【徹子の部屋】フリーアナウンサー 久保純子さん 50代の挑戦!幼稚園の先生に(2024年6月放送)

ニューヨークの街 その他ジャンル

元NHKアナウンサー、現在フリーアナウンサー、紅白の司会を3回

ご両親も日本テレビの元アナウンサー。
父親はチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式の中継をロンドンからされた方
(放送日現在:母淑子さん85歳、父晴生さん87歳)

 

久保
「父は今国王になられましたけれども、チャールズ皇太子のご成婚の時にロンドンに転勤して、その時に私たちも一緒に帯同して、イギリスに住んでました(久保さん当時11歳)」

徹子「あなたは13年前ご主人の転勤でアメリカに移住なさって」

久保「今はニューヨークに住んでおりまして、ニューヨークで8年…8年目に入りました」

 

久保純子さんプロフィール

1972年1月24日生まれ(放送日現在 52歳)
慶応義塾大学文学部英米文学専攻卒業
元NHKアナウンサー

父の転勤のより小4から中1までイギリスロンドンで過ごす。
帰国後、三鷹市立第三中学校を経て、東京都調布北高等学校に入学。
高1の夏からアメリカ・ウィスコンシン州に留学。
続いて留学したパイオニア・セントラル高校を卒業。
帰国後、上智大学比較文化学部比較文化学科に半年間通った後、慶應義塾大学文学部に入学・卒業。

2000年 結婚
2002年 長女出産 2008年 次女出産
2011年 夏から夫の米国転勤に同伴し、アメリカへ
2022年 ニューヨークで幼稚園の教諭として勤務開始

(以上 Wikipediaより)

 

ニューヨークで幼稚園の先生に

徹子「あなたはあなたでニューヨークで幼稚園の先生してらっしゃるんですって?」

久保
「そうなんです。もともと言葉を通した世界に広がりを少しでも日本の子供たちに体感してもらいたいなと思いまして。

私自身も教職の英語の免許を取ったりですとか、NHKに入局しましたのも、日本版のセサミストリートのような番組をつくりたいなあと思っていたんです。
で今やっと、新たなスタート地点に立てたと言いますか、子供と教育、そして言葉をもっともっと広げていきたいと思って。
50歳を機に、アメリカニューヨークのモンテッソーリの幼稚園で教え始めました。」

 

性格を変え、新しい価値観と開拓精神を身につけたロンドン時代

ロンドンの街

新しい文化とたくさんの友達

徹子「ロンドンの時の経験が影響してるんですって?」

久保
「そうですね。やはりあの、ロンドン時代に全く英語が話せなかったんですけれども。
その時に英語教師もしておりました母の影響で、色々英語を勉強し、できたことによって、価値観も新しい文化にも考え方にも触れることができたのが、私にとっては本当に財産と言いますか。

もちろん、苦労もたくさんしたんですけれども、友達がたくさんできたことが、もうその後の人生の大きな礎になっているので。
そういった意味では、今私が子供の教育でしたり、子供と携わるお仕事をずっとしていきたいなというライフワーク、夢を持ち続けられているのは、このロンドン生活がスタートになっていると思います。

メアリーだったり、ルーシーだったり、スーザンだったり。
本当にたくさんのお友達ができて。
それまで飲んだことがなかった紅茶を飲んでみたりですとか、スコーンていう食べ物をはじめて食べたり、日本で経験しなかったことをたくさん。イギリスの音楽に触れられたり、インドのカレーも初めて食べましたかね。そういった本当に楽しい思い出がたくさん残っています」

 

現状を打破するためしゃべるように

久保
「あのこうそれまでは…もちろんあんまりこう積極的に自分で喋るというタイプでもなかったんですけれども、やはりイギリスに行きまして、しばらく英語ができなくて、1人ぼっちになってしまって、貝にこもったように寂しかったんですね。

なので、なんとかこれを打破しなくてはいけないと思って、とにかくしゃべるようになりましたし。浴衣を学校に着てって、これ何?って聞いてもらえるようなヒントを携えて行ったり。
匂い消しゴムでしたり、かわいい文房具を、当時はやっていましたので、それを持って行って披露して。
それをきっかけに友達に話しかけてもらったり、話しかけたりていう。こう開拓精神
自分の道は自分で切り開いていくっていうような能力を得られたように思います。」

 

 

幼稚園の先生としての毎日

幼稚園の先生

徹子「朝6時に起きて、娘のお弁当と朝食を作り、7時半に家を出て、それから自転車で通勤?」

久保
「とても運動が苦手なので、唯一の私にとっての運動がこの自転車でして。ニューヨークの街のあちらこちらにレンタルサイクルがあるんですね。レンタサイクルがありますので、それを使って勤務地まで30分かけて行って。でそこでもうまた自転車をおろして、学校で勤務して。それで帰りは、歩いて帰ってくるようにしてるんです。それが1時間~1時間半かかるんですが、その毎日のこの徒歩、ほとんど競歩のような感じなんですけれども、2万歩くらい歩いて運動不足を解消しています。

もう街並みもニューヨークですので、こことあそこでは全然雰囲気が違ったり。相変わらず8年たちましたけれども、街のエネルギーと言いますか、輝きに魅せられています」

徹子「子供たちはあなたを何て呼んでらっしゃるの?」

久保「子供たちはですね「ミスじゅんこ」と呼んでいます。ミセスでもなく、ミスなのは、20代から50代の先生がいらっしゃいますので、その先生たちみーんな同じように呼ぼうねという事もありますし、アメリカなのでやはり結婚している、していないですとか、そういうことも気にしない。気にさせてはいけないという事で、統一してミスにしています。

50を過ぎましたけれども、本当に子供たちと体力勝負ではあるんですけれども、「ミスじゅんこ」って言われると「はい!」ってこうシャキッとするといいますか。私も20代と一緒に頑張りますという気持ちになります。」

育児にお父さん参加率が高く、多様性が当たり前のアメリカ

多様性

徹子「日米で親御さんの違いはありますか?」

久保「そうですね。やはりあの、日本も最近だいぶ変わってきたと思うんですけれども、お父さんの参加率はとっても高いです。

ですので、送迎は必ずお父さんという方もいらっしゃいますし。お弁当はお父さんが作る、髪を結うのもお父さん。お父さんの出番が多いですね。

あとは、お父さんお父さん。お母さんとお父さんではなくて、家族がお父さんお父さんでしたり、お母さんお母さっていうご家族もいらっしゃいますので、そういう多様性は本当に日本とはまた少し違う点かもしれないです。

「うちにはお父さんが2人いるんです。ラッキー」っていうような。みんな本当にすべてを子供たち自身が人種もそうですし、宗教もそうですし、髪の色も肌の色も感覚も食べる物も違うけれども、それをみんながこう当たり前といいますか、平和に共有しています。

まあ、いろんな宗教的なこともありますし、やはり私たちも日々世界で起きていることには敏感に反応し。ニュースもそうですけれども、戦争がここで起きたって言ったらこの子たちがもしかしたら親御さんがそこに親戚がいるかもしれないって必ず気にかけるようにはしています」

 

徹子「自分の子育てを振り返っていかがですか?

久保「私自身子育てをしていました時…今もしていますけれども、子供が2歳・3歳の時は何でも、こう靴の紐を結んであげるって言う事もそうですし、パジャマも着せてあげる。何でもやってあげてたことを記憶しているんですが、子供たちは本来は、自分が持っている力が私たち以上に素晴らしいものを持っているので、なるべく大人はじっと見守って、子供たちができるのを待ってあげる時間が大切なんだなということを今実感しています。

なので、今2歳のような子供たちが、子供用の包丁を遣ったりですとか、靴を磨いたり、窓を拭いたり、いろんなことをするんですけれども、それもできなくてもただただ先生である私は見守って、危険がないようにジーっと見て、出来たときのこの顔の輝き、目のキラキラする瞬間に立ち会えてることが、はー、私の子育ての時はちょっと違ったなと反省しています」

 

幼稚園の先生になることを喜んでくれた両親

家族

徹子「でも幼稚園の先生に慣れたときに、ご両親の言葉が嬉しかったって」

久保「そうですね。あの、両親は「へー50代になって新しいこと始めるの?」ではなくて、「え、やっとはじめられたの!?よかったね。これからもっともっと楽しい世界が広がっていくね」と喜んでくれました。

それも母の影響が大きいと思うんですが、母はバイタリティーあふれる女性で、還暦を過ぎてから水泳のバタフライができるようになったり、スキーの免許を取ったり。あとはダイビングを始めたり、太極拳をしたり。とにかくパワフルなんです。

で、「いくつになってもチャレンジしているといいわよ、じゅんこ」と常にその背中をみて育ってきてますので、私も「あー、そうか。50歳で今こういう新しい幼稚園を始めるっていうことは何でもないんだな」とこう反対に今が一番やる気にあふれているかもしれません。母の影響が大きいですね」

 

母の好きな言葉「継続は力なり」

徹子「お母様の口癖って言うか、好きな言葉ってあります?」

久保「はい。母は常に「継続は力なり」。
必ず必ずやり続けていれば、道が開けていくし、待っていてくれる人もいる
とにかく感謝をしながら、毎日毎日頑張って生きなさいということを常に言っていました」

 

 

しっかり者に成長した2人の娘

姉妹

徹子「結婚25年目になって、それでお子さんが長女は22歳、次女が15歳?」

久保
「そうなんです。2人ともあちらの生活が長くなっているんですが、私はとてもおっちょこちょいで、色んなハプニングを起こしてしまうんです。
例えば携帯を無くしてしまって、どうしようどうしようってあたふたしてますと、この22歳の長女がサッと警察に行って、手続きをして、ママもう大丈夫だよって言ってくれますし。

次女の方はアメリカの教育なのか環境問題でしたり、経済でしたり、政治、ありとあらゆることを勉強しているので、それを私に教えてくれています。

私がありとあらゆる失敗をするんですけれども、長女と次女が色んなことを助けてくれています。
しっかり者に育ってほっとしています]

 

徹子「娘さんたちの成長をどのように感じていらっしゃいますか?」

久保
「そうですね。やはりおっちょこちょいのママには似ずに、しっかりと色んなことを考えられる人に育ってくれているので、それはとっても安心していますし。
それぞれ夢を持っていて、長女の方はファッションのジャーナリズム。記者。書くことが大好きで。次女の方は弁護士になりたいななんて言っているので。
今はですけれども、どうなるかわからないですが、それぞれの夢に向かってかんばってほしいなと思っています」

 

 

ニューヨーク生活について

ニューヨーク

ニューヨークで人気な和食

徹子「ニューヨークは和食ブームで、家ではほぼ和食?ぬか漬けとか」

久保
「和食が今ニューヨークではみんなに愛されていて。
お寿司でもお抹茶でも、もうアメリカ人喜んでいただくんですけども。
私は今ホントに円安なので、外食は控えて、なるべく家ご飯を中心にしてるんですけども。
和食やぬか漬けが大好きなので、子供たちも。
毎日日本と同じようなお味噌汁でしたり、生姜焼きを焼いたりですとか。
今幼稚園で勤務しているので、お弁当には糠漬けを入れて持って行ってます。

やはり、ピザですとかスパゲッティというのも学校で多いんですけれども、娘もお弁当を持って行っていて、ぬか漬けなんかも食べますし、他のお友達なんかもおにぎりを持って行くととても喜ぶんですね。だからたくさん持って行きます。」

 

全てが古いアメリカの建物

徹子「でも、8年間で3回引っ越したんですって?」

久保
「そうなんですよ。あの日本にいる時は全て丁寧にいろんなことが行われるのが当たり前と思って享受してたんですけれども、いざニューヨークに住んでみますと、ロンドンとはまた違いますし、高校時代アメリカでホームステイしてた時とも違って、いろんなハプニングが起こるんですね。

で、3回引っ越しましたのは、まず1回目は、エレベーターが落ちたんです。
乗っている間に。ガタッと。うわ、もうこれは危険。
子供たちもおりますので、それは引っ越しましょうって言ってすぐに引っ越しまして。

今度2件目に行きましたら、うわー素敵な景色ニューヨークの摩天楼が見渡せると思っていましたら外壁の工事で、途端に足場が作られてしまって、家の中が真っ暗になってしまったんです。
それで、2年間は我慢したんでが、さすがに2年たっても足場が取れなかったので引っ越しました。

で3回目の今回は、シャワーの水漏れで、階下に水が漏れてしまいまして、それお願いだから早く直してくださいって、3か月かかりました。やっと直ったんですが、今度は電気がつかなくなったり、暖房が壊れてしまったり、ありとあらゆることが次々と壊れていくんですが。

戦争の前、第2次世界大戦前と後で建物が賃貸マンションが分かれてるように、すべてが古いんですよね。なので、それを、まあしょうがないかな。日本にいたときは丁寧を享受してたけれど、今はこの古さを楽しんじゃおう。不便なところも楽しんじゃおうと思って毎日生活しています。前向きになります。」

 

今後の目標

 

徹子「今後の目標ってありますか?」

久保
「はい。これからはですね、50代で幼稚園の先生をはじめるという一歩を踏み出せましたので、次なるチャレンジは、日本にアメリカから戻って来ましたら、自分の幼稚園を開きたいなと思っています。なので今は修行の身として、毎日色んな先生方の教え方とか歌もそうですし、教材もそうですし、色んなものを吸収して、ゆくゆくは自分でお教室を開きたいと思っています。

アナウンサー時代は失敗して落ち込むことが多かったんですけれども、今は頑張るぞという想いで燃えています。」

 

まとめ

経歴などを見ていると、両親も立派なエリート。
幼少期から様々な経験をし、外国に行き、帰国後も立派な学校を卒業されています。
とても恵まれた環境だったことは間違いないと思います。

でも、同じ環境でも、そのぬるま湯にただつかっている人もいるし、違う環境に行ったときに何もできずにただただ無意味な時を過ごしてしまう人もいると思います。

でも久保さんは与えられた環境を存分に生かし、控えめだった性格から何かをかえようと試行錯誤し、ロンドン生活で大きく成長。

そして、今も50代でこれまでずっと叶えたかった夢に進んで歩み続けています。

私も与えられた環境の中で、試行錯誤し、自分なりに少しずつ生きたい人生に近づいていけたらと思います。

 

タイトルとURLをコピーしました