北村匠海さんが初監督を務めた短編映画『世界征服やめた』。
不可思議/wonderboyさんの同名楽曲を原案に、北村さんが自ら企画し、脚本も書き下ろした話題作です。
サラリーマンとして無気力に過ごす内向的な青年彼方(かなた)を演じるのは萩原利久さん。
話題作に多数出演し、幅広い役を演じるだけでなく、バラエティー番組など多彩なジャンルで活躍しています。
彼方と対照的に明るくひょうひょうとした会社の同僚星野を演じるのは、藤堂日向さん。
北村さんがその才能にほれ込み、今作で白羽の矢が立ちました。
3人の出会い
映画「十二人の死にたい子どもたち」で共演
北村匠海
「利久とは…僕はだから利久が19(歳)で、20歳の時に、『十二人の死にたい子どもたち』っていう映画があって。
そこで苦楽を共にし。で、かかわりもすごいある役だったから。
で、プライベートでかなり能天気なお付き合いというか」
萩原利久「そうね、ホントに」
藤堂日向「まあ、でも空気感近いよね、やっぱ2人。何か感じるもん。2人子役からだしね?」
北村匠海「9歳?」
萩原利久「8歳じゃない?8歳とかだと思う」
北村匠海「俺、9歳になる年だった。小3」
萩原利久「俺も確か小3だった。小3」
コロナ禍の時に2か月毎日一緒にゲーム
北村匠海
「でも、結構久々に出逢ったかも。同じぐらいの歴の人。
で、日向は『東京リベンジャーズ』で、自分がタケミチやって。
溝高5人衆っていう5人の中のうちの1人だったんだけど。
ちょうどそのコロナ禍で。コロナ禍っていうか、あの自粛期間が始まって。
で、そのホントに2か月間、撮影が止まっちゃったんだよね。
そこでなんかこう…2か月ほんっとに毎日一緒にゲームやってた」
藤堂日向「ほんっとに毎日だよね」
北村匠海
「コロナがあって。落ちちゃったの俺が。
仕事もない、外にも出れないっていう中で、一番近くに、その2か月のさ、ゲームから派生して。
ものすごい近くにいたから、まあそこから、きょうだい同士も仲良くなりみたいな。
わりとだから、仕事の関わり合いよりも、プライベートが深い。
まあ、利久もそうなんだけど」
萩原利久「超極論さ、あの2か月がなかったら、今この場がなかった可能性はある」
藤堂日向「確かに」
北村匠海
「そう。あの、ホントにそうなんです。
この(映画)『世界征服やめた』を、まあある意味あの時からもう作った期間でもあったかもしんないし。頭にはあったんだよね、もう当時から」
※映画『世界征服やめた』…企画・脚本・監督:北村匠海。萩原利久、藤堂日向、井浦新らが出演。2025年2月7日公開
今の活動に繋がるきっかけ
北村匠海「小学校6年生…小栗旬さんを見て監督に憧れ」
北村匠海
「小学校6年生の時に、『シュアリー・サムデイ』という小栗旬さんの監督の映画に出たときに、役者で監督やるっていうカッコ良さ。
もうただカッコイイ。
当時小学生だからさ。カッコイイってだけに憧れて。
もうね、雑誌とか読み返すともう全然書いてある。
監督をやりたいです 監督をやりたいです 監督をやりたいですって…っていうのがあった。
で、彼(=藤堂日向)と出会った。2か月間毎日しゃべる。
撮りたいな~今のこの人をって思って始めたのもあったから」
藤堂日向「面白い人生」
小学校に行かずにサーフィン
北村匠海
「彼の人生って、すっごい面白いの。ホントに。
小学生の時からサーファーなんだよ、この人」
藤堂日向「そうね。小学校行かずにサーフィンして…」
北村匠海「小学校行かずにサーフィンしてて」
萩原利久「そうなの?」
藤堂日向「朝…朝ってやっぱ波がいいからさ」
北村匠海「ドラマでしか聞かない(笑)」
萩原利久「本物の主人公じゃん、そんな」
北村匠海「いや、なんかすごい面白くて」
萩原利久「見開き1ページ目やん、もうその(波に乗って)ザザーン」
15歳で事務所に入るが、すぐにやめて、大学生の時再び俳優の道へ
北村匠海「その日向のかいつまんでしゃべってよ。ここまでの人生を」
藤堂日向
「最初、15歳の時に事務所に入って。そこでCMを1本だけやって、すぐにやめて。
でも何か結局、大学の進路を決めるみたいな時に、俳優やりたいかもな~と思って。で、まあエキストラたくさんやって。
それこそホントに5~6年ぐらいずっとやって。
『リベンジャーズ』もね。カツアゲする役だったの、エキストラで。
でも俺、カツアゲ絶対する役じゃないなって思って、マジ真逆して。
カツアゲするはずなのに、めちゃくちゃされるみたいな芝居をしたんだよ。
そしたら、めちゃくちゃ笑ってくれて。メイン来なよみたいな。そうそうそう。
美輪(明宏)さんの舞台とかも、それこそエキストラだったんだけど。
美輪さんに、なんか「あなた低い声でないわね」みたいな。(笑)
「低い声でないから、あなたこれ読んでみなさい」みたいな。
それが美輪さんの相手役の本で。
なんか「近寄って」みたいな言われて。
「あなたのこのえくぼ整形?」みたいな。
「いや、整形じゃないです」「あらそう、結構」みたいな。
(その場から)出てく時にさ、「あの子でいいわ」みたいな」
※藤堂日向は2019年に美輪明宏主演舞台「毛皮のマリー」で主要キャストに抜擢された
北村匠海「何、そのおもろい話。ずごっ」
萩原利久「(笑)聞いたことない」
北村匠海「味わったことないんだけど。あの子でいいわなんて、すごいね」
藤堂日向「めちゃくちゃ…そう。だから、まあ運がすごいね。俺はいいから」
北村匠海「見つけてもらってきたんだね」
藤堂日向「そうそうそう…」
萩原利久「小島よしおさんに会いたい」だけで入った芸能界
普通に生きてても絶対会わない
萩原利久
「でも(日向は)なんか小学校の時、サーファーでしょ?
でも、(匠海は)小学校の時には監督をやりたいと思えてたでしょ?
俺、小学校の時、小島よしおさんに会いたいっていう、これだけで芸能界入ってったから」
藤堂日向「めっちゃ面白い(笑)」
北村匠海
「で、今小島よしおさんと番組やってるってこと?
すごいじゃん。夢叶っちゃった」
※萩原利久さんは、2023年から小島よしおとバラエティ番組「萩原利久のwkwkはぎわランド」に出演
萩原利久
「これはでも、小学校の時はホントそれだけで。
普通に生きてても絶対会わないから。
とりあえず芸能界に入らなければ」
北村匠海「すごいね。だからもうね、最強なんだって、この人は。子供の時から」
萩原利久「あ、じゃあ子役かぁみたいな。子役かぁ。ほぉ?みたいな」
北村匠海
「俺、利久みたいな人生すごい憧れがあって。
自分がなんかこう、最強と呼ぶ分類の人たちがいて。
(利久は)最強の中の1人なんだよ」
藤堂日向「あ~確かにね」
北村匠海
「俺、思ったことない。会いたいとかさ。
だから、ポジティブって言うと分かりやすいかもしれないんだけど」
『めちゃイケ』で社会を学ぶ
萩原利久
「ホント、そのミーハー心だけでやってたから。
だから、その時に、エキストラもやってんのよ、1~2年。始めてから。
一番最初、厳密に覚えてないけど、そのCMと結局それ1本しかなかったから。
で、その後、『めちゃイケ』のオカレモンJr.になって。
意外と小学生の時って、お芝居の現場ほぼやってないんだよね。
まあ、エキストラも厳密には入るけど。
どこで社会学びましたかって言われたら、俺絶対『めちゃイケ』なんだよね」
※萩原利久さんは子役時代にバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」に「オカレモンJr.」として出演
北村匠海「『めちゃイケ』なの?」
萩原利久「『めちゃイケ』の現場で、社会を学んだ」
北村匠海
「だからもう、この人、役者ではないんじゃない?
スポーツ好きの、バラエティー好きの青年っていう、なんか(笑)」
3人の共通点は「一番最初CMから」
北村匠海
「だからもうなんか、ホント3人の共通はあれだね。
一番最初CMっていうことだ。
俺ね、ミニバンのCMでこうやって(右手で案内板をもって)ワーオって言う」
萩原利久
「俺なんかあれよ。ブロックで「恐竜が作れる!」みたいに言って。
「わ~~!!」みたいな(笑)」
藤堂日向「俺、「うん」だったわ」(笑)」
北村匠海「「わ~」「ワーオ」「うん」。あ~。俺ら一言から始まるんだよ」
それぞれの個性
藤堂日向は一見明るいけど実は暗い。萩原利久は最強!
北村匠海
「なんかここってさ。この2人ってさ。なんだろう…。
いや、分かる!みたいなことあんまないじゃない」
藤堂日向「あ~利久と俺が?」
萩原利久「ここが直接ってことだよね?」
北村匠海「そうそうそう。感性的なところでさ。ほんっとに真逆なの」
萩原利久「まあホントに、ある種、(映画の役柄の)星野と彼方のあれに近い気がする」
藤堂日向「そうね」
北村匠海
「日向はなんかすっごい明るいの、一見。
でもなんか、深くかかわっていくと…暗かったのよ、この人」
萩原利久「へ~」
藤堂日向「「この人暗かったのよ」(笑)」
北村匠海「でもあのー利久さんは最強じゃないすか」
萩原利久「いやいや、最強じゃないんですよ、これ。究極の不器用なのよ」
北村匠海「だから、僕らはわりとホントに悩みながら生きて…」
萩原利久「どんなこと悩むの?その普段」
北村匠海「えっ、もう全部全部全部」
藤堂日向
「感じ取りやすいのかもね。色んなことに。
人の視線とか。なんか、この人今こう思ってるんだろうなっていうのを深く考えすぎちゃったりとか」
北村匠海
「だからなんか、ちっちゃな人間関係とかさ。まあそれが仕事の話でもそうだし」
萩原利久
「いやでも、たぶん悩めるっていう。それをまた俺は長所だなと思ってて。
俺別に悩んでないんじゃなくて、悩めないのよ」
北村匠海「いや、それが最強なんだって」
萩原利久「違う違う、だから…」
北村匠海「ホントに。すごいんだって」
萩原利久
「ちょっと困るよ、困る。なんかそのー何て言うんだろうな…。
悩んでる状態に耐えられなくなってくんのよ、その」
北村・藤堂「あ~」
仕事が人生の中心の3人
北村匠海
「だからなんか、利久はすごいなんかその…生活を第一にちゃんと考えてる人。
仕事があって、それありきの生活だよねっていう」
萩原利久「そうね。いや、それはそうだと思う」
北村匠海
「僕らなんか生活がこれ(両手で小さい丸を作る)で、仕事(両手で大きい円を作る)!みたいな。
もう仕事に生き、きっと仕事に殺されるみたいなタイプなんだよね」
藤堂日向
「匠海そういうタイプ。ここだよね(手で小さい丸を作る)。
ホント生活これ(小さい丸を作る)で、仕事(手で大きい丸を描く)って感じ」
北村匠海「だから、俺最近さ、休んだんだよね、役者を」
藤堂日向「ああ、休んでたね」
北村匠海
「そうそう。今までそのさ、ホントにみちみちに動いて。
さすがにちょっといったんあの役者ちょっと…なんか、心休ませましょうって言ったら。
これがね、面白いことにね、自己肯定感がバカ下がったの。初めて焦りを感じたの。
何だこれと思って。俺どうしたらいいってなったんだけど。
でも、その中でもやっぱこの『世界征服やめた』監督をやるっていうのが、本当に大きくて。自分の未来を見ても。
だから3人でさ、映画祭とか出た後にさ、飲んだじゃない。
なんか、あの時間とかもすごい感慨深くて。
しかも3人でさ、まさかここでしゃべれるなんて」
萩原利久「いや、ホントだね」
藤堂日向「感慨深すぎるね」
北村匠海「感慨深いんですよ、僕はずっと。ずっと感慨深いし、うれしいしね」
役者の道を本格的に歩むキッカケ
藤堂日向『デスノート』…藤原竜也さんを見て役者を意識
北村匠海「人生変えた作品との出会いとかないですか?」
藤堂日向
「あ、でもだから、俺それこそ小学生の時に、役者って職業を知ったのがあの『デスノート』なんだよね、映画。藤原竜也さん。
なんかちょうど波が良くなくて…。で、朝行かなくて。で、普通にお昼にやってた映画…やってたじゃない?お昼よく。
それに『デスノート』出て」
北村匠海「学校も行かずね」
萩原利久「波乗れねぇから」
藤堂日向「そう。ボーッと見てたら、すごいエネルギッシュだなって」
北村匠海「いや、エネルギッシュだよね、藤原さん」
藤堂日向「すごいカッコイイって自分的に思って。役者ってものを意識し始めた、そこで」
萩原利久…本格的に役者になることを決意した”日曜劇場『運命の人』”
日曜劇場出演で、「お芝居やってみたい」スイッチが入る
萩原利久
「俺は、ターニングポイント的な意味での作品は何作かあって。
十数年前の『運命の人』っていう日曜劇場のドラマがあって」
北村匠海「なんか俺、オーディション行った記憶あるんだけど『運命の人』」
萩原利久
「あっ、ホント?それで当時、有名人に会いたいマインドでやってた自分が、まあある種明確にちゃんと子役にいない現場に初めて行ったんだよね。
基本、大人しかいない現場だったのよ」
北村匠海「うわっ、行ってる、オーディション。行ってる 行ってる」
萩原利久「うわっ、そのときから、じゃあ…」
北村匠海「落ちてる。(笑)負けてる。(笑)うわ~」
萩原利久
「でもそこでもし、匠海がやってたら、俺今ここにいないから、たぶん。
だからある種、子役なんだけど、1人のなんかこう役者としてなんかこう…現場の人に対応してもらった気がしたの。
だからたぶん、その時に初めて、「あ、お芝居をやってみたいな」っていうスイッチたぶんどっかで入って」
菅田将暉さんの事務所へ…菅田さんの現場を見て学んだ
萩原利久
「そうなると、もうホント早くて。とりあえず前の事務所辞めて…」
北村匠海「早っ。すごいね。すごいね」
萩原利久
「ドラマが終わったと同時にやめて。
で、そんときの兄弟役でお兄ちゃん役やってたのが、菅田将暉さんだったの。
菅田将暉さんの事務所に行きたいみたいな」
北村匠海「すごいね!いや、それで今に至るってこと?」
藤堂日向「あっ、そういうことか」
萩原利久
「俺もちょっとここは正直、百で覚えてないんだけど。
その当時の自分の話を聞くと、放課後…そのランドセルってもう12歳ぐらいのもう生意気な子供が、「菅田君の事務所ってどんなとこすか?」みたいな。
「えっ、いい事務所っすか?」みたいな。
どうせやるなら、彼追っかけたいというか、そこに行ってみたいって思って。
履歴書書いて送って。
もう縁あってこう入ることができてっていうので。
だからそう、その時からかなりこう定期的に…基本的に菅田さんの現場を見て、学んでったんだよね。
そのなんか、夏休み暇すぎて。あのー蜷川幸雄さんの舞台を菅田さんがやってた当時。あれ稽古初日から本番まで、毎日行ったのよ」
北村匠海「すごい行動力だね。すごいわ」
萩原利久「毎日。蜷川さんのなんか斜め後ろぐらいに座って(笑)」
北村・藤堂「へえ~!」
萩原利久「孫かなんかだと思われてたかもしれない、なんか」
北村匠海「すごっ。だから、行動に移し続けてきた人なんだね」
萩原利久「そうね。でもそれは、結構昔からそうかもしれない。興味のあるものに…」
北村匠海「事務所を変えるとかさ」
北村匠海…映画「君の膵臓を食べたい」でアカデミー賞新人俳優賞を受賞
萩原利久
「ある?その変えた作品」
北村匠海
「いや~ね。いっぱいあるんだよね。
うん。まあ、明確に人生変わったのはやっぱ(映画)『君膵』(=『君の膵臓をたべたい』)じゃないかな。
やっぱり。今の自分を形成しているといえばね。
あれが19歳なんだよ。
でもまさか、アカデミー賞取るとかさ。全く思ってなかったわけ」
※北村匠海は2017年に映画『君の膵臓をたべたい』に出演。日本アカデミー賞新人俳優賞を獲得した
両親の反対と応援
藤堂日向「初めはこの世界に反対だった父が今では一番応援してくれる」
北村匠海
「だから、この仕事…自分たちってさ、色んな景色をまあ親に見せてあげれるじゃない。
なんか、そこはまあいい人生かなとは思うよね」
藤堂日向
「あ~ホント最近僕それめっちゃ感じてます。
だから、最近それこそ、ねえ。
匠海の映画しかり。色んな現場入れるようになってさ。
やっぱ親が昔から応援してきてくれてるからさ。
報告LINEが来んのよ。発見報告LINEがよく。「出てたね」みたいな」
北村匠海「あ~わかる わかる。もう今でもくる」
藤堂日向「もうね。ほんっとに嬉しくて」
北村匠海「感極まるよな、普通に」
藤堂日向
「マジで嬉しい。
すっと、やめろとかも言われてたからさ。
俺の母ちゃんは応援わりとしてくれてたんだけど。
父ちゃんはもう、「お前男なんだから。俳優で食っていけるとは思えない」みたいなことも言われたことあるし、全然。
でもなんか、今では父ちゃんがめちゃくちゃ応援してくれてるとか(笑)」
北村匠海「いや~泣けちゃうね」
萩原利久「親に1回も反対されたことがない」
萩原利久
「それでいうと、大人になってからふと気づいて、その親に感謝し直したことがあって。それ気づいてなかったから、できてなかった…。
俺、1回も反対されたことないんだよね。この自分がやってることを。
まあ、子役から何となく始めて。大学行くか行かないかとか。そういう進路を決めなきゃいけないみたいな。
で、正直、俺怖かったの、ちょっと。
大学を行かないにしようかなって思ったんだけど。
でも別にその当時さ、こう別にこの仕事で十分に食べれてるわけでもないしさ。
どうなるか分からないみたいな状態で、こう「大学行かない」ってこう言うのって…」
北村匠海「怖いよな」
萩原利久
「怖い、そう。俺ずーっと言ってなかったんですよ、両親に。「行かない」って。
学校の進路調査書は、もう「行かない」で出してんのに、言ってないの、俺ずっと。
で、俺結果、これって…最後まで言えなかったの、卒業…。
でも、それに対して、俺何もこう止められなかったっていうか。こう言われなかったの。
すごいでもこれなんか、まあ別に自分に子供がいるわけでもないけどさ。
俺、自分が将来じゃあ子どもが生まれたときに「役者やりたい」とか言われたら…」
3人「どうする?どうする どうする?」
萩原利久「どうする?って思って」
北村匠海
「どうすんだろ?俺ホントとに特別周りに、そのいわゆる2世といわれる役者がいっぱいいたのね。いっぱい出会ってきて。
彼らの葛藤みたいなのは聞いてたから。
だからいわゆるその…2世といわれるものになっちゃう。
でも…ルール決めてかな。
え~俺の名前を使わないこと」
萩原・藤堂「あ~はいはいはい」
北村匠海
「自分の力で頑張ること。
あとは、出会いに感謝しなさいかも。
やるというなら」
萩原利久
「いや、これ難しいよ。
俺、そんなこと考え始めてさ。
これ何も言わないって、メチャクチャすごいなと思って」
北村匠海
「すごい。だから、なんかあれかもね。
その親御さんの思う幸せの価値観っていうのが、夢でっかくこうなれよみたいなことを押し付けることなく。
もう、生きてくれてれば幸せじゃんみたいな価値観なのかもね、もしかしたら」
休日の過ごし方
萩原利久「休みの日とか何してんの?その」
藤堂日向
「あ、休日とか?いやでも俺ホント、外であのー夕焼けとか見るの好きかもしんないな。
俺それこそほら、湘南の方で育ってるから。海はすごいキレイだし。
よくそういう所で何か音楽を聴きながら(笑)
ちゃんとだから…寒いかもしんない(笑)」
北村匠海
「そう。俺らの話、ちょっとね、痛寒いっていうか。
俺はずっとゲームか…。
で、ゲームはさ、あのホントにだから、自分の唯一、仕事を抜きに出来る事なんだよね。
まあ、子どもの時からゲームやってるし」
萩原利久「もう、完全に置いとける?仕事を」
北村匠海「完全に置いとけるね。だって、役立つことなんて何もないから」(笑)
藤堂日向「それはそう」
色々なものから刺激される感性
北村匠海「芸人から芝居を学ぶ」
北村匠海
「でも他の事やってるとね。何か…何ていうの、別に自分が感性すごいでっせって言うつもりはないんだけど。
なんか、何を見ててもさ…感じちゃうよね」
藤堂日向「いや、マジでわかるよ」
北村匠海
「M-1とか超刺激的だったもん。なんか、めっちゃ芝居うめぇみたいな人いたし」
萩原利久「確かに」
藤堂日向「いたね」
北村匠海
「うん。なんか俺、元々ラーメンズっていうお笑い芸人の方を見て、お芝居学んだとこあったからさ」
※ラーメンズ…小林賢太郎と片桐仁によるコントグループ
藤堂日向「(笑)らーめんずから学んだの?」
北村匠海
「そう。なんかあの、当時のね…何だろう。
17から19(歳)ぐらいまでの同世代のあの役者感性とがってますよパーティーがいたわけよ。
そこで、「いや、芝居はラーメンズから学ぼう」ってなったの。
で、ラーメンズを見てた。みんなで。(笑)
「いや、すげぇな」とか言って、ラーメンズ見てた」
萩原利久「スポーツから芝居を学ぶ」
萩原利久
「ちょっとわかるわ、その類。
俺芸人さんじゃないけど、俺はスポーツ選手から芝居を学んでる」
北村匠海「噓つけよ。嘘つけよ」
萩原利久「嘘じゃないのよ」
北村匠海「嘘つけ、お前。スポーツ選手はやっぱもう…」
萩原利久
「スポーツ選手ってか、スポーツだね。
俺、ちょいちょいやってんのが。
1回目とりあえず試合の中身をがっつり見るわけよ。普通に初見で。
2回目とかは普通に客席だけ見てるとかあるもん。
あ、人って喜ぶと、マックスここまでいくんだとか。
うわ~この人イライラしてんなとか」
藤堂日向
「俺だから今ちょっとそれで考えたんだけどさ。
俺、気抜いてるところ見るのすごい好きかもしんない。
料理屋さんとかでさ、ちょっとオーダーない時とかの店員さんとか見るの好きなの(笑)」
北村匠海「どちらかというと、そっちの方が共感するかもしんない。観客を見るよりは」
萩原利久「ハハハ!」
北村匠海「観客を見るよりは」
好きな言葉「明日が今日より良くなるように、毎日やろう」
北村匠海「じゃあさ、他にはないの?何かキャッチするもん」
萩原利久
「ちょっと痛いゾーン入ってるかもしんないけど、俺一番好きな言葉が、マンバメンタリティっていうあのNBAのコービー・ブライアントっていう選手の、まあ自分のバスケの向き合い方みたいなのをこう言語化した言葉で。
彼はでも、すっごくシンプルなことしか言わなくて。
「あしたが今日より良くなるように、毎日やろう」って。
でもこれって、彼はバスケットボールに当てたけど、試合を俺らの現場にして、練習を俺らの準備期間に当てると、全部それって出来ちゃう。
俺基本、ぜんぶそれで乗り切れる」
※コービー・ブライアント…NBA屈指のスター選手 数々のスーパープレーで知られる
北村匠海「いや、なんかすごい分かる、今の」
萩原利久
「これが明日につながる。成功も失敗も。できなかったこととかも全部そうで。
全部が明日につながる。ないしは、それ以降につながるって考えたら、もうここで考えるのやーめたになるわけ。
もうこれ以上考えてもしょうがないって。
そういうメンタルとか何かやっぱ…最近やっぱSNSがあるからさ。
まあいわゆる誹謗中傷とかもそうだしさ。
こう声というのがすごく直で届きやすくなったじゃん。
でも、彼らってそういうのがない時代から、会場で常にその…それ浴び続けてきた人で」
北村匠海「かなわねえよな」
萩原利久「そう。かなわないんだよね。だから、憧れちゃうんだよね、あれに」
北村匠海「すごいテンション高くなったね、急に」
萩原利久「でしょ?だから、なんかこう、なれないにせよ、ちょっとやっぱ目指したくなっちゃうんだよね、そういう」
こんな好きだと思えているのは奇跡
北村匠海
「でも、なんかそのあの…すごいおこがましいけど、もうすごいコービーの言ってることは分かるっていうか、当てはまるというか」
萩原利久
「分かるっていうのは、ある種普通のことなんじゃないかなと思ってて…ってぐらい普通なことしか言ってなくて。
彼は自分…たまたまバスケが自分に向いてただけで。
でもそれは全員同じで。自分にやっぱカチッとはまるものはきっとあるし」
北村匠海
「けどさ、その1つのことを信じ続ける力って、すごいよね。
その、コービーだったら、バスケとかさ。
なんか俺はどっかで、子役からやってるからかもしんないんだけども。
なんか、この世界を辞めるハードルって、自分の中ですごく低くて。
それって、なんかこう何も知らない期間が8年しかないじゃない。
バイトもしたことないし」
萩原利久「そうね。俺もそれいうとない」
北村匠海
「そう。だから…。でも、何者でもない…「いや~子どもたちには未来があるね」って言われてる期間が、8年しかないわけ」
萩原利久「え、違う人生歩んでみたかったって思う?」
北村匠海「歩んでみたかったね」
萩原利久「この仕事しない」
北村匠海
「だから、なんかそこは別に諦めてもないかも、それでいうと。
60ぐらいになって、じゃあパン屋さん始めますとかって、全然俺はあり得ると思って。
ただ、この芸事っていうかさ、芝居だったりとか、監督だったりとかは、奇跡だよね。こんな好きだと思えてるのは。
だから、コービーみたいなことで。ホント奇跡だと思う。自分がここまで。
で、もうすぐ我々たぶん歴が20年近いじゃない。
こんなさ、20年さ、やってきてさ。
まあ、やめたいとかあったよ。挫折もあるし、全然。仕事なかったし。
でも、続けてて今があるってすごいことじゃない。
なんかこう、2人もそうだし、あのー10代の時よりも今の方が恵まれた出会いは多いかも。
だからなんか、続ける力ってあるんだなって思って」