ミャンマー出身(両親もミャンマー出身)で、9歳で日本へ
名字「森崎」は事務所が付けた芸名
徹子
「ミャンマーのご出身で、9歳の時、日本にいらっしゃいました。
スピルバーグ監督の映画でもハリウッドデビューなさいました。
さて、ミャンマー生まれでいらっしゃって、お父様もお母様もミャンマーの方。
で、9歳の時に日本にいらっしゃった。
で、森崎という名字は…」
森崎ウィン
「まあ、名字はまあ最初はええと、日本に来まして、小学校4年生の時に。
で、中学2年生の時に、今の事務所にスカウトされたんですよ。
で、そこでまあ芸能事務所に所属しまして。
で、その時にまあ色々オーディションの資料とか出すじゃないですか。
まあ最初は本名のウィンだけでやってたんですけど。
ウィンだけだと、もう日本語喋れないと思われちゃうかもしれないから、こう紙だけで見ると。
だから、名字をつけようってことで、ウチの事務所が勝手に付けた芸名です。」
徹子「ホントの名前は何ていうの?」
森崎ウィン
「ホントの名前は、ミャンマーの本名は、ウィン チョウツーって言います。
チョウツー…まぁ、本当の発音で言うとウィン チョウトゥーなんですけども。」
注目を浴びる歌唱力
祖母の影響で小っちゃい時から歌を歌うのが好き
徹子
「でもあなたは今年だけで出演映画が3本公開になって、舞台やドラマでもご活躍ということですけど。すごい大変ですね。
歌唱力が注目を浴びているそうで。
歌の勉強はどこで?」
森崎ウィン
「歌の勉強は、まあミャンマーで生まれた時に、まぁ母親はもうすぐ出稼ぎで日本に来ちゃったんですけど。
おばあちゃんと育ったんですよ。
で、おばあちゃんが自分の家で英語を教える…まあ、そのいわゆる塾みたいなのを開いてまして。
で、それの教え方の一つとして、英語の歌を歌って教えるということで。
歌が大好きなんですよね。
そのおばあちゃんの影響もあって、その歌を歌うっていうのは、小っちゃい時から好きだったんですよ。
で、ちょうど日本に来て、そっから歌うってことからちょっと離れてたんですけど。
事務所にスカウトされて。で、そこでボイストレーニングとか受けさしてもらって、そこでちゃんと人前で歌わせていただくっていうことに…」
27歳の時、スピルバーグ監督の映画でハリウッドデビュー
スピルバーグ監督は気さくで親しみやすい人
徹子
「さて出演前に、27歳の時にスピルバーグ監督の映画でハリウッドデビューなさったと。
どういう方ですか?監督は。スピルバーグって」
森崎ウィン
「監督は、まぁもちろんこう…何ていうんですかね、伝説的な方ですし。
ホントにただお会いする前は、勝手にすごいもう雲の上の存在の方というイメージが強くて。
まず、目を見て話せるのかなって思って。(映画)E.T.の方ですから。
それだけの方、お会いするのちょっと緊張してたんですけど。
あの~、もうオーディションの時からいらっしゃいまして。
もう会った瞬間、もうすごく…何ていうんですかね。こんな言葉使うのもちょっと失礼に当たるのかもしれないんですが、あえて使わせていただくと、もうすごく気さくな方で。
親しみやすいんですよね。
まあ、今思うと、たぶん緊張してる僕の目線までこう合わせてくださって、お話をお話をしてくださったのかなというのは」
大河ドラマに出演「どうする家康」
徹子「でも2年前には大河ドラマにお出になって。何ていう大河ドラマですか?」
森崎ウィン「「どうする家康」っていう。(徳川)秀忠を」
徹子「そうだ。日本人の役なすったんですよね」
森崎ウィン「そうなんですよ」
徹子「時代劇は初めて?」
森崎ウィン
「初めてだったんですよ。
正直日本の学校も行かせていただきましたけど。その歴史をすごく勉強してきたかって言うと、正直勉強はそんなにしてこなかったので。
あのまあ、作品に向けて色々勉強さしていただいたりとか」
両親は日本 自分はミャンマーで生活
母はナイジェリア大使館に秘書 父はアルバイトから正社員、そして独立
徹子「ご両親はあなたがいらしたときに、日本で働いていらしたんですって?」
森崎ウィン「はいそうですね。日本で働いてました。」
徹子「どういう仕事をしてらしたの?」
森崎ウィン
「まぁ、母はそもそもその~大使館…ナイジェリアの大使館で秘書として。
もう普通に就職して、そこで働いてたんですけど。
で、父は後から合流しまして。で、まぁ飲食で最初はアルバイトとかやりながら。
で、その後正社員になって。
ということでまぁ、そこから何年か経って、父も独立をして。
で、ミャンマーと日本の貿易を中心に、こう会社を建ててやってっていうことで。
まあ、ミャンマーの食品だったりを仕入れて、こっちでおろしたりとかっていうことを。
まぁ、自分でお店もちょっと経営をしたりとか。
っていうことをやってましたね。はい」
徹子「じゃあ、随分活躍なすったんですね」
森崎ウィン「そ…そうですね。日本で一応その家族を養うために、すごい頑張ってはくれました」
祖母と一緒に暮らし…甘やかされていた
徹子「じゃあ、あなたはその時は、おばあさまと暮らしていた」
森崎ウィン「そうですね、はい」
徹子「でも、様子は分かってたの?だいたいどんなこと」
森崎ウィン「いやでも、正直子供だったので」
徹子「でも、とっても甘やかされて育った?」
森崎ウィン「まぁ、おばあちゃん子だったので。もうすっごい甘やかされました」
徹子「でもその時は、日本語は全然喋ってないでしょ?」
森崎ウィン「全くですね。はい。まぁ、英語は少し教えてはもらってましたけど。日本語はホントに喋ってなかったです」
9歳で日本へ
弟ができたことがきっかけで、日本に移住
徹子「で、9歳の時に日本にいらした。きっかけはどういうことで?」
森崎ウィン
「きっかけは、ちょうどその両親が日本で働いてて。
僕が9歳…10歳になる年なんで、簡単に僕10歳ですって言ってるんですが。
ちょうど弟ができたんですよ。で、弟を身ごもって」
徹子「あ、日本で?」
森崎ウィン
「日本で。そうなんですね。身ごもって。はい。
で、それで、どうせだったら、もう家族そろって、もう日本に住もうよっていうことで。
で、母親の判断で。で、その弟が生まれるタイミングでちょうど日本に。
まあ、移住って形で、はい」
公立小学校へ…1年ぐらいコミュニケーションがとれず、いじめにもあい…
徹子「でまあ、こっちで小学校お入りになった?」
森崎ウィン
「はい。小学校普通に公立の学校に行かされまして。
小学校に入りまして、もう日本語も分からないんで。
母親からは、最初はなんかあったら、とりあえず「ありがとう」って言っとけ!みたいな(笑)
「あ、それでいけるの?」みたいな。もう「わかった!」つって、一応通ってたんですけど。
1年ぐらいはやっぱこうなかなかコミュニケーションもとれず」
徹子「そうですよね。でも、いじめられたりはしなかった?」
森崎ウィン「いや、ありましたよ(笑)」
徹子「じゃあ、辛かったでしょ。それは」
森崎ウィン「いや~あの、今思うと、結構しんどかったですね。」
徹子「だと思いますよね。だれも友達になってくれる人いなかったの?」
森崎ウィン
「いなかったですね、最初は。
ただ僕は、ホントに今思うと人に恵まれたなって、ホントに、ホントに意味でラッキーだったと思うんですけど。
まぁ1年ぐらい経つと、僕をこうイジメてたその男の子…その主犯格っていいますか…の男の子が、最終的には助けてくれる側にこう立ってくれるようになりまして。はい。
まあ、それもまあその…ミャンマーでサッカーやってたってこともあって、日本に来て、まあサッカークラブに入るっていう。そのスポーツが繋いでくれたりとか。
まああとは、音楽の授業とかでリコーダーっていうのも初めて吹いたので。
家帰ってそのリコーダーを集中して何かにこう夢中になって、なんかつらい思いとかっていうのを紛らわしてたのかなっていうのもあって」
徹子「大変でしたね。」
森崎ウィン「そうですね。大変でした。はい(笑)」
徹子「日本語はもう毎日聞いて覚える?」
森崎ウィン「そうですね。もうそれこそ国語の授業だけ、どうしてもやっぱりついていけないので。
あのその時間だけ、日本語の先生っていうのを学校が用意してくださって。そうなんですよ。
すごく良い学校。公立の学校なのに。はい。やってくださって。
その日本語の先生と1対1で、全部ひらがなカタカナからこう始めて。
で、簡単な漢字っていうところまでこう勉強させていただきました。」
徹子「ずいぶん良い学校ですよね~」
中学2年生でミャンマーに帰国
大人になるために修行のため、僧侶に
徹子「でもその頃あなたミャンマーに1回お帰りになるんでしょ?それはなんで?」
森崎ウィン
「それは、中学2年生の時にちょうど帰ったんですけど。
ミャンマーってやっぱこう仏教がすごく信仰が強い国なので。
で、まぁおばあちゃんの意向もあって。
やっぱこう1回大人になるために修行をしなさいと。」
徹子「あ、みんなそうするんですってね。ミャンマーでは」
森崎ウィン
「みんなそうする…。そうなんですよ。あるんですよ。
で、それで中学2年生の時に夏休みを使って、じゃあ帰りますかっていうことで帰りまして。
まあ、僧侶にこうなりまして。」
(その時ミャンマーで撮った頭を坊主にし、僧侶の服を着たウィンさんの写真が映る)
徹子「(修行って)どんなこと?」
森崎ウィン
「修行って言ってもまぁ子供なので。座禅をちょっと組んだりとか。
で、まぁ日本語でいうお経みたいなのをこうちょっと覚えたりとか」
徹子
「托鉢(たくはつ)とかは行かないの?こういう入れ物でご飯をもらいに行って。よそん家行くの」
森崎ウィン
「托鉢行きました、毎朝。朝寝坊すると、朝ごはんないんですよ。それ行けないんで。
9日間入ったんですけど、3日ぐらい寝坊しました。
なんでたぶん、3日間ぐらい朝ごはん抜きで。
で、昼12時過ぎると食べれないんで。
昼御飯だけは炊き出しみたいのをそのお寺でやってくれて食べれるんですけど。
だからもう中学2年生食べ盛りじゃないですか。
だから寝坊した日は「あぁ…」ってこうもうなりましたね。はい」
先輩の僧侶が手相を見て「君は人前に立つ仕事をやる」
徹子「でもそん時に、なんか手相を見てくれた。お寺の方が?」
森崎ウィン
「あ、そうなんですよ。あの僕を担当してくれる先輩の僧侶さんが…お坊さんがいらっしゃって。
で、やっぱ子供なんで修行って言ってもそんなすることないんで。まぁ、暇なんですよね。
で、その時間で先輩のお坊さんが「手相見てあげるよ」って。
ホントですか?って手相見ていただいた時に、「ほ~、君は人前に立つ仕事をやるね」って言われまして。
で、当時サッカー選手を目指してたんで。
「あっ!日本代表か!」ってこう思ったんですよね。
そんな夢をこう…すごいこうモチベーションが上がって、日本に帰ってくるわけですよ。
で、夏休みなんで、部活もすごいこう佳境の時期じゃないですか。
で、もう1回部活に戻って。
コーチに…サッカーのはい。
コーチに「じゃあ進学ね、中2だからそろそろ考えないと」って。
「いや僕はサッカー強い学校に行きます」って言ったら、コーチが「いや、お前はやめとけ」って。「センスないから」って言われました。
で、もうハッキリ言われまして。
で、ちょうどその時期に、帰ってきて間もない頃に、今の事務所にスカウトされて。
まさか芸能の方で人前に立つ仕事とは思わなかったんで。」
徹子「でも、人前に立つって聞いてたから」
森崎ウィン「そうなんですよね。今思うと、「あ、あの時に見てくれてたことって、これのことだったのか」っていう」
(スカウトされたころの写真が映る)
徹子「これ何歳?」
森崎ウィン
「これ中2。14歳ですね。いやまぁ、ここまで続いてるとは思わなかったですね。この時は。いやホントにありがたいです」
徹子「でも、芸能界入りに反対なすった方はいらっしゃらなかったの?」
森崎ウィン
「で、最初はやっぱ趣味程度で。まぁいいんじゃないかってことでやらしてもらってたんですけど。
で、ようやく…まぁちょっと話を飛ばしまして。
そのハリウッド作品が決まった時に、「あ、やっと食べていけるね」っていうことで安心してくれました。
それまではもうちゃんとやりながらだけど、「資格を取りなさい」とか「大学は行きなさい」とか「ちゃんと勉強して、なにかあってもすぐ就職できるような状態を作っておきなさい」ってことはずっと言われてました。」
徹子「なるほど。でもまあこれで、この仕事1本で」
森崎ウィン
「そうですね。もう1本でいけるっていう自信をくれたのは、もうそのスティーブン・スピルバーグ監督ですね。
いやなんか、すごいこと言ってますね。」
ミャンマーでも有名人
徹子「ご両親は今も日本にいらっしゃる?」
森崎ウィン「もうあの2人ともミャンマーに帰りまして。はい。そうなんですよ」
徹子「でもあなたのこのご活躍をミャンマーの家族の方はご存知?」
森崎ウィン
「そうですね。日本でのこの細かいこうお仕事とかっていうのが、やっぱなかなか伝わるの難しいんですが。
まぁ、実はそのミャンマーでも芸能のお仕事とかやらしていただいたりとかしまして。
で、ミャンマーでもホントに知名度がすごい高いんですよ、僕。」
徹子「あ、そうなの。有名?有名人」
森崎ウィン
「有名人なんですよねぇ、はい。あの~そうです、はい(笑)。
自分で言ってて、今変な感じしましたけど、すいません。
あの~ぐらい、それもあって、ミャンマーでそのおばあちゃん孝行っていうのは一応できたのかなっていうのもあって。
まあ、今はやっぱインターネット社会なので。
そういう意味ではFacebookを通じて、色々こう僕が出たやったお仕事だったりとかっていうのが、そこで伝わっていくっていうのがあって。
まぁちょっと時差はありますが。
なんとか追いかけられてるとは思います」
徹子「じゃあ、これからの夢を伺うと…」
森崎ウィン
「まぁ、夢っていってもたくさんあるんですが。
なんかこう…まぁ、僕の口からこう世界平和っていうのもすごく大きなことになってしまうんであれなんですが。
なんかこうホントに必要な…ホントに必要とされてるこう物だったり、ことだったりっていうところをエンターテイメントを持って、その場所まで行って届けられるような人材になりたいなって思います」
徹子「頑張ってください」
森崎ウィン「頑張ります。ありがとうございます」
