徹子
「12歳で芸能界に入り、現在は俳優や歌手として大活躍。中山優馬さんが今日のお客様です。
え、実は漁師の夢を持つほど釣り好きの一面がおありです」
12歳で芸能界へ
徹子さんと焼肉に行った思い出
徹子
「まず12歳で芸能界入りして、山田涼介さん、それから知念侑李さん、それからあなたと。
NYCを結成し、アイドルとして活動もし、現在は俳優として大活躍。
今回初出演なので、自己紹介して?」
中山優馬「はい。中山優馬と申します。30歳で大阪出身です。よろしくお願いいたします」
徹子「それで、だいたいあなたは前から知ってるもんね」
中山優馬
「そうなんです。僕、黒柳さんと何度かお会いさせていただいてまして。
最初は15歳ぐらいの時に、少年隊さんがずっとやられてたプレゾンに僕も出演させていただいて。で、その時に焼肉を一緒に連れてっていただいて」
徹子「うん。行きましたね。懐かしいわね」
中山優馬
「で、僕その時は焼肉を焼かせていただいたんですよ。
それで、15,16歳位の時だったんですけど、一番後輩だったんで、ちょっとやらせてくださいっていうような感じで焼かせてもらったんですけど。
すっごい緊張しましたね、あの時」
徹子「それすごい私が食べたでしょ?いっぱい」
中山優馬
「はい。ほんとに。で、すっごいお話も盛り上がったんで。
お肉焼けてるけど、これお肉焼けてますよって言うタイミングが難しいなっていうので緊張してました」
家族の話
3人きょうだいの真ん中…姉が履歴書を送り、芸能界へ
徹子
「大阪府出身で、3人きょうだいの真ん中。お姉さまと妹さんがいらっしゃる」
中山優馬「はい。そうです。3きょうだいの真ん中なんですけど」
徹子「そうすると、お家の中、女が多い?」
中山優馬
「そうですね。女きょうだいに一応挟まれてるので。
ま、この芸能界に入ったきっかけも、まあ姉貴が大きかったというか。
姉と母親が履歴書を送ってくれたっていうか。はい。そういうきっかけがありましたんで」
祖母はライブで毎回泣く「これが最後かも…」
徹子「おじいさまやおばあさまには今も会いにいらっしゃるの?」
中山優馬
「はい。大阪に行くと、絶対顔は出しに行きますね。はい。
で、自分のライブとか舞台とかも、あの大阪公演とか、関西で公演する時にはよく来てくれるんですけど。
最初に来てくれたのが、12歳の時に、先輩のバックでちょっと出させてもらった時にも、おばあちゃんとおじいちゃんが来てくれて。
で、おばあちゃんがその帰り際に、「もうその優馬のこういう姿をいつまで見れるか分からないから。もうおばあちゃんだから、これが最後だと思って。もうすごくいいものを見れた」って泣きながら、伝えてくれたんですけど。
そっから18年ぐらい。今でもめちゃくちゃ元気ですね。(笑)
でも、毎回泣くんですよ。毎回観に来てくれて。
毎回「もう今年が最後。おばあちゃん、もういつまで持つか分からないから」って言うんですけど。バリバリ元気です。今でも」
徹子「面白いおばあちゃんね。でも、そん時は本当にそう思うのかもしれない。ある程度の年代だとね」
中山優馬
「80近いんですけど。本当に毎回新鮮に泣いてくれるんで。涙流して。
で、3きょうだいなので。3人分泣いてますね。よく泣くおばあちゃんで。はい。
姉貴の行っても、妹の行っても泣いてますね」
姉と妹も芸能界で活動
徹子「妹さんもお姉さんも何かやってらっしゃるの?」
中山優馬
「あ、そうなんですよ。3きょうだいであのー芸能界にいまして。
で、姉貴…姉貴の方が元々は僕が始める前から、この芸能界にいて。
で、妹は僕と8個離れてるんですけど。
まあ、兄と姉の姿を見てたからなのか。
妹も今芸能活動をしてますね。」
徹子「あ、そうなの?じゃあ、おばあ様も忙しいわね(笑)」
中山優馬
「そうですね。行くのも忙しいし、泣くのも忙しいし。はい。
忙しいおばあちゃんですね。可愛らしい。はい。愛すべきおばあちゃんです」
徹子
「でもいいわね。そういう泣いてくださるおばあ様いらしてね?みんな羨ましいと思いますよ」
中山優馬「幸せです」
幼少期
泣き虫で、無理やり野球チームに入れられ
徹子「どんな幼少期でした?」
中山優馬
「子供の頃は、野球少年だったので。
小学校1年生から、ずっと軟式野球チームに入って。で、チームも結構強くて。
大阪府で一位になるぐらい。まあ、軟式野球チームなんですけど。
結構チームが強くて。
まあ、僕は、レギュラーと補欠の間をこうフワフワしてたんですけど。
でもその頃泣き虫だったので。
母親が泣き虫を直せってことで野球チームに無理やり入れられたって感じでした。
強くなりましたけど。
でも、そっからその-自分がドラマデビューさせていただいたのも野球の物語だったので。
なので、ありがたいですね。そういう経験が」
徹子
「なるほどね。野球ができるから、そういう役がね」
子どものころの夢…漁師かプロ野球選手
徹子「でも子供の頃は、なんか違う夢ありました?」
中山優馬
「子供の頃の夢は、漁師になるか、プロ野球選手になるかっていう感じだったんですけど。
まあプロ野球選手に…軟式野球チームの時のコーチとか監督って自分の父親だったりとか、友達の父親だったりとかするんで。
学校の参観とかにも、そのコーチ陣が来たりするんですよ。
だから、コーチとか監督って怖いから、本当は漁師になりたかったけど、プロ野球選手になります!とかって言ってましたね。
コーチが見てるからと思って。
でも魚が好きで、漁師になりたいな~と思ってた時期もありましたね」
ダンスや歌の経験はほぼなかった
徹子「ダンスとか歌の経験はあったんですか?」
中山優馬
「ダンスとか歌の経験はあんまりなかったんですけど。
でも姉貴がダンスをちょっと習ってたりとかして。そこにちょっとついてったりとか。
それで自分もレッスンを受けさせてもらったりとかっていう経験はすこしだけありましたね。はい。
でも本当にこの世界、芸能界に入らせてもらってから、ダンスの勉強を始めたって感じですね」
中学1年生(12歳)でオーディションに
晴れてたら野球の試合に行き、違う人生に?
徹子「何歳?それが」
中山優馬
「えっと、12歳です。中学校1年生ぐらいの時に。
オーディションがあったんですけど、オーディションの日も野球の試合の日で。
で、オーディションには行かない予定だったんですけど。
雨が降って、野球が中止になって。
それでオーディションいかせてもらうことになって、今があるので。
だからあの、自分がすごい雨男なんですけど。
大事な、なんか気合が入ってる大事な日は結構雨が多いですね」
15歳 ドラマに出演
顔が知られるようになり、本格的に仕事に向き合うように
徹子「じゃあ、本格的に仕事と向き合ったのはいつごろから?」
中山優馬
「本格的に向き合ったのは、あのー15,16歳の時に、ドラマとかに出させていただいて。で、大阪の言うても下町に住んでたので。
で、大阪に帰って、友達とかと遊んでる時とかに、ちょっと知らない人から声かけられたりとか。「あ、君見たことある」みたいな。のとかで。
で、「中山優馬でしょ?」みたいなことで、声かけてもらう時があって。
その時になんかこう、顔が知られてるっていうか。
もう逃げられない!ってなんか思いましたね。はい。
なんかバイトとか。あれ、バイトできないんじゃないかとか。何か…うん」
徹子「やったことあるの?バイト」
中山優馬
「やったことないんですよ。だからなんか近くのガソリンスタンドで働くとか。
顔知ってる人が周りに…僕からは知らないけど、知ってるってなったら、バイトとかみんなやってるけど、僕はできないのかな…って思った頃から、この世界でちょっとこう…」
徹子「一生懸命やんないと?」
中山優馬「はい。と思いましたね」
徹子「でもそれは、結果的には良かったわね?きっとね」
中山優馬
「そうですね、はい。
でもその頃から本当にお仕事が楽しくなったというか。
今でもお芝居がすごく大好きで。あのーお芝居をよくやらせていただくんですけど。
そういうきっかけにはなってますね。舞台とか」
高校卒業後、18歳で上京
大阪で大学に行くか悩み…母の軽い「行っといで」で上京を決意
徹子「仕事について、ご両親に相談したことはあるの?」
中山優馬
「あのー大阪に住んでたので。
高校卒業して、結局は18歳で上京することになったんですけど。
大阪に行きたい大学があったので。
18歳で東京に出るか、大学を4年間大阪で行って、22歳で東京に出るかっていうので、すごく答えが出なくて。
そん時に一度母親に相談したっていうのがありましたね。
でも二つ返事で、「いや、行っといで!」みたいな。
「行っといで!じゃあね!そんなことより、私もう仕事行かなあかんから」みたいな。
なんかそんな感じで軽く返されたので。
まあ、これはもう東京に行くか!っていう。
なんかそんな悩んでるようなことでもなかったのかな?と思って。
で、東京にもう出ることにしましたね」
徹子「それで、仕事の方に来るようになったの?」
中山優馬
「そうですね。でも、18歳から22歳の4年間って、やっぱりこの仕事する上ではすごく大事な時期ではあったと思うので。
その4年間で東京に上京して、やっぱ経験をたくさんさせていただきましたね」
徹子「じゃあ、やっぱりお母さまがおっしゃってくれたのは良かったね?」
中山優馬
「そうですね。あんまり相談とかすることなかったんですけど。その時は初めてぐらいで。
ちょっと相談したら、母親は強いなというか。
心を一瞬で軽くしてくれたんで」
趣味
釣りが好き
徹子
「さっきね、もしかしたら漁師になりたかったかもしれないって。
おじいさまが釣った魚は必ず食べろって教えられた?」
中山優馬
「そうですね。なんかそういう風に教えてもらったのか、食べれるお魚をよく釣りに行ってて。
で、海でみんなで遊んでる時とかも、おじいちゃんが釣った魚をそのままさばいて食べるとか。
なんかそういう遊び方をしてましたね。」
徹子「今も釣りは好きですか?」
中山優馬「今も釣りは好きですね。はい。釣りが好きで。で、料理も結構するので」
徹子「お魚?さばける?」
中山優馬「魚さばくのが、今では趣味ですね。お家で暇さえあればお魚さばいてますね(笑)」
徹子「あ、そう。釣ったんじゃなくて、買ったのでもいいわけ?」
中山優馬
「はい。あのー釣り大好きなんですけど、結構下手くそみたいで。なかなかつれなくて。
で、雨の日とかも毎日釣りに行きたいなぁと思って。
車で1時間半とか2時間かけて、釣り場に行ったんですけど。
まあ、土砂降りだったので、これは釣りにならないなと思って、30分位で帰ったりとかして。
だから、魚が釣れなかった時は、帰りに市場に寄って、魚を買ってお家でさばくっていうのをやってますね。
お魚…その家の近くの魚屋さんとかでは、もうほんとに2日に1回とか3日に1回位…」
愛犬が癒し
徹子
「でも、多忙な日々でも自宅に帰ると癒しの存在が待っているって、どんな癒し?」
中山優馬
「あのー愛犬ですね(愛犬ティンク)。ワンちゃんを飼ってるんですけど。
このトイプードルなんですけど。はい。ぬいぐるみみたいな犬なんですけど。
もう今11歳なんですけど。
僕が上京した時に飼い始めたワンちゃんで。ちっちゃい2.6㎏位の。
結構賢くて。家のピンポンが鳴ると、玄関まで見に行ってくれるようなそんなワンちゃんです。」
徹子「そう。で、あなたに伝えるの?誰が来ましたよって」
中山優馬
「そうですね。誰が来たよって言ったら、見に行ったりとかするので。
で、同じ布団で寝て。
で、僕が朝早い時は、布団から出てこないですね。
顔だけこう出して、お見送りしてくれるっていう」
徹子「犬でもやっぱり、朝早い時は嫌なのかしらね?」
中山優馬「そうですね。布団の中が心地いいんでしょうかね?」
徹子「じゃあ、仕事から帰ってくると、もう待ってる?」
中山優馬
「待ってますね。はい。一応こうお家の中にカメラも付けてるので。
そういうワンちゃんを一応見とく。
仕事場でも大丈夫かな?っていう。大体寝てるんですけど」
徹子「大体寝てる?あなたがいないと」
中山優馬「そうですね。そんな姿を見て過ごしてますね」
趣味の料理…時間がかかればかかるほどいい
徹子「他にも没頭する時間があるそうですけど、それは何ですかね?」
中山優馬
「没頭する時間ですか?あ、あの料理がやっぱり好きなので。
料理を結構するんですよ。
でも簡単にパパっと作れる料理とかじゃなくて。
本当に趣味で料理をするので。時間がかかればかかるほどいいというか」
徹子「うん。たとえばどんなの?」
中山優馬
「なんか煮込むとか。あの、4時間鶏ガラを煮込むとか。
なんかそれがすごく楽しくて好きで。
結構聞くと、男あるあるみたいなんですけど。
なんか煮込んだりするの男性は好きみたいで」
徹子「そうなの(笑)?」
中山優馬「だから寸胴で、4時間、5時間とか煮込むんですけど」
徹子「ラーメンなんか作るのいいわね」
中山優馬
「あ、そうなんですよ。ラーメンも3日間位かけて一応作りましたね。
豚骨を24時間位煮込んでとか。
で、それを結構長い時間こうやって見てるんですけど。それが楽しくて」
徹子「じゃあ、結局作って食べたの?」
中山優馬「作って食べました」
徹子「美味しかった?」
中山優馬「美味しくなかったです」
徹子「あ、美味しくないの(笑)?」
中山優馬
「ラーメンはちょっと美味しくなかったですね。
ちょうど50点くらいの味でしたね。
色々ニンニクとか入れて、臭みを消してなんとか食べましたけど。
やっぱり、プロに任せるべきだなと思いました。」
徹子「残念だったわね」
中山優馬「はい」
30代の目標
30代は楽しめたらいい
徹子「30代の目標は?」
中山優馬
「そうですね。30代…なんか…30代ってすごく楽しいよって聞くんですよ、先輩方から。
20代の時は一生懸命だったなっていう。
で、30代になると少し余裕ができて、楽しい。
人生の中でも相当楽しい年代だよっていう風には聞くので。
なんか楽しめたらいいなとは思うんですけど」
徹子「どうでしょうね?」
中山優馬「どうでしょうね?っていう感じですか?30代は」
徹子
「まぁ、分かんない。人によるだろうから。
でも私もやっぱりね。20代よりは30代が良かったです。」
中山優馬「あ、そうですか。でもそれはちょっと励みになります。楽しみです。」
徹子
「うん、そう。20代の時にはね、30代!って思ったのに、あっという間に30代になって。
って考えたらね。30代は良かったです」
中山優馬「そうですか。楽しみです」