芸能界入りは22年前の15歳。
そして、5年前、32歳の時に独立。
5年前に独立…YouTubeで活動
自分が当たり前に出ていた番組が見れなくなった
山崎育三郎「これ独立してまず初めに始めた事って」
手越祐也
「まあ、今となってはね、結構独立される方とかまあ多くなってきたとは思うんですけど。
ある程度なんかこう、どうやってこの先の道生きて行こうとか。
多分勝算があってだと思うんですけど。
僕の場合は結構、急だったっていうのもありますし。
別にそういう準備を前もってしてたわけじゃないので。
ファンクラブってどう作ればいいんだろう?ってのも全く分からないですし。
でもなんかこの(活動が)途切れちゃうと、やっぱ僕らこうアーティストとか芸能人っていうのは、すぐ忘れられるっていう立場でもあるので。
そん時に、どういう所でじゃあこう発言とか今の活動を伝えれるかなってなったら、YouTubeしかなくて。
YouTubeは割と気軽に立ち上げることができたので。
まあ、最初はYouTubeしかなかったですね」
山崎育三郎「じゃあホントに変わったんすね」
手越祐也
「今まで素晴らしい場所にいたんだなっていう感謝と。
プラスやっぱ一回(表舞台から)離れた寂しさっていうのが色々ぶつかり合ってって感じですかね。」
山崎育三郎「どういう瞬間に寂しさっていうのを感じました?」
手越祐也
「いやだから、番組見れないんすよ。
つい前までは、自分が普通に当たり前のように存在していた場所に、自分が一切いなくなるっていうものは…。
僕は、前いた場所も番組もやっぱ好きだけど、今やっぱり自分が男として第2の人生歩むんだったらこのタイミングじゃなきゃなっていう思いが勝っちゃって、次の人生に歩み出したので。
やっぱ嫌いじゃないんですよね。やっぱだからこそ見れないというか。」
オリラジ 藤森慎吾さんにインタビュー…初めて会った時から意気投合
独立後の手越さんを知るオリエンタルラジオの藤森慎吾さんにインタビュー
藤森「意気投合するまで時間はかからなかったですね、やっぱり。
初めて会った時から、親友ぐらいのテンションで、お互い。
うす~い絡みでしたけど」
奇しくもお互い2020年に独立。
藤森
「(手越くんの)独立の会見でしたっけ。たぶん自分のYouTubeチャンネルで。あれ衝撃的でしたね。成功例として。
あのあっちゃん(中田敦彦)がとにかく手越くんの記者会見に感銘を受けてたという印象があります。
僕はごめんなさい。(独立会見で)与えられた台本だけを…。あっちゃんの台本を読み上げてただけなので。はい。ちょっとあんまりそこ詳しくは分かりませんが。」
当時、手越のYouTubeチャンネルで共演(2021年1月3日)。
その内容について言いたい事があるそうで
藤森
「ドッキリ毎回しかけてこようとしてくれたんですけど…粗い。
レインボーブリッジを(バイクで)走りましょうみたいな企画だったんですけど。
ホントに1時間ぐらいかけて都内ブーッってはしって終わった最後になんかクスクス笑いだしたから、「どうしたの?」って言ったら、なんか僕が着てたライダースのジャケットの後ろにガムテープで(“どうも!!藤森です”と書いた)紙を貼っつけた。
粗いドッキリだな~と思って。
もうちょっと企画詰めてやって欲しいなと」
山崎育三郎「どうですか?それ(YouTube)やってみて」
手越祐也
「別にYouTuberになりたかったわけで、退所したわけではないから。
YouTuberっぽいことをやるのもなんかちょっと違和感を感じるし。
なんかそこのだからやり方が分からない狭間に生きてる時が一番こう何て言うんですかね…挫折っていうか、どうすればいいんだろうっていう期間ではありましたね。」
山崎育三郎「手越さんすごくなんか前向きっていうか。ちゃんと分析して、色んなことを前に進めてくイメージあるんですけど。落ち込んだり、そういう瞬間あります?」
手越祐也
「いや、たまにはありますよ。
それこそ最初の頃のYouTubeでやってた話のトーク内容とかが、やっぱ後に自分の今までの手越祐也を応援してきてくれたファンの方をちょっと置き去りにするような内容だったり。
ずっとテレビを見て応援してくれてたファンからしたら、ちょっと不本意な内容とかを僕がしゃべったりとかしちゃってたんですよ。
当時、インスタグラムとかに来てたDMとかを見てました。
で、「俺は何(ファンの希望と)違うことやったんか…」って。
「これが欲してたことじゃないのか」っていうのが分かんないんで。
最初はすごく後悔とか挫折。
自分が悪いんですけど、ちょっと心にきましたね」
独立して変わったこと…環境が変わり性格が変わった
さらに独立仲間の藤森さんは…
スタッフ「独立あるあるみたいなのあるんですかね?」
藤森慎吾
「欲に最初まみれてしまうから。
お金の流れも全部自分でわかるから。
あ、これもっと稼げるなとか。
手越君がってわけじゃないですけど。
独立した人、わけわかんないパーティー行きがち。うん。
それも僕は警鐘をならしたい。
個人的なスポンサーみたいな人がすごく寄ってくるんですよね。
プライベートと仕事のこの境界線がなくなってくるっていう社長さんいますから。うん。
そうするとなんか「プライベートの九州旅行についてきなよ」とかつながりがち」
山崎育三郎「独立あるあるってなんかありますか?」
手越祐也
「僕の場合はね。情に流されるタイプなんですよ。
だからなんか、さっき藤森さんもおっしゃってましたけど。
やっぱ辞めた直後って、色んな話くるんですよ。
これやろう、あれやろう、ウチからこれを出そう、何とか一緒に商品をとか。
その熱い思いとか目の前で言われると、結構「いや、無理っす。ノーで」って言えないタイプなんすよ。
その中で僕も失敗しちゃったなって思うこともあるんで。
その言い過ぎたとか。これは知らなくて良かったことだとか。
「これはやめておいた方がいいんじゃない」。
そういうものをプロダクションってコントロールしてくれるんですよね。
ああ、やっぱありがたいことしてくれてたんだなぁとか感じますしね。」
山崎育三郎
「その欲にまみれるとかパーティーとか個人スポンサー、社長と旅行とか色々ありましたけど」
手越祐也
「いや、僕の場合はですね。逆パターンなんですよ。
独立してからは、やっぱりその今一緒にいてくれる仲間とか。
まあ、この前もソロツアーやってて、ファイナル迎えたばっかなんですけど。
もし、トップの僕が何かを今やらかしたら、これ全員を食べさせられなくなるわけですよね。
ってなった時に、一気に生活も変わりました。
マジで、環境変わると人って性格変わります。」
山崎育三郎「へえ~。変わりました?やっぱ」
手越祐也「もう失うことの方が嫌になるので。
昔は「関係ないっしょ」って感じだったんすよ(笑)
「何が?別に悪いことしてないし、犯罪犯してないし、何が悪いの?」って感じだったんですよ、正直。
今もうもうもうなんか。マイナスになることしたくないんすよ。」
父について
父が急に亡くなり…今やりたいことがあるなら動け!
自分の信じた道を突き進んできた手越祐也。
その信念について事前の取材で語っていたのが…
事前取材の音声で…
手越祐也(取材時)
「今やりたいことあるなら動け。ファンによく言うんですけど。
やりたいこと、夢、会いたい人、行きたいところがあるなら、絶対早く動けよ!」
山崎育三郎
「思ったらすぐ行動する。早く動けみたいなことが。それどういう思いなんですか?その言葉っていうのは」
手越祐也
「僕結構早い段階で両親が離婚していて。で、(10年前に)親父が亡くなったんですよね。
で、親父がやっぱ急に亡くなったんですよね。
具合が悪いっていうのを言われて、翌日のテレビの収録中に亡くなって。
やっぱり人間っていつ亡くなるか分からないし。
どんなことに巻き込まれるかも分からないから。
これやりたい、あれがやりたいと思ったこと。
ここに行きたいもそうですけど。
って、やっぱ来年しようとか、いつかやろうっていうんじゃ、亡くなった時に、もし自分が同じ立場になった時に、一番後悔するっていうのは、その亡くなった父親が自分の死をもって、息子の僕に教えてくれたのかなって思って。
もう、すぐ動くっていうのはありますね」
性格が似ているイケメンの父「車、ゴルフ、お酒、スポーツ、女性が大好き」
山崎育三郎「そのお父さんっていうのは、どんな方でした?」
手越祐也
「親父っすか。僕、性格はたぶん親父に似てると思ってて。
もう車が大好き。で、スーパーカーが好きで。で、ゴルフも大好きで。お酒も大好きで。で、女性のことも好きだったんですよ。
もう完全に父譲り。一緒なんですよ。
で、スポーツも大好きで。立教(大学)のホント野球(部)のエースだったりとか。
で、運動も好きだし、人前で目立つのが割と好き。
(手越さん6才の頃お父さんと一緒に撮った写真が映る)
井桁弘恵「かっこいい」
山崎育三郎「お~。メチャクチャかっこいいですね。」
手越祐也「ああ、そうっすね。まあ、イケメンでしたね」
山崎育三郎「ちょっと郷ひろみさん的な感じしません?」
手越祐也「アハハハハ(笑)でもイケメンでしたよ。授業参観とか来ると結構「あ、親父だから」みたいな感じでこう自慢の」
山崎育三郎「かっこいい」
井桁弘恵
「そして本日は手越さんの生き方に影響を与えたお父様を知る方々にお話を聞いてきました。
ちなみに手越さんと似ている所っていうのも聞いたんですが、どんな答えだったと思いますか?」
手越祐也「アクティブ。動き続けてるみたいな」
手越さんの亡き父を知る方にインタビュー
手越祐也さんの父親の妹にあたる叔母・野田和美さん「可愛くてしょうがない!祐也命!」
スタッフ「祐也さんいわく、父親はモテたと。妹さんから見てどうでしたか?」
叔母・和美さん
「普通は「いいえ」って(笑)言うんでしょうけど。
確かに、いい男の部類に入れてもらえる感じではありました。
(祐也が)1人っ子だったのもあって親バカしかないです(笑)。
可愛くて可愛くてしょうがない。祐也 命!っていう感じでしたね。」
叔母・和美さんが思う父と息子の似ている所
叔母・和美さん
「周りが見えなくなっちゃうタイプですので、2人とも。マイペースなので。
祐也がサッカー習ったら、全然野球をやってた人なので、サッカーなんて「サ」の字もなかったはずなんですけど。
もうまるでサッカーする人のような感じになってました(笑)。変貌してました」
山崎育三郎
「お父さんずっと野球をやってたのに、サッカーを勉強してって。
そういうお父さんの愛情とか。なんかお父さんとの思い出ってあります?」
手越祐也
「小さいサッカーゴールとコーンとかサッカーボールとかスパイクとか、なんでも買い与えてくれるんですよ。僕がサッカークラブに通いたいってなったら。
そしたら、もうホントよくいるこうコーチの横で応援してる人いるじゃないですか。
みたいな親父だったし。」
山崎育三郎「2人とも周りが見えなくて突き進むタイプ?」
手越祐也
「一緒ですね。たぶんじゃなかったら、たぶんあのタイミングで退所とかもしないと思うんですよね。」
高校・大学の同級生「父と祐也さんの似ているところは…」
続いて、手越が少年時代によく遊んでいた横浜市・センター南駅でお会いしたのが…美容師の女川さん。
お父さんとの関係は…
女川さん
「高校・大学が一緒なんですけど(立教高等学校・立教大学)。
いや、いい男でしたね(笑)。結構やんちゃもしていたと思います。」
かつて別の場所で営業していた美容室に少年時代の手越も通っていた。
女川さん
「祐也くんが高校に入った頃にオーディションを受けるっていうので。
えっと、オーディションの写真とか髪型をやったんですけど。
そのもうちょっと前ぐらいから、ずっと切ってましたかね。」
お父さんと似ているところは?
女川さん
「お父さんは、あの比較的明るくて社交的で。根が柔らかくて優しいので。
(祐也くんは)いいところを受け継いでるんだろうなっていう気はしますけど。
弱音を聞いたことがないです。愚痴も言わないし、人の悪口も言わないんで。
(お父さんの)いいところを全て受け継いだように、今頑張ってると思います。」
職場の親友「顔はお母さん、性格はお父さんそっくり」
さらに、職場を共にした親友。一つ年上の家富さん。
家富さん
「(アパレル業界で)ブラウスのいわゆるバイヤー。アシスタントバイヤーだったんですよ。本当に女性にモテますよね。
彼が名古屋(支店)にいたのに(東京)本社に戻ったのもそれで(モテすぎて)戻ったんですよ実は。
で、やっぱり(東京に)戻った時には丸坊主になったんですよ。
で、今だったらパワハラだけど、「坊主にされちゃいましたよ」って笑って戻って。全然それ気にしないんですよね。
その噂って、本社にも全部広まるじゃないですか。
それでも本社の女性にモテるんですよ」
父と息子は似ていると思いますか?
家富さん
「お顔はね、お母さん似なんですよね。
性格とか行動はね、もうホントにお父さんそっくり。
ただね。彼はやっぱり上司とか上の人からね、ちょっと嫌われるタイプなんですよ。モテるでしょ。
彼はね割と上司に意に沿わないと反抗するタイプだったんで。
それで彼が理不尽なことは許せないっていう性格だったんで。
生き方の美学があるんですよ、本当に。我々が想像できないような持ってるんですよ。」
山崎育三郎「どうですか?初めて聞く話はありました?」
手越祐也
「いやでもそのモテすぎて転勤とか坊主は、僕聞いたことないっす。
どうなんすかね。たぶん柔らかく話してくれただけであって。あれなんすかね?やっぱ色々だったんですかね(笑)。
でも、モテるってことは女性が寄ってくるわけじゃないですか。
やっぱこう二刀流以上の…色んなやっぱ。で、お前は東京行け!って言われたんですかね?じゃないと坊主にならないですもんね」
山崎育三郎「でも、(お父さんは)理不尽なことは許せないから、上司にもバッと言っちゃうみたいな。」
手越祐也「はい。いやもうそれ、全く一緒なんで」
山崎育三郎「一緒ですか?」
手越祐也
「いややっぱその、それこそテレビ局のプロデューサーの方とか、事務所の偉い方とか。まあ、そんな逆らう人っていないと思うんですよ。
僕もう全然、自分のこのなんだろう。正義に反したこととか許せないこととかあったら、僕かなり言い返してたんで。
「何が悪いんですか?」とか。「なんでこれはこうなるんですか?」」
山崎育三郎「あ、じゃあ、まさにお父さんがいわれてたのと一緒」
井桁弘恵「さらに先ほどの皆さんに、お父さんが手越さんについて語っていたことをお聞きしました。」
山崎育三郎「何か聞いたことありますか?お父さんについて周りから」
手越祐也
「いや~。親父と色んなことを男同士話せるようになる前にもう離婚して。その前に亡くなっちゃったんですよ。
だから、僕が大好きだったお酒を一緒に飲んだ事もないし。
後にスーパーカー。僕も親父の影響で好きになって、乗れるようになるんですけど。そこに乗せてあげられたこともないし。
一緒にゴルフをしてあげられたこともない。
ちょっと離れ離れになってしまったので。分からないんですよね。」
父の息子・祐也さんへの思い「自慢の息子…祐也さんが生まれてから変わった」
2015年。肺がんのため、57歳の若さでこの世を去った手越祐也の父。
離婚後、離れて暮らす息子について語っていたこと。
同級生で、手越親子の髪を切っていた女川さんは…
同級生・女川さん
「ちょっと遠慮気味に(祐也くんの)ずーっと自慢をしてるっていうのが印象的でしたけど。
コンサートがこんなに良かったとか。そういうようなことは聞きましたけど。
だいたい言うことは、えーっと、祐也くんが自分とは違ってすごくなったことを喜びながら、このまんま上手くいってほしいという心配はしてましたね。
ずーっといいことばっかりじゃないっていうのは、もうみんな分かってるじゃないですか。
だから、なんかそういうことは心配してたのはあったような気はしますけど。」
同僚であり、親友だった家富さんが聞いていた言葉は…
同僚・家富さん
「祐也さんが生まれて歩き始めた時にですね。彼の家に豪華なコタツがあったんですよ。
角があるんで、もし万が一角で祐也が怪我したら困るから、捨てるにはもったいないからもらってくれ」つってね。それはすごく覚えてますね。
家族っていうのを大事にしてたっていう印象ですね。
それまで本当に遊び呆けてたんじゃないですか。ある意味。
祐也君が生まれてから、全然彼変わりましたので、ホントに。
「夢があったら叶えさせてあげたい」「自由に思ったことをやらせてあげたい」って言ってましたね」
手越祐也の叔母・和美さんが知る生前の父
叔母・和美さん
「実家に行くたんびに、兄の部屋を見るたんびに、祐也の雑誌だったり、ちょっとした記事だったり、どんどんどんどん増えていってたのを感じて。
“手越祐也”という言葉をビデオかなんかの検索に入れると、それを全部録画してくれるっていう機能の(テレビを)買って。
もうホントに祐也の(番組)はすべて見てたようでした。」
闘病中の父の姿…亡くなる前日まで仕事していた
叔母・和美さん
「何年か前からちょっと持病があったんですけど。
普通の人はもう無理です、立ってられませんっていう状態も、その中でも仕事もしてきてたみたいですし。
母が心配になって「病院に行こう」って言っても、「いやいやいやいや大丈夫」。
守らなきゃいけないものができたときに、物凄く力を発揮しちゃうタイプ。
で、入院した次の日には(肺がんで)亡くなってしまったので。
その時に、あのうわ言のように、自分の奥さん…元妻の名前を言って。「会いたい」っていう風に看護婦さんに。
それと「息子にも会いたい」みたいなことを言っていたらしくて。
ずっとそばにいたかったんだと思うんですね、祐也の。」
亡くなった後に分かった父のある行動の理由
叔母・和美さん
「(実家に)祐也が乗ってきた車を見て。
それまで兄は(祐也と)全然違う(メーカーの)車に乗っていたんですけど。
会った後、気が付いたらもう車が変わっていたので。
なんで変えたかとかは一切言ってなかったんですけど。
後から、「あ、祐也と繋がりたくて(同じメーカーの)車を変えたんだな」と思いました。
祐也にはもう感謝しかないと思います。
生まれてきてくれてありがとうって兄はすごく思ってると思いますし。
これからも、兄も私も私の家族も、みんな祐也を応援してますんで。
責任とか重圧とかすごいと思いますけど、(涙が溢れそうになり声が震える)あなたなら大丈夫です。頑張ってください。ごめんなさい(涙をこらえる)。応援しています」
父の話を聞いて思うこと…「人生楽しませてもらってるのは両親のおかげ」
山崎育三郎「俺がダメだ…。それで、いかがでしたか?お父さんの話」
手越祐也
「いや~、知らない行動もたくさんありましたし。
ねえ、僕自身は両親が離婚しようが、親父が亡くなろうが、やっぱ親父に対してのマイナスな感情とか、ふざけんなと思うとか、当時からなかったし。
小さい頃から色んな習い事をさせてもらったり、アクティブになんでも祐也がやることならって言ってもらえたっていうのが、今の自分の性格の根本を作ってくれてるっていうのは、ホント心から感謝してますので。
あの、改めて感謝しかないっすね」
山崎育三郎
「そのお父さんずっと「いいことばかりじゃない」「うまくいってほしい」ってずっと心配してたっていう話もありましたけど。
そういう言葉っていうのは、聞いたことありました?」
手越祐也
「いや、そうっすね~。まあでも、心配はしてたと思いますよ。
自分とたぶん性格が似てるからこそ、自分がそうしちゃうって分かると思うんですよね。
やっぱやりたいってなったら、ズドーンってやっちゃうし。
やっぱ味方も作るんですけど、敵も作るタイプ。
なので、心配してたんでしょうね。」
山崎育三郎
「お父さんの思いを聞いて。最後お会いできなかったってところもあると思うんですけど。なんか伝えたい事ってありますか?もしお父さん会えたら」
手越祐也
「今ね、叔母が言ってたように、入院したって聞いて。翌日ホント亡くなったんですよ。
母親から電話かかってきて「パパが亡くなった」って言われたんで。
その、「ありがとう」も言えてないし。
何も言えてないで別れて行っちゃったんで。
やっぱそれは、唯一の後悔ですね。
また次生まれ変わっても、手越祐也として僕は生まれたいぐらいこの人生楽しましてもらってるのは、やっぱ両親であり、親父のおかげなので。
それは伝えたいですしね。やっぱそれはもう一番に。はい」
今後について
幸せそうな姿を見せることが恩返しになる
山崎育三郎「今後どんな自分を見せていきたいとかありますか?」
手越祐也
「う~ん。でもそれは、今VTRに出てきてくれた親父を知る方もそうですし。
自分の母親も亡くなった親父も叔母もそうですけど。
やっぱ僕自身が楽しそうにテレビとかの前で活躍をして、好きな歌歌ってたりとか、いろんな活動をしてるっていう幸せそうな手越祐也の姿を見せることが、たぶん親父にとっても周りの方にとっても一番の恩返しになると思うので。
一度きりの人生後悔しないように。楽しそうに。楽しく突き進んでいくっていう恩返しをしていきたいですね。」
井桁弘恵
「逆に手越さんがもしお子さんとかできたら、すごい最強の遺伝子を継いだメチャクチャポジティブでメチャクチャかっこいいパパになるんだろうなっていうところまで、なんか想像しちゃいました。そのお父様からの血を想像して」
手越祐也「おお~嬉しいそれは。嬉しいですね。僕子ども大好きなんで」
山崎育三郎「新たな気づきみたいなのってありました?」
手越祐也
「気付きですか?気づきは…あ、やっぱそうっすね。
親父はやっぱりしっかりモテて。で、何かしらの問題を起こして坊主になったんだなっていうのが、一番の気付きでしたね。(笑)
やはり、俺はあの人の息子だと思いましたね(笑)」
