俳優のみならず、音楽界でも活躍する菅田将暉さん。
今年31歳
2020年から3年連続日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞
※2020年「アルキメデスの大戦」
2021年「糸」
2022年「花束みたいな恋をした」
2024年9月16日自身初のアリーナライブ(東京)主宰するなど、アーテイストとしても第一線で活躍している。
ジブリ作品で初声優「君たちはどう生きるか」
宮﨑駿監督に「変な役でごめんね」と謝られ…
林修「いや、ほんと声いいなと思って」
菅田将暉「いや、嬉しいっすね。まあでも声大事ですよね。」
林修「菅田さん声優のお仕事は?」
菅田将暉
「あ、えっと去年ジブリを1本やらせてもらいましたね」
ジブリ作品初声優を務めたのが、2024年アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞した「君たちはどう生きるか」。
ここで、物語のキーパーソンとなる人間の言葉を話す鳥男アオサギを好演。
実は収録の直前、この配役について宮崎駿監督からある言葉を掛けられたという。
林修
「「君たちはどう生きるか」では、宮崎駿監督からなんか配役のことで謝られたっていうお話を伺ったんですが」
菅田将暉
「そうですね。謝られたっていうか、あのー「変な役でごめんね」とは言われました」(笑)
林修「それどういうことですか?」
菅田将暉
「いや、なんか僕もどういうことか分かんないっすけど。
アオサギっていう鳥の役なんですけど。
人間の姿だったり、鳥の姿だったり。
まあ変な役っちゃ変な役なんですけど。
顔合わせ的な、ちょっと声あててみるみたいな日があって。
そん時宮﨑さんが来られないと僕は聞いてたんですよ。
で、ブース出て、外出たら、宮崎駿さんが立ってて。
「あれ、今日いないって聞いてたのに…てか、めっちゃ宮崎駿だ」みたいな。
もうイメージ通りの。エプロンされて。神々しい。ほんと神様みたいな。
サーって立ってて。
ちょっと時が止まってたら、第一声で「変な役でごめんね」って。
林修「そう言われて、どうお答えになったんですか?」
菅田将暉「それ何も覚えてないですね」
特に監督から演出はなく、自分で考えたアオサギを演じ…
そんな宮崎駿監督との初顔合わせを終え、後日収録本番日を迎えたのだが…
また、アオサギ菅田将暉に宮崎駿監督から驚きの発注が
菅田将暉
「まあ、アオサギ、鳥の役なので。
鳥のシーン。飛んでてカアカア言ってるようなシーン。
「これを俺がやるのかな?」とか。
決まってないので。
で、「現場行ってやれそうだったら、じゃあ菅田さんにお願いします」って。
とはいえ、その実際の青サギの声って聞いたことあります?
ちょっと色々調べたら、なんかノイズっぽいなんかこう「ギャー」みたいな。
まあ、マイクの前で、「青サギなんか色々調べたら、こんな「ゲー」とかだったんですけど」ってしゃべってたら、遠くの方で宮﨑さんんが「それでお願いします」って言われて。
で結局、それで通して全部やったんですけど」
林修「それを駿監督がOKと?」
菅田将暉
「OKってことだったんですかね?
もう「それでお願いします」しかほとんど言われてなかったですかね。
でも結局、演出という演出がほとんどなかったんですよ。」
続けているボクシング 「柄本佑は強い!」
林修
「以前来てくださったときから、2年の…。もう31歳になられたってことで。
現在もボクシングはなさってるんですか?」
菅田将暉
「今やってますボクシング、はい。通ってますね。対人でスパー(リング)もやりますね。
うちのジムだんだん役者陣も増えてきて。
最近だと柄本佑(たすく)くんとかが、よくジムで一緒になるんですけど。
むちゃくちゃ強いんですよ。ボッコボコにされるんですよ、いつも。」
林修「もう役者同士は容赦なし?」
菅田将暉
「容赦できるほど僕らも上手くないんで。
なんていうのか、危ないほどパンチ打てないです、素人は。
危ないとこまでまだいってないですけど、佑くんだけは危ないです。
だってこの間強くなり過ぎたのか、練習するものがなくなったのか知らないですけど、ダウンした後にどう戦うかみたいな練習とかしてた(※ダウン後の目が回った状態で立ち上がり戦うための練習)。
いる?それ。
まあプロの方はする練習らしいんですけどね。
ダウンした時にどれだけ冷静さを保って、その整えられるかっていうのの練習で。でもそのために、わざわざリング内でゴロゴロゴロゴロ転がって。こう平衡感覚をなくしてから、スタートみたいなのをやってて。
「あの人俳優だよな?」とか思いながら」
結婚し、父となり仕事にも変化
20代前半は怒涛の日々を過ごし、22歳だった2015年はドラマ(6本)、映画(4本)合わせて10本。
2016年に至っては14本(ドラマ5本、映画9本)という驚異の仕事量をこなしていた。
仕事を制限
しかし、31歳となった現在。
結婚し、父となり、仕事への向き合い方にも大きな変化が生まれたという。
林修「30,31と歳を重ねて、なんか最近考え方が変わってきたなっていうことを実感されてることありますか?」
菅田将暉
「あー最近ですか?今どうしたって、仕事もちょっと制限してたりもするんで。
まあ、そのー家庭のことがあったり」
林修「仕事は制限されてるんですか?」
菅田将暉
「今ちょっと制限してますね。まあ、子供ができたっていうのもあるんですけど」
林修「まあ、以前が無制限にも度があるっていう仕事でしたもんね?」
菅田将暉
「まあまあ、そうですね。
まあ、今ちゃんとある程度制限するためにも、当時はやっぱ無制限にやってたみたいなとこもありますけど」
林修「やっぱその少し制限しようと思われたきっかけは何かおありだったんですか?」
菅田将暉
「きっかけは…まあ結婚したこともそうですけど。
全然海外とか、旅行とか行ってないなとか、はい。
仕事しかしてないなとか。
ただそれだけですけど」
林修「見知らぬ地に行くと、色々こう吸収するものも?」
菅田将暉「ありますね。あと、食べ物美味しかったりとか」
林修「前回出ていただいた時、食べ物の話を語る印象なかったですもんね?」
菅田将暉「あ、そうですか?ああ、じゃあそこ変ったかもしれないですね、はい」
林修「以前の時はほんと仕事だけに全てをっていう印象が強く残ったんですよね」
菅田将暉「そうですね。そうでした、はい」
俳優として 演技への向き合い方
そんな中、菅田将暉は28歳の時、自身の役者としてのあり方を大きく見つめ直すことになる作品と出会う。
それが…林修も大ファンだというドラマ『ミステリと言う勿れ』。
おしゃべりで、天然パーマがトレードマークの主人公久能整が独自の価値観と持論で謎を解き明かしていく物語。
累計発行部数1900万部超えの人気コミックのドラマ化ということもあり、見逃し配信の再生回数は、当時の民放ドラマ歴代最高となる2389万回再生(1~8話)を記録した。
宮沢賢治になるため、映画に出てくる原稿全てを手書きした
役者として徹底的に役作りにこだわった作品が…
憧れだった役所広司との初共演となった映画『銀河鉄道の父』。
文学者宮沢賢治を演じたのだが、劇中に登場するこの原稿用紙に役作りのこだわりが…
林修
「すごく役作りをとことん突き詰められて。
劇中に出てくるその書き物の小道具は、全部ご自身が書かれた?」
菅田将暉「はい。書きました」
林修「普通のことなんですか?」
菅田将暉
「まあ、普通の事なんじゃないですか?
書けば書く分だけ、宮沢賢治として過ごせる時間みたいなのがやっぱ長くなるんで」
林修「え、量としてはどのくらい書かれたんですか?」
菅田将暉
「えー?どれぐらい書いたんでしょうね?
劇中の全編書きましたね。そのー映るものは全部書きましたね」
なんと、この膨大な原稿。そのほとんどが菅田将暉本人の手書き。
宮沢賢治がどんな想いで1文字、1文字を綴っていたのか。
実際に書くことで、自身の中に役を落とし込んでいったという。
さらに役作りのために…
役のために空腹による痛みで寝れなくなるほどのダイエット
前回出演時はクランクイン直後で減量中で、すごく痩せていた。
菅田将暉
「まあ、あれもちょっと時間経過で、4日間ぐらいですごく体重落とさなきゃみたいなのがあって。
で、ちょっと無理なダイエットをしてました、あの時は。ちょっとそうですね。
でもう、ほんとほぼ断食ですよね。をしてたんですけど。
ほんとにお腹すくと、その胃とか内臓が皮膚に当たる痛みで寝れなくなるんですよ。
現場でかりんとうの差し入れがあって。
めっちゃその美味しい地元のかりんとうだったんですよね。
僕がその時ダイエット中なのに、役所さんが2袋、俺の目の前でこう食べてた。
「チクショウ」みたいな。
わざとたぶんやってたんだと思う」
林修「良い方ですね」
菅田将暉「(笑)いい神経してますよね」
そしていざ撮影が始まると、憧れの役所広司の演技はすごかった。
林修「役所さんはどんな印象が残りました?」
菅田将暉
「いやースタートダッシュみたいな速さはすごく感じましたね、お芝居の。
第一声の「おらぁ」(怒声)より、やっぱ2回、3回言ってった方がだんだんこうおっきくなってったり、怒りとかも増してくみたいな。
でも役所さんとかは、最初からガーンって凄いエネルギーでくるとか。
いきなりトップギアでくるんですよ。
なんかポルシェみたいなエンジンというか。
1秒で100㎞行けますみたいな。
いわゆるリハーサルで、こっちがバッて言うシーンがあって。
いや、役所さんも最初から常に全力で来てくださるから。
こっちも全力で行かなきゃと思っていったら、もう本番の時にこっちもうエネルギー不足みたいな…」
林修「食べてもないし」
菅田将暉「食べてもないしってなって。全然太刀打ちできないまま終わるみたいな」
林修「それはもう向こうはかりんとう2袋食べてますからね」(笑)
菅田将暉「ほんとですね」
共演した富田望生さん 「体の状態が役と同じ状態になっていく」
ドラマ「3年A組―今から皆さんは、人質ですー」で共演した富田望生(みゆ)も実直に作品と向き合う菅田将暉の姿を目の当たりにしたという。
富田望生
「とにかく菅田さんの役作りが現場づくりに比例してるような時間を過ごしたなと思っていて。
助監督の方が毎朝菅田さんと握手をして始める時間があるんですけど。
その助監督さんが、まああの最終回近づくにつれて、どんどん体温が低くなっていくと。
菅田さんはその病気を患っていく先生の役だったので。
その細々として体温が低くなっていく。
それを感じるたびに、コイツホントにすげえなと思うんだよっていう話を生徒にしてくれたりとか」
澤部佑「なんかやっぱあるの?座長菅田くんから現場に差し入れみたいな?」
富田望生「食べ物で印象的だったのはバウムクーヘンを丸々一本。筒についたまま
中島健人「いや、春菜さんも結構ドラマ出てますけど、差し入れとかします?」
近藤春菜
「たまにね。たまにですよ。
でも、私あのー友達がドラマやってたりとかすると、自分が出ていなくても差し入れしたりするんですよ。
そしたら、(ドラマに)出してくれたりする。
うん。だからもう後半は、後半はなんか差し入れが先か出演が先かみたいな、もう」(笑)
アーティストとしての菅田将暉
俳優と音楽の両方があるから両立できる
俳優菅田将暉のもう一つの顔が、アーテイスト。
米津玄師がその声にほれ込み、自らオファー。
2019年には『まちがいさがし』で紅白初出場。
映画『STAND BY ME ドラえもん2』の主題歌となった「虹」では、ストリーミング累計再生回数が4億回を突破するなど、俳優業に加え、毎年新曲に加え、ライブの開催など音楽活動も精力的に行っている。
林修「まあ、ハードな(スケジュール)」
菅田将暉
「いやいや。でも逆に言うと、両立…2つあるからできてるんですよ。
そのお芝居だけだと、できてないと思います。
音楽業もあるからできてるなとは思います。
1つだけだと、たぶんもっと詰まって、どこかで壊してると思いますね。
自分発信のものもやんないと、壊れちゃうな、みたいな。はい。」
父が大好きな吉田拓郎さんの音楽を幼少期からよく聴く
菅田将暉の生きがいの1つともなっている音楽活動。
その原点には、あの吉田拓郎の存在があった。
5歳からピアノを習い、幼少期から音楽が身近な存在だったという菅田将暉。
中でも、ギター好きの父親の影響で幼いころからよく聴いていたアーテイストが…
林修「吉田拓郎さんは菅田さんのアーテイストとしての活躍とどういうご関係があるんですか?」
菅田将暉
「吉田拓郎さんは。まあうちの親父が大ファンなんですよ。
「拓郎!」つって青春を過ごしてきた人で。もう人生何回も救われたっていう。
いまだに一緒に車に乗ると、拓郎さんのアルバムばっか流れてますし。
まあ、自分が運転してても、拓郎さん(の曲)をかけますし」
林修「でもお父さんが吉田拓郎が好きでずっとかけてらっしゃったっていうのは、やはりこう影響は?」
菅田将暉
「いや、でも少なからずあると思います。
やっぱりこう、フォークロックというか、アコギで歌ってる様みたいなのの一番最初の原点で浮かぶのは、やっぱ拓郎さんの感じとかなんですかね?はい。
これは初めての親孝行なのかな?みたいに思ったことがあって。
吉田拓郎さんとKinKi Kidsのお二人の番組があって、「LOVE LOVE あいしてる」っていう。そこにゲストで呼んでいただいた時に、あのーここはさすがに親父観覧なのか、収録声かけようかなと思って。
「吉田拓郎さんとご一緒するよ」つって。
で、(父が)「行く行く」つって、来て。
僕が(吉田拓郎さんに)「父です」って言うなり、「すごい拓郎さんのこと大好きで…」っていうなり、拓郎さんの方からなんかもうこうハグして、握手とかしてくださって」
林修「親孝行しましたね」
菅田将暉
「だからあの時はちょっと嬉しかったですね、僕もなんか。
あんな感じの父を見ることなんてないから。」
23歳で音楽活動を開始ーバンド仲間・タイヘイさんが語るエピソード
菅田将暉が本格的に音楽活動を開始したのは、23歳の時。
当時の様子を一番よく知る本当の親友にも話を聞いてきた。
それが…菅田将暉さんの音楽仲間菅田将暉バンドのドラマータイヘイさん。
デビュー当時からライブでの演奏サポートや楽曲制作を共に行うアーテイスト菅田将暉にとって、なくてはならない存在。
そんな2人の出会いは2016年の映画「何者」。
元バンドマンの役を務める菅田将暉とバンドメンバー役で共演。
その初対面が衝撃の連続だったという。
衝撃①「出会ったその日にセッション」
タイヘイさん
「撮影所で「はじめまして。よろしくお願いします。菅田です」みたいな感じで、出会いましたね。
「え、今日の夜は?」みたいな。
「予定あるの?」って言われて、菅田くんから。
「予定、全然暇だし合わせるよ」みたいな。
そしたらなんか、三茶(三軒茶屋)集まろうみたいな…なって。
で、5~6時間後に再集合して、スタジオ入って、セッションして。
もういきなり。
その日…そうですね、その日の夜集まってセッションして」
衝撃②「出会って数時間で自宅訪問」
で、焼肉食いに行くべってなって。で、焼肉食ってたら、まあ気づいたら(深夜)1時~2時とかになってて。
(菅田)「明日大丈夫仕事?」みたいな。
(タイヘイさん)「まあ、全然大丈夫よ」みたいな。
(菅田)「じゃあ、うち来る?」とか言って(笑)。
そのまま菅田くんの家お邪魔して。
洋服がもうすごいバーッてあって。試着して遊んで。
で、コーディネートしてもらったりして。
そのまま着て帰るみたいな(笑)。
ちょっと貸してとか言って。
会った(初)日にそうなりましたね。」
タイヘイさん
「もう実力とかあんま関係ないようなそういうパッションはもう最初っからあって。
もうたぶんその時点で20年位自分ドラムやってたんですけど。
もう一番最初に音出したときの楽しさみたいのは、やっぱあって」
以来、とにかく純粋に音楽を楽しんできた2人。
長年のパートナーから見ていまや紅白にまで出場するアーテイスト菅田将暉の魅力とは
タイヘイさん
「魅力はめちゃくちゃありますけど。
えっと、やっぱり自分はドラマーなんで。
そのライブやる時にこうあの背中の説得力というか、このフロントマンとして全体をリードするエネルギーみたいのは、もう半端ないなって思いながら叩いてますね。
「かっけぇ」って心から思ってます。」
菅田将暉
「ほんと僕からしたらタイヘイたちと出会ったことで始まってるので。
だから、ほんと…最初に見た、親鳥みたいな存在なんですよ、音楽の世界の。
僕はもう超ひなで」
林修「今は彼が背中を見てかっけぇって言ってた」
菅田将暉
「いやいやいや、もう本当にうれしいですね。
だし、もうほんとあの何て言うんですかね。ただの友達なんで。
今あんまなんかない感覚なんですけど…」
林修
「まあ、実はインタビューで、タイヘイさん8年前の映画「何者」でスタジオに入った際に、オリジナルソングを作ったっていう話を」
菅田将暉「作りました 作りました。覚えてますね」
林修「なんでもその歌詞が結構きわどいものだった」
菅田将暉「きわどい…そうですね。」
林修
「実はですね、そのオリジナルソングをタイヘイさんが今回この番組のために提供してくださったんですよ」
菅田将暉「ハハハハハ(笑)。でも、流せるのかな?ほんとに」
テレビ初公開。菅田将暉が人生で初めてつくったオリジナルソング。
菅田「いや、これ大丈夫?マジでダメなんじゃない?」
…と本人が心配している通り、サビ以外の歌詞は下ネタが多く、放送コードギリギリアウト。
ということで、ライブシーンの撮影時、ゲリラ的に披露したオリジナル曲。
そのサビの貴重音源をお聞きください。
♪OVER MUSIC 君だけは何者じゃなくなる OVER MUSIC 僕たちはこれから長い時間
撮影するけどよろしくね 三浦大輔組(※監督三浦大輔)
恩人・青山真治監督との絆
俳優、アーティスト、声優と30代になり、さらに仕事の幅を広げる菅田将暉だが、彼の役者人生を語る上で欠かすことのできない恩人がいる。
恩人青山真治監督と菅田将暉の絆に迫る
ホラー界の巨匠・黒沢清監督映画『Cloud クラウド』に出演
世界で熱狂的に支持されるホラー界の巨匠・黒沢清監督の最新作映画『Cloud クラウド』(2024年9月27日公開)。
(※黒沢清監督は、2024年北野武、坂本龍一も受賞したフランス芸術文化勲章オフィシェを受賞)
菅田将暉演じる転売ヤーの主人公が知らず知らずのうちに恨みを買い、ネットでつながった集団による仮ゲームの標的となってしまうサスペンススリラー。
林修「え、なんかとっても楽しい現場だったって」
菅田将暉
「むちゃくちゃ楽しかったですね。
でもちょっと怖いシーンとかになると、黒沢さんのギアがちょっと上がるんですよ。
また黒沢さんの演出が独特というか。
それが結構個人的には楽しくて。
演出って、監督人それぞれありますけど、だいたい8割ぐらい気持ちの話をするんですよ。
今まで僕の経験上。
でも、黒沢さんは、気持ちの話はあんまりしないっていうか。
あのー聞いても、「僕もちょっとあんまりわからないですね」って。
ただ、動きとか動線はなんとなく決めてくださるんですよね。
普段生活してるとあんまりしない動き方とか。
なんか人間っていつの間にかなんていうのかな?当たり前に動くよねって多分あるんですよね。
それをちょっと崩す?
人の横にそんな立ち方したら怖いよとか。
普通喋ってたらこれくらいの距離なのに、急にこれぐらいで(近づいて)インタビュー受けたら怖いじゃないですか。
みたいなことをつけてくださるんですよね」
青山真治監督作品『共喰い』に事務所の反対を押し切り出演…日本アカデミー賞受賞
じつは、そんな黒沢清監督と菅田将暉との出会いには今は亡き恩人との物語があった。
それは遡ること11年前。2013年、菅田将暉が20歳の時に出演した映画「共喰い」でのこと。
この作品で監督を務めたのが、青山真治監督だった。
菅田将暉
「そもそも青山真治監督の「共喰い」って映画で、ロカルノ映画祭っていうスイスの映画祭に昔、20歳の時に行ったんですよ。
で、そこで同じ時期に別の映画で来られてた黒沢さんがいらっしゃって。
で、黒沢さんと青山さんがお知り合いというか、お互いの関係性もあるんで、ロカルノでじゃあみんなでご飯食べましょうっていう。
で、そこで初めてお会いして。
青山監督の「共喰い」はR指定が付くほどの濡れ場や暴力シーンもあったことから、当時アイドル的な仕事も多かった菅田将暉の出演に事務所は猛反対。
しかし、その反対を押し切り、俳優として大胆な路線変更に挑戦した結果…この作品で、自身初となる日本アカデミー賞を受賞。
菅田の出世作を担った青山監督は、進むべき道を示してくれた大恩人。
青山真治監督が亡くなり…
しかし、「共喰い」から9年後の菅田将暉29歳の春。
青山監督と再び会うことは叶わなくなってしまう。
菅田将暉
「で、まあ、青山さんが亡くなられて。
また次いつ青山組出られるのかなと思ってたところに、そんなことがあって。
で、悲しいなと思ってたら、黒沢さんからまたお声をいただいてっていう感じでしたね」
林修
「お話伺ってると、今回の作品がこういう形で出来上がったのは必然だったような印象も受けますね」
菅田将暉「そうですね。僕はそう思ってますね」
生前、青山真治監督が語っていた俳優・菅田将暉について
林修「実は今回生前青山監督が語っていた俳優菅田将暉について、黒沢監督からお話を伺う事が出来ましたので、ちょっとご覧ください」
盟友・黒沢清監督はこんな話を聞いていた
『映画「共喰い」の上映以降、青山はしきりに「菅田さんでまた撮りたい」と言っていました。
「美しい」とも言っていました。
「ドラマチックな俳優」とも言っていました。
「時代を少し戻す力がある」とも言っていました。
「共喰い」が昭和の終わりのドラマなので、その主人公にあまりにも見事にハマったことに、青山も驚愕したようでした。
ほどなく菅田さんが「あゝ、荒野」に主演したことに、青山はちょっとショックを受けていたかもしれません』
別の監督とタッグを組んだ「あゝ荒野」でも、菅田将暉は昭和のような世界観を見事に演じていたのだが…
「貧困、差別、戦争といった現代では扱いづらい巨大で普遍的なテーマを「菅田将暉主演ならやれる」と色々思いを巡らせていたようです。
それが「あゝ、荒野」そのままではないにせよ、近いことをやられてしまったという悔しさは確実にあったと思います。
その後も青山は菅田さんのネタをあれこれ考えていたのでしょうが、それを上回る勢いで、菅田さんが多種多様な映画に出演し、しかも大人気になって行かれたので、「もう自分の手の届かない所に行ってしまった」と僕には絶対に言いませんでしたが、会って菅田さんの活躍の話題になると、なんとなくそんな雰囲気でした。
しかしもちろん青山は、「自分にしかできない全く新しい菅田将暉を絶対に実現してみせる」と強く想い続けていたに違いありません。
菅田さんが僕とやると決まる前に青山は亡くなってしまいましたが、『Cloud』のことを青山が知ったらなんと言ったか。
快く受け止めてくれたか、それとも絶交されたか。
今となっては分かりません。』
林修「お聞きになっていかがでしょうか?」
菅田将暉
「いやー嬉しい言葉がたくさんありましたね、はい。
青山さんも僕に直接そんな言う人ではないんで。
ああ、そんなこと思ってくれてたんだなとか思いましたね」
林修「「あゝ荒野」があり、そしてこの「Cloud」があって。やっぱりショックを受けられたかもしれないですね」
菅田将暉
「うーん。いや、それはそれで僕としては嬉しいっすけどね。
だし、そういうつもりでやってたので。
やっぱり常に青山さんが観てて、青山さんをこう焚きつけるじゃないけど。
「早く撮ってくださいよ」っていう俺なりのなんか気持ちはずっとあるんで。
未だにあるんで、それは。うん。
だから、まあそう思ってくれてたら、それはそれで嬉しいかなと思いますね。」
仕事をする上で…「人との出会いが一番重要」
菅田将暉31歳。彼が仕事をする上で大切にしている事とは?
林修
「菅田さんが仕事をする上で、一番大切にされてることを教えていただけないでしょうか?」
菅田将暉
「まあ今みたいに青山さんとか黒沢さんのことがあると、すごく思いますけど。
やっぱり、人との出会いはやっぱり一番重要だなと思いますね。
音楽だったら、さっきのタイヘイとか。
映画の世界だったら、青山さんとか黒沢さんのように。
師匠であり、友人であり、なんかパートナーでありっていう人たちがたくさんいるおかげで続けられてるので。
で、結局それが自分の人生も豊かになるし、頑張れるんで。
で、そういったものがお客さんに楽しんでもらえたら、それが一番ハッピーだと思うんで。
色んな人と出会えることを楽しみにするってことが、一番大事なことかなと思います」
スタート地点にはいつも自分を助け、支えてくれる人達との出会いがあった。
その1つ1つを大切にし、支えてもらった恩に結果で答え続けて、互いを高め合っていく事で、菅田将暉はさらに成長し続けていく。