先日、大阪関西万博 開会式のステージに出演。
先月にはYOASOBI、Adoと共にロサンゼルスでライブを行うと、チケットは即完売。
その活躍の裏には両親の支えがあった。
今、世界中で巻き起こっているAG!旋風。
※AG!=新しい学校のリーダーズ
一昨年(2023年)首振りダンスの「オトナブルー」で紅白歌合戦に出場。
昨年(2024年)、世界33都市を回り、計11万人を動員したワールドツアーは大成功!
そんな彼女たちだが、かつては目を引くように肩車で行ったティッシュ配りなど約8年の下積み時代があった。
繋がっている4人の母親
山崎育三郎「今世界中飛び回ってるわけじゃないですか。スターだなって思う瞬間はないですか?」
SUZUKA「でもさ、メキシコの空港の時って、一瞬ちょっと…」
MIZYU「一瞬ちょっとスターかもって思いました」
SUZUKA
「空港着いたら、待ってくれてるファンのみんながいて。出た瞬間から「わあ~!」みたいな。
もう、もうなんかこの距離(触れるぐらい目の前の距離)で。
MIZYUが「大統領?私」「政治家?」」
MIZYU「政治家かな?みたいな」
山崎育三郎
「でも海外の公演も長くて、何か月も家を空けるわけじゃないですか。ご両親は心配だったりしないですか?」
MIZYU「お母さんたちもお母さんたちで慣れてきてるところはあると思うんで」
山崎育三郎「4人のお母さんは繋がってるんですか?」
4人「繋がってます」
RIN
「仲良しで。昔とかはよくライブハウスで私たちがライブする時に、(親たちが)先に集まって、みんなでお酒飲んでからライブを楽しんで。で、ライブ終わりの私たちを待ってる間もお酒を飲んでみたいな」
SUZUKA「終わって合流したら(酔っ払って)「もう今日メッチャ良かった~!ほんまに最高~!」みたいな」
学校の先生からのメッセージ
中学時代の通知表
MIZYUの通知表
山崎育三郎
「1学期は数学係だったんですね。数学係ってのは、数学が得意だったってことですか?」
MIZYU「でも(成績が)2ですね。下の方に先生からの言葉があるんですけど」
山崎育三郎「ありますね。
(先生からの言葉・総合所見)
『好きなものへの追求、それは趣味から仕事へと変わっていくのかもしれません。
興味関心だけでなく、動き始めたあなた。
働くことで多くの社会勉強をし、随分と心が成長しました。
ここからの生活は、楽しみだけでは進んでいかないでしょう。
多くの試練があなたを待っているかもしれません。
しかしながら、この1年間で自分のために努力した想いを忘れないで、今後も活躍してほしいと期待しています。
卒業おめでとう。そして今までありがとう』」
(涙ぐむMIZYUさん)
RIN「ステキな先生~」
山崎育三郎「ちょっとグッときますね」
MIZYU
「ステキな先生で。私もこれを今回ので久しぶりに見て、ちょっとグッときました。
でもその「楽しみだけでは進んでいかないよ」って言ってくれてるので、はっきりと。
で、今この先生は、私たちのすごくファンで。ライブにも来てくれてて。仲良くしています」
母親たちの本音
2023年「オトナブルー」でブレイクし、先日大阪・関西万博開会式のステージに。
そんな彼女たちが結成したのは2015年。当時はまだ全員が中高生だった。
※2015年当時 SUZUKA13歳、KANON13歳、RIN13歳、MIZYU16歳
結成10年を迎え、初めて聞くデビュー当時の両親の本音
KANONさんの母
質問:娘を芸能界へ送り込むことへの不安は?
KANONさん母
『芸能界に入ることの心配よりも、15歳から親元を離れて生活する事の方が心配でした』
KANON
「高校1年生で上京したんですけど。私3人兄弟の末っ子で。
こう家出るまで、洗濯もしたことない、料理もほぼしたことないみたいな。
家事を全くしない状態で、甘やかされて育ったので、ホントに大丈夫?みたいな感じだったんですけど。
こう上京してからは自分で生きる力身につけて。
で、「お母さんとお父さんに言えない事だけはしない」って決めて(笑)頑張ってきました」
MIZYUさんの母
質問:10代の娘を芸能界へ送り込むことへの不安はありませんでしたか?
MIZYU母
『不安でした。今でも不安です。一生不安です。
でもやはり本人のしたいこと、進みたい道を尊重したかったです。
応援していたかったです。
不安はぬぐい切れなかったので、必要以上に厳しく叱ってしまったこともありました』
井桁弘恵「必要以上に叱られた記憶ってありますか?」
MIZYU
「確かに、厳しい時は厳しかったかも。
お母さんはすごく心配してくれるし。
まあ、お母さんが心配するようなことしないようにしなきゃとか。
お母さんとは結構友達みたいな関係性なので。
親、子どもとはいえ全部をこう「こんなことがあってさ」っていうのをお互いを共有するような関係で。
常に心の距離は近いなっていうイメージはあります」
両親が見守る中、共に乗り越えた8年もの下積み生活。
個性を貫き通し、その時が来るのを信じ続けていた。
当時、MIZYUの両親が抱えていた本音…
質問:下積み時代の母の心境は?
MIZYU母
『ごめんなさい。親の中で私だけかもしれませんが、ブレイクはしなくていいと思っていました。
好きなこと、やりたいことができる世界で思う存分楽しんでほしい。
そういう気持ちだけだったような気がします」
MIZYU
「へえ~。嬉しいです、なんか(笑)。
ライブだけじゃなくて、テレビに私たちが映るようになったりとか。
周りからの評判だったりとかがお母さんに届くようになってからは、結構喜んでくれてるなっていう感触はあって。
なんかやっとお母さんにも恩返しじゃないけど、伝わる活動ができてるなっていう喜びは個人的にはありまして。
でもなんか最近会った時に、頑張ってて素敵だし嬉しいけど、4人が楽しいことだけをやってほしいってなんか言われて(笑)
お母さんもそんな風に思ってくれてるっていうのがすごい嬉しいなって思いました。
「売れてね」とかじゃないのがなんか嬉しいなって」
山崎育三郎「楽しんで幸せにやってほしいっていうのがお母さんの愛ですよね」
MIZYU「そうですね」
4人の母親に質問…どんな時に娘のこと、考えますか?
山崎育三郎「海外公演が増えてく中で、家族と会える時間とかって減ってるんじゃないですか?」
(うなずく4人)
MIZYU「そうですね。減ってます」
山崎育三郎
「20代の時とか、自分の事に一杯一杯になって。
お母さん、お父さんってところまでちゃんと考えられなかったから」
SUZUKA
「でもそうなりつつあるなってちょっと感じますね。
(両親のこと)忘れちゃうなとか。
家族の集まりにね、やっぱ行けなかったりした時に。
ああ、だいぶやっぱそういう時間(家族との時間)が減ってきてるんだなっていう風に思いますね」
KANON
「こう逆に心配に最近はなってきて。あのーお父さん、お母さんが心配だなとか。なんか2023年とか24年が、ウワーッと活動していたので。
そこでこう家族を気にすることがあんまりなくなって。
ふと今年に入って、「あ、もうちょっとこう近くに行かなきゃ」って気持ちになりました」
MIZYU母
『自分が美味しいものを食べた時、キレイな景色を見た時、かわいいものを見た時、感動した時々に娘を思い出してしまいます。
心が疲れた時には自然と「明日帰るね~」なんて言って帰ってきてくれるもんだと思っています。
MIZYU。心身ともに強くいられるように、自分を大事にしてね。
あなたが選んで決めた道をずっと応援しています』
SUZUKA母
「SUZUKAの世界は考えても分からないので、考えないようにしています。
だけどスーパーでSUZUKAの好きな食べ物を見つけたときに、「最近食べてるかな?」と考えて購入してしまいます。
SUZUKA。夢の可能性を引き出す努力を惜しまない所は、自慢でき、尊敬しています。
アナタの見たい景色を存分に見れるよう楽しみながら頑張ってください!
負けんなよ!』
KANON母
『寝てるかな?起きてるかな?忙しいかな?楽しいかな?今何やってるんだろう?いつもあなたの事を考えています。
ショッピングをしていると、マネキンが来ている服を見て「KANONが着たら可愛いよね」と夫婦で言っています。
KANONの姿を見て、頑張ろうって元気をもらっているよ。
「がんばって!」よりも「楽しんで!」
何があっても家族はいつもKANONの味方だから』
RIN母
『生き霊が取り憑いているくらいには、常にあなたのことを考えています。
美味しいものを食べた時、素敵な場所に言った時「あ、これRINに共有したいなぁ。きっと喜ぶなぁ」と考えます。
小学生の時「世界で活躍できるダンサー・エンターテイナーになる」と未来を語っていましたね。
埼玉の田舎から1人で電車に何時間も乗って帰りは何度も寝過ごし、それでも諦めなかったし継続したダンス、そしてリーダーズ。
「好き」の気持ちを貫き続けていたら、世界中のみんなに想いが届いていたね。
たくさんの人々があなたを愛しているよ。
RINは私たちの宝です』
リーダーズの4人、そしてMCの山崎さん、井桁さんも涙で溢れるスタジオ。
山崎育三郎「ティッシュ下さい」
井桁弘恵「私も泣いちゃった」
MIZYU「ずるいことしますね」
(全員ティッシュで涙を拭く)
母親の思いを聞いた4人は…
山崎育三郎「どうですか?みなさん」
SUZUKA
「いや~もうなんかね。お母さんってなんかこう強いし優しいし、ほんまに私のお母さんやなって思うんすよね。
自分の弱いところも自分にしか分からへんところも、なんかこうそっとしておきながら。
でもなんかこう見守り方がすごい…なんというかね~。
なんか、「ごめんな」とも言いたくなるし。
まあ、負けんなよもその通り。負けへんから待っとけよっていう感じですし。
いや、ホントお父さんとお母さんにこう育ててもらえて本当に良かったなと思いますし、まだまだ頑張っていきたいなと思いますね」
MIZYU
「なんか大人になるにつれてなんか…お母さんって思ってたけど、やっぱ1人の人間としてこうお母さんを感じることも増えていたので。
なんか寂しい思いをさせてるなとも思うんで。
お母さんに会いたいなと思いました」
KANON
「いつもこうテレビとか見るたびに「見たよ」ってLINEしてくれて。
こう「4人が楽しそうにしてるとことかが、こうママの生きる希望だよ」みたいなことを言ってくれて。
これからもお母さんの為にもお父さんの為にも頑張りたいなと思いますね」
RIN
「いや~もう(生き霊が)取り憑いてるんじゃないかってぐらい常に近くに感じることも多いし。
無償の愛っていうのをくれる存在って、やっぱり改めて家族だなぁっていう風に思うんで。
私にくれる愛情をたくさん受け取って、それを大きなものにして、いろんな形で返していけたらいいなって思います」
山崎育三郎
「親御さんの愛とか絶対的なものがあるから、この4人は強く立ち向かっていけるんだなって今回改めてそう思いました」
MIZYU
「なんか私のお母さんは、私のことももちろんだけど、3人の事もなんか自分の娘かのように「3人は元気なの?」とか、こう4人の関係ごと心配してくれてたりとか。
それを(他の)3人の親御さんにも感じるし。
やっぱ結成して10年でずっと一緒にこう成長期を共にしてきたからこそ、お母さんたちも私たち全員をこう常に見守っててくれてるんだなっていう実感が改めて今日ありました」
今日の収録を振り返って…
山崎育三郎
「今日色んなお話をさせていただきましたけど、何か新しい自分たちみたいなもの発見できました?」
SUZUKA
「この4人でこう新しい世界への冒険っていうのが、ホントにどれだけ両親が喜んでくれてるのかっていうのと。
やっぱりこう娘が頑張ってる姿に対してのこう見守る両親の姿勢っていう計り知れないこの無償の愛っていうのをすごいこう感じれて。
もうホントに胸がいっぱいなんで。
そんな風に思ってたんだっていう新しい発見があって。
よしじゃあ改めてこう娘4人、待っとけよ!頑張るから見とけよ!って気持ちになりましたね。はい」
MIZYU
「今回の収録で、愛が一番感じましたね。
こう4人の中でもだし、人から受ける愛もだし。
すごい愛ってすごいなと思いました」
KANON
「4人だったら何でも出来ちゃうって思ってるけど。
心配してくれる人がいたりとか、あと支えられてるから立ち向かっていけるんだなっていう気づきにもなりました」