【あちこちオードリー】ゲスト 芸人ハリセンボン(2024年6月放送)

菜の花 お笑い芸人

あちこちオードリーに芸人ハリセンボンさんとタレントのベッキーさんが登場しました。ベッキーさんとハリセンボン春菜さんは大の仲良しで、2024年1月から同じ事務所に所属しているそうです。

若林「いつぐらいからテレビ出てるの?ハリセンボンは」

春菜
「2004年デビューなんですけど、2005年くらいから。オリラジが一期下でぐわっといったので、その影に隠れてぬるっと」

ハリセンボン年表
2004年 デビュー
2005年 レギュラー番組が決まる
2007年 M-1決勝進出
2009年 M-1決勝進出
はるか 肺結核で入院
2012年 春菜 上半期テレビ番組出演本数1位
2022年 はるかIPPON女子グランプリ 総合優勝
2024年 新事務所に移籍

 

ハリセンボン春菜さんは最初のころはるかさんと心の距離を感じていたそうです。その心の距離が縮まったきっかけ、春菜さんが今の性格になったのはこのコンビだったから?、休日はエゴサーチといったエピソードについて語りました。

 

はるかさんの感情が分からなかった

分からない

ハリセンボン春菜さん
「はるかって私も数年…最初の頃ほんとに感情分からなく
テレビでキャバ嬢の人と初めて会うけど口げんかしないといけないみたいな時に、キャバ嬢に言い負かされて泣いたりとか。でも他のつらいことでは泣かないとか。
その泣きスイッチがよくわからなくて。
だからこの20年位一緒にいるようになって、だんだんこの人今こう思るんだろうなとか分かるようになってきて」

オードリー若林さん
「いや、だからそういうのあるよね。20何年でようやくわかることって。
いや、それだけで何もムカつかなくなるものなんだなと思ったんだけど。

なんか俺たちのためにやってくれた人とかに、感謝とか全然しないし。だからまあ、俺は今更どうでもいいんだけど、ネタ書いた時に、一度もないのね、書いてきたことに対してなんか言われたことが。面白いとか、これいいねとかさ。ゼロなんですよ

ずっと腹立ってた期間があったんだけど、なんか「見えないんだ」と思ったらなんか楽になった。なんかメガネって外したらぼやけるじゃん。人の感謝がこうぼやけて見えない。見えてるのに感謝しない人間だったら腹立つじゃん。だけどなんだろう、解像度が低いから人の感謝に。こういう(見えない)状態で人の感謝見てるから、あのしょうがねえなって思う。だからもう全然なんとも思わなくなった。

で、見えてないが故の強さもあるじゃん。逆に言えば、プレッシャーとかも見えてないから。
挑戦物めっちゃ強いから、トレードオフでちょうどいいなみたいな。
だから20何年でやっとわかること。」

春菜
「この前もね、本当にちっちゃなことなんですよ。
ネタ合わせをしたくって、でもネタ合わせを仕事と仕事の合間にしたくって、で、お互い違う仕事をしてて、集まって仕事があるから時間制限がすごくあって。

私が最初にネタ合わせする場所に来てて、はるかは遅れてくる。今この場所出たよみたいな連絡をくれてて。で、結構かかってたんですよ。かかってるなまあそうかと思って。そしたら来たときに、「お腹すいて日高屋寄っちゃった」。言われたんですよ。

で私はなんかこう一言欲しかったんですよ。ひとことちょっと「お腹すいて日高屋寄るわ」とかあったら、ちょっと遅いなあとかならなかったなと思って。それが気になりすぎて、ちょっと言ったんですよ。そしたら「私は日高屋も寄っちゃいけないの?」みたいになって。
ラーメンなんて10分~15分だよ?それもいけないの?」ってなって。

行くなじゃない。お腹すいてるの分かるし、むしろはるかが食欲出てるなんて嬉しい。嬉しかった。でも一言くれたら、その分遅くなってんだなとか。
でもはるか感覚は、コンビニ寄って買うのと同じくらいの時間だから、言わなくていいだろう。

これは感覚・価値観の違いだな。しょうがないな。とは思ったんだけど。

まさか20年目くらいで、そこで言い合うとは。日高屋で」

 

このコンビでなければ性格違ったかも…

若林「今の時代は楽しいの?」

ハリセンボンはるかさん
「楽しい所はありますけど、どっか私の場所じゃないような気がするっていうのもちょっとありますね」

若林「すげーわかるよ。他校のギャルの高校の文化祭行くときみたいな。
俺はいつもそう。テレビ局入る時。一回結界の中入るから息止めてから入らないと

 

春菜
このコンビじゃなかったら私もちょっと性格違うかもなと思ってます。
もともとめっちゃ学生の時人見知りなんですよ。
なんで、はるかがまず私よりも人見知りだったりとかしたから、コンビのバランスとして、しかもツッコミだし、行かなきゃっていうので性格が変わっていったんですよ。」

はるか「嬉しいですね。私が春菜を育てた。」

若林「そうなるよね」

春菜「育てたとかじゃないのよ。そうせざるを得なかったの」

 

入院によって縮まった心の距離

病院

春菜
「はるかの入院だったりとか、なんかそういう転機ありますね。その精神的な転機」

はるか
「なんか入院中に春菜が、それまではなんかちょっと二人の距離を感じてたんだけど、入院中にお見舞いに来てくれた時に2人でしゃべって、それでなんか初めて対等になったみたいなこと言ってて。私も知らなかったです。」

春菜
「なんかその養成所時代って漫才しかやらなかったんですけど、私もともとはボケをやりたくて入ったんですけど、そのはるかと組んだことによって、私の方が声がでっかいからツッコミになったんですよ。でツッコミの仕方が本当に分からなくて、(はるかが)こういうキャラクターなんで、感情も見えないし、なんかどんどん怖くなってって、で心の距離みたいなのがどんどんできてきっちゃったんですね。

で、2か月くらい入院してたんですけど、その時に本当に2人っきりの空間ていうのがあって。であえて仕事の話をするとすごい不安だろうなって思って、仕事の話しないで、だから友達として話すみたいな感じに戻ったんですよ。はるかが好きな刑事貴族の話とか。DVD買ってプレゼントしたりとか。なんか、そういう話をしてて、なんか戻った感じがして。

なんかそのこわいこわくないとかじゃなく、うまくできるできないじゃない世界線に行けたときに、あ、よかったなってなって、そこからまた変わった気がしたんですよ、私の中で。」

若林「それははるかちゃんも感じてたんだよね?」

はるか
「私はでも全く感じてなくて。わたしはまあ、休んでたんで。
その「休みあけてからちゃんと戻れるかな?」っていう不安の中にいたんで。
あんまりその2人の関係性みたいなのはそこまで考えられない。」

春菜「まあ、考えられなかったからでしょうけど、すごいそこで1人でけん玉すごい練習して。なんか退院してからけん玉の仕事でピンですごい働き出して。私何だったんだろう」

若林「けん玉と言えばだもんね」

はるか「無限に時間があるんで。いくらでも練習できる」

 

落ち込んだ時に届いた励ましのメール

春菜
「M-1もすごい転機だったりするかなと思うんですけど。2009年の時に、私がもうほんとに上手くできなくて、出てきて15秒で2回噛んだりとかして。
で終わった後に結構「ツッコミダメだった」ってことをその打ち上げ会場みたいなところで結構大人の方に言われたりしたんですよ。

でちょっと落ち込んで、その打ち上げ終わった帰り道に、メールがピロんてきてみたら、なんかはるかからの励ましのメールみたいな。今(はるか)ほお?って顔してるけど、覚えてない?

私は春菜のツッコミが一番面白いと思うよ」って言う事を送ってくれて。
なんか普段そういう感情とか見せないし、そういう話とかしないけど、これでなんかそのありがたいなとか」

 

休みの日はエゴサーチ

若林
「春菜ちゃん休みの日ね、エゴサーチばっかりしちゃって。10時間たっちゃって

春菜
「いや、そうなんですよ。エゴサーチで数時間使うじゃないですか。で最近TikTokで知らないカップルの馴れ初め。それで3時間使ってる。ほんとに何してんだろうって。」

若林「自分でも思うんだよね?」

春菜「思います。だってもう脳が溶けてるんですもん」

 

まとめ

春菜さんとはるかさんには心の距離があった時期があったこと。

春菜さんは実は昔は人見知り。でも、はるかさんがさらに上回る人見知りであったために今のようなオープンで友人も多く、よく話したり、ツッコんだりするような性格になったんだという事が分かりました。

春菜さんは色々な女優さんやアイドルの方など交友関係も広く、温かい人柄が素敵です。

はるかさんもYouTubeで一人旅をしていますが、芸人だから無理に明るくしなきゃとしていないあるがままの姿が素敵だと思います。

 

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