V6としてデビューしたのは、今から30年前、19歳の時。
そして、2021年のV6解散を経て、事務所(STARTO ENTERTAINMENTの)取締役も務めたが、今年から再びタレント活動に専念。
山崎育三郎「取締役も退任されたということですが、生活は変わりました?」
井ノ原快彦
「変わったかもしれませんね。あと、気持ちが変わったかもしれないっすね。
うん。急にだからその、裏方さんの素晴らしさというか。
「あ、こんなにやってくれてたんだ」みたいなことをすごく感じた数年でしたけど」
井ノ原快彦さんの素顔を知る人たちにインタビュー
① 松岡昌宏さん 13歳の時に出会った同級生
山崎育三郎「同級生なんですか?」
井ノ原快彦
「同級生なんですよ。はい。
男同士で13歳の時に会ったら、やっぱ喧嘩もするし」
山崎育三郎「松岡さんとそういうのありましたか?」
井ノ原快彦「松岡と一番喧嘩したかもしんないっす(笑)」
質問①松岡さんだからこそ知る、意外な一面は?…ヤンチャ、頑固、一度決めたらその道を進む
松岡さんの回答
『子供の頃、一緒にスケボーやってる時なんかは、井ノ原もまぁまぁヤンチャだった。
俺の知っている男の中でも、上位にいる頑固もん!
一度こうと決めたら、周りが何と言おうとその道を進む。
多分、親父さんに似たのだと思う(笑)』
山崎育三郎「ヤンチャだったんですか?」
井ノ原快彦
「ヤンチャですよ。だって、13歳で出会ってるし。
僕らの時代って、ビー・パップ・ハイスクールとかが流行ってて。
周りの人たちがそういう人が多かったんですよ。ヤンキーと呼ばれる人だったりとか。
そういう人たちがいる中で育ってるから。
割と僕、普通のつもりだったけど。
まあ、今の時代で考えたら、ヤンチャだったのかもしんないですよね」
井桁弘恵「イメージが全然ないですけど」
井ノ原快彦「頑張ってそういうの消してきたんですよ、僕は。(笑)そういう部分は」
山崎育三郎「あ、そうだったんですか?」
井ノ原快彦「頑張って消してきましたよ」
山崎育三郎「あと、お父さんに似て頑固なとこあるみたいなことおっしゃってましたけど」
井ノ原快彦「いや~、彼にそんなこと言われるとは思わなかったですけどね」
離婚し、1人で育ててくれた父…厳しかった
山崎育三郎「それ松岡さんがお父さんの名前出るっていうのは、お父さんとのかかわりがあるんですか?」
井ノ原快彦
「ご自分でも言ってるのであれですけど。
(松岡は)母子家庭だったので。あの、よく家に遊びに来てましたね。
で、なんか、「あ、家族ってこんな感じなのかよ」みたいなことを言ってくれてて。
まあ、ウチの父親も彼がちょっと悪さすると、ちゃんと叱ったりとかしてたようなので(笑)」
山崎育三郎「お父さんってどんな方なんですか?」
井ノ原快彦「今となっては、もうホント優しいですけど。厳しかったですね、すごく。」
井桁弘恵「でも、そのヤンチャしてた時は、怒られたりもじゃあしたりしてたんですか?」
井ノ原快彦「してましたね。10歳ぐらいの時に、ウチは親が離婚してるので。
なんかこう、反発の気持ちが僕にもあったんだと思うんだけど。
結構なんか、そこは受け止めてくれてたような気がしますよ。」
井桁弘恵「なんか似てるところってあるんですか?お父様とは」
井ノ原快彦
「いや~…どうだろう。なんとなく、「あっ、同じことやってる」っていうのが、無意識だけど、やってることがあるなぁと」
井桁弘恵「へえ~。それを感じることがある?」
井ノ原快彦
「うん。なんか喋り方だったりとか。お酒の飲み方だったりとか。なんかすごく父親っぽいなぁって。」
② お父さんにアンケート
質問①昔はどんなお子さんでしたか?…とにかくかわいかった
お父さんの回答
『とにかくかわいかった。
小6の夏休みに、品川からママチャリで秋川渓谷にキャンプへ。
音を上げることなく、ペダルを踏んでいたのが、健気でかわいかった。
寒かったので抱いて寝たが、これが最後のかわいかった思い出。
その後は、急速に大人びて、かわいくなくなった!』
井ノ原快彦「自転車で2人で行ったんですよ。」
山崎育三郎「あ、お父さんと2人で行って?」
井ノ原快彦「はい。ホント無計画な人で。テントだけ持って行ったの。自転車にくくりつけて。
勝手にですよ。“僕はそろそろ芸能界入りするんじゃないか”みたいな。勝手な思い込みがあって。
「今のうちに行っておかないと、行けなくなるぜ?」みたいなことを言ってるの。
で、父親も、「じゃあ行こうぜ」みたいな感じで」
山崎育三郎「今しか俺といけないよって?」
井ノ原快彦「そう。「行けなくなっちゃうよ?」って。」
山崎育三郎
「でも、切ないね。お父さんとしては。6年生最後。こうやって(隣で抱きながら寝て)さ。
“もうこういうことできないんだ…”ってね。成長していく。
その気持ち分かったりします?」
井ノ原快彦
「分かるよ。だから、父親にね、「子どもってどうしたらいいんだ」って最初聞いたことがあんの。
「もし何もできなくても、風呂だけは入れてあげろ」って言ってた。
「なんで?」つったら。「めっちゃくちゃかわいいから」って。
「お風呂に赤ちゃん入れるのは、本当かわいいぞ」って。
「あ、そういうものか~」って、思ったけど。
「あ、それって俺のこと?」って、そん時ちょっと思ったね。うん」
③地元の大親友・村松さん 井ノ原さんの結婚式で、友人代表スピーチをした30年来の大親友。
20歳~21歳 毎日のように遊んでいた
(VTRで登場)
村松さん
「海に行ったりした時は、よくお弁当を作ってきてくれるんですよ。
それが僕大好きで。おにぎりとか唐揚げとか卵焼きとか。
結婚式の最後に、ヨシ(井ノ原)の親父に、「シュウありがとう」って。
で、2人で抱き合って泣いたの覚えてます。うん。
どんだけいいスピーチしたんだと。自分だと(酔って)覚えてないですから、僕。」
知り合ったのは、V6デビュー直後
村松さん
「で、僕が初めて(井ノ原に)会ったのは、地元のジョナサンっていうファミリーレストランで。
それが僕、20歳か21(歳)ぐらいですね。
ダーツ、ビリヤード、ボウリング、卓球。
ホント毎日のようにですね(遊んでましたね)。
だから、当時V6の(デビューした)あの時代ですから」
井桁弘恵「ていうか、デビュー後にジョナサン行ってたんですか?」
井ノ原快彦
「行ってたのよ~。ジョナサン大好きでさ(笑)。なんでもあるからさ。
教習所で、地元の同い年って言ってるやつがいて。
「電話番号教えてよ!友達になろうぜ!」って言われたの。
嫌じゃん、そんなの。
で、嘘の電話番号教えようかなと思ったの。
そしたら、「今電話すれば嘘かどうか分かるからな!」って言われて。」
山崎育三郎「シュウさんすごいな」
井ノ原快彦
「で、それはシュウじゃないのよ。違うやつで。
まあ、教えたの。まあ、いいやと思って。
で、その地元の奴らと遊んでたの。
で、ある時、ジョナサンでご飯を食べてたら、シュウが来たんですよ。
「こいつシュウだよ」って紹介されたのが最初」
体力バケモノ…丸々3日寝なかった時も
若かりし日の井ノ原は、今の穏やかさとは程遠く…
村松さん
「突拍子も無いことしますよね、結構。
(一緒に)飲んでて。まあ、アイツの方から「シュウ明日休みだろ」と。「九州行かないか?」と。
でもまあ、僕も酔っ払った勢いで、「ああ、全然いいよ。全然いいよ」つって。
まあ、で、「お疲れ~」って言って帰って。
そしたらもう、朝っぱらからですよ。電話がすごいなるんですよね。
まあ、電話出たら。「ああ、どうした?どうした?」。
(井ノ原が)「シュウ、もう今家の下だよ!」つって。
「は?」つって。「いや、鹿児島と熊本行くって言っただろ!」。
「お前、それマジで言ってんの?」。
顔だけ洗って服着て。そのまま羽田空港行って。行った覚えありますよ。
やるなこいつと思いましたね、その時」
スタッフ「体力バケモンですよね?」
村松さん「いや、バケモン。若い時から(体力)バケモンでしたね」(笑)
山崎育三郎「メチャクチャ忙しい時期ですよね?」
井ノ原快彦「メチャメチャ忙しかったけど。体力だけはあった。
ライブ4回公演の後に、「シュウ遊ぼうぜ」つって。朝までバーベキューやって(笑)」
井桁弘恵「全然じゃあ、寝てなかったですか?」
井ノ原快彦「寝てなかった!寝てなかった!」
山崎育三郎「どれぐらい寝てないんですか?」
井ノ原快彦「丸々3日とか寝てなかった。うん」
山崎育三郎「それ、バーベキューを朝までやって。そのまま現場行って」
井ノ原快彦「現場行って。またライブやってとか」
山崎育三郎「それどれくらい続くんですか?その、そういう生活っていうか」
井ノ原快彦「でもね。これ限界だなと思ったのは、3日でしたね。
3日間寝ないで。たぶん、丸々27時間ぐらい寝たんじゃないかな、その後」(笑)
山崎育三郎「ああ、もう3日寝ないでやって」
井ノ原快彦「うん」
山崎育三郎「「明日いきなり九州行こう」っていう。
そういうのやっぱりお父さんに近いんじゃないですか?」
井ノ原快彦「ああ!ホントだね!いまだにでもそう。ホントに。
“明日石垣島行けんじゃないか?”とかって思ったら、「行こうぜ!」ってみんなで行っちゃったりとかして」
④俳優・吹越満さん「朝の生放送があるのに、朝4時まで飲んでいた」
「特捜9」シリーズで共演したのがきっかけで、20年来の付き合い
(VTR登場)
プライベートでは、昼から新橋の立ち飲み屋に集まり、夜中まで飲み歩くことも
吹越
「「暇だったら、ウチに飲みに来ない?」つって、いつだっけ言ったことがあって。
人の家に遊びに行く時って、ワイン1本とか、自分が飲む缶ビールとかそんな感じじゃないですか。
えっと、イノッチはね、生ビールサーバーを持ってきた。
そういうちょっとスケールの大きいところもある。
NHKの朝の番組やってたことあるでしょ。あさイチ。
僕とイノッチと有働(由美子)さんと飲んでたことがあるんですよ。
(朝)4時ぐらいだったと思うんですけど、平日ですから。
(このあと)生(放送)ありますよね。
「有働さんもイノッチも大丈夫なんですか?」つったら、(イノッチが)「大丈夫!大丈夫!」つって、あの~飲んでました。(笑)
一番心配したのは俺だったみたいな」(笑)
井ノ原快彦「今でも忘れられないのが、(僕が)「大丈夫ですよ」。
(吹越さんが)「不良だよ!お前は不良だよ!」って言って。(笑)」
⑤バラエティ番組『学校へ行こう!』のディレクター和田英智さん
人と人とを繋げる天才
和田さんにアンケート
①すごいと思った一面は?
『制作人と話す時は、基本的にイノッチが6人の意見を代表して発言してくれます。
“人と人とを繋げる天才”で、地元のたまり場みたいな居酒屋に招待してくれて、自分の仲間に紹介してくれました。
正直、あんなに個性の強いV6のメンバーたちが、空中分解することなく26年間走り続けられたのは、イノッチの持つ“人と人を繋げる能力”の賜物だったと思います。』
井ノ原快彦
「それこそ、さっき出てたシュウ(松岡さん)とかも、学校へ行こう!のスタッフと一緒によく遊んでたし。V6のこともみんな知ってるし。
みんな一緒!にしちゃうみたいなのは、すごく好きだったから。
みんなで浜辺でバーベキューやって。じゃあ、俺の地元の友達が「未成年の主張をやります!」とかって言って。すごいなんか青春の(笑)」
松岡昌宏さんに会うまではすごく引っ込み思案だった…年齢が離れているV6メンバー
山崎育三郎「ご自身でそういう感覚はありますか?6人を代表してっていうか、まとめるっていう」
井ノ原快彦
「いや~。ないっすね。
それこそ、松岡昌宏に会うまでは、すごく引っ込み思案だったんですよ。
で、彼に会って、初めてその「あ!こういう人との付き合い方があるんだ~」「あ、こんなに明るい人がいるんだ~」と思って。すごく勉強になったのを覚えていて。
そっから…で、V6は、わりとその前に前に出る人がいないんですよね。
だから、「どうぞ どうぞ」っていう人たちが多いから。
そういう時にはちょっと、松岡節を拝借して、まとめるみたいなことはやってたかもしれない。」
井桁弘恵「ああ、じゃあ、大きな喧嘩みたいなのには、あんまりなってない…?」
井ノ原快彦
「何回かあったよ。あった。うん。だってやっぱさ。
僕なんかも19(歳)から一緒にいて。その時岡田(准一)が14(歳)とかだったかな。
(※井ノ原19歳の時、坂本昌行24歳、長野博23歳、三宅健16歳、森田剛16歳、岡田准一14歳だった)
坂本(昌行)くんが24(歳)でしょ。10(歳)離れてるわけよ。
そう考えると、こうなかなかまとまりにくくて。
例えば、僕が空回りしてたら、ここ(最年長坂本)とここ(最年少岡田)が話すじゃないですか。
「なんかあの人大丈夫かな」みたいな。
僕は意図してないけど。そういうことがあったかもしれないね。うん。
だから、いいバランスだったんだと思いますよ」
山崎育三郎「10代からずっと一緒にやってきた仕事仲間でもあり。どんな感覚ですか?今」
井ノ原快彦
「家族みたいなもんだと思うんですよ。
関係ないとか切れるっていうことはないでしょ、もう。
解散する時は、「健康だけには気をつけよう。人間ドック行きましょう」と。
「しあわせであればいいから」っていうことをみんなで言い合えたのが良かったなぁと思いますよ」
⑥米谷ご夫妻 秘密基地近くに住むご近所さん
自由に色んなものを作れる公園
スタッフ「(井ノ原さんが)打ち合わせで、「お2人の子どもになりたい」とおっしゃってて」
米谷さん夫「何をアホなことを(笑)」
年越しも共にする家族ぐるみの仲
数年前から、心安らげる場所として、自宅とは別の秘密基地を作り始めた井ノ原。
そのご近所さんが米谷ご夫妻。
米谷さん妻「ここに来ると、色んなものが忘れられるのかな。
おひとりでいらっしゃることも割と去年とか多くて。」
米谷さん夫「(1人だと)どうしても自分でご飯とか作ったりするのは大変だから、食べにおいでよつって。で、ついでに風呂も入っちゃえよ。(笑)」
米谷さん妻「次の日「朝ごはん食べちゃいなよ」って(笑)」
山崎育三郎「この秘密基地って、何で作ろうと思ったんですか?そもそも」
井ノ原快彦
「なんでだったんだろう。7~8年前にちょっと土地を探して。
なんか、自由に色んなものを作れる公園みたいな欲しいなって思って。
そんで、探してったんですよ。
で、たまたま見つかって。
僕、団地っ子なんですよ。
団地でも3つぐらい秘密基地持ってたのね。
「俺の秘密基地だ!」みたいなやつを、友達と3つくらい作ってたの。
「これ壁にしよう」とか。「これ引き出しになんか宝物入れようぜ」とか」
井桁弘恵「もう子どものころの夢をじゃあ今叶えてるみたいな?」
井ノ原快彦「そうだね。ちょっとだけ、規模を大きくしてる感じだね」
米谷夫妻と出会ったきっかけは…
米谷さん夫「まあ、私が庭いじりが好きなんでやってる時に、あの井ノ原さんのお子さんが、まあ道路でね、遊んでたんで。
「(ウチの庭で)遊んでいいよ」と言ったら来てくれて。
米谷さん妻「(井ノ原さんが)いないなと思ったのか…」
米谷さん夫「井ノ原さんが捜しに来たんですね(笑)
1対1で、(子どもと)いい付き合い方してるなと思いますね」
⑦お父さんからのメッセージ~幼少期からデビュー、現在の姿を見ての思い~
勉強にはアレルギー&芸能事務所からの葉書は夢への招待状
お父さんからのメッセージ
『子供の頃の快彦は、確かに「勉強」という言葉には強烈なアレルギーを示しておりました。
しかし、野球や友達との遊びには異常な集中力を発揮し、無駄に過ごしているようには見えませんでした。
今思えば、あの頃から「現場主義」だったのかもしれません。
ある日、我が家に芸能事務所から一枚のはがきが届きました。
芸能界の「げ」の字も知らない親としては、「これは新手の詐欺では?」と、会議が緊急招集されました。
「隠してしまえ!」という過激派意見も出ましたが、最終的に“民主的な審議”の結果、しぶしぶ本人に見せることに。
その瞬間、快彦の目が輝きました。
まるで”夢と希望の招待状“でも届いたかのように、嬉々として事務所へ。
それからというもの、携帯電話など影も形もなかった時代、急な連絡が入ると、近所を走り回って快彦を捜すのが日課になったようです。
その結果、彼の「秘密基地」が軒並み発見され、我が家の平穏な諜報活動は終結しましたが、その後も創作活動は、メガホンと自転車でしばらく続きました。
さて、そんな彼が「芸能界で生きていく」と言い出したときは、正直、心細いにもほどがありました。
ただ、あまりにも真剣だったので、「そこまで言うなら、やってみなさい」と送り出しました。
とはいえ、念のため「30歳くらいまでに大学だけは卒業しなさい」と”保険の一言“も添えました。
そして1995年、デビュー。
初めてコンサートに行った時には、ペンライトの海に飲み込まれ、感激のあまり「全員にお礼を言って回りたい!」と思ったものです。
その後もたくさんの方に支えられ、ここまで活動を続けてこられたのは、奇跡というより“皆さまの愛の総力戦”だと感じています。
そんなある日、高校を卒業するために再入学し、初めて「机に向かう快彦」というレアな光景を目撃しました。(井ノ原さん(笑))
学友にも恵まれ、無事卒業した時には「おお、やるじゃないか!」と素直に拍手。
「約束を果たしました!」という報告に、「いや…約束は“大学”…」と一瞬頭をよぎりましたが、あの満面の笑顔を前にすると、「よく頑張ったな」としか言えませんでした。
今では、メンバーや友人、先輩方との関わりの中で、どんどん人間的に成長しているのが分かります。
立派になったように思います。
親バカを承知で言えば、もう大学なんて必要なかったのかもしれません。
(本人もすっかり忘れているようですし…)
芸能の世界はなかなか大変そうですが、松岡君の予想を裏切り、親の心配もただの杞憂に終わってくれればと、今も変わらず願っているところです。』
井ノ原快彦
「ありがとうございます。嬉しいですねこんな長い。
親側からはこんなにいっぱい覚えてたんだと。
どういう風に思ってるんだろうとか、自分の夢のためにはもう関係なかったっす。
正直、親の気持ちとか。
だけど、やっぱり今自分もそうやって、どっかに送り出したりとかね、する気持ちもわかるので。
ファンの皆さんやスタッフの皆さんへ感謝しているっていうのも聞けて良かったし。
それは、僕も同じ気持ちなので。うん
なんっすかね。ちょっと、初めてこういう手紙もらうから、ちょっと動揺してるんですけど。ええ。
ずっと健康でね、過ごしていければいいけど。
ある日突然なんか…あの、お別れする人もいるじゃん。(涙声になる井ノ原さん)
だから、なんか…(涙が溢れそうになる)いつも、この2人もそうだけどさ、分かんないじゃん。最後かもしんないじゃん。
だから、最後だと思って生きてんのね。(涙声で話す井ノ原さん)
親からこういう手紙をもらえたり、吹越さんとか米谷さんとかシュウとかね。
生きててもこんな言葉もらえないよね。
ここに携わってくれた人たちに、本当にありがたいなと思って。
こんなに自分が今までにないぐらい感謝できるんだなぁと思って。
そういうとこに、気づきがありました」
山崎育三郎
「今日最後に、僕が井ノ原さんの写真を撮らせていただくんですけど」
井ノ原快彦「ああ。泣いちゃった…(笑)」
山崎育三郎「今日の色んなお話を踏まえて、こんな自分を撮って欲しいとかありますかね?」
井ノ原快彦
「え~?どうしたらいいんだろう…(笑)
こんな自分?やっぱ笑って過ごしたいので、笑ってる自分を撮って欲しいですけど。
ここから先、なんかいい風に乗って、生きて行けそうな気がしました」
