【徹子の部屋】ムロツヨシさん 複雑な家庭で幼少期を…約40年ぶりに実母と再会(2025年2月26日放送)

徹子
「確かな演技力で見る人の心をグッと掴む俳優のムロツヨシさんです
9年前(2016年)に御出演頂いた時には、複雑な家庭環境について伺いました。
その後とても大きな出来事があったそうです」

 

4歳で両親が離婚し、叔母に育ててもらう

徹子
「ムロさんは徹子の部屋の放送開始と同じ1976年生まれ。
徹子の部屋はその日から始まったわけなんですけど。

まあ、前回は壮絶な幼少期のお話をしてくださったんですけど。
ちょっとかいつまんでおさらいをしてみましょう」

ムロツヨシ
「はい。私あのーまあ、1976年の1月の23日に生まれまして。
まあ、4歳の時に両親が離婚という形をとりまして。
その後、親権を父親が…親父がとってくれたんですけど。
まあその後すぐに、今写真に写っている…この家族が親戚の家になるんですけども。
叔母の家族ですね。叔母の家族に引き取っていただいて
それで、叔母の家族。それから、祖母、祖父とに育てていただきました
まあ、そんな幼少期ですね、はい」

徹子「じゃあ、みなさんのお世話になって」

ムロツヨシ
「はい。そうですね。そこからもうずっと叔母と…。
まあ叔父は…えっと、おじいちゃんもおばあちゃんも天国に今行ってますけども。
そうですね。叔母はまだ一緒に。はい。家族やらせていただいております」

 

7年前、40年ぶりに母と再会

テレビを観た母から連絡が…「会いませんか?」

徹子「で、お母様とは4歳で別れてから、一度も会ってなかったが、実は進展があった」

ムロツヨシ
「はい。9年前こちらに出させていただいた時は、そのーおっしゃっていただいた通り、4歳の時からお会いしてなかったんですけども。
えーと、徹子の部屋に出させていただいて、徹子さんの部屋に。
その後、さんまさんの…明石家さんまさんの番組に出させていただいて。
またこの、生い立ちと言いますか、この話をさんまさんとちょっと笑いながらさせていただいたところ、えー事務所に手紙をいただきまして。

さんまさんとの番組を観まして、私が母親でございますと。
で、一度会いませんか?っていうことで。
そうですね。今から何年前だろう…7年前?ぐらいですかね。6年前なのかな。
で、お会いさせていただきました」

 

再会するか悩んだ時、背中を押してくれたリリーさんの一言

徹子「で、どうだった?」

ムロツヨシ
「いや、あのーなんですかね…。
なんか緊張するかな?とか、何か思うかな?というよりは、すごく冷静な自分がいたのと。
えーと…産んでくれたお母様は、本当に喜んでいただいたということと。
あと、謝罪をいただきまして。
まあ、4歳の時に離れてしまって申し訳ない。

ただ、そこにそのー本当に僕は悪いという気持ちはなくてですね。
本当にこういう人生で良かったといいますか。
まあ、良い選択にしなければいけない
自分が、その生い立ちのせいに何かをすることは一切なかった人生を歩んできましたので。
もう謝らないでくださいという少しお話をさせてもらったり。
写真を撮らせてもらったりとかさせていただきましたね。はい」

徹子「でも随分お母様に会うかどうかは迷ったんですって?」

ムロツヨシ
「そうですね。あのーお手紙いただいて。今も一緒ですけど、事務所の社長と長年連れ添っているマネージャーと話し合いまして。
こういう手紙が来たけど、どうするかと。

会うべきか会わないべきかと本当に色んな人の意見をいただいて。
もうここまで来たら、会わないという人生の選択もありだろうと。
で、特にそのー決断をするまでに至らなかったんですけども。
まあ、随分ある程度時間をかけて悩んだんですけども。

まあ僕、いろんな先輩もいまして。
とある先輩に…リリーフランキーさんがその話をしたときに。
まあ、リリーさんも色んなお父様とお母様との距離感があるというのを知ってたので。
あの、小説を読んで。

まあそれで、ちょっと相談したいんですけどってお酒を飲みながら相談をしたときに、リリーフランキーさんの一言で「会わない後悔より、会う後悔」っていう風におっしゃって。
その一言で決めましたね。

なんだかその一言で、なんだかあのー決断の気をいただいたんですね。
選択の気をいただいたまでは大袈裟かもしれないですけど。
悩んでたのが、すごい殻を破れて、「うん、会うことにしよう」という風にきめさせていただきましたね。
はい。感謝してます」

 

母に会った感想

徹子「で、実際にお母様に会った感想は?」

ムロツヨシ
「あのーそうですね。すごく複雑な感情とかはなくて。
あ、この方がというのと。

そうですね。40年ぶりぐらいに会って。
お会いしてくれてありがとうございますというのとお手紙ありがとうございますというのと。
で、近況を聞いて。

なんでしょうね。嬉しいとか悲しいとか、今まで何でこんなことしてくれたんだとか一切本当に思わない
なんか感情が無いと言ったらそれで冷たい人間になってしまうのかもしれないんですけども。
そうですね。なんか感情がそこまで大きく揺れることはなく

ただ、元気でいらっしゃって良かったなという気持ちと。
でも心から初めて自分の人生で言えた言葉がありましたね。
生んでくれてありがとうございます」という言葉ははい、はい、伝えさせていただきました」

徹子「なるほどね。やっぱり映画やドラマとは違うなという気持ちがあったんですって?」

ムロツヨシ
「そうですね。何かフラッシュバックするようなことはなく。
思い出はあるんですけどね。

口紅がついて、自分の頬に口紅が付いた思い出だとか。
両親がケンカした後、僕は布団かぶって隠れてるところに、布団から顔を出して、終わったよっていう

なんかそういう思い出はあるんですけどもね。
なんかそういうことをその時は思い出すことなく、ただすごく、この方がお母さんだったんだなっていうことで、産んでくれたんだなっていう風には思いましたね」

 

母と連絡先交換はせず…

徹子「で、お母様とは連絡先は交換したの?」

ムロツヨシ
「あの、おっしゃっていただきました。
連絡先を交換しませんか?という風に言っていただいたんですけども。

まあそこは何でしょうね。あのー僕はやはり育てていただいた叔母家族がいますので。

そちらの家族の気持ちを考えるとですね、今ここから産んでいただいたお母さんと連絡を取るということは、うーん…私はしないと思うしということをお伝えさせていただきました。

もちろん、今産んでくれたお母様にも新しいご家族があるので。

そういったことを考えると、私はもうそこで、本当に産んでくれた感謝とここからは別々の人生…まあ、もちろんこうやってこういった場所でお話させていただくこともありますので、健康とかいい時間が続いてることを願ってることは確かですが」

徹子「お母様とは顔が似てました?」

ムロツヨシ
「はい。僕は思わなかったですけど。その時やっぱ親しい友人たちに写真を見てもらったら、「あ、似てる」って即答で言ってましたね。(笑)
「あ、やっぱそうか」って。よく見たら確かに、よく見たら似てるのかなという風に思います」

 

育ててくれた叔母に報告「あら、よかった」

徹子「でも、育ててくださったおばさまにはなんと報告?」

ムロツヨシ
「えーと、正直、3年間ぐらい言わなかったんですよ。
なんか2人っきりになる時間がありまして。

「そういえばあのーおばちゃん…僕はひでみさんって呼んでるんですけど。
ひでみさん、あのちょっと、そういえば伝え忘れたというか、いつ伝えていいか分からなかったんですけど、今2人っきりなんでいいですか?」って言ったら、「なんでしょう?」って言われて。
「実は産んでくれたお母様と会いました」って言ったら、そしたらもうホントに即答で「あら、よかった」って言ってくれました。はい。
それ以上は何も聞かなかったですね」

徹子「すごい方ね」

ムロツヨシ
「はい。もうそれ以上なんの話をしたんだとか聞くこともなく。
「あら、それはよかった。それはツヨシにとって、それはいいことだよ」っていう意味での「あらよかった」で、その会話は終わりましたね。
強いなと思いましたね。僕も感じました」

徹子「そうですか。それじゃあ、まあ一件落着って感じ?」

ムロツヨシ「そうですね、はい」

 

父には22歳から会っていない

子どもを叔母に預けた父親だが、尊敬している

徹子「さて、お父様とは22歳ぐらいから会ってない?」

ムロツヨシ
「そうですね。あのーはい。大学も行かせてもらって、感謝しております。
あのー親父とはですね、父親とは…そうですね。22歳。
大学を辞めまして。「役者の道に行きます」と報告した次の年ぐらいから会ってない。そうですね」

(ムロツヨシさんが俳優を目指し始めた22歳頃の写真が映る)

徹子「ちょうどこの頃ですかね?」

ムロツヨシ
「この頃まだ一緒に親父と同居してた頃ですね。
この次の年ぐらいに1人暮らしを始めまして。
そこで親父に手紙を置いて。
こっからはそれぞれの人生を歩んでいきたいと思います。歩みましょう
っていうことで、はい。うん。ですね。そこから…」

徹子「で、お父様の事をどんな風に思ってらしたの?」

ムロツヨシ
「えーと。ずっと尊敬しております
あのー自分の事は、あのーそれこそ先ほど言いました叔母のとこに預けた父親でございますが。
えー新しい女性を作って(笑)あのー子供を叔母と家族に預けた男ではございますが。

仕事してる姿がカッコ良くてですね。
えーその後、お酒を飲んでる姿が非常に楽しそうで

なんでしょう。僕は、父親というより男同士で、「なんて自由に生きてる男なんだろう」ということに、憧れと尊敬がありました
それは今でも思ってます。

カッコ良かったですね。仕事してる姿が。大工でしたけど

だから、今となって言えることは、そりゃあ、女性にモテるって言ったら変ですけど、女性を惹きつける何かはあったんだろうなとは思います、はい」

 

変えた携帯番号…でも、前の携帯も残している

徹子「そうでしょうね。その後、お父様とは連絡は取ってる?」

ムロツヨシ

「えっとー。一度…家を出てから数年後に祖母の事で電話をしたことが一度あってからはもう、話もしてないですかね。はい。

で、あのー私は一度携帯電話を持っていたところで、僕の携帯電話を知っていたんですね。
で、ある程度、ある時…まあ親父とも連絡を取らなくなるであろうと思って、電話番号を変えたんですね。

もう1回自分の中で1人として、独立して生きていくために…みたいなきっかけもあったので。
まあ、電話番号を変えて
でも、残しておいたんですね。

あの、他の人にはもちろん、仕事関係、友人には新しい電話を伝えたんですけど。
今でも残してあるんです、前の携帯を
だから、前の携帯が鳴るということは、ほぼ親父なんですね(笑)。そうなんですよね。

たぶん僕まだ…あ、そうだ。そのきっかけが親父から離れるためっていうわけではないんですけど。

ある時、夜電話かかってきて。知らない番号から。これ知らなかったんですけどね。
で、出たら、「(滑舌の悪い声で)おいツヨシ、ツヨシ。俺だ、俺だ」っていう。
知らない高い声の人から電話かかってきたんです。

で、私の事ツヨシって呼んでるから、どの先輩だろうな?こんな高いおじさん知らないなと思って。
「オヤジだよ、オヤジ、オヤジ」って言ってるんですよ。

たぶんちょっと歯も弱ったのか、スースー(笑)だから滑舌もちょっと僕の知っている親父じゃなくて、声の高さも違って。

でも、聞くからに、話し方と…なんかこれ本物の親父だってすぐわかったんですよ。うん。
そしたら、久しぶりも言わず、「いつ会える?ツヨシいつ会える?」って言うから。
いやいや、会わないよ。何で急にこの状態で電話かけてきて会おうと思ったの?」って言ったら、「いや、何でもないんだけど。頑張ってるなぁ、仕事。会おう」って言うんです。
「まあまあ、また考えるわ」つって。まあそれで、笑って切ったんですけども。

その後、もう1,2度電話かかってきたときに出ましたけどね。

後は今、留守電に色んなのが。
ちょっともう、電源もほぼ入れてない状態なので。
留守電にさっきの高い声で「ツヨシ、ツヨシ」っていうのが残ってますね。
それを笑いながら、「ああ、元気なんだな」と思ってますけど。はい。

親父はもしかしたら薄情者と思ってるかもしれないですけど。
まあそれは、やはり、先ほども言いましたけど、叔母家族大事にしたいので。

やっぱりそこは親父にこうやって、こういう所使ってっていうのは申し訳ないですが。
親父が元気であればいいですし。
親父の事を私が好きであることは、本当に変わりないですので。

あのー今も新しい…数年前に戸籍を見たら、新しい女性がそばにいてくれてるようなので。はい。
ですから、元気でいてくれればなと思いますし。

そのこれが、もしかしたら冷たい決断かもしれないんですけど、会わない幸せというものが僕はあるのではないかと、49歳の今は思うので。
また、変わることもあるかと思いますが」

徹子「まあ、ムロさんから電話することはない?」

ムロツヨシ
「そうですね。今は叔母を大事に。叔母にツヨシを育てて良かったと思ってもらえる時間を増やせたらいいなと思ってますので」

 

今の家族は叔母一家

1カ月に1回は食事をする

徹子「まあね。叔母様には随分迷惑はかけたわよね?」

ムロツヨシ
「はい。だいぶ迷惑はかけました。はい。
お仕事がない時、役者として成立しない時にも、随分ご迷惑をかけましたし。はい」

徹子「今の家族は叔母一家

ムロツヨシ
「はい、叔母…そうですね。叔母の娘にある2人と。
まあ、妹ともう呼んでますけども。妹2人と。今は時々4人で集まったり。
もちろん、妹たちには子どもがいるので。姪っ子甥っ子たちと一緒にご飯を食べたりして。

ひでみさんが…ちょっと1回ウチの叔母がけがをしたもので、腰を。
それを機に、一気に家族の集まる時間を増やしまして。

やっぱり、元気な人だったので。チャキチャキの人で。魚屋の主人をやってた女性ですから。もうチャキチャキで。

1回ね、ケガをするとちょっと元気がなくなるところがあったので。
まあちょっと、美味しいお肉食べてもらったり。
あのー旅行に行ってもらったりは今してますね。

一緒に行けたらいいんですけど。まだその時間作れません。
まあ、1か月に1回はみんなで集まってご飯を食べて。はい。
非常にそれが楽しみになってくれてるみたいです」

徹子「家族で団結して叔母を支えて」

ムロツヨシ
「そうですね。東京の病院に連れてったもので。
叔母は横浜ですけれども、あの車で。僕が運転できる時はしてとか。
で、ご飯を食べに行ってと。はい。
地元の友人も来てもらって、みんなでひでみさんを盛り上げるっていうのでやってますね」

 

顔色をうかがいながら過ごした幼少期

徹子「まあ今は、おばさまたちと本音で話せるようになっただけでも」

ムロツヨシ
「はい。それこそ、初めて…40代後半になって初めて、弱音だったり、愚痴を言える…家族に愚痴を言える男になることができたなと。
あと、聞いてくれるという信用をできる男になったなと思いましたね」

徹子「良かったですね」

ムロツヨシ「そうですね。時間かかりましたけど(笑)」

徹子「子供の頃は、もうここで嫌われたらもう居場所がないと思ってた」

ムロツヨシ
「そうですね。本能でもう。
ここに叔母叔父、おばあちゃんに嫌われたら私の居場所はないだろうというのと」

徹子「なんか、ついつい人の顔色をうかがうような風になっちゃった」

ムロツヨシ
「そうですね。だから、姉貴と同じことをしてはいけないという。
姉と同じことをしてはいけないということで。

顔色をうかがって、僕は同じ迷惑をかけないようにしていきますという風にはしてましたね。本能的にですけども、はい。

顔色を窺って、あー怒られる、嫌われるんだったら、良い子のフリでもいいからしようとかはしてましたね」

徹子「でも、ムロさんにとって、家族っていうのはどんなもの?」

ムロツヨシ
「今まだ正直、あのー分からないです。
本当に、それこそどこまで甘えていいのかも正直僕はまだ分からないですし。
どうやって支えていいのかも分からないですし。

僕はでも、お願いされたことをとにかくトコトン返していくしかないので、家族というのは。

でも、先ほども言いましたけど、頼れる存在、場所にはなりました
家族をやらせてもらってるっていう感覚が初めて出てきましたので。

育てていただいた感謝はずっとしてましたが、家族を一緒にさせてもらってるっていう感覚は本当に…そうですね、2024年…去年ぐらいからじゃないでしょうかね。はい」

徹子「じゃあ、今の家族は叔母一家?」

ムロツヨシ「はい。叔母一家の私がなんとか長(おさ)…長(ちょう)になって。頑張りたいなと思いますけども」

徹子「なるほどね。でも、それがあるのは何て幸せな事かと。ね?」

ムロツヨシ
「本当に。いつまでも1人ではないですし。支えるべき方が、人が親がいるっていうのは、そうですね、ありがたいですね」

 

お金を借りた幼なじみへの恩返しはハワイ旅行!?

徹子「それからあのー幼なじみからハワイに連れてって言われる?」

ムロツヨシ
「ああ、そうです。
20代の時は、ホントにあのーバイト代しかなかったですし。
バイトをしながら演劇というものをやると、バイトをする時間が無いから生活費がないということで。
ずいぶん、幼なじみにも、叔母にもですけど、お金を借りましたね。

なので、一度僕は…一度、37歳で職業成立って呼んでますが、あのー役者として、来月再来月もご飯が食べれるって年が37歳だったんですけども。
まあ、その時にお金を幼なじみに返そうとしたら、「いらない」と
あの、「ふざけるんじゃない」と言われまして。

そのお金はいらないんですよ。家族全員を財布持たずに、ハワイに連れてってもらって初めて恩返し成立です」って言われて。
お金は受け取らない。もうそれがなくなっちゃうからつって」

徹子「それで、行ったの?」

ムロツヨシ
「それで、まだ行けてないです。
ずーっとおねだりされてますけどね。うん。

俺たちまあ全部、えっと幼なじみと友人たちのもう飲食代は私ですから。
もう、もう十分返してるんですよ。

徹子さん聞いてください!
全部総合して、計算したら3倍ぐらい返してるんですよ、私。

だけど、実際には返してないから、僕はハワイに連れてくまで、幼なじみ家族を。
その恩返しが成立しないわけなんですよ。

だから、ここで強く言わして下さい。3倍以上払ってるんです、もう」

徹子「そうなの?」

ムロツヨシ「そうなんです(笑)まあまあ。これを継続できるように頑張れればいいなとは思ってますけども」

 

結婚について

寂しがり屋だけど、可能性はないかも…

徹子「でも、複雑な家庭環境で育ったムロさん。自分の家庭を持つことは考えています?(笑)ご結婚」

ムロツヨシ
「そうですね…(笑)可能性はないのかなと今のところは思います。

えー寂しがり屋で、それこそコロナなんてものがあった時には、もう1人に耐えられなくて
自分の為だけに頑張るのは限界かなと思いましたけど。

今はどうでしょう?
また、それこそ舞台もある時は特に、1人でやっていくしかないのかななんて言う風に思ってしまう自分もいますね」

徹子「まあね。なるようにしかならないですよ」

ムロツヨシ
「あの、元気なかったあの天国に行くちょっと前のおばあちゃんが、すごい元気なかったんですけど。
1回お見舞いに行って、「ツヨシ彼女は?」つったら「いない」って言った時だけ、大爆笑したんですよね。

あれ、忘れられないですね。「おい、元気ないんじゃなかったのか」つって。
「いや、ツヨシは絶対無理だと思う、結婚」つって、ずーっと大爆笑して。(笑)
そうですね。大爆笑しておりましたね。まあ、今も笑ってると思います。」

徹子「亡くなる前にそんな大爆笑できるなんてね」

ムロツヨシ「大爆笑ができる。そうですね(笑)ただ僕が結婚しないっていうだけでね(笑)」

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