【徹子の部屋】Timelesz 松島聡「家族・デビュー・休養期間」(2024年8月放送)

富士山 アイドル

徹子「他の2人から何かアドバイスはありました?」

松島「自然体で話して来なさいと。すごく緊張しています」

徹子「初めてなので、まずは自己紹介をお願いできますかね?」

松島
「はい。静岡県出身、26歳。
Timeleszのメンバーとして活動させていただいております。
ニックネームはよく「そうちゃん」と呼んでいただいております」

徹子「そうちゃん。そうちゃんです」

松島「ぜひ呼んでいただけると嬉しいです」

徹子「いいですか?じゃあ、お呼びしますよ。そうちゃん。そうちゃんです」

松島「ありがとうございます」

徹子「Timeleszという名前はもう慣れましたか?」

松島
「そうですね。もう浸透してきて、色んなスタッフからも呼んでいただき、ファンの方からも呼んでいただき、だいぶ慣れてきましたね」

 

松島聡さんプロフィール

2011年 Sexy Zone結成。
2024年4月にSexy ZoneからTimeleszに改名

現在のメンバーは松島聡(そう)さん、菊池風磨(ふうま)さん(26歳)、佐藤勝利(しょうり)さん(27歳)の3人。
※中島健人さん(2024年3月31日をもって脱退)、マリウス葉さん(2022年12月31日をもって脱退)がメンバーから脱退。

松島聡さん
・1997年(平成9年)11月27日生まれ(26歳)
・静岡県島田市出身 A型
・小学生の頃からハリーポッターシリーズの大ファン。
マルフォイ役のトム・フェルトンが来日した際には、サインをもらうために6時間並んだ。
トムから「あなたはオーラがあるから、これからもやっていけるよ!」と言われ、号泣したそう。

(以上Wikipediaより)

 

コンサートで心がけるファンサービス

うちわをみてファンの希望に応える

徹子
「現在Timeleszとしては初の全国ツアー中でして。
そうちゃん、うちわの文字読めてるの?」

松島
「すごく僕は記憶力が他のメンバーよりいい方で。
あの、すごく色んなファンの方のファンサービスに応えるようにしています。
だから、すごく短い文章でも長い文章でもちゃんと応えるようにしてます」

徹子「あの、うちわにはどんなことが書いてあります?大体」

松島
「あの「バーンして」とか「投げチュウして」とか。
あと長いのだと、僕に対しての想いを長文で綴ってくださってる方とかもいらっしゃいます」

徹子「でもチュウしてなんて書いてあると恥ずかしくない?ちょっと」

松島
「最初は恥ずかしかったんですけど、今はもうためらいもなくやっちゃいます。
あと他のメンバーのファンの方とかにも、求められてないけど勝手にやっちゃうこともあります」

 

父親も毎回ライブに 父親にもファンサービス

徹子「そうちゃんのお父様もライブにいらっしゃる?」

松島
「そうですね。たぶん皆勤賞だと思います。
やっぱり地元の静岡でライブをやることもあるので。
そのライブに観に来てもらって、父親に対してもファンサービスをするみたいな。
はい。ことをよくします」

徹子「でもお父様、昔パンチパーマだったって」

松島「(笑)そうですね。
昔僕が生まれたときから、ホントここ数年までパンチパーマだったんですけど。
なんかメンバーにいじられるようになってから、気にし始めてやめちゃいました
今はもう普通の髪型になっちゃいました」

徹子「お父様は芸能人では誰に似てますか?」

松島
「えっと、哀川翔さんと具志堅用高さんをこう混ぜた感じですね。
具志堅さん。なんか髭の感じとかは具志堅さん」

徹子「で、そうちゃんはお父様に似てるの?」

松島「僕は父親似ですね。目元が似てるって言われます」

徹子「あの、ステージからお父様に手を振ったり、チュウしたりとかするの?」

松島
「します。なんかファンの方にするのは恥ずかしくないんですけど、やっぱり父親にするのはちょっと恥ずかしいですね。
父親も恥ずかしそうにしてます、やっぱり」

徹子「そうちゃんの決めポーズは「鼻の下投げチュウ」って言うんですって?」

松島
「そうなんです。もうライブの本編の最後にはけるときに、僕からのプレゼントがあるから受け取ってねって言って、「うーんま」ってやります。すみません」

 

幼い頃に母親が他界

美人で自慢の母親だった

徹子「そうちゃんは静岡の出身?静岡ってどういうとこですか?」

松島
「僕が生まれ育った場所は、本当に茶畑
もう緑に囲まれて育ったんですけど。
自然豊かで、ほんとにコンビニとかも数店舗しかないくらいの静かな場所でしたね」

徹子「小さい頃にお母様とお別れしてお母さんは美人だったんだって?」

松島
「自分で言うのもあれですけど、美人でしたね。
こう周りの友達からも美人だねってこう言っていただくことが多くて。
自慢の母親でしたね」

徹子「そう。お母様の記憶はあります?」

松島聡
「それが…手をつないだ時の感覚での記憶しかなくって。
今やっぱりその時の顔とか表情とかもう薄れてきてしまったので。
まあ、すごく寂しいなとは思うんですけど。
でも、その感覚だけでも覚えてられるっていうのは逆に素敵なことだなと思っています」

 

男手一つで育ててくれた父親の愛

お弁当を作り、学校行事にもほぼ参加

徹子「お父様は子育てに苦労したみたいですかね?」

松島「相当したと思いますね。
僕も結構ヤンチャをしてしまったんで(笑)。
なので、そういったところでも、僕の見えてない所でいろいろ苦労をしていたでしょうし。
まあ時間とかそういったものを犠牲にして子育てに専念してくれたと思います」

徹子「でも、お弁当作りもお父様がやってくださったんですって?」

松島聡
「はい。もう運動会とか授業参観とか。
その学校の行事ごとはほとんど参加してくれましたし」

 

細かい成長記録

徹子「なんかあなたの成長の記録も細かく書いてくださったんですって?」

松島
「はい。そうでしたね。
健康手帳にまあ、1回僕の成長記録を細かく言葉に記してて。
で、それをこう読み返したんですけど、20歳位の時に。
結構ジーンとくる言葉とかもたくさんあって。

なんか当時小学生の頃になんか強くなりたくて
父親がブルース・リーが好きだったっていうこともあって、格闘技を習い始めて。
なんか健康手帳に『空手を初めて、骨格が変わって、ちょっとガタイが良くなって男らしくなってきた』みたいな。
何かそういったことを丁寧に書いてくれてたんで。

スゴク僕が思ってた以上に、僕の成長を間近で丁寧に見てくれていたんだなっていうのを」

徹子「優しいお父さん?」

松島聡「優しいです」

 

13歳:オーディションを受ける

深夜に連絡 オーディションのため、静岡から東京へ

徹子「そうちゃんがオーディション受けたのは何歳の時?」

松島聡「13歳です。なので、デビューまでが早かったんですよね」

徹子「(当時のオーディション当日の写真を見て)13歳ってこんなちっちゃいの?」

松島聡「(笑)僕結構ちっちゃかった方だと思います。身長も」

徹子「写真。オーディション当日って書いてあるんですよね」

松島聡
「そうです。忘れもしないですね。
2011年の2月6日の日に。
当日…あ、深夜ですね。日付を超えて連絡がきて

その日に車に乗って静岡から東京までオーディション受けて
オーディションをまず1日目終えたときの表情です。
ちょっと緊張がほぐれて、観光してる時の写真なんですけど」

 

姉と一緒に書いた履歴書

徹子「履歴書はお姉さまと書いたんですって?」

松島聡
「そうです。もともと姉が、えっと事務所のエンターテイメントがすごく好きで。
その姉の影響を受けて、僕もDVDとかを見て、この世界に入りたいと思って、一緒に履歴書を書いて送りました」

 

デビュー後:学校を早退し、静岡から東京の現場へ

徹子「デビュー後も静岡から仕事へ通ってた?」

松島聡
「はい。3年ぐらい通ってましたね。新幹線乗りながら。
だから、やっぱり現実的にまだ未成年っていうのもあって。
その、仕事時間も限られてたので。

学校を早退して。
それこそミュージックステーションとかの日は、金曜日早く学校を終えて、急いで新幹線乗って現場入りして。
すぐ終わったら、すぐ新幹線乗って帰るみたいなこととかもよくありました」

 

高校進学:上京し、姉と2人暮らし

徹子
高校進学を機に上京お姉さまと2人暮らし
で、お姉さまは8歳年上
まあ、母親代わりと言ってもいいかもしれませんね」

松島聡
「そうでしたね。
上京してから、姉も静岡でやってた仕事を辞めて、一緒に来て。
もう家事とか食事の面も全てサポートしてくれてましたね。」

徹子「ああ、そう。じゃあ、みんな仲がいいのね」

松島「そうですね。仲いいと思います。自慢の家族です。はい。」

徹子「そうちゃんはお姉さまと仲が良い?」

松島「昔はすごいケンカしてましたけど。(笑)」

 

大変だった仕事と学業の両立

徹子「でも、仕事と学業の両立は大変だったでしょ?」

松島
「大変でしたね。
僕も器用な方ではなかったので、新幹線の中で勉強するとか。
もう家について寝る時間を削って勉強するとか。
そんな感じでしたけど。」

徹子「じゃあ、あの頃の自分に何て言ってあげたい?」

松島
「えーっと、そうですね。
でも今自分がここにいれてるのも、その当時の自分がいたからなので、そのまんまでいいんだよって言いたいです。」

徹子「あ、そう。良い性格ね」

松島「ありがとうございます」

 

一人暮らし:ホームシックに

徹子
「お姉さまと2人暮らしだったんだけれども、1人暮らしになりました。
そして、一人暮らしになったら、初めてホームシックになりました」

松島
「そうですね。やっぱり、こう帰った時に、お帰りを言ってくれる人がいないって。
それが僕当たり前だったので、当たり前が当たり前じゃなくなった環境に慣れるのに、すごく時間がかかりました。
やっぱり、体調も崩してましたね。一人暮らしし始めてから。
食生活とかも自分でやらなきゃいけなくて。
でも自炊も出来なくてっていうところで。
まあ、それで言うとメンバーのサポートもありましたね。

菊池風磨が家に招待してくれて。
そこでカレー作って食べさせてくれたりとか。
養ってくれるじゃないですけど、すごくこう生活面でもメンバーのサポートもあったので。
結構周りの方に恵まれてるなって思いますね」

 

突発性パニック障害で活動休止(2018年)

キャパオーバーに 自分を見つめ直した1年9か月

徹子
「でも、あのー2018年ですか。突発性パニック障害で、ちょっと活動を休止したこともあったんですって?

松島
「はい、そうですね。2018年に活動休止させていただいて。
1年9か月くらいお休みいただいたんですけど。

なんか当時はこう色んな仕事もそうですし、プライベートもそうですけど、いろんなことを考えることが増えて

こう明確に自分が歩みたい進路とか、あと自分がどういうアイドルでありたいのか、タレントでありたいのかっていうことも整理がついてなかったので。

で、いろんなことを考えていたら、ちょっとキャパオーバーになってしまって。

気づいたら突発性になっちゃってたんですけど。

でもそのお休みいただいた期間中に、こう自分自身を見つめ直して、どうあるべきかっていうのをすごく探す旅みたいな時間ではあったので。

あの、逆にあの時間があったからこそ、またこういう風に芸能界に戻ってこれたって思ってますし。強くなれましたね。
強くなれましたし、その弱い自分も受け入れられるようになりました

なんかそれも自分なんだっていうことと自分の個性を自分で肯定してあげられるっていうことの大切さみたいなものをまあ僕自身でいろいろ考えて、得られた答えかなって思います。」

 

考えることはやめず、考えすぎず頑張りたい

徹子「えらい。よかったね。お父様には相談なさった?」

松島
「そうですね。家族に支えてもらっていろいろ言葉も貰ったんですけども。

まあ、考え過ぎだねとは言われました。はい。
でもその考えることでその安心材料になってるところもあって。
なのでこれからも考えることはやめず、でも考えすぎず、気楽に頑張るっていうことをこれからも大事に。
まあ、自分自身とうまく向き合って付き合っていきながら、芸能界頑張っていきたいなと思いました。

そうですね。こっそりメンバーのやってること、ライブ中観に行ったりなんかして。
それで改めてアイドル1本でやっていく覚悟ができました」

徹子「よかったですね、そこでね」

 

休養中に見たメンバーのステージ「ここに戻りたい」

松島聡
「そうですね。こう休んでる間に、他のメンバーが1つのステージ、1つの作品作りをやってる瞬間をお客さんとして観るっていう貴重な時間をいただけて。

なんかすごく寂しくもあったんですけど。
でもまたここに戻りたいっていう風に思えた
ちゃんとゴールができたので。

スゴク僕にとっては大事な時間でしたし。

何でしょう…ここのステージに立つときは、その休む前の時よりも大きくなって帰って来たいっていう思いに変わったので。うん。
メンバーにも感謝してます」

 

支えになったフレンチブルドッグ

徹子
「ところで、話違うんですけど、あなた犬がいる?
その犬の存在っていうのも支えになったんですって?とっても」

松島
「大きかったです。あの療養期間中に友人から預かったワンちゃん。
フレンチブルドッグで、ビスケットっていうオスなんですけど。

とにかく甘えん坊で温厚な性格で、あのどこにでもついてきちゃうし、人が大好きなんで、僕以外の人にも多分おやつで操ったらついてきます(笑)。だから、心配になっちゃうんですけど。

でもずっと、会話はできないですけど。このまなざしがすごく素敵で癒されるんですけど」

徹子「帰っても一人じゃない。それはやっぱり嬉しいことですって?」

松島
「嬉しいですね。だし、ただいまって言ってくれるわけではないですけど、存在として価値が大きいですし。
癒されるんですよ、本当に。
で、やっぱりその察してくれるんですよね。
なんかその日のコンディションというか。
あんまり気持ち的に良くない時とかは、逆に近寄ってこないで自分のベッドに寝てたりとか。
スゴク多分僕のこの感情を察するのが上手な子だったんですよ。

なので相性もすごくいいですし。
その相性が良すぎるがゆえに、僕もすごく彼に依存しちゃってるっていうところがあって。
すごい頭がいい子です。可愛いですよね」

 

親孝行は、晴れ舞台に立ち続ける事

ワールドツアー

徹子「でもそうちゃん、親孝行についてはどんなふうに考えてる?」

松島
「そうですね。なんか僕の父親って多くを語らないタイプの人間で。
なんかそのライブとか観に来ても感想を長文で送ってくるとか、何か言ってくれるってことはないんですけど。

なんか僕としては、なんかそういう晴れ舞台にたくさん立ち続けて、その瞬間を見届けてもらう事が親孝行になったらいいなとは思ってます。

やっぱりお金で買えないもののほうがすごく多いと思うので。

だからそれが最終的に父親にとっての財産になればいいなとは思います」

 

姉はよく彼女と間違えられて週刊誌に

徹子「前に3人で京都旅行したんですって?」

松島
「あ、そうです。毎年恒例で、コロナ禍前まではあの京都旅行をしてたんです。

着物がすごい3人とも好きで。
基本僕と姉が着物を着て、京都の街を歩くっていう時間をよく作ってたんですけど。
あの、ある時、あの写真を姉と一緒にいるところを撮られて、あの彼女だって騒がれた時があって(笑)。
で、それよくあって

あのまだ上京する前の時に、新幹線で姉が一緒についてきてくれた時も、新幹線のホームで後ろ姿2ショットで撮られて、彼女だって騒がれたりとかしたことがあって(笑)。

結構僕の姉は、一緒にいると彼女と間違えられることが多いっていう。だから最近は一緒にいることが少なくなりましたね。それを意識して。

はい。でもそれぐらい仲がいいというか」

徹子「素敵」

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