【おしゃれクリップ】加藤ローサさん(40)「離婚を発表」(2025年8月17日放送)

21年前、結婚情報誌ゼクシィのCMに登場。
2011年 26歳の時、サッカー日本代表 だった松井大輔と結婚
数々の海外挑戦を続けた松井。
最初の出産は知り合いのいないフランスで経験し(2011年 26歳)、長男が1歳の時にブルガリアへ(2012年 27歳)。
さらに、第2子は妊娠中にポーランドへ移動(2013年28歳)。
今年は40歳に。

 

離婚を発表

一緒に住んだまま…父と母としての役割を果たしたい

山崎育三郎「同級生で」

加藤ローサ「えっ、同学年?え~ 一気にほぐれました。ありがとうございます」

山崎育三郎「今お子様は?」

加藤ローサ「中学2年生と小学6年生の男の子2人

山崎育三郎「40歳で人生を見つめ直すっていうのがありましたけど。どういう意味があるんですか?」

加藤ローサ
「もう先に言った方がいいかなと思って。あれなんですけど。
今VTRにあった結婚したって話しあったんですけど。
もう実は今は籍を抜いていて。はい。
新しい私たちのカタチで今一緒に生活は続けつつ、ちょっと夫婦っていうカタチを変えて」

山崎育三郎「あ、もう籍は抜いて、離婚されてるカタチで」

加藤ローサ「はい。そうなんです。離婚してて。初めて言っちゃった(笑)」

山崎育三郎「初めて言っちゃった。それおしゃれクリップでいいんですか?すごいニュースになりますけど」

加藤ローサ
「いやいや、でも。今回お話しいただいた時に、迷ったんです。
だからもう出ないか、(離婚を)言っちゃうかと思って。
それで公表することになったんですけど。
なったんですけどっていうか、今、これ(笑)」

山崎育三郎「そうですよね。今この瞬間。それ、いつされたんですか?

加藤ローサ
「したのは、えっと今年とかじゃなくて、ちょっと前なんですけど。
なんかおっきなことがあったとかじゃないんですけど。
年月を重ねて、(夫婦の)関係性が変わってったって感じかなぁ。
「あ、カタチが変わっちゃったねぇ」みたいな感じですかね。うんうん。
道行く人にも、「旦那さん好きなんです」って言ってもらったりとか。
なんかそのいちいちこう嘘ついてるような気がして。ちょっと苦しかったんで」

山崎育三郎「ちがう。こんなガンガン聞いていいことなんですかね?」

加藤ローサ「いいよ~」

山崎育三郎「いいんですか?」

加藤ローサ「いいんです いいんです。同級生だし(笑)」

山崎育三郎「でも、一緒には住まれてるわけですよね?」

加藤ローサ
「そうです。一緒に住んだままなんですけど。
彼は去年サッカー選手を引退して。なんかさらに忙しくなり。
日本国内だけじゃなくて、海外でサッカー教室やったりとか。飛び回ってるので。うんうん。
まあ、さらに顔合わせることは少なくなったけど。
家から出発して、家に帰ってくるっていうのは変わらずで」

山崎育三郎「それはこれからもそういうスタイルっていう中でやっていく感じですか?」

加藤ローサ
「うん。2人の共通の思いで。
やっぱり、お父さんっていう役割とお母さんという役割はあの果たしたいねぇっていうので。
まあだから、永久的にたぶん一緒に住むことはないと思うんですけど」

山崎育三郎「うん。子供たちが今一緒にいる間はみたいな」

加藤ローサ「うんうん」

 

松井大輔さん「紙だけの問題で、今までと変わらない生活」

井桁弘恵「そして今回ですね、松井さんにもお話を伺いました」

(松井大輔さんへのインタビュー映像)

松井大輔「お願いします」

離婚後の今も一緒に暮らす2人。
思いがけず番組で発表することになったが…

松井大輔
「ご迷惑にならないのかなっていう。いい、こうきっかけができれば、彼女にとって。いいなっていう風には思いました。はい」

スタッフ「一応、(離婚についての)松井さん側のご意見を聞いておきたいんですけども」

松井大輔
「そんなにこう、「今日ここで(離婚しよう)」みたいな、そういうのはない。
もうホントに変わらず一緒に住んでますし。
まあ紙…ホント紙(離婚届)の問題だけだと思うんですけど。
まあ結婚してからもそんなに。えー籍は入ってましたけど。その今と変わらないずっと関係なんで。
えー自分としてはもうホントにこれからも変わんないというか。
子供が巣立っていく上で、子供たちが違う県に住んだりとかするかもしれないですけど。
でも、僕達は(親として)変わらないままでいるとは思いますけどね」

スタッフ「今新しい関係になられて」

松井大輔
「まあ、今新しいというか、僕はあんまりこういつも通りの生活をしてるつもりなんですけど。(加藤ローサ(笑)「あ、私だけが笑っている(笑)」)
言われないとちょっと分からない。
(ローサから)何かありましたか?」

 

加藤ローサさん「良い妻でいなきゃという気持ちから解放された」

(VTRが終わって)

加藤ローサ「アハハハハ(笑)超面白い(笑)」

山崎育三郎
「まあ、これが面白いっていうのは?ローサさんずっとニヤニヤしながら。
でも逆に何も生活が変わらないのに、その紙上でもその離婚っていう」

加藤ローサ
「はいはい。彼は変わらず自分の好きなことだけを追いかけてるタイプで。
なので変わらないんですね。
やっぱり、籍が入ってると入ってないとでは、私の気持ちが結構変わって
良い妻でいなきゃみたいなのをすごい思っちゃって

例えば今日とかお仕事が1つあります。
(仕事から)帰ったらすぐ夜ご飯じゃないですか、この時間。
良い妻しなきゃとか思うと、この前に、買い出ししたりご飯作ったり準備して。もう温めるだけの状態にして出かけたりとかっていうのを。
まあ、結局仕事一つするにも、自分もメッチャ大変だったとかあったんですけど。
なんか今は、そこがちょっと力が抜けたというか。
「もうそもそも妻じゃない。頑張らなくていい」って思えるようになって。
私はすごい変わったなって思ってます」

山崎育三郎「でもこれは、世界中を回っていった2人だからの家族のカタチみたいなものでもあるんですかね?」

加藤ローサ「そうですね」

 

海外を転々としながら出産

大変だった海外での出産・子育て・生活

山崎育三郎「まあ、そういう決断に至るまでの暮らしを今日伺って行きたいと思うんですけど。改めてローサさんが出産・子育てをしてた場所がこちらです」

2011年 フランス  ローサ26歳 長男0歳
2012年 ブルガリア ローサ27歳 長男1歳
2013年 ポーランド ローサ28歳 長男2歳 二男妊娠中
2014年~2018年 浜松 ローサ28~32歳 長男2~6歳 二男0~4歳
現在  東京 ローサ40歳 長男13歳 二男11歳

加藤ローサ
「(フランスの時に住んでいたディジョンという町は)フランスの首都じゃなくって田舎町に住んでたので。英語もそんなに通じないっていう。
もう妊娠8か月ぐらいの時に(行ったので)。
わりと身重で。そこから料理(経験)もゼロからスタートっていう感じだったんで」

山崎育三郎「それこそ、言葉もそうですし。どうやって生活してくんですか?」

加藤ローサ「ジェスチャー(笑)」

山崎育三郎「買い物から何から。そこで出産して子育てをするって大変なわけじゃないですか」

加藤ローサ「ほんとに大変だったとか言って(笑)大変…」

井桁弘恵「ここでですね。結婚後始めて暮らしたフランスでの暮らしをよく知る方にお話を伺いました」

フランスディジョンから話してくれたのは…現地でフランスレストランを営む高橋ご夫婦。
家族ぐるみの付き合いで、加藤ローサの苦労を間近で見ていた。

高橋さん(夫)
「最初はやっぱ買い物が大変だったみたいで。大輔君がサッカー選手っていうのもあったので。できるだけたぶん、日本食を作ってあげたかったんだと思うんですよね。で、日本食を買う所を色んなところ探しに行ったり。
すごい頑張り屋さんだなと思いながら」

高橋さん(妻)
「あの試合当日とか、すごい最善のケアをしてたなと思います。
ローサちゃんが手となり足となり。なんか動いてましたね

(スタジオで)

加藤ローサ
「いやもうホント、ひたすら歯を食いしばってやってました
やる人私しかいないっていう。もう無でやってました(笑)」

フランスの田舎町ディジョンで迎えた初めての出産。
高橋ご夫婦には忘れられない出来事が。

高橋さん(夫)
「出産して。生まれてすぐちょっと(赤ちゃんの)体重が、授乳で飲む量が少ないんで(軽くて)、元の(適度な)体重に戻ったら退院できるみたいな感じだったんですけど。
最初全然もう授乳が上手くいかなくて。
看護師さんに言っても、最初のうちは、もう全然聞いてもらえない(退院させてもらえない)。
で、2日目ぐらいだよね。もう大泣きしまして。みんなの前で。(笑)」

高橋さん(妻)
「まあでも、その辺も彼女はちゃんと意思を頑張って伝えて。
コミュニケーション取ろうと努力してましたね」

高橋さん(夫)
「基本的になんかローサちゃんのイメージって笑顔って感じがあるんで、うちらの中ではいつも。で、それってすごいなってやっぱり思いました」(涙ぐむ加藤ローサさん)

(スタジオで)

加藤ローサ「わぁ、ありがとう。高橋さん夫婦~(手を振る)。ありがとうございます」

山崎育三郎「改めて思い出す事ありますか?」

加藤ローサ
「高橋さん夫婦にもうホントにもう助けられて。もうあの夫妻いなかったら、私ホントに今いないかも~ってぐらい(笑)」

数々の海外挑戦を続けた松井に寄り添い、26歳で出産。
翌年にはブルガリア。さらに翌年にはポーランドへ。
異国の地を転々としながら、初めての子育て。

加藤ローサ「(出産で)入院中もね、看護師さんも怖いんですよ。海外の看護さんって(笑)」

井桁弘恵「確かに、厳しそう」

加藤ローサ
「すっごい厳しくて。でも、海外だとこっちがメッチャ主張しないと、なかなか聞いてもらえないっていうのも。
最初人に何か言うのもメチャクチャ苦手なタイプだったのもあって。そう」

井桁弘恵「特に病院なんて、言葉どうするんですか?」

加藤ローサ「はい。もうそれも、辞書で(笑)」

井桁弘恵「引いてる余裕あります?」

加藤ローサ
「出産した直後もあの2人(高橋さんご夫婦)が鯛めしを。
病院のご飯って、結構リンゴ一個とかだったりするんですよね。
これが朝ごはんみたいな。
それで高橋さん夫婦が、鯛めしを。あの、めでたいからって言ってお祝いで作って来てくれた時は、もうホントにメッチャ沁みましたし。
あ、泣きそう…っていうぐらい。そうそうそうそう」

 

松井大輔さん「小さい子を抱え、お腹に2人目がいる中来てくれて感謝」

海外での加藤ローサの暮らしについて松井からも

松井大輔
「いやもう大変でしかなかったでしょうね。
まあホントずっと海外に住みたいっていうのは、僕はずっとあったんで。
でもちょっとそれに付き合わせてしまったっていうのは、申し訳なく思いつつも。はい。
すごく感謝してます」

ブルガリアからポーランドに移籍。松井が1人チームに合流した時は…

松井大輔
「(日本から)20時間ぐらいかかるんですよ。
それを1人で来てくれた時は、もうホント感謝しかなかったですけどね。
(お腹に)子ども2人目いるのに、もうこうやって(1歳の長男を抱きながら)行かないといけなかった。
飛行機の中で泣きながら、スチュワーデスさんにちょっと慰められてたっていうのは(加藤ローサ「そうそう(笑)」)ありましたね」

山崎育三郎「20時間かけて行くわけですもんね」

加藤ローサ「はい。日本からね。あの、ポーランドに行くのに。
(二男を妊娠し、鹿児島に里帰り中に)彼がね、その時は「俺、ポーランドたぶん長く居るわ」って言ったんですよ。
たぶん、ここで引退すると思う」って言うから。
「あ、じゃあもう、そっち(ポーランド)で生活しよう。長くいそうなら」ということで、意を決して。

鹿児島にいたんですけど、鹿児島からまず(千葉県)成田(空港)→アムステルダム(オランダ)→ポーランドと行ったんですけど。
ふたを開けたら、私が着いて3カ月ぐらいで日本のチーム(ジュビロ磐田)に呼ばれて
それで結果、今までの現役で一番短くしかいない(笑)すごくいい加減なことを言ったなみたいな(笑)

そちら(ポーランド)で(二男を)産むつもりだったので。
もう、それはそれは。病院を決めたりとか。メチャクチャハードスケジュールで。
で、上の子(長男)の幼稚園を探したりとかっていうので。奮闘していたら。
日本に…えっ日本!?みたいになって。また帰ったりとかで。そうそう」

山崎育三郎「それで、育児の思い出みたいなのありますか?」

加藤ローサ
「ポーランドではもう私が行った頃は、雪がすごく積もってて。
あの、初めて息子(長男)は雪に触れたりとか(長男当時2歳)。
その子が中2とかになって、写真を見せながら。
本人も「こんな所行ったんだ!あんなところ行ったんだ!」って。
「そうだよ。この時こんなことが大変でね。こんなことがあったんだよ」っていう。
思い出って、大変な方が残るんだなって、今思って(笑)」

山崎育三郎「そっか。必死ですもんね、そん時はね」

 

静岡県浜松市へ

移籍の度に暮らしも変わるアスリートの家族。
日本に帰国後、2児の母となり、静岡県浜松市へと拠点を移した。

加藤ローサ
「日本で安心してたんですけど。
(子供が)1人から2人になるって、2倍大変になるって想像してたら、それ以上だったんですよね。3倍も4倍も大変で
よくね、子供が体調崩すようになったかな。
なんか病院に連れてくのが、1人おぶりながら、もう1人連れてくとか。
買い出しも、1人おぶりながら、1人追いかけながら買い出しとか。
休みなく24時間ずーっとっていうのが、どんどんなんか…自分の考えもどんどんギューって狭めていった気がする。
急激ななんか環境の変化もあったりとか。出産直後だったっていうのもあって。
ちょっと苦しかったかな、その時」

 

幼稚園で知り合ったママ友にインタビュー

井桁弘恵「そんな見知らぬ土地での奮闘の様子をよく知るこの方々にお話をお伺いしました」

長男の幼稚園で知り合ったママ友、宮田さん、川合さん、岩崎さんの3人がVTRで登場。
子供たちの成長と共に、家族のイベントを一緒に過ごしてきた。

加藤ローサ「(笑)超ウケる!」

宮田さん
気さくよね、すごいね。そんなに(ローサと)会って間もなかったけど。子供を連れて歩いてた時に、(ローサが)車でたまたま通りかかった時に、「乗ってく!?」とかって言って(笑)」

岩﨑さん
「あの、声も大きいし、元気な人だなってすごい思ったのが。
たくさん人がいる所でも、ちゃんと(子供を)叱ったりとか。そういうのはすごい…」

川合さん「大きな声でね」(笑)

岩﨑さん
「(ローサの家に)泊まりに行かせていただいた時に、朝ごはんをちゃんと作ってる。何品も出てきて。朝からすごいな。朝からこれだけ作るんだと思って」

宮田さん
「基本パパ(松井)は土日試合でいなくて。
で、幼稚園が無い時は、どこかにいつも連れて行ってあげて。
1人で何でもやっちゃうところかな」

川合さん「(ローサ)本人は「頑張ってないよ」ってよくいってるんですけど。
いや、そんなことはないね」

2人から離婚の報告を受けて…

宮田さん「でも、かっこいいなって感じです。そんだけの決断ができるって」

岩﨑さん「40代になって、子供たちも大きくなってきて。これから自分はどうやって生きてくんだろうっていうお手本になってくれたら嬉しい」

 

パワフルなママ友に会い、変わることができた

(スタジオで)

山崎育三郎「ママ友の皆さんですけども。ママ友たちから受けた影響とかありますか?」

加藤ローサ
「彼女たちはすごいパワフルで。真剣に遊ぶみたいな。
(浜松に移住して)最初はすごいもう塞ぎ込んでるじゃないですけど、ちょっと引きこもりじゃないですけど、ホントにこう殻にこう籠ってる感じだったんですけど。
幼稚園に上の子が入って。もう色んなことに誘ってもらって。
イベントごとにメッチャ120%のパワーを出す人たちで。
ドンドン外に出るようになって。なんかちょっとオープンになって、私も。
オープンになると、こんだけ楽しめるんだ、この子育てもすごく楽しくなるんだっていうのをなんかすごいね…体験できたというか」

山崎育三郎「子どもたちだけじゃなくて、自分たちも楽しもうとしてるね気持ちが素敵ですよね」

加藤ローサ
「そう。メッチャ覚えてるのが、(幼稚園の)卒業旅行一緒に行って。
6年前か。ウチの中2の子が卒業した時に。
7~8人泊まれるホテルにして。
朝ごはんが大人の分だけ付いてると。
「え、じゃあ、子供が寝てる間に(食べに)行こうよ3人だけで…3人で行こうよ」ってなって。高級ホテルのビュッフェを食べたんですけど。
その時のあのコーヒーのおいしさ。今でもすっごい覚えてるんですよ(笑)
「あ~優雅な朝食ありがとう~」みたいな」

 

これからについて

自分は何をしたいか?を考えられるようにしたい

山崎育三郎
「海外、浜松。今、東京。もうずっと子育てをしてきて。
今このタイミングで人生を見つめ直すっていう。これを思った理由っていうのは何だったんですか?」

加藤ローサ「いや。残りの人生少ないなと思って(笑)」

山崎育三郎「それは40歳っていう年齢がそういう気持ちにさせたって感じなんですかね?」

加藤ローサ
「はい。子どもたちも大きくなったっていうのもすごくあの、あると思うんですよね。
もう来年は下の子も中学生なので。
もうそれぞれ自分の世界があって。私はホントにどんどん必要なくなってきたなっていうのを実感してるんですけど。

そうなった時に、ふと、「あれ?自分て何がしたい人なんだっけ?」とか。
どういうのが好きで、どういう人間だったっけ?っていうのがパッと出てこなくなっちゃったんですよね。
家族ファーストで考えすぎて、全てを。
で、そりゃ、これマズいなと思って。
自分はどうしたい?っていうのを考えれるようにしとかなきゃなって思ったんですよね。

今日こうやって公表できたっていうことも、なんかすごく大きなことで。
今年に入ってから、仕事の量もちょっと増えてきてまして。
ずっと家にいるだけじゃない自分っていうのも、なんか久しぶりにあって。
今すごく良い感じです。うん」

井桁弘恵「さあ、そんなローサさんのこれからについて松井さんからもメッセージをいただいております」

夫婦というカタチではなくなったが、今も一緒に暮らす松井。
日々の生活で幸せを感じる瞬間は?

松井大輔「まあやっぱイベント事っすよね。
子供と一緒に鹿児島だったり、奄美(大島)行ったり。えープール行ったりだとか。
まああと、謎解きに行ったりだとか。
子供が楽しんでくれるのが一番良いんで。
「いや、どこ行く?」みたいな。ご飯の時に喋りながら。ですかね」

結婚から14年。改めて今、加藤ローサに伝えたいこと。

松井大輔
「いやもう、本当に感謝しかないですよね。
自分というこう突拍子も無いその性格だったりだとか。
えーまあ、サッカーしかしてこなかったり、色んなそのーまあ、苦労だったりだとかしたと思いますけど。
まあこれを機に発表じゃないですけど、発表を機にね、あの彼女らしさをまた出して欲しいなっていう風には思いますし。
ニューローサをね。いろんな人に見てもらえれば良いんじゃないかなと思います」

(スタジオで)

加藤ローサ「ニューローサ(笑)イマイチだね(笑)あ~」

山崎育三郎「でも、感謝しかないって言葉ありましたけども」

加藤ローサ
「ね。あ、でもでも。すごく私は私で、まあ彼の後をじゃないけど、もとにこう付いてっただけですけども。
本当に色んな経験をさせてもらって。
それってやっぱり、今となっては貴重な財産だなって思うので。うん。
私も感謝してます」

山崎育三郎「お母さんとしては、どういう風に子供たちに向き合っていきたいとかありますか?」

加藤ローサ
「ちょっとやっぱり今まで色々手をかけすぎてしまって。
子供たちが自分で自分のことがあまり管理できない子供が出来上がってしまったなと思って、ちょっと反省するところもあるので。
もうちょっと自分のことを自分で管理していけるようにしていかなきゃと思って。
最近ちょっとスパルタで。はい。

(息子たちは)全部私に聞くんですよね。
「今日雨降る?」とか。(笑)
今までは、「アンタ雨降るから、この折り畳み傘を持って、こうしてこうして」って全部やっちゃってたのよね、たぶん。
これどこ?に関しては、もうパパもそうで。
「湿布どこだっけ?」とか(笑)」

山崎育三郎「パパにもスパルタなんですか?そこは」

加藤ローサ「そう。そうです。「あるよ!この家に湿布はある!」(笑)
変えていかなきゃ」

 

 

山崎育三郎「で、今日色んなお話ね振り返ってきいてきましたけれども。
何か自分について気付きみたいのありました?」

加藤ローサ「頑張ってきたなを認められた」

山崎育三郎「私頑張ってないってね、昔は言ってたって」

加藤ローサ「そう。やって当たり前。頑張ってないって思ってたけど。よくやったと思います」

山崎育三郎「それに気づけたっていう、今日は。
こっからは一番自分を大事に。ローサさんらしく」

加藤ローサ「私こっからだと思うんですよ。今すごい、いい感じです。

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