【人生が変わる1分間の深イイ話】卓球日本代表平野美宇選手の母に密着(2024年6月24日放送)

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【平野美宇選手の母 平野真理子さん55歳 】

パリオリンピック日本女子卓球代表平野美宇選手(24歳)の母。
8年前、16歳の時に大会最年少記録で、卓球女子ワールドカップで日本人として初優勝。
東京オリンピックでは団体銀メダル

平野選手は幼少期から卓球をし、めきめき上達。
第二の愛ちゃん(福原愛)と呼ばれるように。
今では多くのスポンサー契約を結ぶトップアスリートです。

美宇ママは節約命

美宇ママ「今度のパリ五輪、めちゃくちゃお金かかるんですよ」

スタッフ「援助とか出たりしないんですか?出ると思ってたんですけど」

美宇ママ
「出ないっすね。オール自費ですね。出るとしたら、深イイ話しかないっすね(笑)」

なので、美宇ママは超節約家。

スタッフ「(車の中の)このティッシュなんですか?」

美宇ママ
「ガソリンスタンドで、土日に20L入れるともらえるんで、もらえる日に20Lだけ入れるの(笑)

まず納豆行っていい?誰かに買われちゃうかも。
あ、あった!すごい!
この納豆のサービス品100円って(数量限定で200円の納豆が半額の100円)、ホント何回来てもある時ばっかりじゃなくて、ないんですよ。
やったー!なんか、今日勝った!(笑)」

 

スタジオで…

今田「あのちゃん、お兄さん学校の先生なの?」

あの「そうなんです。」

今田「何を教えてるの、お兄ちゃん?

あの「多分数学?」

今田「多分数学?」

あの「あんまりわかんないですね。全然仲良くはないんですけど」(爆笑)

今田(小声で)「家族がテーマだから」

 

パリ五輪の応援会議

この日お家で行われていたのは、パリのガイドブックを見て、観光する場所を話し合い「試合のない日も思いっきりパリ楽しみつくそーぜ会議」。応援に行く家族の旅費など全て自費。
凱旋門、エッフェル塔、ルーブル美術館、ベルサイユ宮殿…

美宇ママ
「私の姉と弟と、そして姉の子供たちも、美宇の応援のためにパリに行こうというメンバーですね。」

(スタジオで…羽鳥慎一アナ「卓球の話全然しないじゃないですか」 今田耕司「美宇は?」)

美宇ママ
「たぶんさ、二度と行かないと思うんだよ。これを逃したら行く機会はないと思ってるから」

実は美宇さん今回のパリ五輪が念願のシングルス初出場。
そのため、家族、一族総出で思いっきり応援したいのですが、パリへの旅費と15日の滞在費だけで1人50万円超え。

 

するとここで、ドーナツ争奪じゃんけん大会。
全員真剣なジャンケン勝負。
年齢も性別も関係ありません。
勝った人から好きなドーナツをとっていきます。

スタッフ「いつもこんな感じなんですか?」

甥「いつもこんな感じです」

弟「ジャンケンに命を懸けてる」

甥「忖度とかない。子供だから最初なんてことはない。」

 

美宇ママの卓球教室は超バリアフリー

節約美宇ママのお仕事は…卓球教室。

美宇ママ自身も中学から大学まで卓球部に所属。
筑波大学卒業後、10年間教壇に立った。
退職後も教える喜びを忘れられず、山梨県にある平野卓球センターを2005年に設立

練習は月~金曜日の週5日。生徒数約70人

実は美宇ママは特別支援学校の先生の経験もある。

 

自然と身に着く多様な人への接し方

この卓球教室には年齢も経験も実力も障害がある人も様々な人が通っています。

例えば…

・ホープスと言われる小学6年生以下の部で優勝し、全国大会に行く女の子

・最年少5歳の子

・79歳からここで卓球を始め、現在85歳の人で、3月に山梨県代表で全国大会に出た人

・パラリンピックを目指している現在世界ランク11位と14位のパラ卓球選手(子供たちを教えてくれる)

 

美宇ママは特別支援学校の先生の経験もあり、この教室を作った時から、子供も高齢者も男女も障害を持っている人も関係ない超バリアフリーな卓球場にしたかったとのこと。

 

美宇ママ
「卓球仲間に障害のある子もいたり、年配の方もいたりすれば、当たり前にその将来就職したときに、障害のある人がいたら、接し方が当たり前に分かる。
普通に子供のころから接してるんだから。
当たり前の感覚を知らず知らずに子供たちに浸透させていくのが私のやり方なの。

だから、あの卓球センターの中で子供たちに向かって「障害のある人に優しくしなさい」なんて言ったことは一度もないし、私は娘にも言ってない。当たり前

 

「やりなさい」とは絶対に言わない

コーチ水野さん「「やったらどう?」とは言うんですけど「やりなさい」とは絶対言わないんですよ」。生徒にもそうだし、娘さんたちにも。(「やりなさい」は)絶対言わないですね」

スタッフ「やりなさいは絶対言わない?」

美宇ママ「いわない。やりたくてやったことには意味があるけど、やりなさいって言われてしかたなくやったら、時間の無駄だと思わない?

勉強でも卓球でもなんでも。
(やらされてやるのは)時間の無駄だよね。」

 

五輪代表落ちした平野美宇さんにかけた言葉「辞めていいよ」

美宇さんら3人の娘たちに対しても絶対に「やりなさい」と強制しなかった。
その教えは今も変わらず。

2016年期待されたリオ五輪は代表落ち。

美宇ママ
「もうなんか部屋からも出れない
ラケットを握るだけで涙が出ちゃう」って言って、なんか練習もできないご飯もロクに食べれないみたいな。もうほぼほぼ引きこもりに近いようなそういう状態みたいだよって美宇からじゃなく、周りの人から聞いて。
ああ、これはもう絶対ダメだと思って。
夫にもね、「このままだったら美宇は死ぬよ」って。
卓球選手として終わるよっていう。」

そんな娘の危機にも掛ける言葉は昔から変わらず。

美宇ママ
「あの、「辞めていいよ」って言った。
「帰っておいで山梨に。山梨で新たな夢を見つけて、第二の人生を一緒に歩めばいいよ」って言って。
「じゃあ、山梨に帰っておいで」って言いました。」

 

その言葉の裏には真理子さんのある想いが…

美宇ママ
「私が一番言いたかったのは、「辞めていいよ」じゃないんですよ。
辞めていいよの言葉の本当の内側は、美宇がどうしたいのかここで本当に辞めたいのか。
本当はやめたくないけど、色んな雑念で卓球に向き合えなくなってるだけなのか。
本当はオリンピックの夢を諦めたくないのか」

 

その変らぬ教えに美宇さんも奮起。そして…
東京オリンピックは団体で代表に選出。さらに、銀メダルを獲得しました。

美宇ママ
「本当に諦めてもう第二の人生を歩んでいいのか。
歩みたいと思っているのか。
その本当の気持ちに向き合ってほしかった

 

発達障害を持った娘 三女亜子さん

3歳の時発達障害と診断

そんな母の教えを受けてきた娘がもう一人。

平野家の三女亜子さん(19歳)。

3歳の時発達障害と診断された。

現在大学2年生。特技は料理。
最近カフェで初めてのアルバイトも始めた。

今ではなんにでも挑戦する亜子さん。
しかし、ここまでたくさんの困難を乗り越えてきました。

亜子さんが生まれたのは美宇さん4歳の時。
成長していくとともにある違和感が

美宇ママ
「何となく目線合わせにくいとか。
ちょっとしたこと、仕草とかがなんか違うんだよ。
(教師時代)障害のあるクラスを見てるじゃない。
あの時の子供たちとやっぱ似たような反応というか。
なんとなくこの子(亜子さん)は赤ちゃんの時から美宇や世和とは違うなと。」

3歳児健診のため病院へ。発達障害と診断されました。
当時の診断の結果は広汎性発達障害
対人関係やコミュニケーションが苦手で、こだわりが強いという特性が見られる。

 

発達障害になったのは母である私のせいではという思い

その事実に真理子さんは…

美宇ママ
「亜子がお腹にいる時に、私がなにかやっちゃったかな?とか。
私のせいでお腹の子に障害ができたんじゃないかっていう風に。
母親のせいなんじゃないか。私の行動じゃないかって。」

診断を受けたその日から週に1度のリハビリを開始。

先生と一緒に積み木をしたり、風船を膨らませたり、とにかく一緒に遊ぶ中で会話を引き出すというもの。懸命にリハビリに励む亜子さん。それを見守る真理子さんには、時がたってもぬぐえないある想いが。

美宇ママ
「もうまさに亜子が生まれて、1歳とか2歳、3歳の一番言語が発達するかもみたいな時期に、ちょうど美宇が7歳の全日本バンビの部で優勝して「私の夢はオリンピックで金メダルです」って言ってた時期です。
やっぱりあの時、わたし美宇にかまけてあんまり話しかけなかったから、日本語がなかなか出てこないのかなとか」

幼稚園入園前まで言葉をほとんど言葉を発することがなかったという亜子さん。

発達障害の子供は大きな音が苦手なことも多く、車のクラクションやトイレの温風乾燥機の音におびえたり、外になかなか出ることができない日々。

幼稚園に入園しても言葉を発することが少なく、友達もできない。その姿を見るたび、美宇の卓球練習に時間を費やしすぎた自分のせい。どうすることもできない後悔で、苦しむ日々が続きました。

6歳で始めた卓球により急成長 日本代表に

そんな亜子さんに転機が訪れたのは6歳の時。

美宇ママ
「玄関にだだだっと亜子が走ってきて。
「ママ 亜子も卓球やる」って。
「卓球やってママと一緒に東京に行く」って言ったの」

お姉ちゃんとママがやっている卓球がやりたい

美宇ママ
「やっぱり、卓球始めてからめちゃめちゃ成長したんですよ。
亜子の障害ってコミュニケーションだから。
挨拶から始まって、あとダブルス組めば一緒にどういう作戦でやる?とか会話がめちゃめちゃ成長して。
とにかく教えられたことを一生懸命、それを崩さないでやる
でもずっとそれをひたすらひたすらやるわけ亜子は。
ぎゅーんってうまくなって。」

地道に何度も繰り返し練習。
毎日連続100本ラリーを始め、一日中ラケットを振り続けました。
卓球をはじめてわずか6年で…ジュニア日本代表として東アジア大会に出場するほどに成長。
卓球のせいで自分を責め続けてしまっていた真理子さん。
しかし、その苦しみから救ってくれたのも卓球でした。

 

私に亜子が必要だった

美宇ママ
「私結構美宇のことで気を張り詰めた生活をしてたので、やっぱり亜子がいることで、すごく癒される部分があったんですよ。

友達に亜子が小さなころ「亜子には真理子さんみたいな立派なお母さんが必要だから、神様が真理子さんのもとに亜子を授けた」みたいに友達はいってくれたけど、逆だなと思って。

亜子に私が必要だったんじゃなくて、私に亜子が必要だったんだなって。」

 

さらに亜子さん。7年前から大好きだった英会話は今でも継続。
亜子さん「これからちょっと留学したいなと思っています」

スタッフ「どこに?」

亜子さん「オーストラリア」

美宇ママ「一緒についてっちゃおうかな(笑)」

亜子さんは英語力を生かし、おととし見事第1志望の大学の英文学科に合格。

部活はもちろん卓球部。友達も出来ました。

 

美宇ママ
私がいなくなった後に、亜子が幸せに生きられるためには、どんな経験をさせて、どんな力を付けてっていう風なことをいつも考えてるわけ。」

母の後押しもあり、できることは何だって挑戦。
また、亜子さんは大の子供好き。
そんな亜子さんも今年20歳。
亜子さんは、卓球に英語に果敢に挑戦し続けています。

 

そして姉美宇さんは来月から始まるパリオリンピック。夢の金メダルを狙います。

スタッフ「何か夢とかってあるんですか?」

美宇ママ
障害のある人もない人もこう誰でも一緒に楽しめるような社会ができるといいなって。その見えない壁を私が取っ払えたらいいなと思って。」

スタッフ「美宇さんが五輪で金メダル獲るのが真理子さんの夢とかじゃないんですか?」

美宇ママ「それは美宇の夢、私はそれを応援する人ではあるけれども、私自身の夢ではないよね。

自分は自分自身の夢を持って、笑顔で生きるべきだと。そういう姿を見せることが、自分の子供の願いをかなえることに繋がると思うので。

子供の夢におんぶにだっこじゃなくて、私自身が夢に向かって、やっぱり努力している姿を、その背中を見せた方がいい。」

 

だからこそ、真理子さんは今も障害者と健常者の壁を取っ払う夢をかなえるべく全国各地で公演を続け、耳の聞こえない方と会話をしたいと手話を勉強しています。

 

まとめ

「やりなさい」とは言わない。
「障害のある人に優しくしなさい」とは言わない。

自分で考えて自分で気づき、自分で道を切り開いていくことを大切にしている。

そして、子供の夢はあくまで子供の夢。
自分はそれを応援する人ではあるけれど、それは自分の夢ではない。

自分の夢は自分で持ち、その夢はすべての人が壁なくコミュニケーションが取れるバリアフリーな世の中。

とても明るく前向きで、どんな人にも温かい平野美宇さんのお母さん真理子さん。
真理子さんの卓球教室に通っている障害のある人、年配の人…どんな人も皆笑顔で卓球をしていました。

きっと、真理子さんならバリアフリーな世の中を作れそうな気がします。

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