【人生最高レストラン】清水ミチコさん(2025年11月8日放送)

 

モノマネ女王…怒られた事は?

長渕剛さんの事務所から呼び出しが…

加藤浩次「清水さんはもう何年ぐらいになりますか?芸歴」

清水ミチコ「来年もう40年

加藤浩次「40年すごいね~。色々ありましたか?」

清水ミチコ「そうですね、色々ありましたよ、ホントに」

加藤浩次「例えば、モノマネをやって怒られたことはないんですよね?たぶんね」

清水ミチコ「ないことはないですけどね」

加藤浩次「てことは、あるってことですか?」

清水ミチコ「まあまあ、多少はあったりはしますけど。小っちゃいヤケドですよ(笑)」

加藤浩次「え、言える範囲でどういう風に怒られたんですか?」

清水ミチコ
「怒られたというか、まあ「お話がある」っておっしゃったのは、あの長渕剛さんのモノマネをしたことがあって。
その時に、長渕剛事務所の方からお電話があって。
清水さんに剛本人がお会いしてお話があると言っています」」

加藤浩次「おいおいおい(笑)こわいこわい。はいはい」

清水ミチコ
「怖かった。「2週間後に国際フォーラムでライブがあるのでいらしてください」って言われて。それで行って、お話したんですよ。

(長渕さんが)「見たよお前のモノマネ」つって。
で、あの「アレは古い俺。だけど、今コンサート見てくれたよね。新しい俺のこと分かってくれた?」つって。
「もちろんです」って言って」(笑)

YOU「言わなきゃねぇ、もちろんね」

加藤浩次「最新にアップデートしろと」

清水ミチコ「そうそうそう。だから、「新しい俺をどんどんやってくれよ」って言ってくださって」

島崎和歌子「いい人じゃないですか」

清水ミチコ「いい人なんですよ。それでなんか、CDとかカレンダーとかいっぱいくださって」

島崎和歌子「え⁉タダで?」

清水ミチコ「うん。すっかりなんかハートを持って行かれました」

 

行動力抜群の父親

東京で食べたパスタを食べ、飛騨高山でフランチャイズを決意

〇一品目 渋谷 「壁の穴」 あさりスパゲッティ

清水ミチコ
ウチの父親がすごいせっかちな人間なんですね。
それで私が高1の時に東京に遊びに連れてってもらいました
で、そん時に、その「壁の穴」でお父さんがスパゲッティ食べたら、「こんなウマいものあるか!?」つって。
その今までナポリタンとかイタリアンしかなかったのね、飛騨高山には。
で、「俺はこれやりたい!」つって。
で、店主を呼びだして、それで「フランチャイズやりたいから」つって」

加藤浩次「急に!?」

清水ミチコ「急に」

加藤浩次「ちょっとヤバいお父さんですね」

清水ミチコ「「俺は絶対これを飛騨高山でヒットさせるから」つって」

加藤浩次「そうか。飛騨高山ですもんね、出身は。え、お父さん何者なんですか?」

清水ミチコ
「えっと。元々はジャズ喫茶を経営してた人なんですけど。
ジャズ喫茶の隣に“清水家”っていうお菓子屋さんをやってたんですね。
そこを潰して「壁の穴」にしちゃったんですよ。
だから、「壁の穴」とジャズ喫茶」

YOU「すごくない?」

加藤浩次「でもそこまで感動して、すごい」

清水ミチコ「早いんですよ。感じたことをすぐやるっていうの」

YOU「あ!それ受け継いたんですね。感じたのをすぐ…」

清水ミチコ「あっ、そうだね。うん。欠点でもあり、長所でもある(笑)」

YOU「欠点ではないよ」

清水ミチコ
「一応、20年ぐらいやったんで。
ちょっとあの売り上げが下がってくると、「新しいメニューを開発するぞ」とか言って。
とんかつスパゲッティとか。センスのないものを…」(笑)

加藤浩次「フランチャイズでしょ?」

清水ミチコ
「フランチャイズだからやっちゃいけないんだけど。「飛騨高山だから分かんない」って(笑)「やめて、おとうさん!」」

加藤浩次「それダメだよ」

 

その人になりたい!

モノマネしたいのではなく、その人になりたいだけ

有名人からご近所で見かけた人まで、モノマネレパートリーは数百種!
その芸風のルーツは地元・飛騨高山にあるそうで…

清水ミチコ
「自分の部屋に帰って来ました。鍵をかける。そしたらもう自分の桃井かおりさん。
(桃井かおりのモノマネで)「宿題やんなきゃいけないかもしれないわね」とか。(笑)
自由に。(桃井さんに)なってる。
ホントの私はこっちじゃないかって思うくらいに浸ってるんですけど。
その人になりたいんですよ、とにかく。
モノマネしたいんじゃないの。その人になりたいだけなの。
もっと純粋なんですよ」

加藤浩次「モノマネしたい人ではないんですね、清水さんって」

清水ミチコ
モノマネしたい人は似てなきゃいけないんですけど。
なりたい人は似てなくてもいいんですよ。
精神的になってるから

YOU「ああ、いいこと言った、今」

清水ミチコ「いいこと言いました。清水ミチコです。(笑)お見知りおきを」

加藤浩次「似せたいんじゃなくて、なりたいんですね」

清水ミチコ
なりたいんですよ。だからひどい時は私、富士山になったことあるから。(笑)精神的に

加藤浩次「ヤバいでしょ、それは」

清水ミチコ「あんまりキレイだったから、新幹線で見てて」

加藤浩次「富士山の気持ちになったら、どうなるんですか?自分は」

清水ミチコ「なんか安定しました、なんか」(笑)

島崎和歌子「どっしりと(笑)」

加藤浩次「だからなんか憑依した感じになるんだな」

清水ミチコ「小っちゃい頃からそれはそうですね」

加藤浩次「おもしろいね」

 

小学生時代

同級生の女の子1人を笑わせることに一生懸命だった

清水ミチコ
「あとは、小学校の時によっちゃんって、あの長塚よしこさんっていう子が同級生でいたんですけど。
その子は全然私と違って、かわいいし、勉強もできるし、スタイルもいいし、体育もできるっていう。万能な完璧な子だったの。

その子が私のギャグにすごい笑ってくれるんですよ。
だから、他の子は笑わなくてもいいけど、よっちゃんだけには笑って欲しいっていうのがあって。

で、そのうちよっちゃんもなんか笑いに厳しくなってきて。(笑)
あんまり私が頑張った時は笑わないんですよね。
だからちょっと自分でも反省して。

あの時は笑った。この時は笑ってない。ってことは、こういう風にしたらどうだろうとか毎日考えてっては、よっちゃんを笑わすことは一生懸命でした。」

加藤浩次
「清水さんの芸風が、よっちゃんによって作られたんですね。すごいよ。へ~。
で、それはなんか人前でやってくのが楽しいっていうのが、よっちゃんのフィルターを通して分かってくってことですか?」

清水ミチコ「うん。そんなとこあったかもしんないですね。うん」

加藤浩次「ちょっと今回、よっちゃんに聞いてるんですよね」

清水ミチコ「えっ!うわ、恐ろしいね。ホント!?」

アナウンサー「よっちゃんこと平光よしこさんにアンケートにお答えいただきました」

 

教室の片隅でひっそりとウケていた

質問 清水ミチコさんとの思い出は?

クラスの中心で人気者!というわけではなく、休み時間に教室の片隅で2,3人で昨夜のドラマの再現やアイドル歌手のマネをして、ひっそりとウケていました

飛騨高山に来る都会からの観光客に憧れて、朝一で「観光客ごっこ」をやりました。
本物の観光客に「駅はこっちですか?」と聞かれたりもしました』

 

清水ミチコ「ああ~、そうそうそう」

島崎和歌子「これ、どんなごっこなんですか?」

清水ミチコ
「観光市なんですよね、高山市って。で、観光客がすごい多いんですよ。
その都会から来るお姉さんが、すごい憧れだったんです、よっちゃんも私も。
で、朝市行って、「わー!りんごだってー!」とか言って」(笑)

加藤浩次「やっぱもう出来上がってんな。清水さんがもうある程度出来上がってますね」

清水ミチコ「そうかな~?うん」

 

芸能界に入ったきっかけ

ライブハウスで永六輔さんに見出され…

〇二品目 東京麻布十番「総本家 更科堀井」 十割そば

清水ミチコ
「これは私が、渋谷のジァン・ジァンっていう小っちゃいライブハウスが昔あったんですけど。
そこでデビューしたようなもんなんですけど。

※渋谷ジァン・ジァン…演劇や音楽などのライブが行われた伝説的な小劇場。荒井由実、サザンオールスターズ、イッセー尾形らが出演。

そこにたまたま見に来てた永六輔さんっていう方が、私を見出してくれて
それで自分の番組とか。そう。自分のライブとか。あとなんか注意とかたくさん受けて。

すごいあの、グルメでもあったんですよね。
それで「ここのそば食え」つって。

その食べるとおいしいから行ってみたら?じゃなくて、「食えよ」とか「行けよ」とかそういう風に言う人だったんですよ、強く。

で、「わかりました」って言って食べて、癖になった味です」

※永六輔…放送作家・作詞家・ラジオパーソナリティ。「上を向いて歩こう」なあど数々の名曲を作詞

加藤浩次「永六輔さんはたまたまフラッと来たんですか?ジァン・ジァンに」

清水ミチコ「そうなんですよ。すごいなんかツイてたんですよ」

加藤浩次「え、永さんは誰かを発掘しに来てるってことですか?」

清水ミチコ
「あ、えっと、渋谷のジァン・ジァンっていう場所と永さんて、こう仲が良くって。
結構プロデュース的なことをしてたみたいで。
今度新人が入るみたいだってことで、あの見に来てくれたんだって」

加藤浩次「スゴイ出会いですね」

清水ミチコ「そう。ありがたかった」

加藤浩次「で、そこからどうなるんですか?」

清水ミチコ
「そっから、ご自身のライブにすごいたくさん出してもらえて
で、テレビのプロデューサーとかも紹介してくださったりとか。
で、プロデューサーの方が見に来てくれて、ライブをね
それで、それがフジテレビの佐藤さんって方なんです」

※佐藤義和さん…フジテレビのプロデューサー・ディレクター。『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』を手がけた

加藤浩次「さとちゃんだ」

清水ミチコ「あ、そうそうそうそうそう」

YOU「さとちゃん」

清水ミチコ「そっからはすごい早かったです」

 

 

人気番組『夢で逢えたら』レギュラー抜擢

初めて自分だけが面白くないと思った

永六輔さんの紹介をきっかけに、テレビデビューを果たし、『笑っていいとも!』など人気番組にも出演。

その後、まだ若手だったダウンタウン、ウッチャンナンチャン、野沢直子らと共に、伝説の番組『夢で逢えたら』のレギュラーに大抜擢。

スター街道を駆け上がりましたが…

※『夢で逢えたら』(1988年~1991年放送)…ダウンタウン・ウッチャンナンチャン・清水ミチコ・野沢直子がブレイク前に出演していたコント番組

加藤浩次「え、どうでした?それ集まった時」

清水ミチコ
集まった時はすごい楽しいし。
番組収録しました。休み時間もまた、これまた楽しいんですよね。話がうまいから
なんだけど。やっぱり、自分だけが面白くないと初めて思ったんですよ。
小っちゃい頃からこうあの~面白いって言われてきてたのに。
全然面白くないじゃんって分かって
そん時はホントに落ち込みましたね。
これが落ち込むって事かっていうぐらい」

加藤浩次「それはなんだろう?」

清水ミチコ
「何て言うの。ウンナンとか直子ちゃんとか私が砂浜で砂の城を作りました。
そこにダウンタウンたちが、職人さんたちが、トラクターでやって来て。
「はい、どいてどいて~」つって、ホンモノ作って。どんどん作ってくっていうような感じに見えて。
なんかすっご…怖いこの現場!と思って。
なんか面白いこと思いついても言えない、現場で

加藤浩次「え、ピリピリしてました?やっぱり」

清水ミチコ
「ピリピリはしてた。うん。してたけど。
なんかホントにカメラ回ってなくても、ずーっと面白いこと言うから。
もう人種が違うんだと思って。
私、とんでもないところに来ちゃったなと思いました。」

島崎和歌子「でも、みどり見てましたよ」

※伊集院みどり…『夢で逢えたら』の大人気キャラクター。ブサイクでワガママという設定で、口癖は「むっかつくわねー!!」

清水ミチコ
「あ、ありがとう。苦肉の策で。
なんか自分だけが足を引っ張るような気がして。なんとかしなきゃと思って
それでなんか、ブサイクな役ってのをもらったんですよね。
で、自分でやってみたら、ホントにブサイクだなって思ったんですけど。
それがすごい当たって。
で、性格も悪くしたろと思ったら、それも当たって。なんか最悪の女ってことで。」

加藤浩次「1個当たった。当たり企画というか、当たりキャラができるとやっぱりだいぶ変わってきますか?」

清水ミチコ「そうでしたね。息がしやすくなった感じだった」

加藤浩次「うん。で、それでドーンってやっぱり全国でメッチャ人気あるっていう自覚っていうのはどんどん出てきました?」

清水ミチコ
「うんうん。あった。えっとその、学園祭とかに行くと、その一列全員が(伊集院)みどりの格好してたりとか。
そういうのでやっぱり、当たってんだろうなっていうのはありました。うん。
ただ、自分の中のブルーは全然消えないんですけどね。その頃はね。うん」

加藤浩次「でもだから、僕らがまあ『夢で逢えたら』っていう番組をまあパクリじゃないんだけど。形として僕ら『とぶくすり』っていうのが始まってるじゃないですか。
その中では、清水さんと同じ感覚ありましたよ。
自分のポジションどこなんだろう?っていう。
ナインティナイン中心で出て。よゐこはめっちゃシュールだし。
で、山本(圭壱)は太っててなんかファニーな感じで使われるし。
僕…俺はどうしたらいいんだっていうの…」

※『とぶくすり』(1993年放送)…ナインティナイン・よゐこ・極楽とんぼらが出演したコント番組

YOU「だから、暴力だよね」

加藤浩次「そうなんですよ(笑)」

島崎和歌子「狂犬になっちゃうんですね」

加藤浩次「そこはもう…あれ残ってんの暴力しかねぇなみたいな(笑)」

YOU「良かったじゃないですか、適任で」

加藤浩次「だから、そこの葛藤すごいありましたよ。」

清水ミチコ「やっぱみんなあるんだね」

加藤浩次
「で、そこから、終わるってなるじゃないですか。終わるってなって。
で、みんなバラバラになってくじゃないですか。
その時ってどういう感情ですか?」

清水ミチコ
「その時は、解き放たれた気持ちもあったし。
やっぱ自分の中でできることってライブぐらい…ライブみたいなことしかできないんだなってことがよーくわかったので。
そっちを中心にしていきましたかね。」

加藤浩次「あ~もうそういう…自分の道はこっちだっていうのがそこで決まったってことですよね」

清水ミチコ「そうかもしんないですね」

 

日本武道館で毎年公演

12年続けている

加藤浩次
「で、それが終わって。色々人生こう続けてきて。一番印象に残ってるっていうのは何になりますか?清水さんは」

清水ミチコ「やっぱりあの、50代で始まった(日本)武道館公演。毎年やってるやつが」

加藤浩次「もう何年ですか?」

清水ミチコ「12年

加藤浩次「スゴイね。武道館で12年で」

島崎和歌子「しかもソロでね。ピンでやるってすごいですもん」

清水ミチコ
「まあ私のカッコいいのは、自分で目指したんじゃなくて、あっちからオファーがあったというか。
ドタキャンがあったんですけど。やってくれませんか?って。
「喜んで!」(笑)

だからそん時はさすがに、自分一人じゃちょっとなって思って、いろんな人誘って。
そのミュージシャンの人とかお笑いの人と、で、歌える人とか。
だからちょっとした清水フェスみたいな感じになったんですけど。

なんか糸井重里さんが観に来て。
「まあ、すごくこう盛りだくさんで良かったんですけど。1人っていうのもお客さん観たいかもな」って言われて。

「なるほど。幕の内弁当よりもラーメン食べたいときあるな」と思って。
それで、2回目から自分でやってみたんですよ」

加藤浩次「1人だけで?」

清水ミチコ「うん。そしたら結構続くことになりました」

加藤浩次「記憶に残ってる回あります?その中で。12回の中で」

清水ミチコ
「去年は、あの1回やってみたかったと思ってたんですけど。
ダフ屋が出るんですよね、よく。
だからあのスタッフの人に「ちょっとダフ屋写真撮って来て」つって。
ダフ屋を武道館に映して。あのもちろんこうやって目は隠したけど。
こうやって「ダフ屋いたでしょ」つったら、ドッカーンですね。
ここでしか知らないネタだから。ネタっていうか人だから」

加藤浩次「会場に足歩込んだ人しか見てないですからね」

清水ミチコ「あの人ね!つって。そういうことは楽しい。やっぱちょっとしたイタズラっていうか。自分しかできないなって思った」

加藤浩次「来年はどんなことやろうって思ってるんですか?」

清水ミチコ
「来年は、ちょうど昭和始まって、100年ぐらいなんですよね。
なので、それにちなんだものを。はい」

加藤浩次「昭和100年振り返るんですか?」

清水ミチコ「そうですね。」

加藤浩次「すごいな!」

 

皆が共感できること最近の話題を取り入れる

〇三品目 岐阜県高山市 「まさごそば」の 中華そば

清水ミチコ
幼稚園からもう高校ぐらいまでずっと。
ウチの母親と2人で深夜食べに行くっていうのが。
「まさごそば」っていう所が、始まりたての時は屋台を押して。で、駅前で売ってらしたんですよ、おやじさんが、1人でね。
途中でお店を始めることになって」

加藤浩次「どうですか?今ライブを年に1回やられてて。色々新しいネタも作っていく中で。なんかこう大事にしている事とか」

清水ミチコ
「やっぱ自分が一番愉快でいられるっていうこと。その緊張とかしないでね。
あとは、みんなが共感できること自分だけ「すごい面白かったんですけど(笑)」って言っても、みんなシーンとするから。
あともう1つは最近の話題新しいことはやっぱ入れるようにしてます。政治的なことでもね」

加藤浩次「あれ、石破さんもできるんですよね?」

清水ミチコ
「石破さんできないですよ。石破さんはやったんですけど。あまりに不評で。
もう終わったネタなんです。もう、あの人との関係はもうないんです」(笑)

加藤浩次「憑依できなかった?」

清水ミチコ「憑依できなかった」

島崎和歌子「麻生太郎さんはできるんですよね?」

清水ミチコ
「(麻生さんのモノマネで)麻生はできるんですよ。我ながら似てると思うんですよ。失言も多いですけれども」(笑)

 

加藤浩次「せっかちで失敗したことあるって聞いたんですけど」

清水ミチコ
「私…っていうか…せっかちと言えば、ウチのお父さんがそのすごいせっかちで、その親友もせっかちなわけ。
お父さんが亡くなりました。10年ぐらい前に。
だから、親友が来た。「マスター!!」って言ってすごい泣いて。
で、私たちもグッときたんですけど。
せっかちだから、「じゃ!」って去ってったの。(笑)
もっと泣けよ(笑)」

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