俳優 常盤貴子さん「ノリがいい」
プライベートでもノリがいいという仲間由紀恵さん。
15年来の大親友常盤貴子さんが旅行に誘うと…
常盤
「え、来る?っていったらだいたいいつも「行きます!」って言ってくれるんですよね。
だからまさか新婚旅行にまで来ていただけるとは思いませんでした。
誘ったのもたぶん2~3日前で、すごい瞬発力だなあっていうのを感心もしました。」
仲間
「行く先々のアート作品で、UFOを一緒に呼ぼうみたいな。それも呼んだんですよ。何回か何か所かで呼んだんですよ。それはもちろん付き合いますし。
冗談でも私に声がけするのは気を付けていただきたいなと思います」
俳優 生瀬勝久さんの自宅襲撃事件
しかし仲間由紀恵さんのノリの良さがある事件を引き起こしました。
それは、人気俳優の自宅襲撃事件。
それは、ごくせんなどで親交を深めた生瀬勝久と大河ドラマで共演中だった時のこと。
仲間
「大河ドラマの撮影の時に、みんなで今月の何日に蛍がよく見られる蛍祭りがあるからみんなで集まろうって言ってて、「あ、ぜひ行きたいです」で終わってた。
それから2週間くらいたって、蛍祭りの当日の日になって、大河のリハーサルをみんなでしてたんですね。で、リハーサルが終わって、シーンもいっぱいあって大変なので、夜の今日だなと思ってたんですけど、蛍祭りの話はしなくて。
「お疲れさまでした」って言って、「後で行きます」みたいな感じで、「あ、じゃあみ」たいな感じで帰って。ちょっと遅れ気味で私は生瀬さんのご自宅に、ちょっと差し入れを買って行ったんですね。
で、こんこんっていって、奥様がちょっとだけ扉を開けたんです。
「はい?」って開けて、「遅れてすみません。今日来ました。お邪魔します」って言って扉を開けようとしたら、「ちょ、ちょちょちょ」って言われて、入れてくれなかったんですよ。
怒ってるのかな?と。遅れたから。
「すみません、遅くなって。今日はみんなで集まるという事だったんですけど、私遅れてしまって。あのちょっとなんですけど、差し入れも買ってきて、入れていただけますか?」って言ったら、(奥様が)「何の話ですか?」。
蛍祭りは行われていなかったんですよ。
誰もいなくて。奥様も部屋着みたいな若干ラフな格好で。
そしたら、何か変な人がビニール持ってくるので、入れるわけにはいかないじゃないですか。
でその日生瀬さん別の仕事でその時いなかったんですよ。
で(奥様が)生瀬さんに急いで電話をして、「由紀恵ちゃんが来てるんだけどどうしたらいい?」って。
私の知らない所で、その日はスケジュールが合わないので、やめようということになってたらしいんです。で、それを知らなくて、勝手に生瀬さんの家に押しかけて、お邪魔して行って。
結局、奥様が優しい方で、一緒に蛍祭りを見に連れて行ってくれたんですけど。
私ね。そういう事時々あるんですよ。お邪魔しちゃうことが。
だから、本当によく考えて誘ってください。」
紅白司会「2年目は台本をセリフのように死ぬ気で覚えた」
沖縄で生まれ育った仲間由紀恵さんはとにかくピュアでまっすぐ。
15歳で上京してからも、まじめな性格は変わりません。
しかし、26歳で紅白歌合戦初司会。そのまじめさゆえに、紅白司会で苦労することに。
林「そして、早いですね。26歳の時、当時史上最年少での大河の主役を務められたと」
仲間「その当時はそうだったと思います」
林「その年の年末には紅白で司会も務めた」
仲間
「もう、すっごく緊張してですね。これ慣れない。
どんな顔で人前に立って「さあ次は…」って言っていいのかが分からなくてですね。
「さあ次は」。この「さあ」が出てこないんですよ。
ドラマの台詞だと言えるんですけど、この仲間由紀恵として、畑違いの先輩たち、アーティストさんたちを紹介するのに、「さあ」ってどの口がいっていいんだろう?って思って。
この「さあ」が出るのに相当苦労しました」
林「1年目と2年目でだいぶ違いました?」
仲間
「違いましたね。1年目はやっぱり分からないことだらけで、スタッフさんに聞いても「初めてなんですけど、どうしたらいいですか?」って聞いても「楽しんでください」としか言わないんですよ。
いや楽しむけども、それ以前の話だ。と思いながら。
めちゃくちゃカンペを見るわけじゃないですか。言う時に。
そしたらやっぱり「カンペをずっと見ている」って言う事を指摘されたりとかもして、2年目はやっぱり覚えなきゃいけないんだと思って、2年目は全部覚えて。だからセリフみたいに覚えたんですよ」
林「でもまあ、大変評判が高くて、それで翌年にもつながったわけですからね」
仲間
「いやー、もう全然そんな対応力もなくでしたけど、台詞みたいに台本全部覚えなきゃとプレッシャーに駆られて。すっごい分厚い台本なんですけど。
そして紅白の台本は本番前に新しい台本が「新しいの刷りあがりました」って同じ太さで来るんですよ。もう、死ぬ気で覚えてやってましたね。」
母から感じた深い愛情
ふるさと沖縄から上京して29年。
結婚をし、38歳の時には双子を出産。
仕事と育児の両立をする中で思い出されるのは、5人の子供を育ててくれたた母のこと。
仲間
「5人兄弟でして、一番上が姉。で、真ん中3人が兄。
そして、私は一番末っ子。という構成なんですけど、毎日の5人の生活を守りながら、私たちの心を守りながら、よく育ててくれたなと思って尊敬しますよね」
林「お母様の教えの中で今でもいきている事って何かありますか?」
仲間
「何だろう…。まあ、これという言葉ってことではないですけど、やっぱり本当に愛情を惜しみなくみんなにくれたので。自分のこととかを顧みずに、たぶん自分の時間を全部子供たちに使ってくれてたので。
学校行って、学校終わって習い事に行くにも、迎えに来てくれて、そこから送って。合間で食べる夕ご飯を作ってきてくれて、私が終わったらまた夜一緒に帰ってくれるっていうのをみんなの(兄妹5人分)してたんじゃないかと思うので。
その愛情の深さっていうのは母から学んだというか、自分の中にも残ってるなあという風には感じますね。」
いつも家族第一の母。母になった今だからこそ母の偉大さ、やさしさが伝わってきます。