【ANOTHER SKY】俳優・松下洸平さん(38歳)「ミュージシャンから俳優へ…幼少期母と訪れたNY」(2025年5月31日放送)in NY

【ANOTHER SKY】俳優・松下洸平さん(38歳)(2025年5月31日放送)in NY

2019年NHK連続テレビ小説「スカーレット」への出演をきっかけにブレイク。
確かな芝居と天性の勘の良さでドラマ、映画、バラエティーと幅広く活躍。

 

アナザースカイの地はアメリカ・ニューヨーク。

松下洸平
「ここに来て、色々刺激をもらって。自分の第2章を始めたいなっていう気持ちが実はあって」

成功の裏側にあった知られざる苦悩。原点を見つめ直すため、戻ってきた。

松下洸平
「ニューヨークっていう街は僕にとってもルーツだったりとか。
自分のルーツを分かっとくと、「自分、何のためにこの仕事始めたんだっけ?」とか。
自分の中で迷子になった時に、戻ってこれる場所があるとか。

最後に来たのが中学3年生ぐらいの時で。
それ以来、アメリカにも来てなかったので。すごい久しぶりです」

 

幼少期母と来たニューヨーク

絵描きでアクティブな母…

(スタジオで…)

松下洸平
子どもの頃に家族で2回ほどニューヨークに行ったことがあって。
それもまあ、母親がアクティブな人で。芸術とか音楽とか、すごく大好きな人だったんですよ」

今田耕司「お母さんは絵を描かれてる?」

松下洸平
「はい。母も絵描きだったんで。「一緒に行く?」ってこう誘ってくれて。
僕はダンスをやってたので、ダンスの勉強だったりとか」

今田耕司「本場でちょっと行ってみる?みたいな」

松下洸平「はい。そうですね」

 

(ニューヨークの街)

松下洸平「僕、あの馬気になるな」

気になったらやってみる。好奇心と行動力は母譲り

(馬車に乗る松下さん)

松下洸平
「20数年ぶりに、こうやって来ることになって。
母親に「久々にニューヨークに行ってくるよ」って言ったら、メチャクチャ喜んでて。
「また何を感じるか楽しみだね」とかって言ってて」

 

お金がなかったけど、連れてきてくれた…子どもたちに本場を見せたい

(ハーレムの街へ)

松下洸平
「僕が中学生の頃に、母親に連れてきてもらったコーンブレッド。
ハーレムのソウルフードなんですけど」

ハーレムにある「シルヴィアズ・レストラン」へ。
レストランの席に座る松下さん。

松下洸平
「覚えてますね。この景色は猛烈に覚えてますね。
母が連れてきてくれて。ここはあのコーンブレッドがすごく有名なんですけど。
そのコーンブレッドが母親大好きすぎて、わざわざメニューを日本に帰ってきてから、調べて作ってくれて。
今でもおふくろの味っていうのは、ここのコーンブレッドの味なんですよね」

(スタジオで…)

松下洸平
「当時インターネットとかがあんまりまだなかった時代なんで。
日本帰ってきてから母親があのシルヴィアズ・レストランに電話して。
直接聞くスタイルで。片言英語でね」

 

(ニューヨークのレストラン)

松下洸平
「う~ん!うまい!おいしい!最高!でも、実家の味です。
ここに来ておふくろの味に出逢うとは思わなかった。
アナザースカイ出るの決まって、俺が覚えてないようなこととかも、母親に聞きたいなと思って。この間実家帰った時に、当時のこと聞いたんですけど。

メチャクチャお金無かったらしくて。
小銭を貯めて、僕とか兄貴を連れてきてくれたみたいなんです。

小銭貯めて来てたとは思わなくて。

僕がHIPHOPが好きだったり、ダンスやアートが好きだったから。
日本で見れるものだけじゃなくて、こう本場のニューヨークで見れるものを僕たちに見せたいっていう思いで連れてきてくれたみたいです」

(スタジオで…)

今田耕司
「メチャクチャ根性いりますよ。兄弟2人分。
何か経験さすときに、お金がなくてできないっていうのが嫌やからたぶん。
ずーっと想定して貯めてはったんじゃないかな」

松下洸平「そうかもしれないっすね」

 

(ニューヨークで)

自分も大人になったから、今だからこそ気付けた。
母が惜しみなく注いでくれた愛が、今人生の道しるべとなっている。

松下洸平
当時そこで経験したことが、今の自分のこうものづくりのルーツになってると思うし。
自分の生き方のルーツをここでもなんかちょっと作ってくれてる気がして。
やっぱこの経験を若い頃にさせてくれてたっていうことが、まず感謝ですね」

 

俳優までの道のり

美術科の高校へ

(スタジオで…)

松下洸平
「僕、美術科の高校に通ってたんですけど。
高校通いながらも、ずっとダンスは続けてて
髪型をこう、編みこみをコーンロウにして学校行ったりとか。
スケボー乗って、学校行ったりとか。してましたね」

 

(ニューヨークで)

自分の「肩書き」は?

松下洸平
「何なんでしょうね?肩書き難しいですね。
僕自身もこう1個に限定してないので。何なんだろう?(笑)」

俳優、シンガーソングライター、MC、アーティスト…松下洸平…君は何者?

 

21歳の時にミュージシャンとしてデビュー

漠然とした自信と夢「これは売れるぞ!」…しかし、結果が出なかった

(スタジオで)

松下洸平「もともとは、21歳の時にミュージシャンとしてデビューして」

今田耕司「デビューはミュージシャンなんや」

松下洸平「はい」

美術高校を卒業後、音楽の専門学校に進学
すぐさま才能を花開かせ、21歳でシンガーとしてメジャーデビューを果たした。

 

松下洸平
きたなと。「これは売れるぞ」と思って。
漠然とした自信とか夢がグワーッて広がって
「よっしゃ来た!」と思ったんですけど。全然結果が出なかったんですよね」

 

(スタジオで)

今田耕司「その頃に21(歳)から2,3年って長いですよね?なんか売れないと。」

松下洸平
「長かった。で、どうすればっていうその策が見つけられない。
今自分は自分がやれる精いっぱいをやってこうだから。
じゃあ他何すればいいんだろうってところで、結構壁にぶち当たりましたね」

 

ミュージカルのオーディションに合格…役者になるつもりはなく、記念受験

超楽しい!という思い

深い闇の底に落ちた。だが、一筋の光明が差した。視界が開けた。

松下洸平
「たまたまミュージカルのオーディションのお話が僕んところにきて。
男の子4人の話だったんですけど、1人決まってなくて。

僕は役者になるつもりは全然なかったんですけど。
記念受験じゃないけど、受けてみようかなと思って受けたら、拾ってくれて
で、それがきっかけで、この(俳優の)世界に入りました

もう、本当にね僕の脳みそメチャクチャ単純で。
もうミュージカルやった瞬間に「ヤバい!」と思って。
「超楽しいじゃん!」みたいな

 

演劇の雑誌ライターに…囲み取材も経験

胸の高鳴りを抑えきれなくなった。しかし…

松下洸平
本格的にこの世界に足突っ込んだら、想像もしてなかったぐらいメチャクチャハードでした。

1回やったぐらいじゃ、なかなかこうオファーがたくさん来るとかはないから。

でもなんか、ミュージカルとか演劇の世界に携わりたくて。
演劇の雑誌のライターとかやってました

囲み取材とか今でもあるじゃないですか。ああいうの僕行って。

なんか関係者用のパスをここ(腕)に付けて。こうやって写真撮って。
「質問ある媒体お願いします」みたいので手挙げて。
「初日の意気込みを聞かせてください」みたいなのをやってましたね。

やっぱ当時は、ビギナーズラックで、新人で、みんな優しかったけど。
本気でやりたいと思ってがっつり飛び込んだら、メチャクチャ荒波でした。

だから、20代のうちはそれでもしがみついて。
まあ、ミュージカルとか舞台一生懸命やって。
もう…毎日怒られながら。
でも、なんか必死でしたね」

 

2019年NHK朝ドラに出演…大きなターニングポイントに

松下洸平
「旅の最後にどうしても行きたい場所があって。
今回の旅のラストにそこに向かいたいと思います」

その場所は…グラウンド・ゼロ。

松下洸平
「初めて来たときには、まだワールドトレードセンターがあったんですよ。
で、2回目に来たときはもう無くて。
ちょっとショッキングすぎて来れなかった」

初めてニューヨークを訪れてからわずか1週間後に、同時多発テロが発生。
美術高校の卒業制作でその記憶を絵として描き残した。

(松下洸平さんが描いたワールドトレードセンターとその悲劇を表した作品が映る)

松下洸平
「やっぱり、ニューヨークっていう街は、僕にとってもルーツだったりとか。
たくさん刺激と想い出をくれた街でもあったんで。
子どもながらに、あの時の光景は絶対忘れちゃいけないなって(思って絵にしました)」

2001年9月11日。悲しみに沈んだ。心に深手を負った。途方に暮れた。懸命に立ち上がった。
陽はまた昇ると信じて。

松下洸平もまた立ち上がった。何度転んでも。
そしてついに日の目を見た。

松下洸平
「やっぱり一番大きかったのは、NHKの朝ドラの「スカーレット」(2019年)という作品に出演したのが、大きなターニングポイントだったような気がします。
元々僕は朝ドラずっと出たくて。毎年のようにオーディションを受けてたんですけど。

何回受けても、もう一次審査から上へ行けなくて
もうホント、最後の気持ちで受けたその「スカーレット」という作品で呼んでいただいて

夢を叶えた。苦労が報われた。が、すぐ己の甘さに気づいた。

松下洸平
「そのオーディションで受かったって話を聞いた時に、メチャクチャ嬉しかったし。
まあ、その瞬間、ある意味、夢だったものが1個叶って、ゴールテープ切ったわけじゃないですか。
切った瞬間に、もう目の前には新しい白線が引かれてて。
次のステージに行くための靴と洋服といろんなものをその場で渡されて、それに履き替えて、靴ひもを結び直すみたいな。
嬉しさもあったけど、こっからだなみたいな気持ちの方が強かったですね。

一歩一歩階段上っていっても、上には上がいて。
一生超えられなさそうな偉大な先輩方が僕の前をずーっと歩いてらっしゃるから。
必死ですね」

努力はいつか実を結ぶとは限らない。
だからこそ苦しい。だからこそ楽しい。

 

2025年ミュージカル「ケイン&アベル」の主演に抜擢…恩人に再会

洸平は10点中10点満点

荒波にもまれ、大海原を漂流。それでも泳ぎ続けたら…見つけた。新たな大陸を。
思い描いていた以上の景色。
2025年ミュージカル「ケイン&アベル」の主演・ケイン役に抜擢
諦めていたら見ることはできなかっただろう。
気がつけば、15年が経っていた。

 

ニューヨークには恩人がいる。
主演を務めたミュージカル「ケインとアベル」で演出と脚本を担当したダニエル・ゴールドスタインさん。
ブロードウェイを中心に、これまで100本以上の舞台を手掛けてきた。

ダニエルさん
「洸平はとても素晴らしかったよ。10点満点中10点
洸平がリハーサルに参加する時、いつも準備万端だった。
新しいことに挑戦し、失敗する準備も。
もっと良いものになるよう努力して失敗から学ぼうとしていた」

松下洸平
「やっぱり、稽古場っていうのは、失敗する場所だと思うんですよ。
だから、何回も失敗して。(正解を)見つけてくっていう作業がとても楽しかったし。
それを受け止めてくれるダニエル」

ダニエルさん
「日本人のキャストと仕事をするとよくあるのが、(一緒に現場に入って)1週間くらい経つと、「あ、この人怒鳴ったりしないんだ」って皆が気がつくんだ(笑)
その上で皆で力を合わせることの大切さを伝えるんです。

だからこそ僕が大切にしているのは、素晴らしい才能を持ったキャストたちが、自分らしくいられる環境をつたえることです。
それこそが成功の要因だと思っていて、僕達は自分たちの個性を持ち寄って、一緒にこの舞台を作ることができたと思う」

 

最後に…自分の第2章を始めたい

初日にこんな質問をしていた…「今回はどんな旅にしたいですか?」

松下洸平
再出発の旅になるといいなと思ってて。
この5年間はわりとこう突っ走ってきたんで。
この先のことを考える余裕がなかったんですけど。
今一瞬立ち止まって、ここに来て色々刺激をもらって。
自分の第2章を始めたいなっていう気持ちが実はあって」

第2章を始めたい。
行き先はまだ未定。心がときめく方角へただ向かうのみ。

松下洸平
自分が楽しいと思う事をやるべき。それに尽きる気がします。
好きだったら、しんどくても頑張れるはず。
自分がこれが好きかどうか、分かんなくなる瞬間があると思うんですよ。
そういう時は、大いに休めばいいし、立ち止まって考えるべきだと思う。
答えを知ってるのは、自分だから。決めるのは自分」

 

今度のニューヨークは松下洸平の目にどう映った?何を感じた?また1枚の絵に仕上げる。

松下洸平
「不安もあるし、期待もあるし。どっちもありますけど。
僕ね、白い紙見るとテンション上がるんですよ。
何か描きたいなって思っちゃうんで。
だから、まあ白紙の方が面白いと思いますよ。
そこに自由に、自分のなりたいものや描きたいものを、どんな色使って描いてもいいわけですから。
白紙の方が希望があると思います」

どんな線を引いても、どんな色をのせてもいい。思うがまま。好きなように。
人生、一度きり。

(スタジオで)

今田耕司「松下洸平さんにとってニューヨークはどんな場所でしょうか?」

松下洸平「生きるエネルギーをくれる街だと思います」

果てなき道を行こう。どこまでも。何度でも立ち上がり、走り続ける。ここで、エネルギーを補給しながら。

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