こっちのけんと
2019年に音楽活動をスタート
2024年5月に配信した楽曲「はいよろこんで」が大ヒット!
TikTokではダンス動画の音源として話題を集め、MVの再生回数は6000万回以上。
SNSでの総再生回数が60億回を突破。
日本、韓国、台湾の音楽チャートで1位を獲得。
そんな、こっちのけんとさんのお兄さんが俳優で歌手の菅田将暉さん。
超有名人気俳優を兄に持ったがゆえの苦悩とは…
こっちのけんとさんにインタビュー
Q 兄がテレビに出始めた時の気持ちは?
こっちのけんと
「いやでも最初はほんと、ただただ嬉しかったというか、誇らしくて。
兄はそのデビューからもう仮面ライダーをしてたので。
ただ単にその、「うわ!テレビにお兄ちゃん映ってる!」っていうのと「変身してる!」っていうので。
なんかその、子どもながらにめちゃくちゃ嬉しかったのはありますね」
Q どういう感覚だったんですか?
こっちのけんと
「ずっと変な感じがして。徐々にこのお兄ちゃんと思ってる成分と菅田将暉と思ってる成分がその徐々にお兄ちゃん成分が下がっていく感じというか。
なんか自分の中で勝手に距離を置いちゃうみたいな」
Q 執筆した文章のテーマは?
こっちのけんと
「菅田将暉の弟というテーマで書かせていただきました。
どうしても、その自分の人生を語る上でやっぱ兄が出てくるっていうのが1個あって。
マイナスな感情だったり、プラスな感情があるけど、結局は今どっちなの?っていうのを文章にしたって感じですね」
Q いざ書いてみて、どういう思いになりましたか?
こっちのけんと
「あーでも、途中めっちゃ泣きましたね。アハハハハ(笑)
普通のその兄弟姉妹がいる方とか。
まあいなかったとしてもまあ、両親の昔の学歴とか。
結局誰かと比較されちゃうっていうことは、たぶん多々あることだと思っていて。
自分でも薄々ちょっと比較はしちゃってるけど、他人からそこを指されて。
で、気力が落ちてしまってるような人たちにこの文章が届いたら嬉しいなぁとは思いますね」
文章のテーマ「菅田将暉の弟」 by こっちのけんと
『菅田将暉の弟』 文:こっちのけんと
私にはこれまでの人生も、これからの人生にも身の丈に合わないほど立派な看板があります。
自分の鉾(ほこ)や盾になる時もあれば、自分に対する鉾にされるときもありました。
今日はそんな本音をたらしていきます。
中学1年生の頃、忙しい父の代わりに僕と弟の世話をしてくれていた兄が、急に家からいなくなり、ある日突然仮面ライダーとしてテレビに映っていました。
とてもかっこよかったです。
涙が出るくらい感動したのを覚えています。
次の日学校に行くと、「菅田将暉の弟」と持てはやされました。
とても嬉しかったです。
誇らしい気持ちでいっぱいで、「ええやろ!俺の兄ちゃん仮面ライダーやぞ!」と心の中で思っていました。
そうして鼻高く過ごしていると調子に乗っていたようで、気がついたらいじめられていました。
ゴミ箱から僕の筆箱が出てきた日くらいから、「菅田将暉の弟」と言われる怖さを体感するようになります。
『お兄ちゃんに頼んで、アイドルの○○君のサインもらってきてよ!』
『お兄ちゃんに少しだけ会わせてよ!』
『お兄ちゃんはいつ帰ってくるの?』
友達の友達くらいの人たちから「無邪気なお願い事」をされて過ごしていました。
何で気楽にお願いできているのか理解ができず、めんどくさいので笑顔で知らん顔をしました。
なんとなく避けながら中学生活を終えて、高校の入学式の時でした。
学区も少し変わり、僕が「弟」だと知っている人も減り、出席番号が前後の人たちと新しく友達になっていた時に、教室の後ろの方から聞き覚えのある声で「あれあれ!あれが菅田将暉くんの弟!」と言われていました。
冷や汗が止まりませんでしたが、満面の笑みで手を振り返しました。
僕が許容するとめんどくさい人が増えるんだなと思ったので、もう笑顔で返すのはやめようと思っていた時でした。
後日家のパソコンで人生で初めて「エゴサ」をしてみたら、
「菅田将暉の弟と同じクラスだけど、お弁当箱はお下がりを使ってた!兄の名前が書いていた!」
と事細かく書いてある書き込みを見つけてしまいました。
全身から熱が抜けていくのを感じました。
その日から「兄の顔に泥を塗らないように」背筋を伸ばし、口角を上げ、無意識のうちに「理想の弟」になろうと誤った努力をしまくりました。
大学生になり、兄の住む家に転がり込む形で上京しました。
大学では「菅生(すごう)健人(けんと)」を頑張ろうと決心しました。
両親に褒められていた経験から、歌なら兄を超えられると思ったことと、ただただ好きで夢中になれることから、アカペラに全身全霊を捧げました。
死に物狂いで「歌っては録音を聴いて、歌っては録音を聴いて」を四六時中していました。
その結果、運やメンバーの努力も重なり、大学3年生の時、全国大会で優勝することができました。
「菅田将暉の弟」ではなく、「菅生健人」として初めて評価された気がして、夢が1つ叶いました。
その頃兄は、「アカデミー賞で最優秀主演男優賞」をもらい、さらに「歌手デビュー」をしていました。
「ふざけるな」とどこに対する怒りかも分からない思いが溢れたのを覚えています。
僕の人生に唯一残された「音楽」を盗られた気がしていました。
誰のものでもないのに盗られたと思っていました。
それでも兄は「健人は凄いな!俺も頑張らないとやな」と心から僕のことを誇らしそうに褒めてくれました。
なんて自分は器がちいさいんだと崩れ落ちました。情けなかったです。
全国大会優勝を経験したからこそ分かった兄との差に目が覚め、中学生の頃に考えていた「理想の菅田将暉の弟レール」に戻り、勉強と就職活動を頑張り、上場企業に入社させていただきました。
しかし「やりたいこと」というより、「理想のレール上、家族の次男坊としてやるべきこと」を考えていたためか、努力も空回りしだしました。
兄は頑張るほど作品が世に残り両親や祖父母が喜び、自慢になっていることが羨ましかったです。
僕はこのままだとそれができないなと、悩みが悩みを呼び、入社後1年が経った頃、家の玄関で倒れてしまいました。
鬱と診断され、退職させていただきました。
失敗でした。
どん底でした。
兄は16歳から人で上京して、仮面ライダーをしていたのかと思うと死にたくなりました。
兄はかっこいいなと思いました。
立派だなと思いました。
キレイな理想を追いかける「あっちのけんと」と、やるべきことより、やりたいことしか続かないと気づき始めている「こっちのけんと」が生まれた頃です。
YouTubeで1人アカペラを始め、仕事はせず、今までやりたかったことを始めました。
というより、それしかできませんでした。
そして数年後、鬱になった過去の自分に向けて書いたお手紙のような曲「死ぬな!」がSNSで話題に上がらせていただき、「こっちのけんと」として花が開きました。
僕が兄より未熟で、情けないからこそできた音楽でした。
多くの自殺志願者さんから感謝の連絡をいただき、自分の作品で少しでも人のためになれたなと思い、人生で一番嬉しかったです。
また「はいよろこんで」という楽曲でも僕のことを知ってくださる方が増え、中学生の頃に考えていたモノとは違った方向での「理想の弟」になれた気がして、しかもそれが自分のやりたいことだったなんて虫が良すぎるし、幸せ者すぎます。
あの曲たちを生み出すためには「菅田将暉の弟」として弱弱しく生きてきたことに意味があったんだなと思えてしまうほどでした。
少ない文字数では語りきれませんが、僕にとって兄の存在は「宝」です。
こんなに凄い兄をもっていて、腐らずにいるのは兄のおかげです。
「憧れの人が自分のことを認めてくれている」ことが「こっちのけんと」を作れた最大の理由だと考えています。
本音としての結論は、「苦悩はたくさんあったが、変わらず理想的な兄でいてくれてありがとう。」です。
10年後くらいに兄弟3人でこんな話を深夜のラジオで笑いながら話せたらいいなと勝手に思っています。
ウエストランド井口&とろサーモン久保田がこの話を聞いて思うこと
井口
「やっぱ僕らが最初に話してたのと違って大変だったのは、学生の時に菅田将暉さんがもうブレイクされたことによって、やっぱ大人と違って学生は残酷というかね」
久保田
「いや俺はさ、全く空気読まへん発言なってくるねんけどね。
こういう関係がないからね。お兄ちゃんがスタートかないから。なんやろな。
お兄ちゃんのこと1セットにされることって、俺やったら嫌やと思うねんけど。
そこを決別しないっていうのはなんでなんやろなと思うねんけど」
井口
「いやだから、お兄ちゃんのことはずっと好きっていう感じではありますもんね」
久保田「あ~。嫌ではないんや、じゃあ」
井口
「だからそこが、こっちのけんとさんが弱弱しいとか言ってたけど、しっかり芯があるというか。
普通これお兄ちゃんのこと嫌いになってもおかしくないじゃないですか。
そこを嫌いにならずに、兄…自分は情けないんだとだけ思えるのは、それは1個芯があるというか。
絶対普通だったら、何でアイツってなってもおかしくないわけですからね」
久保田
「例えばさ、兄貴がめっちゃ有名なんだよ。
で、M-1優勝したけども、分からん…その兄貴は大谷選手みたいなかき消されるみたいな。それはどう?」
井口
「お笑いだったらまだあれなのかな…ネタに出来るから。
だからこの一番グッときたというか、刺さったというかあれは、歌では兄には負けないんだと思ってやってたら、その時に(兄)が歌手デビューして。
当然菅田将暉さんも歌大ヒットしてますから。
自分のアイデンティティだと思ってたのまでやられちゃったっていうのがあったと思いますね。
どうですか?自分の兄貴が有名な芸人とかだったとしても」
久保田
「え、だったら目指さないだろ。でもいるか芸人で。
もともとお兄ちゃんが芸人だったけど。まあ、辞めたっていうヤツはおるけど」
井口
「僕も言ってないけど、そうなんすよ。兄貴芸人やってて。
※兄は井口真至さん。フリー芸人あすなろとして活動。7年連続M-1グランプリ1回戦敗退
あのーやってるかやってないかぐらい、よく分かんないですけど。
急に始めたんすよ。
まあ、僕はもともと芸人やりたくて過ごしてたら、突然兄貴が芸人やってるみたいな。
家で知ってるわけじゃないですか。
全然面白くないやつが、芸人やってるみたいになって。
でもホントあんなつまんないヤツが芸人やるなんてと思って。
むしろ、じゃあできるわと思って(笑)。
で、一瞬で超えましたね、やっぱりその。一瞬で超えました」
久保田「え、お兄ちゃんはお前のことどう思ってんの?」
井口
「なんかどう…でも、ホントに連絡先も知らないぐらいなんで分かんないすけどね~」
久保田「これお兄ちゃん(菅田将暉)も一緒の学校に行ってたのかな?中学校とかも」
スタッフ「違う学校で、お兄ちゃんの方が勉強できたと言われてました」
久保田「そこもちゃうんかい」
井口
「そっかー。だからそうっすね~。なかなかの食らってはいますね、そう思うと。菅田将暉さんがホントに良いお兄ちゃんだったから、好きでいれたんでしょうね」
久保田「頭もいいんやろ?だってお兄ちゃん。頭もいいし、歌もできる」
井口「カッコ良くて」
久保田「うわ~。俺ムリ!」
井口「そうっすよね」
久保田「兄貴がそれだったらマジでムリ!」
井口「いやいや、そうなんすよ」
久保田
「ムリ!決別する。で、兄貴の線路の方には行かない。
全く真逆の真っ黒い人には言えない仕事で天下とってやる」(笑)
井口
「それを天下と呼ぶかどうか分からないですけど。(笑)
でも、だからこっちのけんとさんはすごいですよ。そういう意味ではね」
久保田「母親とかさ父親はさ、愛情の負担ってどっちになるんだろうね?」
井口「まあでも…均等にそれはしてるとは思うんですけど…」
久保田
「お前、親やったら均等にする?
自分の1人目の子供がさ、頭もいいしさ、歌も上手いし、モテるし、仮面ライダーですよ。どうですか?
ほんで弟は、学校行って、なんかイジられてみたいな。
うん、頑張れよぐらいしか言われへんけども。どう?」
井口「「おい、兄貴みたいになれよ!!」(笑)ダメダメダメ!一番ダメだから!」
久保田「アハハハハ(笑)!」
井口
「分からない。そういう人もいるかもしれない。
僕は違いますよ。芸人の性(さが)でやっただけですからね。
一番良くない例です。一番良くない例ですからね」
とろサーモン久保田からこっちのけんとへメッセージ
久保田
「お兄ちゃんなんて、僕は言わなくてもいいと思います。
能力があってここまで来たんだから。
言うことで、少し周りの人間たちは「あ、そうなんや」ってそっちに興味いくから。
そんな興味持たさず、「こっちのけんと」さんでいけばいいなと思います。
で、最後に1つお願いがあって…今度菅田さんと飲ませてください」
井口
「いやいや。見てましたか?見てましたか?無邪気に言ってくる学生と一緒ですよ」
久保田「うっす~」
井口「うっす~じゃなくて(笑)」