【日曜日の初耳学】俳優・横浜流星さん(28歳) 阿部寛さんベタ褒め!高校の同級生&恩人が語る素顔 (2024年11月24日放送)

林修「あんまり、バラエティーに出ている印象がないんですけれども」

横浜流星「はい。イチ視聴者として好きな番組だったので。はい。ぜひと」

 

現在28歳。
今まさに俳優として飛躍の時を迎えている横浜流星さん。
2019年当時22歳ドラマ「初めて恋をした日に読む話」ではピンク色の髪で、不良高校生を好演。
一躍脚光を浴びました。

2020年 日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。
(ドラマ「チア男子!!」「愛唄-約束のナクヒトー」「いなくなれ、群青」での演技が評価された)

2023年 映画「流浪の月」で、日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞。

さらに、来年2025年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」では、大河初出演にして、初主演という異例の大抜擢

 

  1. 大河ドラマ初出演で初主演!「蔦屋重三郎」を演じる
    1. なぜ自分が大河主演に選ばれたのか疑問…
    2. 阿部寛さんにインタビュー 「難しい役」「初めての大河で主演は勇気ある事」
  2. 極真空手で世界チャンピオンに(中学3年生)
  3. 父親は寡黙で強く、目指したい男性
  4. 芸能界へのきっかけはスカウト
  5. 高校時代の同級生の証言
    1. すごい身体能力で全てをカバー
    2. 原稿の修正点を細かく指摘…そのやり取りが4年間
  6. 挫折…何千回と落ちたオーディション
    1. オーディションは落ちるものだと思っていく
    2. インプットを大切に…待ってるだけではなく行動することが大事
  7. ストイックな役作り…役のために1年かけてライセンス取得
    1. 実際にプロボクサーになり、映画に出演
    2. 泳げなかったのに、スキューバダイビングのライセンスを取得
  8. 阿部寛さんから見た流星さん「いつのまにか横にいる」「人懐っこい」「裏表なく、信頼できる」
  9. その役の人物として生きる
    1. 演じるのではなく、生きる
    2. 経験が少ないからこそ、自分を消し、その人物として生きる
  10. 映画監督 藤井道人さんから見た横浜流星さん
    1. 飲み会で馴染めてなかった2人
    2. 流星さんさんの魅力は「作品に対しての誠実さ」
    3. 出会いから4年後2人はアカデミー賞を受賞する
    4. 今回映画の現場で大人になった流星さんを見れた
    5. 藤井道人監督からメッセージ
  11. 最後に…「役を生きる」を大事に

大河ドラマ初出演で初主演!「蔦屋重三郎」を演じる

なぜ自分が大河主演に選ばれたのか疑問…

林修「撮影はどうですか?順調ですか?」

横浜流星
「まあ、1日に撮る量が多いですし。撮り順もバラバラなので。
頭の整理が追いつかないというか。
先日1話を撮り終えたので。4か月かかって

林修
「え、4か月で1話?あ、そんなに最初時間がかかるんですね。
でも、どうですか?大河ドラマの中心として、1話とはいえ撮り終えられて」

横浜流星
「まあ、そもそもNHK作品、携わったことがないので。
「なぜ自分が?」と。疑問を持ってるんですけど」

林修「それはそうですよね。じゃあ、最初オファーが来たときには、どう思われたんですか?」

横浜流星
「「なんで?」っていう感じですね。
まあでも、選んでいただいたからには、覚悟と責任感を持って、蔦屋重三郎として生きられればと思って、今もいますけど」

来年横浜流星が演じる蔦屋重三郎は、江戸時代に出版業を営んでいた今で言う編集者で、世間にはあまりなじみがない難しい役柄。

(※TSUTAYAはそこからきている)

実はこの役を横浜流星が尊敬する大先輩が以前演じていた。

 

阿部寛さんにインタビュー 「難しい役」「初めての大河で主演は勇気ある事」

横浜流星
「蔦屋重三郎っていうあの…今回生きるんですけど。
阿部寛さんも映画で、蔦屋重三郎を生きてるんです。
だから、大河のお話があった時に、すぐ連絡くれて…」

阿部寛さんとは2022年日曜劇場「DCU」で初共演。
以来、プライベートでも仲良しの2人。

スタッフ
「阿部さんも蔦屋重三郎を演じられて、なんか流星さんに連絡を下って言う風に伺ったんですけれども」

阿部寛
「会ったのか連絡したのか、ちょっと分からないけれども。
ただ要するに「よくやるな」と。「俺すげぇ難しかったぞ」と。
めっちゃくちゃ難しいですよ、あの役は
歴史上のスーパースターの有名人ではない分だけ。
メリハリっていうか、いろんなものが要求されてくる役だから。
まあ、そこ挑戦したかと思ってね。

大体僕なんかは、若い頃大河出て。色んな大御所の人がいて。
で、その中で色んなものを見るし。
「ああ、こういう風に作っていくんだ」と…「大御所の人がこう作っていくんだ」とか。
そういうのをだんだんだんだん何作かやりながら、入っていくんだけど。
そこをいきなり主演っていうのは(笑)
大河とかもやっぱり怖がる人はいますよね。うん。
例えば、主演きても断る人もたぶんいるとは思う。
だけど、彼の場合は、その若さでやるって決めたんだから。
それはすごい勇気があることだと」

阿部寛も感心するほど勇気ある決断をした横浜流星だが、実は日曜劇場「DCU」で見た阿部寛の姿に大きな影響をうけているといいます。

林修
「まあ、阿部寛さんと実際に一緒に演技をされて、何か学びになることはありましたか?」

横浜流星
「もう、学びしかなかったですね。
あんなに経験のある先輩でも、現場でセリフを常に確認していたし。
誰よりも先に現場に入って。背中でみんなを引っ張るような方で。
芝居もそうだし、現場のたたずまいもまなびになりましたね。

林修「じゃあ、それが今回大河に生かされそうですね」

横浜流星「そうですね、はい」

林修「じゃあ、一番最初に(現場に)入られるんですか?」

横浜流星
「…いや、入ってないです。(笑)
まあ、そのしたく時間とかもあるから…ちょっと、はい。
でもまあ、率先して声を上げるタイプの人間ではないので。
その、背中で見せられるようにっていうのは意識してます。はい」

 

極真空手で世界チャンピオンに(中学3年生)

そんな横浜流星さんは、幼少の頃から極真空手に打ち込み、中学3年生の時には、世界大会で優勝
極真空手で世界一になるほど格闘技好き。

林修「もともと空手をなさっていて。世界チャンピオンになられたと」

横浜流星「はい」

林修「格闘技の話はもう…」

横浜流星
「止まらないと思います。
この世界(=芸能界)にいなかったら、目指していた世界なので。はい。

親に小学1年生の頃に「習い事やってみないか?」と言われて色々体験して。
自分はなんか空手を選んで。

小学生の頃は本当にその道場内でもコテンパンにされてたんで。

まあ、そういうのも悔しかったですし。男として。
まあやっぱ、強くなりたいという思いもあったし。
子どもながらに、自分が一度決めたことをやめたくなかったんですよ、まず。
なんかそういうのがなんか芽生えたのかなと思います。空手で」

林修「もうなんか座り方が、武人ですよね」

横浜流星「ほんとですか?いやいやいや」

林修
「え、でも格闘技なさってたら、その美しい顔に傷が入る可能性もありましたよね」

横浜流星
「いやいやいや。もうそんなん、自分ではそんな風に思ってないので。
ぼこぼこ殴ってくれと。殴られた方が燃えるしはい」

 

林修「格闘技好きというと、岡田准一さんとは交流はおありなんですか?」

横浜流星
「あ、あります。はい。
一度お食事させてもらって。色々とお話して。
最近の目標は、岡田准一と戦う」

林修「向こうもでも、かなりの武人ですよ」

横浜流星
「いや、そうなんですよ。
いやでもやっぱ、格闘家の心としては、やっぱそういう自分が負けるかもしれないと思う人ほど燃えるんですよ」

 

父親は寡黙で強く、目指したい男性

林修
「ご家庭は、どんなご家庭?例えば、お父さんは非常に厳しい方なんですか?」

横浜流星
「基本、何かあったら、母とこう言い合いになってしまって。
で、自分が強くなってきてしまったら、母親が言い負かされたりとかしちゃうときに、父親が出てきて、ボコボコにされるっていう感じではあるんですけれども。

基本はでも、寡黙で、無骨で、背中で語るような目指したいと思うような人ですね」

林修
「ボコボコっていうのは、それは口ですか?肉体的にですか?
それは、お父様の場合、どちらなんですか?」

横浜流星
「あのー、まあ、肉体的にもありますね。はい。
やっぱりね、口では効かないじゃないですか、反抗期ってね。
まあ、自分もね、空手をやっていたので。

やっぱり自分の中でもちょっと強くなってきたっていう風に思って、対抗しちゃうんですよ。
まあ、ボロ負けですね」

林修「世界チャンピオンですよね?負けるんですか?」

横浜流星「はい。全然」

林修「でも、理想の男性はお父様?」

横浜流星「そうですね」

 

芸能界へのきっかけはスカウト

寡黙で無骨。まるで武人のような父の下で育った横浜流星だが、実は芸能界入りのきっかけとなったのも武人の父だった。

林修「芸能界に入られたきっかけは何だったんですか?」

横浜流星「スカウトです」

林修「スカウト。え、どこで?」

横浜流星「原宿の竹下通りで」

林修
「見る目確かですね。普通に、じゃあ親子で竹下通りを歩いていた?」

横浜流星
「はい。東京なんて、なかなか行く機会もなかったので。
竹下通りの方行って、ご飯を食べて、その帰りとかですかね」

林修「で、どんな感じで来るんですか?」

横浜流星
「うーん…なんか…父親に話しかけてたんで。自分は全然分からなくて。
そしたらなんか(父に)「スカウトされた」と言われて。
(父が)「じゃあ、テレビに出られるならやってみるか?」みたいな。
「まあ、やりたいならやれよ」みたいな感じです」

 

高校時代の同級生の証言

すごい身体能力で全てをカバー

こうして、学校に通いながら、俳優活動を開始。
一体、どんな学生生活を送っていたのか?

横浜流星さんの高校時代の同級生が登場
現在THE RAMPAGEで活躍する岩谷(いわや)翔(しょう)吾(ご)さんと俳優として活動する三原大樹さん。
卒業後も、定期的に会っては親睦を深めている親友

林修「普段の流星さんはどんな方ですか?」

岩谷
友情に熱い男なので。
「帰るわ」みたいなこと言いだすと、「え、もう帰んの?」ってちょっと寂しい目で僕の方を見つめてくるので。
かわいいなと思いながら、じゃあ残るよって。

「もう帰んの?」って子犬のような瞳で。
「明日早いから」って言うんですけど、流星の方が何時間も早いので。
僕らも言い訳できないというか。確かになみたいな(笑)そりゃそうだみたいな」

林修「高校時代はどんな感じだったんですか?」

三原
球技が苦手だったりとか。泳ぐのが苦手だったりしたんですけれども。
あの、身体能力はすごいので。

あのー投げるボールはヘンテコなフォームだけど、速かったりとか。
あと、息継ぎが分からないからって、全力で25m泳いで、タイムはとてつもないとか。
身体能力で全てをカバーしてましたね」

 

林修「で、息継ぎしないで、25m一気にいけると?」

横浜流星「はい。まあ、一気にいけるというか、それしかないっていう」(笑)

 

原稿の修正点を細かく指摘…そのやり取りが4年間

俳優業ではとにかくストイックな横浜流星だが。
実はそのストイックを友達相手にも発揮してしまうという。

例えば横浜流星原案で、岩谷翔吾が執筆した小説「選択」を4年の歳月をかけて先月ようやく出版したのだが。

その制作過程で事件が起きていた

岩谷
「流星は、僕が原稿データを渡したら、毎回1000文字とか1万文字くらいの膨大な量のその修正点というかを僕に送ってきてくれて。
編集さんも気づかないような誤字脱字だったりとか。
そういうのも流星が「いや、ここ間違ってるよ」って赤入れてくれたり。
そこから、1万字くらいのラリーが続く日々が4年間

林修「「だったらお前書けよ」って思ったことないですか?」(笑)

岩谷
「いやでも、流星もだいぶその…原案流星って名乗ってるんですけど。
結構流星の血が通ってるというか。魂がこもってるんで」

林修
「じゃあその、1万字を超えるような修正案っていうのは、これご自身でパソコンで打って?」

横浜流星「いえ。僕はアナログ人間なので…」

林修「ちょっと一万文字をどうやって伝えるんですか?か…書かれるんですか?」

横浜流星
「書くこともあるし、まあ(スマホで)文字でちゃんと打って送る。
すげえ見ずらいですよね」

林修「文字を打つってこれ?これ?(スマホで打つ?)」

横浜流星
「ちょっとこれ難しいなと思った時は、スクリーンショットして。
それでなんかペンでこうやってやってみたりとかして」

林修「岩谷さん、どう思われてるんですか?普段」

岩谷
「大変でしたよ(笑)。大変だったんだからな(笑)
出版という〆切があったから、こう世に出ただけで。
こう〆切がなければ、たぶんずっとラリーは続いてると思うんですよ。」

横浜流星
「だってさ。もう締め切り終わってるって言ったのに、(修正を)送っちゃった時あったよね」

岩谷
「あった。あれマジで、それはさすがに間に合わんって言って。
しまいにはさ、もう出版ギリギリですって時に「やっぱタイトルなんだけどさ…」って言いだしたときあったよね?(笑)
もう表紙できちゃったよみたいなタイミング」

林修「そこの選択は最初にしとけよって感じですよね」(笑)

岩谷「お上手ですね」

 

挫折…何千回と落ちたオーディション

日本アカデミー賞に大河ドラマ主演と大きな結果を残してきた横浜流星さんですが、10代の頃は、オーディションに落ち続ける日々。
そこから、いったいどのように這い上がったのでしょうか?

 

オーディションは落ちるものだと思っていく

横浜流星「この世界で生きていくと覚悟を決めたんですけど、全く仕事が決まらなかったりとか」

林修
「そういう時期もあったんですか?え、オーディションも受けられたんですか?
その成績はどうだったんですか?」

横浜流星
「まあ…もう何十回、何百回、何千回って落ちてるんで。
もう、落ちるものだと思って行ってます
それこそ、えっと、今事務所でアイドルグループがたくさんあるんですよ。
その事務所の若者がそこになんか集められてて。
で、そこで原宿の竹下通りのところで踊ったりとかしてたし。
そのなかで、じゃあ「グループを作ります」と。
「じゃあ、その中でオーディションをします」と言われて、僕は落ちた組なので」

林修
「え⁉落ちたんですか?その時はどうなんですか?ちょっと悔しいなとかって思われたんですか?」

横浜流星
「その時はやっぱ思ってましたね。あのー同世代。
同じ時間レッスンをしてた仲間がみんなグループに選ばれ、何で俺が外されるんだと。はい」

同世代のライバルたちが輝きを放つ中、自分だけが取り残されたような状態。

 

インプットを大切に…待ってるだけではなく行動することが大事

林修「でも、そういうちょっと辛い時期をどのように乗り越えられたんですか?」

横浜流星
インプットが大事だなと思っていて。
とにかく、映画やドラマを見て、たくさんの人に会い、自分の中でワークショップを探してワークショップに行ってとか。

待ってるだけじゃ、あの何も始まらないし。
やっぱり、やるべきことをやらなければ、何も変わらないと思って。
それで動きました」

 

 

ストイックな役作り…役のために1年かけてライセンス取得

横浜流星について、俳優界の大物たちが口をそろえて語る印象が…

江口洋介「流星くんは、すごくストイック」

佐藤浩市「視野の広さもあるし、ストイックですよ」

阿部寛「やっぱりその、ストイックにものをやっていくって」

 

28歳にして、とにかくストイック
そんな横浜流星の役作りに迫る
横浜流星がブレイクしたきっかけが…
深田恭子主演のドラマ「初めて恋をした日に読む話」。
22歳にして多彩な感情を表現する演技が世間に衝撃を与えた。

林修
「これが一つのきっかけとなって、役が大きくなり、まあ出演作も増えたということですかね?」

横浜流星
「そうですね。ホントにこの作品で世に自分を認知していただいて。
世の女性をドキドキさせなければいけない役回りだったので。
まあ、照れくさいですよね」

林修「でも、我々はピッタリだと思ってましたけどね」

横浜流星
「あ、ホントですか?
なので、まあそこの恥じらいを捨て、しっかりと由利匡平として生きられればと思っていましたね」

 

実際にプロボクサーになり、映画に出演

林修「でもほんと、ストイックな役作りで有名ですよね」

横浜流星「うーん…どうなんですかね」

林修「なんか役のためにも、様々な資格も取られたという話も伺ったんですけど」

横浜流星「はい」

横浜流星は、役作りのために、撮影が始まる1年以上も前から準備をしているという。例えば…

林修
プロボクサーになってしまうという。
これはある一例ですよ。
プロボクサーに実際になられたんですか?」

横浜流星「はい」

林修「ライセンスはお持ちなんで。試合実際にできるわけですね」

横浜流星「そうですね。4回戦は出れますね」

映画「春に散る」でボクサー役を演じるために、1年かけてプロボクシングのライセンスを取得
本物のプロボクサーになって、映画のリングに上がっていた

林修
「まあ、空手ずっとなさってたんで。
このボクシングっていうのは、どうだったんですか?
やりやすいんですか?逆にやりにくいんですか?」

横浜流星
「やりにくかったですね。
僕は蹴りが得意なタイプの人間だったので。
それを封印しなければいけないので。
もうホント、一から学びました」

林修「なんかその、芸能人同士でのこのスパーリングみたいなことはあるんですか?」

横浜流星
「(映画)「春に散る」で、えっとボクシング指導者が松浦(慎一郎)さんって方で。
数々のボクシング映画の監修をやってて。
松浦さんが、芸能人をメチャクチャ教えてます。

それこそ、僕がプロテストを受ける時に練習してた時に、菅田(将暉)くんと柄本(佑)さんと妻夫木(聡)さんと一緒だったし」

林修「柄本(佑)さんめっちゃ強いって菅田(将暉)さんおっしゃってましたよ」

横浜流星
「あ、そうですか。あーでもそうかもしれないです。
何か確かに、僕がプロテスト受けるために週3,4で練習してた時に、毎回いましたね」

そんなガチな男柄本佑と横浜流星はこぶしを交えた経験がある

横浜流星
「あ、やっぱリーチがあるんで。あのジャブがね。なんか邪魔なんですよね」

林修「あ、実際にじゃあ?」

横浜流星
「あ、はい。僕はもう動くしかなかったんで。
もう、動いて。中入ってってやったりしてましたね」

林修「柄本さんは、なんかダウンした後にどう戦うかを練習されてる…」

横浜流星
「どこを目指してるんですかね…。でもほんとにそれも役作りのためで。
ホント数々の素敵なボクシング映画はたくさんあるんですけど。
ボクシングシーンに関しては、「何だこれ?」という風に思っていたので。
まあ、格闘家目線で見ると。
だからやっぱ自分がやるからには、そこは変えないといけないと思って。はい」

 

泳げなかったのに、スキューバダイビングのライセンスを取得

横浜流星のストイックな役作りはこれだけではなく…

映画「線は、僕を描く」で水墨画に魅了された大学生役を演じるとなれば、1年間かけて水墨画を学び

日曜劇場「DCU」潜水特殊隊員を演じた際には、リアルを追求するあまり、スキューバダイビングのライセンスを取得

しかも、驚くべきことに…

林修「元々泳げなかったんですよね?」

横浜流星「ああ、そうですね」

林修「泳げないっていうのは、ちょっとびっくりでしたけれども」

横浜流星「いや~泳げないですね。苦手ですね、水が

林修「それで取れちゃうものなんですか?」

横浜流星
「うーん…まあ、阿部(寛)さんと一緒にやりたかったっていう想いと日曜劇場に出演したかったっていう想いで。はい」

林修
「で、ドラマでは海で溺れている子どもを救うっていうシーンがありましたよね。
それは特に怖くはなく?」

横浜流星
「まあ、そうですね。そこの恐怖心があったら、瀬能として生きれてないので。
その時は恐怖心はなくいましたね」

では、横浜流星をバディ役として近くで見ていた阿部寛は彼が泳げないことに気づいていたのか?

阿部寛
「いや、全然そういう(=泳げない)感じはしなかった。
あとでそれを聞いて。ああ、そうなんだと思ったぐらいで。
で、そういう役(=潜水特殊隊の役)だったから。
一生懸命努力してやってくれたっていうのは嬉しかったですね。

動きはホントもうキレがある。まあ、足速いし
それで僕が彼に、まあ追いかけられるみたいなシーンがあったんですよ。
速いから、一瞬で追いつかれちゃうわけ。
「ちょっと速度落としてくれ」って。

それこそ「DCU」でまあちょっと気を失うシーンがあったんだけど。
気を失うって…「あ、流星気失ったことあるか?」つったら「もう、数えきれないほどある」っていうわけ。

「なんで?」って言ったら、空手の時に、先生に耐える稽古。
それを何回も経験した時に、気絶するんだって言って。
それを聞いた時に、半端じゃねえなこいつと思って。
そうだな。そうだったなと思って。
なまじの根性じゃないでしょうね」

 

阿部寛さんから見た流星さん「いつのまにか横にいる」「人懐っこい」「裏表なく、信頼できる」

そんな過酷な撮影の中、2人には意外なやり取りが…

林修「休憩時間中に、(阿部さんと)直接お話されたことは何かありますか?」

横浜流星
「たくさん写真を撮りましたね。はい。
自分インスタグラムをやっていて。
「#寛と流星」でよく載せてました。
いやなんか、ノリノリで。ノッてくれるんですよ。
「流星、これの方がいいんじゃねぇか」」

この休憩中の何気ないやり取りに、実は阿部寛の方が助けられていたのだという。

阿部寛
「僕はまあ1人だけちょっと年齢が今回他の人より高かったから。
ちょっと距離がある感じがあるじゃないですか。
皆も「どう喋っていいか分からない」ってところがたぶんあったと思うんですよ。

でも流星の場合はそこを乗り越えてきて。
いつの間にか横にいたりとか。

僕がなんか確か覚えてるのが、防波堤の上で、ちょっと待ち時間があったから、ちょっと日向ぼっこしようと思って寝てたんですよ、こうやって。
そしたら、いつの間にか誰か横に寝てるやつがいて(笑)。
見たらなんか、寝息立ててるんですよ。ちょっとな…なに?(笑)

なんか、そういうところが、なんか結構多々あって。
クロールの練習もオレがたぶんなんかやってたんですよね。プールで。
で、暫く横で後ろでパシャパシャ音すると思ったら、同じ行動とったりとか。

だから、そういう人懐っこいとこは、本当になんかね、現場でも助かりました」

スタッフ
「阿部さんからお話を伺っていて。
ホント横浜流星さんて、色んな人とコミュニケーションとったりとか、すごいパーフェクトな俳優さんだと思うんですが…」

阿部寛
世間で思われてるのと変わらないですよ。裏表はないですよ。うん。
だから、すごく信頼できる。うん。…ほめ過ぎか?大丈夫か?
あんまり褒めるとなんかあれがきつくなっちゃうか」(笑)

 

28歳となり、映画でも来年の大河ドラマでも責任ある立場となった横浜流星さんですが…。
実は、仲良しの先輩阿部寛さんは少し心配していました…

阿部寛
「逆にそこ心配するけども。出世が早い(笑)なんかすごい早いなって。
羨ましいですけどね(笑)。
だけど、今の時代はもう海外とか色んなものがあるから。日本だけじゃないんで。
それが早くても、次っていう大きな目標がたくさんあるんで。
どんどんチャレンジして、どんどんやってって欲しいと。
まあほんと、体に気を付けてね。
あの、大河終わった頃には、メシ奢ってください」

 

その役の人物として生きる

演じるのではなく、生きる

大物俳優たちも舌を巻く横浜流星の1つ1つの作品への向き合い方。
その根底にあるのは、彼がここまで何度も口にしているこの言葉。
生きる

林修
「まだわずかしかお話伺ってないんですけれども。
先ほど由利匡平として生きる。瀬能として生きる。
役を演じるってことは、その人を生きるっていう感覚をお持ちなんですね」

横浜流星
「そうですね。自分はそこを意識してますね。
演じるではなく、生きる」っていうのを。はい」

林修「演じると生きるはどう違うとお考えなんでしょうかね?」

横浜流星
「まあ言ってしまえば(演技は)噓の世界ではあるんですけど。
その世界の中でも、よりリアルを追求して、違和感なく自然に生きたいんですよ。うん。
なんか演じるっていうのは、嘘だと思ってて。

ちゃんとその心を持って、その人物として生きたいから。
「生きる」っていうのを自分の中で大事にしてます。はい」

 

経験が少ないからこそ、自分を消し、その人物として生きる

林修
「じゃあ、そのために何かなさることっていうのは、あるんですかね?」

横浜流星
自分を消す。はい。
自分は普通の人間よりも経験もないですし。
まあ、ホント小学6年生でこの世界(=芸能界)に入っているので、日常経験がないし。
経験がある人には負けますし。
だからこそ、そこでは戦えないなと思っていて。

だから役のアプローチって2種類あると思っていて。
役を自分に近づける人と自分が役に向かって行く。
自分は極力、自分を消して、役を愛し、誰よりも理解して生きたいなと思っていて」

林修「自己否定を通じて、究極の自己表現を図るっていうことですよね」

横浜流星「そうですね、はい」

林修「イメージとピッタリ合いますね」

小学6年生から芸能界に入ったことで、自分自身の社会経験が人よりも偏っていることを自覚しているからこそ、どんなに時間がかかっても、役の人物が歩んできた道を一度経験し、その人物として生きる
これが、俳優・横浜流星の生き方

日本アカデミー賞に大河ドラマ主演と大きな結果を残してきた横浜流星だが、10代の頃は、オーディションに落ち続ける日々。
そこから、いったいどのように這い上がったのか?

 

 

映画監督 藤井道人さんから見た横浜流星さん

小学1年生から10年間続けた極真空手で培った精神力。

そして、日の目を浴びなかった時期にインプットした演技の基礎が、20代に入ると一気に開花し、輝きを放って行くのだが…

その成功の影には横浜流星が兄のように慕う俳優人生一番の恩人の存在がありました。

林修
「実はここで、俳優としての横浜流星さんのことを良く知るある方からコメントをいただきましたのでご覧ください」

 

映画監督 藤井道人さん
2019年に手掛けた社会派映画「新聞記者」は日本アカデミー賞で最優秀作品賞や優秀監督賞など6部門を受賞。

横浜流星さんとはこれまで6作品でタッグを組みました。
(映画「青の帰り道」 映画「DIVOC-12」 ドラマ「新聞記者」 映画「ヴィレッジ」など)
10歳離れていますが(横浜流星28歳、藤井道人38歳)、プライベートでも仲の良い兄弟のような関係。

 

飲み会で馴染めてなかった2人

スタッフ「お互い忙しい中でも、ほぼ毎日のように連絡を取り合っているそうで」

藤井道人
「基本的には、テレビでるのもそんな得意な方じゃないというか。
「何でもいいからどんどん行って来いよ」ってお兄ちゃんは言うんですけど。
「う~ん」みたいな。「俺うまくしゃべれないんだよ」みたいな。

「それは見たことあるよ。お前の上手く喋れてないのは」。

でも、「初耳学は頑張れる」って。楽しみにしてたと思うんで。
林先生とうまく話しできてるか、ちょっと心配ですね」

 

そんな2人は8年前、映画の打ち上げ会場で出会ったのですが…
それがとても印象的だったと藤井監督はこう振り返ります。(横浜流星当時19歳)

藤井道人
「映画の打ち上げで。あの、オムニバスだったんで別の作品だったんですけど。
馴染めてないヤツが俺以外でもう1人だけいて。それが流星でした

陽気な打ち上げで。カラオケをみんなが歌うんですよ。
絶対歌わないぞと決めた僕と同じような顔で、ずっとジッと下を向いてるのが流星で。

「お、コイツ気合うな」みたいな。はい。
なんかすごいみんなが来年の仕事の話とかしてるんですけど。
俺と流星でチラッと目が合って。

「あっ、横浜さんも決まってるんですか?」つって。
「いや、一個も決まってないです」みたいな。
「俺もです」みたいな。
「お互い売れてないっすね」みたいな話で盛り上がったというか」

 

流星さんさんの魅力は「作品に対しての誠実さ」

まだ駆け出しだった2人は境遇が似ていたことで急速に仲が深まり、以降、藤井監督から横浜流星へ出演をオファー。
また、横浜流星さんからもこんな作品を作ってと提案するなど切磋琢磨しながら、ここまで成長し続けてきました。
そんな藤井監督は俳優・横浜流星さんの魅力をこう語ります。

藤井道人
「まあ、誠実さですかね。やっぱ作品に対しての誠実さとか。
作品を待ってくれてる人たちのために手を抜かないって、一見当たり前のように聞こえて、みんなができる事じゃないというか。
だから、携帯電話とか絶対現場に持ち込まないし。台本も持ち込まないというか。
ストイックなヤツだなっていっつも思って。

それこそ「春に散る」という映画で、彼がボクサーのプロライセンスを取ったんですけど。
「ミッチー取ったよ。めっちゃ鼻血出た」って。
鼻血出てまでプロライセンス取る奴。僕ちょっと周りにいなかったんで。
あん時は、本当に尊敬しましたね。すごいねって」

 

出会いから4年後2人はアカデミー賞を受賞する

かつて打ち上げ会場で次の仕事が決まっていないと嘆いていた2人は、その4年後・・・。
2020年 藤井監督が映画「新聞記者」で日本アカデミー賞優秀監督賞を受賞。
そして同じ年。横浜流星さんが「チア男子!!」など3つの作品でアカデミー賞新人俳優賞を受賞。
最高の晴れ舞台に揃って登壇するまでになりました。

 

林修
「随分長い年月を2人三脚と言ったらおかしいかもしれませんが、そういういい関係でずっとやってらっしゃったんですね。

横浜流星
「そうですね。なんだろうな…言葉じゃ言い表せないような関係だと思ってます。自分らの関係は。
まあでも本当に、共に何者でもない時から戦って。それをお互い共有し合っているので。うん。

だからこそ、アカデミー賞で同じ場に立って。
「新聞記者」で作品賞を取った時には、自分のことのように喜びましたね。
感慨深かったですね」

 

今回映画の現場で大人になった流星さんを見れた

そして、2人が7度目のタッグを組んだのが映画「正体」(2024年11月29日公開)
個の撮影現場で藤井監督が見たことのない横浜流星さんの行動があったといいます。

 

藤井道人
「大人になった流星っていうのが「正体」では見れたのが。
自分より若い俳優に兄貴ぶってる感じが。
座長感出してる。こう「大丈夫だよ」とか。
昔はそんな事絶対できない子だったのに、年を取るにつれて、こう大人になってきてる。
周りを気遣えるこう俳優になってきてるのが…吹きそうになりましたね。
「おい、やってんな」みたいな。

本当に責任感がたぶん年々増してって。
まあ、それこそ大河の撮影とかも頑張ってると思うんですけど。
自分が背負わなきやいけない、作品をっていう気持ちが、たぶん年々強くなってきてるんだなと思いますね。」

 

林修「座長としての責任感をぷんぷん漂わせるところまできたと」

横浜流星
「そうですかね?でも、僕ももう30になっちゃいますからね。
もう後輩たちも増えてきているので、いつまでも下でいられないし。
ちゃんとコミュニケーションをとって、現場全体を見ていかないといけないなっていう気持ちは強くなってきてますね」

 

藤井道人監督からメッセージ

「流星、いつもお疲れ様です。えーと、年は離れてるけど、尊敬して、信頼してます。
何年経っても一緒に面白い作品作っていきましょう。
ホントに心配なのは、バラエティーでうまく喋れてるか心配です。
ちゃんとおっきい声で、笑顔で、礼儀正しく頑張ってください。
応援してます」

 

横浜流星「親かよっていう(笑)」

林修
「でも、藤井さんの心配に関しては、いやいやもう本当にちゃんと礼儀正しく、大きい声で、笑顔ではっしっ…喋ってらっしゃる。
全然問題ないと思いますけれども」

(ナレーション ちゃんと喋れていないのはインタビュアーの方だった…)

 

最後に…「役を生きる」を大事に

林修
「本当に、こう今お話伺ってても、役作りをストイックになさるなぁと。
これは誰かの影響もあるんですか?それともご自身の独自のものなんですか?」

横浜流星
「自分の認識としては、役作りとして必要だからやっていて。
当たり前のことを当たり前のようにやっているだけで。
ただ、不器用なので、人一倍やらなければいけないとは思ってます。
っていうのと、「役を演じるのではなく生きる」これを大事にしてます

林修「じゃあ、今何をしている時が一番落ち着きますか?」

横浜流星「格闘技観てる時」

 

人から見ればストイックと言われるかもしれないが、自分はやるべきことをやっているだけ。
愚直なまでの真っ直ぐさを武器に、横浜流星はこれからも役の数だけ人生を生きていく。

タイトルとURLをコピーしました