オープニングトーク
林修さん「番組最多の3度目」
大泉洋さん
「三度目(2021年3月、2023年3月出演)。これ最多ですか?
いやー、まあ、でしょうね。これホント。
これ受け入れるの勇者ですよ。3度目なんて。」
林「3回も受けて(出演されて)話すことあるんですか?」
大泉
「ないって、だから!僕言いました。ないですってもう。話すことないですよって。
僕人生の面白い話、全部初耳学で話しましたよ、もう。
なんかね。もうほんとに、なんか取り調べを受ける犯人みたいなもんですよ。全部話しましたよって感じだもん。もう本当に「俺がやりました」って何回も言ってるの。だけど、まだ聞いてくんの。
なんかもうやらしい。
ディレクターがさっきやってきてこうなんか手土産持ってるから、何かなと思ってこうやってカパッて開けたら、初耳学って書いてるどら焼きなんですよ。
「え、何ですかこれ?」って言ったら、「いや、あのちょっとすみません。最近あの視聴率が好調なものですから。このようなもの作らせていただきまして。大泉さんの回もぜひ配れるように」とか言って。ただただプレッシャーかけてきて。
俺の回じゃない所で高視聴率とったから。それを俺にどら焼きで持ってきてお前。俺関係ねぇから」
林「いやいやいや。あの草彅(剛)さんの時に大変いい…」
大泉
「いや、それ言わないでください。草彅さん1回目でしょ。話すことありますよ、そりゃ」
林「いやそのハンデを乗り越えて数字をたたき出すのが大泉洋じゃないですか!」
大泉
「そうですかー?いや、もう頑張ります。
本当に。おそらく半分は嘘になると思います。
追い込まれたらやっぱ嘘つくしかないですからね」
歌手として紅白に出場
現在51歳
2022年から3年連続紅白歌合戦の司会に抜擢
2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」出演
2023年 日曜劇場「ラストマン」出演
2023年3月の初耳学出演の時に大泉さんは
「最終的には紅白に司会という形じゃなく、歌手として出たいっていう想いはやっぱありますね」と語っていました。
そのわずか9か月後の2023年。紅白歌合戦に歌手として初出場されました。
歌唱前の悲劇 生かせなかった福山雅治さんのアドバイス
林「(夢)かなえちゃいましたよね」
大泉「そうですね。いや出さしてもらいましたね」
林「改めて振り返ってみていかがですか?」
大泉
「それこそ福山(雅治)さんから、あの「(紅白は)緊張するよ」って言われて。紅白は。だから「洋ちゃん、紅白は見ちゃいけない」って言われたんですよ。見てしまうとどんどん緊張が増すんだと。だから待ってる間に見るなって言われたんですよ。だから僕も見ないどこうと思ったんですよ。
ところが僕の渡された台本には、有吉さんの台詞で「大泉さん、僕たちのここまでの司会どうですか?」って書いてある。それを振られますからっていうわけです。見るしかない、そしたら。見るしかないんですよ。それで出番で紅白で喋る機会なんて、もう一瞬ですから。
で、私は司会の経験がありますから、(時間が)押すってことがどれだけ罪な事かわかりますから。だからやっぱその、私が出るまでの司会ぶりを見て、ツッコめるところをもう頭の中に入れといて、「いやここは素晴らしかった。でもここはこうでしたね」的にサラッと言ってドンと笑いをとるという。それだけを胸に私はもうどんどん見ていったわけですよ。いじれるところ。
ところが、結局は見てくそばからどんどん緊張していくわけですよ。「おー、ふわーっ。うわやべやべやべぇ。」。ただただ緊張してって、まあ結局楽屋出た後には、もうなんかガチガチになって、「やばいやばいやばい。ダメだダメだダメだ。これ全然緊張してるわ、俺」ってなって。
で、いよいよ出番っていう直前。その自分のトークに出る直前に、ディレクターから「大泉さん、すみません、押してます。台本カットします」って言って。「この有吉さんのここまでの司会どうですかというセリフをカットになります」って言うんですよ。
あれそこ聞かれません?みたいな。
じゃあ僕一体何のために見たんですか、紅白を?みたいな。
ただただ緊張するためだけに見て。」
歌唱後の悲劇
大泉
「歌い終わって。でフロアーからOKって出て、僕の絵がパッと切れた瞬間に本当に腰が砕けました。こう、それまでこうやってやってた(手を振っていた)。瞬間におおって(腰が砕けて)立てなくなって。
立てなくなるけど、紅白場転換(セット転換)すごい勢いでしなきゃいけないから、「どけてください!!」って(スタッフにすごい勢いで)言われて。はいはいって(ふらふらしながら)。
容赦ない容赦ない。
そしたらまた運が悪いことに、私が終わった出番で前半が終わりなんですよ。で次から後半で、ニュース挟んで後半になるわけ。
そうすると今度MCがブワーッと着替えに走るんですよ。
そしたらもうその「司会が通ります!!」って言って。なんか参勤交代並みにこうやって司会が通るんですよ。
私は通ってた人間だからよくわかるんですよ。
「司会とおりまーす!!」って言われて、もう道がバーっってもうモーセの十戒並みに道が開けていくんですよ。
その通路に腰砕けた私がフラフラ歩いてるわけ。去年まで私の先頭歩いてたスタッフが「どけてくださーい!」ってまた。
私の目の前を去年一緒に司会やった橋かん(橋本環奈)が通っていく。
「環奈ちゃんや-」みたいな。」
武道館公演 「消えてなくなりたい」
林
「今年は生誕50周年を記念して、全国各地で大泉洋リサイタルを行われたと」
大泉
「そうですね。(2024年)2月頭に、一番最後武道館だったんですよね。」
林
「武道館。いろんなアーティストがあこがれの舞台ですよね。改めて今振り返っていかがですか」
大泉
「うーん、もう地獄でしたね。ほんとはもう消えてなくなりたいんですよ。
ほんとにあの武道館公演を終えて、あんなに元気がなかった奴って、たぶんほんとに歴史上1人しかいないんじゃないかと思いますよ。」
チケットは即日完売。武道館に1万3千人の熱気が渦巻いた。
カバー曲から昨年の紅白歌合戦で披露した玉置浩二制作の楽曲まで全19曲を熱唱。そんな中最も力を入れた演出が、ピアノの弾き語り。
大泉
「本番が2月でしたけど、9月からあれ(ピアノ)練習したんですよ。
まあ、本当に弾けるようになってたんですよね。
だから間に合ってよかったなって思ってたんですよ。
みんなが思ってた。「良かった。間に合ってよかったね」って言ってたんですよ。」
そして本番当日…まさかの失敗!
なんと本番でイントロを7回も失敗した。
大泉
「もうほんと怖くて見たくない。怖い。頭もう真っ白になって。鍵盤がただのもう白い板にしか見えなかった。どこにどう指を置くのかもわからない。」
極限状態の中、8回目の挑戦で諦めずに完奏。この日1番の歓声が上がった。
林「でもあれご家族もご覧になってたんですよね?」
大泉
「そうですそうです。あんなに俺にやさしい家族はじめて見ましたよ。
86歳の母が武道館でもうついにずっと間違え続ける私に「洋!がんばれ~!!」って叫んでた。
「もうお母さんが叫んだ横で。びっくりした」って言って、妻も。
やばかったですね。僕それ聞こえてたら、たぶん泣き崩れてたと思う。
まあ、そのね。武道館には魔物がおるって言ったんだけども、色んな人から「あれは魔物じゃない、洋ちゃん。あれは神様だった」と。
要はその確かに洋ちゃん悔しいかもしれないけど、あんなものは観れない。
そこになんか人々は世の中上手くいかないじゃないかっていう。世の中上手くいかない。そこに対してでも必死に諦めずに頑張る人を見て、なんか元気づけられたと。
あれはやっぱ武道館の神様が、この方が(失敗の方が)盛り上がるよって多分そうしたんじゃないのって」
林「で、そのことが翌日のネットニュースに出ましたよね」
大泉
「そうですそうです。だからまあホントに朝起きていつもの習慣でね。
ついついネットニュース開いた瞬間に「大泉洋武道館でピアノ7回失敗」つって。
バカ野郎って(携帯を)投げつけましたよ」
玉置浩二さんとGLAYのTAKUROさんから楽曲提供
武道館公演に向けて東京、北海道の先輩玉置浩二とGLAYのTAKUROに楽曲制作を依頼していた。
玉置浩二さんとの秘話
林「玉置さん誰にでも楽曲提供される方じゃないじゃないですか」
大泉
「そうですね。だからもうどうお願いしていいかもわからない、玉置さんに。
なんかこうどこの事務所で、どんなことなさっているかもわからない。
それで紅白のプロデューサーにもう相談をして。どうやったら玉置さんにお願いできるんだろうと。
(プロデューサーは)「まず手紙を書いてください」って言うわけ。「手紙?」と。これでもう…手紙?玉置さんに手紙書くの?ってなって。
どう書いていいか分かります?玉置さんに手紙って。分からないじゃないですか。
一行書き終わるたびに「フ~」みたいな。」
しかし、大泉の熱意ある手紙に玉置さんは作曲を快諾。
オファーからわずか2週間で玉置自身が仮歌を入れたデモテープが届けられた。
大泉
「それがやっぱりもう玉置さんがもう先に曲(仮歌)を入れてるんですよ。
それがね、後から考えても、ものすごいクオリティーなんですよ。
だから要は僕が歌ったあの歌ですけど、あれがもう玉置節で入ってるんですよ。でまたなんか全部ラララでやってくれればいいんだけど、そのなんかある意味玉置語といいましょうか。ほとんどこれ英語ですわね?みたいななんか。
正直まあ私は「笑って 見つめて~♪」って最終的にはそういう歌詞にしましたけど、玉置さんをよく聞いてるとこれは、「I can see~♪」にしか聞こえない。確実にI can seeって言ってる。
で、歌詞は大泉君作ってねって言われてるから。でももうサビにきたらもうI can seeしか浮かばないんですよ。でもう今度歌詞が延々できない。
で、ラブソングみたいなものを書いたんだけども、玉置さんから「もう簡単でいいんだよ」と。「北海道の風だとか空だとか大泉君が感じた、子供の時から感じたことを書けばいいんだ」って言われて。まあいわゆる郷愁を誘う北海道の歌みたいな。それを2つ書いたの私。
で、(候補①ラブソング候補 ②郷愁を誘う歌の)どっちにしましょうかと。どっちかの路線で行きたいと思いますで出した、玉置さんに。
で「素晴らしいじゃん。いいじゃん。どっちもいいよ。その2つ混ぜちゃえばそれで出来上がりだっていうんだけど、いや混ざらんよ、そんな簡単に。混ざんないでしょって言って。そこどうやって混ぜるんだみたいな。」
2つを混ぜた結果、郷愁のラブソングが生まれた。
GLAYのTAKUROさんとの秘話
そしてGLAYのTAKUROさんが作詞作曲した『ふわり』。
大泉
「TAKUROさんはまた最初にもらった楽曲は基本ああなんですけど、もうちょっと違ったんですよ。はやりといいましょうか、その10代とかその若い人にもちゃんと受け入れられる曲にしてきたと。で僕から「いやTAKUROさん、大変素晴らしいんですけど、あのこんな感じの要望(昭和歌謡風)でできますか?」みたいな」
林「勇気ありますね」
大泉「TAKUROさんとはやっぱ仲良かったんで。もうちょっと全然距離が近かったんでね。」
TAKUROが作った現代風楽曲を自分の世代向けにアレンジしてほしいとリクエスト。
すると…
大泉
「(TAKUROさんが)「洋ちゃんの言う事はよくわかる。昭和の人間はそれが気持ちいいんだっつって(笑)。それで僕らの世代が気持ちいい感じになんかこう作ってくれたんですよね。TAKUROさんものすごいいい人だから「OK それでいいよ。じゃああれだ。もっと色んなものもっと分かりやすくしてこう」って言って、「どうする?あのー、強敵と書いて「とも」と読ませるとかそういうことも出来るぜ」とか言われて(笑)、「いや、いいです」
それでレコーディングにも来てくれて。あの、TAKUROさんが来る前にある程度歌い終わってたんで、これでいいかな?と思ってたんだけど、そこからTAKUROさんがもうバンバンなんか…。
「ここ洋ちゃんもっと自由に歌っちゃっていいんじゃないの」とかってどんどんメロディーとかも直すんですよ。現場で。そうすると、全然歌も変わるんですよ。
それでTAKUROさん聴いてて、「良くなったよ 洋ちゃん」って言って「リズムを手に入れたね」。やたらカッコいいこと言うんですよ。でまた歌がやたら良くなるっていう。」
バラエティーが好き
林「今も月2回は北海道に戻られて、レギュラー3本収録されているんですか?」
大泉
「そうですね。バラエティーやってないと、やっぱバランスが取れないですよね。やっぱりやらないに越したことはないと思うんですよ。役者をやってく上で言えば。
ただまあ、しょうがないな、こればっかりは、みたいな。好きだから。」
『水曜どうでしょう』で北海道を代表する大スターに
そんな大泉洋さんは大学時代は演劇研究会に所属。
北海道のローカル番組の出演をきっかけに運命の番組に出会います。
その出世作が、1996年に放送が始まった伝説の番組『水曜どうでしょう』。
北海道で絶大な人気を誇り、深夜番組にもかかわらず、18.6%の視聴率を記録。
その人気は北海道にとどまらず、放送エリアを次々に拡大。
DVDの総出荷数は500万枚以上。
この番組で大泉さんは北海道にいる一大学生から、北海道を代表する大スターとなりました。
林「大学と芸能界の仕事の両立についてはどんな風にお考えだったんですか?」
大泉「教育実習も『水曜どうでしょう』に出ながらやってましたよね。」
林
「でも大人気番組を6年レギュラー続けられて。まあ、周りの反応っていうか、環境が大きく変わったんじゃないですか?」
大泉
「うーん。まあまあ、そうですね。
だからホントにまあ親からは30(歳)になるまでには定職に就きなさいとは言われてたけど。
まあ、やっぱり楽しいし。それはどうしても楽しいし。
「水曜どうでしょう」がまあ人気出た後は、他の番組も始まってくるわけですよね。
だからもうこれはこっからやっぱり、もう普通の仕事にはもう就けないと。
こっからもう教師には恥ずかしくてなれないし、いきなりサラリーマンで大泉洋ですも難しい。
これはもうこの仕事で生きていくしかないっていう感じにはなりましたよね、最後はね。」
林「もう、腹をくくられて」
大泉「腹をくくるしかない」
水曜どうでしょうの出演を機に、この世界(芸能界)で生きていくと覚悟を決めた大泉洋さん。
そんな彼の人生の分岐点に関わり、大泉洋さんを最もよく知る人物が
水曜どうでしょう生みの親 ディレクターの藤村忠寿さんです。
番組の名物は長期間の過酷な旅ロケ。
それをタレント2人、ディレクター2人というたった4人で28年間番組を作り続けてきました。
そんな藤村さんがバラエティーでの大泉さんの凄みを教えてくれました。
藤村
「まあ我々の「水曜どうでしょう」っていう番組自体が特殊で、大泉さんには事前に企画とか言わないんですよ。要はその、何にも言わないでどっかに行く。
その時のリアクションなりっていうものを期待してたわけだから。
驚いてくれりゃあいいくらいに思ってたの。(大泉ハハハ…)
でもね、一発目の水曜どうでしょうの企画からビッタリとそれがハマって。
驚き方もやっぱりいいし(大泉ハハハ…ずっと笑っている)。
ただあいつ驚くだけじゃないんですよ。1回考えるんですよ(大泉爆笑)。あいつじっと見るんですよ。で、すごい頭の中であいつ回転させるんですよ。
回転させて、これこういうことか~っていうまでに、すぐ反応しない(大泉ハハハ…ずっと笑っている)。1回頭で考える。で、なるべく最適解を出していくっていう(大泉ハハハ…爆笑)、その場でも。
ここは喜ぶとか怒るとかっていうよりもボヤくっていう方向だなとか。ここは怒る方向だなとか。あいつ一晩とか考えるからね(大泉「考えねぇよ!(笑)」)。リアクションとるために。一晩寝かせたりもする。ハハハ(笑)」
リアクションを一晩寝かせるとは?
藤村
「なんか一回ありましたよね。ヨーロッパで。泊まるホテルがなくて。(大泉爆笑ハハハ…)
で、もうとりあえず野宿だった。我々(スタッフ)はテント持ってたんで、1個だけ。我々は道端でテント張って寝て。大泉さんともう一人の鈴井さんは、車の中で寝たんですよ。
寒かったんですね。だから俺があの車の鍵持ってったから、暖房も入れられなかったんですね。
でもそうするとふつうは夜ね、「いや、鍵を貸してくれ」と暖房を付けるじゃないですか。
彼はそれしないんですね(大泉爆笑)。明日の朝まで俺がじーっとこの寒さに耐えてたらあの人たちはどう思うだろう…。
一晩じっくり彼は待つんですね。」
その時のVTR
(VTRを見て…大泉「着るものがないから、もうありったけの衣装を着てるんですよ」)
一晩たち、翌朝、カメラを回しながら大泉さんの車に近づいていくスタッフ。
『こっちを見てる…
スタッフ「まんじりともせず起きてたかあいつは…ハハハ。だって窓が凍ってますよ…ハハハ。絶対寒かったんだあいつ…ククク。寝れなかったんだ…ハハハ。」
スタッフ車を開けて…「おはようございます。」
大泉「おはようございます」
スタッフ「どうしました?」
大泉
「君たちさあ…どうして車のキー持ってったの?
ああ寒いなあ。エンジンかけたいなと思っても君たちキー持ってってるから。
うん。まあ昨日のこともあるから君たち起こすのも悪いなと思って、僕我慢してたの。でも車の中結構寒いなと思ったんですね。
…窓開いてんの。
窓を閉めることもできずにさあ。まあ、鈴井さんはまだあったかいのかもしんないけどね。やっぱこの格好寒いんだよ(衣装の王子のタイツ)。
僕はね、寝たら死ぬと思ったから。
いやあ窓が開いてるとは思わなかったなあ…」
藤村
「たとえ風邪をひいて高熱を出そうと、それで休むよりかは面白くなった方がいいっていう考えなんじゃないのかなあと思うけどね。それが完全なる凄みですよね、あいつのね。
たぶんこの人が一番、日本で今一番面白いなって思ってたから。
だから、今彼がこうなってるっていうのは(人気なのは)全然不思議でもなんでもなくて」
面白さの為なら、どんな過酷なことにも迷いなく突き進んできた。そして今では俳優としてもその頂点に。そんな大泉さんに対し、藤村Dのある想いが…
藤村
「だから、早く海外に行けと。それはずっと思ってますね。
ハリウッドでね、たぶん通用するのは君じゃないかと(大泉爆笑)。
私トム・ハンクスだと思ってるんで(大泉手をたたいて大爆笑)。
唯一トムハンクスに勝てるのは大泉洋としか思えてないんで。」
林「リアクション、あんなに寝かせるんですね。」
大泉
「あの話してたんですね。一晩寝かせるっていうのは。
俺なんか短パンで行ってるから。衣装もないわけですよ。
ほんで寝てたらやっぱ寒くなってきて、ああ、寒い寒いと思って、じゃあエンジン付けようと思ったら、キーがないわけですよ。キー持ってってるわと。」
林「それを借りに行けばいいじゃないですか」
大泉「思うじゃないですか。そこで思ったわけですよ。
そこでキー借りちゃったら面白くない」
林「ほらやっぱり。」
大泉
「だけどそこはやっぱりね。ものすごい信頼感で、絶対にあの人たちは出てくる時にV(カメラ)を回しながら出てくるはずだと。だから、絶対に待つんですよ、そこは。
ほいでもう、まんじりともせずに「早く起きろ 早く起きろ」と思って。
で、なんたって窓開いてるから、向こう(スタッフ)の声が聞こえるんですよ、起きたときに。だから、やっと起きたと思って。
そしたら、なんか藤村さん(チーフディレクター)ゴソゴソ言ってるんですよ。「V(カメラ)回せよ」とか言って。「いや、いいんじゃない回さなくても」って言って、嬉野さん(ディレクター兼カメラマン)がサッと出たら、俺がまんじりともしないで目を開けてたのが見えたもんだから、「回そう回そう回そう」って言って。俺内心「よくやった その通りだ 回せ」と。」
林「それ阿吽の呼吸じゃないですか」
大泉
「阿吽ですよ。だからあの番組のやっぱりすごい所は、まあ私も確信犯ではあるわけだけども、確かに言いたいことはあるけども、それをね「(カメラを)回して」って言うとこれは面白くないんですよ、絶対に。やっぱりその「回して」と言ってV(カメラ)を回した瞬間に作り物になっちゃうんですよ。これがやっぱ自然発生的に起きた事件にするには「回して」と言っちゃいけない。回ってから見つけてくんないと。」
林「それが可能なのは、やっぱり根本的に信頼できる人間関係あってこそですよね。」
大泉
「そうですね。絶対にあの人たちは1番面白いことをチョイスする人だというのは僕は分かっている。藤村忠寿さんていうのはそういう男なんですよ。」
さらに、水曜どうでしょうには大泉さんのこだわりから生まれた名物シーンが。
大泉
「あの番組(水曜どうでしょう)の発明って何かって言ったらね。「演者(出演者)を撮らない」ってこと。これ未だにね、あんまりやる人いないですね。
だから嬉野さんて不思議なんだけど、ま、記録用に撮った車窓があるじゃないですか。それがね、長いの。ずっと車窓撮ってるの。あの人やっぱりね、小津安二郎(映画監督)が好きな人だから。なんかわかんないけど、据えたカメラは動かさないという妙な美学があるの。
だから、車窓撮ってるのに俺しゃべり始めるわけよ。で、普通のカメラマン絶対ばんって、こっから俺を向くわけ。ところが、動かさないよね、小津だから。目指してるのは小津だから。だから俺がしゃべってるのに、カメラは動かないわけ。そうすると、俺を向いてないカメラ…車窓に俺の声だけがのるわけ。それが異常に面白かったんですよ。
だから俺は、嬉野さんが、車窓を撮り始めるまで、確かに何時間でも待つの。ずっと不満を溜めておくわけ。あれもある、これもあるとずーっと溜めんのよ。で、それを嬉野さんが車窓を回し始めた…ピッと回し始めた瞬間に「藤村くんさあ…」って始まるわけ。やっぱり俺と藤村忠寿さんのただの会話が偶然録音されてるが1番面白いんですよ」
林「いや、バラエティー知り尽くしてますね」
大泉「いや、知り尽くしてるっていうか、僕なりの美学なんですよね」
林「前もおっしゃってましたけど、やっぱり主戦場ですか?」
大泉「主戦場ですよね(ハハハハハ(笑))」
主戦場はあくまでもバラエティー。面白さだけを求めていた20代が今も大泉さんの軸にあります。
ドラマを見た時言われた「娘からのクレーム」とは
自身の出演作を家族でみるのが何よりも楽しみだという大泉さん。
しかし2023年放送の福山雅治と共演したラストマンをみていたときとある問題が…
林
「ラストマンをお嬢さんと一緒に見ていて何かクレームがあったと聞いたんですが」
大泉
「クレームっつうんじゃないけど。
娘(中1)とは観るんです。娘も大変楽しく見てくれるんですね。
だから本当にラストマンの1話をこう観たときに、まあ、このドラマどうかな?と誰よりも先に感想を聴けるのは娘でしたからね。一緒に観てましたから。だから30分くらい観て、最初のCM入った瞬間に娘に「ここまでどうですか?」って言ったら娘が「たまりませんな」って言って(笑)。「きたね、これ!」と思いました。
しかし、仲良く見ていたが、愛娘からまさかのクレームが。
大泉
「あのドラマって曲がかっこよくて。私の謎解きの所で、まあかっこよく曲がかかって、まあ気持ちが良かったんですよ。
で、見終わって、「いやー、今日もよかったねえ」って言って。「いやしかし、あの謎解きのとこよかったなあ。もう1回観よう」って言ってこうやって見てたら、「娘にどや顔で自分の良かったシーンみせる親っているのかな?」みたいな。さらに言うと、娘が寝た後もう1回観ましたけど、私はね。いや、この曲の入り方が気持ちいいみたいな。
林「自分大好きですね。前々から感じてはいましたけど」
大泉「もう、初耳学なんかも、面白かったところは何回も擦(こす)りますので。この切り返しみたいな。
映画『ディア・ファミリー』 ー 為せば成る ー
そんな父親大泉洋が、娘への想いがつよくさせた映画の最新作「ディア・ファミリー」
余命10年の娘をすくうため、医学の知識を持たない町工場の社長が、人工心臓の開発に挑む実話をもとにしたストーリーです。
映画のモデルとなった方に会って感じたこと
大泉
「人工心臓が、まだ世界でもできていない時代だった。じゃあ、パパが作ってやるって言って、自分で人工心臓を作ろうとして挑むんですけども。うん、まあ…そこには限界が来てしまうわけですね。」
もう自分の命が助からないと娘が残した言葉が…
大泉
「娘さんが、本当におっしゃったのは「もう私の命はもういいから、その技術を使って、多くの人を助けてほしい」っていう。うん、まあそれが娘さんとの新しい自分の約束になるというかな。」
娘との約束を胸に、何の知識もなかった町工場の社長(モデル株式会社メディカルプロダクツ筒井宣政会長)が、10年以上人工心臓の研究に打ち込み、医学界に革新をもたらす医療機器を開発。世界中で17万人もの命を救った。今回役作りのため、モデルとなった筒井さんご本人に会った時、痛いほどその想いに共感したという。
大泉
「もうやっぱりね。お会いした時に、ああ、やっぱりこの方だったら「人工心臓を作る」って言うなっていう。今もう80歳超えていらっしゃいますけど、それでもやっぱりバイタリティーとなんかやっぱりそのあの時代(戦後)を生き抜いた人の強さ。要はこの戦争を経験して、もう何にもない焼け野原から日本を立ち上げてきた人たち。前に進むっていう力だけが、やっぱあるようなね。
もうほんとに何回打ち合わせの中で僕に、「いやもう大泉さん。為せば成るなんですよ」って言って。できない事なんかないって言って。やっぱほんとにそう思ってましたよって。為せば成るなんだっていうね。なんかあの時代のなんか人間の強さみたいなものが、やっぱり表現したいなあと思いましたね」
林「いや、本当にいい作品で。まあ、1つだけちょっと納得いかないのは、大泉さんの好感度がまた上がる。」
大泉「上がって何がいけないんですか」
妻役菅野美穂さんが見た役者大泉洋さん
妻役菅野美穂さんは大泉洋さんとは初共演。
クランクインするまで大泉さんに対して、ある不安を持っていたそうです。
菅野
「今回初共演っていう形で、お会いさせていただいて。すごく緊張してたんです。なんかこう大泉さんって、どこか神経質な一面がおありなんじゃないかなと思ってたんです。だからこう台本の解釈とかで、こうちょっとずれがあったりとかすると、めんどくさくなるのかなとか(笑)。ミーティングみたいなのが長くなったりしちゃうのかなみたいに思ってたんですけれど、子役と一緒のシーンの時も、あとロケ先でたくさんの方がエキストラで集まってくださるような時も、いつも一緒で。面白い話をして場を持たせてくれて。私なんか喋ってもそんな笑ってもらえないし…。悔しーい。面白い。」
大泉さんの演技の魅力についてはこう語っています。
菅野
「こうシリアスなシーンの時はちょっと率先して口数をおさえられて、その場の端っこの方に行かれたりとか。でもそのシリアスなシーンでもすっとなんか不思議なんですよね。テレビの中のスーパースターっていうかんじではなくて、自分の隣にいる誰かみたいな。親近感を持ってその涙をみれるようなところがあって。なんかもう引き込まれましたよね。「抜け」があるお人柄で、抜けって演じられないものだなあって思って。こう本人が持ってないと、表現できないものだなあと思って。それを持ってらっしゃるから…悔しい(笑)」
その他菅野美穂さんが語る大泉洋さんの魅力
菅野
「なんか大泉さんて、歌も歌うし、舞台もするし、もちろん映画、ドラマ、なんかすべてオールジャンルじゃないですか。全方位型なんだけど、なんか人間ぽさっていうか、人間臭さみたいな。なんかちょっと文句言ったりもするし。清らかなだけじゃいアイドルみたいな((笑)。でも今の時代に必要なんでしょ?なんかみすぼらカワイイ(大泉;「誰のこと言ってんねん」とツッコミ)。いや違う何だっけ?不憫カワイイっていう。分かります?ちいかわとか、すみっコぐらしとか。だから、ちいかわってかわいいだけじゃないじゃないですか。ちょっとかわいそうで、共感して、守ってあげたくなる。応援したくなるみたいな。いろんな要素がいっぱいある。同時に。みすぼらかわいい。
大泉「みすぼらカワイイってどういう言葉ですか?半分以上やっぱ悪口に聞こえるな。」
娘さんへの想い
この作品が改めて家族の存在を考える機会になったという。娘への想い
林「お嬢さんっていうのは大泉さんにとってどんな存在ですか?
大泉
「まあ、やっぱりわかりやすいですけど、なんかまあ、生きがいというか使命というか。まあ分かりやすくなんか、自分が生きていく理由っていうのがしっかり、なんか明確になりましたよね。
なんかいろんなものをなんか、なんていうんですかね。覚悟はしてるんですよね。まあ、まだねぎりぎりパパパパって言ってくれるし、まああの楽しくやってくれるけれども、そのうち友達が大事になってくるでしょうし、まあ僕ともなかなか遊ばなくなってくるでしょうし。
まあそうなった時のために、私はそうなってもいいから、12年間、13年間、これだけパパを楽しませてくれた。パパに愛を注いでくれた。それで、もうそれで十分と。その貯金だけでパパはもう君を一生応援できるっていう。それをこう私は目標に、空いた時間はすべて娘にそそぐっていうつもりで生きてるんですよ。
この間、娘があの学校に作文を書いたんですけどもね。『うちの父は世界一やさしくて、世界一面白い人です。』と。『私が将来父とあまり一緒に過ごさなくなる時のために、今私と全ての時間を割いて一緒に過ごしてくれます』と。『でも私は今そんな父の想いが重たいです』って話をしてましたね
林「はっきりと学校で発表されちゃったんですね。」
大泉
「発表されちゃいました。もう重たいらしい。まあでも、まあそれでもいいかみたいなね。うん。」
まとめ
3度目の出演でもう話すことはない!とおっしゃっていた大泉さんでしたが、面白い話がまだまだたくさん。
周りから愛される大泉さん。
温かく、面白く、優しさにあふれていて、みんなが素敵だな面白いなと思ってしまう。ついつい笑顔になってしまう。爆笑してしまう。
ほんと、海外に行っても大人気になれそうです。
大泉さんの人間的魅力で海外でもたくさんのファンができて、大人気になりそうです。