大ヒットドラマ「silent」で一躍脚光を浴び、小中学生が選ぶ好きな俳優ランキングで堂々の第1位。
さらに国民的アイドルグループSnow Manのメンバーとして輝きを放っている。
林修「まさにスター街道ばく進中ですね。とまらないですね」
目黒蓮「いやいやいや。ありがとうございます。」
林修
「まあ、(ドラマ)「silent」も1つのきっかけに過ぎないのかもしれませんけれども。
まあ、どこまで行くかという状態…。
で、しかもその流れの中で、先日日本人初のFENDIのグローバルモデルに就任と。
しかも、日本だけじゃないんですね。世界的な。
どうですか?世界を手に入れた気分は?」
目黒蓮「手に入れてないです。言い方やめてください」
林修
「で、まあ、目黒さんご自身の活躍もすごいんですけれども、Snow Manの活躍もすごいですね。
CDデビュー4年10カ月で5大ドームツアーで61万5000人を動員したと。すごいですね。
先輩の嵐さんもそうだったんですけども、ドームツアーがあると、僕らでも全国に公開授業っていっていくんですけど、なぜか全くホテルが空いてないっていう」(笑)
先日2025年1月22日発売のベストアルバムは初日で110万枚の売上げ。
アルバムが5作連続ミリオンセラーとなったのは、アーティスト史上初。
周りの人との関係性
林修
「いや僕もうホントに友達がいないし、こう団体行動ができない人間なんで。
9人で仲良くって信じられないんですけど。本当はちょっと仲悪かったりしないんですか?」
目黒蓮
「あ、でももちろん、ケンカもします。
僕はなんか仲裁に入ることとかが結構ありましたね。
例えばあのラウールと(向井)康二がSnow Man入ってちょっとしたぐらいの時かな?
なんかケンカをしてて。で、もう口きかないみたいなのが舞台中にあったりして。
で、なんかこの空間嫌だなと思って2人を呼んで、同じその1つの部屋に2人を入れて。
扉を閉めて。で、ちょっとこう黙って待って。
で、まあ10分ぐらいして開けて2人見たら、なんか泣きながら抱き合ってましたね」(笑)
林修「ちゃんと理解し合えちゃって、仲良くなっちゃったんですね」
目黒蓮「10分で、はい、そこまでいってましたね」
林修「でも、目黒さんご自身はそう人と争うような感じはしないんですけど」
目黒蓮
「まあ、争う前に、それが本当に心から自分が思ったのならば、こう必ず相手にその瞬間に伝えるっていうのは意識してやってますね。
なんで、逆に伝えれなかったら、もう言わないし」
林修「ケンティー(中島健人)とはどんな関係なんですか?」
目黒蓮
「あ、もう先輩で。あの、健人君のソロコン(サート)とかにもバック(ダンサー)でつかせてもらったりとか。
あのホントに自分が尊敬する先輩の1人ですね。
健人君が、この子とこの子とこの子をつけたいとか言ってくださって。
やっぱり僕たちは、先輩のライブにバックで出させてもらって、1曲でも出番が増えるのって、ものすごく嬉しいことで。
そこで、「うわ、1曲増えた。よし、これで何か残そう 頑張ろう」って言って一生懸命あのバックで踊らせてもらってましたね」
(スタジオで…)
中島健人
「なんかジュニアの頃からホントにこう真面目に、ひた向きに、目の前のことに着実にこう突き進んで成功させていくっていう印象だったので。
そこはこう、後輩でありながらもスゴイなっていう風に思いますね」
林修「その時、同期にはどなたがいらっしゃったんですか?」
目黒蓮
「えーっと、Travis Japanの宮近(海斗)とか松倉(海斗)とか。えーっとあと、中村海人、あとtimeleszの佐藤勝利とか。
最近僕を知っていただいた方は、キラキラ街道を来た人なんだろうなってたぶん思われる方も多いと思うんですけど。
そういう道じゃなかったですね、全然、はい」
幼少期はサッカーに打ち込む少年だった目黒蓮さん。
芸能界に入ったのは13歳の頃。
実はそこから9年間という長い下積み生活を送ってきました。
そんな10代の目黒蓮さんを誰よりも近くで見ていた事務所同期の盟友がいました。
目黒蓮
「自分の同期で、おそらく3000人ぐらいオーディションにいて。
その中で謎にオーディションの時から話してた原(嘉孝)っていう同期がいるんですけど(原さんはtimelesz新メンバーに)。
その原とトリリオンゲームで共演することができまして。
それはなんか1つ自分の中で夢が叶った不思議な空間でしたね。
なんかいつ原と共演しても、いつ原に会っても、原に負けていない自分でいないとなって常に思ってるので。
まあホントに自分のオーディションの頃からのライバルのような存在が原なんですけど」
林修「じゃあいつ原さんに会っても負けないようにって言う準備はできてるわけですね」
目黒蓮「はい。常に原に負けない自分でいたいなぁと思ってるので」
俳優としての活躍
大ヒットドラマ「silent」(2022年)
俳優目黒蓮の名を一躍世に知らしめた作品がドラマ『silent』(2022年)
主演川口春奈の聴覚障害のある恋人役を熱演し、話題に。
林修「ファンたちが聖地巡礼で、もう世田谷の色んな所に押しかけてましたけど」
目黒蓮
「嬉しいですね、それは。
作品に関わったこうスタッフさん含め、全ての方たちが、もう全力を注いで作った作品なので。
それがまあ1つ、皆さんの記憶の中になんか残ってくれてるのかなぁと思えるなんか1つの証みたいな。
それはなんかすごく嬉しいですね」
林修
「そもそも演技の時に、誰かの演技を参考にするってことはあるんですか?それともやっぱ自分で作る方なんですか?」
目黒蓮
「自分の見たもの…本当に実際に見たものだったりとか、自分が感じた感情だったりとか。
なんかそういう所から引っ張って来てることが多いかもしれないですね。
こういう感情、過去の自分でも近いことあったかなとか。あん時こう思ったなぁとか。
なんか自分の経験ってすごい大事だなって思いますね」
林修「世間のこの評価っていうか認知が変わりました?」
目黒蓮
「感覚はすごくありましたね。あの、特に1話の最後の方流れ終わって。
うわ、こんなに多くの方に自分が知られていってるんだっていうなんかこう、知られた瞬間みたいなものをすごく感じた気がして。
でも何かそれは同時に、嬉しくもあり、なんか不安もありましたね」
林修「え、どういう不安ですか?」
目黒蓮
「いざ知っていただきだす瞬間をなんかこうどっと感じると、「あ、こんなところでも。こんなところでも」っていうなんか若干の恐怖みたいなのはありましたね。
でも、お仕事全部がやっぱ昔の自分がやりたくても、やりたくてもやりたくても出来なかったことだらけなので、全部が。
やっぱそう考えると、やっぱ頑張んなきゃなぁっていう。
今それをできてる自分はすごく幸せな状況だから、楽しんで頑張ろうって思ってやってました」
そんな「silent」の最終回はツアー中。
実はSnow Manのメンバーたちも放送を観ていたそうで…
目黒蓮
「「silent」の最終回の時に、あのツアー中だったので、ホテルでそのO.A.で、僕は自分の部屋で最終回観ていて。
で、終わったぐらいの時に、そのコンコンって鳴ったんで、出て行ったら、ほとんどのメンバーが廊下に泣きながら出てきてて。
で、その後に「ちょっと喋ろうよ」って言われて、そのこう…部屋連れてかれて。
でも、(向井)康二がずっと泣き止まなくて。
で、それを引きはがしていたのが佐久間君なんですけど」
二度とないチャンスかも…木村拓哉さんの背中を見て学んだ
目黒蓮さんには俳優として大きな影響を与えてくれた人物がいます。
それが…2021年のドラマ『教場Ⅱ』で初共演を果たした木村拓哉さん。
(目黒さん当時23歳、木村さん当時48歳)
目黒蓮
「いや~すごく緊張感のある現場で。背中で色々こう、たくさんのことを教えていただいたので」
林修「なんか具体的なアドバイスもあったんですか?」
目黒蓮
「もちろんまあ…具体的なといいますか、僕が勝手に木村さんが演じている姿を自分がこう近くで見れる経験っていうのは、もしかしたらもうないかもしれないし。
って考えたら「この時間、もう学べるもの全部拾って学んでこう」って思ってたんで。
ずーっともう木村さんを目で追ってたんですよ。
お芝居中じゃない時間も、そのシーンに入られるまでの時間の使い方であったりとか。
なんでずーっと見てたんで。
木村さんは「なんか気持ち悪いなぁ」と思ってたと思います(笑)」
林修「プライベートな交流はおありなんですか?なんか木村さんと」
目黒蓮「あ、もう、はい。あのー連絡を取らせていただいたりですとか」
林修「ご自宅に行かれたことはない?」
目黒蓮「ご自宅に伺ったこともあります」
林修「あ、あるんですね。木村さんのお誕生日には、一番にメールをされたと」
目黒蓮
「あ!はい、そうですね。あの、誕生日。
「あ、0時になる!」と思って。なるタイミングをずっと待って。
「行け!」って思って(笑)。はい、送りましたね。
2番目はあのーラウールだったらしいです」
大泉洋さんからボケとツッコミを学んだ!?
俳優として一歩一歩着実に階段を上ってきた目黒蓮さん。
2022年25歳の時に出演した映画『月の満ち欠け』で第46回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞と新人俳優賞をダブル受賞する俳優へと成長。
そんな映画『月の満ち欠け』で出会ったのが、俳優・大泉洋さん。
林修「大泉(洋)さんご自身は、目黒さんに教えたことはボケとツッコミだっておっしゃってました」
目黒蓮
「そうですね。確かに、番宣で色んな所に出させていただく機会の時に、たくさんツッコミ、ボケを教わり。
かなりスキルは上がったと思います」
林修「上がりました?」
目黒蓮
「(笑)上がりました。やっぱその後、ファンの方たちも多分、大泉さんとの共演の後「あれ?ちょっと目黒ツッコミのキレ上がった?」みたいな」
林修「会見の時でも、大泉さんがなんかちょっと高いような靴履いてきたりとか」
目黒蓮
「(笑)そうですね。すごかったですね。僕初めて見たんですよね。あんな厚底な靴(笑)
あの、大泉さんがこう僕に張り合って、どんどんどんどん厚底をお互いがこう厚くしていくみたいな。(大泉洋さん身長178㎝。目黒蓮さん身長185㎝)
で、最終的に大泉さんがニヤニヤしながら持ってきたのが、もうこんぐらいの厚底で。
で、段の上がる階段の所とかも、こんなんなって、全然上がれてないんですよ(笑)
本当にエンターテイナーなんですよ」
林修「それをしっかりご自身にも活かすと」
目黒蓮
「そうですね。たくさんのことを学ばせてもらいました(笑)」
この大泉洋さんとの共演を機に、真面目な目黒蓮さんに変化があったようで…
レギュラー番組で共演していたハライチ澤部さんによると…
ハライチ澤部
「俺も寡黙なっていうか…なイメージだったんですけど。
いざ会うとすっごい明るい…すっごいボケたがりなんだよね。
メチャクチャボケたがりでしょうもないことすごい言うんすけど、それを言う時に、俺のこう目を見て、「この後頼みますよ」っていう顔ですごい(笑)
だからなんか、それをほっとけないっていうか。こうツッコミからすると。
すべらせないぞ!っていう。目黒くんをみたいな。守りたくなるようななんか」
13歳で芸能界へ…9年かかったデビュー
言われたことは真面目にこなすが、ただそれだけ
13歳(中学生)で芸能界入りし、デビューしたのは9年後の22歳の時。
10代の頃は、真面目な性格が故に、なかなかスポットライトを浴びることができなかったという。
林修「当時競争も激しかったと思うんですけれども、どんな努力をなさってたんですか?」
目黒蓮
「いや~もう当時は、言われたことだけをただただ真面目に。
でも言われたことは必ず完璧にこなす…だけ。
まあ、例えばですけど、この椅子…下にバミリがあって、ここにこの椅子を置きますって決まってるじゃないですか。
この椅子をそこまで持って行ってくださいって言われたら、もうこのバミリに何の狂いもなく完璧にキレイに置くんですけど。
でも、ほんとそれだけなんですよ。
でもたぶんもっと、この椅子を置きに来るまでのこの動線で、もっと自分らしさを出せたかもしれないし。
見てくださってる方たちに、「あ、あのなんか椅子出してる子、ちょっと気になるな」ってやっぱ思ってもらえないとダメじゃないですか」
林修「確かにケンティーだったら、その間で1回転しますもんね」
目黒蓮「いや、まさにそういうことだと思います」
言われたことは確実にこなす。
そのひた向きな姿勢は目黒蓮の良さでもあったが、真面目なだけでは生き残れないのが、エンターテインメントの世界。
人生を変えた瞬間…自分の中の意識改革
辞めようかなと思った時(19~20歳)
林修
「やっぱりこの華やかなステージで歌い踊ってるメンバーを見て、比べてってことはなかったんですか?」
目黒蓮
「比べ…られる自分でも、そもそもなかったかなと思いますね。
活躍してる同期とかを見ても、なんかあまり同期とも思えないぐらい・・・。
競い合う気持ちにも自分がならないぐらいの場所にいたかなぁと思います」
林修「その間にもう辞めようと思われたこともあるんですか?」
目黒蓮
「ありますね。あります。
19、20歳ぐらいの時に、もう、あのー…辞めて、何か違うことをやろうかなぁと思った時期はあったんですけど。
すごく仲良い友達に止められて。
「まあ、そのままの感じで、他のじゃあ何か会社に勤めに行ったとしても、そのもっと厳しい場所なんていっぱいあるし。まあ、結局同じことなんじゃない?」みたいなことを言ってもらって。
まあ、そこからこうタイムリミットを自分の中で2年って決めて。
で、今までの自分は、言われたことをただただ一生懸命真面目にやるだけなんだけど。
でも、それじゃなくて、もっと心から自分がやりたいことだったりとか、「こういうことをしてみたいんです」って1度も言ったことがなかったので、そういうのを口に出してみたりとか。
「分かりやすく自分を変えて、2年間過ごしてみよう」っていうので、はい、タイムリミットを決めましたね」
変わるために目標を決め、夢をノートに書き、口に出す
19歳の時、自分を変えて2年以内にデビューできなければ、アイドルを辞めると決意。
そこで行った目黒蓮さんの意識改革が…
目黒蓮
「自分が変わりたくて、じゃあ変わるために何をしなくちゃいけないのか。
どういうことを目標にあげて、やっていくのかっていうその目標を夢を(ノートに)1個1個書いていって。
その時の自分は、もうホントにデビューなんてもう夢のまた夢なので。
ちょっと手震えながら、こう「デビューしたい」って初めて書いて。
で、そこで初めて口にも出して。
なんかデビューしたいって、こう自分なんかが言ってるのって、なんか笑われちゃうかなとか。
なんかちょっと思ったりしてた部分もあったんで」
人生で初めて上げた前髪
林修「ファッションとか髪型もこう大胆に変えてっていうことも聞いたんですが」
目黒蓮
「そうですね。そのノートを書くタイミングで、こう自分が変わったっていうのをどうやったらこうファンの方たちだったりに一発で分かってもらえるかなぁっていうので。
髪型を今まで(前髪を)上げる人生って僕ないと思ってたぐらい、もうなるべくこう重い前髪で隠してたんですけど。
それを思い切ってバーンって上げたのも、そのノートの時ぐらいでしたね」
見た目を変え、やりたいことをノートに書きだし、1つ1つ実現していく。
今では、ファッションブランドFENDIのグローバルモデルを務めることになったこの仕事も、意識改革で「モデルをやりたい」と自ら訴えたことが始めたきっかけ。
こうして、徐々に環境を変えていった結果、決意から2年後の21歳の時、劇的な変化が訪れる。
Snow Manに加入
2つのグループに所属し、頑張っていた
目黒蓮
「宇宙Six(というグループ)で活動していて。Snow Manに加入っていうお話をいただいて、加入したという形なんですけど。
それまでの自分って、やっぱり、あまり求められることがなかったので、人に」
林修「う~ん、そんなこともないんでしょうが、まあ今と比べれば確かに」
目黒蓮
「はい。でもすごいなんですか、ここで…「ここで目黒を使いたい」とかそんなのは本当になかったので。
なんか求められることがたぶんすごく嬉しくて。
自分をこう求めてくれるところがあるんだったら、一生懸命そこに応えたいっていう気持ちが強くて。
やっぱ「どっちも結果を残すんだ!」っていう気持ちで頑張ってました」
タイムリミットギリギリの21歳の時、Snow Manへの加入が決定。
宇宙Sixと2つのグループを兼任することになった。
しかし、そんな目黒蓮の変化に複雑な想いを抱いていたのが。
目黒蓮と宇宙Sixで活動していた親友の原嘉孝さん。
林修「そのSnow Manに加入した時、どんな状況だったんですかね?」
原嘉孝
「あのーすごい悔しかったんですよ、僕は。
でも、目黒には輝いてほしいって応援する気持ちとなんか色んな感情があって。
僕が勝手にちょっと腐ってたじゃないですけど。
目黒が出てるドラマとか、やっぱ素直に観れない自分がいましたね」
林修「目黒さんはいかがですか?」
目黒蓮
「まあSnow Manというグループでデビューをして、こう(宇宙Sixを)辞めざるを得なくなってしまったっていう。
ただなんか自分が持っている感情?…原に対する感情だったりとかは、何も変わってなくて。
それは、今も。
なんかまだ、今でも本気で引っ張り上げて、どうにかとか。
その中身の気持ちは今でも変わってないかもしれないですね」
9年間共に戦ってきた仲間と、スターへの道を駆け上がる。
そんな目黒蓮の強い気持ちが現れた象徴的な出来事がある。
原嘉孝
「俺が力になれることがあったら、引っ張り上げるからっていうのが、大きく形になった瞬間がそれこそ、『(アイ・アム)冒険少年』さんへ出演させていただいたんですけど、2人で。
後々スタッフさんから聞いた話によると、目黒がずっと何年もプロデューサーさんに原と「脱出島」に挑戦させてくださいっていうのを頭を下げてくれてて。
ホントになんか裏でもずっと気にかけてくれてるんだなっていうのは思いますね」
日の目を浴びない辛さが誰よりもわかるからこそ、仲間にも優しくできる。
目黒蓮から滲み出る誠実さは、辛かった過去に原点があるのかもしれない。
Snow Manへの思いと絆
後から加入した目黒、向井、ラウールの関係は?
もともと6人だったSnow Manに2019年追加メンバーとして向井(康二)、ラウールと共に加入したのが目黒蓮(当時22歳)。
林修「お互いの家にこう行くっていうような、そういう交流もあるんですか?」
目黒蓮
「あります、はい。あのーラウールとか結構(家に)来ますし。
気づいたら(僕の)家にいることが多くて」
林修「ああ、そうなんですか。どのくらいラウールさんいらっしゃるんですか?」
目黒蓮「えー週…多くて週3、4ぐらいです」
林修「週3,4!?それ多すぎないですか?」
目黒蓮
「こうグループみんなでお仕事をしていて。
(ラウールが)「今日さ、行っていい?」って言ってきて。
「ああ、いいよ」とかって言って、ウチ行ったりとか」
林修「ラウールさんそういえばパリコレにも出てらっしゃいましたよね(2024年9月パリ・コレクションに出演)」
目黒蓮
「そうですね。自分もお仕事でヨーロッパに行く機会も多いので。
そういう時に一緒に会ったりして。
あ、でも、なんかずっと一緒にいるな、って考えると(笑)」
林修「で、ラウールさんの話結構出てるんですけど、向井(康二)さんの話があんまり出てこないんですけど。向井さんどうなんですか?」
目黒蓮「向井さんは…去年1回ご飯行ったかな、ぐらいっすね」
林修「あ、だいぶ関係性が薄いですね」(笑)
目黒蓮
「いや、その全然そんなことないんですよ。そんなことないんですけど、なんか。
でも、2人で(ご飯)行った時も、すごいお仕事の話したりとか。
あの…結構なんか楽しかったですよ、はい。
なんか今その、焦ってフォロー入れてるとか、そういうわけではなくて(笑)
はい。そういうわけではなくて、本当に、はい」
林修「今のコメントを聞くと、焦ってフォロー入れたのかなって」(笑)
目黒蓮「(笑)違う、違う。違います、はい」
不安だったメンバーを支えた初期メンバー
林修
「でも、(Snow Manは)もともと6人で。
6人でも結構多いじゃないですか。
で、そこに3人加わるっていうことで、もう本当に全員がウェルカムで最初から上手くいったんですか?」
目黒蓮
「それはなんか、どんな物事においても、最初から上手く行くことはなかなかないと思うんですけど。
じゃあ、ラウールだったり、(向井)康二もそうですけど。
やっぱ不安定な事とかもいっぱいあって。
じゃあ、ラウールがこう舞台の本番中に、ちょっと袖で。
当時15、16(歳)とかで、袖で泣きだしちゃってとか。
でも次の出番がもうすぐ来るんで。その出番までに、泣いてるラウールをなんか袖の部屋に連れてって。
「ああ、あと30秒ぐらいだな」とか思いながら、ラウールに色々声をかけて、泣き止ませて。
で、一緒に出て行くとか。
あと、(向井)康二(当時25歳)も関西からこう東京に出てきたばっかで。
あのーなかなか道も分からないじゃないですか。
この電車乗ってあっち方面にここ行くとか分からないと思うんで、なんかその帰り送って行ったりとか。
そういう時期とかありました」
そんな不安だった3人に手を差し伸べたのがSnow Manの初期メンバーたち。
2019年舞台「少年たち」で渡辺翔太が読んだ手紙は目黒にとって、特に印象に残っているという。
渡辺翔太さんの手紙
『康二、目黒、ラウール、改めてSnow Manに入ってくれてありがとう。
もし3人のこと悪く言う人がいたら、僕は許しません。
もう僕らは家族なんだから。
僕達は9人でSnow Manだから。』
目黒蓮
「なんかこういうことをまあ直接言われたのは、初めてだったんで。
なんかすごく嬉しかった思い出がありますし、まあどこか救われたような記憶があります。
やっぱりこう加入する。でもそこには、元々完成されている、その時のパーフェクトなグループがもうそこにあるので。
そこにやっぱ加入するからには、まあしっかり自分が加入した意味を成果を残さないといけないと思うんで。
プラスで、自分だった意味とか。
こう色んなものが乗せられるように。こう還元できるように頑張らないとなっていう」
目黒蓮が常々口にしているのは、「個人の活動はグループに還元するためにやっている」という信念。
それほど、彼にとってSnow Manはかけがえのない場所。
明日を生きるパワーを届けたい
9年の下積みを乗り越え、花開いた目黒蓮。
そんな彼が仕事をする上で最も大切にしていることとは…
林修「目黒さんが仕事をする上で大切になさっていることを教えていただけますか?」
目黒蓮
「僕たちを見てくださる方たちの中に、昨日学校でこういうことがあってとか。職場でこういうことがあってとか。
もしかしたら、すごくギリギリで今をこう生きてらっしゃる方もいると思うし。
そういう方たちに向けて、こう明日を生きる活力になるようなパワーを届けれるのが、なんか僕達だと思うので。
それをこう変わらずこれからも、ちょっとでも活力がいくように頑張っていけたらいいなと思います。それを大事にしてます」
自身にも傷ついた過去があるからこそ、傷ついている人の力になれることを一番に考えたい。そんな誠実さが人々を引き付けているのかもしれない。
2月16日目黒蓮さん誕生日。28歳に