徹子
2003年にJupiterでデビューなさって、それで去年20周年を迎えたと。早いですね、随分ね。20年。
平原綾香
そうですね。その頃はちょうど大学1年生で。
デビューした時にもう大学1年生で、学校と仕事の両立がとても大変で。
でもどうしても卒業してサックスを勉強したかったので。
もうとにかく這いつくばって学校にいってました。
徹子 現在はミュージカルでもご活躍なんですよね
平原綾香 もう今年がミュージカルデビュー10周年の年になります。
徹子「ムーランルージュ」
平原綾香 はい。「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」。今公演中で
徹子 稽古前に弾丸でニューヨークに観にいらしたんですって?
平原綾香
そうなんです。最初はオーストラリアに行って「ムーラン・ルージュ」を見たんですけど、今年の4月の終わり位にニューヨークに行って。
「ムーランルージュ」2回観てきました。
徹子 あの、平原さんの役はクラブの花形スターという。あの昨年に次ぐ再演で
平原綾香
基本ムーランルージュの花形という事なので、布の面積が結構ないんですよ。だから結構ファンの人たちも大丈夫かあやって感じで。
もう「ファンクラブ辞める!」とか言っちゃう人もいて。
「いや、辞めないで!」って思ったんですけども。
でも私は一応クラシックバレエを11年間やってたので、こういうレオタードというのは、結構着慣れてたので。
そんななんですけど。
3年前に亡くなったサックスプレーヤーの父
徹子 ミュージカルを好きになったのは、お父様の影響ですか?
平原綾香
そうですね。父(平原まことさん・享年69)はサックスプレーヤーで、自身でアルバムだしたたり、コンサートしたり、スタジオミュージシャンとしてだけでなく、あのミュージカルでサックスもよく吹いてたので。
一番父が携わった中で、あの三谷幸喜さんの「オケピ!」でセリフも歌も全部記憶しちゃうくらい大好きで。
徹子 3年前にお父様亡くなったんですってね?
平原綾香
そうなんです。でももうね、ここで徹子さんの前で演奏もさせてもらえて。だから今日は父も天国から出演を喜んでくれてると思います。
(2017年に平原綾香さんが父親と一緒に徹子の部屋に出演した時の映像を見る。父のサックスの演奏に合わせて平原綾香さんが歌唱)
平原綾香
(少し涙を流して)うわー。うわー。
もうこんなに徹子さんが手叩いて喜んでくださってるの。久しぶりに見て、嬉しいです。
あのちょっと寂しい時いつもこの徹子の部屋の出演回観るんです。そうなんです。
そうするとなんか、あの時の記憶とか思い出して。
はい結構その父が亡くなった後出演させていただいた時は、まだまだ悲しみの中にいたんですけれども、その時にももう徹子さんにもすごい励ましていただいて。
で、なんか今は悲しいとか寂しいとかっていうのは変わらないんですけど。でもなんか寂しいって気持ちが、なんか今はとても嬉しくって。
なんか忘れてないんだなあって。これからも悲しいままでいいって不思議な気持ちになりました。
徹子 そうですか。お父様はルパン三世のテーマも担当してらしたんですってね?
平原綾香 そうなんですよ。
中学1年生からサックスを吹く「この子は天才かも!?」
徹子
平原さんは中学1年生からサックスやってらして?
そのサックスはお父様から譲り受けたもの?
平原綾香
そうですね。実際にもらったというよりは、借りているような状態で。
で、まあサックスって人気な楽器ですから、もう楽器がその当時もう学校にはなかったんですけど、「平原さんもし楽器があるなら、サックスのパートに入れるよ」って言われて。
じゃあ、ちょっと貸してくださいと父にお願いして。
だからもう1人だけこう年季の入ったヴィンテージのサックスを素人なのに吹かせてもらって。
でもその時にルパン三世のテーマを吹く演奏会がありまして。で、その時誰もその時吹けなかったんですよね。
で、「平原さんぜひやってって」言われて。
もう最初私もどうしようかなと思ったんですけど。
あのー父がそのサックスのソロを当時テープに吹き込んでくれて。
で私も耳で聴いて。一生懸命練習して。
そしたらだんだん吹けるようになってきて。
で、本番吹いたら、もう本当に上手にその時吹けたんですね。
で、父も「あ、この子は天才かもしれない」って言って盛り上がったんですよ、一時期。
なんですけれども、中1の時ですねその時が。
で中学3年生でもう一度同じ演目をやって、ルパン三世のそのソロを吹いたら、1年生と全く同じ。成長してなかった。
だから、「こりゃダメだ」ってことでオチがあるんですけど。
でもそんな風に父がそうやって、こう父の音を生まれたときからずっと聞いてたので、音のイメージはずーっとあるので。
歌う時もサックスのイメージで、ずっと歌ってます。
徹子 去年のコンサートでサックスの演奏をなさったのよね?
平原綾香
これも父のサックスを使って吹きました。
あのこの『Georgia On My Mind』というのは、父の十八番で。
昔からずーっと吹いてきたので、私も父の音が頭に耳に残っていたので、父の音源を聞いて、これもまた耳コピして。はい。練習して吹きました。
なんとかうまくいきましたけど、サックスがお家にあるので、歌だけじゃなくてやっぱりちゃんと学校もサックス専攻で出たんだから、もっと頑張ろうって今は思ってます」
徹子 でも10月からコンサートツアーをなさるんですって?
平原綾香 そうなんです。コンサートツアーでもまたサックスを吹こうと思っていますし、また違った良いコンサートツアーになると思います。
料理は食べる専門 父も母も料理上手
徹子 今はお母様と愛犬と一緒に暮らしてらっしゃる?
平原綾香
はいそうなんです。やっと父のいない生活というのに慣れて。
愛犬サラはすごく頭が良くて、言ってる言葉が全部わかるんでしょうね。
すごくなんか謙虚な子で。
徹子 平原さん普段お料理はなさいますか?
平原綾香
あっ、食べる専門なんです。なんか一応作ったことはあるんですね。
その父が入院してる時とか、母もその病院に行って付き添っている時とか。
そう作ったんですけど、やっぱりなんかなんかちょっと母の料理とは違うなみたいなのとあと1人でご飯を食べなきゃいけない時に、やっぱり寂しくて。
テーブルに座ってこう食べる気力がなくなっちゃって。
やっぱり家族がいないので。なんかね。
父のことも心配でしたし。
なのでキッチンで食べたりしてましたね
徹子 ご両親はお料理上手で、毎週日曜日はお料理?
平原綾香
そうですね。特に私たちがまだ小さい頃。
あの母も料理上手で父も上手だったんですよね。
で父は日曜日になったらあの逆転するんです。
父が料理を作って、母がお菓子を作る。
父がトマトパスタを作り、母はスコーンを作るっていうのが週1のお決まりでしたね。
2人とも働いてたんですけど、いっぱいそういう手料理もあの作ってくれましたし。なんかキャンプに行っても美味しい料理を作る方法とか教えてくれたり。
良い家族ですね。
20年で初めての休暇
徹子 ほんとそう思いますよね。でも去年は超多忙で、あの限界が来たんですって?なんか
平原綾香
そうなんです。なんかもう毎日毎日あの歌いまくっていたら、なんか初めてちょっと疲れちゃったって感じたんですね。
で、20年間実はその休暇っていうものをとってなくて。気づいたら。
なので、20年ぶりに長期休暇っていうものをとりまして。
徹子 お母様と一緒に?
平原綾香
はい。姉の住んでいるロサンゼルスまで行って。
あ、そう虹が。虹が出て。きれいなんですよ。ウソみたいなんですけどね。
その甥っ子姪っ子がもう本当に怪獣みたいで。
毎日毎日大変ですけど。
楽しかったけど、すっごい疲れました。
徹子 しかも年越しでパーティーが多くて疲れたんですって?
平原綾香
そうなんです。もう向こうはパーティー好きですから。
なんか毎日誰か1人ゲストがいらっしゃってて。
そうだから、なんか気があんまり休まんなかったですかね。
40歳の現在 こらから
徹子 現在は40歳。どんな40歳にしたいですか?
平原綾香
なんか、うん。本当に感慨深いですけれども、でもこうデビューして20年。
ミュージカルも10周年っていうことで、あのまだまだ勉強しなければいけないことがたくさんあるので、素晴らしい先輩方とかその音楽をずっと聞き続けて、色んなできないことにチャレンジしていきたいなあって思っています。
徹子 お父様の分までチャレンジしたい?
平原綾香
ほんとですね。ほんと父の分まで長く音楽をやりたいですね。
まだ独身なので、結婚とかも。ね、何の予定もないですけれど、うん、そこはちょっとそっとしといて。
しっかりと音楽に励んでいきたいと思います。
徹子 お父様もあんなにお元気だったのにね?
平原綾香
うーん。なんか多分父も自分がね、亡くなるなんて思ってなかったと思うんですよね。で、やっぱり80になっても90になっても、やっぱり現役の人たちってみんな若いから、私もそういう父を想像していたので。
父の音楽がみんなにもうお届けできないっていう、そこが、とても悲しいです。
でも音をね残してくれているので。
なのでみんなにそれを聴いてもらうことが、私の心の癒しになっています。
ありがとうございます。