【日曜の初耳学】俳優 草彅剛×インタビューアー林修 前編(2024年5月放送)

黄色い花 俳優(男性)

時代のカリスマ 俳優 草彅剛 × インタビュアー林修

日曜の初耳学に草彅剛さんが出演されました。
仕事がなかった高校時代のエピソードから香取さんが語る努力家の草彅さんの姿。
紆余曲折を経て、現在の演技に対する「NO準備」で挑む姿勢など、見所がたくさんありました。

 

草彅剛さんプロフィール

1974年(昭和49年)7月9日生まれ(出演時年齢49歳)
愛媛県生まれ、埼玉県出身(春日部市育ち)
170㎝ A型
堀越高等学校卒業

1987年 中学1年生の時にジャニーズ事務所に入所
1988年4月に結成された「SMAP」のメンバーとなる

2001年より朝鮮語を習得し、日韓の交流に大きく貢献している
韓国関連での芸名を「チョナン・カン」という。

(以上 Wikipediaより)

草彅剛さんの主演ドラマ一覧

テレビを見てる子供

SMAPでは最も遅い22歳の時(1997年)、「いいひと。」でドラマ初主演

1997年 22歳 ドラマ「いいひと。」主演

23歳 ドラマ「成田離婚」主演

1999年 25歳 ドラマ「TEAM」主演

2000年 26歳 ドラマ「フードファイト」主演

2003年 28歳 ドラマ「僕の生きる道」主演

2004年 29歳 映画「ホテルビーナス」主演

2009年 35歳 ドラマ「任侠ヘルパー」主演

2012年 38歳 映画「あなたへ」主演

映画「任侠ヘルパー」主演

2015年 40歳 ドラマ「銭の戦争」主演

2017年 42歳 ドラマ「嘘の戦争」主演

2020年 46歳 映画「ミッドナイトスワン」主演 日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞

 

基本的に台本はあまり読まない

日本の風景

NHK朝の連続テレビ小説「ブギウギ」出演

ブギウギでたびたび話題となったのが、草彅剛さんのアドリブだったそうです。

林「結構アドリブのシーンがあったという話を伺ったんですけれども」

草彅
基本的にあんま台本読んでないんで。アドリブになっちゃうんですよね。適当なんですよね。一応自分のセリフだけは覚えて、ト書きとかは読まないんですよ。

自分ではその通りでやってるつもりなんですけど、(監督に)「全然剛君違うよ」みたいな。「あ、でもなんか面白くなったからいいよね」みたいなそんな感じで、結果的に褒められるんですけど。年々そういうのがひどくなってきて。でもちゃんと出来上がったら繋がってるんですよ。だから読まなくていいと思うんですよ」

 

林「じゃあ、そういう演技で特にカットされたってこともなく?」

草彅
「あ、カットされた部分はたくさんあるんですよ。やっぱり。色々あって。やりすぎちゃって、関西弁をカットしたとか。」

草彅さんのアドリブが盛り上がりすぎて、本来のセリフがカットされたこともあったそうです。

ブギウギで、ライバル劇団に引き抜かれそうになった鈴子を必死に説得する場面があり、この場面での取り乱す動きは、実はほとんどがアドリブ。
これで草彅さん演じる羽鳥の感情が十分に表現できたため、台本にあった8行分のセリフがカットされたそうです。

そして、このアドリブの裏には草彅剛さんのある狙いがあったとのこと。

草彅
「主人公の福来鈴子が引き抜きにあって引き止めるというシーンだったんですけど、僕は楽しく、すずちゃんが笑ってくれないかなと思って。趣里ちゃんが笑ってっくれないかなと思って。そのくらいの感じの方がいかなと思ってやったら本当に笑ってくれて、せっかく覚えた関西弁がほとんど全部カットになった。でも笑ってくれてるから、OKです。だからいいんです。

林「そういう感覚で撮影には臨まれてると」

草彅
「そうです。若い時なんかは結構台本読んだんですけど。35歳くらいまで結構読んでたんですよ。だけど、なんか35(歳)を機に、全くなんかそうじゃないなと思って、なんかちょっとマインドが変わったというか。でもなんか最初から読まなければ良かったなと思ってます」

林「いやいや(笑)」

 

35歳 演技への考え方が変わった 大きすぎる挫折

俳優として、人間としてのターニングポイント

香取慎吾さんが見た草彅剛さんの努力する姿

座ってる男の人

現在の草彅さんの活躍について思う事

スタッフ「草彅さんについて語っていただくんですけど」

香取
「結構うろたえるものですよ。僕が逆だったらちょっとびっくりするな。う~ん。皆さんでいう所の、この仕事場に急に家族来ちゃうみたいな。うわってなるでしょ。ちょっとそうなってると思います今」

現在の活躍をどう見ているか?

香取
「まず嬉しいですよね。もちろん素敵な人間であり、俳優さんでありとか。だからこそ、推していた(笑)。「彼は素晴らしいんですよ」って。

でもこんなに、こう輝きを増すとは思っていなかったから。自分が推している以上に、もうどんどん広がっていくから。推しがちょっと遠くに行っちゃってるみたいな(笑)。ハハハハハ。

なんかどんどん羽ばたいてくれてて、もちろん嬉しいんだけど、でもちょっと苦労してるような所も知っているから。一時、むか~し、ちょっとハマっちゃって、あまりいい方向じゃない方にハマっちゃってた時期があって」

と語りました。

香取さんは草彅さんと36年来の盟友です。
その香取さんが草彅さんを人間としても俳優さんとしても素晴らしい人だと表現しているのがとても素敵だなと思いました。

 

台本が見えなくなるくらい書き込んでいた

台本は読み込まない、あくまでも自然体で演技に臨んでいるという草彅さんですが、実は20代は全くの逆だったそうです。

香取
「こう台本にいろんなこと書き込んで、台本が見えなくなっちゃってる。それでいて現場に行ってやってみたら上手くいかなくて。現場止めてでも「もう1回やらせてください」とか。上手くいかないからこそ自分で現場を「もう一回やらせてください」(って言う)。

で、監督OKって言ってんのに、「すみませんもう1回」みたいなのが、ちょっと上手く現場が回らないような話を聞いて。その時話に行って、「お前は監督か?」って言って。「監督じゃないだろ」みたいな話をちょっとしたりとか。

で、その時「台本見せてみろ」って言ったら、もう書き込みすぎて、もう「なんだよこれ」って言ったら、「俺でも、もう俺も分からないんだよもう」って。だからもうほんと分からなくなっちゃうぐらい、考えに考えて

そこからね、色々模索してると思うんですよ。」

林「そういうことがあって、あんまり「台本は読まないほうがいいよ」ってさっきの言葉につながるんですね」

草彅「そうかもしれませんね」

林「「もう1回やらせてください」っておっしゃった時期もあった?」

草彅
「ありましたね。監督さんがOk。だから今の僕からしたら、その当時の僕に、もう慎吾ちゃんと同じですよね。「もう監督OK言ってんだからいいんだよお前」って言ってやりますよね。「何お前が言ってるんだよ」って言って。」

「ほんとに慎吾ちゃんはそういう困ったときにいつもそばにいてくれて、じつはめちゃくちゃ心がすくわれていることありますね。
稲垣吾郎は一切ないですね(笑)。うそうそうそうそ。五郎さん、嘘です嘘です。」

 

仕事がなかった高校時代

電車

メンバーの中で最も遅かったドラマ初主演

初主演はSMAP結成から9年後。

実はメンバーの中で主演を張るのが最も遅かった。

メンバー連続ドラマ初主演作一覧

稲垣吾郎 1992年 「二十歳の約束」

中居正広 1995年 「味いちもんめ」

香取慎吾 1996年 「透明人間」

木村拓哉 1996年 「ロングバケーション」

草彅剛  1997年 「いいひと。」

 

高校3年間無遅刻無欠席で堀越賞をもらう

中学2年生の時、SMAPのメンバーに抜擢された草彅さん。

中学卒業後は、仕事をバリバリするため、多くの芸能人が通う堀越高校の芸能コースを選びましたが、3年間無遅刻欠席だったそうです。

仕事がない普通の高校生でも、無遅刻無欠席ってなかなかできないと思います。
しかも、通学に2時間かかったそうです。
それなのに無遅刻無欠席。草彅さん、すごいです!

草彅
「芸能コースだったんですけど、仕事がないから、(通学に)2時間かかるのに3年間無遅刻無欠席で、堀越賞もらっちゃって。だったら、普通の高校通えばいいじゃんみたいな。あれって、芸能コースって、色々融通が利くから、忙しいから、あの早退できたり、早引きできたり、お昼から行ったりっていう特権があるんですけど、それを一切活用せずに3年間無遅刻無欠席で。」

林「他のメンバーの皆さんはいかがでしたか?」

草彅「仕事…五郎さんは朝ドラとかそれこそあって(1989年NHK連続テレビ小説「青春家族」に出演)、まあ、忙しかったは忙しかったんですけど、朝ドラが終わってからもなんか早退とか、なんか遅刻とかしてきてるから、あれはさすがにちょっとね。あの、ちょっとやってましたよね。やっちゃってましたよね。(スタジオ笑い)。単位が取れなくてあたふたしてたもん五郎さんはね。

そう。僕はその方たちを見て、実際はどうかわかんないけど、「僕はそういう風にはならない」ってなんか謎のね、謎のスイッチが入ったの。わけわかんないですよね。

でも今となっては、そのなんか3年間電車で2時間かけて通ったのが、色んな人生勉強になりましたね。

「あー、満員電車のサラリーマンの方ってこういう感じのテンションで(電車に)乗ってんだ」みたいな。それが役に活きたりとか。日常の。

「あ、こんな所に蕎麦屋とかあって、食べてんだ」とか」

休まず通った3年間の通学路で目の当たりにした世の中の光景が、俳優草彅剛さんの演技に活きているんですね。

 

人生を大きく変えたバラエティー番組①「笑っていいとも」

道

しかし、高校卒業後俳優としてすぐに忙しくなったわけではなく、いいひとで初主演を務めるのはその5年後(22歳)のことだったそうです。

草彅さんは当時SMAPにおける自身の存在をこう語っていました。

「当時バラエティー班とドラマ班で分かれていて、僕はどっちつかずだった」

バラエティーにも演技にも苦手意識があり、グループ(SMAP)に居場所がなかった草彅さんの芸能人生を大きく変えたのが2つの伝説的バラエティー番組だったそうです。

その1つが1995年21歳で出演した「笑っていいとも」。

タモリさんの言葉に救われた

林「タモリさんとの出会いっていうのはとっても大きいんじゃないかっていう印象を持ってるんですけど」

草彅
「この間もお会いしまして、久しぶりに。なんかちょっとブギウギの演技褒めていただいたので、タモリさんに。タモリさんは、本当に良いと思わないと褒めてくんないんですよ。」

林「でもそのいいともをきっかけにSMAPでの居場所ができたっていう?」

草彅
「まあ、(タモリさんは)アドバイスはしてくんないんですけど、全く。なんかボソッとおっしゃられることが凄い自分の中でヒントになって。

なかなか(テレビで)話すのが苦手だったりして、今もそうですけど、若い時からなんかあんまり得意じゃないんですよね、話すこととかが。今はそんなに気にしてませんけど、やっぱり面白いこと言いたいじゃないですか。どうせだったら。今あんまりテレビ出てないんであれなんですけど。昔はいっぱい出てたんですよ、テレビ。だから、常に面白いことを言わないといけないみたいな状況。今よりかあったと思うんですよ、なんか。だから、面白く話したいなと思う時に、やっぱり面白く話せなくて悩んだ時期もあって。

だからそん時にタモリさんが、「いいんだ、いいんだ」って。「普通でいいんだ、普通で」って。「そんなね。スタジオでウケなくても、テレビなんてもういっぱい見てんだぞ。テレビの前のどっかのお茶の間の1人が笑えばいいんだよ」みたいな。「そこだけが全てじゃないから」っておっしゃられるんですよ(笑)。そう。だからすごいそれもタモリさんに救われましたね。」

 

タモリさんの自宅で2人きりで過ごした

林「お正月に(タモリさんの)ご自宅に伺って2人きりで過ごしたということも…」

草彅「そうですね。何度もやっぱり」

林「1週間ずっと泊まり込んだこともあったんですか?」

草彅「全然ありますね。はい。なんですかね。僕も図々しいんですよね。たぶんね。「帰れ」って言えなくなっちゃうんでしょうね。あまりの図々しさに。」

林「いや、図々しいってこともないでしょうけど…」

草彅「いや、図々しいんですよ。「帰れ」って言われないから、「まあ別に今日もいていいのかな」みたいな。なんだったら、明日一緒の「いいとも」だ。金曜日から始まる時はそのまま金曜日いいとも(一緒に)いったこともあったんで」

林「ずっと泊まりっぱなしで?」

草彅「そうそう」

草彅剛さんのそのままの自然体の魅力にタモリさんはその頃から気づいていて、「無理して面白いこと言わなくていい」って言っていたのかもしれません。
このタモリさんの言葉も支えに、草彅さんはバラエティー番組で輝き始めました。

 

人生を大きく変えたバラエティー番組②「SMAP×SMAP」

道

草彅さんが芝居の基礎を学ぶことになった番組が、1996年にスタートした「SMAP×SMAP」でした。

 


「ドラマ主演よりも先にSMAP×SMAPでは色んなコントにチャレンジされてましたよね?」

草彅
「そうですね。実はコントの中にお芝居の大事な要素もたくさん。とか。何かやっぱキャラクターを演じるっていうのはお芝居とそんなにかけ離れていなかったものだったりするので。僕がお芝居こんなにたくさん呼んでいただくのも、その時期のコントの基盤があってっていうのはすごくありますね」

 


「(SMAP×SMAPの)作家の鈴木おさむさんにクレームを付けたことがあったとか」

草彅
「おさむさんは僕のコントの時はなんか手抜きするみたいで。

なんかムツゴロウさんのコントみたいなのがあって、なんか僕が馬から生まれるみたいな。え?馬から生まれるってどういうこと?みたいな。これ手抜きでしょみたいな感じ。

でも、それはそれで、おさむさんが考えてるか考えてないかわからないんですけど、他のコントとコントラストができて、僕のコントが結構跳ねたりとかするんですよ。だから、(おさむさんは)天才ですよね。おそらくね。なんか全然3行で短くてつまらない(台本)って思ったのが他のクオリティーが高いの(コント)の中にポッと入ると、それがブリッジみたいになって良くなったりとかするので。だからおさむさんからは「ネバーギブアップ」っていう言葉をね、僕は学びましたね。

うん。つまらない…つまらなそうな本(台本)だとしても、それは自分が思ってるだけで。そういうことじゃない。見る人がそれ解釈するものだから。だからあんまり考えない方がいいんだなと思って。

それも35(歳)くらいの時に。そう、悲しいけど、考えれば考えるほどつまらない人間になってんだみたいな。そう。そういう感じに結局なっていった。」

自分で自分を評価せず自然体でいるという考え方が今の草彅剛さんを作っています。

 

大きく学んだ作品 初主演ドラマ「いいひと。」(1997年)

デビューから9年。
草彅剛さんは22歳の時に「いいひと。」でドラマ初主演(1997年)を飾ります。
生まれながらの超お人よしという主人公のキャラクターが常に自然体でいる草彅さんの魅力と見事にはまり、最高視聴率24.6%の大ヒットを記録しました。

 


「僕(原作を)読んでたんですよ。毎週。で、主演に決まったっていうお話を聞いた時に、まずピッタリだなと思いましたね。作品のイメージと。」

草彅
「ありがとうございます。もう昨日のことのように覚えてますね。今の僕の色んなスキルを育ててくれたというか。一番大きく学んだと言っていい作品ですかね、やっぱり。初めてのことが多かったんで。」

その後主演作が軒並みヒットします。

日本アカデミー賞最優秀主演男優賞受賞した 映画「ミッドナイトスワン」(2020年公開)

映画

草彅さんは、2020年に公開された映画「ミッドナイトスワン」で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞します(46歳)。
草彅さんは身体と心の葛藤を抱えるトランスジェンダーの凪沙役を演じました。

 

ほぼ準備なしで役に臨んだ

林「今振り返ってみてこれはいかがですか?」

草彅
「やっぱり大きな賞をいただいたなと思ってます。グループ(SMAP)も解散して、新しい地図を広げてからのお仕事だったので、第2のお芝居の人生が始まったというか」

 

林「ちょっと難しい作品という印象もあるんですけど、初めにオファーがあったときにはどのように思われましたか?」

草彅
「もう当時、新しい地図を広げて、かなり仕事の環境も変わってる初めの方だったので、もうやっぱりいただいた仕事っていうのはもう何でも挑戦したい、そういう気持ちも強かったので。なんか難しければ難しいほどワクワクするというか。

初めに脚本を読んだ時も、(主人公の)凪沙が持っている熱量みたいなものが、観客の皆さんに伝わるように演じたいなというか。すぐそんな風に思わせてくれたので。これは本当にやってみたいと思いましたね。」

林「それを伝えるためにどんな準備をされたんですか?」

草彅
「これがまたねー。ほぼ準備なしなんですよね。実際にあのトランスジェンダーの方と会ったりもしたんですが、やっぱり35歳位に先ほども言ったとおりに、あまり細かく考えないようにお芝居するようになったので、細かく考えたりとか、むしろしない方が動けるような気がして、本番で思ったことをやったっていう感じです。」

 

林「泣くシーンでも、もうカメラテスト無くいきなり本番に…」

草彅「なかったですね。はい。それがまた良くて。」

自分の心と身体が一致しない。そんな現実に絶望し、泣き崩れるシーン。「なぜこの身体で生まれてしまったのか」「なぜこんなにも生きづらいのか」。複雑な思いを抱える凪沙をテスト無の一発本番で演じきりました。

草彅
「(カメラ)テストとかあんまり好きじゃないんですよ。もう早くやろうよって思うんですよ。でも俳優さんによってはちゃんと確認したい方もいるんで。僕はもう、すぐ撮りたいんです。決まっちゃうじゃないですか。でもそれを決めてやるのが普通なんですけど、僕はもうすぐやりたいんです。」

 

香取慎吾「もうお芝居を辞めよう」と思うくらい素晴らしい演技だった

まさに役が憑依したかのような草彅さんの演技に香取慎吾さんは大きな衝撃を受けたそうです

 

香取慎吾
「ミッドナイトスワンっていう作品を見たときに、自分が「もうお芝居辞めよう」と思ったんですね。

でついついその、Titter…Xをあんまりその場のすぐの感情でこう打ち込まない方がいいはずなのに、もうすぐに「もう自分は芝居をするのはやめようかと思った」と。素晴らしすぎて。こんな近くにこんな素敵な人がいるんだったら、もう自分はやめようかと思ったっていうぐらいに。

その演じているとかじゃないこの人いるんだなみたいな。それこそ草彅剛じゃなかった。僕の知ってる草彅剛はいなかった。もうあの役の人がほんと普段生活しているんだろうなと。それがたまたま映画に映り込んじゃったのかなっていうぐらいに思えましたね。

あー、もうとんでもないなあと思った。」

※香取慎吾さんX内容
『主演草彅剛に魅了された僕は初めて、もう芝居をするのはやめようとおもった。やめないけど、やめようと思った。それほど打ちのめされました』

 

草彅
「いや、本当に慎吾ちゃんがミッドナイトスワンを見てね。「お芝居辞める」(って言う)くらい本人がほめてくれて、ほんとに今までで一番うれしい褒め言葉いただいたなって思ったりするし。まあ、本当にこんな大きな賞をいただけるとは当時思っていなかったんですけど、これからも演技という仕事に自分の全てをささげていく誓いがたてられたなと(おもいます)」

 

大きな転機となった「35歳」の出来事

お酒

酔っぱらって裸になり捕まってしまった

しかしその俳優人生には大きなターニングポイントがあった。

その年齢というのが…

草彅自身が何度も発言している「35歳」

林「先ほどから何度もこの35(歳)で変わったってことをおっしゃってるんですけど、これこの表で見ると(2009年)ドラマ任侠ヘルパーを主演された年ですね。35(歳)の時何があったんですか?」

草彅
「35の時はねー。裸になって捕まっちゃったんですよ。大変なことを犯しましてね。酔っぱらっちゃってね。あの脱いでしまって・・・。その一夜がね。僕の人生を変えたわけですよ。

もう仕事一杯あるのに。もうたくさんの方に本当に迷惑かけて。はい、もう」

林「すみません。ちょっと。変なこと聞いちゃって」

草彅
「いや。もうそれがだって。「なぜ変わった」というと、もうそれしかないんで。答えざるを得なかったわけです。」

このことで、CM打ち切り、ドラマ降板。決まっていた仕事は全て白紙となり、人生の景色が一変しました。

 

高倉健さんからの手紙

そんなどん底に落ちた草彅さんのことを気にかけ、応援してくれた意外な人物がいました。
それは、俳優 高倉健さんです。

 

草彅
高倉健さんも実はこの時にちょっと交流。
お手紙いただきまして、健さんに。高倉健さん(それまで)全然交流ないのに、僕がそういう一大事件を起こしたら、わざわざ手紙を持ってきていただいて。事務所に健さんが(自ら)手紙を持ってきてくれたんですよ。もうびっくりですよね。だってそれまで全く交流がないのに…。
そこから、健さんとの交流が始まって。」

活動自粛中、高倉健から事務所の守衛さんに手渡された1通の手紙。

林「高倉健さんがわざわざお手紙持ってったってことは、草彅さんをこの芸能界から失ってはいけないっていうような思いをお持ちだったからじゃないんですか?」

草彅「でもありがたいことに、そういう気持ちは感じました。なので、僕はしっかりと生きていかないといけないんだなって。自分に大きな責任が課せられてるんだなって。なんか責任っていうと、すごい大げさな言葉に聞こえてしまうかもしれないんですけど、そうじゃなくて、きちんと地に足をつけて、草彅剛として生きていくことなんだよって教えてくれたっていうか…」

その手紙をきっかけに高倉健との交流を深めた草彅は、2012年映画「あなたへ」で高倉健と初共演を果たすのだが、このオファーにも裏話が…

草彅「(高倉)健さんが、「この役は草彅君がいいんじゃないか」って推してくれて。僕の所に素敵な役が舞い込んできて。

もう緊張しましたけど、高倉健さん。子供のころからもう雲の上にいる大スターの方と。もうレベルが違うじゃないですか。レベルっていうかラベルが違いますよね。レベルどころじゃないですよね。ラベルが違うんですよ。レベルじゃなくてラベルが違うから。初めてでしたね。一緒に演技するって、鳥肌がピリピリ立つというか。オーラとか目に見えないとかいうんですけど、いや見えるよみたいな。光ってるじゃんみたいな。

ありがたいことに、健さんがその当時から「この役では草彅君はまだ小さいんだ」っておっしゃってくれたりとかして。「もっともっと大きな役をあなたは演じていくんだよ」っていうような言葉をいただいたりとか。

めちゃめちゃうれしくて、やっぱそういう言葉が。高倉健さんがそんなことを言ってくれてると思って。」

林「演技そのものについてのなにかアドバイスのようなことはあったんですか?」

草彅
「なんか、「生き方が大事だよ」みたいなことはおっしゃられてましたね。演技のテクニックよりか日常の中から、たくさん人の大事な感情とかが拾えることがあるんだよみたいなことはおっしゃられてましたね。それが何なのかなっていつも…。どの撮影もそうですけど、撮影以外でも、どういう風に自分と向き合って僕は今日1日過ごしてるのかななんて思ったり。必ず1日何か高倉健さんのことを考えますね。」

 

演技に大切なのはテクニックよりも日々の生き方。
自分の人生をしっかり生きて、しっかり生活をする。
それが台本に書かれた役に血を通わせることになる。

草彅さんが35歳で台本を読み込まなくなった背景には、恩師高倉健さんの言葉がありました。

 

最新作 時代劇映画「碁盤斬り」

お寺

俳優草彅剛さんの最新作が時代劇映画「碁盤斬り」(林修さんが「これは面白い」とスタジオでひとこと)。

草彅さんが演じたのはいわれのない罪をきせられ、その復讐に燃える主人公柳田格之進。冤罪事件で娘と引き裂かれた男の復讐劇を描いています。

 

林「今回どんな準備をなさったんですか?」

草彅「NO準備ですね。何も準備してない。現場に入ってあとはもうやるだけっていう」

林「これね。僕ももう愚問だなと思いながら聞いたんです」

草彅「もう準備すると良くないんでね」

林「さっきおっしゃってましたもんね」

草彅
「それこそ、京都の撮影所なんで。もう若かりし銀幕スターの高倉健さんが毎日入り浸ったスタジオなので、ほんとに高倉健さんのことを考えながらやってました。役も寡黙なんで。それが一番の役作りになりましたかね。

もう人間と人間がぶつかり合う殺陣になってますので、映画史に残る殺陣が撮れたんじゃないかなと思ってます。
いや。自分で言っちゃってますね(笑)
映画史に残るとか言って。どの口が言ってんだよねえ(笑)」

 

役作りは常にNO準備と語る草彅さんですが、それが本当なのか白石和彌監督に現場の草彅さんについてたずねました。

白石監督コメント
「私からお願いしたわけではないのですが、井戸水で体を清めるシーンがあり、当日めちゃめちゃ体が仕上がってました。シーンに向けて自主的に食事制限して体を作ったそうです。」

草彅
「そう。僕偉いから、そういうことちゃんとやる。すごい偉いですよね。だから、台本読まなくてもそういうとこだけ(体づくり)はちゃんとやるんで。

この役。(柳田)格之進。今回の。なんか娘とひもじい役でして、今日はなんか煮物のふかしだけですよって言われてんのに、ぷよぷよしてから説得力無いじゃないですか。
それだけはなんかちょっと嫌なんですよ。

だから、「そのシーンはいつ撮るの?」って聞いて、2週間前からって聞いて、2週間前から大好きな焼肉とかを食べないようにするんですよ。あと、クワトロフォルマッジ(はちみつをかけて食べるチーズのピザ)大好きなんですよ。はちみつかけて食べるやつ。あれがもう大好きで。」

林「2週間でどのくらい絞られたんですか?」

草彅「あ、でも体重計乗ってないんで。でも、クワトロフォルマッジと焼肉食べなかったら、人間痩せますよ」

 

林「ちなみにですね。香取さんに再び」

草彅「五郎さんは出てくれないんですね。ね?1個くらい五郎さんもこんな僕のスペシャルな番組なのにさあ」

林「たまたまちょっとスケジュールの関係じゃないかと思いますけど…」

草彅「五郎さん今空いてると思いますけどね」

 

SMAP解散の裏にあったドラマ

南の島

SMAPの解散。とても大きな出来事でした。
その時、草彅さんが香取さんに言った言葉。
香取さんは草彅さんを「カッコイイ」と語りました。

 

香取
「その新しい人生を歩もうとした今から6年、7年前くらいですかね?もうあの時の本当にどういう選択をすればいいのかっていう時に、まあ、みんなそれぞれ話した中で、彼(草彅)の言葉が僕の人生にとても大きかったのが、「分かった。俺は慎吾と南の島で暮らす」って言ったんですね。

もう、ふざけんな!と。そんなこと言ってる場合じゃないんだと。でも、それを大きな声で投げ捨てた草彅剛は、マジなんですよ。

もう本当に皆さんも知ってるようなあの(解散騒動)の中で、彼は僕にそれを言うんですよ。「2人で南の島で暮らそうぜ」って。すごくないですか?

それこそその時期は僕はね。あのメディアにいろんなところで「香取慎吾引退」「海外に留学か」とか。
「違う俺はやるんだ」って思いでいるのに、南の島に誘うんですよ。ありえないでしょ(笑)。でも冗談じゃないから。

まあ僕のそのどういう判断をすればいいのかとかで、僕がこうもう凝り固まって、本当に苦しそうだったから。「南の島行こうぜ」って。でも本気だったと。「もうそれでいいと思ってた俺は」って。後で聞いて。

その言葉で助けてくれるわけじゃなくて、彼は本気なんですよ。その本気がカッコイイよね。

だから、「いいひと」とかそんなほわんとしたものじゃないのよ。もっと強い。ま、カッコイイですよ。」

草彅
「なんかすごい褒められちゃって、ちょっとジーンとしてしまいました。あんな感じで言われることあんまないんで。ま、確かに南の島って言いましたけど。言いましたけど、本気で言いましたけど。香取君があんなに僕のことを真正面から褒める機会っていうのもないんで。なんかすごい番組だなと思って。あの、ジーンとしました。今、なんか。

やっぱ大変な時期とか、こう乗り越えないといけない時期ってのはあったので。うーん、なんか改めてね。ああ、そういう時期を共に離れずにというか。ま、人の人生はやっぱ最後は自分で決める部分っていうのは大きいですし、もちろん仲間もいる中でだったりするので。あんな風に今褒めてくれて。あのー、僕の人生は間違ってなかったなって心から今思えてしまって

一瞬林先生と番組してるのに、1人の空間になってしまって。

すみませんね、なんかね。」

林「それくらい、深く心に響く言葉だったと…」

草彅
「そうですね。あの、本当に共に色々人生の選択というか…した仲間だったりするので。ま、隣に慎吾ちゃん、五郎さんいてくれて。いろんな形は変わりましたけど、本当に僕は今幸せに挟まれてるなっていうか…」

と語りました。

草彅剛さんの人生訓

道

草彅
「人生っていうのは必ず失敗もあって、その先に成功があるので。失敗をしないと、絶対に成功は成し得ないことだと思うんですよ。だからその失敗は、未来の成功だと思って。止まってしまう時もあるけど、必ずまたそこから動き出せば、それは失敗したことにならないから。歩き続けて失敗し続けることが成功への鍵だと思います」

 

その他 番組ゲストが語る草彅剛さんエピソード

タレント森口博子さん

1992年 バラエティー番組「夢がMORI MORI」でデビューしたばかりのSMAPと共演。

この番組のメインMCは森脇健司さんと森口博子さん。
SMAPがコントに挑戦したバラエティー番組。

森口
「もうたった一言のセリフ。もうずっと注意されてて。
もうそれを注意された後に、壁に向かって延々と一言のセリフをずっと練習してて。
すごい信念だなと思って。

(番組が)始まったころは本当に世間では(SMAPの)名前覚えてなくて、MORI MORIっていうのはもう森口と(森脇)健ちゃんの森森の名前なのに、SMAPが背中にいて。ある時から並んで。「あっ、吸収力あるな」と。もう番組最中、ある時から(SMAPの)背中が遠―くなって、背中がつかまらなくなったもん」

 

芸人 千原ジュニアさん

千原ジュニア
「確かにあの騒動の時に、俺は香取さんと笑っていいとも一緒やったから、香取さんから聞いたのは、草彅さんの事件が起きたときに地方行ってはって、そんで次の日帰り飛行機に乗ったら、飛行機内みんながスポーツ新聞それ(草彅の騒動)読んでんねんけど、そこに香取さん入ってきたから、何となく全員が新聞をたたんでCAさんに戻したっていうのが、本当に日本中SMAPを愛してるんだなっていう」

中島健人
「うちの会社の後輩とか、全員やっぱSMAPになりたかったっすもん。みんな目指すスターだったんで」

 

 

まとめ

元SMAP 俳優 草彅剛さん。
今回の番組で、努力家、真面目、そして多くの人に支えられ、応援される魅力のある方なんだと知りました。

今ではNO準備で演技に臨まれ、その演技が高く評価されている草彅さん。

今後も俳優としてのご活躍が楽しみです。

そして、またバラエティー番組でもその姿をたくさん見れると嬉しいです。

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