【なりゆき街道旅】松島聡さん&皆川猿時さん(2025年3月2日放送)

ハナコ岡部「お2人(松島さんと皆川さんは)は何年前のドラマで(共演)?」

松島聡「2018年なので。僕が本格的にドラマデビューした時に、共演させてもらった」

※松島さんと皆川さんは2018年放送スピンオフドラマ「ゼロエピソードZERO 城山小太郎編」で共演

 

松島聡さん 芸能界へのきっかけ

13歳でデビュー

島崎和歌子「今いくつになったの?」

松島聡「27歳です」

島崎和歌子「え⁉まだ27?デビューって」

松島聡「13歳です」

島崎和歌子
「13歳だったの!?こんなちっちゃくてね。可愛くてね~。そっか~。そりゃあ、子どもだったね。そうか。大きくなって、立派になられて」

皆川猿時「静岡の子でしょ?」

松島聡「そうです。静岡出身で」

皆川猿時「もう当時は、静岡から通ってたってこと?」

松島聡「通ってましたね。3年ぐらいは」

 

Hey!Say!JUMP 知念侑李さんに憧れて履歴書を送り…

ハナコ岡部「松島さんは、小さい頃からアイドルになりたかったんですか?」

松島聡
「憧れてました。小2とかでしたね。
それこそ、Hey!Say!JUMPさんに憧れて僕事務所に入ったので。
知念侑李くんに憧れて。はい。入ってます」

島崎和歌子「なんか最近だね。ねえ?」

松島聡
「小学校の時にハマって。
小5の時に1回履歴書送って、連絡来なくて。
小6の時に送って、やっと1年後ぐらいに連絡が来て

島崎和歌子「あ、そんなもんなの?」

松島聡
「そうなんです。で、なんか夜電話がきて。「明日きてください」って
まあもうすぐですね。だから、父親が運転して3時間ぐらいかけて東京行って
オーディション受けて。

で、毎週日曜日は必ず呼ばれてたんで行って。レッスンがあって

で、僕の回は200人ぐらいの研修生がいて。
で、A・B・Cのグループに分けられて。

僕その当時、Aのグループに分けられて。だんだん人数が減ってって。
で、最終的に3人ぐらい残って
で、デビューしたんですけど。

でも、事務所の中でもそのエリート級って言われてて。
なんか僕、下積みが8か月しかなくって、それでデビューしちゃったので。
結構その事務所の中でもレアケースというか」

島崎和歌子「だってね。もうバックダンサーからやって。8か月!?いや~スターだね!」(笑)

ハナコ岡部「これはエリートですね」

松島聡
「って言われます。ただやっぱりそれなりの苦労もありましたね。
その表舞台の立ち方みたいなノウハウもなかったですし。
もう教科書もないですし。」

島崎和歌子「うわ~ラッキーだね。なかなかね」

松島聡「そっから3年ぐらいは、静岡と東京行き来して

 

 

皆川猿時さん 芸能界へのきっかけ

おニャン子クラブ・渡辺美奈代さんのファンだった

ハナコ岡部「皆川さんは、その福島の森から…(笑)」

島崎和歌子「どうやって出てきたか?だって、役者さんになったきっかけってね」

皆川猿時
「そうですよね。僕はだからそのおニャン子クラブが好きで
渡辺美奈代ちゃんが好きだったんですよ。
そんで、当時「月曜ドラマランド」って枠があって。
そんで、渡辺徹さんと渡辺美奈代さんで、W渡辺でなんか…なんだ。
兄弟の探偵ものみたいなやつだったんですよ。

(※1986年放送ドラマ「探偵桃がたり」)

で、それで見て。
そんであのー役者になったら、その美奈代ちゃんと共演できると思ったんですよ」(笑)

島崎和歌子「純粋ですね」

皆川猿時
「そうそう。そうなんです。で、渡辺徹さん…ぐらいには俺なれるだろうってなんかあの…。(笑)
でもなんか、渡辺徹さんとも共演させていただいたんですけど、うん。
それで、役者になろうって決めたんですよ。
で、割とね、30ぐらいの時に、共演してるんですよ、渡辺美奈代さんと。2時間ドラマで。
だからもう夢叶ったんで。今はもう余生(笑)」

島崎和歌子「緊張しませんでした?初めてお会いした時に。そういうのってどうです?」

皆川猿時
「えっとね~。緊張は特にしなかったんすね。
なんかもう嬉しくて。もう~(笑)♪
普通、普通ね。あ~あ~(緊張してドキドキする)ってなるのかな?って思ったら。
「もう、すごい好きで!」って言って(笑)」

ハナコ岡部「もうあふれ出しちゃって」

皆川猿時
「そうそう。もう。気持ち悪かったと思うんだけど(笑)そうそう。それがきっかけですね」

 

本「役者になるには」を見て、劇団の研究生に

ハナコ岡部「それで、高校卒業されてからって感じだったんですか?」

皆川猿時
「すぐです。(劇団)東京乾電池っていう柄本明さんがやってるとこの研究生になったんですよ(17歳頃)。

でもその当時ってやっぱ今みたいにネットとかが無いから、あんま情報がなくて。
なんか役者になるには」って本があったんですよ。(笑)
そんなバカみたいな、ドストライクな(本)。

で、それ見て、巻末の方にその文学座とか俳優座とかのその連絡先があったんですよ。
そんで、なんかその辺はちょっと…新劇はちょっと俺、敷居高いなと思ってて。
知ってたのが、東京乾電池だったんですよ」

※劇団東京乾電池…1976年に柄本明・ベンガル・綾田俊樹によって結成。東京下北沢に拠点を置く劇団で、座長は柄本明

島崎和歌子「その時、乾電池さんってテレビ…」

皆川猿時
「あの、(バラエティ番組)「笑ってる場合ですよ!」とかを僕が小学生ぐらいの時に観てたのかな?そういうイメージがあって。
それでオーディション受けてって感じですね」

※バラエティ「笑ってる場合ですよ!…1980年に放送スタート。B&B(島田洋七・洋八)・ツービート(ビートたけし・きよし)・明石家さんまなどが出演

ハナコ岡部「え、1年研究生」

皆川猿時
「1年。そんで、もう残れなくて。
そんで、どうしようかな~なんて思ってる時に、「大人計画」の舞台をお客さんで何回か観てて(23歳頃)。
そんで、面白いな~と思って、また大人計画のオーディションを受けてって感じですね」

※大人計画…1988年に松尾スズキが旗揚げ!宮藤官九郎・阿部サダヲ・荒川良々・星野源などが所属

 

31歳まで串焼き屋さんでアルバイト…「あまちゃん」で知られる俳優に

島崎和歌子「でも役者さんってホント食えないって言いますもんね?若い時は皆さん、バイトバイトでしょ?」

皆川猿時「うん。してましたね」

島崎和歌子「何のバイトですか?」

皆川猿時「僕ね、串焼き屋さんで焼いてました、新宿で」

島崎和歌子「へえ~似合ってる!」

皆川猿時「31(歳)まで

ハナコ岡部「その、そっから何か転機になった作品とかってあるんですか?」

皆川猿時「なんだろな~」

島崎和歌子「生活がちょっと楽になるっていうか、全国区っていうか」

皆川猿時
「でもやっぱ全国区だって感じたのは、やっぱ「あまちゃん」ですね。あれはすごかったです。
やっぱその、役名とかで呼ばれることって、あんまなかったんですよ。
もうなんか高校生とかに「南部ダイバー!」って。もう役柄でもないんですけど(笑)
「南部ダイバー」って言われて。嬉しいです」

※NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013年度前期放送)…脚本:宮藤官九郎、出演;能年玲奈、小泉今日子ほか。皆川さんは高校の潜水土木課の教師役を演じた

 

奥様は同じ劇団の俳優

ハナコ岡部「皆川さん、奥様は大人計画の…」

※皆川さんの奥様は俳優の田村たがめさん

皆川猿時「そう、そうなんです。同期の…ええ(笑)そう、近いところで、ええ。

島崎和歌子「ご法度じゃないんですか?そういうの」

皆川猿時「あの~ええ、特になかったですね、はい」

島崎和歌子「一目惚れですか?」

皆川猿時「なんかね…それに近いかもしれないですね。なんか、いいな~と思って」

島崎和歌子「え、どういったシチュエーションで?けいこ場ですか?」

皆川猿時
「稽古場じゃないですかね、ええ。
だからなんか、まあジャージ着てね、稽古するんですけど。
なんかそのジャージもいいなっていうなんかその」(笑)

島崎和歌子「何て誘ったんですか(笑)?」

皆川猿時
「なんて誘ったんだろう…全然覚えてないけど。
僕が64㎏の頃だから(23歳頃)、覚えてないですよ。
40㎏くらい太っちゃったんで。もう記憶ないです」

島崎和歌子「照れ屋さん。照れ屋さんだね~。奥様のどこが好きなんですか?」

皆川猿時「どこが好き…(笑)」

ハナコ岡部「なんか今までで影響を受けた先輩とかっていますか?」

皆川猿時「誰だろう?」

ハナコ岡部「その劇団の歴で言うと、阿部(サダヲ)さんは?」

皆川猿時
「あのね。同い年なんだけど、大人計画に入ったのは先なんですよ、阿部くんの方が。
だから、宮藤官九郎も同い年なんですけど、阿部くんよりもちょっと先なんです、入ったのが。
だから、結構同い年の人が多くて」

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