【日曜日の初耳学】EXILE HIRO×林修【後編】EXILE躍進のターニングポイント(2024年7月28日放送)

23年前(2001年)に結成したEXILE。
当初世間のイメージは、いかつい見た目のヤンチャなお兄ちゃんたち。
そんな彼らが世間に受け入れられるようになったきっかけは?

 

世間に受け入れられたきっかけ「情熱大陸」「めちゃイケ!」

林「EXILEが世間に受け入れられたなと思われた瞬間ってありますか?」

HIRO
「そうですね。ま、1回ではなくて。
大体僕らが受け入れられるときって、ドキュメンタリーだったりとか。
まあ、自分たちのありのままの姿を見せたときに、スゴクこう影響があって。

もちろん一番初めには『情熱大陸』ですごくあ、こんなグループいるんだっていうので発見されて。それでまた勢いづいて。
その後には『めちゃイケ』さんであの『オカザイル』(2007年放送視聴率18%)っていう。
それで一気に国民的に広がったみたいなのもあったので。
自分たちのままのものが世の中に伝わった時に、こう1つ上のステージに行けてるっていうのが。
振り返ってみると、そういう歴史だなと思います」

林修
「ちょっと意外でしたね。そういう所がポイントになる。全く想像つかなかったんで。
特に情熱大陸について熱く語っていただけると、MBS制作で非常に映像が使いやすいんですよ」

HIRO
「でも、それは運命を変えてくれた番組でもありますし。
すごくその時の等身大の僕らの想いとか、僕らの熱い部分を包み隠さず放送してもらったので。
でも結構アホな俺たちが…。
ちょっとアホすぎるのは一瞬にしていただきたいなっていうのがね」

林修「今観たくなりましたもんね」

HIRO「こっそり観てください」(笑)

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EXILEの転機となった2003年放送の情熱大陸。
当時メンバーたちは着飾ることなく、奔放な素顔をテレビで見せていた。

MATSU(当時26歳)
「CDシングルで100万枚いっちゃったら、僕センター街をまわし1つで走らなきゃいけないって公約をしちゃって。ミラクル起きないかなあ」

ZOOの解散から8年。
今とはかなりイメージが違ったHIRO(当時34歳)。まだまだとがっていた。

HIRO(当時34歳)
「(ZOO時代)それが普通だと思ってたんですよね。
テレビ出れたりとか雑誌の取材も普通になんかやってもらったりだとか。
やっぱ昔の自分は手の上で転がされてるダセェガキだなあと思っちゃうし。
いろんな人に迷惑かけたなとかも思うし。
それで粋がって六本木で遊びまくって。
自分がすっごい恥ずかしくて。
まだ男じゃねえやみたいな」

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HIRO
「本当考えられないですよね。
だから今も僕、自分全然立派じゃないですけど。
当時の自分が今を想像したかって、1ミリも想像できてなかったので。
だからそこが、人生何があるか分からないなっていうのは本当に思います」

 

ここからEXILEの名は一躍全国区に。
そして現在、誰よりもコンプライアンスに厳しい大企業の社長へと成長していた。

 

(スタジオで…)

その姿を35年間見続けてきたRICACOさんには忘れられない思い出が…

RICACO
「ちょうどEXILEがデビューして2,3年の頃に、HIROから連絡くれて。
「あの、RICACOさんどうしてますか?僕たち結構EXILE頑張って売れるようになったので、僕らの事務所に来てください」って言ってくれたんですよ。そう。「あの、RICACOさん、なんかこれから先の夢ってありますか?」って聞いてくれて。
私その頃オーガニックアドバイザーの資格とかアロマの資格をとって、「そういったブランド作りたいと思っててずっといろんなこと考えてるんだよね」って言ったら、「じゃあ、それLDHでやりましょう」って言ってくれて。
ほんとにそれを現実感した男なんですよ。」

「出来るか出来ないか」ではなく「やるかやらないか」。
強い決意で一歩を踏み出してきたからこそ、今のHIROがある。

そして結成から8年。2009年EXILEは大役を任されることになる。
天皇陛下御即位20年をお祝いする国民祭典で、パフォーマンスを披露。
名実ともに国民的アーティストとなった。

 

HIROさんとのエピソード

会食に呼ぶときのLINEが「助けて」

社長HIROに物申したいことが…

〇岩田剛典さん(35)
HIROとは大学4年生から14年来の付き合い。20歳差

「HIROさん会食がね、今仕事でもあるじゃないですか。
いろんなクライアントさんだったりとか。
その中で、HIROさんが所属メンバーをその会に呼びたくなる時があるんですよ。

グループラインへの第一報のLINEがすごい怖くて
助けて」ってくるんですよ。
でも最初は何かもう本当に「HIROさん大丈夫ですか?どうされましたか?」とか入れて。
(HIRO「かなり昔の話ですよ」)

でもだんだん年次が上がってくると、「あ、どちらにいらっしゃいますか?」となってくるわけですよ。
(HIRO「かなり昔の話ですよ」)」

クライアントとの会合に意味深なLINEで後輩たちを誘いだそうとする。
実はこれ、初期メンバーAKIRAの時代から続くHIROの伝統芸。

〇AKIRA
「やっぱ色んな方々とお食事されてる時に、やっぱHIROさんも1人で戦ってるんで、仲間をヘルプを呼んで。
そういう場所に呼んでいただけるのは嬉しいんですけども。
助けて」ってひと言入ってたりですとか。
ひと言「代官山」とか、「恵比寿」とか、「中目黒」だけメールが入ってくるんですよ。だから中目黒のどこだろうっていうのを探すんですよ。
だから、今までの記憶をものすごくたどって、片っ端から店行くんですよ。」

 

林「ご覧になっていかがですか?」

HIRO
「大前提、昔の話過ぎるのと。
「助けて」っていうのもゲームだったり。
あのだいたい仕事がある子はもう大前提来なくていいよっていうのを前フリしてることとか。
シャレを利かせて助けてって入れてたんで。
伝わっています?」

林「伝わってますよ。ちょっとコンプライアンス気にしすぎですよ」(笑)

HIRO「守りに入ってるんで。ちょっとはい。」

 

〇ここでさらに18年の付き合いになるNAOTOさんがリモートで新証言。

林修
「他の方もおっしゃってましたけど、HIROさんからの会食の誘いはそれはやっぱり「助けて」のLINEだったんですか?」

NAOTO「こればっかりは事実ですね。はい。」

林修「これはもう3人目の証言ですから」

HIRO「はいこれはもう、ゲームとしてっていう…。」

NAOTO
「まあ、僕らも分かっているので。
ただ僕が心配しているのは、本当にHIROさんが助けてほしい時に「助けて」って言っても僕らがもう真に受けないような体になってしまっているって言う事ですかね」

HIRO「オオカミ少年になってるね、これ」

 

ボーカルに対する気の使い方が特別

現在三代目のリーダーであるNAOTOだが、就任当初HIROからパフォーマーとしてあるべき姿を学んだという

NAOTO
「あのー、三代目がデビュー当時に、僕とNAOKIがEXILEと兼任しながらリーダーやらしてもらっていて。
ボーカルだったりはオーディションして入ってきて。
一応年上だったので、リハーサルの時とかに、彼らのTシャツとか腕とか引っ張りながら、「こっちこっちこっち」みたいな教えてたのが、HIROさんがそのリハを見て、「俺はデビューからボーカルをこう引っ張ったことなんて一度もないのに」っていう。
こうボーカルへの気の使い方っていうのが、HIROさんは特別にされてるなっていうのが」

HIRO
「やっぱりボーカルは、ボーカリストでスペシャリストじゃないですか。
で、自分はボーカリストじゃないので、パフォーマーっていう逆にプライドがあるんで。
全部ボーカルがやりやすい環境を整える
ボーカルにいいテンションでいてもらってっていう感じをこう整えるのがやっぱり自分の仕事っていう風に思ってて。
そういう意味での線引きっていうのは、リスペクトはボーカル側にあります。」

 

コロナで大打撃!被害額300億円!?

HIROのポリシーの元、ダンスと言えばLDHと言われるまでに成長。
LDHの活動の中で、HIROが最も力を入れているのがライブ。
2022年からLDHのアーティストが2年連続ライブ動員力日本一となっている。
しかしその輝かしい実績の裏には、死をも覚悟した人生最大のピンチが。

林修
2023年に一度退いていらっしゃった社長に復帰されましたよね?これは何か理由がおありだったんですか?」

HIRO
「そうですね。やっぱコロナがおっきかったですかね。
やっぱそこで本当にこう2020年がLDHパーフェクトYEARと題しまして、6年に1度のLDHのお祭りの年だったと。
それで、ずっと何年もかけて用意してたのが、コロナで全部。ほぼほぼ公演中止になってしまったっていうことがあったので。
だいたい初めの方は1年とか2年位たてば元通りになると思っていたのが、全然長引いたじゃないですか。
その時にもうその有識者会議みたいなのを開いて、今後の対策どうしようかってやってた時に「これ(ライブ再開まで)3年かかります。」って言われた時に、真っ青になってしまったんですけど」

林修
「これ番組の方で調べたことなんですけど、(2020年)334公演が中止になって、被害額は300億円を超えたのではないかということで。
いや、乗り越えるにしても相当大きな損害だったと思うんですが」

HIRO「そうですね。あれがさらに長引いてると、今でもゾッとするなっていう感じはあるんですけど」

再開のめどが立たないまま、LDHは窮地に追い込まれて行った。
当時HIROは死をも意識したと当時を語っている。

HIRO
「その2年、3年乗り越えた中で、やっぱりこう自分がLDHを世の中に発信すべきですし。
そこで、コロナ禍で止まってしまったプロジェクトだったり、撤退した事業もたくさんあったので。
一致団結して強い組織にってことで、自分が代表取締役社長に戻って活動していこうっていう。

まあ、覚悟の表れですね。自分たちなりの。
あの頃がなければ、今のLDHの再スタートできてないと思うので。はい。
全てが学びだなって思って、前向いて1つ1つやり直してます。」

 

HIROから見るK-POP「なるべくしてなってる」

いま日本のエンタメ界に立ちはだかるのが、世界の音楽シーンを席巻しているK-POP

昨年(2023年)世界で最も売れたアルバムベスト20のうち、K-POPが19作品もランクイン。
そんなK-POPブームをHIROはどう考えているのか?

林修
「K-POPが世界を席巻しているという状況についてはどういう風に見ていらっしゃったんですか?」

HIRO
「そうですね。もうなるべくしてなってるといいますか。
もともと10年前くらいからは確実にこういう世界になるだろうなっていうのは、感じてましたよね。
BTSみたいな世界的なスターが現れたので、そこでもうK-POPっていうものがさらに今まで以上にステージが上がって。
すごい戦略だなっていう風には思う所はいっぱいあります。

20年以上前にSMエンターテイメントに行ったときにも、もう皆さん英語、中国語、日本語を徹底的にスタッフも含めて学んでたっていうのと育成に力入れててっていうのを肌で感じていてたので。
嬉しい部分と学びの部分と。
自分たちは自分たちでさらに頑張るぞというそういう想いは強いですけどね」

林修
「で、一方で今の日本のエンタメはこういう所が問題だっていう風にお考えの所はありますか?」

HIRO
「いや。自分がなんかそんな偉そうなことは言えないんですけど。
問題というよりは(日本のエンタメ業界は)歴史がすごくある程度長くて、しっかりとこう仕組みが出来上がってるじゃないですか。
やっぱり改革みたいなことが起こるかというと、なかなか韓国のように、一致団結して進む(一致団結して「世界でコンテンツを売りたい」という方向に進む)というよりも、もっと細分化されて各事務所さん、各企業さんの色が強いので(企業Aは日本で売りたい、企業Bは世界で売りたい、企業Cは役者で売りたいなど)。そこが問題じゃなくて逆に強みでもあると思うんですけど。
そこの歴史が長い分、逆に(日本は)ガラパゴスってよく言われるんですけど、自分はそれは良い意味に捉えてましたね。
逆にそれがオリジナリティー

ものすごい日本は宝の山だとも思っているので。
ゲームアニメ漫画もそうですし。
だからそういう所を、ガラパゴスの強みを横串さして、音楽と僕らのエンターテインメントというものとくっつけて世界に発信していきたいなというのが自分たちの想いなので。」

日本の強みである文化と音楽を掛け合わせて世界に発信していくことが勝ち筋

例えばアニメ「推しの子」の主題歌となったYOASOBIの「アイドル」やCreepy NutsのBling-Bang-Bang-Bornは日本の文化アニメ主題歌になったことで、世界中に拡散され、アメリカのビルボードやYouTubeのグローバル楽曲ランキングで1位を獲得している。

LDHもアメリカやヨーロッパでの活動を再開。
そんな世界進出の中で、社長HIROが活路を見出した国がある。

林修「現在はグローバルマーケットを目標にされていると伺ったんですけれども」

HIRO
「組織的には、今タイに。あのタイのGMMっていうエンタメコングロマリット企業でNo.1の会社があるんですけど、そこで合弁会社作らせていただいて、広げていって、そこからLDHの底力を発揮したいなという夢は持ってます。

林修「色々な国がある中で、なぜタイを選ばれたんですか?」

HIRO
「やっぱりこう東南アジアのZ世代がもうこれから先伸びていく。で、今どんどん各国の勢いが伸びてきているっていうのはすごく国的にもそうですし。あとはタイっていうお国柄やっぱりすごく親日だったりとか、日本の音楽で日本語覚えたみたいな方も多いので、タイを発信基地として横に。
まあ、これからインドネシアだったり、今度マレーシアだったり、ベトナムだったり、フィリピンだったりってところに色々広げてるっていうのが今の最中。」

タイではJ-POPの人気は高く、タイでヒットしたものは、地続きの東南アジアに拡散される傾向がある。

 

EXILE ATSUSHI からのメッセージ

そんな世界を見据えて活動するLDHのメンバーは、社長HIROにとって家族そのもの。
しかし、大切なメンバーが今は1人いない。
それがEXILE ATSUSHI。
病気療養中の彼が、今回HIROに特別にメッセージをくれた。

林修「ATSUSHIさんからお手紙をいただいたんですよ。」

HIRO
「全然会ってないですね。最近体調不良で結構そうですね。
復活した後に、なんかそうなってしまったので。
本人も色々こう悩んでるのかなあとは思うんですけど。
LINEとかはたまにしますけど。会うのはすごい久しぶりですね」

林「じゃあ、もう「助けて」なんていうのは、送ってないわけですね?」

HIRO「それはもう全員に送ってないです。(笑)。それはもう正直10年前の…」

テレビ番組ASAYAN(オーディション番組。モーニング娘、鈴木あみなどを輩出)で聴いたATSUSHIの歌声にHIROがほれ込み、EXILEのボーカルに大抜擢(2001年)。

 

苦楽を共にしてきたATSUSHIから初めての手紙

『HIROさんへ
このようなお手紙を書かせていただく機会もあまりないので、今回は正直に真っ直ぐ気持ちをお伝えしたいと思います。

振り返ればあっという間の23年間
短かったようでいろいろあり過ぎて濃すぎて、時間軸がバグってるような23年でしたね。

2000年 ASAYANのオーディションで落選し、僕は絶望の淵にいました
その自分を見つけてくださったのはHIROさんでした。
あの時拾っていただかなければ、僕はここにはいなかったかもしれないです。

昔初期メンバーで飲みながら「ぜってー負けねえ」が口癖だったHIROさんは、「老眼になっても絶対にメガネをかけないで、その文字が見えるまで見続ける」と言っていたHIROさんが、大好きすぎて、面白すぎて、大爆笑したのを覚えてます。

東日本大震災の時には明かりが消え、日本中が希望の見えない中、暗くなった会社に1人出勤して、色々な対応を考えてくださっていたHIROさん。
そして、“日本を元気に”というテーマを僕らに提示してくれて、“Rising Sun”というテーマを最初に僕に投げかけてくれました。
そして、僕はあの曲の歌詞を書き始めました。悩むことはありませんでした。なぜなら目的はただ一つ。

HIROさんが示してくれた“日本を元気に”だったからです。
あの時のHIROさんの旗振りは僕らの指針でした。

特に大きなご迷惑をおかけしたのは、2017年の留学2020年のグループの卒業、また2022年限定復活ライブでは、自分の卒業公演となるはずだったツアーの最後にグループに復活するという事をステージ上で宣言させていただきました。

それも、最初に相談して許可してくださったのはHIROさんでした。

そして2023年とあるレストランの個室で一酸化炭素中毒の事故に遭い、またご迷惑をおかけすることになってしまい、今この手紙を書いています。

本当に申し訳ございません。

応援してくださる皆さんには、お時間いただきお待たせしてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいですが、人の人生何もなくすべてが順調に休まずにいられることのほうがあり得ない事です。

EXILEファンの皆さんもそれを理解してくれていると信じています。

最後に今のHIROさんはもちろんプライベートはご結婚もされて、お子さんも生まれ、とても幸せそうですが、仕事の時のHIROさんを正直心配しています。
一人で背負い込み、色々な人の感情を抱え込んで、お辛そうに感じる時があります。
もう少し音楽のことについては頼ってくれてもイイのになあ…と思うところも多少あります。

今の僕のHIROさんとの夢は、いつか石垣島に行って一緒に乾杯して、昔話や馬鹿話をしながら死ぬほど二日酔いになるくらい楽しくお酒を飲むことです。
その時はお互いに一度背負い込んだ荷物を下ろして…そんな日が来ることを願っています。

いつもありがとうございます。 ATSUSHI 』

 

HIRO「石垣島。全然明日でも行きますよ(笑)。」

林修「全部背負い込みすぎじゃないかっておっしゃってましたが、いかがですか?」

HIRO
「ま、自分にしかできないことだし、それがあるからやっぱり自分もなんですかね…こう生きてる意味感じれますし、まあ、幸せなことなんで。
なんかそうですね。引くに引けない。

「本当の自分は何なんだ」とかって考える時はありますけども、そんなこと言ってる場合じゃないくらいの責任もありますし。
なんで、まあATSUSHIがすごい感受性豊かなアーティストであり、そういう人なので、こういう手紙に託して伝えてくれるのはすごくありがたいんですけど。
自分は今やるべきことは見えてるんで。
本当に絶対に強いLDHを作って、みんなが幸せになるようなそういう組織にしたいなと思いますし。

その先には、ファンの人たち、LDHを好きな人たちがいっぱいいると思うので、そこに繋がるって言うのが一番の自分ができる社会貢献の1つでもあるなあと思うので、とにかくそれを徹底的に。
エンタメ人生ラストスパートだと思ってるので。
そこをしっかり務めきって、最高の人生だったなと思いたいなと思ってます」

 

今は自分のことを考えるより、背負った大きな責任を果たすため、前進あるのみ。
大切なファンとLDHという大切な家族を守るために。
HIROはこれからも力強くエンタメ人生を駆け上がっていく。

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