高倉健さんとの思い出
よく一緒に行ったスペイン…ハマったポルトガル流の闘牛
倉本聰
「スペインにね。高倉健とね。結構行ってたんですよ。
コマーシャル撮りに行ってたんだけど。
あのー闘牛に凝っちゃって。
スペイン流の闘牛っていうのは、ほら、みんなが見る。
ポルトガル流っていうのがあるのよ」
加藤浩次「あ、スペインの隣だから」
倉本聰
「うん。これがバカバカしくって、おかしいんだけど。
刀を何にも使わないの。
人がね、こう10人ぐらい並んでね。
荒れ狂った牛に向かって、「オー、オー」って歩いてくの。前に。
そうすると、先頭の男は必ず牛に突き飛ばされるのよ。クルクルクルクルって。
それで血だらけになるじゃない?そうすると、担架で運ばれてくのね。
次の2番目、3番目のヤツがまた「オー、オー」っていって。
だんだん人が少なくなってく。
それに、健さんと2人でハマっちゃってさ」
※ポルトガルの闘牛…闘牛士が一列に並び、素手で牛の角をつかみ、地面に押さえこむ
加藤浩次
「あーそんなのあるんですね。よけない?ヒラリヒラリってよけるじゃないですか」
倉本聰「ばっかばかしいの」
加藤浩次「俺は根性あるぞ!っていうことなのかな?」
倉本聰
「そういうことなんだろうね。
それをね、毎日やってたら、そしたらある日健さんいなくなっちゃったんだよね。
それで、どこ行っちゃったんだ?
帰る日の前の日かなんかにね。(高倉健さんに)すごい荷物が届いたのね。
何が届いたんですか?って言ったら、「これねー何でこんな物頼んだんですかね」って。
「何ですか?」って言ったら、マタドールのね、衣装。
靴から帽子まで全部一式仮縫いして。自分に合うように作っちゃったの。」
加藤浩次「健さん、まさかやるつもりですか?それ」
倉本聰
「だから「どうするんですか?」と。
「どうするんでしょう?」って自分で言ってるんだよね。
「等身大の鏡があるから、あの前でこれ全部着けて、オーレなんてやってるんですかね」つって。
バカな人なんだよね」
無口な高倉健さん…15分喋らないのはザラ
加藤浩次「(高倉)健さんの話聞きたいですけど…」
倉本聰「あの人変な人でね。無口でしょ」
島崎和歌子「はい。イメージは」
倉本聰
「イメージだけじゃないんですよ。
15分ぐらい全然喋らないっていうのはザラですからね。
(こちらが)なんか言って、言葉が返ってこないのが15分ぐらい平気ですから。
失礼と言えば失礼」(笑)
加藤浩次
「えっ、それは、先生が質問したら、15分返さないってことですか?
これ熟考してるってことですね?頭の中で」
倉本聰
「だからそれが分からない。熟考してるのか?何にも考えてないのか?が分からない」(笑)
加藤浩次「すごいな。だから俺あれ、芝居の間だと思ってたの、健さんの」
倉本聰
「だから僕は間っていうのが好きだから。
間っていうのの研究をずっとしてたから。
いい研究対象ができたと思ってたの。
だけどね。全然その間が長いんですよ。常識じゃ考えられない」
高倉健さんは、28歳の時、歌手で女優の江利チエミさんと結婚。
しかし、40歳で離婚し、その後独身を貫いたといいます。
そこで、倉本さんが高倉さんにこんなきわどい質問をぶつけたところ…
倉本聰
「で僕、聞いてみてやろうと思って。
車に乗って、健さんが運転してる時だ。
「健さん、女興味ないんですか?」って聞いたの。
そしたら、キーッってブレーキかけられて。つんのめるぐらい。
「ありますよ」って言うから、「ああ、そうですか。失礼しました」」
加藤浩次「結構早い間できましたね?それね?」
倉本聰
「うん、そう。
で、「女のどういうところがイイんですか?」って聞いたの。
さーあ、これで黙っちゃったの。まずいこと聞いたかなと思って。
15分ぐらい喋らないんですよ。渋滞があって」
加藤浩次「車の中で、2人で。もう、無言ですね、はい」
倉本聰
「新しい話題考えなくちゃダメだな…なんて思ってたら。
急に、にた~っと僕の方見て、「しなやかさじゃないんすか」って言ったの。(スタジオ爆笑)
しなやかさだよ」
加藤浩次「なんで15分かかったんだろう?それに(笑)」
倉本聰
「15分。「しなやかさ」を出すために、15分かかる?普通。
よっぽど真剣に考えたのかね。
そういう人なんですよ」
加藤浩次「へぇ~。面白いですね」
倉本聰「面白いけど、疲れますよ」(笑)
スケールが違う!高倉健さんのエピソード
加藤浩次
「で、健さんとはどうやって…作品でご一緒されたってことですか?まず、最初は」
倉本聰「大原麗子の紹介だと思うんだよ、一番最初は」
加藤浩次「ふんふんふん。それは、お友達としてってことですね?」
倉本聰
「うん。友達として。それで、(高倉健が)富良野の家に遊びに来て。
で、健さんと全く2人で。
深夜。雪が降る中で。暖炉焚いて。延々といるわけです。
まあ、その間の3分の1も話してませんけどね」(笑)
加藤浩次
「(笑)もう、3分の2は間ですからね。はい。
で、芝居の話したりするんですか?この脚本でとか」
倉本聰
「あのねー例えばねー。
(高倉健さん)「「ディア・ハンター」っていう映画(主演ロバート・デニーロ)を見たことありますか?」
(倉本聰さん)「いや、僕はないです」つったら、
「あれは観るべきです」と」
加藤浩次「え、それは公開した当時?」
倉本聰
「公開した当初。すぐの時。
「明日お時間おありですか?」って言うから。
「ありますけど、「ディア・ハンター」日本で見れるんですか?」って言ったら、
「いやいや。ニューヨーク行って観ましょう」って。
「あ…明日ですか?」「明日です」」(笑)
加藤浩次「日本公開まだしてないんだ」
倉本聰
「「簡単です」って言うの。
「明日の夕方の便に乗ると、朝ニューヨーク着きます。
で、朝ニューヨーク着いて、どっかの喫茶店でコーヒーを飲みます。
コーヒーだって入らなくちゃいけないんだから。
それで、映画館が開きますと。
それで映画館行って、『ディア・ハンター』観ます。
それでまだ夕方ですから、時間ありますから、お買い物します」。
(健さんは)買い物が好きなんです」
加藤浩次「あっ、そうなんですか。健さん何を買うんですか?」
倉本聰「例えばね。気に入ったジャンパーがあると、10いくつ買っちゃうんですね」
加藤浩次「うわー同じやつを?スティーブジョブズだよー」
倉本聰「スタッフに分けるんですよ。みんなプレゼント」
加藤浩次「ああ。プレゼントをしたい方だったんですね?」
倉本聰
「そう。それで、その『ディア・ハンター』の話ね。
「買い物をして、夜行の便のちょうど出る時間になりますから。
飛行機に乗ってぐっすり寝て、朝になると日本についてます」って言うの。
そうすっとね。ほとんど1日かかってないんだよ。
なんか時差をこううまく利用すると。変な計算になんの」
加藤浩次「でも、かかってますよね?」
倉本聰「かかってるんだよね?そういう映画の観方をしてるの」
加藤浩次「すごいな~。で、行かれたんですか?実際に」
倉本聰
「行きませんよ。(スタジオ爆笑)そんな行けないよ。
それで、『ディア・ハンター』はまだ日本で封切られてなくて。
(高倉健さんは)それもう3回観てるって言うの。」
加藤浩次「もう、じゃあ3回行ってるってことか」
倉本聰「3回行ってる。すごい人ですよ」
加藤浩次「面白いというか。やっぱちょっとスケール感違いますね」
倉本聰「スケール違いますね」
健さんの誕生日プレゼントで書いた映画『駅 STATION』…少しもめた!?
加藤浩次「で、作品は(映画)『駅 STATION』ですか?先生一緒にやったのは?」
倉本聰「それ。『駅 STATION』(1981年)です」(この作品で、高倉健さんは日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞)
加藤浩次「それは、健さんのあてがきをしてったわけですか?」
倉本聰「(うなずく)健さんのあてがき」
加藤浩次「それは、先生がもう書きたかったんですか?」
倉本聰
「書きたかったの。
ただね、TBSで「あにき」っていう連続ドラマ書いたんですよ
(1977年放送。映画スターの高倉健が唯一出演した連続テレビドラマ)。
それはね。健さんって喜劇の人だなって僕思ったの。
あの真面目さとね。あの間の取り方っていうのはね。
絶対喜劇が向いてるって思ったの」
加藤浩次「で、そこから…?」
倉本聰
「『駅 STATION』にいって。
だから『駅 STATION』はちょっとあのやっぱり、部分的には(高倉健と)もめたところはありますよ」
日本アカデミー賞を受賞したこの映画。
実は、倉本聰さんが高倉健さんの誕生日プレゼントとして書いた作品。
その中で、高倉健さんがどうしても納得できないシーンがあったそうで…
高倉健さん演じる刑事 英次が、倍賞千恵子さん演じる飲み屋の女将 桐子(きりこ)と恋に落ちます。
しかし、桐子がかくまっていた殺人犯をえいじが射殺。
問題はその後のシーン
倉本聰
「倍賞さん(=桐子)の男である室田(日出男)を撃っちゃって。
その後、倍賞さん(=桐子)のとこにもう一度(英次=高倉健さんが)入ってくんですよね、店に。
(高倉健が)「これは僕は入りません」って言うんだよね。
「僕は入れません」って。
「いや、僕じゃないんです。健さんじゃないんです。これはその英次という役なんですよ」って。
「・・・・・僕は入れないですね」って。
もうこれで、しばらく喋ってくんなかったよ。(笑)もうすごいの」
加藤浩次「そこは絶対曲げないんですね」
倉本聰「曲げない。で、こっちも頑固だから、ついに通しましたけどね」
加藤浩次「で、健さんは?それ、もう納得してくれたんですか?」
倉本聰「納得しないけど、やったんでしょうね」
加藤浩次
「うーん。すごいなぁ。あれは、『駅』の健さんの役って、すごい間があるじゃないですか。
それはやっぱ私生活っていうか、お友達として付き合ってきた健さんを見て出来上がってきたんですか?」
倉本聰
「もう最初からあの間はあの間です。その通りにやっぱやりますね。間を作りますね」
加藤浩次「メッチャ似合いますよね、ああいう」
戦前戦後の生活の思い出
本当においしかった…終戦後、極限の空腹時に食べたバター醤油ライス
倉本聰
「みんな旨いものって、すごいいいもの言うじゃない。
腹が減ってさ、食う物ってうまいと思うのよ。
だからね。僕はミシュランの3つ星だとか、ああいうのは嘘だという気がするの。
で、今度作った映画は、贋作の話なんだけど(映画『海の沈黙』(2024年公開))。
絵画なんかも、いいと思った絵画と。その人が良くてもこの人にとっては良くない。
別に主観だからさ、味も。
例えばうんと労働して、クタクタになって食ったものは美味いでしょ?
それをどこそこの何が最高の料理だなんて、おこがましいって僕は思うのよ。
だから、僕が一番うまかった料理っていうのは…終戦直後にね、六本木の今の俳優座の前に外食券食堂があったんですよ。
外食券食堂っていうのは、当時(=戦後)外食券というものがあって。
これを持って行かないと、メシが食えなかったの」
加藤浩次「これは国から支給されるんですか?」
倉本聰
「そう。そうです。これを持ってって、その料理は外食券何枚っていう。
主に1枚で大体済んだんですけどね。
腹の減ったヤツは、この2枚使ったりするわけですよ」
終戦(=1945年(昭和20年)8月15日)直後、東京は焼け野原で、人々は飢えに苦しんでいました。
※東京都は1944年11月24日から終戦まで合計106回もの空襲を受けた。特に1945年3月10日、4月13・15日、5月24・25・26日の5回は大規模だった。
その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年3月10日の夜間空襲を指す(以上Wikipediaより))
学生だった倉本さんもお腹を空かせる毎日。
そんな時、六本木の食堂で食べた一杯のご飯が今でも忘れられないと言います。
倉本聰
「でね。僕その外食券食堂で、例えば魚をおかずにとるとかあるんだけど。
六本木のその食堂。こっちは金もなかったしね。
バターを置いてたのかな。パンが流行り始めてて。
で、バターを取って。熱いご飯の上にバターを1つ乗っけて。
タダでいい醤油のビンがあるから(醤油をかけて)。
これが一番うまかった。
これは美味しいよ。食べてごらんなさい、今でも」
加藤浩次
「はぁ~。ていうか、その記憶が鮮明にうまかったっていうのがあるんですね」
倉本聰「もう鮮明にうまくて。あれにひくものはないです」
加藤浩次「は~。やっぱりその時は食べれなかった自分がいたということですかね」
倉本聰「う~ん、やっぱりね。うまかったねぇ」
戦前は金持ちだった…しかし戦後すべて失い苦しい生活
加藤浩次「言ったら先生は戦前に生まれてるってことですもんね?」
倉本聰「そうです」
加藤浩次「どういった家庭だったんですか?」
倉本聰
「戦前は金持ちだったんです。
親父は出版社やってて。製薬会社もやってたのかな。まあ、金持ちだったですよ。
ところが国債買って、全部パーになっちゃった」
加藤浩次「え、戦後?」
倉本聰「戦後。だから戦争の犠牲者です」
加藤浩次「そういうことか…。で、そっからガラッと変わったんですか?生活が」
倉本聰
「変わりました。家もね接収されちゃったし。住むとこなくなったし。もう悲惨でしたよ」
加藤浩次「で、お父様は色んな仕事は続けてたんですか?」
倉本聰
「続けるっていうより、色んな仕事に手を出して、どれもうまくいかなかったですね」
借金だけ残り…30歳で気づいた「父親から遺産以上のものをもらっている」
加藤浩次「その後は」
倉本聰
「うん。遺産なんてなかったですよね。借金だけ残って。そう思ってたの。
でも30(歳)ぐらいになってかな。ハッと気が付いたらね。
いや、おれ親父に遺産以上のものを色んなものを貰ってるって気が付いたの。
親父はね、野鳥が好きで。
(野鳥研究科の)中西悟堂さんっていう「日本野鳥の会」を創った人のスポンサーみたいになって。
※中西さんは1934年日本で初めて鳥の保護を唱え創設
で、富士山麓なんかにずっと野営に行って、鳥の実体を16㎜で撮ったりなんかしてたんですよ。
で、そういう時、僕を連れて。5~6歳だと思うんだけど。
一緒にキャンプしてたのね。
その頃僕は…だから鳥の声全部分かりましたよ」
加藤浩次「あ~鳥の声聞いただけで、何々ってね」
物理的な遺産はほとんど残せなかった父。
しかし、気が付けば、自然を愛する心など、お金には代えられないたくさんの精神的遺産を倉本さんに残してくれたと言います。
倉本聰「すごく大事な遺産でした」
名作「北の国から」の話
最初は純の目線で書いていたが、いつの間にか吾郎さん目線に
加藤浩次
「その遺産を倉本先生が思ってて。
で、「北の国から」の五郎さんが遺言っていうシリーズで。
あれはお父様から倉本先生がもらったものを、五郎さん(田中邦衛)が純と蛍に(遺言として)渡したっていう形にしたってことですか?」
倉本聰
「かもしれませんね。あんまりそういう意識なかったけど。かもしれない。
最初は僕は、「北の国から」は、純の目線で書き始めたんですよ」
加藤浩次「あ、でも純のナレーションでしたよね?最初の時は、うん」
1981年から放送を開始した「北の国から」。
倉本さんが物語を発想した原点は、電気も水道もない廃屋に都会しか知らない子供たちがいきなり放り込まれたら、いったいどんな反応をするのか?というものでした。
倉本聰「だけどそのうちにね。うーん…五郎さんの目線になっちゃったんですね」
加藤浩次「うんうんうんうんうん。それは、なんでそうなったんですか?」
倉本聰
「あのー僕は、やっぱり最初はまだ北海道に来て若かったから。
見るもの聞くもの珍しくて。もの珍しくて。
それで、純の目線で書いたんだけど。
そのうち段々色んなことが分かってきて。
五郎さんの目線になっちゃったんですね。
だから自分の中でずーっとこう色んな…それこそ歳、年齢と同時に経験値というものもついたし。
それで、五郎さん的なあれになったんでしょうね、きっと」
主演が田中邦衛さんになった理由…候補の中で一番情けない感じだったから
加藤浩次「で、なんで(主演が)田中邦衛さんになったんですか?」
倉本聰
「あのー最初に候補が何人かいたんですね。
高倉健さん。それから、西田敏行さん。藤竜也、緒形拳…中村雅俊か。それで、田中さん。
こん中で誰が一番情けないかっていうのをみんなに提案させたのよ。
文句なく、田中邦衛だったの。情けないっていうのが」
加藤浩次「情けないっていうのは、そういう風に演じてもらいたいってことですよね?」
倉本聰
「うん、それもあるし。本質的に情けない男の話なんだよね。
例えばね。あのーよくみんながこう記憶にとどめてくれてる「子供がまだ食ってるでしょうが。最中でしょうが」っていう。
あのシーンは最初の(脚)本にはなかったんですよ。
あの、最初出した本にはなかったの」
加藤浩次「最初はどういうシーンだったんですか?」
倉本聰
「いや、純が「火事を出したのは僕のせいです」っていうシーンだけだったの。
だけど、なんか足らなくて。
伊佐山ひろ子があの役(=店員の役)をやるって聞いて、伊佐山ひろ子の側から今度ものを見始めたんですよ。
伊佐山ひろ子には子どもが2人いてね。
あのーその子達を伊佐山ひろ子が1人で、母子家庭で面倒をみてると。
子供がいるから(夜)8時には遅くとも帰らなくちゃいけない。
だけど、この変な爺さんとあれが(=子どもが)永遠と話し合ってて、なかなか終わってくれないから片付けられない。
イライライライラしてくる。
そっち(=店員側)から考えたら、あのー「子供がまだ食べてる最中でしょうが」っていうセリフが出てきたのね」
加藤浩次「そっか。下げるってことですもんね。早く帰りたいから」
島崎和歌子「そうやって名シーンが生まれるんですね」
倉本聰「そういうもんですよね」
加藤浩次
「これまた全然違う形の(「北の国から」の)続編みたいなのは先生考えてらっしゃらないんですか?」
倉本聰「かけないんですよね、もう。役者がいないですよ。」
加藤浩次「確かにね。でも、なんかやりたい気持ちはあるんですか?」
倉本聰
「うん。あの一時期ものすごいあったんですね。
(黒板)五郎さんが死ぬところ書きたかったですね」
加藤浩次
「見たくない所もありますけどね、我々ファンにしてみたら。
でも、決着というか、最後っていうことですもんね?」
倉本聰「そうですね。…アニメでできるかもしれない」
セリフの語尾を変えられるのが一番嫌
語尾を変えると性格が変わってしまう
加藤浩次
「うわさでちょっと聞いたんですけど、倉本先生が作る作品って、「セリフを一言一句変えちゃいけない」っていう風に聞いたことあるんですけど」
倉本聰「ウソです」
加藤浩次「うそ(笑)あれウソなんだ」
倉本聰
「1回言ったことあるんです。そのこと(=一言一句変えちゃいけない)を。
あるね。若い歌手が芝居に出たら、(セリフを)変えちゃったんですよ。
それもめちゃくちゃに。
でね、例えば、語尾を変えられるっていうのが、僕は一番嫌なんですよ。
ええ。語尾を変えるとね、性格が変わっちゃうでしょ」
加藤浩次
「うんうんうん。「何々です」とか。「何々だよ」とか。そういうことですよね?」
倉本聰
「だから多少いいけれども、それをあんまり激しくやるから。
カッとして、「一言一句変えないでくれ」って言っちゃったんですよ」
加藤浩次「ああ~1回あるんだそれが」
倉本聰
「1回ある。それがどういうわけか…。僕を敵視する人間はいっぱいいますからね。
その連中が鬼の首を取ったようにあちこちで言いまくったんですね」
加藤浩次
「ああ、そういうこと。1回しか言ってないのに、それが全てになっちゃったんですね」
倉本聰
「そうなんです。
それで、僕ある番組で、うまくいかなかった子供と父親が和解するシーンで。
(父親が言うセリフを)「よぅ」って書いたの。
そしたら、その役者が「やぁ」ってやっちゃったの。
違わない?」
加藤浩次「違います」
倉本聰「違うでしょ?」
加藤浩次「全然違います」
倉本聰「そういう違いがね。僕がその文句を言う時の文句なんだけれども」
加藤浩次「ああ、そういうことか。でも、変えちゃダメっていうのは嘘と」
倉本聰「そう。だからもう絶対ウソ」