最近様々なドラマで好演中の俳優。
14年前、三代目J SOUL BROTHERSのパフォーマーとしてデビュー。
こう見えて、超秀才。
幼少期から勉強、勉強、勉強の日々を過ごし、地元名古屋から母親と2人で上京し、中学受験。
慶應義塾普通部に入学。
そのまま大学まで慶應というエリート。
24時間テレビで見せた芸術の才能
さらに、賢くて、踊れて、芝居ができるだけでなく、今年(2024年)の24時間テレビでは…
生放送中にアート作品を完成させ、オークションにかけるというチャレンジに成功(素晴らしい絵を完成させた)。
岩田剛典
「今回このペンキでアートを作るっていう。
ペンキってそもそも1日で、24時間で乾かない。そうなんです。
だからあれ描き上げるのに本当は1週間は少なくとも必要ではあるんですけど。
本当に急ピッチで裏でドライヤーをもう何人がかりでっていう感じで、乾かしたりとかですね。
(舞台でマツケンサンバでメンバーが踊ってる時に)まだ乾いてないんでペンキが。
万が一にでも揺れたりでもしたら、これ失敗しちゃうかなと思いながらも、みんなお構いなしに盛り上がってたから。
「あ~もう、近寄らないで」みたいな感じで。
でも今回の24時間テレビへの出演というのが、LDH事務所としては、初めてその番組に出演させていただく。
なので、そのきっかけになった1日になりましたので。
すごくそういう意味で言うと、ああ、なんかこの僕が今回頂いたオファーを未来だったりとか後輩とかにも繋げられるきっかけになったらいいなっていうのは、頭の片隅にはありましたね。」
井桁弘恵「でもそれ実際にオークションという形で値段がこう上がっていくのって、どういう感覚なんですか?」
岩田剛典「いや、もうちょっと鳥肌が立ちましたね。あの瞬間は」
山崎育三郎「結果、どれくらいついたっけ?」
岩田剛典
「結果、3枚描いて。1番高額についた1枚が380万円ついたんですよ。
だから全部で…なんかやらしいですね。お金の話…(笑)
いやだからもう、結果それが寄付金になったので。
すごく良かったなと思いつつも、ただ自分が1日で描いた絵がそんな額がつくなんてことは夢にも思ってないですから。
しかも、なんかその企画の一番トリだったんですよ。僕の作品が。
「勘弁してくれよ」と思って」
中学~大学まで慶應 ゆかりのある街 日吉
上京してから岩田さんがゆかりのある街が、東横線沿線。
中目黒:所属するLDHの事務所がある
学芸大学:デビューして住んだ街
自由が丘:学生時代住んだ街
日吉:慶應中学校~大学まである
慶應生の街 日吉(神奈川県横浜市)
岩田剛典さんが12歳から大学卒業まで8年間通った街
日吉駅の左側に中学校(慶応義塾普通部)・右側に高校(慶應義塾高等学校)と大学(慶応義塾大学日吉キャンパス)がある。
校則が厳しかった中学時代(慶應義塾普通部)
真面目に部活に取り組む日々
岩田剛典
「(慶応義塾普通部(中学校)は)男子校なので。
だから、すごく部活に真面目に取り組んでるというだけの」
山崎育三郎「部活は何やってたんですか?」
岩田剛典「その時、空手とバスケと兼部してて」
当時から目立ってましたか?
岩田剛典
「いや、そうでもないです。結構校則が厳しい中学校で。
だからあんまり、何ていうのかな…自由度が高くなかったっていうか。堅い。はい」
山崎育三郎「なんでもできるっていうイメージがありますけど。
え、子供の頃はやっぱり勉強勉強って書いてありましたけど?」
岩田剛典
「そうですね。
でもやっぱり家庭がそういう。まあ、両親の影響だったんですけど。
まあ、そこは自分の意志というよりは、ほんとに両親の熱量で。
まあ、負けてというか。そういう家庭でしたね」
山崎育三郎
「でも、こんな絵に描いたような中学生いる?
中学生の男子なんてさ、くだらないことだけでずっと盛り上がるし。
女の子はどうだとかさ。マンガ、お笑い、昨日何とかとか」
井桁弘恵「育さんそういう感じだったんですか?」
山崎育三郎「そうだよ。そうだよ中1、中2なんてね。どういう仲間とどういうテンションでいるの?」
岩田剛典
「その中学校の同級生といまだに僕遊ぶし、飲みに行ったりとかするんですけど。
「テレビとかに出てる時のイメージと180度違う」っていうのはいつも言われます。
はい。はい。別に猫被ってるつもりないんですけど。
「もっとクレイジー」ってよく言われますね」
山崎育三郎「えー!中学の友達とかはクレイジーなイメージが」
岩田剛典「みんな知ってるので」
芸能界は全く考えていなかった高校時代(慶應義塾高等学校)
高校は校則もゆるく、少し怖い見た目に…
日吉駅東口を出ると、もういきなり慶應の敷地内。
もう駅の東側はもうすぐ構内。
高校時代から芸能界に憧れてたんですか?
岩田剛典
「いや、全くです。全くでしたね。1ミリも今芸能界にいるなんてことは夢にも思ってなかったです」
甘酸っぱい思いでもあるんですかね?
岩田剛典「甘酸っぱい思い出?ありますよ!いっぱいありますよ!」
山崎育三郎「こんときはもう共学?」
岩田剛典「いや、ここも男子校なんです。」
山崎育三郎「でも甘酸っぱい思い出。どうやって作った?」
岩田剛典「このね、(慶応義)塾高の文化祭はほんとに東京でも指折りに人が集まる文化祭なんですよ」
山崎育三郎「岩ちゃんがもうほとんどゲットしちゃうでしょ?」
岩田剛典
「いやいやいや。その時からでも実はEXILEが流行り出した時期で。
あのアーティストとしてすごいスター。バーッて出てきて。
で、僕もEXILE聴いて育ったんで…っていう時期だったんで。
ATSUSHIさんがデビュー当時に、坊主にこうおしゃれでラインを入れてたじゃないですか?
僕真似して入れてたタイプの高校生だった。
しかも学ランでそれやってたんで、まあまあちょっと怖い感じの見た目だった」
山崎育三郎「それは校則的にはOKなんですか?」
岩田剛典
「これが、中学校まで本当に厳しかった。
いうても同じ附属なのにも関わらず、高校になった瞬間からもう校則がもうゆるくて。急に。
だから中学校まで硬かったあいつが、え?高校デビューだ!みたいな感じの。
いきなり金髪にしてきたり。
だから、みんないい子ちゃんでぎゅってやられてたものが、急にフリーになったから、爆発がすごくて。
僕だけじゃなくて、みんな急に、はい。」
ダンスを始めたきっかけは高校3年生の文化祭
岩田剛典
「(慶応義塾)高校と(慶応義塾)大学が道続き。
ちょっと歩くと高校生の時も大学生とすれ違うっていうのはよくあって」
慶應の中でも難関と言われる法学部に進学。
ダンスを始めたきっかけは?
岩田剛典
「ダンスを始めたきっかけは、高校3年生の時の文化祭です。
特設ステージで、塾高生たちの前で、2人組でユニットを組んで「文化祭に出よう」っていうのが始まり」
山崎育三郎「どうだったんですか?その時の感触としては」
岩田剛典
「なんかね、スポーツで点決めたときよりも、気持ち良かったんですよね。
なんかまあ、男子校だったんで、男の怒号のようなあの盛り上がりだったんですけど。
あれが気持ちよくなっちゃいましたね。
その1日で虜になってしまって。
「もうこのままダンスを極めたいな」と思って。
で、大学入るまでの冬の数か月も、ほぼ毎日のようにダンススクールに通ったりとかですね。
で、大学は言っても、もう入るダンスサークルも決めて大学に。
入る前からもう行きたいところが決まってたりとか」
大学在学中、真剣に就職活動(慶応義塾大学法学部)
山崎育三郎「その時はもう将来も見据えてたんですか?これダンスで自分やってくのか。ただ楽しくて…」
岩田剛典
「いや、そんなことないですね。
正直言って、当時の先輩方…ダンスサークルの先輩方も、まあダンス一本で生業にして将来生活されてる先輩方っていなかったんですよ、1人も。いなくて。
やっぱり皆さん、どこかしらの企業に就職して生活しながら、その合間で趣味として。
だからこそ、まあね、その後大学在学中もめちゃくちゃ真剣に就職活動したんですね、僕。
エントリーシートも100社以上僕出して。色んな業種受けて。
っていう感じの時代があったんで。
まさか今あのこうしてダンスで、大学卒業した後も10年以上ご飯を食べてるっていうのは夢のような人生だなっていうのは思いますけどね。」
オーディションに合格し、デビューが決定
合格に母は涙…でも、人生1度きり
実は就職先の内定が出ていた状態で、オーディションに合格。
夢を選び、デビューを決意した岩田さんは…
岩田剛典
「ヤバ、まず親に電話しなきゃと思って、電話してみたいな。
まあ、まずそもそもオーディション受けてることも言ってなかったんで。
「ちょっと何も説明してなかったんだけど…」みたいな。
で、それを全部説明して。
「いや、実は今日メンバーに選ばれたんだよね」みたいな。
言ってから、1~2分無言なんですよ」
山崎育三郎「それ、お母さん?お父さん?」
岩田剛典
「母親です、はい。
そしたら、いきなり泣き出しちゃって。シクシク泣き出して。
えっ、どうしよう…みたいな。
いや、でも気持ちも分かるんですよ。
あの変な話、そういう家で育ったんで。
あのー中学受験熱心に入れるような親でしたから。
ね、結果として中高大一貫校にね、入れて。
まあ、それなりに就職もね、あのー内定も決まった後でしたし。
まあ、きっとたぶん、ある程度将来安泰じゃないですけど、まあ安心させられてた部分っていうのはあって。
そんな中で、本当に晴天の霹靂(へきれき)というか。
うーん、だから手放しに喜ぶなんてことは全くなくてですね。
その瞬間は、親を裏切った瞬間だなって、僕の中でやっぱ思っちゃったところもあって。
でもやっぱり人生1度きりだからこそ、やっぱり自分の…ダンスで夢を叶えられるなんて、思ってもいなかった選択肢だったけど。
その夢がかなえられたって、本当にこんなチャンスは僕にはもうないと思って。
HIROさんに拾っていただいたと思ってるんで」
陰に潜むメンバーだった
自分は必要なのか?と悩む日々
山崎育三郎「でもこのデビューしてから、ずっと順調だったんですか?」
岩田剛典
「うーん、いや、そんなこともなくてですね。
まあなんかよくね、「順風満帆」みたいなこと言われたりも多いんですけど、意外とそうでもなくて。
で、僕は割と陰に潜むメンバーっていうか。
うーん、後列の端っこにいるメンバーみたいな感じで。
まあ、ずっと何ていうかな。
自分をあんまり表現する機会っていうのが…芸能界に入ってあんまり得意じゃなくなっちゃったっていうか。
遠慮がちというか、もっというと、あんまり自分に自信が持てなかったみたいな時期が続いてまして。
自分ってグループに必要なのかな?とか。
何もグループに対して貢献できてないし、まあ変な話、「僕がもし体調を崩していなかった日とかがあったとしても、たぶん僕なしでも、まあ余裕で成立するな。
ライブも含めて、メディア出演も含めて」っていう風に思っちゃってたところがあって。
だから僕要るのかな?みたいな。のはすごく思ってて。
でもまあ、やっぱり自分で選んだ道だからこそ、なんかね、必要とされたいし、何したらいいんだろう?何したらいいんだろう?とか思ってて。
まあ、いろいろ血迷って、何かその時に、なんか、いきなりラップを始めた時期とかもあったりしたんですけど。
LDHの中でも所属がどんどん増えてくる時期ではあったんで。
先輩に名前を覚えてもらったりとか、面白いやつだなって思ってもらわないと、なんか…居場所がなんかないっていうか…」
転機となった俳優業
藁をもすがる想いで始める…何か可能性が広がるかも
そんな時、転機が訪れる
岩田剛典
「転機は、もう間違いなく俳優業ですね。
その時のチーフマネージャーの人に、「お前1人だけ暇だから、あの所属の俳優さんが今主演ドラマやってるから、まあ、出ろ」と。うん。出してやると言われて。
「とりあえず現場行ってこい」って言われて。
何にも分かんないですよ。僕あの演技一度もやったことないですけど。
本当に野面で。あの、台本だけ一応。あのほんと一言だけ。一言だけ。
「シュッ」とかそんな感じだったですね」
山崎育三郎「どういう感覚なんですか?こん時に。現場にいる自分って」
岩田剛典
「この時はだから正直まだ終わった後も、「やっぱり俳優面白れぇ!」とか「俳優で俺やってこう!」とか思ってないですね」
井桁弘恵「手ごたえもなく?」
岩田剛典「手ごたえないですよね…?」(笑)
井桁弘恵「そこからどういう風にこの役者業っていうのが進んでいったんですか?」
岩田剛典
「割と何て言ったらいいんですかね。王子様みたいな役柄。
最初に皆さんに認知していただくきっかけになった作品がそういう役どころが多かったんですよ、デビュー当時。
だからその時に僕は、「あ、なんか俳優業を頑張ったらもしかしたら…こうやって1個きっかけが掴めたから、これを続けてくことで、自分が自分自身にこうキャラクターとして返ってくる何かを得られる可能性があるのかも」と思って。
もうほんとにそっからはマネージャーさんに、「いや、もうグループがどんなに忙しくても、もうほんとに隙間を縫ってでも俳優業をちょっと頑張りたいんで入れてもらっていいですか?」みたいな感じで、交渉してましたね、デビュー当時。
ほんとにそういう意味では、藁をもすがる思いで始めたのが俳優業でしたね」
EXILE HIROさんからの手紙 「誰よりも身体を鍛えていた姿」
山崎育三郎「今日ね、岩ちゃんにお手紙をある方から頂いてるんですよ」
EXILE HIROさんからの手紙
『また僕ですみません…。EXILE HIROです。
えー24時間テレビでもお世話になったりと、最近岩チャンへの自分からのサプライズの依頼が多くなっていて、全くサプライズになっていない気がして、正直、気が引けていました。
しかし、断るとおしゃれクリップさんに嫌われそうで怖くて…。
サプライズにならないと分かっていながら、ついつい手紙を書いてしまっています。
岩ちゃんへ
出会って14年。
出会った頃から今の今まで、本当に努力家であり、とにかく勉強家で、負けず嫌いで常に高みを目指す姿勢は、14年経っても全く変わっていません。
出会った頃の岩ちゃんは、慶應大学の学生で…当時のEXILEは髭と色黒、筋肉、夜はレモンサワー。
慶應生の岩ちゃんが初めてEXILEメンバーを目の当たりにした時の不安は計り知れないものがあっただろうなと。
LDHに所属することが決まった当初から、誰よりもジムで汗を流し、身体を鍛えていたのを昨日のことのように思い出します。
ダンサー出身の僕は、ダンサーという概念を変え、その可能性をさらに広げたい気持ちで、ダンサーのことをあえてパフォーマーと呼び、EXILEとして活動してきました。
そして今、「パフォーマー」という言葉が普通に使われるようになった時代です。
パフォーマーである岩ちゃんがソロLiveで埼玉スーパーアリーナや武道館を満員にしてしまうんですから。
一昔前では考えられないことをどんどん成し遂げていますよね。
その大きな成果は、世代を超えて、たくさんの子供たちにとって大きな夢や希望になっていると思います。
これからもパフォーマー魂で、お互いに燃えていきましょう。』
岩田剛典
「ありがとうございます。いやー嬉しいです。
本当にHIROさんに拾っていただいての芸能人生なので。
まあ、ほんとにHIROさんみたいになりたいなあというか。
まあ、HIROさんみたいなかっこいい男になりたいなっていうので、うん、やってきた…
そうですね、この10何年でもあるかなっていうのは本当にあったので。
嬉しいです、はい」
今後について「ずっと必要とされ続けたい」
山崎育三郎「今後の岩ちゃんとしては、どうなっていきたいとかあります?」
岩田剛典
「まあ僕のほんと願いですけど、なるべく長く三代目J SOUL BROTHERSっていうのを続けて行きたいっていうのはグループとしての夢でもありますし。
その中でやっぱりずっと必要とされ続けられるような…実現出来たら、それがすごく自分にとっては幸せな人生なのかなと」