【徹子の部屋】俳優 仲野太賀さん「太賀という名前の由来に感動」(2024年11月5日放送)

徹子
「現在31歳。数々の話題のドラマ、映画に出演なさいまして、今大活躍の演技派俳優。
朝ドラ「虎に翼」でヒロインの夫ゆうぞうさんを演じて、お茶の間で大人気。
それで、戦争で亡くなったんですね?そしたら、ゆうぞうロスを引き起こすほどの人気。
でも、伺ったところによると、徹子の部屋に出るのが夢だったとかいう」

仲野太賀
「あのーなんか、僕の母親があのー「もし、色んなバラエティ番組出ることがあったら、徹子の部屋には絶対出てほしい」って昔言っていて。
あのーちょっと親孝行になるなぁっていうのがありまして(笑)
はい。夢でした。
なんかこうやって2ショットをモニターで見てると、なんかちょっと感動しますね。(笑)」

 

  1. 父親は俳優・中野英雄さん
    1. 優しく、愛情たっぷり
    2. デビュー当時は名字を付けず、「太賀」という芸名で活動
  2. 家族のこと 4人家族
    1. 母のことが大好きだった 甘えん坊の幼少期
  3. 俳優への道「13歳でオーディションに合格したのがスタート」
    1. 小さい頃子役オーディションを受けさせられ…裸足で逃走
    2. 俳優を志すきっかけ… ドラマ「ウォーターボーイズ」
  4. 反抗期はなかった
  5. 30年前に出演した父親・中野英雄さんのVTR
    1. ドラマ『愛という名のもとに』でダメだったら、終わりだなと思っていた
    2. 俳優・柳葉敏郎さんの付き人をしていた
    3. 30年前の父の出演映像を見た感想は…
  6. 家族でお世話になった俳優・柳葉敏郎さん
    1. お正月は柳葉敏郎さんの家へ家族であいさつに
    2. 柳葉敏郎さんと共演…交わした固い握手 感慨深い瞬間
  7. 「太賀」という名前
    1. デビュー当時は名字を付けずに芸能活動
    2. 30年前に父が語っていた名前の由来に感動…「大河ドラマに出れるように」
      1. ※30年前の父中野英雄さんの出演映像(1994年 当時29歳)
    3. 俳優として大河ドラマの主演が決まり…
  8. 趣味はカメラ
    1. 小さい頃預かってもらっていた写真館がカメラへの興味のきっかけに
    2. ネパールで撮った写真が本に
  9. 映画「十一人の賊軍」で山田孝之さんと共演
    1. 小学5年生の時憧れた人と一緒に映画に
    2. 初めての殺陣に苦戦…本番の時には監督からも褒められ

父親は俳優・中野英雄さん

優しく、愛情たっぷり

徹子
「あの、お父様は俳優の中野英雄さん
32年前のドラマ「愛という名のもとに」に御出演なさった。チョロという役で。その時ね。話題になった。
どんなお父様ですか?」

仲野太賀
「そうですね~。あのーVシネマとかもたくさん出てるので。
そういう強面な印象があると思うんですけど。
もう子供には案外優しくて。あの非常にたっぷり愛を感じますね(笑)」

 

デビュー当時は名字を付けず、「太賀」という芸名で活動

徹子
「ああ、そう。それは良かったですよね。
ただ、あなたは2世俳優と言われるのが嫌だったもんですから、「息子と言わないで」ってお父様に釘を刺していた。」

仲野太賀
「はい。そうなんですよ。
だから、デビュー当時はあのー「仲野太賀」ではなくて「太賀」という芸名で色んな番組に出演させていただいたんですけど。
あのーそれもやっぱ父の名前を前に出していくよりかは、自分でしっかりキャリアを積み上げていきたいなっていうのがあったので、そういうスタンスをとっていたんですけど。
父は方々で、まあ「息子なんだぞ」と
うちの息子をよろしくと色んなところで言ってたみたいで。
もうそれは勘弁してくれって言ってたんですけど。
もう、なんか慣れました(笑)はい」

徹子「ネットで勝手に告知したりした?」

仲野太賀
「そうなんですよ。あのー今は僕の宣伝隊長というか。はい。
僕の出演する番組をつぶやいてくれてます。」

徹子「今日もあれね?徹子の部屋にでてるって…」

仲野太賀「そうですね(笑)」

 

家族のこと 4人家族

母のことが大好きだった 甘えん坊の幼少期

徹子「太賀さんはご両親とお兄様とあなたの4人家族?」

仲野太賀「4人家族です」

徹子「で、お母様のことが大好きだった?」

仲野太賀
「そうですね~。もうほんとに母に甘えてばっかりで。
あのー保育園とかもお母さんに送り迎えしてもらってたんですけど。
お母さんとバイバイする時にはもう毎回泣き叫ぶような。
「行かないで~(泣)」みたいな。
もうそれぐらい甘えん坊で。
どうしようもなかったです。アハハハハ(笑)」

徹子「別れたくなくて?」

仲野太賀「もう、お母さんと別れるのが嫌で嫌で。(笑)そういう子供でした」

徹子「どういうお母様なの?」

仲野太賀
「そうですね~でもなんかすごくこう、ハツラツとした…何だろうな…コミュニケーション上手な、あのー母ですね。
まあ、どちらかというと、父よりも母の方が一家の主の感じがありましたね」

徹子「ああ、そうなの?」

仲野太賀「はい(笑)」

 

俳優への道「13歳でオーディションに合格したのがスタート」

小さい頃子役オーディションを受けさせられ…裸足で逃走

徹子
「小さい頃ご両親に子役のオーディションに受けさせられたことがあったんだけど、どうでした?そん時」

仲野太賀
「もうそれが嫌で嫌でしょうがなくて。
もうほんとに、人前で何で演技なんかしなきゃいけないんだっていう感じで。
あの、裸足て逃げ出したそうです、その当時。オーディション会場を」

 

俳優を志すきっかけ… ドラマ「ウォーターボーイズ」

徹子
「でも、俳優になるきっかけは、小学校5年生の時に見たドラマ『ウォーターボーイズ』?」

仲野太賀「はい、そうです。山田孝之さんが主演のドラマで。
だから、男子高校生が文化祭でシンクロをするって話なんですけど、もうそれが好きで好きでしょうがなくて
だから当時は、市民プールに行って、自分もシンクロの練習をしたりとかして。
あのースカーリングっていう、こう浮く技があるんですけど、それをこう1人で練習していたんですけど。
でもよくよく気づいたら、「俺これがやりたいわけじゃなかったな」と思って。
「そうだ、俺は俳優をやりたいんだ」っていうことに気づいて。
そっから意識するようになりましたね」

徹子「ああ、そう。で、もうこれ(スカーリングで浮く)はやめたの?」

仲野太賀「これはもうやめました(笑)」」

徹子「でも13歳の(中学2年生の)時に、オーディションをお受けになって、合格したと。
それが今俳優になる道?」

仲野太賀「そうですね」

 

反抗期はなかった

徹子「反抗期みたいななかったの?」

仲野太賀「反抗期なかったですね」

徹子「そんなこと暇がなかったんだ?」

仲野太賀
「そうですね。やっぱこうちょうどそういう思春期の時期に芸能界に入ったもので。
もう芸能界に入ってしまったら、反抗するようなことがまあないというか。
何て言うんですか?
そのー反抗するべきタイミングで反抗できない状況になってしまったというか。
そしたら、きづいたら、反抗期がないまま育っちゃいましたね(笑)」

 

30年前に出演した父親・中野英雄さんのVTR

ドラマ『愛という名のもとに』でダメだったら、終わりだなと思っていた

徹子「実はお父様は30年前に、当時29歳で徹子の部屋に御出演なさっていました」

※当時の中野英雄さん出演映像(1994年)

徹子(当時)
「愛という名のもとにのあつし役で、あだ名がチョロというこの人の行方をみんなが知りたがった。中野英雄さんが今日のお客様です」

(父・中野英雄さんが映り、笑いだす仲野太賀さん「あはははは!笑」)

徹子(当時)
「まだ30になっていらっしゃらないんですが、今年小学校に入る子ともうちょっとちっちゃい子と?」

中野英雄(当時)「そうですね。今1歳ですか?」

徹子(当時)「1歳っていっても歩くくらい?」

中野英雄(当時)「そうですね。歩いたり、はい」

徹子(当時)
「その人気個性派俳優ってご紹介しましたけれども、色んな役をおやりになって。
あれは、(ドラマ)「愛という名のもとに」のチョロという役だったんですが。
あれはどうだったんですか?おやりになって」

中野英雄(当時)
「あのー役者をやり始めて7~8年経ってましたし。
これでダメだったら終わりだなぁと思ってやったんですよね」

徹子(当時)「ああ、そう。そしたらあれだけ人気が出て?」

中野英雄(当時)
「うん。こんだけのいい役もらっといて、これで生かせなかったら、もう本当に終わりだなと思ってましたね」

徹子(当時)「でもまあ、あなたのこうお見受けした感じがね、誠実そうな優しいっていう…」

中野英雄(当時)
「太ってますからね。コロッとしてますから、どうしてもそういう風に…そういう役しかないんでしょうけど」

 

俳優・柳葉敏郎さんの付き人をしていた

徹子(当時)「いやいや。あなたは柳葉敏郎さんの付き人も…個人付き人も?」

中野英雄(当時)
「はい、そうです。僕もいい加減でしたから。
柳葉さんをスタジオに入れたら、車の中で寝てたりとかですね。(笑)
柳葉さんが休憩時間になると起こしに来てくれて、飯だぞと。
「何食うんだ?」って言って、「か~つ丼」って言うだけで。
柳葉さんがお金払ってくれるんですよ。」

徹子(当時)「ああ、そうなの。いい方でしたね」

中野英雄(当時)
柳葉さんがパッて目の前に来るだけで緊張するんですよ。
今でもそうです。例えばここにいたらもう、こんなとこ(ソファのいす)座ってませんよ。
こっち(床)座ってます(笑)」

 

30年前の父の出演映像を見た感想は…

仲野太賀「アハハハハ(笑)」

徹子「いかがですか?」

仲野太賀「なんか…似てますね(笑)。ちょっと生意気でしたね(笑)当時の」

徹子「今のあなたよりも若い」

仲野太賀
「へぇ~ちょっと、なんか…感慨深いというか…。
なんか、すっごい楽しかったです、今の時間。はい。
なんか、クッハハハハハ(笑)あんな感じだったんですね。
へぇ~面白い」

 

家族でお世話になった俳優・柳葉敏郎さん

お正月は柳葉敏郎さんの家へ家族であいさつに

徹子
「で、子供の頃、ご家族でお正月には柳葉敏郎さんのところに会いに行くっていうのが、もう伝統行事だったんですって?」

仲野太賀
「そうなんです。柳葉詣でといいますか。
あの…年が明けたら、柳葉さんにご挨拶して。
で、僕はお年玉をもらうと。
それがまあ、毎年の始まり…」

徹子「なんで柳葉さんなんだとか思わなかった?」

仲野太賀
「いや、当時は何にも考えてなかったですね。
ほんと、親戚のおじさんみたいな感覚で。
でもまあ、よくよく聞いてみたら、あの今父が言ってたみたいに本当に柳葉さんにウチの家族はとってもお世話になっていて

 

柳葉敏郎さんと共演…交わした固い握手 感慨深い瞬間

徹子「柳葉さんと俳優になってから、お会いになったことあります?」

仲野太賀「あります」

徹子「どうでした?その時」

仲野太賀
「なんかホント不思議な感じというか。
ね、僕が…もうこんなちっちゃい時からたぶん知ってますから…。
でも、生まれたときから知ってるのか。
だからなんか、そんな人と一緒に同じ画面の中でお芝居をするっていうのが、なんかこう、そういう時にこそ父の顔が浮かぶというか。
なんか、喜んでくれてるだろうなぁも思うし。
なんか、僕以上に柳葉さんの方がなんかちょっと感動してくださってたような感じがあって。はい。
だから、そういうなんて言うんだろうな。
脈々と続く縁とかなんか運命めいたものって大事にすべきだなぁって思いました。」

徹子「でも嬉しかったですか?その時」

仲野太賀
「非常に嬉しかったです。はい。
現場で交わした固い握手は忘れられないですね。」

徹子「柳葉さんが手出してくださったの?」

仲野太賀
「そうですね。もう現場で会う…会った瞬間にもう、お互いこう(握手して)お願いします!みたいな感じで(笑)
なんか…まあ、ここまでよく成長したなっていう意味もこもってたのかなぁとか思いながら。はい」

 

「太賀」という名前

デビュー当時は名字を付けずに芸能活動

徹子「太賀さんはデビュー当時名字がなかった」

仲野太賀「はい。名字なかったんです。「太賀」という芸名で活動してました」

徹子「困ったことはなかったですか?」

仲野太賀
「あ~やっぱり、あのー挨拶する時に、「あ、初めまして太賀です」って言うのが、自分の下の名前をだけを言って挨拶するのがなんかこうしっくりこなくて。
なんか恥ずかしかったんですよね~。
名字がないっていうのがまあある種のまあインパクトもあったし、目立つ意味では良かったのかなぁとも思うんですけど。
まあ、だんだん物心…俳優としての物心がついてきた頃に、何でおれは名字がないんだろうってふつふつとそういう感情が沸き上がってきて
あのー…名字を付けることにしました。(笑)
なんかこう、当初は2世俳優っていうの自分としてはこう前に出していきたくないっていう想いがあったけど、もうそれはなんだろう…宿命というか。僕はそういう出なので。
もう受け入れることの方が、なんか強さになるかなと思って」

 

30年前に父が語っていた名前の由来に感動…「大河ドラマに出れるように」

徹子「実は30年前にお父様がこんなお話をしていらっしゃいます」

※30年前の父中野英雄さんの出演映像(1994年 当時29歳)

徹子(当時)「そのご長男のお名前を…」

中野英雄(当時)「はい。柳葉さんにつけていただいて

徹子(当時)「すごい名前なのね?」

中野英雄(当時)
「((笑)うなずく)言っていいんですか?「たける」って言うんですけど。「武尊」って書いて。ええ。ヤマト…」

徹子「日本武尊(ヤマトタケル)の武尊(タケル)なんですってね~。
で、下の坊ちゃんは?」

中野英雄(当時)「「たいが」っていう」

徹子「たいが!?これはどういう字書くの?」

中野英雄(当時)「えー、太いっていう字に、正月の賀正の賀」

徹子「これも珍しい名前ですよね?「太賀」。ほ~これはどなたが?」

中野英雄「僕が付けました(笑)」

徹子「たける(武尊)にたいが(太賀)!」

中野英雄
「はい。大河ドラマに出れるようにと思ったんですけど、ちょっと字は変えてね。
アハハハハ(笑)ちょっと変えて」

徹子「あ~なるほど。大河ドラマの大河ドラマね。」

中野英雄(当時)
「僕が無理なんで。子供にだけはちょっと大河出て、主役でも張っていただかないとと思って。
頼むぞ!っていう望みを込めて

徹子(当時)「そんな感じ?でもその子供は?」

中野英雄(当時)「な~んか、まだポーっとしてますからね」

徹子(当時)「1歳ですからね」

 

俳優として大河ドラマの主演が決まり…

(スタジオに戻る)

(びっくりした顔の仲野太賀さん)

仲野太賀「軽い衝撃映像みたいになってますよね?アハハハハ(笑)」

徹子「あの時1歳だったんです。あなたはね」

仲野太賀「はい…びっくり…あ~すげぇ。・・・・・大河出るよ~(笑)。
うわぁ~。」

徹子「再来年には大河ドラマの主役なんですって?あなた」

仲野太賀「そうなんです」

徹子「(笑)大変」

仲野太賀「アハハハハ。なんだろう。変な感じしてきた!…そうなんです。はい」

徹子「どういう思いがありますか?」

仲野太賀
「僕個人としては、あの~大河ドラマの主演を演じさせていただけるっていうのは、本当にこれまで色んな仕事をさせていただいたんですけど。
あの~何一つとして無駄なものはなかったなっていうことが、自分にとってすごく自信になったし。
何だろうな…今まで培ってきたものを思いっきりこうぶつけて、面白い作品をつくりたいなっていう気持ちがあります。

と同時に、あの今こうやってVTRを見て。
なんか、こんなことを父が言ってる。しかも、徹子の部屋で発言していて。
で、今僕がここにいるっていうのが、なんかもう変な感じがして。
ちょっと今、震えました。感動しちゃった。」

徹子「でも、ちょっと楽しいショック?」

仲野太賀「楽しいショックです(笑)。」

徹子「ね、いいと思う」

 

趣味はカメラ

小さい頃預かってもらっていた写真館がカメラへの興味のきっかけに

徹子「ところで、太賀さんの趣味はカメラですって?」

仲野太賀
「はい。両親が共働きで、友達のお家に預かってもらうことが多かったんですよ。
で、その友達が、写真館をやっていて。
そこで鬼ごっことかよくやっていたんですよね。
で、まあ今思えばですけど、その周りで、写真館で働いている人たちが、自分にとっての身近な大人で。
そういう人たちが扱っているものがカメラ。
なんか大人=カメラみたいな、そういうのが多分、インプットされてたんじゃないかなと思って。だからそのカメラに漠然としたなんか大人の道具というような憧れがあったような気がするんですよね。
で、お年玉でカメラを買ったんです。小学生の時に」

徹子「よく買えましたね」

仲野太賀
「あの、柳葉さんからもらったお年玉。なかなかの額だったので。
かき集めて(笑)。あのーカメラ買ったりして。
で、そうこうしてたら、中学生ぐらいの時に、まあ俳優も始めて。
で、フィルムカメラを買ったんですよ。
で、そのフィルムカメラを使い始めてから、どんどんドハマりしていって。
それが唯一続いている趣味になったんですよね。はい。
フィルムで撮った写真の美しさに心を持ってかれまして。あのーそこからずっと続けてるって感じですね」

 

ネパールで撮った写真が本に

徹子「まあ、旅になんかいらっしゃると、必ずカメラを持っていらして。
今年はネパールのランタン谷っていうの?」

仲野太賀
「ランタン谷という。これですね(ランタン谷で撮った写真が映る)。
すごいですよね。これは、ランタン谷のさらに奥、キャンジンコンパという集落にそびえたっているキャンジンリ-という山なんですけど。
ここ4700mくらいあるんですよ。標高が」

徹子「お友達と3人でいらしたんですってね?」

仲野太賀「そうなんです」

徹子「どうでした?ネパールの旅」

仲野太賀
「いや、非常に楽しかったですね。
さっきの写真のキャンジンコンパ、ランタン谷に行くまで、5日間くらいかけて、こう山をこう登って行って、山小屋に泊まって、さらに登って、山小屋に泊まってみたいなことを続けていって。
で、その旅の途中で、あのー色んな出会いとかもあったりして」

徹子「楽しかった?」

仲野太賀
「楽しかったです~。なんか僕色んなとこに旅に行くのが好きなんですけど。
あのー仲間と一緒に旅をして。
で、せっかく色んなとこに行くんだったら、それを形にして色んな人に共有したいなっていう思いがあって。
で、今回そういう風に本にさせてもらったんですけど。」

徹子「何て言う題名ですって?」

仲野太賀
「えっと、「Midnight Pizza Club」です(笑)。(2024年12月2日発売)
めちゃめちゃかっこいい名前です(笑)」

 

映画「十一人の賊軍」で山田孝之さんと共演

小学5年生の時憧れた人と一緒に映画に

徹子
「今公開中の映画「十一人の賊軍」?に出てらっしゃると。
なんかこの世界に入るきっかけになった山田孝之さんとW主演?どうです?」

仲野太賀
「もうこんな…こんな感慨深いことないです。ほんとに。
あのー憧れの俳優である山田孝之さんと…。
(山田孝之さん)かっこいいです。
ほんとに当時、僕が小学5年生の時に憧れた山田孝之さん。
で、今こうして共演さしてもらってる山田孝之さんはもうほんとに変わらずかっこいいですし。
今回もご一緒させてもらって、改めて素敵な俳優さんだなと思いました」

 

初めての殺陣に苦戦…本番の時には監督からも褒められ

徹子
「太賀さん、なんか剣の使い手の役なんだけど、なんかあんまり殺陣の経験がなかったんですって?それまで」

仲野太賀
「そうなんです。もう全くと言っていいほどなくて。
あのーなんで、クランクインの半年前からコツコツ練習して。
もう、めちゃめちゃ頑張ったので」

徹子「大変でしょ?あの殺陣って」

仲野太賀
「殺陣大変ですね~。
もうほんとに最初、殺陣の稽古初日の日に監督も見に来てらして。
で、僕のこう殺陣姿を、余りの下手さに、顔面真っ青になっていて。
キャスティング間違えた!みたいな顔してて。
もうほんとに申し訳ない気持ちでいっぱいで。
「監督。あの、本番までにはなんとかするんで、すみません!」って言って。
で、無事、あのクランクインの時には、お褒めの言葉をいただきまして」

徹子「そう。なんて?お褒めの言葉は?」

仲野太賀
「なんか…えっ、こんなこと言っていいのかな?
「なんか、阪妻(ばんつま。阪東妻三郎)みたいだったよ」みたいなことを言ってくださって。
白石さん。白石監督という方なんですけど、すごく好きだったみたいで。
なので、そんなお褒めの言葉をいただけたので。
あの、自信をもってやりました」

徹子「よかったですよね」

 

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