今年デビュー40周年。
1985年18歳でデビューし、80年代を代表するトップアイドルに。
そして、わずか3か月で2代目スケバン刑事に抜擢。
1985年デビュー、1日5食
加藤浩次「1985年(デビュー)、めっちゃいません?同期が」
南野陽子
「メッチャいますね。
あの、斉藤由貴ちゃんとか。中山美穂ちゃんとか、本田美奈子ちゃんとかもそうだし。
浅香唯ちゃんも少年隊もいっぱい。おニャン子クラブとかもいます」
加藤浩次「そうか。おニャン子もちょうど出てきたんだ。夕にゃんが始まった年だもんね」
島崎和歌子「井森(美幸)さんも?」
南野陽子「井森さんも一緒でした」
加藤浩次
「ちょっと待ってください。でも、南野陽子さん、斉藤由貴さん、浅香唯さん。
同じデビューなんだけど、歴代であれやってるんだ」
※ドラマ「スケバン刑事」(1985年~1987年)…初代を斉藤由貴さん、2代目を南野陽子さん、3代目を浅香唯さんが演じた。
南野陽子「ヨーヨー投げてました、はい」
サバンナ高橋「同期でヨーヨー回してたんですか(笑)」
加藤浩次「そういうことだよね。みんなどうだったんですか?仲良かったんですか?」
南野陽子
「あんまりね、喋ったことがなかったです。
やっぱり違う作品…だって撮影が終わって次だから。会うことがまず…そのヨーヨーの受け渡し式みたいな…。
初代から2(代目)に。2(代目)から3(代目)にっていうのはやったけど。
あと、歌番組とかも生放送なんで。一緒にいたけど、喋ってないことが多かった」
加藤浩次「あ、みんなそうなのかもね、当時って。食の方はどうですか?」
南野陽子「もう食べるのが大好きで。食べてばっかり」
加藤浩次「どんな感じですか?1日の食事考えたら」
南野陽子「今は…(1日)5食ぐらい」
サバンナ高橋「え⁉思った以上に食べてばっかりやった」
加藤浩次「それ新弟子の量ですよ」
島崎和歌子「どうしたんですか?」
加藤浩次「間に運動は?運動はどうですか?」
南野陽子「あのね、運動したら太るってちょっと思ってるタイプで…」
加藤浩次「逆だよ!(笑)何言ってんだよ!」
南野陽子
「違う違う違う。運動したら…続けてればいいですよ。
でも、私みたいに続かないタイプは、やめたら急にリバウンドでバーンとね」
加藤浩次「だから、続ければいいじゃないですか」
南野陽子
「続けられないの。やるのが好きじゃないから。
まあ、50(歳)過ぎたら、もういっかなって。
別に、そんなグラビアをするわけでなし。おばあの役をやりゃいいわと思ったら…。(笑)
そんなぐらい、もうちょっと食べたくてしょうがない。
でも、もうちょっと経ってから、身体が病院とかで注意されたら、減らそうみたいな」
芸能界に入ったきっかけ
高1 番組観覧に行き、カメラマンに声をかけられ…
加藤浩次「スカウトみたいなのはどうなんですか?」
南野陽子「あのーABCホールって大阪にある。そこに(番組)観覧に行って」
加藤浩次「観覧?何の番組ですか?」
南野陽子
「えっとね。(島田)紳助さんが司会の番組でした。
で、そこで、えっとカメラマンさんに声をかけられた感じ」
加藤浩次「カメラマンが声かける事なんかないでしょ」
南野陽子
「え、いや、こういう(スタジオの)ところ。
「なんかここのカメラマンさんがジッと見てるな。嫌だな」ってこんな感じ(カメラマンから手で顔を隠す感じ)だったんですけど。
そしたら、楽屋の方に…裏に連れていかれて」
加藤浩次「ちょっと来てくださいって言われたの?」
南野陽子
「そうです。で、連れてかれて。
紳助さんに(スタッフが)「この子どう思います?」。
(紳助さんが)「ええんちゃうん」みたいな感じで。
で、なんとなく残った感じ」
加藤浩次「それがいくつの時ですか?」
南野陽子「高1の時ですね。高校1年生」
(スカウトされた16歳の頃の南野陽子さんの写真が映る)
加藤浩次「ああ~!」
サバンナ高橋「これは映すわ、カメラマンさんも」
加藤浩次「あ、これは映すな」
サバンナ高橋「かわいいっす」
中学生の時は心配されるくらい太っていた
加藤浩次
「これはカメラマンさんがもうスカウトするわ。
だいたいこうアイドルでデビューする人って、地元でメッチャ話題になって。
やっぱりアイツいったかみたいな感じになるじゃない?そういう感じですか?」
南野陽子
「違うこれは…この写真は私が出したんですよ。
だから、そんな変なのは持ってこないですよ。
本当はもっとブ~ちゃんだった、中学校ぐらい」
(中学2年生14歳の頃の南野さんの写真が映る)
加藤浩次「あ、これ?」
島崎和歌子「全然ですよ、かわいい」
南野陽子
「いや、これよりもうちょっと(太ってた)…。
本当にすごく食べるのが好きで。
学校の先生からも親が、「ちょっと食事考えられた方がいいと思いますよ」って言われるぐらい」
加藤浩次「じゃあ、結構太ってたんだ?ぽっちゃりしてたんだ」
南野陽子
「そう、食べて…(手に食べ物を)持ってた。
で、(阪急)塚口っていう駅がある。街があるんですけど。
(塚口)さんさんタウンっていうね、なんかビルっていうか商業施設ができて。
で、そこにヨガ教室の看板がこう電車から見えてたんですよ。
で、そこに「やせる」とか「頭痛がとれる」とかなんかそういうのが書いてあったんで。
中学校3年生の時に友達と「ちょっと行ってみない?」って言って。
でもそこでヨガをやったっていうよりは、毎回「南野陽子さん○○.○○㎏から○○㎏」って発表されるんです。
そしたらちょっと恥ずかしくて。で、食べないように…。
それで、だんだんやせてきたというか」
スカウトされてから1年間連絡なく…事務所に何度も手紙を送り
加藤浩次「あ、そっか。そのタイミングもスカウトのタイミングとぴったり合ったんですね」
南野陽子
「そうですね。でも、そこですぐつながったかというと、1年間(事務所から)連絡はない感じ。
(高校)1年生の時にあったけど、2年生になるまでない感じで」
島崎和歌子「スカウトされてすぐってわけじゃなかったってことですか?」
南野陽子「スカウトっていうか、とりあえずなんか連絡先は聞いたけどぐらいな感じで」
加藤浩次
「え、じゃあ1年寝かされてたら、その間にもう同級生たちは東京行くんでしょ?みたいになってるわけですよね?」
南野陽子
「とか。自分の気持ちはどんどんどんどん、「ここかぁ」ってテレビ観ながら思ってたりとかしたんで」
サバンナ高橋「ああ。こういうとこ行くんやみたいな」
南野陽子「そうですね」
加藤浩次
「でも1年寝かされてたら「あれ?」って。
「これもしかして違うんじゃない?なくなったのかな?」って思ったりしませんでした?」
南野陽子
「だからあのー事務所に、十何枚お手紙を…「先日はお電話いただき、どうもありがとうございました」とか書いて送ったら。
まあ、もう1回ぐらい観覧日に呼んであげてもいいんじゃない?みたいな感じで。
で、なんかそれがどんどん溜まってった感じっていうか」
加藤浩次「俄然、じゃあやる気にはなってたわけですね?自分的には」
南野陽子「すごくやる気になったの。逆に事務所は、ちょっと断りづらい感じ(笑)」
サバンナ高橋「こっちからグイグイいってますもんね。その手紙とかの感じは」
父は反対…何もできない子だった
しかし、芸能界入りに関して両親とぶつかることもあったそうで…
南野陽子
「親とケンカっていうか、両親とは「私の人生私が決める!」みたいな感じで。
思ってなかったけど、そういうことをずっと言って…」
加藤浩次「え、お母さんはどうだったんですか?」
南野陽子
「母は…反対だけど、こんだけ言うんだったら、陽子の人生だし、尊重してあげたいっていう。
まあ、一応味方にはなってくれたんですけど。父は反対をしていて」
加藤浩次「え、お父さん厳しかったんですか?」
南野陽子
「厳しいのもあったし。本当になんにもできない子だったんです。
電車に乗ってたら、なんか車庫入っちゃうし…」(笑)
島崎和歌子「どういうことですか?」
南野陽子
「だからあの、本当は「出てください。点検があります」って言っても、阪急電車、「あれ?なんかみんな降りたけどなんでだろう?」って言ったらアレ?」
加藤浩次「起きてるのに?」
南野陽子「起きてる(笑)」
加藤浩次「それヤバいっすね。(笑)寝ちゃってんだったら分かるよ。良くある話じゃない」
南野陽子
「普通は、だって乗ってたら私の最寄り駅まで行けるのに。
そこに気づかないで。言わなきゃ、どうしよう。あぁあ~みたいな」
加藤浩次「そんなことある?それはお父さん心配ですね」
南野陽子「だからそのぐらい、本当になんにもできなかったから」
デビュー決定
ホテルのレストランで面接
緊張の中食べたキャピトルホテル東急のパーコー麺
加藤浩次「それは何で食べたんですか?」
南野陽子
「それはですね。デビューが決まるか決まらないかの、まあオーデイションというか、何回かある面接の時に。
そのカメラの会社なんですけど、社長さんは都倉俊一さんだった」
加藤浩次「あの指揮とかやられてる作曲家の」
※都倉俊一さん…ピンクレディー、山口百恵、山本リンダなどの大ヒット曲を手掛けた作曲家
南野陽子
「指揮だし。私たちの頃は「スター誕生!」の審査員(やられてた)。
で、その人に最終面接みたいな感じでちょっと会って。
その人がOKならOKだみたいな。
で、そんな目の前にテレビの人が来たら…。
(料理の)味は本当におぼえてないんです。
ここ(東急ホテルのレストラン)で「今何してるの?」とか「何になりたいの?」とか聞かれて。
「いや、分からないんです」って話とか。
なんかそういう会話はしたと思うんですけど。
都倉さんがいる間のことは、あんま覚えてないですね」
加藤浩次「そうか。でも、そこで合格みたいなのもらうんですか?」
南野陽子
「う~ん…その日は言われないで。「じゃあ」って言ってすぐにね、(都倉さんは)帰られましたけど。
後からまあ連絡が来て。一応「(デビューが)決まりました」みたいな」
腹がすわった行動で道を切り開く…堀越同級生のマネージャーについていく、写真が気に入らず講談社へ乗り込む
加藤浩次「え、最初は何の仕事だったんですか?」
南野陽子
「あ、あ…ドラマとかそういうののちょっとエキ…。
でもホントまず「この子どうやって売っていこうかね?」みたいな感じで、みんなが考えあぐねてる時に、まあ学校が割と芸能人の多い学校だったりするので」
加藤浩次「誰いたんですか?」
南野陽子
「転校生。一緒の転校生だけでも、本田美奈子ちゃんとか井森美幸ちゃんとか宮崎ますみちゃんとか」
島崎和歌子「え、堀越(高校)ですよね?」
南野陽子
「そう。教室にいたのは…。だから、わらべちゃんとか。
で、みんな挨拶に行くから早退したりとか。
「あ、挨拶に行く。どこ行くの?あ、テレビ局に行くの?」とか「広告代理店?」とか「出版社?」みたいなんで。
で、なんかそのー「私もついて行っていい?」って言って、よそのマネージャーさんについて行ったりとか(笑)」
加藤浩次「いや、なにしてんすか。(笑)関係ないっしょ」
南野陽子「だから、あんま分かってなかったんですよ、本当に色んなこと」
加藤浩次「え、同級生のマネージャーさんの所に一緒についてくってことですよね?」
南野陽子「そう…です」
加藤浩次「「お前何してんの?」ってなりません?マネージャーさんは」
南野陽子「うん。でも、もう一緒に車に乗り込んじゃうから」(笑)
加藤浩次「結構グイグイいくタイプなんだ」
南野陽子「グイグイっていうか、みんなそうだと思ってたんですよ」
加藤浩次「全然違いますよ!なんか腹据わってんね」
南野陽子
「違う違う違う。で、後から事務所とかに、「なんで勝手なことしてるの!」ってすごい怒られるし。
例えば私(少年漫画雑誌の)「マガジン」で、ずっと少年マガジンのマガジンガールだったんですけど。
で、そこでちょっと撮られた写真が気に入らなかったんで(笑)。
ちょっと講談社さんとかに…」
加藤浩次「乗り込んだ?」
南野陽子「うん…(笑)」
加藤浩次「乗り込んだ!?」
南野陽子「(ビート)たけしさんより早かった」(笑)
島崎和歌子「ええ⁉」
加藤浩次「ヤバいわ!ヤバいやつだよ!」
サバンナ高橋「(たけしさんは)軍団連れてるけど、南野さん単独犯ですもんね」
島崎和歌子「この写真気に入らないからって?」
南野陽子
「で、そう。この写真やっぱりね、高校生のお化粧とかはやっぱりこれまではちょっと違うと思いますって言ったら、「じゃあ、(化粧)なしで撮りましょう」って言って。
で、マガジンで36ページぐらいになったって感じで」
加藤浩次「あ、肝座ってるわ。すごいすごい」
南野陽子「違うの。もう帰る場所が(故郷の)神戸にはないって思ったから」
サバンナ高橋「でもそれ1人で来たら、印象にメチャクチャ残りますもんね。あの子なんやって」
加藤浩次
「しかも、ちゃんと主張があるなっていう。
で、それが今で言ったらバズる形になるってことですもんね」
スケバン刑事の主演に抜擢…ダマされた!?
加藤浩次「で、スケバン刑事もくるわけでしょ?」
南野陽子「うん(笑)」
加藤浩次「「スケバン刑事」最初どう思いました?鉄仮面って」
南野陽子
「ダマされたって思った。(笑)
そう。だって、「陽子、学園モノが決まった」って言われて。
私の学園モノは「(3ねんB組)金八先生」とか。
そんな鉄仮面かぶると思わないもん。
最初は、学園モノなのにアクションとかもあるし。
私運動が本当に苦手で。
マットの上でもでんぐり返しが真っ直ぐできない。なんか斜めになっちゃう感じなので。
無理って感じで」
22歳 事務所から独立
デビューからわずか4年で独立
こうして、瞬く間にトップアイドルになった南野さんですが、デビューわずか4年、22歳で事務所から独立。
そこから仕事が減って、苦労した時期もあったと言います。
加藤浩次「え、その時はやっぱり不安になりませんでした?」
南野陽子
「そうですね。やっぱあの時代は厳しかったりもしたけど。
でもそこで「よし!今度こそは!」って言って頑張れた力にもなってたりしたし。
こういい時もあればこういう(落ちて悪い)時もあるし。
まあ、最後51点ぐらいで人生終えられたらなみたいな感じで」
加藤浩次「激動ですね」
南野陽子
「そうですかね?終わってみたらなんかもうね、その嫌な事も忘れちゃってるし。
うん。今は楽しいなあって思います」
