デビューの経緯
レースクイーン→グラビア→テレビのオーディション
若槻千夏
「私もオーディションで受かってTV出たんですよ。
最初は、私元々最初はレースクイーンなんです。
レースクイーンやって、その後にレースクイーンのままグラビアやって。
で、当時って、グラビアアイドルで売れたらテレビ出れる時代だったんですよ。
で、それで売れ始めて受かって初めて出たテレビが、「キャイ~ンスタイル」っていうTBSのキャイ~ンさんの番組で。
※キャイ~ン式(01年~02年)…キャイ~ンがMCを務めたTBSの深夜番組。毎回違ったロケ企画を行っていた
そのオーディションが、ウド鈴木さんの本名が「鈴木任紀(ひでき)」じゃないですか。
「第2のヒデキの妹オーディション」っていうので。
※第2のヒデキの妹オーディション…ウド鈴木の妹を探すというコンセプトでオーディションを行い、グループを結成した企画
ウドさんの妹を見つけようっていうので。
まだ全然テレビ露出してないグラビアアイドル集めて、オーディションされて、それで受かって。
なので私一番最初に出たのが、ウド鈴木さんの妹オーディションでテレビデビューです」
事務所で一番最初に入ったタレント
渋谷の109前でスカウト
有吉弘行「え、この時はもう事務所入ってる?」
若槻千夏「入ってます」
有吉弘行「(芸能事務所)プラチナムで一番偉かったじゃん?」
若槻千夏「一番最初に入ったタレントです」
有吉弘行「最初に入ったから、偉かったんだ」
若槻千夏
「もうあのもともと、プラチナムが誰も所属タレントがいなくて。
で、私が(渋谷)109の前でスカウトされて。
で、一番最初に入ったので、所属タレントゼロでした」
有吉弘行
「そうなんですね。それであそこまででかくなっていくんだね。なるほどね」
(現在のプラチナムの主な所属タレント…東原亜希、小倉優子、筧美和子、谷まりあ等)
最初の給料は一カ月7000円でバイトNG
有吉弘行「え、給料制?」
若槻千夏
「一番最初は、給料制ですけど。
一番最初レースクイーン時代は7000円でした、月」
有吉弘行「月7000円!?」
若槻千夏「月7000円」
太田光代「月?ああ、そう」
若槻千夏
「で、あの当時もうたぶんうちの事務所だけじゃなくて、全グラビアアイドルの話なんですけど、バイトNGなんすよ」
太田光代「ええ⁉」 ウエストランド井口「ええ⁉どうすんですか」
若槻千夏「だから、仕送り!親の仕送りで」
有吉弘行「ええ⁉」
太田光代「ゴハンとかは食べさせてもらったの?」
若槻千夏
「ゴハンとかは、あのマネージャーさんとか社長が食べさせてくれたりして。
でも、さすがに携帯が(料金払えず)止まったりして。そうなんです。
だから私は、事務所に内緒で、あの朝清掃のバイトだけ。はい。やってました」
スタッフ「最初の芸能界のきっかけは、そういうモデルさんとかレースクイーンで…」
忙しすぎて10年休む
1日8本!2年間1日も休みなし…理由を付けて海外へ
若槻千夏
「で、私10年くらい休んでて。
だから、私「仕事に疲れて一旦休む」。
あのーまあ所属タレントが私しかいないっていう事務所だったんで。
運良く売れたときに、本当に1日8本ぐらい仕事をしてて。
だってグラビアってあれ、なんか表紙になると売れてる感すごいじゃないですか。
あれはなんか宣伝の期間だから、ギャラもらえないんですよ、ほとんど。
ほとんどもらえないんですよ。あんまもらえないです」
有吉弘行「結構、全雑誌やってるぐらいやってたよね」
若槻千夏
「はい。ヤンジャン(=ヤングジャンプ)とかもやらせてもらって。
で、なんかすごい細かいモノクロページの取材とかも含めて1日8本ぐらいやっていて。
で、なんかあのバラエティーのあのレギュラー3本撮りした後に、ちょっとしたドラマに出て。
で、そこもやっぱね、新人だから全部ちゃんと覚えてかなきゃいけないしっていうプレッシャーも全部あったりして。
それがなんか積み重なって。
それで私2年ぐらい1日も休みなかったんですよ。
それでもう1回…「あ、もうダメだ。このまま働いてたら疲れちゃう」と思って。
で、「休む」って言ったら、まあちょっとずつ仕事入れられちゃうから。
もう「海外に行く」とか何か「国を出なきゃ」と思って。
っていうので、国出る方法で。
当時から服が好きだったんで、「古着のバイヤーをしに行きます」っていう宣言をさせてもらって。
で、お休みいただいて海外に行くんですけど」
再びテレビの世界へ
テレビ復帰のきっかけはクマタンの密着
その多忙さから一度仕事をセーブしていた若槻さん。
その後、ビジネスで成功をおさめ、バラエティへの復帰を考えていたそうですが…
若槻千夏
「まあでも、やっぱ(日本に)帰ってきて、やっぱTV見て。
メチャクチャやっぱ、なんかこう「(TVに)出たいな」っていう気持ちにもう1回なっちゃうというか。っていう。
でも、どうしよっかな?出ようかな?みたいな時に、えっと、クマタン。キャラクターのクマタンっていうのを作ってるんですけど。そのクマタンの密着の…密着したいっていうテレビのオファーが来て。
なんか「昔あの旬だった芸能人は今何してんのか。副業で稼いでんのか」みたいな密着してもらって。
復帰1発目が有吉さんのラジオ…オール下ネタ!
そしたらなんか、「あれ?若槻、TVもう1回出るのかな?」みたいな空気が芸能界にあって。
で、それで1発目にきたオファーが有吉さんのラジオ(2016年1月)。
あれ、いまだにみんなにあの時のラジオのこと言われるんですけど。
復帰しようか?しないか?分かんない。どんな感じなんだろうなっていうので。
たぶんそれディレクターさんが呼んでくれて。
行ったら、クソラジオ!!下ネタ。オール下ネタ!!
復帰もしてないのに、すっごい下ネタばっか言わされて。
でもそれで、あ、なんか有吉さんがこうやってイジってくれる。イジっていいんだこの人まだみたいな感じで、周りが私の扱い方をなんとなく再認識してくれて。
っていうので、またテレビにちょいちょい呼ばれてっていう感じですね。
だからホントに、嫌でしたけど、ありがたかった!!」
有吉弘行「それでもうね。今はバンバン(テレビ出てる)から。」
有吉弘行さんと共演した思い出
有吉さんのカッコいいワイプの一言
若槻千夏「有吉さんって、私結構ひな壇一緒だったの覚えてます?有吉さんがMCやる前ぐらいの時、ひな壇結構一緒で。
で、そん時に、結構ね、有吉さんって、そのワイプをなんかあんまり声張ってやるタイプじゃなかったですよね。当時から。
で、私すごい印象だったのが、なんかカリスマに密着するみたいな。
当時カリスマって言葉がはやってて。
なんかそのVTRを見てて。
「へ~すごいカッコイイな!」ってだいたいのワイプってね?声張って言うじゃないですか。そしたら有吉さんが隣で「みんな誰かのカリスマなんだよ」ってちっちゃい声で。
それがもう私、私にしか聞こえないぐらいの感じで、「みんな誰かのカリスマだろ」ってことを言って。
「メチャメチャカッコいいじゃねぇか!」と思ったの。
そう。覚えてないと思うんですけど。
私はなんかそれがすごい。
全然ワイプやらないのに、私にだけ刺さったんですよ」
有吉弘行
「あっ、そう。でもその後ぐらいからどんどんひな壇頑張るようになってって。
最終的に円楽師匠から、「お前、うるせぇな」っていう。
めっちゃ怒られる所までいって、そこからまた静かに(笑)
めっちゃ怒られた」
本当に大変だった『帰れま10』の思い出
若槻千夏「(テレビ番組)『帰れま10』とかも一緒に出ましたよね。覚えてます?」
※『帰れま10』…人気チェーン店に行き、人気ベスト10に入ってると思われる商品を予想し、ベスト10全てを当てるまで食べ続けなければならず、帰れないという番組。
有吉弘行「帰れま10…しんどかったなぁ?もう…いまだに嫌だわ」
若槻千夏「餃子の王将です、たぶん。私有吉さんと」
有吉弘行「うわっ…一緒だった?」
若槻千夏
「一緒で。なんかディレクターさんに「女性はそんなに食べなくて大丈夫です」って最初に事前打ち合わせでされて。
あ、じゃあみんなより半分ぐらいの量でみたいな感じで打ち合わせ終わって。
本番始まって、「じゃあみんなでこれ食べましょう」って言ったら…。
で、私ちょっとだけ取ったんですよ。
そしたら、有吉さんが「男女平等だろ!!」(笑)
そう。男女平等だろ!。一番早い。平等…一番早かったっす。
「男女平等だろ!!」って言って、私同じ量食べさせられたんですよ。ずーっと。マジで。(笑)
でもあれ…あれ大変でしたね」
有吉弘行「大変だった。もうホントに大変だったね」
若槻千夏
「タカトシさんが朝の8時に日テレ入りなんすよ。
だから、夜の9時に始まったんですけど、「朝の8時がケツです」って言ってましたもん。
だから本当に終わるまで帰れなくて」
有吉弘行「大変だったね。帰れま10はね」
若槻千夏「リアルでしたね」 有吉弘行「あ~リアルだった」