フジコ・ヘミングさん
聴く人の心を震わせる演奏から、魂のピアニストと呼ばれている彼女ですが、世間に認知されるようになったのはなんと68歳からでした。
数奇な運命をたどったフジコ・ヘミングさんの人生とは。
1回目の悲劇:天才と呼ばれた幼少期から、高校生で突然失った右耳の聴力
1930年。
スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれたフジコさん。
幼いころから天才ピアニストと呼ばれ、将来を嘱望されていました。
ところが、1947年高校生になったある日のこと。彼女を悲劇が襲います。
右耳に感じた違和感。
そして医師は…「残念ながら、お嬢さんの右耳の聴力が戻る可能性は少ないです」と。
フジコさんは、中耳炎をこじらし、右耳の聴力を失ってしまいます。
東京藝術大学に進学し、数々の賞を受賞。ヨーロッパでリサイタルのチャンスを得る
それでも夢を諦めなかったフジコさんは、東京藝術大学ピアノ科に進学。
在学中、NHK毎日コンクールや文化放送音楽賞など数々の賞を受賞。
その後、35歳の時。
世界的指揮者バーンスタインから認められ、ヨーロッパで単独リサイタルを開くことに。
当時現地の新聞にはフジコさんの写真と共に
『ショパン、リストを弾くために生まれてきた天才ピアニスト』
という文字が躍りました。
2度目の悲劇:左耳の聴力も失う
ところがリサイタルの1週間前。
フジコさんに再び悲劇が訪れます。
なんと、右耳に加え、左耳の聴力まで突如失ってしまったのです。
その後聴力は20%ほど戻りましたが、ピアニストとしてのチャンスは2度と訪れることはありませんでした。
日本に戻ってからはピアノ教師として細々と暮らし、気が付けば68歳。
ここから世に出ることなどあるはずもないことでした…。
68歳で開いた小さなコンサート「奇跡の音を奏でるピアニスト」として世に出る
ところが、知人の紹介で小さなコンサートを開くことになったフジコさん。
久しぶりに人前で弾くピアノ。
フジコさんは今まで歩んできた人生を奏でるように心を込めて弾きました。
すると…フジコさんのピアノに涙する人が続出。
「奇跡の音を奏でるすごいピアニストがいる」。
そんな噂が広まり、ついに彼女は世に出ることになったのです。
その音色には歩んできた人生の全てが詰まっていました。
2024年4月。
天国に旅立った彼女は、こんな金言を遺してくれました。
フジコヘミング
「でも人間って色んなことがあるけど、もしそれを心を込めてやったことだったら、何一つ無駄にはなんないで、全部入ってきますね」