山崎育三郎「耕史さんって、なんかお会いするたびに若返ってません?」
山本耕史「俺ね。お会いするたびに若返るのよ」(笑)
山崎育三郎「肌ツルンツルンじゃないですか」
山本耕史「運動も良いのかもしれないですよ」
山崎育三郎
「ぼくミュージカルの先輩でもあるので。レ・ミゼラブルでマリウスっていう役で先輩なんで」
井桁弘恵「じゃあ、こうやってがっつりお話しさせていただくのは?」
山崎育三郎「今日は初めてな感じですかね。深くお話をさせていただくのは」
山本耕史「まあ、深く話すか話さないかは俺次第だけどね(笑)」
俳優山本耕史さん。芸歴47年。
芸能界を始めたのはなんと0歳。
次から次へと舞い込むオファー。
話題作で存在感を放ち続ける名俳優。
あまりにもその存在を多く目にすることから、山本耕史はいったい何人いるのかと記事になったほど。
10代の頃から演技力に定評があり、実は山崎育三郎さんも過去に山本耕史さんに衝撃を受けていました。
その作品がミュージカルRENT(1998。当時山本耕史22歳)。
22歳で主役を張った山本耕史さんの表現力は観るものを圧倒。
新宿生まれ新宿育ち。
山本耕史さんの人生の裏側を深堀り!
井桁弘恵「育さんが憧れてたっていうのは知ってました?」
山崎育三郎「そうなんですよ」
山本耕史「聞いたこともないし」
山崎育三郎
「12歳の時に、耕史さんのこのRENT。
1998年赤坂でやってたのを観に行ってたんです。
自分の母親と2人で。
すっごいな。あんな風になりたいと思いましたし。
ほんとなんでも出来ますよね」
山本耕史「なんでも出来るんですよね」
山崎育三郎
「もう何でもできるってことで、スタッフも何でもできるように用意したんですね。
ギターから、手品から、絵も描ける?それから筋トレ」
井桁弘恵「でもこのエレキギターは私物なんですよね?」
山本耕史
「これそうです。私物です。今日僕が持ってきた。ZEMAITISっていう(イギリスのブランド。布袋寅泰愛用)。
僕布袋(寅泰)さんが大好きだから、布袋さんが使ってるみたいなギターでもあるんです」
0歳からモデル活動
山崎育三郎「新宿区なんですね?耕史さんずっと子供のころから」
山本耕史
「ぼくずっとそうなんですよ。生まれも育ちも。
いまだに新宿。出たことはないんで。
出るにしても新宿区の中で」
山崎育三郎「0歳で芸能活動って、これきっかけは?」
山本耕史
「赤ちゃんモデルをやってたんですよね。
もちろん記憶はないんだけれも。
CM出たりとか、もちろん広告でたりとか。
だからそこを入れるとまあ一応0歳になっちゃうってだけで。
別に自分の意思で「僕やりたい」と言ったわけじゃないから。
なんとなく生まれたときはこう(人生グラフが)フラットでしたし」
10代「オーディションに受かりたくない」
山崎育三郎「「レ・ミゼラブル」(10歳)でちょっと(人生グラフが)上がるのはなんですか?」
山本耕史「まあまあ、楽しかった!」
山崎育三郎「ピクんみたいな」
新宿で生まれ、新宿育ちの山本耕史さん。
少年時代の遊び場は歌舞伎町でした。
山崎育三郎「歌舞伎町で何するんですか?」
山本耕史
「え?ゲームセンター。カラオケとかももちろんありますし。
(実家も歌舞伎町から)近かったな。
まあ、だってほんと地元だから」
山崎育三郎「心配されなかったですか?じゃあちょっと歌舞伎町遊んでくるって」
山本耕史
「確かにこっちのほうは(危険だから)ちょっと行かない方がいいなみたいな雰囲気。
やっぱりなんか、あの都会で育ってると、危機回避能力がやっぱり高くなるらしいですよ」
幼少期の山本耕史さんといえば、10歳でミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演。
お芝居について感じていたこととは…
山本耕史
「今だから言えるんですけど、やっぱり友達と遊んでる方が楽しいから、受かりたくないっていう気持ちがやっぱりあるんですよ。だから、早く抜け出したくて、ちょっと下手に歌ったりしてたの。
「よし、これで落ちた!」と思っても、次のステージに行っちゃって。
だから多分今思うと、ちゃんとやろうとする子役の感じとはちょっと違って。
まあ、らしいっちゃらしい。
子供っぽかったのかもしれないですけど。
なんか突然お芝居とか始める人いたしね。こうなんか立って、「何番なんとかかんとか。僕の夢は~」とかやる人いたしね」
山崎育三郎「じゃあ、そういう時どう思うんですか?」
山本耕史「「いや、なにこれ」ってやっぱ思うよ。」
20代「俳優の軸を見つけるが、それ故悩む日々」
舞台RENTに出演
山崎育三郎
「20代に入って、このすぐRENTで、このグラフもグンと上がってますけど。
RENTからガクンと下りるじゃないですか?
これは何があったんですか?RENTが嫌だったのか…」
山本耕史
「ああ、いやいや。RENTの所で上がってて。
まあ、自分がこういうことをやるパフォーマーなのかもしれないと気づいた作品。
別に俳優とか歌手とかそういうの度外視にして、こういうことやるパフォーマーなんだっていうのが分かったから、その後が何にも他ないじゃんってなって下がったんですよ」
山崎育三郎「見つけちゃったというか。しっくりきて、これだっていう」
山本耕史
「良くも悪くもなんかこう出会っちゃったもんだから。
その後の作品に全部RENTの中にある自分をこう探すんだけど。
作品が違うから、なんか違うなみたいなのがずーっと」
毎日飲み歩いていた
ちょっと元気がなくなった山本耕史さんが一人暮らしをした町が新宿区荒木町でした。
山本耕史
「飲み屋街です。
こう風情があるところが新宿にもあって。で、ここはその1つなんですけど。すごい老舗もたくさんあってね。いいとこですよ。
(荒木町に住んでいたのは)新選組!の頃なので、25、6,7,8,9、10…じゃねえわ。
そう20代は(ほとんど)」
20代の頃は毎日飲み歩いていたそうです。
山本耕史「いや、寂しかった…寂しかったんですね。毎日飲んでましたからね」
山崎育三郎「それはどういうメンバーで行くんですか?
山本耕史
「後輩たちもそうだし、ね、共通の知り合いとかもたくさんいるし、舞台の。
その人たちともいったし。もちろん香取(慎吾)君とかね。」
山崎育三郎「毎晩朝までっていう?」
山本耕史「そうですね。20代の頃。30代の前半まで」
山崎育三郎「舞台終わってからとか、ドラマの撮影のあととかも?」
山本耕史「もうそっち(飲み歩くこと)がメインだったくらいだったから。」
大河ドラマ「新選組!」で復活
山崎育三郎「で、あれから(RENTが終わって落ちてから)また(人生グラフが)復活し始める。」
山本耕史
「あれは(大河ドラマ)「新選組!」で。
三谷さんがあの土方歳三さんという役を振ってくれて。その時に、あ、なんかちゃんと見てくれている人はいるんだなというところで、また(グラフが)フラットに戻るんですよ」
井桁弘恵
「その新選組!を脚本されていた三谷幸喜さんに山本さんについての情報をいただきましたのでご紹介します。
三谷幸喜
『彼は正義感が強くて間違ったことを言う人であるとか、権威を振りかざす人であるとか。
そういう人たちに果敢に向かって行くところがある。
それで仕事を無くしたこともあったんじゃないかな。
手先は器用だけど、生き方不器用。
僕はむしろそういう人が大好きなので全然大丈夫。
だからあらゆる仕事で干されたとしても僕は使い続けるから、安心して干されてくれと昔から言っています。』」
山本耕史「いやいやいや。でも心強いですよね。安心して干されられるから」(笑)
山崎育三郎「でも三谷さんは僕は使い続ける」
山本耕史「もうありがたいですよね」
井桁弘恵「でもそういう風に果敢に向かって行く所っていうのはあったんですか?」
山本耕史
「まあ、別に良い格好しようとかそう思っているわけじゃなくて、やっぱり違ったことって、みんな「あ、違う」と思って、みんな距離を置くじゃないですか。
それでさよならだったらいいんだけど、この関係がずっと続くとなると、たぶんすごい良くないなっていう時は、やっぱり言ってたかな。
「こんなのやってられないよ」ぐらいなことを言ってたかもしれないけど。
今は「あの、すみません」なんて言って。
「ちょっと。もうちょっとこう出来たらいいかな」みたいな言い方はするけども。」
山崎育三郎
「当時から個人事務所じゃないですか。
お母さんと二人三脚みたいな。その状況で、昔の芸能界で、自分の意見バンバン言ってく。
バックもいないみたいなそういう感覚はなかったんですか?」
山本耕史
「いやいや、だから。(人生グラフが)あの下がってビューっていくときは、ドラマ1本も出てない時かもしれない。
なんか俺は舞台やったり、時代劇やったり、皆さんがやらないような仕事を結構やってたんですよ。
だからそういう意味でも、そういうオファーもその時期はなかったし。
そういう意味で言うと、やっぱ干されてたじゃないけど、やっぱりある程度の力のある人たちがいるからこそ、出づらかった時代はあったかもしれないですね」
30代「結婚のきっかけ」
井桁弘恵
「グラフに戻りますが、この30代からまたプライベートが変わってくるという事で」
山崎育三郎「でもその前、何で若干落ちてるんですか?」
山本耕史
「あのね。結婚このままだと俺できないなって思ってて。おそらく、自分に合う人をずっと探してた気がするんですよ、その時。
で、この生活スタイル。仕事の時間も不規則。で、なんか結婚する時に、「あっ」って思って。
自分に合わせる人を見つけるんじゃなくて、自分が合わす人を見つけるんだと思って。
だから自分から合わせたいなと思ったことが、大きなきっかけだったの。
自分が変わる発見って、かなり新しかったから。それでなんか、もちろんお酒の量とかも全然10分の1くらいに減ったし。そんなに減りましたよ」
井桁弘恵
「そこまで変われる。何をきっかけにそう思えたんですか?」
山本耕史
「やっぱりその、すごい好きっていうのが一番大きいですけど。
結構前に共演もしていて。現場であんまり楽しそうにしてない感じだったから。
いっつもこう本を見てて、なんか現場でいて、楽しくてやってるのかなこの仕事?みたいなところから、ちょっと興味が惹いたかな。
まあ、なんかお互いお互いが救世主だった気もするんですよ。
この生活スタイルから抜け出せたっていうのも奥さんがいたからだと思うし、奥さんもある意味その結婚をきっかけにいろんな決断をしたっていうのもあると思うから。
だからやっぱりタイミングと。よくタイミングって言うけど。本当にそんな気はしたかな。
あの「お付き合いしようよ」ともちろん言ったけど、「いや無理です」とずっと言われてて。ずーっと。
で、まあこれ本当に無理だなと思ったから、まあ普通だったらそこでね、無理だからもうやめようって思うけど、「そっか。じゃあ結婚は?」ってまあ言ってみたの。
「じゃあ、結婚どう?」って言ってみたら、突然なんかこう「えっ結婚…?」って想像したんだよね。
で、あ、結婚だったらもしかしたらあるのかもしれないと思って。
そっからもう「じゃあ、ちょっとさあ。まず結婚に必要なのはこういうことだから」みたいな。そう。だからそんな感じだったかな。
割とうちはどっちも静かに見守ってる方だから。ケンカとかもないし。
どう?ケンカする?」
山崎育三郎「ケンカしないです」
山本耕史「なんかやっぱ奥さんに合わせてる感じ?」
山崎育三郎
「合わせてる…まあ、近いかもしれないです。見守るというか。割と言わないですね。あんまり。お互いに」
新宿御苑は夫婦思い出の場所
山本耕史
「結構何にも目的持たず歩いて。
まあ、会話もしたりしなかったりで。うん。
なんか見るものもあるし、通り過ぎる人もいるし。
なんか色んな幸せな時間が過ごせますよ。
(お気に入りの理由は…)やっぱ僕地元だし、その新宿の中にこんだけ大きな森というか緑があるって言うのは、すごい貴重な場所だなって言うのは思いますね。
(どんな感じで夫婦で歩いているのか?)
いや、ほんとにゆっくり。
なんて言うのかな。
僕は結構前のめりに早足なんだけど。
奥さんはすごいゆっくり歩いてるから。
(お子さんと一緒に来たこともある?)
もちろんもちろん。子供とも来ますし。
なんかお弁当作って、あのなんかシート広げて。(ピクニック)もしますし。」
井桁弘恵「どんなパパなんですか?なんか怒るイメージがない」
山本耕史
「まあ、あんまり怒らないっちゃ怒らないかもしれないけど。なんかこれだけはっていうことは怒るかな。
なんか例えば、自分の気持ちで始めたことを自分で嫌になって人や親に当たったりとか。
上の子が下の子をちょっと泣かせたりしたときは怒るけど。
基本的にはまあ、すごい自分で言うのもなんだけど、優しすぎるのかもしれないかな。」
40代「再度RENTに出演」
山崎育三郎
「47。また2024年でグッと上がってるじゃないですか。どこまで行っちゃうんだろうっていう。これは?」
山本耕史
「いや、これは、?は2024年…まあ今年ですよね。
今年の8月まさかのRENTっていうのを全編英語でやらなきゃいけないという。そう。
だから、1998年の時はもちろん日本カンパニーで、日本語でやってたんだけれども、今回は、ブロードウェイのキャストが招へい公演って分かります?向こうのキャストが来て、作品を見るっていう。そこに混ざるっていう」
山崎育三郎「すごい。日米合作ですかね?」
山本耕史
「そうです。だから、僕が英語でやる必要があるっていう。
もうなんか分からなくなったら自分なりの言葉で喋るかもしれない」(笑)
山崎育三郎「これどんな思いですか?」
山本耕史
「死ぬまでやらないと思ってたから。できないと思ってたし。
でそこに、また出会える嬉しさと誇らしさとあとはこれもう1回やったら、またガクンといくんじゃないか(人生グラフがガクンと下がる)っていう怖さもあるんだけど、今大きく違うのは家族がいるし。
だからそういう意味では、この後がどうなるのか。バーンって上がるのか。
それともいい感じで真っ直ぐなのか。ちょっと上がるのか。
下がることは無いと思うんだけど。
でもどの程度いくのかって言うのは、なんかちょっとまだ未知な」
山崎育三郎「いやー。でもこれは絶対観に行きます。」
自分は昔から何も変えていない。時代が変わったのかも
山崎育三郎
「耕史さん引っ張りだこで。ドラマから映画から舞台から。その今の耕史さんがある秘訣は何でしょうか?この今の自分があるっていうのは?」
山本耕史
「いやー。もうね。僕本当に何にも変えてきてないから。なんか色々最近、「いろんなドラマ出てますね」とか言われるんだけど。基本的には何にも変えてないのね。つまり、なんか時代が変わったのかもしれない。
なんか今まではこっちを採用してたものをなんか今まではこっちを採用してたものをなんかそうじゃなくなってきてるバランスがあるのかもしれないです。だから、僕が何かを変えたことはないかな」
山崎育三郎「時代が山本耕史に追いついたっていう?」(笑)
山本耕史
「うーん?まあ、そういうことになる?(スタジオ笑い)いや、そんなことはないですよ。いやいやいや。
ある意味曲がらず自分の思うように生きてきた結果ではあるのかもしれないですね」