【日曜の初耳学】俳優 吉田羊さん ×インタビュアー林修(2024年6月放送)

福岡の桜 俳優(女性)

女優吉田羊さんを一躍世に知らしめた作品が2014年最高視聴率26.5%を記録した国民的ドラマ「HERO」(第2シーズン)で大ブレイク。
以来、オファーが絶えない実力派女優として活躍しています。

 

吉田羊さんプロフィール

本名:吉田羊右子(ようこ) 2月3日生まれ O型
出身地:福岡県久留米市
兄2人、姉2人の5人兄弟の末っ子

牧師の家庭に生まれた。
久留米信愛女学院高校卒業
高校卒業後上京。金沢市内の大学に通う姉を頼り、金沢で生活。

後に大学に進学し、周囲の同世代が就職活動を開始した大学3年生。
自分は性格的に会社勤めには向かないと感じていたことから、女優に挑戦しようと決意した。

(以上Wikipediaより)

 

内弁慶な幼少期と愛ある両親

林「吉田さんは小さい頃どんなお子さんだったんですか?」

吉田
「小さい時は、内弁慶でした。引っ込み思案で地味で。なんか真ん中でワイワイやってるサークルがあったとしたら、その1つ2つ3つ外ぐらいでジーっと見てる地味な

林「何が原因でそんな大きな変化があったんでしょうかね?」

吉田
「でも、もともとその家で家族の前で、聖子ちゃん(松田聖子)のモノマネしたり、明菜ちゃん(中森明菜)の歌うたったりして、「あー、上手ね~」なんて褒められるのが嬉しかったりしたので。
その表現することっていうのが好きだったんだと思います。」


「じゃあ、そのモノマネなんかを披露していた相手であるご両親はどんな方だったんですか?」

吉田
両親は、まあとにかく愛の人でした。
母は特に、考えるよりも先に行動する人で、食べ物に困っている人とかがいたら、パッとお弁当を作ったり、パンを作ったりして、サッと持って行くということをする人でした。」

 

高校時代は「かっこいい」憧れられる存在

スポーツマン女性

幼少期は内気で目立たなかった吉田羊さんですが、高校では一転。
熱い注目を集める存在に。

林「学生時代は女子高にいらっしゃった?周りの女子生徒から「カッコイイ」と。きれいとかかわいいじゃなくて、かっこいいと憧れられる存在だったと

吉田
「高校3年生の時に体育祭がありまして、そこで応援団長をやったんですよ。その影響は多分にあると思います。
その時ショートカットでやってましたので。なんかどこかボーイッシュな雰囲気だったんですよね。
自称ファンクラブですっていう後輩が何人かいました。会員番号1番ですみたいな」

 

実は今回自称会員番号1番という熱烈な吉田羊ファンが登場

ファンの川島さん(吉田さんが通っていた高校の後輩で、当時中学に通っていた後輩の川島さん)。まだ出来立てほやほやの中学校で、川島さんが入学した年から体育祭が中高合同に。川島さんも応援団長姿に一目惚れした一人。

 

吉田羊さんの3大イケメン伝説

イケメン

①自転車サドル騒動

噂で当時吉田羊さんは自転車通学でしたが、その自転車のサドルにほおずりしている後輩が目撃されたそう。
学校の先生から朝礼の時に「そういうこと(自転車に頬ずり)はやめましょう」って注意された。
で、一番川島さんが熱烈なファンだったので、その疑いの目を向けられ、容疑者だったそうです。

川島さん「絶対やってないんですけど。私じゃない」

吉田
「川島さんの場合はね、もっと直接的でしたね。だからその間接的にサドルを触るとかじゃなくて、もう直接「せんぱ~い!」って声をかけてくれる方でした」

 

②写真転売騒動

川島さん
「応援団のメンバーが各クラスにいて、私のクラスメイトの応援団の子がインスタントカメラで周りの風景とかを撮る時に(吉田)先輩をとってて、それをクラスメイトに焼き増ししてた。(ただ、値段としては1枚焼き増し代の20円~30円)」

吉田「初めて聞きました。それは知りませんでした」

 

③骨折希望者続出騒動

川島さん
「応援合戦でけがをしてしまった骨折した同級生がいたんですけど、その子のお見舞いに先輩が言ったって言うのをきいて、私がけがしたかったっていう」

林「こういう騒動を生んでたという事はご存じでしたか?」

吉田「知りませんでした」

 

スタジオゲスト中島健人さん「卒業式に150人」

澤部佑さん「けんてぃーは?ファンクラブとか」

中島健人さん
「中3で卒業するときは、卒業式の時に花道みたいなのができてて。
在校生と他校の人たち。もう花道がめちゃくちゃできてて。
いろんな人からボタンとかこうぶちとられて。
花道終わりほぼ裸みたいになった。マジですごかったです。
150人から200人位来ました」

 

「おままごと好き」「お芝居を褒められた」が演劇の世界にはいるきっかけ

子供

福岡の高校で人気者だった吉田羊さんは東京の大学をを卒業後、就職はせず、経験のない演劇の世界へ。その決断をしたのには幼いころのある体験がありました。

吉田
「なんか私、昔からおままごとが好きで。中学校1年生になってもまだやめられなかったんですよ。

まあ、大きくなった時に、そういえば演じること、自分じゃない何者かになるのが楽しかったな、好きだったなって。

まあ、小さい時にちょっとした学芸会みたいな時に先生から、台詞回しが上手だねって褒められて。お芝居が上手だねって褒められたことがあって。自分に自信のない小学生だったものですから。その中で唯一褒められたのがお芝居だったんですよね。

なので、だったらこの道を一度志してみようという事で、就職活動する周りの友達の中で、1人で。

雑誌の「三行広告」に応募し初舞台

雑誌広告

演劇雑誌が当時あったんですけども、その欄外に三行広告があって、『3か月後にやる舞台に出てくださる女優さん募集してます』っていう募集広告を見つけて、そこに応募して。
で、初舞台。下北沢の小劇場という小劇場に立ったのが最初です。」

ざっし「ぴあ」の三行広告がきっかけで産声を上げた女優吉田羊さん。
三行広告に応募して参加した初舞台。演技経験のない全くのド素人で迎えた本番は…

吉田
「(初舞台の本番は)ものすごく緊張しましたね。
もう見に来たお友達からは、目が泳いでたよって言われましたけど。

ただ、カーテンコールのライトをパッて浴びた時に、気持ちいいって思ったんですね。なんかその時の照明の熱をこの辺に感じてた、その感覚がいまだに残ってるんですよね。

もっといろんなことお芝居して、まだ見ぬ自分に出会いたいって思いましたし、演劇の世界にいたいって思いました」

林「じゃあ、その三行広告が運命を変えたと?」

吉田
「そうですね。しかもその時にお世話になった劇団さんの演出家さんが、「どうせ君初めてでやれないんだから、やろうとしなくていい」って。「ただ、自分の心が動いた時に動きなさい」って言ってくださった。だから、その時の演出が、今も(演技の)軸にあるかなと思いますね。

だからその時に「いや、そこそうじゃないよって。そこ三歩進んだら振り向いて」みたいな細かい演出をされていたら、もしかしたら窮屈に感じて辞めていたかもしれないです」

技術に頼らず、心のままに演じることの大切さを教わった初めての舞台。この経験こそが、女優の心を打つ演技にもつながっています。

 

両親の反対はゼロ


「テレビに出られるようになったのがちょっと遅めで、時には遅咲きという評価もお耳に届いたんじゃないかと思いますけれども、ご両親は生活の面では心配なさってたんじゃないんですか?」

吉田
「「将来はこの道(俳優の道)に進もうと思う」と言った時には、母は「やると思ってたよ」って言いました。父も同じく反対は0(ゼロ)でしたね。
むしろ、私が初めて(地元の)久留米で舞台を…凱旋公演をやらせていただいた時は、(母が)800枚チケットを売ってくれて会場のほとんどが私の客っていう。共演者には申し訳ない状況でしたけれども」

 

大ファンだった三谷幸喜の舞台に出演

三谷幸喜さんとの初対面で大失敗

ついに、大ファンだった三谷幸喜さんの舞台に出演のチャンスが(2009年東京サンシャインボーイズ「returns」)。
しかし、三谷さんとの初対面は苦い思い出になってしまいました。

吉田
「当時中井貴一さんがすごく目をかけてくださっていて、私が三谷さんファンだという事をしっていた中井さんが紹介してつないでくださって。

私は緊張して、でも大好きな三谷さんにお会いできるから、とびっきりのおしゃれをして行ったんです。で当時はやっていた黒のマキシのロングコートに当時はまっていたラビットファーの帽子をかぶり、つけまつげを付けて、とびっきりの当時のおしゃれをして会いに行きましたら、三谷さんは中井さんから「吉田羊ちゃんっていう素朴な子が来るよ」って言われてたのに、会ってみたら「メーテルみたいな人が来た」って言って、「僕のイメージとは違ったな」って。

その東京サンシャインボーイズのただ1人のゲストで誰をキャスティングしようかって考えてた段階だったのに、この子は無いと一回消えたらしいんですよ。メーテルはいらないと一回消えたらしいんですけど。

いろいろあって、もう一度お話をくださって、出していただけることになりました。今となっては黒歴史です」

 

三谷幸喜さんのいたずら

ちなみに三谷幸喜さんとえば、いたずらの常習犯。
吉田羊さんが初出演した三谷作品も例外ではありませんでした。

吉田
「なんかある日、「今日は僕も出ます」って。
でも、「舞台上で僕が何をするかっていうのは秘密です」って。」

林「結局何をなさったんですか?舞台で」

吉田
「結局、かつての同級生が集められた設定だったんですけれども、そこに紛れ込んできて、「イヤイヤ遅くなりました」って入ってきて。

「僕の席はどこかな?」なんて言って席を探すんですけれども、もちろん数しか席は置いてないのでない。「席がない席がない」って言いながら、12人の劇団員たちの膝の上にこう次々とのっていく。「ここじゃないここじゃない。間違えましたー」とか言っていなくなる。

あの、ひやひやしながらお芝居をした。」

 

ワーカーホリック「お仕事が大好き」

ハートの風船

吉田
「私は自分のペースを守れていないかもしれないです。
ていうのは、基本的にワーカーホリックなんですよね。お仕事が大好きなんですよ。

なので、もうこれ以上はお仕事を入れないぞと決めてスタートしても、後から「この役は素敵」っていうものが来ると、断りたくないんですよね。なので、体に無理をしてでもそれを引き受けてしまう

結果、自分のペースがちょっと崩れて身体はしんどいけれども、でも心が満たされるっていう方を選んでしまいがちです。
心がわくわくするかどうかしか考えてないです。
(逆に心がわくわくしたらもう)無理をしてでもやりたいですね。」

 

世に知られるきっかけになったドラマ「HERO」

テレビを見てる子供

ドラマ「HERO」出演の経緯


「HEROの第2シーズンの女性検事役。ここが1つターニングポイントになったんじゃないかと思ってる人多いと思うんですけれども…」

吉田
「そうですね。圧倒的に全国的に名前を知っていただいたという意味ではやはり、HEROは影響が大きかったかなと思います。
実際にやっぱり初回放送の翌日に街で声をかけられました。」


「この役が決まる過程っていうのはどんなふうにお聞きになったんですか?」

吉田
「えーっと。「もともと最終(選考)まで残っています」みたいなお話は(マネージャーから)伺っていたんですが…。決まりましたっていう決定をまだ聞いてなかったんですね。

で、当時三谷幸喜さんの「国民の映画」という舞台に出演させていただいていて。それを見にいらしていた八嶋智人さんが、終演後楽屋にいらっしゃって。
で、「ようちゃん今度よろしくね、HERO」(っておっしゃった)。
で、「はて?」と思ってマネージャーさんを見たらば、マネージャーさんがあちゃーって顔をしてて。

でそれはなぜかというと、その長い公演期間…2か月くらいある公演期間だったんで、中だるみで疲れてきた頃にカンフル剤として、もうこれであと後半頑張りなさいよっていうカンフル剤として取っておいのに、八嶋さんに先に言われてしまって、あちゃーってなっちゃったっていう」

 

ドラマ「不適切にもほどがある」出演

さらに今年話題となったドラマが2024年ドラマ「不適切にもほどがある」。
昭和61年を舞台に、令和ではありえない過激なセリフや現代社会の常識を皮肉ったミュージカル演出も話題となりました。

吉田
役だからこそ言えるセリフ、ワードというのがあって。
普段は使わないからこそ、こうお芝居で言える楽しさもありましたし。
また、脚本の宮藤(官九郎)さんが「このセリフを吉田羊が演じるさかえに言わせたら面白いんじゃないか」と思って振ってくださるセリフがとてもうれしかったですね。

あとミュージカルシーンはすごく楽しかったですね。事前に音源をいただいて練習をして、声を吹き込んで。1日だけリハーサルをして、あとは本番だったんですけど、もうみんな汗だくになって練習してましたね。」

 

ドラマ「真田丸」出演 堺雅人さんの大ファンだった

2016年には大河ドラマ「真田丸」に出演。
大泉洋演じる真田信幸の妻稲役を演じました。
実は主演の堺雅人には特別な思いを抱いていました。

 

林「堺雅人さんのファンだったんですか?」

吉田
「そうです。昔堺さんがお出になっていた(大河ドラマ)「篤姫」で演じられた家定公の役がとても好きで、当時堺さん演じる家定公の写真を携帯の待ち受けにして
(思いが)熱かったですね。もうそれぐらいハマっちゃいましたね。」

 

大泉洋さんとも多数共演

 

林「大泉洋さんとは夫婦役を演じられて。共演が結構多くて、しかも夫婦役って結構されてますよね?」

吉田「元夫婦役と、元カレ元カノ。だから大泉さんとは結ばれない役が多いんです。」

林「でも羊(よう)ちゃんと洋(よう)ちゃんなんですね?」

吉田
「そうなんです。なので、現場でどっちがどっち?っていう。

(スタッフが)「ようさんもう少し右に」って言って、私と洋さんが2人ではーいって言って(右に行く)。
(スタッフが)「ようさん違います」。「はい」「あ~違います違います」。あ~もう!みたいな。

なので、私と一緒の時は、大泉さんはようさんではなく、大泉さんと呼ばれることが多かったです。」

林「やっぱり盟友でもありライバルであるようなご関係なんですかね?」

吉田
「そうですね。年齢非公表ではありますけれども、限りなく同年代で、なおかつ地方から出てきて、そして自分の劇団というホームを持っている。という意味では、どこか同志のような…ま、勝手ながらそういう感覚を持っていて。

私自身は6人目のTEAM NACKSだと思ってるんですけども。」

 

2023年盟友大泉洋さんと日曜劇場「ラストマン」でも共演。
福山雅治さんら豪華キャスト人との現場は仕事をしているのかわからなくなるほど楽しかったらしく…。
なかでも撮影現場を盛り上げたのは、福山雅治さんと大泉洋さんのものまねバトル

吉田
福山さんが2人いましたね。福山さんの真似を大泉さんがずーっとしてました。あ、3人いたかな?
福山さんと福山さんの真似をする大泉洋さんと福山さんの真似をする福山雅治さんがいました。楽しかったです。みんなでモノマネ合戦で。

その時共演していたキンプリの永瀬廉くんのモノマネを福山さんがにわかにやり始めて。それがまた似てたんですよ。ちょっと息多めに吐いて喋ると廉くんに近づくんですよ。」

 

共演者の証言(今田美桜・若月佑美・松岡茉優)

今田美桜さんの証言

日曜劇場で共演した今田美桜さん。
日曜劇場「ラストマン」で初共演。今田さん
が撮影前吉田羊に抱いていた印象は…クールな大人な女性。
しかし共演してそのイメージは一変したそうです。

今田
「大泉さんが差し入れしてくださったドーナツがあって。
味がたくさんあったので、選びきれなくて。
一個だと他の味も食べたいとおっしゃってて、4人でそれぞれ気になる味をこう言っていって、それを包丁で4等分して食べようっていう提案をされてて、すごい1口が超ちっちゃくなっちゃって。
それを仲良く食べてかわいいなって思いました」

ラストマンの出演者4人(吉田、今田、大泉、福山)がそろった食事会での思わずきゅんとしたエピソードが…

今田
「ようさんのカラオケ。中島美幸さんを歌っていて、すごいかっこよかったんですよ。ラストマンの福山さんとか大泉さんとか皆さんいらっしゃって。ほんとにラストマンのライブに来たみたいな感じだったんですけど。忘れないですね。

でも、実際お会いすると、クールというよりは割とお茶目な瞬間の方がきっと多くて。テレビ局でばったりお会いした時に、「これ福岡の地元の柿あげる」って言ってくれて。あと、ナッツとか美味しいポテトチップスとか。
すごいいっぱいお土産をくださって。カバンにそんなにいっぱい(お土産が)入ってるのが不思議ではありますけど」

林「いろんな方にお土産を配るのが最近のトレンドなんですか?

吉田
「みんなには配らないですよ。あの今田美桜ちゃんが大好きなんです、私。
かわいらしいし、素直だし。構いたくなっちゃうんですよね。
その構ってきた私に対して、無下にしないでいてくださるんです。何でもあげたくなっちゃう。だから「車が欲しい」って言われたらあげたい。」

 

若月佑美さんの証言

吉田羊と舞台で共演しプライベートでも仲良しの女優若月佑美さんもかっこよすぎるプレゼントをもらっていました。

若月
「誕生日の時になったら連絡をいただいて、「ご飯行こうよ~」って言ってくださって。行って、帰りに「ああ、そうだ、若~。」って言って、もう抱えきれないくらいでっかい花束を(くれた)。
「もうなんか色々迷ったんだけど、私お花好きだから」って言って帰りにそれだけ渡して「じゃあね」って言って。もうかっこよすぎて」

 

松岡茉優さんの証言

女優松岡茉優さん。
最高の教師、コウノドリなど数多くの作品で共演し、プライベートでは互いの家に行き合うほどの仲良しだそうです。

「吉田羊さんのカッコいいと思う所は?」

松岡(コメント)
「発言や対応に困ったときは、いつも羊さんならどうするかなと考えます。いかなる状況でも羊さんが慌てている姿を見たことがありません。誰かに対して怒りがあふれる姿も見たことがありません。私にもちょっと愚痴とか言ってくれたら嬉しいなと思います。頼れる存在になれるよう励みます」

吉田
「愚痴こぼしまくりです。たぶんマネージャーさん向こうで笑ってると思います。愚痴こぼしまくりです。限られた場所で。」

林「あの身内の方だけで?」

吉田「そうです。外には出しません。」

林「外面は良く?」

吉田 (笑顔で)「そうです」

 

まとめ

今回の内容をざっくりまとめると…

吉田羊さんは

・ご両親はとても愛のある人
・幼少期は内弁慶で地味な子供だった
・子供の頃家族の前で歌を歌っていた
・中1までおままごとをしていた
・女子高校時代はカッコいい憧れられる存在(ちょっとしたファンクラブもあり)
・おとなしい自分が唯一褒められたのがお芝居
・両親は演劇の道に行くことを反対しなかった
・三行広告を見て応募し初舞台
・HEROがきっかけで世に知られるように
・お仕事が大好き!いい役があれば無理してでもやりたい

とのことでした。

愛のあるご両親のもとで育ち、現在自分も周りの方に愛を届けられる人になっている感じがします。

とても素敵な吉田羊さん。
今後のご活躍もとても楽しみです。

 

 

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