人生を変えた楽曲『Lemon』
米津玄師の名を一躍有名にした楽曲。
それが…2018年にリリースした「Lemon」。
この曲は高校の音楽の教科書にも掲載されています。
林
「大ヒット曲「Lemon」ですけれども、学校の教科書にも載った。
その連絡があった時は、どう思われましたか?」
米津
「いや、なんか光栄な話ですよね。ほんとにね。もう。
ああ、これですか。初めて見ましたね」
この「Lemon」が主題歌になった2018年ドラマ「アンナチュラル」。
法医解剖医たちが不自然な死を解明していくストーリーという事で、この曲には「死」という大きなテーマが込められていますが、実はその製作途中、忘れられない出来事が起きたといいます。
大好きだった祖父の家と田舎の風景
林「もうやはりこの曲には、思い入れがおありなんですよね?」
米津
「制作中に、自分の母方のじいちゃんが亡くなっちゃったことがあって。
で、ドラマ自体がわりかしこう人の死に向き合うっていうそういうドラマだったんで。
そういうドラマの曲を作ってる最中に自分の身内にも同じようなことが起きるっていうのは、何らか、まあ偶然ではあるんですけど、ちょっともしかしたら必然なのかなとか。
そういうことを思う瞬間もあって。」
林「おじいさまとの思い出っていうのは何かおありですか?」
米津
「まあ、あのー子供の頃、自分は結構内にこもるタイプというか。
で、あんまりこう人とも喋らない、わりかし何考えてるか分からないような子供だったと思うんですけど。
そういったもんで、だからあんまりこうおじいちゃんとも何かこう特別な会話があったかって言われると特にはないんですけど。
そのおじいちゃんの家がすごく好きだったんですよね。
すごいあの、徳島県出身なんですけど。
もうほんと山のこう斜面にへばりつくような村があって。
その一番低いとこと高いとかがすごい高低差があるような。
何かそこの光景っていうのは、今でも思い返すくらい、やっぱ大きな影響を及ぼしてるなと思いますね。はい。
まあ、朝起きると、もう晴れてるところ、何か山が折り重なって向こうの方に見えるんですけど。
朝とかもう朝もやで何にも見えなくなったりとか。
だから、印象的な光景がいっぱいある地元でしたね。」
林
「家に帰る時は、こうわっと外で遊んでて、最後駆け上って家に帰るような?」
米津
「駆けのぼった記憶というより、駆け降りた記憶の方が大きいというか。
駆けおりて途中で転んだりとか。
でもう大変な目にあったりっていうのが、その記憶の方が大きいかもしれないですけど。はい。」
妥協したくない楽曲制作 最後の最後まで直し続ける
2018年紅白歌合戦に出場し、Lemonを熱唱。
テレビ初歌唱を果たした。
林
「やっぱりご自身の中でもあの曲がターニングポイントになったなって思われますか?」
米津
「明確にそうだと思いますね。
なんかやっぱ、あれ作る前と後では、全然違う人生になったなとは思いますね。
だからそれこそ「Lemon」とかは、あのー(ドラマ)CMで流れたバージョンとあの(ドラマ)本編で流れたバージョンとちょっと違うっていうのがあって。
本当に締め切りの最後の最後までやりたいんで。
そこまで色々こねくり回したいって気持ちが全曲に対してあるので。
なので、(音源を)提出して、これが完全の音源ですっていう風に提出した後に、ちょっと「頼むからもう1回やらせてくれ」っていう。
(Lemon)録りなおしたんですよ。
メロディーがちょっと変わってたりとかはあって。
だからそれは凄い迷惑かけたなっていうので反省はしてるんですけど。」
林
「今振り返ってみて、あそこいじりたいなって作品は、じゃあ今でもおありなんですね?」
米津「もうほとんど全曲思いますね。」
米津玄師さんの歌詞の秘密
文豪の影響を受ける 宮沢賢治はずっと好き
学びの姿勢がベースにある米津玄師の音楽活動。
その歌詞活動は、宮沢賢治、石川啄木、種田山頭火など文豪たちの影響も色濃く受けている。
林「米津さんはその宮沢賢治さんなどの文豪の影響が作品に出てると?」
米津
「そうですね。宮沢賢治はずっと好きで。
『春と修羅』っていう詩集みたいなのがあって。
あれは10代後半とか、ちょっとまあ神経質だった頃というかに、こうお守りのようになんかずっとカバンに忍ばせておいてみたいなくらい影響を受けましたね。」
林
「今回の新アルバムの「毎日」という曲には、石川啄木の「ぢっと手を見る」という言葉が作品に使われてますけども」
このフレーズは石川啄木名歌
『はたらけど はたらけど猶わがせいかつ 楽にならざり ぢつと手を見る』
から引用している
林「これはどういう意図で使われたんでしょう?」
米津
「あのー「毎日」という曲を作っている時、もう結構こう制作が切羽詰まってるというか。
色んなやらなきゃいけないことが立て続けに建て込んでて。
中でもまあ、曲作るのって手を動かしてりゃ終わるわけでもないっていうか。
こう書いては捨てて、書いては捨ててっていうのがずっと続いてる時に、これ何やってるんだろうなってすごいなんか自暴自棄になることがあって。
で、そこでなんかまあ頭の中に“はたらけど はたらけど”みたいな。
なんかそういう言葉がやっぱこうどうしても浮かんできたんで。
それをそのまま引用して歌詞書いたらおもろいんじゃないかなみたいな。」
林
「まあ、啄木って実際にちょっと色々問題を起こした人じゃないですか。
僕その中ですごく好きな作品が1個ありまして。
『一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと』。
(意味:一度でも自分に頭を下げさせた人は、全員死ねと祈った)
あれ大好きなんですよ」
米津「ああ、はいはいはい(笑)。分かります」
林「あ、分かります?あれ、いいですよね」
米津「なんかすごい赤裸々ですよね。」
林
「これ言うと大体みんな引いてたんですけど、あの、認めてくれたの初めてですよ」
米津「本当ですか?」
林「あれ最高ですよね?」
米津「最高ですよね」
(スタジオ ハライチ澤部「なにこれ!気持ちよさそう、先生」 林「やっとわかってくれる人に出会えた」)
米津
「人間の業みたいなのってすごい好きというか。あの自分もなんか身に覚えがあったりするんで、やっぱ」
林「思い切って言ってみるもんですね」(笑)
歌詞によく使われる「影」という言葉
林「あと色々伺っていきたいんですけれども、パプリカの詩の中に「影がたつ」があって。
後半にも「かげぼうし」のかげが出てきますよね。
あと「馬と鹿」の中にも”影を“っていう表現が」
確かに、米津玄師の歌詞には影という言葉が何度も登場する。
林「この影がなんか死につながるものなのかな?っていうような仮説をたてて…」
米津
「そうですね。あのーこれ自分の性質みたいなところもあると思うんですけど。
やっぱりこう“影”に目がいってしまうっていうところがある。
自分の曲を聴き返すと、影とか暗い部分がすごい頻発する。
ちょっと恥ずかしい部分もあるんですけど。
でもなんか、まずそれ(暗い部分)を基軸に考えてしまうっていうのは、自分の性質としてあるかもしれないですね。
でも、やっぱ“死”っていうとすごくなんでしょうね、ネガティブなイメージがあるとは思いますけど。
でも、決してそれだけじゃないよなっていう。
すごく当たり前のことだし。人間生きてて。
まあ、営みのうちの1つなので。
えーそれはこう完膚なきまでに隠し通さなきゃいけないものでもないと思うし。
もっと言えば、そういうニュアンスというか(死の)匂いがあるからこそ、やっぱ今生きてるなっていう風に考えることができるものだと思うんで。
やっぱ少なくとも自分の音楽を作る上では、わりかし大事にしてる部分ではありますけどね。」
影が色濃くなるほど、光が輝きを増すように、いつかの“死”を意識するからこそ、今の“生”を鮮やかに感じる。
米津玄師の歌詞はそんな彼の人生哲学に貫かれている。
廃品回収業者の「壊れていても構いません」に感じた懐の深さ
そして最新作の歌詞にも独特の言葉遣いが。
満島ひかり主演の映画「ラストマイル」の主題歌「がらくた」。
この曲の歌詞には米津が子供の頃に聴き、なぜか心に残っているという意外な言葉が使われている。
米津
「すごい子供のころから好きな言葉があって。
あの、廃品回収業者ってあるじゃないですか。「こちら廃品回収車です」みたいな。あの拡声器で車で走りながら。
「テレビ・パソコン・家電製品何でも承っております」。
で、なんかあれの一節に「壊れていてもかまいません」って言うじゃないですか。
あれがなんか子供のころからすごい耳に残ってて」
林「センサーが違いますね。あそこですか?」
米津
「すごいこう含みがあるというかなんというか。
すごいニュアンスがある言葉だなと思って。
なんかすごい寂しい響きもあるし、同時にすごい懐が広いなって。
壊れていても構わない。それを包み込むような懐の広さがあったり。
なんか別にね、壊れていたっていいじゃないかっていう。
人間誰しもどっか壊れている部分があるし。
そういうものを1人1人抱えながら生きてるわけだし。
完膚なきまでにノーミスで生きてきた人間なんて1人もいないと思うし。
そういうものをなんかまあ、少なくとも自分はわりかし肯定したいなっていう風に思ったんで。
そういう気持ちで作った曲かもしれないですね。」