徹子
「高校時代、車の整備士に憧れていたこの青年が、去年朝ドラで大注目を浴びました。
岩手県のご出身です。
あの、コミカルな印象が強いんだけど、実はなかなかの二枚目」
戸塚「あ、ありがとうございます(笑)」
徹子「今、おいくつになったんですか?」
戸塚「僕今、32歳になりました」
朝ドラ『虎に翼』に出演し、ブレイク
徹子「去年の(NHK)朝ドラの『虎に翼』にも御出演なさいましたよね」
戸塚「そうですね。あのーなんかたくさん多くの方に見ていただいて」
徹子「あ、ヒロインは伊藤沙莉さん」
戸塚
「そうです。沙莉ちゃんはずっと前からなんかお仕事でご一緒したりする機会があって。沙莉ちゃんが主演の朝ドラに出演させていただいて。
すごい嬉しかったですね」
徹子「でも最近沙莉さんはご結婚なさって、ビックリしたでしょ?」
※俳優の伊藤沙莉さん(30歳)は、2024年末に交際中だった劇作家で演出家の蓬莱竜太さん(48歳)と結婚
戸塚
「そうですね。今年発表しましたね。いや、ビックリしましたね。
なんかどんどんこう、自分の生活も変わっていくんだなと思って。
沙莉おめでとう!沙莉結婚おめでとう!(笑)」
徹子「見ててくださるといいですね。でも、ブレイクして何か変わった?」
戸塚
「あ、そんなもうブレイクなんてそんな自分にとっては全然分からないんですけど。なんか街歩いてても、何も声をかけられることもないので。
そんなに自分がブレイクしてる感じっていうのは、あんまりちょっと感じられてなくて。
でもあの、声をかけられたいから、あのスーパーに行って、声をかけられるのを待ってたりするんですけど。
全然声をかけられないので(笑)ちょっともっと頑張らないとなと思います(笑)」
徹子「あっ、そう。気づかれないのは寂しい?」
戸塚「あの…ちょっと寂しいですね(笑)」
母にダマされてオーディション会場に!?
18歳でジュノンボーイコンテスト理想の恋人賞に
徹子「2010年の18歳の時に、あなたはジュノンスーパーボーイコンテストで理想の恋人賞を受賞」
戸塚
「そうですね。これがあのーまあ芸能界に入るきっかけになったジュノンスーパーボーイコンテストっていう。
もともとでも僕が、この道に進むとは思っていなかったので。
まあ、母がどうしても芸能界に僕を入れたがっていたみたいで。
あのー子供の頃は、あのーすごいかわいかったんですよ(笑)
赤ちゃん…赤ちゃんぐらいの時は。
自分で言うのもなんですけど、すごいかわいくて。
まあその、お父さん、お母さん、他の子どもたちのお父さんお母さんからもちょっとこう可愛がっていただいて。
それでたぶん母も自信がついて。
赤ちゃんモデルとか。
もう小学校に上がると、そういうなんかアイドルのオーディションとかに母がこう出してて。
正直、あまり興味がなかったんですよ。この芸能界というものに。
なので、行かせたい母と行きたくない息子の、ちょっと戦いというか(笑)」
徹子「でも、高校の時に、お母様にオーディション会場に連れて行かれたんですって?」
戸塚
「そう(笑)そうなんです。
あの、僕あのー高校生の時に修学旅行をちょっとその時体調を崩しちゃって、行けなくなっちゃったんですよ。
それで母が、修学旅行に行ってないからっていうので。
あの、かわいそうだから、東京に遊びに連れて行ってあげるというので、着いた先がオーディション会場だったっていう(笑)。
まあちょっと、なかば騙された形で(笑)
まあそこまでして芸能界に入れたいんだという母の強い想いにちょっと根負けして。
そこからこうジュノンボーイコンテストでどんどんどんどん最後まで残って。
理想の恋人賞をいただけるという」
徹子「すごい。理想の恋人賞?」
戸塚
「変ですよね?理想の恋人賞って。
でも僕も貰った時に、何の賞なんだろう?ってちょっと思っちゃったんですけど(笑)
それこそ当時、ミッツマングローブさんがそのコンテストの審査員でいられて。
あのお芝居のコンテストみたいなのがあって。
なんか告白をするみたいな。それミッツさん相手に告白をして。
なんかミッツさんに選ばれたのかなっていう感じが(笑)
まあ、それも母があの応募してくれたから、今があるんですけど」
5歳で両親が離婚し、1人で育ててくれたパワフルな母
徹子「岩手県の出身で、5歳の時にご両親が離婚なさって。そしてお母様は1人で兄弟を育てた」
戸塚
「そうですね。すごいあのーパワフルなエネルギッシュな母で。
当時スナックを経営していたので。「ママ、ママ」って呼んでましたね。
あのーお客さんもみんな「ママ」って呼んでるから。僕も「ママ」って呼んでました(笑)。
まあお母さんが、僕の背中を押してくれて、この芸能界の道に進んだので。
この徹子さんのこの部屋に出てるのも、すごい喜んでると思います」
徹子「そうですか。お母様はどういう方なの?」
戸塚「まあでも、パワフルですね。今はすごい尊敬する存在というか。」
徹子「ただ、お母様の明るい母の震災の時のエピソードっていうのは、どういう?」
戸塚
「あのーまあ、僕は岩手県出身なので。当時東日本大震災が…僕、その時まだ岩手県にいたので。
それで母も営業中にその地震が起きてしまって。で、停電しちゃったのかな。
で、お客さんパニックになっちゃって。
で、お母さんはその時に一言「とりあえずお会計して」って言ったんですよ(笑)。
お会計だけはしてみたいな。
なんかまあ、そういう(笑)
「それ今言う時じゃないだろ」みたいなみんなにツッコまれたりしながら。
なんかでも、そういう状況でも、なにかこうみんなを笑わせたりとか。
なんかそういうユーモアのある」
徹子
「お母様は、どんなにあなた帰りが遅くても、朝はご飯必ず作ってくださってたんですって?」
戸塚
「あのー学校がお弁当だったんで。夜スナックで働いていたので。
まあ、たぶん朝まで寝ずにというか。
でも朝のお弁当だけは必ず毎日欠かさず作ってくれて」
徹子「そう。優しいわね」
戸塚
「ホントですね。今思うと…。
だから僕たちが学校に行ってから、やっとこう睡眠をとるというか。
だから、体もすごい負担がかかってたんだろうなと思いますよね。
当時はあまりありがたみを感じられてなかったかもしれないけど。
やっぱりこう大人になってくとより分かってきますね」
震災がきっかけで芸能界の道へ
自動車整備士になりたかった
徹子「でもあなたは車が好きで、整備士になりたかったんですって?」
戸塚
「そうですね。もともと自動車整備士になりたくて。
まあ車関係の仕事に就職したいなと思っていて。
それで高校の時に、資格もいくつか。約10種類ぐらい取りまして。
あのー自動車車子整備士、アーク溶接とかガス溶接とかだったり。
あと、フォークリフトの免許だったり。
なんかそういう色んなこう車関係の資格を取って就職しようと、はい。」
徹子「随分頑張ったのね」
戸塚
「そうですね。もうだから、高校卒業してから、もう就職しようかなと思っていたので。
そんな時に、あのージュノンボーイのオーディションをまあ受けさせてくれて。
でも正直、芸能界に興味はなかったので、自動車の方に行こうとしてたんですよ。
でもそのタイミングで、震災が起きたんですね。
その僕が就職するっていうその18歳の時に、その東日本大震災が来て。
そこで、身動きがこう取れなくなって。
あのー街が、いつもこう住んでた街が、すごくこう見たことない景色になってて。
電気も全部暗くなって。停電して。
で、もう家の中にももういられないので」
徹子「津波はどうだったんですか?」
戸塚
「僕はあの内陸の方だったので、お家は。津波の影響はなかったんですけど。
でも、車で生活してましたね、当時。
車の中で。まあ、暖が撮れる場所っていうので。
なんかこう、初めて、死っていうものを身近に感じた瞬間だったんですよ。
だから自分がこう興味なかったものとか、なんかやろうとしてなかったものに、なんかこう挑戦しないともったいないなとちょっと思ったんですよ。
で、それがきっかけで、その時あの芸能界の道っていうのが、1個こうチャンスであったので。
そっちに行こうかなと思ったら、そこで母が「歩みを止めるな」と。
あのーこういう時だからこそ、自分のやり方で地元を盛り上げることをしてきなさいっていうので。
進み続けろと。
そこで、僕が芸能界の道に。志すと決めましたね」
徹子「やっぱり色々考えてみたら、芸能界の道がよさそうだった?」
戸塚
「最初はでもホントに怖かったですけどね。分からない事なので、ホントに。
お芝居も何なのか分からず。
ただまあ、コメディとか喜劇とかはすごい好きなので。
なんかそういう、自分らしいというか、なんか自分のできるものをこう探しながら、はい」
ジム・キャリーみたいな芝居がしたい
徹子「でも、初めっからあなたはこう芝居みたいなものは好きだった?」
戸塚
「あのー映画とかは好きで見てたので。
ジム・キャリーっていう役者さんがいるんですけど。
それのあのー作品とかがすごい好きで。それをホントに小学校くらいからよく見てましたね。
だから、僕がこういう仕事をやるからには、ジム・キャリーみたいなお芝居したいなぁって。はい。憧れの人というか、はい」
徹子「どうやってジム・キャリーのような役をやるような…」
戸塚
「あのー僕がデビューした時というか、20代前半ぐらいの時って、ちょっと何て言うんだろう…イケメンブームっていうのがあって。
ちょっとこうハンサムな人達がでるような作品だったり、なんかそういうのが多くて。
あと、学園ものとかがすごい多かったんですよ。
で、僕あのージュノンボーイで、一応その仮面ライダーにも出演していて。
いわゆる、若手の登竜門みたいな流れがあったんですけど。
どうしてもそのー仮面ライダーとジュノンボーの人っていう、そのちょっとこうパッケージで見られるような感じが、当時ちょっとこう悩みになってて。
なんか、戸塚純貴っていう名前があるのに、なんかそこで見られていないなという。
なんか役者の戸塚純貴としてちょっと皆さんに認識してほしいなっていうのがあったので。
当時からそういうコメディだったり、コミカルなものをたくさんやるようにして。
それでこうちょっとこう面白い役が多くなったりとか。コミカルな役が多くなったりとかして」
徹子「あ、で、そういう役が来るようになったの?それ良かったですよね」
戸塚「はい。繋がって良かったなと思いますね」
母からの手紙
徹子「実はあなたのお母様からお手紙を頂戴してるんです」
母からの手紙
『純貴へ
初めて、本音をお手紙にしてみました。
小さい頃に環境が変わって、寂しい思いもあったと思います。
わがままも言わずに、いつも明るく振る舞い、笑ってる顔しかなかったですね。
幼いあなたの気遣いと優しさに私の心が救われたことは、今でも昨日のことのように思い出します。
東京へ上京する日はどんな気持ちだったのかな?聞いたことなかったね!
地元に残って就職したい、芸能界には興味がない、という気持ちのまま
「じゃー行ってくるわー」と健気に笑顔で手を振る純貴に、「頑張ってね」と強気の笑顔で送り出したけれど、新幹線が見えなくなるころには、涙でいっぱいでした。そのことは忘れません。
「最近は演じることが楽しい」という純貴が素敵な仲間に囲まれて、俳優として活躍している姿が誇らしく、私の生きがいです。
ここまで支えてくれた方々に感謝をして、これからも優しさを忘れずに、皆さまに愛される役者でいてください。
最後になりますが、ママの子どもに生まれてくれてありがとう!
今後の活躍を楽しみにしています。
母より』
戸塚
「ありがとうございます。徹子さんにそんな読んでいただいて。
そうですね。なんか初めて聞きましたね、このお話は。
そんなことを思っていたんだなっていう。
いや、嬉しいですね。すみません(少し涙ぐむ戸塚さん)
ありがとうございます」