2度の離婚を経験したのち、幼い2人の娘を連れ、9歳年下の俳優・木村了さんと再婚。
今年で結婚10年目。現在子供は長女高1、二女中2。
世間の印象とのギャップに悩んだ10代
本来人の前に立つのは苦手
山崎育三郎
「イメージとしてはちょっと波乱万丈・ドラマチックな人生ってイメージあるけど。ご自身ではどういう風に受け止めてます?」
奥菜恵
「いや、本当にできれば人の目につきたくないぐらい人の前に立つのは苦手だし。目立ちたくない」
井桁弘恵
「でも、そうなるとこう世間の見え方とのギャップみたいなとこって、本当はそんな感じじゃないのに華やかに見られるなとか」
奥菜恵
「そうですね。派手な性格ではないと思っているので。それはそれでちょっと驚きというか。
まあそういうギャップみたいなところで悩んだ時期も正直あったんですけど、昔は」
10代の頃をよく知る親友にインタビュー…おもしろいこともする、家庭的、嘘がない
山崎育三郎
「で、この奥菜さんの周りに取材をしたところ、イメージと全く違ったということで。
良く知る友人の証言と共にこの素顔と人生をお伺いしたいと思っています」
ドラマやバラエティにひっぱりだこ。
17歳でおしゃれカンケイに出演。
見ない日はないほど超売れっ子だった10代。
当時から奥菜を知る親友が…山田恵さん。
16歳の時にヒロインを演じた人気ドラマ「若葉のころ」で、同級生役として共演。
スタッフ「普段はどんな方なんですか?」
山田さん
「あの、顔が美人顔なので、どうしてもこうツンとして見えるじゃないですか。
だけど、そんな感じではないですね。
普段から面白いこともするし、モノマネを振ればモノマネもするし。
アホの坂田さんとか。かわいいんですよ、本当に。
世間のイメージは本当にその派手な風に見えて。
ワイン片手に、いつもシャンパン飲んでるみたいな。
私が思う彼女は、外食よりも家でご飯を作る派だし。
ワインじゃなくてほうじ茶とか。そういうイメージだし。
牛ヒレ肉みたいなね。だけど、(得意料理は)牛すじの煮込みです。そう」
清純派と言われた10代の頃の素顔も。
山田さん
「最初のうちは、アイドルみたいな感じのくくりが多かったじゃないですか。
多分彼女からすると、清純派じゃないし、自然体でいたいしって常にあったんでしょうから。
(10代は)多分、自分の感情とかそういうものを本当に押し殺していたんじゃないのかなっていう風に思います。
それがなんか20代で爆発してというか、事務所をやめて海外留学に行ったのも、やっぱり自分の時間・考えに向き合いたくてっていうのをしてたんだと思うんですけれど」
事務所から独立。そして、突然の結婚と世間の注目を集めた20代。
山田さん
「本人も言ってましたけど、20代の時は、自分で苦労しにいっていたこともあると思うと。
で、こう(苦労して)山に突き当たっていることが生きてるって感じが昔はしたんですって。
曲げないし、負けないし。自分に正直なのかな。嘘が無い感じ」
人生をリセットするためニューヨークへ
人からどう見られるのかをものすごく気にしていた10代…清純派、魔性と言われ
奥菜恵「ありがとうございます」
山崎育三郎
「10代の頃は清純派というイメージもあったと思うんですけれども。どういう風にそれを乗り越えていったんですか?」
奥菜恵
「まあもちろん、その清純派って言われることもあったり、魔性って言われることもあったりして。
その当時は、やっぱり人からどう見られるのかっていうことをものすごく気にして生きてた。
ただ、自分では清純派とも魔性とも思ってなくって。
でも今振り返ってみたら、その清純派って言われたり、魔性って言われることって、実はすごいありがたいことなんだなって。
やっぱりその当時は気づかなくって。
そういう風に世間から言われることに、すごくなんだろうな…心が苦しくって。
だからそのイメージに沿うように、必死に、そういることが当たり前。
このまま私今後の人生歩んで行ったら、どこかで…なんかおかしくなっちゃうなとか。
もういったん、自分の人生をここでリセットと思って、海外に行きました。」
井桁弘恵「ちなみにどちらに?」
奥菜恵「えっと、ニューヨークに行って」
山崎育三郎「そこでの生活はいかがでした?」
奥菜恵
「(笑)すごく楽しかったですね。新鮮。
っていうか、街を歩いてても、誰にも声かけられないし。
もう自分の時間を好きなように使える喜びっていうか。
でもやっぱり、スーパーに行って。日本食が恋しくなっちゃうから。
その干物を買ってきて。お家でご飯と納豆と干物を食べる生活(笑)」
イメージに苦しんでいた当時、家族はどう見ていたのか?
奥菜恵さんの母からの情報
両親に心配かけたくなかった…一人で悩みながら解決、幸せになってはいけないと思い…
質問 10代の奥菜恵さんはどんな娘さんでしたか?
『責任感が強く、約束を守り、整理整頓を心がけて、人に迷惑をかけないようにしていました。』
奥菜恵
「特にやっぱり両親は、私がもう小さい時から芸能界に入っていたので。
余計になんか心配はかけたくないっていう思いもあって。
もう…そうですね。自分のことはもうちゃんとやるみたいなスタンスでは、はい」
井桁弘恵「そういう悩みをこう打ち明ける所はあったんですか?」
奥菜恵
「結局のところその、そういうものをね、解決してくのって、自分自身なので。
割と一人で、その悶々と耐えながらっていう時が多かったかもしれません」
山崎育三郎
「さっき山田さんおっしゃってましたもんね。
自分から苦労しに行くじゃないけど、20代はって。そういう感覚ありました?」
奥菜恵
「ありましたね。特に10代、20代はそれが強くて。
幸せになっちゃいけないと思っていたので(笑)。
なんかなんかすごいとんがってたのか。なんかそういう所があったんですよね。
で、なんか幸せになることで、なんか(俳優として)表現ができなくなるんじゃないかとか。
だから、色んなことを知りたくて。
ホントだったら経験しなくてもいいそのいばらの道じゃないけど、苦労を自分でしに行くみたいなところはあったと思うんです。
変だけど、今考えたら」
家族(夫・娘)との関係
30歳で出産…大きく変わった考え方
山崎育三郎「それ、どの辺から(考えが)変わってくるんですか?」
奥菜恵
「いや、でも…私は30(歳)で出産をしたので。
やっぱり子供ができたことによって、やっぱり大きく。生活も一変しましたし」
1度目の結婚は24歳。
2度目の結婚で長女(当時30歳)、二女(当時31歳)を出産
現在、高1と中2の二児の母。
とてもいい旦那さん、一番に家族のことを考えてくれる人
親友から見た、娘と父・木村了との関係は?
山田さん
「例えば彼女(奥菜)が仕事で遅い日とかで、そうするとパパがご飯を作って。
で、(時間内に)食べ終わるように。喋らないでちゃんと食べ終わるように、しつけっていうかそういうものをちゃんとしてるし」
結婚10年目を迎えた夫婦の素顔は?
山田さん
「仲良いです!仲良いです!
またね。なんかね。いい旦那さんなんですよ。
いい旦那ポイントカードがあったら、もうすぐ満タンになるよっていうくらい。
彼の方が年上な感じの接し方だし。あの(話)聞いてくれるし。
ただそれだけじゃなくて。ちゃんと言い合う時には言い合って。
あの、お子さんのこととかで、本当に何時間でも2人で話すってことも言ってたので。
なので、本当に(気が)合ってるんだと思います。」
奥菜恵さん事前取材で…
奥菜恵「家族と何でもないことで大爆笑してる時とか。ああ~すごい幸せだなって、すごく思う」
40代の今が一番幸せ。
山田さん
「自然体で生きれるっていう、それが今だから。
素直に「幸せ」って言えるんじゃないかなと思う。
なかなか言えないですよね、今が幸せって」
(スタジオで)
山崎育三郎「(旦那さんについて)いかがですか?奥菜さんから見ても」
奥菜恵
「本当に感謝しかないですね、ホントに。
何よりも一番に家族のことを考えてくれてることが、日々の生活の中でも伝わってきますし。
愛情をこめて、家族を守ってくれてると思っています」(涙ぐむ奥菜さん)
娘は絶賛反抗期中…意識してるのは"一緒に笑う時間を作る”こと
山崎育三郎「もう高校生なんですね。上のお姉ちゃん。」
奥菜恵
「そうなんですよ。もう結構友達みたいな感じで、はい。仲良く。
中2の娘は今絶賛反抗期です。
もう毎日のようにもう大ゲンカ。
「ふざけんじゃない!」とか言いながら(笑)ほんっとに、大ゲンカですよ。
それが毎日続くと、さすがに私も段々疲弊してきて。心まで疲れてきちゃって。
これちょっと、もう方針を変えて。
特に意識してるのが、一緒に笑う時間を作る。
普段のこう会話の中で、学校で何があった、こういうことがあったっていうので、いちいちゲラゲラ笑って。
あのすごいだから、私も楽しく今は子育てをしている最中です」
夫との出会いと結婚の決め手
友人関係から始まり…子どもが「パパ」と呼ぶようになって
山崎育三郎「そもそも結婚する決め手というか、木村さんと。この人とだったらしたいと思えたことって何なんですか?」
奥菜恵
「もう私もまだ子育て…そのー子供たちが小さくって。
子育てと仕事の両立で。
人生で一番くらい、そのー精神的にも体力的にもしんどい時で。
まあ、そんなときに出会ってるんですけど。
だからもう初めは友人関係で。
そんなまあ、お互いの仕事の悩みとかを話してる関係ではあったんですけど。
そのうち、子どもたちも一緒になんか公園行ったりとか。
あのーみんなで遊ぶような感じになった時に、子どもの方からあの「パパ」って呼ぶようになってしまって(笑)
で、そういうのもきっかけとしてはあって」
結婚を決意できた夫の言葉「あなたは幸せになっていいんだよ」
奥菜恵
「で、まあ私の中では、もう二度と結婚なんてするもんかっていう風に思ってた。
もう、もう結婚はしたくないっていうやっぱり思いもあったし。
でも、この子どもたちは私が1人で守って、1人で育てていくっていう風に思っていたんですが。
まあ、そういう子供たちの姿を見て、本当に関係性を大事に築いてくれる、その~彼の存在もあって。
でもなんか、色んな物を背負わせてしまうことの葛藤ももちろんあって。
なんですが、「もうあなたはね、幸せになっていい人なんだよ。幸せになっていいんだよ」っていうような言葉をかけてくれて。
まあ、覚悟を持って、接してくれる姿もあったということで、はい」
夫・木村了さんにアンケート
幸せになることを認めてくれた9歳下の夫。
質問 なぜ「幸せになっていい」と伝えたんですか?
『当時は1人で子供を育てていて、自分一人で全てを抱えて、肉体的にも精神的にも大変なのが目に見えて分かったので、その大変さを半分こできればと思ってその言葉をかけました。』
(スタジオで)
奥菜恵
「うわ~。ありがたいですね、ホントに。
やっぱり子どもたちとも、誠実に一生懸命接してくれて。
ほんと感謝しかない。はい」
家族4人で会議をし、そのまま婚姻届を出しに…
井桁弘恵「その娘さんに、結婚するというお話をどういう風にお伝えしたんですか?」
奥菜恵
「えっと。(家族)4人で婚姻届を出しに行ったんですが。
うち割と何かあると必ず4人で会議をして。
私の方から、今までの経緯をちゃんと伝えなきゃ、説明しなきゃいけないと思って、ちゃんと説明をして。
あのーちゃんと子どもたちも納得した上で、そのまま婚姻届を出しに行ったみたいな」
井桁弘恵「どんな思い出ですか?その」
奥菜恵「いや、なんかまたね、ここから新たな家族のカタチがね、スタートするのかなという思いで、はい」
子どもたちと仲がいい夫、子育てについてよく話し合う
井桁弘恵「え、どんなパパなんですか?」
奥菜恵「いやもう、本当に言うことないくらい。うん。子どもたちとも仲も良いですし」
井桁弘恵「お話されたりするんですか?木村さんとは。どういう風に子育てして行こうとかって」
奥菜恵「話し合いの時間はしょっちゅう持っていて」
井桁弘恵「へえ~。それは2人で?」
奥菜恵
「はい。やっぱりね、ちゃんと共通の認識として、何をもって統制していくかみたいなことはすごく細かくやってきてましたね」
井桁弘恵「え、育さんところはどうなんですか?そういう子育てのお話とかって」
山崎育三郎「子育ての話?ものすごいする、うちも。子どもが寝た後に。永遠。ほぼその話じゃないですか?」
娘&夫からの手紙
長女から
『ママへ
いつも朝早く起きて、お弁当を作ってくれてありがとう。おいしいよ!
ママの気遣いができて、場を明るくできる所が大好きです。
これからも色々あると思うけど、よろしくね。
長女より』
二女から
『ママへ
私が上手くいってなかったり、落ち込んでいると、笑わせてくれようとするところが大好きです♡
ママがしてくれていること全て、当たり前じゃないと考えると感謝しかないです。
ママに当たることがあるけれど、ちゃんと反省しています。
これからもずっとずっと優しいママでいてね!
二女より』
山崎育三郎「いかがですか?」
(涙ぐむ奥菜さん)
奥菜恵
「いや~ダメなんですよね。私子供のことになると、ダメなんですよ(笑)
ちょっとホントに…(涙ぐむ)」
山崎育三郎「二女さんが私が落ち込んだ時にママが笑わせてくれるって言ってましたけど。そういうことあるんですか?」
奥菜恵
「う~ん…逆に、励まされてきたっていうか、うん(涙がこぼれそうになる奥菜さん)。
うん、そう、なんか、小さい頃に、やっぱりね、色んな普通ではその~経験しないような…何て言うんだろうな。心の負担というか。(目に涙がたまる奥菜さん)
ねえ、そういうものも、あのー背負わせてきてしまったので。
でもなんか、私は私で子供たちのことを本当にあの~宝物だと思ってるし。
本当に自分の命よりも大事な命だと思っているので。
もう2人とも本当に明るいし。
逆にそういう明るさに私があのー救われてる。うん。
あの子育てを通して、私に母親としての学びを与えてくれるような」
山崎育三郎
「でも、そういうママの思いをちゃんと受け止めて、すごく優しい子に育ってる感じが文章から伝わりますよね」
奥菜恵「はい。そうですね。優しいですね、もう」
夫・木村了さんからメッセージ
『苦楽を共にした10年間ですが、まだまだ幸せにしきれてないなと思いながら生活しています。
些細なことでも悩んでほしくないし、苦しい思いも当然してほしくありません。
そのためにも、今よりももっと頑張って、幸せにしたいと思っています。
何よりも、何も考えずに、常に笑顔でいてもらえるように。』
家族からのメッセージを聞いて…ありがとうしか出てこない
山崎育三郎「すごいよね」
奥菜恵
「ありがとうございます、本当に。
私にはなんかもったいないくらいなんですよね(笑)なんか。
申し訳ないくらい、本当に」
井桁弘恵
「先ほども、今が一番幸せみたいな言葉おっしゃってましたけど。
どういう時に幸せって感じますか?」
奥菜恵
「もうなんだろう…自分の好きな人に囲まれて、何でもないことで大笑いしてる時。
やっぱすごく幸せだなぁと思いますね」
山崎育三郎「家族に何かメッセージ。今日見てると思うんで」
奥菜恵
「う~ん、そうですね。もう「ありがとう」しか出てこないし。
こんなに楽しく過ごさせてもらって。
あの、母にしてくれて、妻にしてくれて、ありがとうございます」
今はあるがままの自分を受け入れ、人と関わることが楽しい
そして、5年前、尋常性白斑という皮膚の病気になったのを期に…
奥菜恵
「この先の人生、何が起きるか分からないし、人生の後半戦は、今まで自分がしたくても出来なかったこと、どんどん形にしていこうって。
やっぱりその、シングルマザーだった時に、どこかそういう気持ちを吐きだせる場所がなかったので。
今フードバンク×居場所づくり、まるのWAっていうプロジェクトをちょっと立ち上げて。
母子支援ではないですけど、もうホントに自分のできることからやっていきたいっていうので。そういう活動も始めています」
山崎育三郎「今日いかがですか?色んなお話させていただいて。ご自身のことで何か気付きとかありました?今日」
奥菜恵
「ああ、なんか、ありのままというか、このまんまの自分をやっと自分でも受け入れられるようになってきたような気がしていて。
楽しい。なんか人と関わるのが。楽しく感じます。
一時期はもう人にも会いたくないみたいな時期もあったので(笑)
これからは、もう楽しく自由に生きていきたいなと」
