山崎育三郎「どうですか?こういう自分のことを話していくっていう番組は」
三浦大知「そうですね。まあでもなんか、人と話したりするのはすごく好きなので」
山崎育三郎「なんかいげちゃんはクールなイメージがあったみたいなんですけど」
三浦大知
「ああ、ホントですか。どうなんですかね?どう見えてるんだろう?(笑)自分ではあんまり分かんないですけど」
山崎育三郎「ぜひ、今日はいつもと違う大知さんを見せていただきたいところもあって」
三浦大知「分かりました。な、な…なんか出るように頑張ります(笑)」
歌とダンス
9歳でデビュー 素晴らしい歌唱力と表現力で大きな話題に
三浦大知が水星の如く現れたのは1997年。
沖縄のアクターズスクール出身の7人組「Folder」のメンバーとして9歳でデビュー。
当時からのびやかな歌声とキレキレのダンスで大きな話題に。
ちなみにその当時ハマっていたのが宇宙人。宇宙人大好きでした。
そんな三浦さんも今では37歳で、3児の父。
山崎育三郎
「今見てもやっぱすごいですね。9歳であの歌唱力と表現力。
自分で今見てどういう風に感じるんですか?」
三浦大知
「なんでしょうね?なんか調子に乗ってたんですかね。いや、分かんないですけど。
でもまあ、昔から変わらず、やっぱ歌とダンスが好きなので」
井桁弘恵「去年King&Prince(永瀬廉と髙橋海人)とコラボされたということで」
三浦大知
「あのこうお2人の…何て言うんですかね。
なんか兄弟のような、こう親友のような。
なんか2人に会うと、すごくこうなんか幸せな気持ちになるんです。
すごくなんかハッピーオーラがあって。
なので、なんかそのハッピーなオーラがこう皆さんに届くといいなと思って、振り作ったりとかいう。すっごい楽しかったです」
山崎育三郎「振り付けって、1曲どれぐらいでできるもんなんですか?」
三浦大知「早い時だと、ほんと1曲…ホント15分とか30分ぐらいで。バッて出てくるとき」
井桁弘恵「じゃあ、即興でそのままやって?」
三浦大知
「そうですね。まあ、もちろんその楽曲をレコーディングしてる時から、何となくこう頭の中にこうちっちゃい自分みたいなのがいて。
なんか、なんとなく映像が流れてるんですよ。
それをスタジオに入ってつなぎ合わせていくみたいな感じなんですけど」
SNSで話題の無音ダンス
SNSで話題になった三浦大知のすごいダンスが…無音シンクロダンス。
山崎育三郎「これって何で無音にしようと思ったんですか?」
三浦大知
「歌ってアカペラって手法があるじゃないですか。
で、ダンスにそれがあってもいいのかな?と思って。
ダンスを見ることで、なんか音が聴こえてくるみたいな。
なんかそういう見せ方があっても面白いのかなっていう、最初はライブの演出の一環として考えたっていう」
井桁弘恵「やっぱそれって、歌って踊ってらっしゃるからこその感性ってところもあるんですか?」
三浦大知
「そうですね。やっぱ今でもそうなんですけど、ソロで歌って踊る方ってやっぱ少ないんですよ。
やっぱなんか人と違うことやりたいみたいな。
自分にしかできないことなにか作りたいみたいな気持ちがあるので。
(歌とダンス)両方あるからこそ生まれるなにかみたいなものを生み出していきたいなっていうのは。
だから、ダンサーからは嫌われてる可能性はありますよね(笑)
なんでこんな演出するんだろっていう。」
趣味はゲーム
毎日ゲーム配信…ゲームで思考が1回リフレッシュできる
意外にも趣味がゲームの三浦大知さん。
ゲーム実況のYouTubeチャンネルを持つほど。
山崎育三郎「でもこれ、何時にやるんですか?」
三浦大知
「だから、寝かしつけ終わってからが、自分の時間って感じなんで。
だから、深夜が結構多いんで」
山崎育三郎「どれぐらいやるんですか?配信ゲームは」
三浦大知「毎日。ほぼ毎日」
山崎育三郎「毎日!?それ、朝つらくないですか?」
三浦大知「朝まあ、つらいですけど。ゲームできないことの方がつらいので」(笑)
山崎育三郎「やっぱツアー中とかなると、声のこともね気になりますし、睡眠もとらないととか」
三浦大知
「そうですね。まあ、ただホントにそのゲームがあることで、なんかこう思考が1回リフレッシュできるっていうのがあって。
なんかやっぱどうしてもライブのことだったり、あのーまあ、制作のことだったり。
やっぱずっと考えちゃうので。
やっぱもうゲームの世界だと、大変な事件が起きてたりするじゃないですか。
急にドラゴン来たりするんで。
その、何とか退治しなきゃみたいなことにやっぱなったりするから。(笑)
そんなもう、日々の自分の悩みとか1回置いとかなきゃいけないんで。
村救わないといけないんで、やっぱり。(笑)
でもなんかゲームって、エンターテイメントの中でも、僕は結構総合芸術だと思っていて。
やっぱ映像があって、音楽があって、色んな演出があって、でストーリーがあって。
エンターテインメントとしてものすごい力があると僕は思ってるんですよ。
で、やっぱりそれからすごく色んな刺激を受けてきましたね」
山崎育三郎「は~。じゃあ、ゲームがホントにつながってるんですね、全部に」
三浦大知「繋がってますね」
ピアニスト・清塚信也さんが語る三浦さん
穏やかで、言葉遣いがキレイな人
三浦大知さんを良く知るピアニスト清塚信也さん
音楽番組がきっかけで親交を深め、プライベートではゲーム友達
清塚信也
「大知ちゃんって、本当に穏やかじゃないですか、いつも。で、声もキレイだし。
で、もう「クソ」とか言わない、絶対。すごいキレイな言葉遣い。
で、(ゲームで)負けた時も、「なんで今のダメだったんでしょうか」。
ゾンビ倒す時とかも、ナイフでゾンビ斬ってるのに「ごめんなさい ごめんなさい」って全部言いながら。一番怖いパターンですよ。
感情1個ないのかなみたいな。怒ることとかあるのかなって。
じゃあ、いつ一番怒るの?って言ったら、「やっぱりパパとして子供に言っちゃう時はあるね」って言ってて。
あるおもちゃが何度言っても片付けてないから。
「ちょっと来て」って言って、面と向かって「どうしていつもここにあるんですか?」って敬語で言ってました(笑)
いつでも子どもにも丁寧」
左の上半身の筋肉だけすごく盛り上がってる
そして、親友だからこそ知るすごさ…
清塚信也
「三浦大知の体に触った人ってのはなかなかいないと思うんですけど。
あのー耳より情報で言えば、左のあの上半身の筋肉だけものすごく盛り上がってます。(笑)
やっぱりこう踊る時もこう(ハンド)マイクは固定してやるから。ここだけすごいこう…」
井桁弘恵「なんか、その分右を鍛えようとはならないんですか?」
三浦大知
「なんか筋トレってやっぱすごい難しくて。
なんか筋肉って、生体…首の筋肉とか全部つながってるじゃないですか。
で、腕の筋肉を鍛えたときに、こう高い音が出なくなっちゃったんですよ。
で、やめたら戻ってきたんですよ、上のレンジ(高音域)が。
だからやっぱ自分に合う合わないってやっぱ筋肉の付け方があるし。
歌って踊る筋肉ってやっぱ特殊なんで。
歌って踊らないとつかないんだなぁと思ったんですよ。
だから、他のトレーニングでつけることができない。
じゃあもう、いっぱい歌って踊るしかないんだなってことで、ツアーだったりライブとかがもうその、本番が直接トレーニングになってるみたいな感じなのかな。
それを繰り返していく事で、その歌って踊る体を作り続けてるみたいな感じなのかなと思います」
パパとしての顔
3人きょうだいの父
山崎育三郎
「さっきね、いつも穏やかでおこることほとんどないけど、お子さんにはちゃんと…。
結構パパとしては厳しい方ですか?」
三浦大知
「いや~どうなんですかね。
なんか、自分が一人っ子だったんで、この兄弟の感じとかも分かんないんですよ。
その、うち3人いるから。なんでこんなにケンカすんの!?毎日って。
毎日思うんすよ。何を争うことがあるの?このおもちゃ1つで。
子どもって、その1回(言っただけ)じゃ絶対やらないんで。やっぱなかなか。
で、もちろん色んな手を使うんですよ。
「あ、じゃあ、これパパが先に持って行っちゃおうかな~」みたいなこととか。
「あれ?なんかあっちから誰か来てるよ」とか言って。
「そのおもちゃあの早くしまわないと」みたいなこと言ったりとか。
色んなことを試すんですけど。
もう全部が通用しなかったもうホント20回目で「これはどうなってるんですか?」っていうその(笑)。
もういい加減にしてくださいねっていう」
山崎育三郎「あ、最終手段が敬語で」
三浦大知「っていうことだと思います、たぶん」
子供とダンスバトル…絶対に手を抜かない
山崎育三郎「それこそ、「パパ、ダンス一緒に踊ってよ」みたいな瞬間とかないんですか?」
三浦大知
「一緒に踊ってよはないですけど。
もう基本うちなんか、色んな音楽がかかってるんで。
結構ダンスバトルじゃないですけど」
山崎育三郎「え⁉家の中でダンスバトル!?」
三浦大知「はい。どっちかが踊り始めたら、踊り始めるみたいな」
山崎育三郎「なんか負けず嫌いが出ちゃうんですか?パパとしての」
三浦大知
「あのー勝負事っていうか、そういうゲームみたいなのは、もう絶対手を抜かないっていう」
山崎育三郎「そん時(ダンスバトルの時)も手を抜かない?」
三浦大知「手抜かない(笑)」
山崎育三郎「本気で踊る!?」
三浦大知
「はいはい。ステージと同じくらいの熱量で。もうリビングで汗だくになって。はい、やってます」
アクターズスクールからデビュー。そして休業
家で踊っていたのがきっかけでダンススクールへ
三浦大知さんの地元沖縄。
9歳までアクターズスクールに通っていた場所、那覇。
大知少年が歌とダンスにハマったきっかけって何だったんですか?
三浦大知
「一番最初は、あの家で、仮面ライダーV3っていうのをオープニングの歌に合わせて踊ってて。
で、ダンス好きなのかなっていうことで、ダンススクールに通うっていうのがきっかけになりましたね」
井桁弘恵「え?自分で振りをつけて?」
三浦大知「はい、そうです。合わせて踊ってたらしいです、どうやら」
沖縄アクターズスクールへ…可愛くてモテた
那覇一番の繁華街国際通りから歩いて5分の場所にあった沖縄アクターズスクールに通っていました。
三浦大知
「もう学校が終わったらバスに乗ってここ来て。
で、もうずーっと歌って踊って。で、帰るみたいな。ほんとそんな感じ」
近くにあったデパートの屋上。ここでの思い出は…
三浦大知
「ここでいつもダンススクールのみんなとなんかご飯食べたりとか。ちょっと話をしたりとか。
ここで踊ったりとかしてました」
最初から歌えたし、可愛くて、モテた…彼の伸びやかな声を聞いてほしい気持ちに
恩師であるインストラクターを務めていた牧野アンナさん。
大知少年はどんな子供だったんですか?
牧野さん
「もう本当に可愛かったので。結構モテたんです。
最初っから、歌えたし踊れたし。何でもできちゃうので。
だからその同年代の子たちと一緒にいると、なんか歌とダンスってチョロいなとか簡単だなっていう風に、いかに思わせないでいられるかっていう。
だからこう年齢が上の…もっと頑張らなきゃっていう風に感じてもらえるようにっていう風にはしてました。
やっぱりこう、彼ののびやかな声みたいなところが、声変わりをする前に、これはもう世の中に(三浦大知を)知ってもらうべき!みたいな感じになりましたね」
13歳で変声期のため休業
日に日に低くなっていく声…将来を考えて休業
そして、13歳で変声期のため休業することに。
子供の頃から歌い続けてきた大知さんにとって、休業は大きな決断でした。
牧野さん
「声が、同じように出なくなっていくっていうのが、大きな不安だったんじゃないかなって思いますよね、はい」
(スタジオで…)
山崎育三郎「変声期ってどのように捉えてましたか?当時自分では」
三浦大知
「そうですね。ちょうど2枚目のアルバムだったかな?を作ってる時だったんですよ。
で、そのレコーディングしようとしたら、もうそのキーが出ない。
だからあのFolderの最後のアルバムは、ホント全部違う人が歌ってるみたいな。
僕の声がもうどんどん、日に日に低くなっていく、変わっていくっていうのがあったので」
変声期の辛さは、子役として活動していた育三郎さんも経験していました。
山崎育三郎
「自分の場合、この変声期がものすごいショックで。
でも、自分の頭の中に鳴ってる音がでないわけじゃないですか。
スコーンって出ていたものが。
持ってる声が1回なくなるっていう感覚。
自分でなんか不安な思いとかありました?
歌えなくなっていく事に対して」
三浦大知
「う~ん。あったんじゃないかなと思いますね。
まあでもなんか、もちろん事務所の社長が「そのこれから(将来)歌うってことを考えたときに、やっぱ変声期にこう歌いすぎると喉が潰れちゃうから、今は一旦休んだ方がいいだろう」っていうことで。
でもすごいポジティブなこう始まりだったっていうか。その変声期が
で、なんかその、何の根拠もないんですけど。
歌って踊る人生なんだろうなぁってなんとなく思ってたんで。
その根拠ない自信みたいな。
だから、「歌えなくなるかも」とか「踊れなくなるかも」みたいなのは、思ったことなくて」
3年後、思ったように歌えず…
喉を守るため、大好きだった歌をやめて3年…
三浦大知
「で、(のどが)落ち着いてきただろうから、ちょっと歌ってみようみたいな。
で、もうその時に、こう全然思うように歌えなくて。
やっぱ歌ってなかったんで。その筋肉が全くなくなってるっていうか。
ボイトレとかも行ってなかったですし。
だから、歌のための筋肉がやっぱ全く育ってなくて。
だから、そっから(ソロデビューまで)の2年の方がなんか不安だったのは覚えてます。
そのーなんかちゃんと声が出るようになるのかな…とか」
山崎育三郎「そっからはもうノンストップでずっと走ってきた感じですもんね」
三浦大知
「そうですね。もうなんか、自分にしかできないこう歌とダンスの表現はなんかないかなっていうのをもうホントにずっと模索し続けてるって言う感じです、はい」
アクターズスクールの良さ
ダンス+歌を一緒にやる唯一のスクール
山崎育三郎「これ歌とダンスって自分の中でどういう風に分けて考えてるんですか?」
三浦大知
「そうですね。なんかこれが、まあ自分がその子供の頃行ってた(沖縄アクターズ)スクールが、いわゆるそのダンススクールとかボーカルスクールみたいな、分かれてなくて。
一体になってる…レッスンもずーっと繰り返してきたので。
やっぱり歌う時はこう体をこう動かしながらやっぱ歌いたくなるし。
僕が習ってたようなスクールがやっぱないんですよね」
山崎育三郎「やっぱり分かれますもんね?」
井桁弘恵「確かに。ダンススクールかボイストレーニングみたいな」
三浦大知「そうなんですよね」
山崎育三郎「それ両方やってたっていうのがやっぱり…」
三浦大知「なんか自分の強みなのかなと思いますね」
アクターズクールが活動を再開
実は、生徒はおらず、休業状態だった沖縄アクターズスクールが、今年活動を再開。
その裏には大知さんの言葉があったそうです。
牧野さん
「アクターズスクールって、先輩たちが後輩の面倒をみるっていう風なシステムでやっているので。
(三浦大知が)育成に興味があるっていう話はしていたので。大知にお願いして。
「僕色んなところをみてるけど。こういう指導の仕方してるところはないから、やった方がいいと思います」っていう。
とても熱くそれを言ってくれたので。
アクターズスクールをまあ引き継いで、再始動させるっていう風に繋がりました」
山崎育三郎「大知さんがその次の世代に向けてなんか思うことはありますか?ダンスだったり」
三浦大知
「でも本当に歌って踊るってことがもう当たり前になって。
普通にみんながやるような時代になったと思っているので。
で、その中でなんか(歌って踊ってきた)自分にしかできない教えられることだったりとか、そういうの(=教える場)は今後作っていけたらいいなっていう思いはありますね」
歌とダンスが好きなだけ!
山崎育三郎「この歌って踊っていくうえで、一番大事した方がいいことっていうのは?」
三浦大知
「ベタなことなんですけど。やっぱ楽しむっていうことだと思います。
もうとにかく、それが一番重要だと思います。
それがやっぱ根本にないと続かないので。
もうとにかくその、まあそれは歌とダンスだけじゃなくてもいいと思うんですよ。
自分が見つけた自分が好きなことを、いかにどう楽しむか」
山崎育三郎「このダンスと歌への情熱ってどこから来るのかな?っていう」
三浦大知
「けど結構シンプルですね、僕。好きなだけなんですよね、ホントに。
もっとこんなことできる。こんな事したら面白いみたいなのが、常にこう溢れているというか。
もう歌とダンス好きで、このままずーっと最後まで、倒れる直前まで、歌って踊ってみたいな(笑)」