【日曜の初耳学】俳優 山本耕史さん 不遇の時代、結婚、生き方、数多くの脚本家に愛される魅力とは(2024年7月14日放送)

俳優(男性)

2024年 宮藤勘九郎脚本 ドラマ「不適切にもほどがある」
2023年 池井戸潤原作 ドラマ「ハヤブサ消防団」
2024年 池井戸潤原作 ドラマ「花咲舞が黙ってない」

に出演。

また、なかでも三谷幸喜作品の常連で、

三谷幸喜脚本
2004年「新選組」
2016年「真田丸」
2022年「鎌倉殿の13人」

など三谷さん脚本の大河ドラマに全て出演されています。

数々の人気脚本家に愛される山本耕史さん。
その魅力はどこにあるのでしょうか?
高視聴率ドラマに出演し、注目を浴びましたが、そこからテレビに出れない時代が10年。

その不遇?の10年の間にも舞台で様々な作品に出会い、俳優として人としてより魅力が増しているような気がします。

最後に語った仕事に対する考え方。
「仕事は自分にとって全然1番ではない」。
これだけ仕事に情熱をもって取り組んでいるのに、そう語る山本耕史さんの考え方が本当に素敵だなと思いました。

 

女優 堀北真希さんと結婚 堀北さんに会うため勘で乗った新幹線の噂の真相

新幹線

筋肉にこだわる男はもちろん食事にもこだわりが。
家庭では2児の父として弁当作りも担当している(子供・妻の弁当作りも)。

林「やっぱり、筋肉に良い食事を自分が確保したいっていう面も?」

山本
「もちろん、まあ。子供に作るもの、自分に作るもの、奥さん(に作るもの)と分ける時もあります。」


「当時も大きな話題になりましたよね。この突然結婚という事で。
これはやっぱり山本さんからアプローチされたんですか?」

山本
「そうですね。もうほんと僕からしかしてないぐらい。はい。アプローチされたことはないですね。」

 

2015年 38歳の時、当時26歳だった女優堀北真希と電撃結婚。
実は当時彼女が(撮影で)京都に行くと知り、勘で新幹線に乗った所、奇跡的に会うことができたという都市伝説的なうわさが広まった。現実は?


「奥さんが載ってる新幹線を勘でチケット買って、これだ!ってそれに飛び乗ったって言うのは、それは本当なんですか?」

山本
「本当ですよ。ただちょっと補足というか、しとくと。
連絡先を交換できるようになったので、次の日から京都の方だったかな?に行くって言うのは聞いてたんですけど。じゃあ、夜ご飯向こうで食べれるねみたいな他愛ない会話をしたときに、つまり向こう(京都)に着くのは、3時半から5時までだなっていう。
でもそこに、のぞみ、ひかり、こだまってまあ色々あるじゃないですか?」

林「まあ、でものぞみですよね」

山本
「のぞみですよね。2本だったんですよ。たぶん僕ももうちょっと5時ぐらいっていうところで決めたのかもしれないんですけど。」

林「じゃあ、2分の1ですね?」

山本
「そう。それで、渡したいものもあったので、東京駅から僕乗って連絡したら、乗ってなかったんですよ。」

林「あ、そんなにうまくはいかなかった?」

山本
「そうなんです。乗ってなくて、あ、失敗したなと思ったら、「今から乗る」って言ったんですよ。「ああ、そうなんだ」って止まったら、品川だったんですよ。そこに乗ってきたんですよ。
僕の方がむしろ先に乗ってたんで」

林「乗るのは8号車か9号車(グリーン車)?もうそれしかないですもんね」

山本
「ただ僕は16(号車(指定席))とかに乗ってたんで。ものすごい変装して。
もうそれこそ、ドン・キホーテとか行って。
あの、カツラ、帽子、メガネ、入れ歯、服、靴。
何なら姿勢変えて、歩き方変えて、しゃべり方変えて。
皆さんがパーッって歩いてたら、少し避けたくなるような

林「その世間の人がちょっと引くような格好を見た奥様はどう反応されたんですか?」

山本「息が止まるぐらい笑ってましたね」

 

芸能界入りは0歳 広い交友関係

赤ちゃん


「山本さんは本当にこの世界で長く活躍されていて。で、やっぱりこの世界で長くいらっしゃるってことは交友関係も非常に広いと伺ったんですけれども」

〈山本耕史 交友関係〉
先輩…布袋寅泰、三谷幸喜、佐藤浩市、寺島進
俳優…坂口健太郎、香取慎吾
家族ぐるみ…上白石萌歌、上白石萌音
パパ友…西島秀俊、堺雅人

山本「長く付き合ってる方もいますし、最近仲良しになった方もいますし」

 

1年半かけて香取慎吾さんの携帯番号をGET!

林「香取さんとはやっぱり仲がよろしいんですか?」

山本「はい。で、実は同い年なんですよ。」

山本耕史が27歳の時に出演した大河ドラマ「新選組」。土方歳三を好演した。
この作品では、堺雅人、藤原竜也、オダギリジョーなどトップ俳優たちと交友を深め、演技を競いあった。

山本
「で、もちろん彼はそのトップアイドルでしたから。
土壌は違うんですけど、同い年で、割と2人とも長くやってきていてっていうところで、僕がなんかすごく親近感を持って接して入ったら、香取君自体は本当に人とコンタクト取らないタイプの人だったので、それがちょっと意外で。こんなになんか社交的じゃないっていうか。
なんかそこにすごく興味を持ったんですよね、逆に。」

林「なかなか自分の電話番号を教えてくれない方だっていう噂も聞いたことがありますけれども」

山本「業界でも知ってる人多分、5人いないんじゃないからくらいですよ。」

林「そうなんですか?でも、ご存知で」

山本「そうですね。僕は一応教えてもらったわけじゃなくて、あの手に入れたんですけどね。」

林「入手方法があるんですか?」

山本
「ちょっとあの強引な手段でしたけど。「俺盗もうとするから、それを阻止して」って。
例えば彼が撮影してる時に彼の楽屋に僕が入っていて、で、彼の携帯をこうやって構えてる。
そこに帰ってきて、「何やってるんですか!」みたいな。
「いや、だから、ちょっと目を離すと俺に盗まれるよ」って。
っていう、まあちょっとこう遊びをしてたんですよ。
それで彼はもう必死に阻止するわけですよ。だけど、最終僕がまあ勝つわけですよね」

林「どうやって勝ったんですか?」

山本
「新選組!って1年半ぐらい撮ってたんですけど、後半に、「そろそろじゃあ行きますか、ご飯に」って初めて言ったんですよ。
「あ、じゃあ行こう。でも連絡先知らないから、とりあえず店決めて、そこで集合で」って。
で、そのままダーツバーかなんかに行ったんですよ。彼が1投目か2投目投げたときに、携帯を置いたんですよ。「あっ…」と思って。で次のターンの時に、また置いたんで。今だ!と思って。

ただ、僕(の携帯)にかけたら、非通知だったんですよ。184(非通知)とか186(通知を出す)で通知を出す出さないっていう。で、186(通知を出す)でかけたら、僕の携帯に番号が出るじゃないですか。それでその帰りに、バイバイって別れた後に電話して。そしたら出なかったんですね。たぶん、知らない番号だから。
で、留守電に「まあ、俺の勝ちだな」っていう。

なんかその後は、だれだれと連絡先を交換しましたっていうのを報告しますもん、僕に。
山本さんには言っておかないとっていうことで。はい。」

 

俳優 堺雅人さん「いつも筋肉の話になる」

当時20代だった「新選組!」のメンバーは、20年経った今でも忘年会を開くなど、その絆を深めている。
その「新選組!」の盟友がその当時の山本耕史の様子を教えてくれた。
それが俳優堺雅人。20代のころから20年以上の親交がある。
初共演した「新選組!」での山本耕史の印象を聞いてみると…


「なんかこう青春群像劇だったので、まあみんな若かったですし、すごくこう取りまとめてくれるリーダーっていう感じですよね。まあ、香取慎吾君というリーダーとまた違う。
なんかほんとにこう新選組!と二重写しになってる印象です。

でもやっぱり、あの男ばかりの撮影現場だったので、スタジオの前に綺麗な女の人が通ると、みんなで騒ぐわけですよ。106スタジオかな、当時は。
あそこの前の廊下は女優さんは歩きたがらなかったですね。
みんなが舐めまわすような目でこう見てましたから。」

スタッフ「そのリーダー的存在?」


「そうですね。そっち側の人間をまとめる。そっち側って言うとおかしいですけど。僕とオダギリジョーくんはちょっと同じチームに所属しながら、それちょっとそこに乗り切れない何かを感じていたんですけど。」

まるで男子校のようなノリで、そのリーダーが山本耕史だった。

山本
「滅多に女優さんが出てこないんですよ。女優さんが来ると「あっ来た」みたいな。今日誰来たんだみたいな。舐めまわしたつもりはないですけど、嫌だったでしょうね、確かに」

そんな新選組!の撮影中、堺雅人には忘れられない出来事があったという。

スタッフ「最近(山本さん)すごい鍛えられてるじゃないですか?」


「昔からですよ。新選組!のころから。そうです。みんなでなんか胸筋をピクピク動かす大会とかやってましたよ。新選組!の頃から、みんな胸筋ピクピク動かしてました。はい。ふざけた人たちだなあと。

最近だから、もっぱらCMの現場で会って、久しぶりっていう。最近どうしてる?っていう話を。
いっつも筋肉の話してるんですよね。感心するくらい、色んな角度から筋肉について語るんですよ。
あのね、最近耕史くんと話して感動したことがあって。

お弁当をね、2つ選べると。肉と魚とかあるじゃないですか?嫌いな方を選ぶんですと。つまり、そっちの方が栄養バランスがトータルで摂れますよね。好きなものは知らず知らず摂っちゃってるから。嫌いなものを食べると、残したときの残念感が少ないと。で、バランスも良く。

この人は本気で筋肉の事を考えているんだと。でもそれはほんと目から鱗で痺れました、僕。」

筋肉については一切の妥協を許さないやまもときんに君。
しかし、その筋肉案件について、堺雅人にはちょっと言っておきたいことが…


「筋肉以外のおしゃべりをしたいね(笑)。でも、結局筋肉の話になるんですよ。どこから入っても。あれ見事ですよ。たぶん、林先生とも最後は筋肉の話になると(笑)。それはちょっと林先生にチャレンジしてほしいですね。筋肉以外の着地点を見つけられたら、大したものって言ったらおかしいですけど」

スタッフ
「林先生だとお子さんの教育みたいな話あると思うんですけど、入りとしては。筋肉の話に?」


「絶対なります。何を食べたらいい?みたいな話になって。何色の食材がこれぐらい入ってればいいっていう話になって、筋肉がって。
教育って言っても結局運動神経なんだから、体を作らないと…って言って、筋肉の話」

山本
「でも確かに、筋肉の話しか今記憶にないですね、話した。
でも実は堺さんって新選組!…20年前の時は、みんながスタンバイしてるところでも本を読んでいて。運動ももちろんそんなにする方の印象もなかったんですけど、最近すごい体が変わったんで。
今僕あの、堺さんの顔が映る前に歩いてきたこっから(肩から)下くらいので、あ、(筋トレ)やってるなって。

すぐ分かるんですよ。例えば、腕橈骨筋とか。
まあ、いろんな筋肉が今腕から見えてたんですけど、堺さんもいますごい(筋トレ)やってるんですよ。やっぱり、筋肉の話になりますね。たぶんこれ、延々語れる。

なんか、僕、「筋肉ちょっとつけすぎですかね?」って三谷さんに言ったこともあるんですよ。
で、もちろん普通の人よりそれはそうだよねって。
ただこれで、芝居ができない筋肉をつけてる人じゃないからって言ってくださって。芝居も出来て、筋肉もあるんだからいいんじゃない?って言われて。

まあ、なんか俳優さんにとって色んな考え方ありますけど、どれが武器になるか分からない所もあるので。」

実は、この鍛え上げられた肉体美が大物作家との縁を引き寄せ、のちに俳優山本耕史が大きく覚醒するきっかけとなる。

 

テレビに出られなかった時代が約10年

ドラマ『ひとつ屋根の下』(1993年)で注目を浴びる

山本耕史の名を一躍世に広めた作品が16歳の時に出演したドラマ「ひとつ屋根の下」(1993年)。
最高視聴率37.8%を記録(1990年代の全民放ドラマNO,1)
山本は引っ込み思案で言葉をあまり発しない車いすの少年ふみやを演じた。

林「一番注目を浴びたのは1993年の『ひとつ屋根の下』?」

山本
「はい。ほんとにですね、あの当時のドラマって、すごかったじゃないですか。なんかその視聴率も含め。だからなんかちょっと難しい役やったときに、全部僕がそういう人みたいに思われる
車いすの少年だったんですけど、でも僕はそのバイクも乗ったりしてたから、街で見かけると「えぇ~」みたいな、なんか。言われたりするわけですよ。」

『ひとつ屋根の下』後はテレビに出られなくなる

林「で、その後はそのテレビって見方をすると、あんまり出てらっしゃらない?」

山本
「そうなんですよ。実を言うとそっから出てなくて、あまり。
僕もまあ、こんなこと言うとあれだけど、そのおっきな事務所に入ったこともないし、ずーっと家族経営というか、あの自分一人でやってきてるので。だからそういうこともあってドラマに出なかったというか出られなかった時期だったんじゃないかなとも思いますけどね。」

 

三谷幸喜さんの舞台『オケピ』出演がテレビに戻るきっかけに

1993年の「ひとつ屋根の下」以降、2004年の新選組まで、テレビドラマから離れ、舞台中心の活動となった。
その頃、山本がテレビドラマに戻るきっかけとなったのが…

山本
「そんな矢先というか、あの三谷(幸喜)さんの舞台で「オケピ」(2000年三谷幸喜作・演出)っていう舞台があるんですけれども、それに声がかかり、まあかけていただいて、出演することになるんですけど。

まあ、三谷さんは僕のイメージっていうのはまさにその「ひとつ屋根の下」の文也っていう役だったんですよね。僕の場合、なんかこう顔がすごい優しい印象を三谷さん持っていただいて。

その時に、歌の稽古中に、ソロの歌だったんですけど、コーラスのトップがちょっとこの音だとキツいからキーを下げるみたいな話になった時に、「え?これコーラスの歌なんですか?」って僕が確か言ったんですよ。
「僕のソロじゃないんですか?」って。「合わせるのはコーラスに合わせるんですか?」っていうことをなんか僕が言ったんですよ。それを三谷さんがなんか見てたらしくて。「うわっ、山本くんってすごい優しい顔して悪いやつなんだ」って思ったらしいんですよ。
それが土方さんに繋がるんですけど。
顔はソフトなのに、なんか言う事はビシビシ言って、自分のやりたい道を行くところが、鬼の副長と呼ばれた土方歳三とぴったりだってなんか思っていただいたみたいなところが。」

大河ドラマ『新選組!』の土方歳三役に抜擢(2004年)

稽古場で思いがけず見せた芯の強い一面が、規律に厳しい土方歳三のイメージにぴったりとハマり、2004年大河ドラマ『新選組!』の準主役に大抜擢。
以降、三谷幸喜の大河ドラマには全て出演(「新選組!」「真田丸」「鎌倉殿の13人」)。
それは、10年間の舞台で培った山本耕史さんの確かな演技力あってのもの。
そんな彼の演技を盟友堺雅人さんはこう見ている。

堺雅人
圧倒的なうまさはありますよね。歌も歌えるし、踊れるし何でもできますよね。
僕はがっつりご一緒したのは、「新選組!」という大河ドラマと「真田丸」という大河ドラマだったんですけど、(役が)真逆なんですね。つまりその、土方歳三っていうのはちょっと色男で、何でもできる器用な人間なんですが、真田丸の石田三成っていうのは、不器用で、できないことがいっぱいあるんですけど、それもまたチャーミングで。

耕史くんの何でもできるそつない土方歳三とものすごいいびつな石田三成っていうのが、どっちも山本耕史なんですよね。それがすごいなと思いますよね。

なんかその(自分の)筋肉を面白くするっていう。
ちょっと自分のいびつな部分とか変わった部分とかをチャーミングに見せることができるっていうのが。で、同時に二枚目もできるっていうのが、なかなか周りにいない稀有な俳優なんじゃないかなと。どちらかはいると思うんですけど。

すっごく見せる角度にこだわって、自分の情報を切り詰めて出す二枚目の人とポンと出して面白くできる人もいるんですけど、行ったり来たりできる人っていうのは、なかなかいないんじゃないかなと。」

山本
「いや、なんかさっきは、筋肉で全部落とされてたから。これほんとにそう思ってるのかな?ってすら思いますけど」

林「さっきの情報を切り詰めて出すタイプっていうのは、お分かりになります?」

山本
「まあ、例えばふわっと出てきて、力抜けたお芝居と力抜くことが必要じゃないお芝居もあるんですよね。
例えば分かりやすく言うと、土方(歳三)さんはどっかフラフラしているイメージなんですね、僕は。

でも石田三成公はどっちかっていうと、フラフラできない不器用さがあって。しゃべってても身振り手振り動かしたり、なんだろうなって目線を外してる方が、言葉っていっぱい出てくると思うんですけど。

石田三成さんをやったときは、僕の中でちょっとルールがあって、こうとにかく1点を見つめてあまり人を見ない。つまり、言葉だけを出すっていう。そうすると余計なニュアンスがセリフに乗ってこない。つまり、言葉がのってくるってことは、石田三成という人間のなんか無骨な雰囲気が後からついてくるっていう。」

 

新たな魅力を表現「裸サスペンダー」

三谷幸喜さんに「何か面白いこと」と言われ、思いついた「裸サスペンダー」

この抜群の演技力にほれ込んだ三谷幸喜は自身の作品にたびたび山本耕史を抜擢し、たびたび脱がしている。しかも近年では舞台でも…

林「舞台でもお脱ぎになってる?というか脱がされてるんですか?」

山本
「舞台の方でもお脱ぎになってて。
(裸にサスペンダーをしている画像を見て)そうそうそう。

それこそ「大地」(2020年三谷幸喜作・演出)っていう三谷(幸喜)さんの舞台で。それこそほんとに1回目の緊急事態(宣言)があって。緊急事態あけてすぐの舞台で。だから、あの緊急事態(宣言)2か月あった中で、僕さらに大きくなっちゃってたんですよ。稽古で上を脱いで出てきてみたんですよ。」

林「なぜ脱がれたんですか?」

山本
「いや、結構三谷さんって「ここでなんか面白いことできる?」とか言うんですよ。結構無茶ぶりじゃないですか。ここで面白いこと?って。

あ、つまりは人目を引きたいんだなってなったら、裸サスペンダーなんですけど。
いや、だからここはもう出てきただけでお客さんがすごい笑ってましたもんね。

その時それこそ大泉洋さんとご一緒してたんですけど、「山本くん、そんな体でさ、今度細い病弱の役きたらどうするの?」っていわれたんですよ。
で僕は、即答で「いや、断ります」って言ったんですよ。
いや、僕は別に俳優業のために鍛えてるわけじゃないので。1人の生物として。」

他人の期待に流されず、自分の強みが生きる道を行く。
この考え方が役者山本耕史のブレることがない体幹の強さとなっている。

 

池井戸潤さん「宝物を発見したような感覚」

そして、近年では池井戸潤の作品(半沢直樹最高視聴率42.2%、下町ロケットなど)にもたびたび出演。(2023年ハヤブサ消防団 2024年花咲舞がだまってない)
数々のだいヒット作を生み出す大物作家池井戸潤も役者山本耕史のファンだというが、そのきっかけとなった作品が、あの「裸サスペンダーの舞台」。
この山本耕史の舞台を見て、自身の作品への起用を決めた。

この舞台を見たという池井戸潤さんから今回メッセージが。

池井戸潤さんからのメッセージ

『舞台上での存在感演技力が際立っていました。自分が「山本耕史」という役者のほんの一面しか知らなかったことに気づいたのです。シリアスもできて、コメディーもできる。歌も歌える芸域の広さと演技力宝物を発見したような感覚でした。』

さらに池井戸はドラマ花咲舞がだまってないで見せた軽妙な台詞回しにもしびれたという。

『大将役の上川隆也さんとの掛け合いは、現代の名優同士の貴重な共演。毎回楽しみに拝見していました。』

山本耕史さんにメッセージ
『ミュージカルの舞台「RENT」楽しみにしています。忙しいと思いますが、健康に気を付けて。そして私原作のドラマにも、また出演してください。待ってます。』

山本
「いや、嬉しいです。ほんとに何度かお会いはしてるんですけども、特に多くを語られない印象があって。すごいやっぱ、僕の印象なんですけど、もう今言ってること、今ここにいる池井戸さんが発している言葉とは違う次元に、もう脳が動いてる感じの目をされてるので。実はこの話してる時はもうその先の何かをもう気づいて、そのことを考えてるな。みたいなくらい僕にとってはなんかこうすごい目をしてる方だなあっていう風には思うので。でもこういった機会でそんな風に言っていただけてたって言うのを知ると、ほんと嬉しい限りですね」

林「宝物って言葉はそう簡単には使われない方だと思いますよ。」

山本
「やっぱりこう見ると、僕の裸がそこを結び付けたところもあったのかなあと思うと…。
裸サスペンダーって、もう無条件に面白い
ちょっと裸サスペンダーが似合ってるっていう所も1つポイントなんですよね」

 

宮藤官九郎さんの作品にも出演。そのきっかけも裸サスペンダー


「その三谷さん、池井戸さんだけではなく、もう最近では宮藤官九郎さんの作品にも。2023年ドラマ「離婚しようよ」。そして2024年に「不適切にもほどがある」。2年連続で出演されてますよね?」

近年では宮藤官九郎さんの作品にも立て続けに出演しているが、宮藤官九郎さんが山本耕史を起用するきっかけとなった作品は…安定の「裸サスペンダーの舞台」。

山本
「いや、これもね。三谷さんの舞台「大地」(2020年)を見て。
そこからお話いただいて。
その後「離婚しようよ」という作品と今年の「不適切にもほどがある」という作品を。いや、面白いですよね。」

林「じゃあ、すべては裸サスペンダーから始まってると」

山本
「そういう風になっちゃってますよね。だから、もしかしたら脱いでなかったら、ここまでつながってないかもしれないです、本当に。」

林「となると、筋肉は着地点じゃなくて、全ての出発点だったという」

当然、三谷、池井戸、宮藤3人の作品で求められることは違うが、それでも山本は3人の共通する何かを感じるという。

山本
伝えたいことがあって、普段は言えないようなことを、役を使ってとかシチュエーションを使ってセリフを持ってきて伝えるっていうのが」


「このお芝居の中の1つのセリフのように見せかけながら世間に訴える強いメッセージを秘められているってことですかね?」

山本
「本当にそう思いますね。なんかこのキャラクターだったからこれを言っても大丈夫とか」


「でもそういう作品の欠かせない俳優としてポジションを実力で勝ち取られたわけですよね?」

山本
「まあ、色々自分がやってきたことが、なんか今色んな関係を色んなことを結び付けているとは思いますけども。
でもなんかやり続けてて、自分のやりたいことをやり続けてた人達がなんかもしかしたら結びついてるのかもしれないなあとは思いますね。

僕もイメージですけど、三谷さんも、それこそ池井戸さんもクドカンさんも、実はこうしたくなかったのにそうしなきゃいけなかったとかいろんなことがあったと思うんですよ。僕もあったし。

でもそれをうまいこと自分の表現で、うまく捻じ曲げて、自分のやりたいことをやってきた人たち。」

役者と作家の違いはあれど、自分を曲げずに生きてきたものとして響き合うものがあるのかもしれない。他人や世の中に合わせてばかりでは、自分を失ってしまう。自分が信じる道こそが、自分を最も輝ける場所へ連れていってくれるのだ。

 

役者人生の転機 ブロードウェイミュージカル『RENT』

そして、山本耕史が今熱い情熱を傾けている作品がアメリカブロードウェイの大ヒットミュージカル「RENT」。ニューヨークの若者たちの生きざまを描いたこの作品は、アメリカで権威のあるピューリッツァー賞やトニー賞を受賞。
この世界的名作は、山本耕史にとっても26年越しの想いが詰まった特別な舞台。

役者としての明確な軸が出来上がった

1998年 「RENT」が日本で初めて上演された時、主演に抜擢されたのが21歳の山本耕史だった。

山本
「まさに、この作品で、「あ、舞台上に上がるっていうことはこういうことなんだ」っていうか。今までは例えば注文があって、それをやるっていうイメージだったんですけど。こっからは「あ、僕ってこういうことができるんだ」みたいな。「こういう事をやるパフォーマーなんだな」っていう風に気づかされた作品だったんですよ。」


「じゃあ、やっぱり「RENT」という作品はこう役者人生の転機となった作品だという風にお考えですか?」

山本
「いや、もうRENT」がなきゃ今の自分はないですし。
あの作品(RENT)があるからその後すごい苦しみもやっぱり覚えたし。

もしかしてこれが一番ピンクなんだって言われてああ、これがピンクなんだ素晴らしいって思って次の場所行ったら、これがピンクですって違う色言われたら、「え?絶対これはピンクじゃない」って言うじゃないですか。

つまり、自分にとって明確なものが見つかっちゃったので、その後がもう大変で。
なんか分からずに言ってたら、ただの我がままだけど、「いや、絶対にこれじゃない。絶対にこっちだ」っていうあの明確なものがあったから」

舞台「RENT」に出演したことで、21歳にして役者としての明確な軸ができあがった。
後に三谷幸喜の舞台で、臆することなく自分の意見を言う事が出来たのもこの経験があったから。
まさにこの舞台が役者山本耕史の原点。

 

26年の月日を経て、『RENT』に再度出演

林「そのRENTを26年の年月を経て、今年また演じられるんですよね?」

山本
「そうなんです。正直、僕は結構何でも割とのらりくらりと熱く何かを語っていく…筋肉以外は語っていく人じゃないんですけど、まあ「RENT」っていう作品に関してはやっぱりなんかいろんな自分がインスパイアされたものとかその後の自分の道筋みたいなのも見つけてもらった作品なので。」

林「そういう思い入れのある役を演じることについて例えば奥様は何か仰ってるんですか?」

山本
「結婚後、この作品について色んな話しもしましたし、ある程度はこう「耕史くんにとってはそういう作品なんだね」というところは感じてくれているので、とても今回喜んでくれているとは思います。」

林「いいですね。そういう風に過去の思い出を共有する機会になったんですね?」

山本
「やっぱり一番悔しいところではありましたよね。一番じぶんにとって大切な作品を一番大切な人(妻)と共有できないっていうところ。いくら説明しても、なかなか伝わらない。だけどそれが、できるっていうのが、こういうことなんだよって見せて表現できるっていうか。それはやっぱりすごく自分にとって、人生にとって、最初から最後まで幸せな…幸せを与えてくれる作品になったんだなっていう風には…まだ終わってないですけど、なるんだなって思いましたね。」

役者山本耕史の軸となった作品へ26年越しの出演。
実は彼、この舞台(RENT)を演じ終えた時に「自分自身がどんな感覚になるか分からない」とオファーの多くを全て断り、公演後のスケジュールをほぼ白紙にしているという(島崎和歌子「食べていけんのかな?」 澤部佑「いや、大丈夫です大丈夫です」)。

 

「俳優である前に1人の人間」「仕事は1番では全くない」※人生訓

家族

山本
「ま、俳優である前に1人の人間であるっていうのが僕のまあ、生き方ではあるので。
生きる上で必要なことはやるし、生きる上で必要じゃないことは僕はやらないしっていうもう生き方をしてるので。

自分をなんか壊してまで、なんか私生活を投げてまでなんかやることだとは到底思ってなくて。だから仕事っていうのは僕にとって、1番ではもちろん全くなくて。2番にも入らないかもしれない分からないけど。

やっぱりそこは家庭があって、家庭を守るためには絶対に必要なことで。だけどもしこれで、自分が壊れて家庭を守れないのであれば、仕事は必要ないと思ってるんで。仕事っていうのは僕にとってなんかそのくらいの距離感なのかもしれないですね」

林「となると、仕事と筋肉はどっちが大事なんですかね?」

山本「いや、筋肉ですよ。もう、全然。間違いなく筋肉です。はい」

林「やっぱ最後筋肉で話が落ちましたね」

山本
「堺さんがそれ(筋肉)で落とせくらいのVTR」

愛する妻と子供たちのためならすべてを投げ出してもいい。
その強い思いが人生の基盤になっているからこそ、山本耕史は誰よりも魅力的に輝くことができる。

 

 

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