そうですね、はい」

武田修宏「でも、日本代表、俺仕切ってたもんね?」

森保監督「そうですそうです。はい。あの武田さんがいつも「カズさんがこういう会やるからお前も来いよ」って言って。誘ってくれて」

三浦知良
「だから、カズナイトって言ってるじゃないですか?
一応カズナイトって名称でやってるんですけど、まあ僕もあの時結婚してたんで。

もし表に出てメディアが来て「中でどういう会があったんですか?」って言われたら、「タケ祭り」って言ってくださいよって」

武田修宏「そうそう。そうなんですよ。」

三浦知良「こういうの(紙)に「カズナイト」って書いてあって、でも外出たら「タケ祭りです」って」

 

日本代表 森保一監督について

カズから見た監督「信念は絶対に曲げない強い人」

上田晋也「カズさんは森保さんの監督ぶりっていうのはどうご覧になってるんですか?」

三浦知良
あのー強いですね。やっぱりハートが。あの冷静ですし。

まあ監督って職業って色んなこと言われるんで。ネガティブなことも多いと思うんですけど。
まあ言われたとしても、自分のもう信念は絶対に曲げないっていう。

こうすごい穏やかじゃないですか?
でもすごいその通った一本の信念がもうしっかりしてますね。
それでもう、ブレないと思います。どんな状況になっても。

それはもう話してても分かりますし。
采配っていうかね、観てても。

僕は監督やったことないんで、細かいそういうことは…監督のことは分かりませんけど。
まあもう、選手の交代にしてもそうですし。自分がやっぱ信じたものをずっと貫き通してますね。
それは選手の選考でもそうだと思います、はい。
それを感じます、すごく」

 

都並敏史さんから見た監督「信念があり、頑固」

都並敏史
信念みたいなものは、選手時代から全く変わんないんじゃないですかね。頑固。頑固です。
だから当時森保がオフトJAPANに入ってきたときに、まあオフトさんの戦術にもう右からこう左にちゃんとこう。左右両方に攻撃をつかさどる役目が必要だったんですよ。

だけど、たとえば俺とカズとラモスって左でずっと行きたがる人達が揃ってると、これバランスとるのは森保の役目なんですよ。

で、ラモスさんが「こっち出せ」って言っても無視して全部あっち出しますから

そういう強さがもう選手時代もあったし。

ホントによくこんだけ言われて無視できるなぁって逆にびっくりしたぐらい。」

上田晋也「それは試合後にラモスさんに怒られたりしなかったの?なんでこっち出さねぇんだ!って」

森保監督「逆に褒められてました」

三浦知良
「ラモスさんそういうところありますよね?その時は「こっち出せ」とか言うけど、あのー自分の判断で自分の信じたものをやると「お前良かったよ」「それでいいんだよ」って終わった後すごい言うんですよ、あの人」

 

武田修宏さんから見た監督「気遣いの人」

上田晋也「武田さんどうですか?森保さんのこの現役時代から、監督向きの性格だなとか」

武田修宏
「俺はもう気遣いの森保くんってイメージがあったんで。
どっちかっていうともうね日本代表もヴェルディの華やかなバーッて感じで、ポイチはどっちかって言うとね?」

森保監督「地味でしたね」

武田修宏
「地味にこうみんなのバランスをとりながら、選手に気づかいしながらっていうタイプだったんで。色んな人を見てるんで。
ただ…まあね。ワールドカップ行って、代表監督ですからね。」

 

三浦知良
「当時俺なんか分かってなかったんだけど。やっぱ都並さんとかそういう風にね、森保のこと見てたりとか。ラモスさんがたけんとこ行って部屋でそのがんばったよって言ったとか。

そういうマネージメントというか全体をやっぱ見てくれてる人たちがたくさんいたから、僕ら自由にプレーできたんだなって思いますね、やっぱね、そこはね。

僕なんか特にもう自分主義が強くて周りのことなんかまったく考えてなかったし。
オフト(監督)のミーティング何言ってたかなんか覚えてないし。
システムもこの前言われて初めて気づいたし。
30年経ってやっと気づいたんですよ、僕」

武田修宏「で、ポイチはどう見てたの?カズさん」

森保監督
「いや、カズさんすごいと思ってましたよ。
あの、自分のことをやってるって今話してますけど。
でも、日本のサッカーの未来の発展を考えて、ホントにピッチ上でもピッチ外でもホントに背負って戦ってくれてるなっていうのが感じてましたね。

なので、もうチーム全体、日本のサッカー全体のことを考えてくれてるっていうこう印象がありますね。
武田さんは僕が監督になると思ってなかったって言ってました」

武田修宏「いや、そんなこと言ってないやん。そんなことないです」

 

前園真聖さんから見た監督「選手をまとめるマネージメント力が素晴らしい」

上田晋也「前園さんは森保監督の監督ぶりはどうご覧になってますか?」

前園
「あ、僕は現役の時には、すこーし自分が若い時に森保さんと一緒に代表で少しやらしてもらったのがあるんですけども。
やっぱり、そのー僕らの頃と違って、今の代表メンバーってもうほぼ海外の選手なんで。
2チーム作れるくらいのメンバーがいて。

まあ、基本的に代表に入ってくる選手みんな一番だと思ってて。
わがままな選手ばっかりなんで。
それをやっぱり1つにまとめるマネージメントって相当大変だと思うんです。特に今は。

それはやっぱり森保さんもはっきりとこう選手たちに提示して、プレーも含めてですけども。
ピッチ外のところも相当大変だと思うんです。

そういうの表に出さないですし、ホントにそのマネージメントが素晴らしいなと思いますね。はい」

上田晋也「現役時代選手としてここがすごかったなー素晴らしかったなーと思うところはどの辺なんですか?」

前園
「あのやっぱり、前にカズさんとか武田さんとかこういて。
そこをやっぱりボランチっていうそのいわゆる守備的ポジションで、攻守のバランスを取るんで、一番ふかんで見えてないといけないポジションだと思うので。
まあそれを自然に現役の時からできてたんじゃないかなとという風に。

だからこそ、こうチームマネージメントを上からこうバードアイじゃないですけど、観れてんのかなっていうのは印象・・・僕の印象です。
決してこうすごく前に出るわけじゃないけれども、結果的にたぶんカズさんが言ってたように、自分の多分システムとか、たぶん戦術カズだと思ってたと思うんで。
それをバランスをたぶん見るのが森保さんだったと思うんですよね。」

上田晋也「前園さん、代表監督やってみたいなーとか思われないんですか?」

前園「いやーもうそんなもう大変だと思いますね。言うこと聞かないじゃないですか、みんな」

 

森保監督「自分が一番!な選手たち。だけど目的はみんな一緒!」

上田晋也
「いや、それは分かりませんけれども。ごめんなさい。森保監督、言うこと聞かないですか?選手たち」

森保監督「そうですね」(笑)

前園「自分を持ってる

上田晋也「個性派集団でしょうしね」

森保監督「みんな俺が王様。俺が一番。野球でいったら4番でエースみたいな感じですね、はい」

上田晋也「でもそういう人たちじゃないとね?やっぱ強くならないでしょうしね」

森保監督
「おっしゃる通りです。それがもうメチャクチャ楽しいです。
もう突き抜けた向上心みんな持ってるんで」

上田晋也「イラっとくることないですか?「い~、言うこと聞け!ここは」みたいな」

森保監督
「いや、それは特にないですね。はい。みんな目的は一緒なんで。
あのー強くなりたい、うまくなりたい、代表としては勝ちたい、日本のサッカーを発展させたいってもうみんな思ってくれてるんで。
目標は同じなんで、試合の時にはまとまるんですよね」

原田泰造
「え、監督が「今日はこういう作戦で行きます」って言って、「僕はそれ違うと思います」とかって言ってくる人はいるんですか?」

森保監督「あのー使う使わないを含めて、はい。選手言ってきます、はい。

原田泰造「それはケンカにならないんですか?」

森保監督
「選手は納得してないかもしれないですけど。
まあ、できる限りの説明とあのー今日の試合はこういう目的で戦うっていうことを話したら、「わかった」という、納得はしてくれますね。
けど実際はもうあのーそうですね、こうストレスはあるとは思いますけど」

 

日本代表監督をやってみたい?

岡野雅行「監督になっても「走れ!」しか言えない」

上田晋也「岡野さんどうですか?代表監督やってみたいなとか思われませんか?」

岡野
「僕、全然思わないです。あのたぶん、「走れ!」しか言えない。(笑)
はい、ほんとです。「とにかくスペースに走れ!」しか言えない、はい」

 

武田修宏「ブーイング&歓声が好き。だから、イチかバチかやってみたい」

上田晋也「武田さんは?ちょっと日本代表監督やってもらえませんか?ってきたら」

有田哲平「仮の話ですよ」(笑)

上田晋也
「いやいや。リアリティーもって言ってますよ。武田さんは(監督)やる気あるんですか?」

武田修宏
「監督は…えーやりたいですね。
あの、僕あの結構大ブーイングとか、すごい歓声とかそういうのすごい好きなんですよ。

ちょっとミスしたら、「おい、武田何やってんだ!」とか野次られたりするの好きなんで。一か八かやってみたいですね。(笑)

その歓声を敵にするのか味方にするのか分かんないですよ。

ただ、勝ったら「わー!」で、負けたら「帰れー!」とか。
そういうのがなんか好きなんですよ。ブーイングが

上田晋也
「これやっぱりもし監督になったら、森保さんのとこに「ちょっと色々教えてくれよ~」ってアドバイス乞いに行くんですか?」

武田修宏
僕監督は名前だけ、コーチちゃんとFWコーチ、守備コーチ、分析コーチを10人ぐらいバーッとそろえて。
で、僕はマネージメントって感じで上でやろうかなと思って。どうですか?」

森保監督「いい感じです」

堀内健「武田さん向かないでしょ、監督に」

森保監督
「いや、向いてると思いますよ。
あの、やりたいことはすごく持ってる人なんで。
チャンスがあったら、あのトライされたらいいなと思って…」

三浦知良
「ならないよ。厳しいのかもしれないっすよ。規律とかそういうものを、やっぱ厳しくやるんじゃないかなと思う」

都並敏史「武ちゃんこう見えてもサッカーは真面目ですからね」

上田晋也「都並さんから見てても、代表監督向きます?」

都並敏史
監督は色んなやり方があるんで。全然チャンスがあればやった方がいいんじゃないかなと思います。成功するかどうかはやってみなきゃ分かんないんで」

有田哲平「でも、森保監督(武田さんを代表監督に)推薦したらどうですか?自分の次の…」

森保監督「あ、言っときます」

有田哲平「やったじゃん」

武田修宏「だって、空気が完全にアウェーになってますよ」(笑)

 

カズ「監督はやりたくない・全く興味ない」

上田晋也「でもやっぱカズさんにも将来的にはね?日本代表の」

森保監督「そうですね。もうホントに(日本代表)監督になって欲しいですし、日本代表の…あの」

三浦知良「できるわけないじゃん、僕が

上田晋也
「カズさんホントに監督…将来的にですよ。もう10年先でも20年先でもいいですけども。ないですか?」

三浦知良「ないですね」

有田哲平「やりたくないですか?監督を」

三浦知良「やりたくないです。興味ないです」

有田哲平
「でもカズさんがなって、カズさんが監督としてW杯に行っただけでも、もう泣きますけどね」

三浦知良「いや、興味ないですね。全く無いです」

都並
「急に変わる可能性もありますから、やっぱり。
自分もそう思ってたけど、やりたくなった瞬間があったし。
もう人には分からないですよ、未来は」

三浦知良「(うなずいて)今は全くホントに思ったことないです」

上田晋也「今はもう1年でも長く現役を…」

三浦知良「今はって言っても、もうすぐ60(歳)ですよ(笑)」

上田晋也
「いやいや。正直70歳ぐらいまで僕は現役やって欲しいなとは思いますよ。ねえ?
70ぐらいで残念ながら引退なさったら、監督をね?」

森保監督「はい。ぜひやって欲しいです」

上田晋也「そしてなんか森保監督が参謀として。ね?」

森保監督「いつでも喜んで。コーチになります」

三浦知良「じゃあ、監督やって下さい」

上田晋也「分かりました。武田さんも参謀として付けますから」

三浦知良「タケは来なくていい」(笑)

 

サッカーが大盛り上がり!

①サポーターの激しすぎる!?応援

レッズサポーターは熱かった!

岡野「不甲斐ない試合だと、みんな降りてきちゃって、怒って。」

上田晋也「レッズサポーターアツいですしね」

岡野
「いや、アツいですね。もうホントにバス乗る時とかに、バスになんか飛んでくるんですよ、いっぱい。いろんなものが。
何かな?と思ったら、10円玉とか。いろんなもの飛んでくるから。
だから、よく拾ってましたけどね」

前園「だからレッズと対戦する時はちょっとやっぱ嫌でしたね。」

上田晋也「やっぱレッズサポーターからガンガン野次られたりするんですか?」

前園
「だから僕、コーナーキックとか蹴るんで。
やっぱそのポジションによってはダイレクトに聞こえるんで」

上田晋也「例えばどういうヤジが飛んでくるんですか?」

前園「「なんか先週六本木歩いてたよな!」とかその(笑)もう的確…」

有田哲平「歩いてねぇわ!とかじゃないわけでしょ?」

前園「いや歩いてるんで、実際。実際歩いてるんで、そこは」

上田晋也「あれバレてんのかな?とか」(笑)

 

フランスのW杯予選で大暴動!

上田晋也「都並さんとかは野次られたとか何かります?」

都並
フランスW杯の予選で。まあ、カズもいた時ですけど。
国立競技場でUAEと試合して、引き分けたって試合があったんですよ。
そん時に、もう1位になれない感じが出たんで。大暴動があったんすよ。
カズもね?覚えてる?自分の送迎車で来てて…」

※1997年10月26日 フランスアジア最終予選…UAE戦で引き分けに終わり、試合後一部のサポーターが暴動を起こした

三浦知良「パイプ椅子が飛んできてね」

都並
「パイプ椅子。カズの車にバッカンバッカン物投げられて
で、もうサポーターが暴動して、門もふさがって、出て行けない状態なんですよ。大暴動。

で、僕も当時テレビ番組で解説もやってたし、かなり名前が売れてる状況で。
そこ出てって「おいやめろよお前ら!もう投げるんじゃねぇよ!」って出てったの。
門の上にこう仁王立ちしてるヤツが「誰だお前よ!」って言われて。
「俺知らねぇのかよ…」つって。で、下がってった。ショック。(笑)

だからサッカー知らない人でも、にわかファンの人が増えた時だったんですよ。
だからそういう状態が起きた」

三浦知良「チームバスがあん時、岡ちゃん、出れなかったでしょ?」

岡野「あ、出れなかったですね。あの、8時間ぐらいホテル帰れなかったと思う。」

三浦知良「8時間はおおげさでしょ」

岡野「じゃあ6時間にしときます」

三浦知良
「で、僕はあそこから自分の車はもう捨てて
運転手がいたんで、運転手にこれ持って帰ってって言って。
帽子被って歩いて出たんですよ。誰も気づいてないですよ」

原田泰三「カズさん一人で出てったの?」

三浦知良
「あの観に来てた一緒にいた友達と。
このままもう歩いてったら分かんないと思って、帽子被ってそのまま。
私服にもう着替えてたんで、僕。」

有田哲平「でも私服結構カズさんって独特じゃないですか?バレなかったすか?」

三浦知良
「バレなかったですね。僕あの大きい通りまで出て、タクシー拾って。
あの後、みんなでカラオケ行ったの覚えてる?」

上田晋也「行ったんかい!(笑) カラオケかディスコ必ず行くな」

三浦知良「俺歩いて先出ちゃったからさ。岡ちゃんたち、3時間…4時間後ぐらいに来たよね?」

原田泰造「4時間後じゃないですか」

岡野「ちょっと…ちょっと大きく言った」

原田泰造「8時間つった(笑)」

岡野「結構それぐらい出れない状況だったんで」

三浦知良
「それで、あの時朝までいったじゃん?
で、朝こう歩いて帰ったんだよね、途中まで。
そしたらコンビニで当時新聞がこうやって(丸まって置いてあって)「カズ暴動」みたいのが書いてあって。「何だこれ?」みたいな。
「あれ?そんな騒ぎになってたんだ」と思って」

上田晋也「呑気にカラオケやってる場合じゃなかったなみたいな」

 

②Jリーグが始まり年棒が大幅UP!

武田修宏
「Jリーグできる前は、まあホントに月30万、40万、50万ぐらいだったんですけど。
Jリーグができたら、月500万とか600万とかになって。1億ボーンと超えるようになったんですけど。
まあ、当時代理人がいなかったんで、直接社長さんと話したときに。
僕、「6000万(円)でお願いします」って言った時に、あのー当時ヴェルディの社長が「いや、8000万(円)でお願いします」って言われて。
より高い金額を言われて。すごかった。0が1個バーンと上がりましたね。」

都並
「僕は18(歳)から6万円でスタートして、バイトしながらずーっとやってて。
どんだけ優勝して、どんだけ試合出ても、まあ50万ぐらいしか上がんないから。

まあ、30(歳)近くでJリーグになったわけですね。
当時はまあ(年収)700万(円)ぐらいになってたのかな。

で、「このJリーグの雰囲気だと、これむしろ1000万(円)とかいっちゃったら、焼肉屋で上カルビ食べれるんじゃねえの?」みたいな話してた時に、契約交渉の場で5000万(円)が出てるわけですよ。5000万って出たんですよ。

「うおっ!」と思って。

そしたらあのー担当の人が「都並君は小学校からこのクラブにいてくれて。長年の貢献があるから最大限の評価をしたよ」って。

ああ、ポンってハンコ押したんですよ。

そしたら次の日の新聞「武田8000万」って出てて。
「おいなんだよ。武田まだ5年目だぞアイツ。俺何年いると思ってんだよ、お前」(笑)

上田晋也「やっぱカズさんが一番年棒高かったんでしょ?」

都並「知らないですから、僕らは。推定でしか」

武田修宏
「多分カズさん僕らの2倍ぐらいはもらってたんじゃない?分かんないですよ分かんないですよ。推定の値段で分かんないすけど」

上田晋也「カズさんも一切否定もしませんしね」(笑)

三浦知良
「ただあのー僕らからすると、やっぱりこう基準っていうのがプロ野球だったんですよ。僕は特にこう。
でまあ、同じぐらいの年代で言うと、清原(和博)さんとか桑田(真澄)さんというのがやっぱもう億らってて。
で、僕は僕で当時は若かったし。
何て言うんですか、ちょっとプライドというかね、そういうものもあって。

ブラジルでプロで活躍してきて。ね?
選手がやっぱそのぐらい。プロ野球で活躍してる選手と同じぐらいもらってもいいじゃないかっていう自分の考え方みたいのがあってね。

でまあ、チームと交渉する時も、そんな感じで交渉したんで。
もうあの、その意味を分かってくれて。やっぱこう、やっぱ上げてくれたんですね」

武田修宏
「まあ、プロができた年なんで。93年。サッカー選手ステータスがこう少しずつこう違った感じで。
前はマルイとかあった時に、「サッカー選手です」つったら、「え、職業なんですか?」って何回も聞かれたんですよ。
サッカー選手って職業が認められてなかったんすよ。」

堀内健「マルイで何で職業聞かれるの?」

武田修宏「マルイでカードとか作る時に。職業サッカー選手っていっても、「え?サッカー選手?」って…」

有田哲平「マルイのカードって一番誰でもできるやつ。え、サッカー選手はできなかったんですか?」

原田泰造「バイトでもできましたよ」

武田修宏「あ、そうっすか(笑)それがだから認められてプロサッカー選手を職業…」

都並
「マルイのキャッシングのカード作る時に、職業って欄があるじゃないですか。
そこに、「プロサッカー選手」って書いて、年収120万だったから、120万って書くと、それ桁が違いませんか?ってマジで聞かれてた時代でした。

93年からはかけるんですけど。その前は本当に安かったです」

 

③駅にファン殺到!ホームから新幹線に乗れず、線路から

武田修宏
「(19)93年に静岡で清水エスパルスと試合をやった時に、ファンが駅にすごすぎちゃって
線路をこう歩いて電車に乗ったんですよ。」

上田晋也
「例えばなんですけど、武田さんとかね、その当時うわーあのアイドルカワイイなとか、あの女優さんキレイだなとかで、ちょっと会わせてよなんて言ってだれか関係者通じてあったとかそういうの無かったんですか?」

武田修宏
「いや当時はその雑誌の企画とかで「誰に会いたいですか?」って言うから、女優さんでもどなたでも会いたいと言ったら対談がセッティングされましたね。
もうそれぐらいなんだろう‥すぐに会いたい人に会えましたよね」

上田晋也「誰と会ったんですか?」

武田修宏
「えーっとですね…(笑)当時はだから女優さんです。だから、もうドラマの1番手、2番手の女優さん」

有田哲平「で、だ、だ、誰ですか?」

武田修宏「(笑)いやいや…」

堀内健「対談しただけですから」

武田修宏「対談はいっぱい色んな方が…」

有田哲平「何かあったんでしょ?」

武田修宏「何もないです 何もないです」

上田晋也「何もないなら、言っていいじゃないですか」

武田修宏「いや、言わなきゃつったって。あの…みなさん家族がいる方が多いんで…」

有田・得意・福田「いやだから、対談!」(笑)

上田晋也「なにかあったでしょ?だから。岡野さんは?」

岡野
「代表になったら、その浦和レッズの広報の人が、「好きな女優さんに会わせててあげるよ」って言われて。
で、僕内田有紀さん好きだったんですよ。
で言ったらホントにラジオに出してもらったっていうのはあります」

上田晋也「こういう風に別にやましいことがないならスッといえますもんね?」

原田泰造「なんでこれができないの?」

(カズさんに耳打ちする武田さん)

原田泰造「今何話してんの?」

武田修宏「今、ミーティング ミーティング ミーティング・・・・」

原田泰造「今なんでこれ(対談相手を言う)ができないんですか?このスラッと」

武田修宏「色々事情があるんですよ」(笑)

 

④遊びは、六本木・西麻布・ディスコ

カズ派・ラモス派に分かれてカラオケに…最後には女の子30人がついてきた

上田晋也「みなさん、どういうところに遊びに行くことが多かったんですか?」

三浦知良
「やっぱり、六本木、西麻布。で、ディスコがね、芝浦にあったんで。そっちの方によくいってましたね」

上田晋也「はい。ジュリアナとかですか?」

三浦知良「ジュリアナも良く行きましたね」

上田晋也「でも、大変だったでしょ?その当時。ジュリアナだとかそういうところに行くと」

都並敏史
「例えば国立で試合しますよね?それ終わった後、原宿のメキシコ料理屋にまずみんなで集まって。そこでラモスさんとかみんないて。サッカーの話1~2時間するんですよ。

と、それぞれがちょっと飽きてくると、まあディスコに行くグループ。残るグループ。ちょっと居酒屋行くグループって。

最後には、あのーカラオケに集まるんですよ。

いやそん時に、そん時にだから、最初の2時間には女の子なんて誰もいないのに、最後は30人ぐらい女の子がついてきたんですから。」

三浦知良「それはもう、カラオケのところはちがう…あの」

都並敏史
「違うからね。ラモス先輩とカズあんまり一緒にカラオケ…お互い歌好きで張り合うから。
カズ派、ラモス派なんですよ。」

三浦知良「張り合ってるんじゃないですよ。遊び方が違うんだよ、こう…」

上田晋也「岡野さんとかはその時代一緒に遊んだりはされてない?」

岡野雅行
「ヴィッセル神戸であの一緒のチームだった時は、家族もすごいこうご飯とか連れてってくれたんですよ。
で、カズさんは女性陣の奥さんたちのことを「オフィシャル」って呼んでまして。(笑)
って言われてたんですよ。
そしたら、あの食事終わった後に、あのもう嫁たちは、オフィシャルは帰れみたいな。

オフィシャルは帰りなさいって感じで女性陣はそのままカズさんの家行って、りさ子バーってみなさん行くんですけど。

僕らはカズさんに連れてっていただくんですよ。
いつも行ってるカラオケに行って、カズナイトが始まるっていう」

上田晋也「カズナイトは、夜カラオケ行って盛り上がること?」

三浦知良「でも、オフィシャルじゃない人たちが来る」(笑)

岡野雅行
「で、トシちゃんの曲がめちゃくちゃ入ってるんですよ。何曲も。
で、僕がたまにポンって入れちゃうじゃないですか。THE BLUE HEARTSとか。
そしたら、ピッって消されて。」(笑)

三浦知良「消してない!歌ってたよ!」

 

上田晋也「カズさんも、もうマイク握ったらもう渡さないタイプなんですか?」

武田修宏
「途中からトシちゃんの曲がバンバンバンって入ると思うんですよね。
最初は色んな人が歌うんですけど。それは前座ですよね、たぶんカズさんのね。(笑)
で、カズさん最後バーッて歌って
さっき言ったように他の人の歌パッて切って、カズさんがどんどんどんどん次いかせないって感じで。

で、ラモスさんも行くと、ラモスさんは新宿で。最後の雨とかバーッて入れちゃうんで。
どっちもそんな感じですね」

徳井義実「ラモスさんが新宿で、カズさんが六本木何ですか?そのエリアが分かれてるんですか?」

武田修宏
「みんなで一緒に遊びに行くんだけど、二手に分かれて、もうどっちにつくのかっていう感じで。
俺はたまにこっち行ったりこっち行ったり」

 

カズはブラジルでもトシちゃんの曲を歌いまくりの踊りまくり!(18歳~20歳)

三浦知良
「みちよちゃんはブラジルの日系の女の子で、みちよちゃんのお母さんとお父さんと仲良くなって。みちよちゃんとも仲良くなって。家族ぐるみで。
みちよちゃんの家によくご飯食べに連れてってもらったりとか」

(客席に来ているみちよさん)

上田晋也「18~19歳の時のカズさんって、どんな感じの少年でしたか?」

みちよさん
「そうですね。すごいカッコ良くて
もう歌が好きで、あの家によくカラオケセットがあったんで。
そこでカラオケをしたりとか。
トシちゃんのマネをしながら、あのー歌ってました。
カラオケをやってて。あのー家マンションに住んでたんですけど、近所の方があの1ブロックぐらい聞こえますよって言われて。(笑)

上田晋也「そんな大音量で歌ってらしたんですか?」

みちよさん「そう」

上田晋也「それはみちよさんにとってもクソ迷惑だったでしょ?ねえ?」

(笑顔で無言のみちよさん)

上田晋也
「全然否定なさらないし。(笑)
でもどうでした?その後、ね?Jリーグで人気者になり、日本代表のエースになりって。
どんどんどんどんご活躍なさったわけじゃないですか。
それどんな気持ちでご覧になってましたか?」

みちよさん
「そうですね。(ブラジルから)帰られる時は、家族と見送りに行ったんですよね、空港に。
その時にもうなんかあのーカズさんが、ちょっと涙を流して
こちらもすごく悲しくて。もうこれ以上お会いできないのかな?と思ってたんですよ。
で、キングカズさんになられて。
有名になられて。それでも、あのお忙しい合間に再会していただいて。すごい感謝です」

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