小島よしおさん。43歳。芸歴23年。
今小島よしおの営業がやばい!とSNSで大バズリ!
この日集まったのは推定1万人の大観衆(あいちグリーンフェス)。
遡ること17年。
ぐるナイ「おもしろ荘」に初登場。
今と同じネタ(「そんなの関係ねぇ」)で大ブレイク。
一時は一発屋芸人と呼ばれ迷走するも…
いまや日本各地を飛び回り、年間150ステージ(2023年実績)をこなし、子供が見ている教育系YouTubeチャンネルでは小島の番組がぶっちぎりの1位。
2016年結婚し、今年2024年2月に待望の第一子が誕生しました。
ブレイクから低迷期へ これはヤバいと思った時
山崎「2007年にブレイクされて、どのくらいからその低迷といいますか…」
小島「いやその言いづらいカンペをごめんなさい」
山崎「ごめんなさい。今カンペなかったんですけど」
小島「なかったんかい!」
山崎「何年ぐらいで自分の中であれちょっとこれマズイぞみたいな」
小島
「あの、出た時から、もう来年消える芸人ランキングっていうので、1位だったんですよ。
明確にちょっとやばいなと思ったのは、あのね死亡説が出た時あったんですよ。
それは2014年くらいだったと思うんですけど。
SNSで…今で言うXで『天国にいる小島よしおさんに向かってみんなでつぶやこう』っていうのが、今でいう大バズリして。バズっちゃったんですよ。
なんていうか、露出度がやっぱり…。
見なくなったって言うのが原因でそういうのがあったときに、やっぱりちょっと「あれ?やばいかも」みたいな。」
山崎「そういう時代って何をされてたんですか?」
小島「筋トレを見直してました」
営業先で子供たちに大人気!
ファン歴6年の女の子も!
そんな状況から大逆転!小島よしおさんの営業に密着しました。
この日着ていた私服や帽子などは奥様が選んで買ってくれたもの。
小島よしお「都内の営業先へは普通に電車で行きます(今回は立川)」
営業先にはサラダを詰めたサラダ弁当を持参(この日はサニーレタス、玉ねぎ、ピーマン)。
小島よしお
「足の毛は脱毛しているんですよ(40万かけている)。きれいな体の方が清潔感があっていいし、子供が似顔絵を書いてくれる時に、昔は黒い毛をボーボーに描いていたけど、今は黒いインクを使わないで済むからエコ」
小島のステージを観ようと集まった観客はおよそ1500人。
「そんなの関係ねえ はい おっぱっぴー」
お客さんとのコラボもしました。
子供たちの声…
「かっこよかった」
「楽しかった。もう1回見たい」
「よしおさんだーいすき」
「大好きです。(ファン歴)5~6年くらい。(小島のステージ)今年6回目。直接会った時にすごく優しいし、笑わせてくれるところが好きです」
井桁弘恵「「そんなの関係ない」っていってたじゃないですか?「そんなの関係ねえ」とは何で変えてるんですか?」
小島よしお
「言葉遣いを正しく。
いやほんとは「そんなの関係ねえ」でやってたら、みんなそのマネしてますっていう子たちが「そんなの関係ない」だったから。なんか逆にじゃあ俺もそうしようってことで。
1人の時は「そんなの関係ねえ」でやるけど、子供と(一緒に)やる時は「そんなの関係ない」でやってますね」
山崎育三郎「でもさっき6年位追いかけてる女の子がいた」
小島よしお
「はい。もうふうかちゃん。ふうかピーヤ。ふうかピーヤですね、あの子は。
ほんとにね、彼女はもう小学校高学年ぐらいになっているんですけど。
それぐらいになるとね、結構ね、特に女の子はあの「よしお離れ」が起きてくるんですよ。」(スタジオ爆笑)
山崎「何歳ぐらいでよしお離れ?」
小島
「結構ね、小学校高学年。5~6年生ぐらいから。
特に女子から先に「何やってたんだろう?」みたいな(笑)。
「私はいったい何をやってたんだろう」ってこう夢から覚めるみたいな感じになることが多くて。
別にそれはそういうものだと思ってるんで。
けど、あの子はずっと来てくれるんですよね」
子供向けのお笑いを始めたきっかけと5年後に感じた手ごたえ
山崎育三郎
「でもやっぱりその2007年にデビューしてバーッとやってくる中で、どういうことがきっかけで、子供向けのお笑いをやっていこうと決めたんですか?」
小島よしお
「子供向けのお笑いは、単独ライブを毎年やってたんですけど、はじめ子供向けのお笑いじゃなかったんですよ。
なんですけど、たまたま来てた関係者のお子さんが、その子供向けじゃないライブを見た時に、あの泣き出しちゃって。うん。
始まって30分も経ってない段階で、もう「帰りたいよ~!」って言って、ライブ中に。」
井桁弘恵「そのお子さんが泣いちゃったライブはどういうことをしてたんですか?」
小島よしお
「えっと、ゴリラ漫談っていう、あのゴリラの格好をして、とにかくゴリラの格好をして漫談をするってやつだから」
山崎育三郎
「でも子供向けにやるようになって、その自分の中で手ごたえ…あ、ちょっと子供たちが喜んでくれるなって思い始めたのはどのくらいのタイミング?」
小島よしお
「えっとそれはね、5年後ぐらいですね。
実際にね、ライブ終わった後に子供が「もう終わっちゃうの?」って言ってくれたんですよね。
それがだってね、「かえりたいよ~!」から始まってるんで。
「もう終わっちゃうの?」っていうのを聞いた時に、この方向で良かったんだってこう思いました。」
小島よしおさんを良く知る芸能人2人
①俳優 萩原利久さん「小島よしおさんが芸能界に入るきっかけ」
小島さんを良く知る人物1人目は、萩原利久(りく)さん(25歳)。
2023年下半期Vivi国宝級イケメンランキングNOW部門ランクイン。今大注目の若手俳優です。
萩原利久
「僕はそもそも小島さんに会いたくて芸能界に入ったので。
毎週エンタの神様を見て、どハマりして。
小学生の時とかは、お風呂に入る時に必ず1回マネしてた気がします。パンツになった状態で。
もう(小島よしおに)会いに行きたい!ってなって、芸能界に飛び込んでいったので。」
今では思いが通じ、2人での番組が放送されるように。
萩原利久
「ぶっ倒れると思いますよ。子供の頃の自分に言ったら。一番言いたいですもんね。一番言いたい人、ぶっちゃけ若い時の自分ですもん。
あと僕急に思い出しました。
全然関係ないんですけど、誕生日に(小島よしおとお揃いのカラフルな)海パンをいただいたんですけど、あれをいまだに活用できてなくて。
ずっと飾ってある状態なんですけど。どう使えばいいか…」
山崎
「いやでもファンなんですね?子供のころからずっと。もういげちゃんも小学生のころから見てますし、大学(早稲田大学)の先輩」
②さかなクン「小島さんは優しく、家族思い」
仕事仲間として親しくなり、今ではプライベートでご飯に行くなど15年来の大親友!
さかなクン
「小島さんが本当によく「食事いきましょう」って。「じゃあ今度お寿司食べいきましょう」とか。お寿司屋さんは小島さんのおすすめのお寿司屋さんを呼んでくださいまして。
自分が住所と大まかな地図は頂いたんですけれども、ものすごく方向音痴なんで、1時間遅れちゃったんです。(小島さん)怒らないんですよ全然。
「さかなクン難しかったですか?」って。「ごめんなさいめちゃくちゃ迷いました。」
全然優しいんですね。すごく、なんていうか、世のため人のための方だなってつくづく思うんですけれども。
この館山市も実はですね、2019年に台風15号ですごく大変な状況になったんですね。
で、それで本当に町がですねもう屋根が飛んでしまったり、建物が壊れてしまったり、浸水被害があったり。すごく大変な状況だったんです。
その時に小島さんに今館山市大変なんですってお話したら「じゃあさかなクン、僕たちで元気を届けましょう!」ということで、なんと表敬訪問をしてくださいまして。
で、あの館山市の小学校を一緒に巡らせていただいて、小学校の皆様に元気出していこうねって。
自分から見たらもう完璧すぎるヒーローですね」
さかなクンが考える小島よしおのカッコいいところは?
さかなクン
「ご家族思いなところでございます。お母様のことすごく大切になさってますよね。
お母さんもすっごく明るくて。うちの母もすっごい仲良しなんです。はい、そうなんです。
で、ちょうど小島さんがご結婚されて。食事それでもご一緒させていただいたんですけれども、奥様をお連れするんですね。本当に大切になさっていて、はあ、いいなあって。
なんかすごく幸せ感がいただけてですね。本当に素晴らしいなあと思って。
小島さん!本当にいつも元気いっぱい頂いてありがとうございます!
小島さんはみんなのパワフル源!」
山崎育三郎「もう家族ぐるみで?」
小島よしお「そうですね、はい。一緒にご飯行ったりとか」
付き合ってから半年で結婚
井桁弘恵「ご結婚されたのはいつ?」
小島よしお「結婚は、2016年かな?」
井桁弘恵「その時って芸人生活の中でどういう時期だったんですか?」
小島よしお
「その時はですね、子供向けのライブがようやく認知され始めてきたぐらいだったかな。
仕事もこの先を見据えられるようになってきたタイミングでもあったんで、まあおそらくお受けしてくれたのかなっていう。」
山崎育三郎「お付き合いはどれぐらいされたんですか?」
小島よしお「付き合ったのもね、半年ちょっとです。はい。」
山崎育三郎「半年で「この人だ!」と思えたというのはどういうところ?」
小島よしお
「あの、なんか僕元々4人でルームシェアしてたんですね。
芸人の先輩とあと外国の方と4人で。
でもそこに飛び込んできてくれたんですよね。ルームシェアに。
付き合った段階で一緒に、そこに来てくれたんですよ。
4人男性の中に1人来て、共同生活して。
しかもなんかそれが、実家を出たのが初めて。
で、その環境を選んでくれてというか。
そこもなんかちょっとすごいなっていうか。」
山崎育三郎
「でも半年経って、結婚の申し込み行くわけじゃないですか、ご両親に。どうやってお伝えしたんですか?」
小島よしお
「いや、でも割とシンプルでしたね。
「これからも絶対にこう笑いの絶えない感じでいきますんで、あのよろしくお願いします」
みたいな感じで言って」
2024年2月に子供が誕生
山崎「今年の2月にお子様。おめでとうございます」
小島よしおさんの新米パパぶりは…
生後4か月の子供にミルクあげる時
小島「ルックミ~ ルックミ~ みるくルックミ~」
子「ふふ」「ふ~ん」
おむつ替え
小島「ピーヤピーヤピーヤ」「おっぱっぴー」「前へ前へ」
めちゃめちゃ笑う子供
山崎育三郎
「ずっと子供の前でパフォーマンスしてきた中で、自分の本当の我が子っていうのはまた違いますか?」
小島よしお
「いや、もうだから、僕のライブに来てくれる子供はもう結構だから育ってるんでね。
生まれてから、すんごいだから2年、3年の月日がどれだけ大変な思いを親御さんがして、ここのライブ会場に来てるんだろうっていうのが。
やっぱその感覚がちょっと薄かったんですよ。子供が生まれるまで。
生まれてから、今4か月なんですけど、4か月でも大変なことも多いなっていう中で、ライブにコンサートに行ったときのなんかこっちの子供を見る目がまず変わりましたよね。
こっちのその連れてきてくれてるお客さん、親御さんにすごいリスペクトが強くなったっていうか。」
大切にしている「雑草魂」
生き抜くために大切にしている思い。
それが…雑草魂
小島よしお
「雑草って、イメージ的には結構根性すごいとか、なんかそういうイメージって思うんですけど。
実はあの違くて。あの競争力めっちゃ弱いんですよ。雑草。競争力めっちゃ弱いんで。要は植物の中の競争にすごく弱いんですよ。
だから、あの山とか森とかでは生きていけなくて。
で、どんどんライバルのいない方ライバルのいない方に行くから。
だから例えばコンクリートの隙間とか。
ライバルがいない所を見つけて、咲いてるんですよね。
でそれってすごくヒントになるなって思っていて。
やっぱ人と同じことやってるとどうしてもなんか実力差がでちゃうんで、あの負けちゃうから。
だから、誰もやってない所だったら、要は比べようがないし。
そういう場所を見つける。
今は僕意外あんまりやってる人いないですけど、子供向けのライブをみんなやり始めたら、競争力弱いんで負けちゃうから。
だからそういうのを芸人とかがやり始めたら、こうちょっとね別のこと考えないとなとか」
前向きなメッセージはプレッシャーに弱い自分への言葉でもある
山崎育三郎
「でも「前へ前へ」とか「そんなの関係ねえ」って言葉ってすごく前向きになれるメッセージすごくありますよね」
小島よしお
「そうですね。結構自分に言ってるところもあるんですよ。
自分がやっぱりその「そんなの関係ねえ」…結構消える芸人とか言われたりしても、もうそんなの関係ねえとか。あの死亡説が出ても、だいじょぶ だいじょぶとか。
割と僕ってね、プレッシャーに弱かったりするんですよ。
プレッシャーに弱かったりするんで、自分自身を鼓舞するために、もう使ってるギャグだったりするんで。それがなんかね。他の人にとっても、こうなんか心が軽くなるような。なんかそういう風になればいいなと思いますね。」
山崎育三郎「どんなお父さんになりたいとかあります?」
小島よしお
「友達みたいな感じ。だから、名前で呼んでもらおうと思ってます。
よしおとかよしおくんとか。
友達みたいな感じの方が「いや、それ俺分かんないね」っていうのを言える仲がいいかなあって今は、今は思ってます。」