【日曜日の初耳学】新しい学校のリーダーズ×林修(2024年8月18日放送分)

メンバー
SUZUKA  2021年11月29日生まれ(22歳) 大阪出身 特徴:真ん中で歌唱、大阪弁、メガネ
MIZYU   1998年12月22日生まれ(25歳) 東京出身 最年長リーダー 特徴:長い髪を2つ結び
RIN    2001年9月11日生まれ(22歳) さいたま出身 特徴:個性的な髪形
KANON   2002年1月18日(22歳) 群馬出身 特徴:長い黒髪

(4人が登場)
4人
「えっさほいさ えっさほいさ。個性や自由ではみ出していく。はみ出していく。新しい学校のリーダーズです。よろしくお願いします」

ダンス経験豊富な4人が2015年に結成。
デビュー9年目の昨年「オトナブルー」で大ブレイクし、NHIK紅白歌合戦にスピード出場。
中毒性のある首振りダンスが大バズリ。
関連動画の総再生回数は桁違いの33億超え。
マネをするアーティストも続出(YOASOBIのikuraさん、広瀬香美さん、Travis Japanなど)。
椎名林檎、寺尾聰、布袋寅泰、今井美樹など大物アーティストたちもドはまり。

昨年の紅白歌合戦に出場し、トップバッターを飾った。

 

林修「(紅白で)今思い出して何か印象に残ってることはおありですか?」

RIN
「もう後ろに立ってくださっていた。
もうオープニングなので、もう出演者様がたくさん並ばれていて。
本当にこの方も首振りダンスをしてくれるのかというものすごい方々ばかりで」

KANON「放送を見たときに、大泉洋さんが一番首動いてましたね」(笑)

林修「ちょっと昭和歌謡のようなテイストで、その昭和っぽさっていうのは意図的になさってるんですか?」

SUZUKA
「「オトナブルー」とかはもう完全に和田アキ子様の「古い日記」をちょっとオマージュさせてもらって。それでレコーディングの時も和田アキ子様の画像を見ながら、ちょっと喉に和田アキ子様をこう降ろして、「ハッ せい わく」っていうあのー歌い方を…」

 

2024年 アメリカのフェスで大トリを務める

20代前半でスターへの階段を一気に駆け上がった彼女たちだが…
ブレイクしたのは、結成9年目
7年前のライブでは、観客はたった3人。
街頭で組体操をしながらティッシュ配りしていた下積み時代があった。

そんな苦労人の彼女たち。実は日本よりも先に海外で火が付いていたグループ
今年(2024年)アメリカで行われた世界最大級の音楽フェスで大トリを飾るなど、世界で大旋風を巻き起こしている。

林修「アメリカで行われた大きなフェスのしかも大トリを務められたんですか?」

SUZUKA「そうです。務めさせてもらいました」

林修「大トリって言われた時、どんな思いになるものなんですか?」

SUZUKA
「いや、もう「やってやんでぇ」って感じでした(笑)
「ええ、かかってこいや」みたいな感じで。もう」

MIZYU「誰もかかってこないですけどね」(笑)

林修
「で、ちょっとこちらにですね。皆さんの今年のスケジュールをご用意したんですけれども。すさまじいですね」

2024年4月~6月のスケジュール
4月14日~21日
アメリカ 最大級のフェス「コーチェラ」出演 29日 千葉 最大級の春フェス
5月12日 アメリカニューヨーク その他6日間 日本で公演
6月 スペイン、ベルギー、フランス、ドイツ、イギリス、オランダ、韓国、マレーシア、タイ、香港、台北、シンガポールで公演

SUZUKA
「(6月は)2日に1ぺん違う国にいるっていうので。
もう寝て起きたときに、どこの国なんか分からないっていう状況でしたね」

林修「(6月は)この間日本には戻られたんですか?1回でも」

SUZUKA
「あ、アジアツアーの間の時に(6月12日と19日の間)4日位ね。帰って」

林「4日のみ?で、26日間はじゃあ海外にいらっしゃったと?」

4人「そうですね」

SUZUKA
「やっぱ「ヨーロッパでもわしら初めて見せるあのパフォーマンスで興奮させることができるんや」ってこうちょっと自信になりましたね」

3人「うん」

林修「なんか声だけ聴いてると、大阪のヤンキーがいきなりヨーロッパに乗り込んだみたいな」

SUZUKA「丁寧に喋ってるつもりなんですけども。すみませんね」(笑)

 

お笑い芸人を目指していたSUZUKA

実はSUZUKAのこの喋り。
幼い頃音楽とは別の夢を追いかけていたことが関係しているという。

林修「SUZUKAさんはお笑い芸人を目指していたこともあると?」

SUZUKA「そうですね。一度ありました」

林修「「え~っそうなんですか」という気にはあんまりならないですね」(笑)

SUZUKA「なってくださいっていうか。ああ、そうですね。はい」

林修「ね?行けそうですもんね?」

SUZUKA
「いや、結構いい所までいったんですよ。(林「でしょうね~」)
そうなんです。こうまずビデオ審査から始まって。
でそれでもう大会の審査まで行って。
現地のお客さんがいて、その目の前で披露するみたいな。
ま、結局なんか色々なんか大人の事情で優勝しなければいけないチームがいたみたいなんですけど。(笑)

その時2人で出てたんですけど、私たち的に「絶対優勝や」みたいな感じで。
こう周りにいた芸人の先輩みたいな方たちが「いやもう、今日はお前ら圧勝やで」みたいな感じで言われて。
でそれで、よしよしよしみたいな感じでいたら、大人の事情で選ばれた優勝者で。

なんか二人で「あ~悔しい」とかって言ってたんですけど。
そんなこともありました」

林修「いやもう、今のトーク聞くだけで、芸人でいけるじゃないですか」(笑)

SUZUKA
「いや、ほんとにちっちゃい頃から吉本新喜劇とドリフをずっと見てて
それでお父さんに寝る前に「これがボケとツッコミやで」とか「もうやっぱお前は志村けんにならなあかんぞ」とか言われて
「そうっすか」とか言いながら。
「なんかうわー楽しい。こんな世界に行きたい」っていう風に思ってたんですよね。
でもなんかこう(今)できてるようなもんなんですよ。私らからしたら。
4人で作品でたくさんふざけたりとかしてるので」

 

ダンスの振り付けは自分たちで行う

4人とも小さい頃からダンスを習う

実はこの中毒性のある振付け。普通のダンスとグループとはは違う独特な方法で作られていた。

林修「その首振りダンスを始め、この振付は皆さんで、ご自身で考えられるんですか?」

SUZUKA
全曲我々が振り付けしております。
もう曲聴いて、もうどんな感じでやるかってミーティングして。
じゃあもうリハで「スタジオでやっちゃおうぜ」って言って。
もう色々動いてみて、それで細かいこと詰めていって完成していくって感じなんですけど」

結成当初から振付師に頼らず、全ての曲の振付を自分たちで考えてきた
メンバーのノートには細かい動きがびっしりと書かれている。
振付の常識からはみ出しても自分たちが面白いと思えばOK
スカートめくりでさえ取り入れる。
彼女たちがそこまで自由にできるのには理由が…

林修「皆さん小さい頃からダンスをなさってたんですか?」

4人「はい。そうです」

RIN
「それぞれみんなキッズダンサーの時代。
私は4歳からダンスやっていまして。みんなそれぞれホント幼い時から。」

林修「4歳が一番早いんですか?」

KANON「私は小学校1年生なので、6歳とかですかね」

MIZYU「私は7歳ですね」

SUZUKA「わし3,4歳くらいですね」

林修「じゃあ、小さい頃から踊るのは好きで?」

SUZUKA「好きでやってましたね」

メンバー全員が幼いころからダンスに明け暮れ、基礎を徹底的にたたき込んできた。

 

下積み時代「4人だから楽しかった」

そう。新しい学校のリーダーズには売れない不遇の下積み時代があった。
一体どうやって乗り越えたのか?
成功の裏には、運命を変えたある行動があった。

 

原宿・渋谷で組体操でティッシュ配り

2015年結成
当時中高生だった4人が出会い、グループを結成
当時、MIZYU 16歳 その他3人 13歳
その2年後2017年にメジャーデビューを果たすのだが…。

林「まあ、メジャーデビューされたと。でそこで順調だったんですか?」

4人「順調ではなかった…」

KANON
「今振り返るとですけど、道ばたで組体操してティッシュ配りしたりとかしてました」

林「え!?道ばたで組体操?」

KANON
「はい。渋谷とか原宿とかで組体操して。
「受け取ってください」ってワンマン(ライブ)の情報が書いてあるのをこうやったり(=配ったり)とかしてたんですけど。
結構3度見位されて、たまにこうこう恐る恐る受け取ってくれる人がいるみたいな状況の時もあったんですけど。
それもすごく楽しかったですね」

林修「はあ~でもそれが楽しいって感じられるメンタリティがあったから今こうやって活躍されてるんでしょうね、たぶん」

4人「楽しかったよね~」

RIN
「どれも全部4人だから楽しかったのかなっていう風に思います。
これで、1人でも「え、配りたくないんだけど」とか「組体操人前でしたくない」ってメンバーがもし1人でもいたら、また変わっていたでしょうし。」

MIZYU「「辛かったです」っていう時が1度もって言っていいくらいない

(うなずくメンバー)

KANON「ずっと楽しんでましたね」

 

バイトは人生経験として楽しかった

林修「でもそういう時って、生活は大変じゃなかったんですか?」

RIN「でも、みんなそれぞれバイトもしていたんですけど」

林「ちなみにどんなバイトされてたんですか?」

RIN「私はスーパーのバイトと古着屋さんのバイトをしてました」

KANON「私居酒屋のホールであの元気にお話ししてました(笑)」

SUZUKA「パン屋で働いてました。はい。パン屋で揉み揉みして働いてました。」

林「作ってた方?」

SUZUKA「はい。作ってた方です。」

林「やっぱり客の前には出せないっていう店主の判断ですかね?」

SUZUKA
「いや、たまにあのー焼き上がりのパンとかを「いらっしゃいませ。焼き上がりました」ってやってたんですけども。まあそれも4回位しかやらせてもらえなかったですね」

MIZYU「私もパン屋で働いてました。でも、別のパン屋で」

KANON「よくSUZUKAとMIZYUが作ったパンを私たち食べてました」

MIZYU「バイトは本当に人生経験として楽しかったです」

KANON「(バイトを)たまにしたくなります、今でも

MIZYU「バイトをしたことない人生じゃなくて良かったなって思います」

(メンバーみんな頷く)

周りから見れば不遇にみえる下積み時代と思われるかもしれないが、その社会経験をも楽しみ、自らの糧としている。
このしっかりとした土台があるからこそ、20代前半でトップアーティストにに登りつめても、彼女たちは地に足を付け、謙虚さを忘れない

 

最初の頃のライブはお客さんが3人(1人身内)

2017年 メジャーデビュー後のライブでは…お客さんはたった3人
しかも真ん中にいるのはRINさんのお父様。
ジャンプをしたり、メガホンで応援。

RIN
「平日のライブとかも多かったんですけど。
仕事終わりに車とばしてライブ観に来てくれて。
グッズのキーホルダーを全ての指につけて」

林修「実質観客2名じゃないですか。1名身内なんですね」

RIN
「1名は保護者っていう場合もありましたし。
でもそれでも、「何か今日にチャンスがあるかもしれない」っていつも思っていたし」

今日がチャンスをつかむ日かもしれない。
だからこそお客さんが3人だとしても、コール&レスポンス。
一切手を抜かず全力でやり切る。

 

RINさんのお父さんがリモートで登場 「絶対売れると思っていた」

その姿を結成当初から見続けている人物
RINさんのお父さんがリモートで登場

林修「お父様スキンヘッドなんですね」

RIN「そうですね。たぶん今日は気合を入れて全部剃ってきた」

林修「さっき映像にもありましたけれども、お父様本当に初期から熱心のお嬢さんたちを応援されてたんですね」

RINの父(とおるさん)「はい。おかげさまで。応援させていただきました」

林修「なんか喋るとだいぶ雰囲気が変わる方ですね」

RIN「意外と緊張して照れ屋」

林修「お父様はRINさんだけじゃなく、他のメンバーのこともよくご存じなんですか?」

RINの父
「そうですね。4人が結成したのがみんなが中学生・高校生だった頃んで。
まあ、思春期の娘のお友達みたいな感じで、私的には親戚のおじさん気分で、あの接させていただいております」

メンバー「緊張してる」

林修「ちょっと固いですね。
当時の彼女たちのライブで、具体的にこういうことしてたなっていう記憶に残っていることはおありですか?」

RINの父
「特に覚えているのが、最初の頃でいうと、縦笛ですか。
4人で、あの不協和音のような下手くそな縦笛を吹きながら登場して。
でそこで、(ラップ調で)私の娘RINがかっこよく登場してイェーイ♪(笑)

それ見たときに、あのちょっと笑いとエンターテイメント。
こいつら分かってんじゃんとそういう気持ちになりましたね。
(ラップ調で)シュールで面白いじゃん♪」

RIN「ちょっとあの…お父さん頑張り方があんまりこう…いつもとちょっと違うかもしれないですね」

林修
「お父様はやっぱりそのなかなかつらい状況もある中で、彼女たちが弱音を吐いてるような現場に立ち会ったこともあるんですか?」

RIN父
「それが、1度もないんですよ。
私が知らないだけなのかもしれないんですけれども。
あのー4人ともずっと前を向いて。
なんかいつも楽しそうだった印象しか残ってないですね」

林修
「でもそういうお父さんが熱心に応援されてたのに、なかなか売れなかったんですよね」

RIN父
「そうですね。「絶対売れる」ってずーっと思ってたんですよ。
いや、あのーやっぱり歌とダンスだけじゃなくって、音楽に融合させつつ笑いもあったので。
これが売れなきゃおかしいだろってずーっと思ってましたね。

林修
「信じてくれる人がいるって大きいですよね。お父さん普段はどういうお仕事されてるんですか?」

RIN父「(笑)一応会社員」

林「会社員?」

娘を信じ、4人を心から応援するお父さん。

 

動画がアメリカレーベル社長の目に留まり…世界デビュー

SNSでアップし続けた動画が世界デビューに繋がる

実は新しい学校のリーダーズはヒット曲に恵まれず、メジャーレーベルに契約を打ち切られていた

RIN
メジャーレーベルとの契約が切れて。
でその後一発目に出した曲(がオトナブルー)だったんですね。
なので、自主制作というか。
ミュージックビデオを撮るということもなかなかかなわなかったので。
自分たちで手作りの映像を撮って、SNSにアップして見たりだとか」

地道に楽曲をSNSにアップし続けた。
その結果ある一つの動画が偶然アメリカのレーベル会社の社長の目に留まり、無名だった彼女たちがいきなり世界デビュー
日本でブレイクする前に、海外でその人気に火が付いた

 

林修「むしろ海外で人気が出て逆輸入のような形で日本でも火が付いたっていう経緯がありますよね」

SUZUKA「あ、そうなんですかね」

KANON
「「オトナブルー」が一番最初にこう知られるきっかけになった映像があるんですけど、それがフィリピンでのライブで、最前にいたお客さんが撮ってた動画。フィリピンだよね?」

SUZUKA「サンディエゴかサンフランシスコ」

KANON「ちょっといろんなとこ行き過ぎてわかんなくなっちゃった」(笑)

 

海外でも日本語でパフォーマンス「歌詞よりもパンションを伝えたい」

林修「海外でフェスなど出られるときも、基本的には日本語でずっとパフォーマンスをなさってますよね?」

SUZUKA
「そうですね。曲中は。曲中はもう全然日本語で。
全然、「オトナブルー」とかもしっかり日本語で歌って、お客さんたちも日本語歌ってくれるんで。
だけどほんと私たちも「歌詞を伝えたい」っていうよりかこうパフォーマンスありきでこうパッションを伝えたいっていうので、楽曲もパフォーマンスもやってるので。
意味感じてくれてもいいし、感じてくれなくてもいいしっていうスタンスで私たちはやってます。はい。」

 

さらにそのパッションを伝える彼女たち独自の表現方法がある

林修「ライブの要所要所で変顔をなさる」

4人「変顔をなさる?変顔?してましたか?」

RIN
「まあ、あくまで変顔ではなく、その曲の雰囲気であったり、その感情を強く表現するためにした顔が、たまたますごく強い顔だったというだけで。
変顔をしているという認識では私たちはない。

林修
「大変失礼なことを…ほんとすみません。大変失礼しました。
本当にスタッフになすりつけますんで。スタッフが「変顔」って言ったんで」

SUZUKA「新曲「Change」の中で入ってるのはもう完全にメンチ切るっていう。ガン飛ばそうっていう」

実際にスタジオでアカペラパフォーマンスを見て…

林「これはスタッフが「変顔」って言ったの納得いきました」(笑)

SUZUKA「変顔でした」

林「すごい迫力で」

 

 

新しい学校のリーダーズファンの有名人たち

ファーストサマーウイカ「イベントで見た彼女たちはずば抜けていた」

(スタジオで…)

2017年の7月8日に私初めて彼女たちを見たんですけど。
同じイベントに出てて。
で、私が握手会とかそういうのをしてるときに、こっちのステージで出てきた瞬間に、「何だあの人たちは」と思って。
他のアーティストさんとかも出るイベントだったんですけど、やっぱずば抜けてはみ出してたんです。
なんかざわついて、お客さんに「ごめんちょっと待って」って言ってこうやって見て。
「一緒に見よう」つって、こうやって一緒に見ながら。
本当にスゴクて、そこからファンになって。

で、自分の自主イベントとかにも。
いわゆるちっちゃいライブハウス。「渋谷La.mama(お笑いライブも行われているライブハウス)」とかなんかああいう所でイベントするときに来て~って言って、もう「姉さん姉さん」って一緒に楽屋でわーってやるような。

なんで、今ここでこうやって皆さんとこうやってVTRを見たときに、なんか涙出そうになりましたよ。
なんかすげぇなあと思って。頑張ってて良かったなと思って。

 

彼女たちはずっとはみ出してたから、アイドルイベントとかああいうフェスみたいなところでも大人気ではなかった
なんならちょっと奇をてらいすぎてて、何だろう?みたいな(感じで一歩引かれていた)。
こうやって評価された時に、「そうだよな」みたいな。
なんか自分たちも認められたような、きっとファンも嬉しいし。
間違ってなかった。だって本当にすごかったもん」って。
でもきっと誰より本人たちが思ってる。
だって私らが面白いと思ったから作ったんだよ。それを見てほしいんだよ。だろ」っていうあのSUZUKAのマインドっていうのは本当に変わってないです。
ステージでもそうだし。ステージをおりた裏でも、本当にあのまま。

やっぱ自分の信念、やりたいこと、そして正しいと思う事はやっぱ諦めない
絶対に見てくれてる人がいるから。
常にやっぱ彼女たちからパワーをもらうし、なんかもっともっと頑張って行こうな。
行こうな。行こうぜ YO YO。

 

狂言師 野村萬斎さん

新しい学校のリーダーズの熱狂的なファン
彼女たちにドハマりした理由が…

野村萬斎
「まあ、SNSをこうスクロールしながら、こうしていくうちに、だんだん「オトナブルー」が耳にこうついてきて。なんかこの耳に残るしね。
だいたいこのグループは何なんだろうとすごいこう。
しかも何だろうな。歌も上手だけど、ダンスもちょっとユニークだったり。
今までの志向とちょっと違うなと。
何かなと思いながらさらに少しずつ深く掘っていくうちにですね。
まあその僕元々ロック少年だったもんですから、もう縦ノリ系のね。
オトナブルーから始まって、青春を切り裂く波動を見てまさに飛んだんで」

その魅了された理由が独特のダンスパフォーマンス。

野村萬斎
「全身全霊でまずは演じているし。
でもありきたりのダンスパフォーマンスではなく、ちょっと和が入っていたりとか。
あのー面白いなって思えるものをこううまく組み合わせるのもいいですよね。

それから、そうそう。僕はね去年の秋ぐらいにオペラの演出してたんですけど、その中で「オトナブルー」(の首振りダンス)入れちゃったりとかね。
ちょっとそれくらいハマってたんですね。
ああいうの見るとすぐマネしたくなるのね。僕そんなうまくないんだけど。

僕は箱(グループ)推ししているんですよ。

彼女たちのやっぱり日本の文化を世界に発信するそこの何ていうの。
その感性が素晴らしいですよね。
まさしくジャパニーズアイデンティティーというかね。

そこは私も非常に目指すところですので。
何かねそういう意味でもっと行ってくれっていうか。
彼女たちの可能性に賭けたいなっていうところがありますよね」

 

Ado

彼女たちの最古参のファン。
Adoが新しい学校のリーダーズのファンになったきっかけが…

Ado
「私が高校2年生くらいの時に、あのTikTokを眺めていましたら、リーダーズさんがリハーサルの様子を投稿しておりまして。
それが流れてきたんですね、TikTokの中で。

で、「なんだこの人たちは?」と思って衝撃を受けて
で、そこから色んな投稿を見るようになって。
ああダンスが上手なんだとか、歌が独特でかっこいいなとか。
で、どんどんはまっていって。
で、(シンガーソングライター)崎山蒼志さんとタイマンをするというのを当時拝見しまして。

うわ、こんな神と神のコラボが実現するなんて。
そんなのはいかなくてはならないって思って。
すぐにチケットを買って、高円寺のライブハウスに駆け込んだ覚えがありました」

全く売れなかった新しい学校のリーダーズとそれを追いかけ続けてきた高校生のAdoが、いまや世界中を虜にする日本を代表するアーティストに成長した。

 

常に全力投球!「日本の文化を世界に伝えたい」という想い

そんな全力のライブパフォーマンスを間近で目撃し、衝撃を受けたという人物が…YOASOBIの2人。
それはアメリカロサンゼルスのフェスで共演した際、前日のリハーサル終わりの4人を見たときのこと。
YOASOBI「疲れ果てた4人が椅子にぐったり寝ているのを見て、「あの戦う日本人は凄い」と思った。

たとえリハーサルでも彼女たちは常に全力投球。
その全身全霊のパフォーマンスは、時に和太鼓を用いたり、どてらを着たりと、「日本の文化を大切にしたい」という信念がある。

林修「こう日本の文化を世界に伝えたいっていう想いをお持ちなんですよね?」

MIZYU
「そうですね。日本の文化を直接っていうよりかは、日本の文化を私たちと掛け算することで、すごく私たちも輝けるし。
日本文化に対する4人もリスペクトがあるので、混ぜることが好きっていうのが大きいんですかね」

SUZUKA「やっぱ日本人がリアルに感じるこう日本とこう世界の方から見たこう日本の見え方ってやっぱちょっと違うんですね」

RIN「映画とかに出てくる日本のイメージ」

SUZUKA
「そうそうそう。やっぱネオ東京だったりとかなんかそういう見え方違うんだなっていう風にも感じて。
あ、でもそれはなんか凄く嬉しいと思って。
それをより私たちからも発信したいなあという風に思って、作品に入れてるって感じなんですね。」

そんな彼女たちは今年(2024年)の9月にも日本文化を伝えるため北米13都市をめぐる世界ツアーへ(World Tour Part Ⅱ) 。

更にその後、国内7か所全13公演日本凱旋ツアーも予定している(NIPPON Calling Tour 2024)

 

困難を乗り越えてきた原動力はメンバー4人

若くしていくつもの困難を乗り越えてきた新しい学校のリーダーズ。
しかし、一度も辛いと感じなかったという。その原動力とは…

林「一番の原動力は何だったと思います?」

4人「メンバーです」

MIZYU
1人じゃないことと3人のマインドが、私を救うし。
こうなんか4人で新しい学校のリーダーズっていう1つの脳みそと体を育ててるみたいな感覚で生きてます」

KANON
「今までを大きく振り返ったら、ずっとポジティブなんですけど。
もちろんみんなそれぞれこう落ち込んだりとか、何て言うんだろう…上手くいかないなみたいな時もあるんですけど。
だいたいその時は他のメンバーが大丈夫だって引っ張り上げてくれるので。
そういうのをこうみんなでずっとやり続けて、絆はどんどん深まってるっていう感じです」

林修
「いや、もうね。こうやって仲の良い4人を見てると、どこが一番ヒビ入りそうかな?と思って、そっから攻めてく癖があるんですけど、見つかんないんですよ」

SUZUKA「いや、見つかんないと思いますよ」

MIZYU「無理だと思いますよ」

SUZUKA「私たちも見つけれないんで」

MIZYU
「そうだよね。こんな仲いい女子4人はいないみたいな感じで、番組のインタビューとかでもあらさがしをされてミーティングが終わらなかったりとか」

SUZUKA
「本当にそういう事がないんです。ウソをつけば納得がいって、このミーティングは終わるんですか?(笑)」

傍からみたら辛いことでも、この4人でなら楽しいに変換できる。
4人の絆が彼女たちを高め合っているのだ。

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